「おーい、みんなー!」
白い息を吐きながら駆けてくる少女の掛け声に、フェンス前に屯していた少年達が振り返る。
「よっ! 早いな」
「オハヨ……間に合った」
ハァハァと肩で息をするを黒羽は軽く手を上げて迎えた。
「お早う、さんが来ると何か休日って感じがするよね」
屈伸運動をしながら佐伯が微笑む。 

「よーし全員集合!練習始めるぞー!」

コート周辺に黒羽の大きな声が響き、六角中テニス部は練習を開始した。
はいつものように木の椅子に座ると、スケッチブックを広げて黒羽達を見つめた。

季節は冬になり、年を越し――が初めて六角中を訪れてから数ヶ月が経っていた。
あの日以来月に数回六角中を訪ねるのがすっかり定着し、休日のこのような風景も当たり前の事の様になっていた。

「うー……寒っ」
冬空の下、じっと座っているのはなかなかに辛くは震えつつ元気いっぱいにボールを追う少年達を見守った。
寒さなど微塵も感じさせず、まるで真夏のような空気を纏う黒羽達を見てふっと笑みを浮かべる。
「私も負けられないな」
キュッと表情を引き締めるとも彼らと同じように一心不乱にスケッチブックに向かった。


「あれ、これ俺?」
休憩時間、いつものように佐伯がやってきてスケッチブックを覗き込んできた。
「うん、さっき黒羽くんと打ち合ってたから」
描きかけの絵を見つめながら佐伯が苦笑する。
「ついで?」
「そんな事ないよ、佐伯くんコートに立つと普段と目つきも雰囲気も変わるから比べて描くと面白いし」
「ちょっと見せてよ」
言ってのスケッチブックをパラパラと捲る。
「へぇ、バネ以外も結構描いてくれてるんだ」
「でも必ずバネと一緒だよね」
クスクス、という笑みと共に長髪に帽子の少年が口を挟んだ。
「そういえばそうだな……でも結構テニスしてない絵もあるし、どうして?」
「テニス以外じゃどういう表情するのかなって。佐伯くんや天根くんと話してる時、子供達と遊んでる時、オジイの話聞いてる時……この人と居てこういう表情するんだな、てのが分かればより黒羽くんらしさが分かってくるじゃない?」
「成る程ね」
「絵の下描きはもう出来てて今彩色してるんだけど、一目見てその人らしさが伝わるようにするのはなかなか難しくて……テニス以外も細かくスケッチするようになってやっと少し黒羽くんっぽさが掴めてきたかなーって」
白い息を吐きながら話すにスケッチブックを渡しながら佐伯は感心したように頷いた。
「俺も誰かにそこまで入れ込んでもらいたいよ。どうしてバネだったの?」
「うーん……どうしてかな。直感的にピンと来たんだよね、試合会場で黒羽くんがサーブ打ったの見た瞬間に」
「ああ、バネのサーブは強烈だからなぁ……でも氷帝にも似たタイプの鳳君がいるよね?」
「うん、でもそれだけじゃないし」
佐伯の答えに思わず苦笑する。
「あの瞬間、黒羽くんに釘付けになって文字通り一目惚れしたの、黒羽くんのテニスに。実際黒羽くんに会ってみてやっぱりこの人のテニス描きたい! って思ったから……もちろん他にも良いなと思うテニスする人はいるけど、黒羽くんは特別」
少し目を伏せてが微笑む。
佐伯が肩を竦めていると、はあ、と思い出したような声をあげた。
「そうだ佐伯くん。文化祭でロミオやったんだって?」
「え、何で知ってるの?」
「この前木更津くんが写真見せてくれたの、衣装すっごく似合ってたよ」
ねぇ?とが長髪の少年の方を向くと少年はクスクスと笑った。
「私も見たかったなぁ……ジュリエット役取り合いになったでしょ?」
からかい気味に見上げると佐伯はちょっと照れたような表情を浮かべた。
「楽しそうだな」
するとタオルを片手に黒羽が話しに入ってきた。
「あ、黒羽くん。今ね、佐伯くんがロミオ演じた時の話してたんだけど……やっぱり相手役争奪戦になってたりした?」
「ああ、去年の文化祭のやつか?」
訊かれて黒羽は一瞬木更津と顔を見合わせた。
木更津が帽子を被り直しながら面白そうに口の端を上げる。
「春のお花見会でネタでやったのが妙にウケちゃって、文化祭でちゃんとやることになったんだよね」
クククと黒羽も声を殺して笑う。
「ウチの学校演劇部がないからな……二年のほとんどの女子が立候補したんじゃねーかって位大騒ぎだったな」
「やっぱり……でもハマり役よね。残念、見たかった」
「僕、ビデオに撮ってるから機会があったら観せてあげるよ」
「ホント!?」
「去年のバレンタインもサエは凄い数もらってたよね。くすくす」
そんな話を聞いて佐伯はまいったなと肩を竦めてみせた。
ふと黒羽はの指に目線を落とした。
、どうかしたのか?」
見るとの右手は鉛筆を持ったまま小刻みに震えている。
「え、あ……寒くて手が悴んじゃって。鉛筆持つから右手には手袋付けられないじゃない? なかなか描き進められなくて大変」
「大丈夫か?」
苦笑するに黒羽は腰を落とすと、そっとの右手に触れた。
「わ、つめてっ」
予想外の冷たさに一瞬驚いた黒羽だが、今度は両手で暖めるようにの右手を包み込んだ。
「く、黒羽くん……?」
「俺の手あったけぇだろ? 暫くこうしててやるよ」
まるで子供の冷えた手を温めるような感覚でやっているだろう黒羽には戸惑った。
黒羽の手は大きく、の手はすっぽりと隠れてしまっている。
(ど、どうしよう……)
少しずつ心拍数が上がるのを感じる。
?」
を見上げた黒羽はギョッとしたような顔をした。
「おい、顔まで赤いぞ? 大丈夫か?」
心底心配そうな顔でを見つめる。
「風邪でもひいたんじゃないのか?」
「だ、大丈夫だから!」
そんな二人のやりとりを横で見ていた佐伯と木更津はおかしそうにクスクスと笑っていた。
「何だよお前ら」
不思議そうに聞いてくる黒羽に益々赤くなるがおかしくて佐伯は声をたてて笑った。
気づかず黒羽は佐伯の方を振り返る。
「サエ、昨日採ったアサリ部室に海水につけて置いてあったよな?」
「え? あ、うん」
まだ笑っていた佐伯は笑いをこらえつつ相槌を打った。
「よっし、んじゃ今日はオジイんとこで味噌汁な!」 
黒羽の提案に了解と佐伯と木更津がうなずく。
も来いよ、帰りは駅まで送ってくからさ、身体温まるしパワーも出るぜ!」
「う、うん」
真っ直ぐな黒羽の瞳にはまだ少し赤い顔で笑って応えた。
「そろそろ練習再開するのねー!」
樹の呼び声が辺りに響き、コートに戻る黒羽達を見送るはそっと右手で頬に触れてみた。
(みんな元気だなー……こんな真冬に平気な顔して海で遊んでるし、六角中のパワフルさはその辺が要因かな)
右手が温かい。
黒羽の手の温もりが残るそれをはギュッと握り締めた。
(絵が完成したら、もうここには来られなくなるのかな……)
少年達が元気に飛び回るコートを遠くに見つめながらは僅かに眉を寄せた。
もうじき絵は完成する。
絵が完成してしまったらここに来る理由がなくなってしまう、そうしたらもう黒羽に会えなくなる、そう思うとは何故だか胸が締め付けられるような思いがした。











「……動くなよ」
「ごめん」
はしかめっ面をしながら鉛筆を走らせる宍戸をじっと見つめていた。

美術の授業で男女ペアになって互いの顔をスケッチするという課題が出た為、は宍戸とペアを組んだのだ。
こういう男女二人で何かをするとき、大抵と宍戸はペアを組んでいた。
というのも一年の初めの同じく美術の授業で同じような課題が出た時、教師に宍戸と組まされて以来少しずつ宍戸と親しくなったは、どちらかと言うと近寄りがたい雰囲気の宍戸とはこういう場合ペアを組むのが決まりのようになっていたからだ。

そんな事を思い出しながらは眉間に皺をよせて描き進める宍戸を見ていた。
「んなジロジロ見んなよ」
「……動いたら描けないんでしょ?」
さっきから理不尽な文句を言うパートナーにため息をつく。
交代でスケッチをするこの作業、の方は先に宍戸のスケッチを済ませてしまった為今はただボーっと宍戸が描き終わるまで宍戸の作業を見つめているしかなかった。
、絵はもう完成したのか?」
スケッチボードから顔は上げずに宍戸が口を開いた。
「? 完成したからモデル交替したんじゃない」
「ちげーよ、アホ! 黒羽の絵描くつってたじゃん」
周りに影響のない程度の声で宍戸ががなる。

宍戸の口から出た黒羽の名前に一瞬ドキリとの心臓が鳴った。

「ああ、うん……もうじき完成する。三月の頭がコンクールの締め切りだから、それまでには」
どこか寂しそうな目をしたに首をかしげながら宍戸は筆を進めた。
「この前特別教室棟に用があった時美術室覗いたら、お前油まみれになってキャンバスの前に座ってたからよ。ちょっと気になってさ」 
「……見てたの?」
「ああ、見事にボロボロだったぜ」
作業中のあまり他人に見られたくない姿を見られたのかと思うと、みっともなくてはばつの悪そうな顔色を浮かべた。
「なかなか納得いかなくて、色んな色作っていろんな塗り方試してああでもないこうでもないって……黒羽くんのテニスの力強さや眩しさ、黒羽くん本人のあったかさ、優しさ……一度に表すのが難しくて気付いたらいつも絵の具まみれになってるんだよね。……でも、もう後は仕上げくらい」
「ケッ、随分熱心なんだな」
の栗色に少しウェーブがかったセミロングの髪を描きとめながら宍戸はくだらないとでも言いたげに吐き捨てた。
「そりゃ……無理言って練習見せてもらって描かせて貰ったんだから、ちゃんと描かないと失礼じゃない。何より黒羽くんのテニスに一目惚れして”絶対描きたい"って思ったんだもん、熱も入るよ」
「黒羽のテニス、ねぇ」
おそらくにとって大事なのは単なる強さではない事は分かっていたので宍戸は口には出さず、それ程の選手だったっけ?と内心毒づいた。
「テニスもだけど、黒羽くんもとっても面倒見がよくて優しいのよ。近所の子供達にも懐かれてて……六角中のみんな、良い人たちばかり」
「そうかよ」
遠くを見ながら嬉しそうに話すを見て、宍戸は何だか面白くない気がした。
「そうだ、六角のみんな土、日もちゃんと練習してるよ? ウチはオフなんでしょ……大丈夫なの?」
「あぁ!? 俺達が負けるとでも思ってんのか?」
「……そうじゃないけど、ウチのテニス部って結構休み多くて、良いのかなって思って」
は初めて六角中を訪れた時、同じテニス部でこうも違うのかと感じた事を思い出した。

休日もほぼ一日中練習、遊びもほとんど練習の一環になるだろう六角中のテニス部と、どちらかというとプライベート時間が多分にある氷帝のテニス部では大分体制が違っている。
「負けねーよ、俺は」
一言、そう言い放って視線を落とした宍戸の視界にの隣に置いてあるスケッチボードが映った。
「……お前」
「え?」
ボードを手に取り、の描いた自分をマジマジと見つめる。
艶やかな髪に立体的な影の入れ方、狂いのないデッサン。
それに少し尊大で凛とした表情。
(最初に俺のデッサンやってた時はここまで表情付けてなかったよな……)
一年の最初の美術の授業で初めて見たの絵を宍戸は思い浮かべた。
狂いのないデッサンは昔からだが、あの頃に比べて少し絵柄が変わったような気がした。
いや、たまたまの描いた「関東大会で見た選手」……つまり黒羽のラフスケッチを見た時に、ふとそう感じていた事が脳裏によぎる。
「宍戸くん?」
「あ、いや……やっぱ絵はうめぇよな」
「ありがとう。宍戸くんの髪、綺麗だから描いてて楽しかった」
「んだよ、短髪の方が良いんじゃなかったのかよ!」
照れ隠しのためか、宍戸はいつかの会話を思い出し少し大げさに言い返した。
「スポーツするには短い方が便利じゃないかって言ったの。私少し癖があるから、サラサラのストレートは羨ましいよ」
クルクルと指先でウェーブの髪を弄びながら笑うに、ふっと宍戸も小さく笑った。
「わりぃな、俺はお前みたいには描いてやれそうもねぇ。って絵習ってんだよな?」
「うん、ちょうど幼稚園に入った時から……。今も続けてる」
「そんだけ長く習って美術部にまで入りゃ上手くもなるだろうな……これからも続けんのか?」
「そのつもり。本場ヨーロッパで絵の勉強するのなんか夢だなぁ」
キラキラと憧れの眼差しをするを微笑ましく思いつつ自分の絵との描いた絵を交互に見比べ、複雑な表情を浮かべると宍戸は再び作業を開始した。

はそんな目の前の少年を穏やかな瞳で見つめた。
宍戸の後押しがなかったら、思い切って六角中を訪ねて行くことはなかったかもしれない。
あの時自分に決起を促してくれた事をはとても感謝していた。

もうじき会う事はなくなったとしても、六角中の皆と過ごした時間は自分の中で輝く記憶となって残る。
そう、いつまでも――寂しさを抑えるようにそう思うとはそっと瞳を閉じた。











劇をやるなら文化祭だろう、とファンブックネタに手を加えました(^^;
木更津の一人称はファンブックに倣って「僕」で統一。
性格は弟を参考にしました。



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