渡仏して、もう幾度目の秋を迎えただろうか――。 ここ、花の都・パリで生活をはじめて早くも10年目に入っている。もはやここに居ることが当たり前で、人生の半分以上を既にフランスで過ごしているような錯覚にさえ陥ってしまうほどすっかり生活にも慣れてしまった。 ――と、はふとセーヌ川のほとりからポン・ヌフを見やって目を細めた。 パリに来てはじめての秋は、まさに挫折の秋だった。 リセに通い始めるも言葉が通じなくて、気持ちを表現できなくて、絵もまともに描けなくて。辛いことばかりだったように思う。 それでも、全てを捨てて渡仏した事を後悔したことなど一度もなかった。自分は絵で生きていくと決めたのだから、躓いても失敗しても後ろを振り返ったことは一度もない。失敗しても失敗しても、それで少しでも前進できれば、それでいいのだ。なんて、そんな格言をどこかで読んだ覚えがあるな、と頭に巡らせて少しだけ肩を竦める。 諦めずに挑み続けた先で掴んだ”今”が理想か否かはまだ決めかねているが、それでも、自分は今後も挑み続けるのだろうな、と肌寒い風に少しだけ頬を震わせた。 季節は9月も下旬にさしかかっている。 昼下がりのセーヌ川のほとりにて、がやっていることといえばいつものごとくスケッチブックを睨んでスケッチに勤しむという作業だ。ここは似顔絵売りのメッカでもある。 既にある程度名も売れ、路上で絵を売りさばく必要は全くないであったが、自身は単純に自分の第二の故郷であるパリの風景を描き連ねる修行にも似たスケッチを好んでいた。いや、むしろ幼少から培ってきた習慣とも行っていい。 パリは相変わらずありとあらゆる人種の行き交う街だ。その様子を見守るのは、にとってはごく自然の生活の中の一部だった。 とはいえ。”・”という名も顔もある程度売れてしまっている身だ。あまり似顔絵画家のひしめく場所では都合の悪い事も多く、は少しばかりメジャースポットから離れた場所で人の行き交うポン・ヌフを眺めながら鉛筆を走らせていた。 乾いた秋風がひんやりと頬を撫でていく。そろそろパリご自慢のプラタナスの木々も見頃だ。この季節は「黄金の秋」、という言葉に相応しい豊かさと、少しの哀愁が混ざる独特の時期でもある。 舞い降りてきた木の葉を目に留めて目を細めていると、ふと、後方から声が聞こえての頬がぴくりと撓った。 「おーい、岩ちゃーん! もう、どこ行ったんだよー。ていうか、ココどこ……?」 日本語だ。とか。話している内容、とか。そんなものを軽く超越するほどに、あまりにも「聞き慣れた」声だった。驚いては思わず振り返ってしまう。 「鳳くん……ッ!?」 聞こえてきた「声」があまりに鳳と似すぎてきて。思わず口走って振り返った先には――鳳ではなく、しかしながら鳳と良く似た背格好の制服姿の少年が目を丸めてこちらを見ていた。 「あ……、やだ、ごめんなさい」 とっさに人違いを悟ったはカッと頬を染めて慌てふためいた。が、眼前の少年は目を丸めたかと思うと、必死の形相でこちらに詰め寄り、ガシッとの肩を両手で掴んでこう訴えてきた。 「お姉さん、日本の方ですかッ!?」 「え……!? あ、うん……そう、だけど」 「よかった! ここ、どこですか!? 俺、道に迷っちゃって!!!」 随分と端正な顔をした少年の必死の形相が間近に迫って、は驚きながらも何となく事情を察した。季節は修学旅行シーズン。しかも、制服姿とあっては。おそらく迷子の高校生だな。――と、すぐに結論に辿り着くことが可能だったからだ。 取りあえず少年を落ち着かせると、やはり彼は修学旅行中の高校生で。自由時間に友人とはぐれたというありがちな理由には肩を竦めた。 が、異国で迷子という状況の少年は必死だろう。――そういえば、自分も似たような事があったっけ。と、氷帝の中等部時代のドイツ旅行も思い出しつつは聞いてみた。 「えっと、じゃあ……まずお名前聞いてもいい?」 「及川、です。及川徹」 「及川くん。どこに行こうとしてたのかな……? 待ち合わせ場所の名前とか分かる?」 「どこに行こうとしてたっていうか、気づいたら岸辺に出てたっていうか……、街の中の賑やかな場所を歩いてたんですけど、なんかゴチャゴチャしてるし、よく分かんなくて」 「そ……そっか。あ、学校名は? 担任の先生の連絡先とか……」 「えッ!? せ、先生に連絡したら俺連れ戻されちゃう! それはダメッ、ぜったいダメ!!」 少年――及川は迷ったという事実を教師に連絡されるのがよほどイヤなのか整った顔をブンブンと振り回して、そして携帯を取り出しながら言った。 「岩ちゃ……友達に連絡取ろうとしたんだけど、うまいこと電波入らないのか携帯繋がらないんですよ」 言ってしかめっ面をして携帯を弄る及川にも肩を落とす。日本の携帯だ。今時の携帯で海外ローミングがオフになっているとは思えないが、携帯がつながらない事情など分かるはずもなく――。 「だったら、私の携帯でかけてみようか? えっと……その、岩、くん? に」 「岩泉、です」 「岩泉くんの番号を教えてもらっていい?」 言いながら携帯を取り出すと、眼前の及川の顔がパッと華やいでは少し笑みを零した。顔はあまり似ていないが、やはり声は驚くほど鳳に似ている、と礼を言ってくれた声を聞きつつ示された番号を自身の携帯に打ち込んで返事を待つ。 無事に繋がったらしかったが、それでも見知らぬ番号を不審に思ったのかかなり長く待った上で相手が受信ボタンを押したのが伝い、は少しばかり携帯を握りしめる手を強めた。 「あ……もしもし。岩泉くん……の携帯で合ってますか?」 「え……、そう、ですけど」 携帯の先からは若干強ばったような声が聞こえた。さもありなんだ。 「突然ごめんね。といいます。あの、お友達の及川徹くんがあなたを探してて、かわりに電話をかけたんだけど……」 「及川ッ!? あいつ、そこにいるんですか!?」 「う、うん……、すぐ隣に……」 「あー……、すんません。そのバカが迷惑かけて――」 そこまで岩泉が言えば、声漏れした音を聞き取ったのか岩泉の声にかぶせるように及川ががなった。 「ちょっと! 迷子になったの岩ちゃんでしょ!? 迷惑かけられてんのこっち!」 「ああッ!? なに言ってんだクソ及川! おめーが勝手にはぐれたんだろーが! 幼稚園児かよボゲッ!」 「それこっちの台詞なんだけど!?」 わ、とはいきなり始まった言い合いに反射的に目を瞑りつつ及川の方を見上げる。 「ちょっと、静かにして!」 それでハッとしたのかシンと静まり、あー、と携帯から岩泉の声が漏れてきた。 「すんません。そのバカ引き取りに行きますんで……。あの、いま、どこにいるんですか?」 「え……と。ポン・ヌフの近くだけど……」 「ポン・ヌフ……?」 ――引き取りに行く。と言ったところで、この岩泉と言う少年がパリの地理に詳しいとも思えず。は頬を引きつらせつつ岩泉の現在位置――ストリート名や近くに見える建築物等々――を聞いた。 すればどうやら14区の境目に近い5区の端の方にいるらしく、なるほどカルチエ・ラタン辺りを歩いていてはぐれ、お互い逆方向に歩いていったのだな、と理解しつつは少々考え込んだ。それほど遠くはない、が、分かりやすい道を教えなければ。と、頭に地図を思い浮かべてポン・ヌフまでの分かりやすいルートを伝え、この場で岩泉の到着を待つことに決めた。 ふー、とは携帯を切って肩で息をした。 すれば、及川は後頭部に手をやりながら苦笑いのようなものを浮かべていた。 「ありがとうございます。すみません、ご迷惑おかけしまーす」 苦笑い混じりながらもやや間延びしたその声を聞きつつ、は、ううん、と首を振るう。 「岩泉くん、30分くらいで着くと思うからここで待ってようね。もしも迷ったら連絡くれると思うし」 「はい。えっと……、さん?」 ふと、急に名前を呼ばれてはドキッと心音を跳ねさせた。――鳳と瓜二つの声で、鳳が滅多に呼ばない名で呼ばれたのだから無理もないだろう。 「は、ここでなにしてるんですか? やっぱりさんも旅行中?」 人懐っこい性格なのか、ニコニコしながら問われてついつられて笑ってしまう。 「ううん。私、ここに住んでるの。それで絵を描いてて……」 「絵……?」 「あ、うん。画家なの。一応ね」 言えば、へえ、と及川は相づちを打ちつつめざとくの持っていたスケッチブックに目を付けて見てみたいとせがんできた。頷いて渡せばパラパラとページを捲った彼は「わ」と賞賛の声をあげてくれた。 「上手い! さすがー、プロですねー」 「あ、ありがとう」 「お……。サッカーの絵もある。へえ……」 「動きがある絵が好きなの。やっぱり、練習になるから。及川くんは何かスポーツしたりしてるの?」 「あ、俺ですか……? 俺は高校でバレーボールやってマース!」 すると彼はにっこり笑ってピースサインでポーズを決めてくれ、は一瞬だけ固まった。――長いことフランスに住んで、口の良く回るラテン系には慣れているはずだが、このノリはラテン系とはまた違っている。 「そ、そっか、バレー。私も時々バレーの絵、スケッチさせてもらったりしてるな……。ルールとかあんまり詳しくないけど、近くで見るとすごい迫力だよね。ポジションは? 背が高いからスパイカーかな」 「ああ、それけっこう言われるんですけど、セッターなんです」 「へえ、セッター……」 「ま、サーブもスパイクもレシーブも得意なんですけどね。特に俺のサーブって、けっこう県内では有名だったりするんですよねー」 サラッと笑いながら言われて、は少し目を見開いた。――この声でサーブが得意。なんて、ますます鳳に似ている、と過ぎらせたからだ。 「あれ、どうかしました?」 「えっ、あ、その。す、すごい自信なんだね。強い学校なの?」 誤魔化すように言えば、一瞬、及川の表情が固まったように見えた。が――、あれ? と瞬きをした後には、へへ、と彼はさっきまでのように人懐っこい笑みを浮かべていた。 「ま、次こそ全国行ってやるって誓いを新たにした所です。県代表になれるのはたった一校ですからネ」 その口振りから、なんとなくは彼が準優勝に甘んじている学校の生徒なのだと察した。そうして。東京出身ゆえにあまり気にしたことはなかったが。おおよその県の代表校枠はたったの一つ。もしも東京都の枠が一つだけだったら。氷帝は都大会以降には進めなかったということで――、少しは恵まれていたのかな、とも思う。 「そっか。でも、及川くんは二年生だよね? レギュラーみたいだし、凄いんじゃないかな」 「そう思います? でもけっこういるんですよね、二年どころか一年でレギュラー取っちゃうヤツとか」 「まあ……そうだよね」 確かに鳳も高等部では一年から試合に出ていたらしいし、青学の越前などは中等部の時に一年にして部を全国制覇に導いていたし。などと懐かしく思い返しつつ話していると、及川は入学時に正セッターであった三年が引退してからはずっと正セッターだと語ってくれ、どのレベルかは想像も付かなかったらそれなりに強い選手なのだろうという事は理解できた。 「私、バレーの絵を描いてる時ってどうしてもスパイカーとかレシーバーを見ちゃうから……。ちょっと見てみたいな、及川くんのセッターぶり」 バレーは氷帝時代に体育の授業でやった程度の知識しかないが。セッターといえばチームの頭脳・司令塔のはずだ。この人懐っこい少年がどんな風にチームをコントロールしているのか純粋に興味が沸いて言ってみれば、及川は少しキョトンとした顔を晒した。 「それって、俺をモデルにしたいって事ですか?」 そうして、え、とが反応する前に彼はピースサインをしてペロッと舌を出し、決めポーズなのかなんなのかよく分からない仕草をこちらに向けた。 「モチロンイーですYO! ハイ、どーぞ!」 パチッとウインクまでくれて、カメラ目線と思しき視線さえもらってさすがにもリアクションに困って固まった。数々のラテン系フランス人と交流を深めた結果、少しは未知との遭遇への対処能力もあがったと自負していたというのに。近年稀に見る予想外のキャラクターにうっかり脳がフリーズしてしまい、ハッとする。 「あ……えと、うん。そうだね。ここでバレーはできないけど、まだ岩泉くんが来るまでたぶん時間あるし……。せっかくだしモデルになってもらおうかな」 ともかく。スケッチブックさえ広げれば自分のペースが戻ってくるはずだ。及川自体はスタイルも良く容姿端麗で表情も豊かだし、被写体としては申し分ない。――と及川に渡していたスケッチブックを受け取って及川を見上げると、彼は、へへ、とダブルピースで満面に笑みを向けてくれ、は苦笑いを漏らした。 「ポーズとってくれなくて大丈夫だよ。普通にしてて……」 「えー、そう? コレがいいのに」 「大丈夫、ちゃんとかっこよく描くから」 背格好と声は瓜二つというレベルで似ているが。どうやら性格は鳳とは正反対のようだな。と感じつつも聞き慣れた声色と会話をするのはちょっとだけくすぐったい。もう二度と会うことの叶わない、高校時代の鳳と再び話をしているような感覚にさえ陥ってしまう。 鳳にもこんな時期があったな。ブレザーを着て、氷帝に通ってて。と、ついつい懐かしさまでこみ上げてしまう。高校二年生ということは、彼はちょうどブダペストで再会した頃の鳳と同い年だ。あれから既に7年か――と思うと一気に懐かしさがこみ上げて、の脳裏にまだ10代だった頃の記憶が駆け抜けていった。 きっと眼前の彼も、日本では部活に勉強にと自分たちと似たような学園生活を送っているのだろうな、と思いつつ手でフレームを作って焦点を絞る。 すれば及川が再び「コレはどう?」などと数点ポーズを決めてくれ、再度ふつうにしてくれと念を押しつつ、はハッとした。彼が掌をこちらに向けた時に目に付いたのだ。彼の大きな手は分厚く、ありありと修練の結果を克明に告げていることが。――バレー選手がどれほど手や腕を酷使するのかはよく知らない。が、見た目に反して、相当にストイックにバレーに向き合っている少年なのだろうな、と感覚的に悟った。彼の自信も、その努力に裏付けされたものなのかもしれない。 そのまま自身に慣れさせるように何点かラフ画を描いてから、は本格的なスケッチ作業に入った。 及川は人懐っこいという印象の通りお喋りな性格のようで、少しでも黙ると自分から色々と話しかけてくれた。 宮城に住んでいること。バレーボールは小学生からずっと続けていること。やはり高校生ゆえに生活そのものが学校中心なせいか学生らしい話題が多く、それがまたより一層懐かしさを煽ってに少しだけ郷愁の感情を沸かせた。 少しだけ肌寒い風が吹き抜けていく。いくら東北とはいえ、宮城よりも今のパリの方が寒いはずだ。そのせいか、秋風に及川が少しだけ頬を震わせるのが映った。なぜだろう? とても明るそうな少年なのに、妙に陰りのあるこの空気がとても似合っている。きっとこのまま、プラタナスの色づくシャンゼリゼにでも連れて行ったらきっと素敵だろうな……と過ぎらせては少し笑った。白とベージュの制服は、きっとプラタナスの紅葉が良く似合うだろう。 ふと言葉が途切れれば、随分といっそ驚くほど大人びた顔つきをする少年だ。ふ、と整ったくっきり二重の目を伏せてこちらへ目線を流しながら微笑む様子など、思わず胸が騒いでしまうほどの危うさがある。 これほどの美少年なら、きっと学園ではアイドル扱いなのだろうな。と、今にして思えば華やかだった氷帝の面々もついでに思いだして、は悟られないようこみ上げてきた笑みを押し殺した。 「――できた!」 しばし絵に集中して、それでもあっという間に描き上げてはスケッチブックから顔をあげた。 「ホント!? 見ていい?」 「どうぞ」 パッと笑みを浮かべた及川に笑ってスケッチブックを差し出す。おそらく本人的には不本意なポーズかもしれず、若干ハラハラするも彼は食い入るようにスケッチを見やり、感慨深げにこう言った。 「モデルも完璧にこなせる俺……凄い……!!」 ――もしかしてこの子は跡部以来の大物なのでは。と感じさせる反応には思わず笑みを漏らした。 「気に入ってくれた?」 「モッチロン! やっぱりモデルがイイと華やかになりますよネ!」 「うん。及川くん、カッコイイからすっごく絵になる」 が、が笑って肯定すれば予想外に及川は一瞬固まり、え、とが瞬きをした後には先ほどと同じように満面の笑みで歯を見せてピースサインでポーズを決めてくれた。 「ですよねっ!」 も彼のペースにだいぶ慣れ、そのまま笑いあっていると後方道路側の横断歩道の先から「あっ!」と声があがった。 「見つけたぜッ! クソ及川!!」 ギクッ、とその声に及川が身体を収縮させて反応し、次いでおっかなびっくりに振り返って、も倣って声のした方を振り返った。 「ゲッ、岩ちゃん!」 「なにが、ゲッ、だこの迷子川! さんざん迷惑かけやがって!」 「俺は迷子じゃありませんー。岩ちゃんがはぐれたんですー」 「ウルセー、ぶん殴るぞボゲがッ!」 「すぐ殴るって言うのやめなよ、野蛮だよ岩ちゃん!」 おそらくは及川の友人――”岩泉”だろうか。及川と同じ制服を着た短髪の少年が横断歩道の先でがなり、及川も負けじと応戦して赤信号なのを良いことに道を挟んで言い合いを始めてしまった。 血の気の多い子なのだろうか。と、先ほどの電話での件といいハラハラするも、実際に殴り合いに発展されると困るためには信号が変わると同時にさりげなく及川の前に進み出た。自分が前に入れば殴りかかれはしないだろうからだ。 すると鬼の形相で走ってきた少年――岩泉は初めての存在に気づいたらしく、ハッとしたような表情を晒した。 「こんにちは。岩泉くん……だよね? さっき電話したです」 「あ……っ」 すれば、予想外に彼は姿勢を正して直角の勢いで頭をさげてきた。 「すいません! ご迷惑をおかけしました!」 「え……ッ!? え、と……」 「そうそう岩ちゃん、さんに迷惑かけすぎだよホント。今だって俺のこと守ろうとしてくれちゃってるしさー。反省してよね」 「あ? おめーが反省しろ、このボゲ!」 「ちょ、ちょっと言い合いはやめて!」 どうやら岩泉のこの態度は及川限定なのだと悟ったは取りあえず制止のために割って入り、ふ、と息を吐いた。 「道、迷わなかった?」 そして岩泉の方を向けば、岩泉は再度ハッとしたように頷いた。 「ハイ。分かりやすかったです。大通りに出るまでは手こずりましたけど、あとは真っ直ぐ川に出て左折してしてしばらく歩いてたら及川が見えましたから」 「そっか。良かった。この辺って特に路地が無数に入り組んでるから迷路みたいだもんね。2人とも無事に再会できてホントに良かった」 ふふ、と笑みを向ければ岩泉は若干焦ったように頭に手をやってもう一度礼を言ってくれた。 「いーわちゃん。なに赤くなっちゃってんの?」 「ハ、ハァ!? な、なってねぇよボケ!」 「そういう言葉遣いやめなってば」 「おめーにしか使ってねえ!」 また始まった、とは小さく肩で息をしつつ思案する。これで2人は再会できたことだし、ではさようなら。と去ればまた2人で仲良く迷子という憂き目に合いかねない。ここは川沿いでメトロを探すのは地理に詳しくなければ困難だろうし、と思いつつ2人の方を向いた。 「2人とも、これからどこに行くの? 場所……分かる?」 聞いてみれば、2人はそろって顔を見合わせて互いにキョトンとした表情を晒した。まるで予想外の質問と言わんばかりの反応に、もたじろいでしまう。 「あー……どうすっか」 「特に予定もなかったよね」 「え……!? え、でも、じ、自由時間なんだよね……?」 「そうだけど……学校全体でめぼしい観光名所行っちゃったし、連んでるのが岩ちゃんだからオシャレなカフェって感じでもないし。そもそもパリ自体が岩ちゃんって感じしないし」 「オイッ!」 「ってワケで……どこ行こうか迷ってたんですよネ」 「で、ふらふら歩いてたらはぐれたんだね……」 なるほどな、と再度納得しつつは内心、どうしよう、と本気で悩んだ。仮にも高校生――子供を見知らぬ土地に放置してこの場を離れてもいいものか。しかしながら、パリにあまり興味がないのであれば観光地に連れて行ってもつまらないだろうしと思いつつも訊いてみる。 「行きたい場所、どこかない……? もしあるなら、私、パリの地理はある程度詳しいから役に立てるかもしれなから」 すると再度2人は顔を見合わせ、「あー」と岩泉がどこか自嘲気味に言った。 「俺たち……せっかくヨーロッパ来てんだから、こっちのバレー見てえなって話してたんですけど、全くどうすりゃいいのか皆目検討つかないっつーか……。あ、俺たちバレー部で――」 「あ、それもう俺が説明したよん」 「あれ、岩泉くんもそうなの? 及川くんがセッターだっていうのは聞いたけど」 「はい。俺、ウィングスパイカーやってます」 「へえ……そうなんだ、スパイカー」 見たところ、岩泉は及川より5センチほど背が低い。スパイカーとしては小柄な方だろう。が、そこは日本人だ。彼が小柄なのではなく、及川が長身の部類と言った方が正しいのかもしれない。 それに――。 「バレーか……」 バレーが見たい、という希望を叶えられるか否かは定かでないが。頻繁にスケッチ巡りをしているにとってはスポーツ関連の施設はそれほど縁遠い場所でもなかった。ありがたいことに自身の知名度以前に、リセ時代の友人や跡部との繋がりのおかげである程度顔が利く場所もある。 「ちょっと待ってね。確認してみるから」 え、とキョトンとした2人を見つつは携帯を取りだしてメモリーから目的の番号を呼び出し電話をかけた。 そうして確認を取ると、電話を切って2人の方を見やる。 「生憎……今日は試合はしてないみたいなんだけど、いま練習中だって。見学の許可取ったから、それでもいい?」 「え――ッ!?」 「フランスにはバレーのプロリーグがあってね」 「知ってます!!!」 「そ……そっか。あの、私はチームの強さとかあんまり詳しくないんだけど、パリには――」 「パリ・バレーっすか!?」 「え……うん」 「おお……10年前の欧州リーグチャンピオンですよね!?」 「え!? そうなの……? えっと、その、パリ・バレーの練習によければいまから連れて行くけど……、どうかな?」 ものすごい勢いで食いつかれて若干おののきつつ何とか言い下せば、2人は揃って目を丸めて揃って仲良く顔を見合わせていた。 「ま……マジッすか……!? お、おねがいしますッ!!!」 「ていうか、さん何者……?」 まさかこれほどのリアクションが来るとは思わずには苦笑いを漏らしつつ、取りあえず移動しようと道沿いでタクシーを呼び止めて2人を乗せ、自身も乗り込んで目的地を告げた。 |