潮風の吹き抜ける校舎にチャイムの音が響き渡る。 「うっし、部活だ!」 授業が終わって勢いよく校舎を飛び出した黒羽の視界に前方を歩く佐伯の後ろ姿が映った。 「サエー!」 当たり前のように声をかけて隣に並ぶ。 「あれ、サトは?」 目線だけ黒羽の方にやった佐伯は、大抵黒羽と共に部活にくる首藤の姿が見えず少し首を傾げた。 「あいつは日直、大急ぎで終わらせて来るってさ」 そんな話をしつつグラウンドを横切っていると他の運動部の友人達が声をあげて激励してくる。 「黒羽ー!関東頑張れよー!」 ニッと笑いグッと親指を立てて黒羽は返事を返す。 「おう、任せとけ!」 今度は下校中の女生徒達がすれ違い様に佐伯に声をかけてきた。 「佐伯くん、関東大会頑張ってね〜」 「うん、ありがとう。頑張るよ」 ニコッと万人を酔わせる爽やかな笑みを返す佐伯に赤くなる女生徒達。 「対照的なのね」 「オモシロイや、くすくす」 そんな二人の様子を少し後方から樹と木更津が面白そうに眺める。 先日の千葉県大会、見事に優勝して連続35年目の関東行きを決めたテニス部はいつもの事ながら学校では注目の的になっていた。 「次はいよいよ関東か……初戦は問題ないよな?」 「うん、でも油断は禁物だよ」 オーダーどうすっかななどと話しつつ部室へ向かう。 「でもウチはともかく、第四シードブロックは凄いことになってるよね。俺抽選会で思わず固まったよ」 肩を竦めてみせた佐伯に黒羽も軽く首を振る。 「ああ、激戦ブロックだよな……ま、立海は反対ブロックなのが救いってとこか」 「東京都大会は色々大変だったみたいだしね、その煽りくらってあんな激戦ブロックが出来たんだし」 都大会、という言葉に黒羽は顔色に少し影を落とした。 何故だか後ろめたそうにしていた少女の声を思い出す。 「県大会で優勝した日、に電話したんだけどさ……アイツなんか元気なかったんだよな」 「さんが?」 「ああ、俺が前に淳の事話したからルドルフが関東行けなかったこと気に病んでるみたいだった」 ああ、と佐伯が頷く。 「コンソレーション、相手が氷帝だったからね。それも気にしてたんじゃない?」 「……そうなんだよな」 ハァと黒羽がため息をつく。 「アイツちょっと大げさっつーか、細かいこと気にしすぎっつーか……が悩む事ねーのに」 が電話口で辛そうだったのが、自分の話が発端かと思うと少々責任を感じたのだ。 「そう? 俺はさんの気持ちも分かるけどな」 バネは考えが豪胆すぎなんだよ、と佐伯が苦笑する。 そうか?と聞き返す黒羽に佐伯は「鈍いよ」と心でツッコミを入れた。 「でも、しょっちゅう電話し合ってるんだ? 仲良いね」 「まーな」 「……あ、そう」 からかうつもりで言ってみた佐伯だがあまり黒羽には通じないらしく、当たり前だと言わんばかりに肯定されて内心ちょっと面白くないと舌を打つ。 「サっちゃんが拗ねるよ? バネのお嫁さんになるのは自分だって言い張ってるしね」 「飛躍しすぎだ、サエ」 黒羽によく懐いている幼い少女をダシに更にからかってみるが意外と冷静な黒羽には通じない。 流石天根のツッコミ役で慣れていると言った所か。 「まぁ、あれだけストレートに好意を向けられたら悪い気はしないよね。さん結構カワイイし」 「さっきから何が言いたいんだよ」 怪訝そうな黒羽に佐伯は頭の後ろで手を組んで「別に?」と悪戯っぽく笑う。 「でもさ、さんって宍戸君とも仲良さそうだよね。気にならない?」 すると少しだけ黒羽の眉が動き、脈有りかな、と黒羽の微妙な表情の変化を読みとった佐伯は口の端を僅かに上げた。 しかし。 「そりゃ三年間も同じクラスなら仲良くもなるだろ。俺だって仲良い女子はいるぜ?」 「……だね」 やはり黒羽は冷静だった。 (さんはからかい甲斐あるんだけどなぁ) 感情表現がストレートな割に黒羽に触れられただけで真っ赤になるとは大違いだと内心苦笑する。 「あ、宍戸と言や、アイツ俺と誕生日同じらしいぞ」 「え、ホント?」 「ああ、前にから聞いてさ。そんなこともあるんだな」 一瞬目を丸くした佐伯だが、特に何を思うでなくサラッとしている黒羽を見て「そりゃ見物だね」と呟いて小さく笑った。 「ふーん偶然だね」 背後からクスクスという笑い声が聞こえて二人が振り返る。 「何だよ亮。お前も名前と髪型被ってんじゃん」 ペシっと会話の一部始終を聞いていたらしき木更津の額を黒羽が軽く叩く。 「宍戸と言えばあの噂ホントなのね?」 ピタ、とふいに言った樹の言葉に皆足を止めた。 次いで真剣な顔つきをする。 「どうだか、でもあり得ないとは言い切れねーし。いずれにしても氷帝は要注意だ」 「さんも大変だね」 キュッと表情を引き締めた黒羽にすかさず佐伯が横やりを入れた。 「何でいちいちアイツの名前出すんだよ!」 「え? だって氷帝は激戦ブロックにいるし宍戸君の噂が本当ならさんもバネに構ってる暇、ないかもしれないだろ?」 佐伯はさも面白そうに軽く口笛を吹く真似をした。 ヤレヤレと黒羽は首を振る。 「あのなぁ、は氷帝の生徒なんだぞ? それに友達応援するのは当たり前だろ」 どうも先程から佐伯が何を言いたいのかイマイチ黒羽には解せない。 「サエはさんを宍戸に取られちゃうかもよ、って言いたいんじゃないの?」 鈍いよねと木更津が長い髪を靡かせて笑う。 「取られるって……は物じゃねーんだから」 どうやらみんなして自分をからかいたいらしい事に薄々気づき始めた黒羽は呆れたようにため息をついた。 (ま、確かにの話に宍戸はよく出てくるよな) の宍戸話からは「宍戸大好き」オーラが滲み出ている事は黒羽もよく知っている。 でもそれは一人の友人としての「大好き」だと言うこともよく分かっていた。 自惚れかもしれないが、自分に向けてくる真っ直ぐな好意と宍戸へのそれは違うという思いが黒羽にはある。 「今は友達でも明日突然変わったりする可能性だってあるよ?」 ちょうど黒羽が考えていたことに釘を刺すような言葉を佐伯が放った。 一瞬黒羽は言葉に詰まり、煩わしそうに佐伯を見やる。 「俺はサエと違って、相手を自分に縛り付けたいとも縛ってて欲しいとも思わねぇんだよ」 佐伯は相手が今どこにいるか、何をして、何を考えているのかというのを割と気にするタイプだった。 そして相手にもそうあって欲しいと思う。 意見の相違と言えばそれまでだが、比較的黒羽は佐伯とは正反対の考えな為、話がかみ合わない事も多い。 「でも、あんまり大きく構えすぎるのもどうかと思うのね」 「そうそう、さんだって女の子なんだし……バネの事だから二人で会っても友達の延長みたいなノリなんじゃないの? 今度恋愛映画のDVDでも貸そうか?」 クスクスと木更津が笑う。 佐伯の所為で厄介な事になったと黒羽は頭を掻いた。 「……いーよ。俺んちDVDデッキねーし」 そもそも当たり前のようにからかわれているが、自分とは「恋人同士」という誓約をハッキリ交わしたわけではない。 と、思う。 に電話するのも、会うのも、お互いが会いたいからだ――と、ごく自然な事だと思ってあまり深く考えた事はなかった。 それに指してそんな約束が重要だとも思わなかった。 「おーいみんなー! 何してるんですかー!」 校舎の方から持ち前の大声を張り上げながら坊主頭の少年が駆けてきた。 「あ、剣太郎……今ね、バネとさんの」 「サエ!」 これ以上突っ込まれるのは勘弁と黒羽が佐伯を制止する。 「え? さんがどうかしたの?」 「な、何でもねーよ! ほら早く練習始めるぞ、関東は目の前なんだからな!」 そう言って剣太郎の肩をバンバンと豪快に叩くと、黒羽は目の前の部室へダッシュで向かった。 「そうですね、今日も燃えていきましょう!」 暑苦しいほど大きな返事をして剣太郎もそれに続く。 「逃げられちゃったね……俺達も急ごうか」 苦笑しながら佐伯達も部室へ向かう。 (……) オジイ特性のウッドラケットを肩に担ぎながら黒羽はウェーブの髪を揺らして笑うを思い浮かべた。 突然彗星のように現れて目を輝やかせながら自分のテニスを好きだと言ってくれた少女。 頼られれば嫌とは言えないタチの黒羽は、の突然の申し出を断ることは当然出来なかった。 しかし、予想以上に真剣に絵を描くの姿を目の当たりにして黒羽は首を縦に振って良かったと心底思った。 周りの風景や自分の動作一つ一つに興味深そうに瞳を輝かせる様は見ていて面白い。 それに佐伯の言う通りあれほどまでに真っ直ぐな好意を向けられて、悪い気はしない。 多少気を回しすぎる所も含めて、感性の素直なを黒羽は気に入っていた。 「何かバネの様子変じゃないか?」 「サエが余計なこと言うからなのね」 先程から一人百面相しながらストレッチをしている黒羽を部員達が不思議そうに眺める。 「ダビデ、コート入れ!」 ストレッチを済ませた黒羽はラリー練習の為に天根を呼びつけた。 呼ばれてすぐ天根もトレードマークの長いラケットを携え、コートに入る。 周りが息を呑むほどの力強い打ち合いを続けながら黒羽は公園側のフェンスをチラッと見た。 は練習を見ている時、決まって傍の木の椅子に腰掛けてスケッチブックを広げていた。 試合中の選手のような真剣な瞳で見つめられて、つられていつも以上にピリッと身体に力が入っていたのを思い出す。 「うらぁ!」 跳び上がって身体を回転させると黒羽はバシッ、と得意のローリングボレーを決めた。 器用に片足で着地して反射的にフェンスの方を見る。 (……何やってんだ俺) はこういう技が決まるといつも嬉しそうな顔をしていた。 今日ははいないのに、先程のスケッチ姿が頭に浮かんだ所為か思わずいつも彼女が座っている方を見てしまったのだ。 「バネさーん、もう一球いくよ」 「……ああ」 天根の声にラケットを握り直す。 例えば佐伯や木更津なら、もう少しちゃんと女の子を扱えたのかもしれない。 好意を持つ相手に「好きだよ」「付き合おうか」などとちゃんと言って。 しかし黒羽はそんな言葉を口にしたことはなかった。 そんな事はいちいち口にしなくても自然と伝わるものだと思っていたからだ。 実際の自分に向ける好意は伝わるし、にとっての自分もそうだと考えていた。 これからもそれで良い――そう思いなおすと黒羽は勢いよく天根の打ったボールを打ち返した。 |
黒羽テコ入れ第三段。これ書いてから、すっかり佐伯・亮はからかい要員に…。
自信家の余裕と勘違い野郎の境界線は曖昧で、黒羽にはとても悩まされます。
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