翌朝、は主人不在の後ろの席を見つめながら頭を抱えていた。 どこから広まったのか、宍戸が準々決勝でボロ負けしたという話はもう学校中に知れ渡っていた。 (やっぱりショックだよね……) あれ程自信満々だった宍戸だ、ショックも大きかろうと思うと気が重くなる。 (何よりこれでレギュラー落ちかもしれないし) テニス部監督、榊の負けた選手は二度と使わないという話は有名だ。 ましてストレートで惨敗、お咎めナシで済むはずがない。 暫くするとガラッと教室のドアの開かれる音と共に、宍戸が姿を現した。 皆一斉に宍戸を凝視する。 「……!?」 思わずも宍戸を凝視した。 宍戸はそんな視線を物ともせず、ずかずかと窓際の自分の席まで歩いてくるとドサッとカバンを机の上に投げ上げた。 「し、宍戸くん……」 「んだよ」 目を見張って自身を見つめているに宍戸はぶっきらぼうな返事を返す。 「ど、どうしたの……その傷」 宍戸は全身痣と生傷だらけになっていた。 が凝視したのはそのあまりの風貌に驚いたからだ。 「何でもねーよ」 痛そうに顔をさする宍戸を見て何でもないわけないだろうと思っただが、昨日の今日なのであまり触れない方が良いかもしれないとそれ以上追求するのはやめた。 (まさか……跡部くんか榊先生に負けた罰として、なんて事ないよね?) しかし一晩で明らかに不自然な傷をいくつも作ってきた事は流石に気になる。 「なぁ、英語のリーダーやってあるか?」 当の宍戸は何事もなかったかのように、今日当たるから英語の予習を見せて欲しいと話しかけてくる。 「え、ああ、うん」 ノートを渡しつつ、ジッと宍戸を見つめる。 おそらく宍戸の事を噂しているのだろうクラスメイト達のヒソヒソ声が聞こえてくるが、宍戸はそんな事は何も気にする様子はなく、むしろサッパリした表情をしている。 (そんなにショックじゃない……わけないよね) 散々昨日試合に負けた選手を目の当たりにしたは、イマイチ宍戸の心情が読めなかった。 サンキュ、などと少し笑ってみたりしてむしろいつもより雰囲気が柔らかい。 負ける事は決して悪い事ではないし、それには運動部ではなかったが悔しさや敗北をバネにまた駆け上がれる事は身をもってよく知っている。 しかし、丸一日も経たずに早々と気持ちを切り替える事は流石に難しいだろう。 空元気という訳でもなさそうだと、熱心にノートを取る宍戸には益々分からないと首を傾げた。 * 「うそ、ヤバっ……もうこんな時間?」 一人部活が終わった後も残って練習を続けていたは、ふと手を止めて美術室の時計に目をやると一瞬顔を引きつらせた。 既に九時前。見渡せば当然辺りは真っ暗になっている。 (やっちゃった…) 集中しているとつい時が経つのを忘れ遅くなりすぎてしまう事もしばしばで、また母親にどやされるとは片目を閉じた。 取り合えず急いで道具類を準備室に片付けて、特別教室棟を出る。 下校時間をとっくに過ぎているとはいえ、専門教師が残っている事の多い特別教室棟は遅くまで冷房が入っている事も多く、出入りの門を開けた途端、ムッとした夏の熱気が纏わりついてきた。 「わ……」 その暑さに一瞬驚き、早く帰ろうと暗く静まり返った部室棟、体育館の横を月明かりを頼りに足早に歩く。 正門へ向かおうとグラウンドの方へ足を向けたは、ふと照明が目に付いて足を止めた。 「テニスコート……?」 テニスコートのナイター設備が明々と辺りを照らしていたのだ。 (テニス部まだ練習してるの?) 大会シーズン中ということもあり、運動部が遅くまで残っている事も珍しくはなかったがそれでも少し遅すぎる。 それにテニス部特有の掛け声等は聞こえてこない。 気になってはテニスコートへと足を向けた。 階段を登り、観客スタンドの端に立ったの目に飛び込んできた光景はあまりに予想していた事と違いすぎて、は思わず持っていたバッグを落としそうになった。 「まだだ、次!」 「……もうこれ以上はヤバイっすよ」 「うるせぇ、来い! ……ぐぁっ!?」 ドカっという豪快な音と共に肩にサーブをくらって長い髪が揺らめく。 (ッ――、宍戸くん……!?) 中央のコートに生徒が二人。 一人は宍戸、もう一人はおそらく二年の鳳長太郎だろう。 よろめいた体勢を立て直すと宍戸は「次!」とまた構えた。 (な、何して……) 絶え間なく鳳の高速で重いスカッドサーブをラケットも持たず身体で受け、ボールはうめき声と共に容赦なく宍戸の身体を傷つけていく。 あまりの光景には眉を歪めて右手で口を覆った。 宍戸の傷は、都大会準々決勝の翌日から日を追う毎に増えていた。 まさかこんな事をしていた所為だったとは夢にも思わなかったは、目の前の出来事にただただ驚愕した。 鬱血して血が滲み、ボロボロになっている宍戸を見て今すぐ止めに入らなければ不味いのではないかという考えが一瞬頭をよぎる。 しかし、宍戸は怖いくらい真剣にボールに向かっている。 それを見ては宍戸には何か狙いがあってこんな事をしているのだろうと思い、止めたい気持ちをグッと堪えた。 相方の鳳もかなり躊躇している様子だが、手をぬかず付き合っているのはおそらく自分と同じような気持ちなのだろう。 「どうした!? 次だ次!!」 迷いのない声と共に、全身でスカッドサーブを受け続ける宍戸をは震えながら見守った。 こんな宍戸を見るのは初めてだった。 短気で怒りやすく面倒見の良いところもあるがテニスに対しては後一歩、から見れば「惹きつけられる」プレイをしてこなかった宍戸は今何の迷いもなく真っ直ぐ前を見据えている。 上弦より膨らんだ月が青白い光を放ち、真上からテニスコートを照らしつけていた。 それがナイター用の電光と相まって益々宍戸達を明るく浮かび上がらせる。 黒羽は太陽に似ている、とは思った事があった。 明るく、温かく、自分をそしてみんなを惹きつけてやまない太陽だと。 時折手を翳したくなる程眩しくて、いつも優しく包み込んでくれる黒羽――そんな黒羽に対し宍戸は月だとは思った。 満月へ向かおうとしている月。 今の宍戸はちょうど今宵出ている月のようだ、と初夏の生ぬるい風に吹かれながら朧気に考えた。 肩で息をしている宍戸の口端からは血が垂れ、額からも頬を伝って血が流れ出している。 一心不乱に鳳のサーブを受ける宍戸を見て、は何故かやっと宍戸らしい宍戸を見た気がした。 こんな宍戸を見たのは確かに初めてだったが、本来宍戸亮とはこういう人なのだと妙に納得した。 時折見せるぶっきらぼうだが真摯な言葉。 いい加減なようで時に真剣に背中を押してくれる、一直線な一面。 内に、確かに熱い何かを秘めている人なのだと確信はなかったが思っていた。 さながら赤ではなく青に燃える炎だ。 月明かりの下、ボールを追う宍戸の胸に燃え滾る炎が噴出したかのごとく蒼白い光を纏う宍戸を見て、は包み隠さず情熱を身体全体で表す黒羽の姿を重ねた。 ふと、はそんな自分に驚いた。 何故黒羽を思い出すのか分からなかったからだ。 何故だか今とても黒羽に傍にいて欲しい。 そんな気がした。 ギュッと胸を押しつぶされるような気持ちで、はいつまでも終わらない特訓を見守っていた。 |
この話を書いて、宍戸は私の中でハッキリと主役格に格上げされました。
色々思い悩んだ思い出深いエピソードでもあります。
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