――鳳がの家を訪れた翌週、火曜日の昼過ぎ。 鳳はそわそわしつつ携帯を握りしめてチラチラと時間を気にし、その足下ではフォルトゥナータがひときわ不機嫌そうな鳴き声と共に朝からピタリと鳳にまとわりついていた。 「フォルトゥナータったら、きっと長太郎の彼女が遊びに来るって分かってるのね」 「ね、姉さん! そんな、フォルトゥナータがそんなこと気にするわけないじゃないか」 「だって、朝からこの調子だもの。長太郎が彼女の家に行った日もずっと不機嫌だったじゃない」 「思い違いだよ。きっとフォルトゥナータだって彼女とすぐに仲良くなれるよ」 口を挟んできた姉にそう切り返せば、姉はやや呆れたような顔つきを浮かべたが気に留めている余裕は鳳にはなかった。 なにせ、これからが自分の家に来るのだし――と再び過ぎらせていると、携帯がメールを受信して鳳はハッとした。 には最寄り駅に付く少し前に連絡して欲しいと伝えてある。メールを読めば、やはりもうすぐ駅に着くという連絡で、鳳は迎えに行くと姉と母に告げて家を出た。 は一度宍戸と共に鳳の自宅へ招かれたことがあるゆえに、場所は覚えているという。ゆえに鳳は地上でしばし待ってると、程なくして待ち人の姿が見えて「あ」と笑みを零した。 「せんぱーい!」 手を振れば、彼女も気づいたのかこちらを向いて笑みを浮かべ、手を振ってくれた。 「こんにちは、鳳くん」 「こんにちは。わざわざ来て頂いてありがとうございます」 互いに歩み寄り、笑みを浮かべて鳳はやや違和感を覚えた。は白地にレースの織り込まれたトップスにネイビーのスカートという、いつもに増して清楚な装いで、ふわふわの髪は顔にかからないようにサイドをまとめてあった。薄い色のパンプスに涼しげなバッグといった小物使いはさすがパリジェンヌらしいセンスを感じさせたが、スカートの丈が明らかにの好みより長い。 が、これはこれで良いな……なんて惚けて見ていると、は何か感づいたのか少し不安げな顔を浮かべた。 「へ、変かな……? このかっこう」 「え!? いえ、すごくお似合いですよ。でも新鮮で……見とれてました」 「ほんと……?」 「ホントです」 まだ不安げなに笑いかけて、先導するように歩き出す。そうして道すがら、今日は母と姉が家にいることを告げるとは改めて緊張が走ったような表情を浮かべた。 「すみません、姉も同席したいと言い出してしまって……」 「う、ううん、大丈夫! でも、うまく話せるかな……」 「大丈夫ですよ」 「鳳くんのお家は猫も飼ってるんだよね」 「はい。シャム猫のメスなんです、可愛いですよ」 そういえば、と前回はに愛猫のフォルトゥナータを見せなかったことを鳳は過ぎらせた。今回はきっと会わせようと思う。がフォルトゥナータを抱いたらぜったいに可愛いはず、と浮かべた想像図にうっかり顔が綻びそうになる自分をどうにか叱咤して耐えていると自宅が見えきた。 「どうぞ」 「ありがとう」 門を開けてを中に入れ、庭を横切って玄関のインターホンを押す。 「ただいま、俺だよ」 「おかえりなさい。いま開けるわね」 常と変わらない母のおっとりした声がインターホンから流れてきて、が緊張気味に深呼吸をしたのが目の端に映って鳳は小さく笑みを零した。 程なくしてドアが開き、鳳の母が顔を出して笑みで2人を迎えてくれた。 「こんにちは、いらっしゃい」 「こ、こんにちは……! あの、改めまして、と申します」 「お久しぶりね。暑かったでしょう? さ、あがって」 「はい。おじゃまします」 鳳はと違い、母にも姉にも明確に「ブダペストで会った」を連れてくると伝えていたし、2人とも彼女が氷帝の先輩であることは既に知っている。姉や何やら面白がっていたが様子だったが、母は「あらそう」とおっとり返事をしたのみで、特に別の感想はない様子だったが――果たしてどうなのか。 取りあえずを客間に通してソファに座らせ、自身も座ろうとしていると、コンコン、と扉をノックする音が響いた。 「こんにちはー、いらっしゃい!」 扉が開いて緊張しつつもが自然とそちらを見れば、鳳の姉がお茶セットと思しき一式を抱えて現れ、ハッとすると同時に鳳がすぐに立ち上がって姉の方へ向かった。 「ありがとう姉さん。手伝うよ」 そんな声が聞こえてきて、家の中でもいつもとまったく変わらない鳳らしい様子に、ふ、と笑っていると対面に座っていた鳳の母がおっとりした顔で微笑んだ。 「お姉ちゃんにお茶の準備を頼んでたのよ。お紅茶は好きかしら?」 「え……、あ、はい。好きです」 「そう、良かったわ。それとお姉ちゃんがアップルパイを張り切って焼いたの。お口に合うといいんだけど……」 「俺が言うのもなんですけど、姉は御菓子作りだけは上手いんです。きっと美味しいと思います」 すると姉が「だけ、ってどういう意味かな?」と緩い笑みを零しながらボソッと鳳に呟いたあと、こちらに向き直って笑みを向けてくれた。 「改めてこんにちは。長太郎の姉です、よろしくね」 「あ、はい。といいます、こちらこそよろしくお願いします」 紅茶とケーキを並べてくれている姉に立ち上がって頭を下げ、ハッとしてまだ渡していなかった手土産の存在に気づいた。――タイミングを逃してしまった、と失態に気づくも致し方ない。どこかいいタイミングで渡そう、と切り替えて再びソファに腰を下ろす。 自身は紅茶よりもコーヒー派であるが、もちろん紅茶が嫌いということはなく、姉の手作りというアップルパイはクリームが添えられていて本当に美味しそうで、わあ、と感嘆の息が漏れた。 「美味しそう……!」 それになにより、テーブルに並べられたティーポットやソーサーはどことなく見覚えのある形で、は思ったままを口にしてみた。 「あ……このセット……もしかして、ヘレンド……ですか?」 丸みを帯びた可愛らしいフォルムはまさにヘレンドの特徴で、そういえば鳳の母は陶器収集が趣味と聞いていた気がする、と過ぎらせているとパアッと鳳の母の顔が華やいだ。 「あら、分かる? 私、ヘレンドがとても好きで……、あなたにお会いした時にブダペストでも色々と見て回ったのよ」 しかしながら物珍しかったものの、売り物自体は他の先進国に卸しているものの方が質が良かったりもしたらしく、そうなのかと興味深く聞きつつ姉の淹れてくれた紅茶を「いただきます」と手にとって見やった。全て手描きを誇るヘレンドにあって、かなり描き込まれたシリーズだ。相当な価格帯のものだろう。 「なんていうシリーズですか? すみません、勉強不足で……」 「リヒテンシュタインブーケのレッドスケールよ。なかなか手に入らなくて……注文して造っていただいたの」 縁取りは鮮やかなピンクで彩られ、名の通り花を散りばめた可愛らしい一品だ。綺麗だな、と見入っていると隣から鳳の苦笑いが漏れてきた。 「母さん、茶器にはほんと目がなくて……。博物館ができそうなくらい、コレクションで食器棚が埋まってるんですよ」 肩を竦める鳳に、は笑みをもらす。 「でも、どの茶器を使うか考えるの楽しそう……! 素敵なご趣味ですね」 口元を緩めて紅茶に口を付け、どうやらアップルパイを食べて欲しそうな姉の目線も気になってはアップルパイにフォークを通した。 「美味しい……! 美味しいです、すっごく」 すると手作りらしい温かみと完成度の高い味が口の中に広がって、は笑みを零した。 すれば鳳の姉が、くす、と笑みを零した気配が伝った。 「お口に合って良かったわー。ところでちゃん、ちゃんは長太郎の先輩だって聞いたけど……いつからこの子と付き合ってるの?」 「え……ッ!?」 ピタ、との手が固まり「姉さん!」と鳳が制止する声が聞こえるも、姉は興味深そうに「だって」と続ける。 「長太郎ったら教えてくれないんだもの。はぐらかされちゃって」 がちらりと鳳を見上げれば、彼はバツの悪そうな表情を浮かべており、さらに姉からは返答待ちの姿勢でジッと見つめられて一度小さく息を吐いた。 「二年前の春から……、お付き合いさせてもらってます」 「あら、じゃあ、あのブダペストの偶然が運命の再会になっちゃったのかしら?」 「姉さん……!」 鳳が先ほどより強い声で姉を制止し、は苦笑い混じりの笑みを零した。 すみません、先輩。と続けた鳳に首を振るって、再び紅茶に口を付ける。すると「ところで」と鳳の母がこちらに視線を向けてきた。 「さんはパリでは絵の勉強をされてるって以前にお聞きしたけど……今も続けていらっしゃるのかしら」 「あ、はい」 「将来はその道に?」 「はい、そのつもりです」 「じゃあ……そのままパリに住むことになるのかしら? 日本には戻らないの?」 言われて、少しだけ場の空気が強ばったような、複雑な空気が流れたが、はカップをソーサーに戻してしっかりと頷いた。 「はい。このままパリに残って……拠点はパリで、と考えています」 「そう……」 としては現時点で鳳との将来までは考えていないし、それに鳳はパリで就職したいと言ってくれている。が……、もしもの時は、それなりの心積もりをしなくては、と過ぎらせるも今は考えたくなくて、いったんそれは思考の彼方に追いやった。 鳳の母の方もそうだったのか、切り替えるようにティーカップを持ち上げて微笑んだ。 「長太郎はあっちではどう? ちゃんとしっかりやってるかしら……」 「母さん」 「だって、心配だもの……」 「そんな、子供じゃないんだから」 母の言い分に鳳は苦笑いを浮かべていた。鳳はこの家では末っ子でもあるのだ。自分にとって、どこか彼は「後輩」という意識があるのと同様に母の中でも鳳はいまもまだ小さいままの「末っ子」という意識もあるのだろうとは緩く笑った。 「長太郎さんは……とてもしっかりしていていつも頼りにしています。一緒にいると、とても安心します」 「せ、先輩……!」 すると鳳が少し目を丸めて、一瞬は鳳と顔を見合わせたものの、気恥ずかしくて少し頬を染め、俯いてから「そうだ」と小さく呟いた。渡しそびれていたお土産の存在を思い出したのだ。 「これ……パリのお土産です。ポワラーヌのクッキーなんです。お好きだと聞いたので……」 「あら、まあ……わざわざありがとう。そうなの、お紅茶にとてもよく合って、とても気に入っているの。嬉しいわ」 差し出せば、事前情報通り本当にお気に入りなのか鳳の母の顔は嬉しそうに綻び、は内心ホッと息を吐いた。 「さんはパリではどの辺りにお住まいなの?」 「6区に住んでます。セーヌ川のすぐ近くです」 「サンジェルマン教会まで歩いてすぐなんだ、彼女のアパルトマン」 すると鳳が地理的特徴を分かりやすく付け足し、としてはありがたいのと居たたまれない気持ちが同時に飛来して内心冷や汗をかいた。付き合っているのだから当然とはいえ、鳳の言い分は「恋人の部屋に入ったことがある」と暴露しているようなもので……と僅かに頬を染めていると、姉が面白げな視線を鳳に送っており、はますます居たたまれなさを覚えた。 が、母の方はそこまで気は回らなかったのだろう。 「あら、じゃあとても華やかなところにお住まいなのね。羨ましいわ」 「はい……便利な場所だと思います」 「毎日素敵なカフェでのんびりできるわね」 むろん自身は毎日カフェでのんびりなどはしていないが、「もしも鳳の母が6区に住んでいたら」きっとそういう日々を送るという想像をしたのだろう。少しだけ鳳の母が、鳳の家庭がどういう日々を送っているか見えた気がした。 むろんそれはの育った家庭とは違うもので、鳳はこの家で生まれ育って大きくなったんだな……という感慨もそこそこに、鳳は自身の姉が絶妙に切り込んでくる鋭い質問をかわすのに耐えかねたのか、ケーキを食べ終えて一息ついた絶妙のタイミングで早々に「そろそろ俺の部屋に行きませんか」と客間からを連れ出した。 |