都大会、最終日。

は重い足取りで青春台駅の改札口を抜けた。
快晴の空とは裏腹に浮かない顔で試合会場――柿の木坂テニスガーデンへと向かう。

今日は準決勝、決勝の他にコンソレーションが行われる。
ベスト8に勝ち進んで準々決勝で敗退した4校の内、関東大会出場の残り一枠をかけて戦う敗者復活戦。
その一枠を狙う昨年都大会優勝、関東大会準優勝という成績を誇りながらまさかの敗退をきした母校、氷帝学園。
地方から優秀な選手を集め全国を目指す新生勢力、聖ルドルフ学院。
実質この二校の一騎打ちになることはにも予想が付いた。

足取りが重い理由はそこにあった。

同ブロック同士の戦いは案の定両校とも快勝し、今後の命運を分ける氷帝対聖ルドルフ戦が始まる。

はそっとコート傍のフェンスに歩み寄った。

ダブルス2は聖ルドルフ側に軍杯が上がった。
準々決勝のダブルス1も制したペアだ。
聖ルドルフの色黒の選手は、本来シングルスの選手でとても強いらしいとその時周りの話し声が聞こえてきた事をは覚えていた。
そんな強い選手をいきなりダブルス2に持ってきて良いものかと僅かながら思う。
ひょっとしたら準々決勝での不動峰のようにダブルスから崩すという作戦なのかもしれない、とはそっとフェンスを握った。
(淳くん……)
ダブルス1として、淳と先日ダンクスマッシュで気絶してしまった選手が出てきた。
氷帝側の一人は正レギュラー、いつも跡部と共にいる巨体の少年である。

試合は接戦、序盤は淳たちが確かに押していた。
特に淳が得意の空中フェイントドロップボレーを決めたとき、あの氷帝部員達さえ度肝を抜かされたように驚きの声を上げた。
それに誇らしげな顔をする聖ルドルフの癖毛の少年。
も同じように少し誇らしげな気持ちになった。
淳とは面識も何もないが、彼の故郷の仲間、兄を通してよく知っている友人に似た感情を抱いていた。

その時、ギャラリーからどよめきの声が上がった。
「えっ!?」
も思わず我が目を疑う。
氷帝の巨体の少年が、こともあろうについ今しがた淳が見せたドロップボレーをそっくりそのまま真似して見せたのだ。
次は跡部がしてやったりという表情を作る。
淳の顔にも僅かながら焦りの色が出ている。

「落ち着くだーね淳! まだリードしてるのはこっちだーね!!」

パートナーの力強い一言に頷くと、淳はキッとラケットを握り締め、構え直した。

じわっとフェンスを握る手が汗ばんでくる。
試合は現在聖ルドルフが一勝でリードしている。

淳には勝って欲しい、そして関東へ進んで欲しい。
黒羽に、同じ関東の舞台で淳に会わせたい。
そんな思いがの胸を交差する。

『淳と関東か全国で対戦するって目標も出来たしな!』

キラキラと眩しい瞳で語る黒羽の言葉が頭にこだまして鳴りやまない。

氷帝のギャラリーに鳳の姿が見えない。
今日はオーダーに入っていないのだろう。

相変わらず宍戸は腫れ上がった顔で登校してくる。
おそらく今日も鳳を連れてあの痛ましい特訓を続けているに違いない。

は宍戸が何故あんな事をしているのか、薄々感づいていた。
(宍戸くんは氷帝の勝利を信じて……関東でのレギュラー復帰に全てを賭けてるんだ)
グッと拳を握りしめる。
ここで勝たなければ、氷帝に先はない。
必ず勝つと、氷帝が負けるわけがないと過信ではなく純粋に信じて宍戸はああも一心不乱に特訓に打ち込ちこんでいるに違いない。
そして敗者切り捨ての壁を壊すつもりだと、宍戸はそのつもりであんな特訓をしているのだとは確信した。

黒羽の目標を叶えさせたい。
しかし、あの夜の宍戸を思い出すと氷帝の勝利を願わずにはいられない。

審判のコールが遠く耳に響く。
試合カウント4-6。
結局ダブルス1は氷帝の逆転勝利に終わった。

勝敗の行方はシングルスに委ねられる事となった。

(……準々決勝の、ライジングの選手だ)
出てきた聖ルドルフのシングルス3の選手は対青春学園戦でもシングルス3で出てきた選手だった。
宍戸と同じライジングが得意な選手で印象に残っていた。
(ウチは芥川くんか……ライジング使いには有利かも)
ボレーの得意な人だと記憶している。

そんな事を考えるも、は試合に集中する事は出来なかった。
どちらか一方を応援する事はできない。

試合展開は宍戸対橘戦の時のようにネット進出を許した聖ルドルフの選手がそこから一気に崩れるというワンサイドゲームとなった。
やはりそこまで実力の開きがあるとは思えなかったが、あまり試合慣れしていない選手なのだろうとは頭の隅で冷静に考える。
結局1ゲーム取るも、終始芥川ペースでシングルス3は氷帝側の圧勝となった。

氷帝にリーチがかかる。
はその場に立っているのが段々と辛くなってきた。
どちらの負けも見たくはない。

先に出てきたのは先日、「イヤな試合だ」といたたまれなくなった思いをしたあの一戦、試合後に強く項垂れていた姿が目に焼き付いている聖ルドルフの癖毛の少年だった。
落ち着いているらしき姿を見て、少しホッとする。

その時、周りの氷帝部員達から怒濤の歓声が沸き起こり始めた。
「え?」
思わずぼんやりしていた目を見開く。

「氷帝! 氷帝! 氷帝! 氷帝!」

リズムよく響く氷帝コール。
そう言えば、とテニス部は応援練習もよくしていた事を思い出す。
しかし、次の一連のコールには自分の耳を疑った。

「勝つのは氷帝! 負けるのルドルフ! 勝つのは氷帝! 負けるのルドルフ!」
「勝者は跡部! 敗者は観月! 勝者は跡部! 敗者は観月! 勝者は……」

「俺だ!」

バサッ、という効果音付きで跡部は自分のジャージを高々と投げ挙げ、華々しくコートに立った。

は言葉を失った。
観月と名指しで呼ばれた少年も困惑と屈辱の表情で僅かに震えているように見える。
当然、聖ルドルフ側の部員も呆気にとられていた。
(……跡部くん)
我が校の生徒会長の行きすぎた行為には呆れた。
応援はともかく、相手と相手の学校を名指しで貶めるのはどうなのか。
試合後、相手を称えて試合そのものを楽しんでいた淳や六角のテニスと重ね、少々イヤな気持ちになる。
自分が以前の宍戸も含めあまり自校のテニスに惹かれなかった要因はここにあったのかもしれないと軽く目眩を覚えながら考えた。
しかし、宍戸とは違う完璧なまでの自信が跡部の身体からオーラのように湧き上がっている。
跡部が凄い事はもよく知っていた。
試合が始まると、流石に観月も少し落ち着きそれなりに応戦はしていた。

ゲームカウント0-3。

軽く観月の顔に焦りの色が出てくる。
コートに打ち付けるボールの音。審判のコール。このうるさいまでの歓声の中でもそれだけがやたら大きく響いて、はコート上の二人を真っ直ぐ見つめられなかった。

「ゲーム跡部! 跡部リード、4-0!!」


コールには思わず顔を背ける。
止まらなくなった足の震えは、いつの間にか身体を支えきれないほど大きくなっていた。

跡部が5ゲーム目をブレイクした所で耐えられずに歓声に沸くコートを後にした。

氷帝の負けもルドルフの負けも見たくはない。
いや、ルドルフの負けを見たくなかった。
跡部は負けない――そうは確信していた。
あの観月という少年は、また準々決勝の時のように悔しがるのだろうか。
一度見ただけだが、彼の上を目指す思いや学校を背負っているという責任感が強い事は十二分に分かっていた。
一から築いて行こうにも、少なくともこの中体連ではもう彼らにはその為の舞台が与えられない事になる。

「黒羽くん……宍戸く」
がむしゃらに走って、立ち止まった路地の曲がり角では息を切らせながら涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。
黒羽の夢、宍戸の想い――どちらか一方が断たれるのが辛かった。
しかしそれだけではない。
淳、観月、少しだけ垣間見た選手達の素顔――知ってしまった以上どちらか片方の関東への道が途絶えてしまうという現実を前に呑気に声援は送れない。
氷帝の友人達に、関東へ進んで欲しいと思うのは同じ学校の生徒として当然だと思う。
どこの学校の生徒も、自分の学校の応援だけで手一杯のはずだ。
実際、も知らない学校の知らない選手達の勝利や敗北を前に今のような気持ちになった事はない。
しかし後一歩踏み込めば、きっと彼らの人となりや目標を知ったとしたら、同じような気持ちになっていただろうと今更ながら思った。

楽しそうにボールを追う黒羽、ボロボロになって特訓を続ける宍戸、長いハチマキを軽快に揺らしてプレイする淳、項垂れる観月、観月に声をかけ宍戸を倒した橘――様々な選手の姿が頭に浮かんでは消える。
キラキラと眩しいあのコートの裏で過酷な戦いに身を置く彼らに触れて、は痛いほどに胸が締め付けられそうになった。
準々決勝の後や宍戸の特訓を見た時もこのような気持ちになった事を思い出す。
(黒羽くん……)
ぼやける視界で、は太陽に手を翳した。
聖ルドルフが関東に進めないと知ったら、彼はガッカリするだろうか――それともそこまで頑張ってきた淳達を称えるのか。
浮かべた黒羽の笑顔が歪む。

何故こういう時黒羽の顔が浮かぶのか、には分からなかった。

そして過酷な勝負に挑む選手達のあの煌めきは、勝っても負けても等しく輝く美しい星だとは思った。











その週の氷帝は何かとニュースが絶えなかった。
テニス部がコンソレーションで勝ち上がり、去年優勝の面目を何とか保ったこと。

そしてもう一つは、宍戸だった。

その日の校内は朝っぱらからざわついていた。
昨日の部活で宍戸が正レギュラーの一人を倒し、レギュラーに復帰したらしいという噂が飛び交っていたからだ。
当然、登校してきたばかりのの耳にも届いていた。

ガラッと教室のドアが開き宍戸が姿を現すと、橘に負けた次の日のように一斉に視線の集中砲火が宍戸に浴びせられた。
同時に辺りがざわつく。
もまた同じように宍戸を凝視した。
宍戸はそれをものともせずズカズカと自分の席に歩いて来ると「よっ」などと挨拶をしてくる。
「し、宍戸くん」
は眉を潜ませた。
相変わらず傷だらけの顔。
しかし、そこにはいつもの艶やかな長い黒髪がなかった。
あの綺麗な髪は見る影もなく、スポーツ刈りより長い程度に無造作にカットされた短髪へと様変わりしていた。
「……髪」
一体何があったのか、ことさら髪を大事にしていた宍戸がいきなり髪を切るなどと。
「お、おい……何て顔してんだよ」
慌てた様子で宍戸がの覗き込んでくる。
「だって……」
今朝、昨日の様子を見たという野球部員が噂していた話をは思い出した。
宍戸が榊に何かを叫んで土下座している所を見たという。
正レギュラーである滝に圧勝したという話も聞いた。
今の宍戸を見て、には昨日何があったか大体の察しがついた。
「髪、大事にしてたじゃない」
声が震えているのが自分でも分かる。
「んだよ、お前短髪の方が好きなんだろ?」
「そんなの関係ない!」
茶化した宍戸には思わず声を上げた。
「あ、あんなボロボロになって特訓して……髪まで、切って」
氷帝の勝利を信じ、レギュラー復帰を胸に宍戸がどんな思いで榊に土下座までしたのか、その心情は察して余りある。

……)

の言葉で宍戸は彼女が鳳との特訓を知っていた事を悟った。
目を泳がせて何か思案する。
「あ〜……あのな、
指で頬をかきながら少し照れたようにを見た。
「別に髪はまた伸びるし、大した事じゃねーって」
優しい口調。は目線を上げて宍戸を見つめた。
「サンキュな」
何故か笑って礼をいう宍戸には拍子抜けして思わず何が?と聞き返しそうになったのを堪えた。
笑う宍戸はサッパリとどこか吹っ切れたような顔をしている。
橘に負けた後から、宍戸は少しずつ変わってきていた事を思い出す。
そして、何故かやっと宍戸らしくなってきたと思ったことも。

『また一から築いていけばいい、新しいお前達のスタイルを』

皮肉にも宍戸を打ち負かした相手の言葉が浮かんだ。

「……関東大会、頑張ってね」
一寸間を置いて、も少し笑った。
「おう」
そう返事をした短髪で傷だらけの宍戸は、いつもより輝いて見えた。











この話にとって都大会コンソレーションというのは大きな山でした。
一部わざと原作設定仕様にしてます。



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