「黒羽くん……!」
改札口から出て、黒羽の姿を見つけるとは嬉しそうに走り寄った。
「よっ」
「わざわざ駅まで来てくれなくても良かったのに……」
「もう外真っ暗だぜ?あぶねぇよ」
の顔を見て笑顔を浮かべるも黒羽は困ったように頭を掻いた。
「ゴメンね、忙しいのに無理言っちゃって。すぐ帰るから」
「いや、別に良いんだけどさ……土曜か日曜でも良かったじゃん」
「うん、でも……土日は勉強も忙しいでしょ?」
苦笑したに黒羽もそれもそうだと納得する。

「おや、ハル君じゃないか」

改札口の傍で話していた達にホーム側から出てきた駅員らしき中年の男性が声をかけてきた。
「あれ、おじさん、こんばんは!」
知り合いらしく黒羽が元気良く挨拶をする。
「ハハッ、こんな所でデートかい?」
「え、あ……まぁ」
どもりながら黒羽はの方を向いた。
「ダビデの親父さんだよ」
「え!?」
一瞬目を見開いたが慌てて頭を下げる。
「は、初めまして……と言います。ヒカルくんにはよくお世話になって」
そんなに天根の父は人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。
「ヒカルのお友達ですか。こちらこそ息子が世話になってます」
柔和な笑顔はあまり天根とは似ていない。
おそらく母親似なんだろうなとも笑顔を浮かべながら思った。
「しかしハル君にこんな可愛い彼女がいたなんてなー」
親しそうに黒羽の肩をポンと叩く。
「ウチのヒカルは家に女の子なんか連れてきた例しがないぞ。しかし、こんな遅くから出かけるのかい?」
言うほど遅くはない時間帯だったが、これから出かけるとすれば十分に遅い。
中学生が二人で駅にいたため疑問に思ったのだろう。
「あ、私東京に住んでるんです」
何やら誤解しているらしき天根の父にはサッと事情を説明した。
「そうですか……東京からわざわざ」
天根の父は黒羽の方を向くとニッと笑った。
「田舎でいい仲になる……なーんてな」
ガハハハと笑う天根の父をよそには元より流石の黒羽も固まった。
「じゃあ、あまり遅くならんよう気を付けるんだよ!」
余程ツボに入ったのか、そのまま弾けるように笑いながら二人の肩をポンポンと叩き天根の父はその場を去った。

(つまんねーよオジさん…)
これが天根だったら間違いなくローリングソバットを決めていただろう黒羽は頭の中で精一杯の突っ込みを入れた。

(や、やっぱり天根くんのお父さんだ…間違いなく)
は少々顔を引きつらせて去っていく天根の父の背を見送った。


駅で立ち話よりはと、黒羽はを併設されている広場へ連れだした。
辺りに人影はなく、二人分の足音だけがやけに大きく耳に響く。
「海見たかったなぁ」
「暗くて何も見えねーぞ」
「でもその分星が凄く綺麗に見えるじゃない? 夜の海も好きだな」
歩きながらはよく晴れた夜空を見上げた。
「朝日も見たかったな……」
元旦、毎年黒羽達はみんなして朝日を見に行っているという。
サンライズウェイと勝手に名付けているらしきスポットは夕日に負けず劣らずの絶景だとの話を聞いても一度見てみたいと思っていた。
が、朝日を見るには千葉に泊まり込みでないと無理だ。
「まあ、今度連れて行ってやるよ」
ポンと黒羽は大きな手での頭を撫でた。
しかし今度とはいつになるだろう?
おそらく来年も再来年もずっと正月には戻らないかもしれない。
どちらともなくそんな事を思ったが、黒羽はいつものように晴れやかな笑顔を浮かべてみせた。
「何年先になるか分からないけどな。必ず一緒に朝日見ような」
手を肩に回して笑う黒羽にが少し肩を窄める。
「良いの? そんな約束しちゃって」
眉を寄せたに、いつものなら「うん」と笑って返事をするのにと黒羽が口調を強める。
「ああ、俺が最高の景色を見せてやるよ」
瞬間、その自信を湛えた声を受けては唇に手を当てた。
僅かに声が漏れる。
「な、何だよ……」
「や、ごめん。でも……」
佐伯くんみたい、とキザだと付け加えて笑いながら顔を赤くするに黒羽がしかめっ面をしてみせる。
「ごめんごめん。嬉しい……ありがとう」
染めた頬はそのまま、笑いをおさめてはその言葉以上に嬉しそうな表情を浮かべた。

「あ……! そうだ」

今日ここに来た目的を果たしていなかったとはごそごそとバッグから綺麗にラッピングされた包みを取り出した。
「はい」
照れたように笑って差し出す。
「あ、ああ……サンキュ」
つられて黒羽も少し照れたように笑う。
「でもこれ、チョコレートなのか?」
チョコというにはいささか手触りの違う気がする包みを黒羽はマジマジと見つめた。
「あ、あのね……誕生日のプレゼントも入ってるの。九月にもクリスマスにも渡せなかったから今頃になっちゃって悪いんだけど」
なおも照れ笑いを浮かべるに黒羽は少し目を見張った。誕生日のプレゼントまでくれるとは思ってもみなかったからだ。
「何か悪ぃな……」
「ううん! 私があげたかっただけだし……でも何あげたら良いかよく分からなくて」
「何?」
「……Tシャツとリストバンド。それとタオル。……他に思いつかなくて」
アクセサリーや香水ってタイプじゃないし、と俯いて恥ずかしそうにするが可愛くて黒羽は思わず笑みを零した。
「サンキュ! 大事に使うよ」
電光に照らされたその笑顔に目を細めるとは黒羽から少し目線を逸らした。

「一度、ちゃんと言おうと思ってたんだけど」
「うん……?」

お互いの口から漏れる白い息が漆黒の空に溶けていく。
の緊張が口調から伝わり、黒羽も幾分身体を張りつめさせた。
「私、今すっごく幸せだし黒羽くんに出会えて良かったって心から思ってる。留学の話も応援するって言ってくれてホントに嬉しかった……だから、もうそれだけで十分すぎるくらい」
「どういう意味だ?」
黒羽は眉をひそめた。
「……無理だと思ったら、すぐに言っ――」
「俺は無理してるつもりはねーけど?」
「今はそうかもしれない。けど……」
聞き終わる前に黒羽が大きくため息をつく。
「ったく、今日はサエやら亮やらまで同じような事ばっか……」
留学の話を聞いて以降、が極力この話を避けていた事は気付いていた黒羽だ。それなのに何故今更、と黒羽は何をどう言うべきか言葉を探した。
は……」
「え?」
はそれでいいのか? 俺だって何も不安がない訳じゃねぇよ、だけどさ」
少しかがんでの瞳を覗き込む。
「最初から無理だっつって、諦めるのか」
「そ、そんな事……!」
「だろ?」
覗き込む瞳がに優しく笑いかけた。
「でも、我が儘につき合わせちゃうのは私だから」
「俺は例え年に一度しか会えなくてもがいいんだよ」
黒羽が呆れたような声を漏らす。
「それに、ハッキリ言うと高校じゃテニスで忙しくて他の事気にかけてる余裕もないしな」
豪語する黒羽に、高校は、とがポツリと呟く。
「やっぱ、大学まで帰ってこないつもりなのか?」
幾分寂しそうな声が後方から聞こえ、は手を後ろで組んで黒羽の数歩前を歩いた。
「分からない」
瞳を閉じて乾いた声を返す。
「分からないって何だよ」
「私は約束はできない。だから……」
言葉を繰り返すの肩が震えていた。
「俺の事そんなに信用できねぇ?」
「そうじゃない!」
頬を掠める空気が痛い程冷たい。
静まり返ったこの場所でも、ツンと鼻を突く潮の匂いだけは微かに感じられる。

その小さい肩へかける言葉を失い、黒羽は瞳を落とした。

がどれ程自分を想ってくれているのか分かっているし、どれ程絵を大切にしているかも十分すぎるほど分かっている。
それに、が何を思って留学の話を黙っていたかも大体の察しはついていた。
余計な事にまで気を回しすぎるきらいがある所為か、自分の心情の変化を心配している訳ではなく、本当に長期に渡って自分を待たせる事を気にしているのだろう。
滅多に会えない相手を縛ってしまう。
立場が逆なら自分も少なからずその事は気に病むはずだ、と黒羽はグッと唇を結んだ。

何も気にせず思いきり学んできて欲しい。
止めたいという気持ちがあるのも本当だが、心からそう思っている。

きっと何を言っても漠然とした不安や後ろめたさを完全に拭い去る事はできないのだろうが、それでも何とかの気持ちが軽くなるよう黒羽はの細い肩を後ろから包み込むように抱きしめた。
「く、黒羽くん……?」
驚いてが僅かに首を捻る。
背の高い黒羽に抱かれるとの身体はすっぽりと首下辺りで全て納まってしまう。
暫く無言でを抱きしめて、黒羽は囁くように言葉を紡いだ。
「ヨーロッパの大学ってのも悪くねぇな」
「え……?」
には言われた意味が分からない。
「親父の仕事見ててさ、前からアメリカかヨーロッパでマーケティングの勉強してみたいと思ってたんだ」
「……何、いきなり」
「ん? ああ、将来ヨーロッパで仕事すんのも悪くねぇかなって……」
「本気なの!? 私は――」
突拍子もない話に腕を振りきろうとしたを逃がさないよう黒羽はグッと力を込めた。
「本気だ」
凛と響くその声は、確かに本気で言っているようでの耳がジンと熱くなる。
「そんな話聞いたことない」
「お前もずっと留学の話、しなかったじゃん」
「黒羽くん長男でしょ?」
「俺んち弟もいるし」
困ったようには苦笑いを漏らした。
「……地元大好きなくせに」
「そんな事お前が気にしなくていいんだよ」
いくらか黒羽は腕の力を抜いた。
「なあ、
の頭にそっと唇を寄せる。
ピク、との肩が一瞬反応したのが黒羽にも伝わる。
「もしお前が日本にいて、俺が留学するって言い出したら反対してたか?」
え、とは息を漏らした。
暫くして静かに首を横に振る。
「そのままずっと海外で勉強したいって言ったら……別れるか?」
「……っ」
思わず息を詰まらせる。
瞬間的に、どう答えれば良いか分からなかったからだ。
黒羽のように簡単に先の事や約束を口にできる程の強さや自信はにはない。
「別れるのか……」
「い、いや……!」
言葉に詰まったのを見て黒羽が悲壮を込めた声を出すとは慌てて否定した。
同時に頭上から漏れてきた笑い声に、バツの悪そうな顔色を浮かべる。
ずるい、とは思った。
黒羽はおそらく自分がどれ程黒羽を好きなのか良く理解しているのだろう。
あの自信もそこから来るものなのかもしれない。
「さっきの話は選択肢の一つだけど……人間ってさ、その中から自分に最良の道を選んでいくモンだと思うんだ」
「……うん」
「お前の場合は絵なんだろ? 俺は、今はテニス。でも一生続けたいと思ってっけど流石に仕事にしようとまでは思ってねぇ……ていうか出来ないだろうしな」
ハハッと笑う黒羽の声がの頭上に響く。
「俺は笑って絵描いてるが傍にいて、元気でテニスやって、やりがいのある仕事が出来りゃそれが一番なんだ」
「黒羽くん……」
耳に届く優しい声には頬が熱くなるのを感じた。
「俺は欲しいモンは全部手に入れたいし、この望みはお前に合わせてどうこうってんじゃないからな」
「……欲張り」
そう念を押されて、が照れ隠しに呆れたような声を出してみると黒羽が苦笑交じりに笑う。
「悪ぃかよ。……お前は?」
訊かれては一瞬考えを巡らせた。
「絵、ずっと続けたい」
「……それだけかい
一言、そう言ったに黒羽はホント絵の事ばっかだと軽く肩を落とした。
他にはないのかと促すような黒羽にが一旦口を噤む。
「いっぱい絵の勉強したい。認められるように力を付けたいし一生仕事として続けていきたい……それと」
そこまで言うとは胸の辺りで交差している黒羽の腕にそっと自分の手を重ねた。
「それと?」
「黒羽くんとずっと一緒にいたい」
「……よし!」
いつものように歯切れの良い声が聞こえて、は黒羽の顔が見たくなって抱かれた肩を捻った。
見上げると眩しい笑顔を向ける黒羽と視線がぶつかる。
その黒羽らしい笑顔に目を逸らせないでいると、黒羽の大きな右手がの頬に触れてきた。
ピクッと僅かに反応したそこをそっと上に向けられる。

星が降りてくるようだ――と、瞬間、は感じた。

満天の星空が黒羽越しに映って、まるでスローモーションでも見ているような錯覚に捕らわれる。
(背、高いな)
今更そんな事を思って星を見つめ、そしてゆっくりと目を閉じた。
抱き寄せられたら黒羽の匂いが鼻をついて、何故だか胸が詰まっての瞳に涙が滲んだ。
今頃緊張からか、少しだけ身体が震える。
……?」
それが伝わったのか、のウェーブがかった髪に指を絡ませながら黒羽が顔を覗き込んできた。
目線を合わせては微笑んでみせた。
「大好き……」
呟いたに黒羽がふっと目尻を下げる。
「ああ、知ってる」
「黒羽く――んっ」
聞き返そうとしたの唇を黒羽は再び塞いだ。
言葉より態度で察してくれという黒羽の意図なのだろうか。も瞳を閉じてそれに応えた。


帰り道、は隣を歩く黒羽の腕におずおずと自分の手を伸ばした。
とまどいがちに腕を絡めてみると、黒羽が意外そうな瞳でを見下ろしてくる。
「ご、ごめん……イヤだった?」
赤くなったが慌ててパッと腕の力を抜いた。
黒羽が首を横に振りながら笑う。
「いや、から俺に触れてくるなんて珍しいと思ってな」
「触れてくるって……」
普段から誰にでもごく自然にスキンシップを図る黒羽には何でもない事なのかもしれないが、にしてみればこの程度の事でもかなりの勇気を要した。
思わず顔を上げられず足下を向いてしまう。
「あ、そうでもねぇな。確か真冬のテニスコートでいきなり俺のジャージを――」
「わー! もういちいち思い出させないでってば!」
空いていた手を顎に当ててマジマジと語る黒羽をは慌てて制止した。
真っ赤になって狼狽するを見て黒羽が声をあげて笑う。

そんな二人の前にふわりと白い粉が降りてきて、どちらともなく空を見上げた。
やけに寒いと思ったら雪か、と二人して微笑む。

舞い散る雪を見つめながら、今年のバレンタインは一生忘れられない日になるだろうとは思った。











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