タクシーの助手席からちらりとバックミラーを見やると、ソワソワしている2人の様子が映っては自然と笑みを零した。なんだかんだ、こういう部分は高校生だと実感したからだ。
 自分もスケッチ練習できるし、一石二鳥だったかな。と、目的地のアリーナでタクシーを降り、2人を先導して中に入った。
「ボンジュール」
 スタッフに声をかけ、何度も来たことのある廊下を歩いていく。
「今日は試合してないみたいだけど、いまちょうどチーム内で練習試合やってるって。スタンドたぶん誰もいないと思うから、近くでゆっくり観れるんじゃないかな」
「おお……ッ!」
 パリ・バレーの専用アリーナはコートを間近で見られるようなスタンド設計になっている。が、さすがにコート側のドアから中にはいるのを憚ったは上階からスタンドへと2人を誘導して体育館の中に入った。
 すればさっそく床の擦れる音、勢いよくボールを弾く音が聞こえて及川も岩泉も声を弾ませていた。
「最前列で見てもいいっすか!?」
「いいんじゃないかな」
 言ってみれば、岩泉は「行こうぜ」と及川に声を掛けて地上側へと足早に降りていった。も取りあえずその後を追って彼らよりも一列後ろに腰を下ろした。
 及川に先ほどセッターをしている姿を見てみたいと言った手前、今日はセッターを注視しよう。と、スケッチブックを広げつつコート上のセッターに視線を向ける。どうしても派手なスパイカーにとしては目が行きがちだが、スパイカーに打たせるボールを上げるのはセッターの役目だ。チームの軸としては大切な役目だろう。
「うおおおお、超ロングトス! はええええ! おい及川、お前あれやれるようになれよ!」
「なに言ってんの岩ちゃん……。ていうかやったとして岩ちゃん打てるの……?」
「うおおおおおお、ジャンサーかっけええええ!!!」
 やはり彼ら自身の技術よりだいぶん上なのか、真後ろで見ていると2人の昂揚具合がよく伝って、は少しだけ肩を揺らした。それに――、2人とも無意識か、それぞれが自分のポジションの選手を目で追っていて、いま見ているものを少しでも吸収していこうという姿勢が見え、ふ、とは笑った。
 そうしてしばらく見ていると――及川はコートの一人一人が打っているサーブにやけに注視しているのに気づいた。そういえば、とは彼がサーブを得意としている選手だということを思い出した。ジャンプサーブというのがどれほど難しいサーブなのかは分からないが、見ている限り全ての選手がジャンプサーブを打っている。及川自身も打つのだろうか?
 彼らのバレーバカぶりを目の当たりにしてしばらく、及川がごく小さな声で「岩ちゃん」とぼそりと岩泉を呼んだ。
「あ……?」
「俺、この世で一番忌々しい台詞の一つをいますごく言いたい。すっごく言いたい」
「な、なんだ……?」
「”サーブトスのコツ、教えてください”とか”サーブ教えてください”ってすっごく言いたい! 言いたいー!!」
 そう及川が言えば、なぜか岩泉が「ブッ」と吹き出してはわけが分からず首を捻る。
「きゅ、休憩に入って聞けそうだったら聞いてみたら……?」
 分からないまま声をかけてみれば、バッと二人してこちらを振り返って見上げてきた。
「マジっすか! いいんすか!?」
「え……うん、たぶん」
「俺、日本語以外喋れないんだけど……!」
「通訳するから大丈夫だよ……」
 こういうところは、鳳たち氷帝テニス部のメンバーと全然変わらないな、と微笑みつつは思った。彼らのほぼ全員が、高校を最後にテニス人生に一区切りを打ってしまったけれど。あの頃の彼らはただひたすらに上を目指してがむしゃらに走っていた。そして目の前の2人は、まさに今がその時なのだ。
 しばらくして試合が終われば選手達はそのまま休憩に入り、声をかける前に彼らのうちの数人がこちらにやってきて声をかけてくれた。
「ボンジュー、。久しぶり」
「ボンジュール」
 割と入れ替わりの激しい所属選手の全てを知っているわけではないが、それでも幾度もスケッチに訪れていれば自然と顔見知りにはなるものだ。
 選手が近づいてきた事で、及川達は「おお」「でかい」などと呟いている。確かに誰もが長身の及川よりもさらに10センチ以上は軽くある。囲まれると言葉にできないほどの威圧感だ。
「この子供たちは? のボーイフレンド?」
「う、うん。まあ……そんなとこかな。日本から遊びに来てくれた友人なの。リセのクラブでバレーやってるから、ぜひプロの練習見たいって連れてきたんだけど」
「へえ……ジャパンのリセはクラブが盛んだって言うよね。どのくらいできるの?」
「え!? あ……その、背の高い方の子は県でもトップのセッターなんだって。サーブも得意みたいで」
「へえ、セッターか! ジャパンにもこんな大きなセッターがいるんだね!」
「それで、ジャンプサーブ? トス? のコツをぜひ教えて欲しいみたいなんだけど」
「ジャンプサーブ! いいね、打ってみなよ!」
「え……ッ!?」
 ははは、と笑いながら一人に言われてはしばし会話を止め、おそらくわけが分からないだろう2人の方を振り返った。
「お、及川くん……。ジャンプサーブなんだけど、打ってみたら? って」
「え……」
「た、たぶん及川くんがどのくらいできるか見たいんじゃないかな。で、でも無理だよね……制服だし」
 とんだ無茶ぶりだ、とはどう断ろうか考えていた。が、2人の目の色が変わる。
 まさか……と思った時には2人して選手達に頭をさげていた。
「シルブプレェェェェェ!!!」
 ――お願いします、と言いたいらしい。さすがにそれは伝わったのか選手たちが声をたてて笑った。けれども制服で運動は無理だろう、と再度止めようとしてハッとする。そういえば、2人とも旅行には不似合いなほど大きなバッグを肩から提げていたのだ。
「こういう事もあろうかと、着がえ一式持ち歩いてんだよね。やっぱり、さすが俺って感じ?」
「修学旅行中、全く練習しねえとなると身体なまりますから着替えと靴は持ってきたんです。こういう事があるとは思ってませんでしたけど、来月に大きな試合控えてますし、練習はしたかったんで」
 及川と岩泉が立て続けにそう言って、あっけに取られつつもは彼らが着がえてこようとしている旨を先方に伝えた。
 とはいえ先方もジョークで「打ってみろ」と言ったわけでもなかったのか、笑って受け入れていてホッと息を吐く。
 予想外に及川のバレーを少しだけでも見られるな。と、はさっそく着がえてアップを取っている彼らを見やって微笑んだ。興奮しきっているのに緊張しているという絶妙なオーラを放っている。いい顔だ。見ているこちらもついつい昂揚してしまう。
 簡単なやりとりなら、いくらなんでも英語で大丈夫かな。とは改めてスタンドに座り直して彼らを見守った。
 何やら及川が先ほどの選手に話しかけてボールを手渡されている。打ってみるつもりなのだろう。
 はジッと及川を見据えた。身体つきまでも鳳と似ている。よほど鍛えているのだとハッキリ分かる筋肉の付き方だ。
 及川は数度ボールを突き、掌でボールをシュルッと回転させてからボールを掴むと、真っ直ぐに前を見据えた。そのあまりに真摯な眼差しにハッとする間もなく、彼は右手でボールを放り投げる。当時に数歩の助走を付けてエンドラインギリギリで踏み切った彼は、まさに羽ばたくように力強く跳び上がった。
 ドンピシャのタイミングで落ちてきたボールを絶妙の振り抜きで弾き飛ばし、ボールは加えられた力のままに相手コートに勢いよく着球してバウンドしては思わず瞠目した。
 むろん。プロ選手ほどの威力はない。ないのだが――。これほど迫力のあるジャンプサーブを打てるとは予想外で、僅かばかり絶句してしまった。
 他のメンバーもそうだったのか、一瞬、シンと体育館が静まりかえる。
 数秒後に選手達は手を叩いて及川を湛えた。予想以上の出来だったのだろう。
 それにしても凄い度胸だ。たいていの高校生は緊張で萎縮してしまう場面だろうに、と感心していると岩泉がなにやらゼスチャーをして何かを訴えている。自分もやりたいと言っているのだろうか? 助けた方がいいだろうか? でも、いくらなんでも自分がウィングスパイカーであるくらいは伝えられるだろう。と思いつつも多少ハラハラしていると、岩泉は複数人の選手と共に反対側のコートに入った。
 及川のそばに選手が一人ついて、何やらアドバイスのような事をしている。
 そうしてもう一度及川がサーブを打ち――、は合点がいった。
 レシーバーが及川のサーブを受け、セッターがトスをあげて岩泉がスパイクを打ったからだ。そうしてもう一度、さらにもう一度、と続け――。
 しばしそんな練習を続けて、及川は次はセッターと何やらやりとりを始め、さすがには額に汗を浮かべた。裏腹に及川は滞りないセットアップを見せて、彼の観察眼とコミュニケーション能力の高さに驚かされたが、問題はそんな事ではないのだ。
 休憩時間はいつまでだろうか? すっかりファン感謝祭か子供教室のようなノリになっている。
 これはあとで盛大に礼をしなければならないのではないか。――と、スケッチどころではなく、今度こそ、本当の意味で「弟がいたらこういう心境なのかな」という気持ちをしばし味わう羽目になった。
 そうして――。
「メルシーボクー!」
 しばし指導をしてもらった2人はそろって頭を下げ、制服に着替えなおしてからスタンドへと戻ってきた。
「おかえりなさい。どうだった?」
「楽しかったっす!」
 声をかければまだ興奮覚めやらぬという返事で、はくすりと笑いつつもホッと胸を撫で下ろした。
「ところで……、2人の自由時間って何時まで? ホテルに送っていけばいいのかな?」
「あ……、自由時間は18時までです。ルーブル美術館の前に集合になってます」
「えッ――!?」
 岩泉が答えては自身の腕時計に目線を落とした。5時半近い。
「たいへん。そろそろ戻らないと……ッ」
 確認するや否や、は電話でタクシーを呼んだ。そうして慌ただしく礼を言いつつ体育館を去る。
 そのままアリーナ前に来たタクシーに乗り込み、行き先を告げては、ふ、と息を吐いた。
さん」
「ん……?」
「プロリーグって、フランス人限定ってわけじゃないんすよね? 例えばですけど、俺とかが所属できる可能性もあるってことですか?」
 岩泉に聞かれ、は助手席から少しだけ後ろを振り返った。
「どうなんだろう……、ごめんなさい詳しくは知らなくて……。でも、確かにフランス人だけじゃないから、国籍は関係は関係ないのかもしれないね」
「そうか……」
 岩泉が考え込む仕草を見せ、はちらりと隣の及川の方に目線をやった。
「及川くん、ジャンプサーブすっごく上手いんだね。びっくりしちゃった」
「えッ……。あ、うん、でも、レシーブ余裕で拾われちゃってたし、まだまだ……ですかね」
「参考になりそうなこと教えてもらった?」
「よく分かんないけど、威力の増し方のコツとか教わりました。学校帰って特訓して……来年には出来るようになるかなァ」
「随分としおらしいな及川、気味悪ぃ」
「いちいち悪口言わなくていいよ! ――けど、トスもサーブも当たり前みたいに俺より格上なの間近で見て、さらにあの中のほんの一握りとかがナショナルに選ばれて、その中のまた一握りがトップを取るんだな、って思ったら。どんな天才だよソレって思ったっていうか……」
 少しばかり及川は目を伏せ、どこか傷ついたような色を見せた。当時には思う。まさか目の前のプロ選手と高校生の自分を比べて力の差に本気で落胆しているとは思えない。誰か、身近な「誰か」を思い出してふと自分と比べてしまったのだろうか。と感じた所で岩泉が盛大にため息を吐いた。
「いま世界レベルとテメー比べてなんになるってんだよボゲ。このボゲ川が」
「だから悪口やめて! 俺けっこう繊細なんだからねッ!」
「ウゼェ……!」
 たった数時間しか一緒にいなかった及川の事は良くは分からないが。おそらくは見た目通り、明るい少年なのだろう。けれども何か、後ろ向きな何かをその明るさで隠している部分もあるのかもしれない。
 には到底その「何か」も、その「何か」が実際に存在しているのかも分からない。が、少し間を置いては及川へこんな風に言ってみた。
「私は……バレーのことはあんまり分からないけど。今日見たジャンプサーブの中で、及川くんが一番最初に打ったサーブが一番綺麗だと思ったよ」
「え……」
「しなやかで、背中に羽が生えてるみたいだった。なんだかまるで、大きな鳥が羽ばたく瞬間みたいな……。あのサーブ、すっごく絵になるだろうなぁ、って、できれば本当にモデルにしたいくらい」
 そこまで言って、はハッとした。あまりに自分の価値観に寄りすぎた意見だったと気づいたためだ。
「あ、ごめんなさい。あくまで私がそう感じただけなの」
 そしてけっこう恥ずかしい表現だったかもしれない。と、ぽかんとしている2人を見やって恥ずかしさがこみ上げ慌てていると、少しの間を置いて及川が小さく唇を動かした。
「そうだ。さん。俺に会ったとき、言ってたよね。オオトリ、って。もしかしてファーストインプレッションから決めちゃってたってヤツ? 俺ってそんなに鳥っぽい?」
「えッ――!?」
 そこなのか、と。は忘れかけていた事柄を改めて思いだした。恋人の声と似ている。なんて今はさして重要でもなく、は、ふ、と笑った。
「そうなのかも。うん、そういえばピッタリかも。綺麗で力強い、大きな鳥。だから……誰よりも高く跳べるよ、きっと」
 そう言ってみれば、及川は少しキョトンとしたあと、なぜかこう聞いてきた。
「――それって、白鳥よりも?」
「え……。んー……そうだね、うん。私のイメージだとそう。白鳥よりずっと大きくて綺麗だよ」
 特に他意もなくそう続ければ、及川は今度はおどけずに、ただ静かに小さく柔らかく笑った気配が伝った。

 予想よりも早めにルーブル美術館に着き、は取りあえずホッとしてタクシーを降りた。
 ルーブル美術館周辺の広場は広大である。ここでサヨナラすれば再度迷子の可能性が高い。ちゃんと彼らを同じ制服の群れに戻すまでは帰れない、といっそ義務感を抱えてまだまだ明るい空間を歩いていく。
「どこに集合か覚えてる?」
「ピラミッドの前だった気が……」
「じゃあこのゲート越えたらすぐだね」
 言いながらゲートを抜ければ、観光客に混じって及川たちの着ている制服と同じ制服の生徒達が見え、はホッと胸を撫で下ろした。
「あ、及川クーン! どこに行ってたのー?」
 するとさっそく女生徒の誰かが及川に気づいたのか、彼を呼ぶ声が聞こえては薄く笑った。及川もすぐに手を振って笑みで応えている。
「やっほー。ちょっとね、岩ちゃんが迷子になっちゃって大変だったんだよ」
「えー、かわいそー」
「おいコラ、クソ及川。なに人のせいにしてんだボケ」
「だってホントの事だもん!」
「百歩譲って、迷子になってたのはテメーもだろこの迷子川!」
「もうそれさっきも聞いたよ、しつこい男はモテないよ岩ちゃん! 元々モテてないけどね! ――あいたッ! 暴力反対ッ!」
 取りあえず彼らが無事に集合場所にたどり着けて良かった。とは肩の荷が下りる思いで小さく息を吐き、自分もそろそろ帰ろうと2人に向き直る。
「じゃあ及川くん、岩泉くん。私、行くね。さよなら」
「え……ッ」
「あ、ありがとうございましたッ!」
 少し目を見開いた及川と、慌てて姿勢を正して頭をさげてくれた岩泉の姿が目の端に映り、はそのまま彼らに背を向けた。そうして歩き出しただった、が、数歩歩いた所でピタリと歩みを止めた。そして肩にかけていたバッグの持ち手を一度ギュッと握りしめ、もう一度後ろを振り返った。
「及川くん……!」
 すると、2人ともこちらを見送ってくれていたのかバッチリと目が合ってしまい、少々いたたまれなくなって少し頬を染めて俯く。そうしてはバッグからスケッチブックを取りだした。幸いにも今日は紙を収められるファイルも荷物に入っており、ホッとしつつパラパラとページを捲って先ほどスケッチした及川の絵に、自身のサインと、思い至ってメッセージを入れた。
さん……?」
 そうしてスケッチブックから及川の絵を切り離し、ファイルに収めてそっと及川の方に差し出した。
「この絵、及川くんに持っててもらいたくて。ちゃんとした絵じゃなくて申し訳ないんだけど……、受け取ってもらえる?」
「え……?」
「紙だし、スーツケースに入れちゃえば邪魔にはならないと思うから……」
「え、え……!? アレ、でもさんってプロの画家なんじゃないの?」
「そうだけど……一応」
「せっかく俺がモデルになったのに、俺にくれちゃっていいの? もったいないよ?」
 すれば及川の口から漏れたのはそんな言葉で、さすがには少し吹き出してしまった。
「どんだけ自信家だよ……キメェ……」
 岩泉がぼそりとそんなことを呟いていたが、は笑って真っ直ぐ及川を見上げた。
「いいの。私はちゃんと、覚えてるから。だから今度はちゃんと描かせてね。バレーしてる及川くんのこと」
 すれば及川の整った大きな目が見開かれて、そして――。数秒後には満面の笑みで及川らしくピースサインでポーズを決めてくれた。
「モッチロンだよ!」
 視界にうんざりしたような顔の岩泉が映ったが、は頷いて笑った。
「じゃあ、元気でね。バレー頑張って」
「今日はほんとにありがとね!」
「お世話になりました!」
 及川が手を振ってくれ、岩泉は再度頭を下げてくれて、は今度こそ彼らに背を向けて歩き出した。この場所からなら対岸まで歩いて家に帰るのが最短ルートだ。そっと空を見上げる。過ぎった風に思わず目を細めた。
 家に帰ったら鳳に電話してみようかな、と思い浮かべては笑った。もう一人のオオトリくんに出会っちゃった、なんて言ったらどんな顔をするだろう? ふふ、と自然と笑みが零れた。

 一方――、その背を見送った及川と岩泉は。
「つーかお前……。モデルとかやってたのかよ……」
「うん。岩ちゃん待ってる間にね」
 言いながら及川は改めて、岩泉ははじめての絵を覗き込んだ。そうして岩泉は大きく目を見開く。
「び、美化度200%じゃねえのかコレ……」
「酷いな! 俺いつもまっすぐキラキラ美少年でしょ!?」
「自己評価高けぇんだよおめーは! ――けど、まァ、お前のクソ迷惑な迷子のせいでバレーやれたしな。今回はまあ、見逃してやるか」
「だから迷子だったのは岩ちゃんだってば!! なんなのその上から目線!」
 そうしていつも通りの言い合いを続けていると、先ほど声をかけてくれた女生徒が近づいてきて話に入ってきた。
「及川クン、さっきの女の人、だぁれ?」
「え……? ああ……、んー、なんて言えばいいんだろ。救世主? ていうか幸運の女神? って感じかな」
「クセェ……」
「なにかもらったの? 絵……?」
「うん。プロの画家なんだってさ」
「ホント!? ちょっと観てもいい?」
「どうぞ」
 及川は手に持っていたファイルを女生徒に差しだし、彼女は食い入るようにその絵を見つめた。そういえばこの子、美術部だっけ、と及川が過ぎらせていると、彼女はサインに目を落として「あ」と呟いた。
……?」
「うん。さんって名前」
「え!? !? ホント――!?」
「へ……?」
「あ、でも、確かにさっきの人……言われてみればそうだったかも……」
「え、な、なんなの? 彼女のこと知ってんの?」
「知ってんのもなにも……、すっっっごい有名な人だよ! 色んな賞いっぱいとってて、フランス画壇のいま一番有望な若手で、イギリスの財閥とかフランスの元貴族系とかのパトロンたくさん付いてるって」
「ハァ……!?」
「もしかして、これタダ!? タダで貰ったの!? ふつう買えないよ!?」
 言われて、及川と岩泉は顔を見合わせた。
「道理で……、すんなりプロチームの練習見せてくれたり、打たせてくれるよう頼めるわけだな。そいうことなら……まあ納得か」
 岩泉が目を瞬かせながらそう言い下して「なぁ?」とふってきたため、及川はゴクリと生唾を飲んで視線を上下させた。
「有名画家からもモデルをせがまれる俺……、やっぱり凄い……!」
「プラス思考すぎだろおめーはッ!」
 突っ込みを聞きつつ、及川はハッとして岩泉を見やった。
「岩ちゃん! 岩ちゃんの――ッ」
 携帯の履歴に彼女の携帯番号が残っているよね。と言おうとして及川は言葉を飲み込んだ。いま言えば、とんだ騒ぎになりそうだからだ。
「俺の……なんだ?」
「……バレーじゃモデルにはなれないよね?」
「あ"……?」
「ごめん、ウソウソ! 岩ちゃんのスパイク超信頼してるから!!」
 手を合わせて軽く言いつつ、及川はに貰った絵を改めて握りしめた。――白鳥よりも大きく飛べると言ってくれた。脳裏に来月対戦することになるだろう宿敵・白鳥沢学園の姿が過ぎった。


 ――明るい少年に見た陰り。は感じた印象のままに、Samuel Beckettの言葉と共に一文添えていた。偶然にも彼に会う前、自身が渡仏したばかりの頃を思い返して浮かべていた言葉でもある。
 "Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better.", because you have the strong wings.
 少年が気づいた時、あるいは彼は本当に大空に羽ばたくのかもしれない。
 それはまだ誰も知らない、及川徹の物語――。



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