五月のある日、授業を終えたは校舎の横道を歩いていた。 (雨、嫌いじゃないけど髪がなぁ……) 頭上から降り注ぐ雨粒を傘越しに眺めながら、緩くクセのある自分の髪を指に絡めて肩を窄める。 (こういう日は宍戸くんのサラサラストレートが羨ましくなるなぁ) 見事なまでの黒髪を持つ級友を思い浮かべてため息を吐きつつ横目で雨を見やる。 「にしても、外の運動部これじゃ部活出来ないよね……帰ってないといいんだけど」 ふと部室棟へ向かって歩くの目に道脇に植えてある紫陽花が映った。 まだ青いつぼみに雨水に良く映える葉。 「わ、良いかも」 思わず駆け寄って少しかがむ。 (来月になったら花咲いてキレイだろうなぁ……雨に紫陽花にカタツムリなんていいシチュエーション) いつものように手で枠を作って焦点を絞る。 (梅雨の風景がテーマの絵、部長が考えとけって言ってたっけ。これにしようかなぁ) ピチョン、と雫が落ちる音に誘われるようにカバンからスケッチブックを取り出そうとしただが、ふと目に留まったノートを見てその手を止めた。 「あー……忘れそうになってた」 思わずクッと喉で音を漏らすとは足早に部室棟へ向かった。 目的の場所まで来ると、目の前の大きな扉をコンコンと叩く。 「開いてるで」 何度かノックをして聞こえて来た返事に、はそっとノブに手をかけた。 「失礼しま……え」 瞬間、目に飛び込んできた光景には絶句した。 ディスカッションルームのような綺麗な部屋。 奥の開いた扉からは鏡張りの壁とトレーニング器具のような物が少し見えた。 (ウソ……ウチのテニス部の部室、六角と全然違う。ていうか美術部とも) 割と小さく乱雑な六角の部室や半物置と化している美術準備室と比べ、思わず言葉を失う。 「なんか用かいな?」 呼び声にハッと意識を戻すと手前の椅子に座るメガネの少年が映った。 次いで奥の投影機スクリーンの前に座る生徒会長、及びテニス部部長である跡部の姿が映る。 何やら外国語で書かれた本を読みふけっている様子だ。 (うわぁ……ドイツ語だ、流石) 本の表紙を無意識に追っていると視線に気付いたのか跡部が目線をこちらに向けた。 「じゃねぇかよ。何か用か?」 「え……あ」 跡部独特の目線で睨まれて思わず後ずさりする。 メガネの少年が跡部の方へ目線を流した。 「ああ、偶に練習見に来てる子やな? 宍戸と仲ええ……跡部知ってるん?」 「選択フランス語で一緒でな。コイツ結構やるんだぜ?」 へぇ、と感心する少年をよそには跡部独特のオーラを弾き返すように表情を引き締めた。 「……ありがと。跡部くん程じゃないけどね」 「ハッ、当たり前だろ」 跡部を相手にすると身構えてしまう自分に少々疲れる。 「ところで……」 さっさと用を済ませてこの場を去りたいとが用件を口にしようとしたと同時に、傍にあったもう一つの扉がガチャリと開いた。 あ、と思わず音がした方を向く。 「せ、先輩!?」 扉から出てきた少年の姿には構えていた表情と身体をふっと緩ませた。 「鳳くん……! 良かった」 「ど、どうしたんですか?」 長身の柔らかい雰囲気の後輩の元へ二、三歩歩み寄る。 「宍戸くんに用があって……。にしてもホントに広い部室ね、奥にもあんな広い部屋があるなんて」 鳳の背後にあるズラッと並んだパソコンやロッカー、ソファなどが目に入り思わずは息を呑んだ。 「ええまあ、ここレギュラー専用の部室なんですよ」 「専用……そうなんだ」 「はい。あ、宍戸さんですよね? 奥で筋トレしてると思いますから呼んできます!」 「あ、いいのいいの!」 駆け出そうとした後輩を慌てて制止する。 (早く戻ってスケッチやりたいし……) 思いつつカバンからノートを取り出すとそれを鳳に差し出した。 「悪いんだけどこれ宍戸くんに渡しといてもらえるかな? 忘れ物って言えば分かると思うから」 「あ……ハイ」 受け取ると鳳はニコッと笑ってみせる。 「分かりました。お預かりします」 「ありがと。それじゃ、お邪魔しました」 鳳に笑みを返して周りに軽く会釈するとは早々にその場を立ち去ろうとした。 「!」 が、出口のドアノブに手をかけた所で後方から独特の艶を含んだ呼び声に呼び止められる。 「……なに?」 一瞬ドアノブを握りしめ、少々引きつった顔で振り向いたの目に跡部の不敵な視線が刺さる。 「明日の部長会、遅れんなってお前んとこの部長に伝えとけ」 「え? ああ……部長会明日だっけ。うん、分かった」 何を言われるかと身構えたは、業務連絡に拍子抜けしつつも相変わらずの俺様な物言いに思わず苦笑した。 改めて一望した部室はやはり広い。 「それじゃ。練習頑張ってね」 今度こそとドアノブに手をかけたの目の端に鳳の笑って頷く姿が映った。 雨傘を広げ、フーと息を吐くとはスケッチをしようと先程の場所へ急いだ。 「あ……また忘れそうになってた」 ふと、小走り気味だった足をピタリと止める。 今度はそれ程急がない用事だったが、あの跡部の用件はさっさと済ませてしまいたい。 (スケッチしたいのになぁ) 半ば涙目で軽く地団駄を踏むとは大急ぎで美術室へと向かった。 次の日も雨は止まず、校舎内はいつもよりジメジメとした空気に包まれていた。 「昨日はわざわざ悪かったな」 が登校してくると既に学校に来ていた宍戸が開口一番にそう言ってきた。 「ううん。ちゃんとノートまとめてきた?」 「ああ、あのまま帰ってたらヤベーとこだった。マジ助かったぜ」 話しながら宍戸の前の席に腰を下ろす。 三年になってから席まで前後になり、つくづく互いに縁があるとどちらともなく思う。 「テニス部の部室ってすっごく広いのね、ビックリした。ひょっとしてあれが去年跡部くんと榊先生が改装した結果?」 「ああ、雨の日とか便利だぜ?」 「んー、でもレギュラー専用って……」 シトシトと降る窓の外の雨をぼんやり眺めつつお茶を濁す。 「もうすぐ都大会だね」 「ん? ああ」 「六角の地区予選凄かったよ。もう圧倒的に強かった」 「……だろうな」 「ウチは地区予選はレギュラー出なかったんだって? 榊先生相変わらずね……都大会は出るの?」 降り落ちる雨水を眺めていた宍戸は、頬杖を付いた手をピクッと震わせると目線をの方に投げてきた。 「さあな。お前見に来るのか?」 「あ、うん……そのつもりだけど」 目的は別にあるのだが、その事は伝えずは宍戸の問いを肯定した。とは言えもちろん氷帝には勝ち進んで欲しいと思っているし、宍戸が出るのなら応援する。 「都大会なんざレベル低くてつまんねーぞ?」 顎を支えていた右手をプラプラと遊ばせながら、余裕というよりは鼻で笑っているような宍戸には少々ムッとした。 「そうやって余裕ぶってオフも多いからこの前天根くん一人にやられたりしたんじゃないの? それにあの時はウチの部員がハッパかけたらしいし」 「あれは他の連中がふがいなかっただけだろ!」 ドン、と宍戸が右手こぶしで机を叩く。 「それに春先からは土日も練習入ってんだよ!」 「……冬の分の開きがあるのは否めないと思うんだけど」 すぐ怒鳴りつける宍戸の短気ぶりにもいい加減慣れているは、元もと目つきの悪い宍戸の更に鋭くなった視線をサラリと受け流した。 「ケッ、大体練習休みだからってその時間全く練習しない訳じゃねぇだろ!」 どうやら自主練しているから問題ないと言いたげな宍戸には思わず眉を歪ませる。 「私だって、部活以外の時間も絵は描くよ?」 そんなの威張れる事ではない、と付け加えたかっただが別に喧嘩をしたい訳ではないので寸での所で言葉を飲み込む。 しかし宍戸はの続けたかった言葉を察したのか、ぷいと髪を揺らしてソッポを向いた。 「ま、天根にやられた連中はそれだけの奴らって事だ。俺だったら負けてねーよ」 宍戸の言う天根にやられた「それだけの奴ら」を地区大会、そして都大会にも出すのかと思うとは複雑な気持ちになった。 氷帝テニス部は部員が多い。少しでも多くの部員に試合のチャンスを――という考えだとしたらまた話は別なのだが。 そんな事を考えつつため息を吐く。 「……」 「ん?」 「都大会は正レギュラーも数人オーダーに入る。ま、どうせ回ってこねぇと思うけどな」 それだけ言うと宍戸は机に突っ伏して居眠りを決め込んだ。 今の言葉を分かりやすく訳読すると「回ってくる可能性は低いが、俺も試合に出る」という事なのだろうと思い、は思わず苦笑いを浮かべる。 「……頑張ってね」 後頭部の見事に艶やかな黒髪を眺めながらそう小声でつぶやいた。 先程より激しさを増した雨が不規則に窓ガラスを叩く。 無意識に不安を煽るようなその音聞きながら、は張り付いた水滴で歪む空を窓越しに見上げた。 |
宍戸はこの話の軸的なキャラでヒロインは狂言回し的なキャラです。
氷帝テニス部部室の充実っぷりは他の部は羨ましいでしょうね。
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