及川や岩泉と別れたあと。
 はそのまま作業室に籠もって時が経つのを忘れていたが、続く週末の午前中に鳳から電話がかかってきた事で鳳の声を聞いた瞬間にハッと及川の事を思い出して話してみた。
「え? 俺の声と似てた……?」
「うん。高校生でね、身長とかスタイルもそっくりで、すっごく美形な男の子だったの。あんなに声がそっくりな人に初めて会っちゃった」
「へえ……、そういう事もあるんですね」
「及川徹くんって言って、宮城だと有名なバレー選手みたいなんだけど……」
「バレーか……。俺あんまりバレーは詳しくないです。でもちょっと気になりますね、そんなにそっくりだったなんて」
 言いながら携帯の先からはカタカタとパソコンを操作しているような音が漏れてきて、は少々首を捻った。しばし無言状態が続き、様子を伺っていると「あ」と鳳の声が漏れてくる、
「及川徹選手……。へえ、青葉城西高校というところのセッターみたいですね」
「うん。たしかそんな高校名だったような……」
「あ! なんか彼、テレビに出てますよ。番組が動画サイトにそれを上げてます」
「え――ッ!?」
「先輩、いまパソコンの近くにいますか?」
 驚いては目を見開き、パソコンの前に行って鳳から番組名を聞きつつ動画サイトを開いて見つけ、アップロードされていた番組を再生した。

「――今日の”発見・スポーツ高校生!”のコーナー。ゲストは青葉城西高校の及川徹君です! よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす」

 あ、及川くんだ。とはパッと画面に現れた華やかな少年に笑みを浮かべた。
 番組はローカル番組のようで、有望な地元選手を紹介していくという主旨らしく、どうやら青葉城西に出向いて撮影をしたのか学校のような場所で話をする及川と、及川のプレイシーンの映像が編集して交互に映されていた。

「夏のインターハイ予選では惜しくも白鳥沢に敗退となってしまった青葉城西ですが、次の春選抜への意気込みはどうですか?」
「あそこのウシワカちゃんには中学時代からお世話になってますからね。今度こそ仕留めて、落ちていって欲しいですネ」

 ニコ、と笑みでさらりと物騒なことを言った及川にの胸はドキッと騒いだ。
 そういえば、と。ルーブル美術館へ向かうタクシーの中で「鳥のように高く跳べる」と言ったことに対して彼が「白鳥より?」と答えた事を思い出したからだ。
 カタ、とはパソコンを操作した。及川は宮城内といえど優秀な選手らしく、経歴はいくらでも出てくる。そうして見れば――やはり長年に渡って白鳥沢に連敗続きという戦績が出てきて、そっか、とは肩を落とした。
 やはりどこか陰りがあったのは、白鳥沢のことを過ぎらせていたのだろうか。と考えていると、携帯の先から鳳の声が聞こえてきた。
「先輩……、あの、俺ってこんな声してます? ホントに似てますか?」
 そうして今まさに聞いている及川とまったく同じ声でそんなことを言うものだから、思わず肩を揺らしてしまった。
「そっくりだよ。でもそっか、自分じゃ自分の声って分からないものなのかな」
「うーん……。一度録音してみようかな……」
「うん。きっとびっくりするよ」
「でも、この及川君も県内最強のサーバーなんて呼ばれてるんですね! 俺、ちょっと親近感沸いちゃいました」
 そうして無邪気な声が聞こえてきて、ふふ、とは笑った。
「そのうち、また会えるといいな……」
「え……?」
「きっと及川くんも鳳くんに会ったらびっくりすると思うもん」
「そう、ですね。でも、なんだか高校の頃が懐かしいです。毎日部活に励んでいた頃を思い出してしまいました。彼にもぜひ全国に行って欲しいな……」
「そうだね」
 頷いて、は番組の終了なのかカメラに向かって手を振る及川を見据えて目を細めた。
 きっとそのうち、もしも縁があればまた会うこともあるだろう。その日が楽しみだな、と思いつつ遠く離れた日本の事を思った。


 ――時を同じくして、日本。
 宮城は仙台市を及川徹は自宅に向かって歩いていた。
 さすがに長旅明けに加えて時差ボケ気味で鍛えた身体といえど少々重い。
 既に岩泉とも別れて自宅は目の前だ。パリも肌寒くあったが、仙台の夕暮れもなかなかに寒い。
 が、たった一週間やそこらとはいえ、久々の故郷の風景は懐かしくもあり、自宅に着いた及川はホッとする思いでインターホンを押した。さすがに週末の夜。誰かいるだろう。
 しばらくすると母親がドアをあけてくれ、少しだけ及川は笑った。
「ただいまお母ちゃん」
「おかえりなさい。元気にしてた?」
「うん、バッチリ。でもちょっと疲れちゃったかな」
 そんな会話をしながら自宅にあがり、やや重い荷物を引きずって自分の部屋へ戻る。そうして純和風の畳部屋を視界に入れ、ふ、と及川は笑った。ベッドが苦手なわけではないが、やはり畳に布団という慣れた環境が一番落ち着く。
 グッと伸びをして、買ってきた土産類を家族に渡しにいき、そのまま及川はシャワーを浴びた。ちょうど夕食時で、夕食を済ませてから自室に戻り、スーツケースを片づける作業に入って「あ」と目を見開く。
 そういえば、と、挟まっていたスケッチにパリで出会ったの事を思い出したのだ。
 有名人とか言ってたっけ、と思い至って及川は好奇心からパソコンの電源を入れ、の名前を入力してみた。
「えー、なになに……氷帝学園卒業後、パリのリセに通い現役でエコール・デ・ボザールに合格し……」
 受賞歴も含めた経歴を読むもいまいち分からず、適当にブログやニュース等々を検索して、「は……?」と及川は目を見開いた。
「"ウィンブルドンのオープニングセレモニーにて、優勝候補の手塚選手と跡部財閥の跡部景吾氏と"――え、なにこれ手塚国光じゃん!!!」
 手塚国光、とは近年グランドスラム制覇の期待がかかっているトップランカーのプロテニス選手で、テニス畑にいない及川ですら知っている有名人である。驚いてページをスクロールしていくと、フレンチオープンにて、これまた及川どころか誰でも知っているであろう、スペインの有名選手と話しているの写真が現れてさすがに頬を引きつらせた。
「え、ナニコレ。マジでさん何者……?」
 パッと見たところ、テニス界と関わりが深いのかな、などと思いつつ記事を読み進め、何かの賞の受賞パーティのような記事でドレスアップしたと白人の青年複数の写真を見て、添えてある記事に及川はいっそ震えた。
「"ニースの富豪一家の出身であるアンソニー・ブラン氏はとは高校の同級生という縁もあり、ブラン家はと絵画の契約を複数結んでいる。政界に大きな影響力を持つシャレット家も彼女の絵を贔屓にしており、フランス画壇のいま一番有望な若手である"、"日本にもいくつもの関連企業を展開しているイギリス資本の跡部財閥とはもっとも関わりが深く、後継者である跡部景吾氏とは中学時代からの学友で――"」
 機械的に読み上げて、及川はうっすら自分の顔が白くなっていくのを感じた。
「……ナニこの世界……」
 及川にとってはあまりに非現実でリアリティのない世界であった。が、確かに写真に写っている人はパリで出会った人で。あの時の彼女は、いっそ違う世界の住人だったのか、と思うと一気に修学旅行での出来事が夢の中の出来事だったかのように思えてきた。
 けれども。でも。まだ覚えている。パリでサーブを打った感覚。教えて貰ったこと。夢の中の出来事のように非現実的だったが、覚えている。
 忘れないうちに練習したい。――という思いが一気に過ぎって、及川はそばにあったバレーボールを引き寄せてグッと握りしめた。明日の朝練は一番乗りをしようと誓う。
 それにしても。岩泉の携帯の履歴にの番号はまだ残っているだろうか? 知らなかった事とは言え、けっこうな価値かもしれないスケッチを貰ってしまった。改めて礼をしたほうがいいのでは――、と思いつつ、に貰ったスケッチを手にとって見据えた。
 やっぱり俺、真面目に美形だよな。お母ちゃん美しく産んでくれてありがと。と自ら思いつつ、んー、と唸る。そうして、そうだ、と思い至った。
 白鳥沢に勝ったら。そうしたらきっと連絡を入れよう。勝ったよ! って、伝えよう。
 パリ・バレーにもいつかまた行く機会でもあったら。おかげでナショナル行けました、って言える日が来るといいな……と、次第に襲ってきた眠気で及川は自分で自分がなにを考えているのかふわふわして分からない状態に陥った。
 なんとか絵を大事に仕舞って、久々の布団に潜り込む。安心する感覚だ。
 全部、夢だったのかもしれない。全てが非現実的だった。こういうの、胡蝶の夢、っていうんだっけ? あれ、違う? と眠気に支配された頭は思考回路が全く繋がらず、及川は逆らえないままに瞳を閉じた。

 その日に見た夢を、及川は起きたときには覚えていなかった。
 眩しい光の中で、トリコロールのボールが舞っていた。サービスエースに歓声があがったのが聞こえた。

 目覚めた先に待っていたのは、いつもの日常だ。



BACK TOP