文化祭最終日は、ほぼ片づけ作業に追われる形となる。 しかしながら2日に渡って行われたイベントや模擬店を評価する日でもあり、生徒達は登校して直ぐに配られた投票用紙の項目に記入して投票し、各クラスの文化委員は自クラスの売上高をまとめて文化委員会に報告をあげ、文化委員会と生徒会はそれらを開票・集計して午後に発表するという大仕事が用意されていた。 「正門のところのパネル外してきてー。手が空いてる人は掃除と、終わったら机運んできて美術室を元の状態に戻すよー」 美術部でも部長がてきぱきと指示を出して、みな撤収作業に勤しんでいる。はで自身の絵画を取り外して一つ一つ仕舞った。――後輩たちがどこかソワソワしている風なのが伝ってきたが、昨日の鳳とのことを追及されていないのはおそらく部長が何か釘を差してくれたのだろう。そのことはありがたかったが、と一通り仕舞い終えて、ふう、と息を吐いた。 「あっという間に終わっちゃったね、文化祭」 すると部長が話しかけてきて、うん、とは肩を竦めた。部長はどこかやり遂げたような、そして少しだけ寂しそうな表情を浮かべてしみじみ呟く。 「これで私たちもいよいよ引退かぁ……」 そうなのだ、文化系の部活は今日を最後に引退となる。つまり三年生全体が完全に進級及び進学準備に入り、今後の氷帝は二年生が中心となるのだ。 「でも、やるだけやったし……」 「はクラスの方もそうとう力入れてたんでしょ?」 「んー……、でも、あんまり手伝えなかったから……そこは残念かな」 まるで準備に追われていた日々が遠い昔のようだ。と自身のクラスのある本舎の方には視線を送り――そうしている間も3年C組はせっかく作った「なんでも写真館」を解体するのが惜しく、皆で記念撮影を繰り広げていた。 「こんなに力作揃いなのに、捨てちゃうの勿体ないよね」 「全部きっちり撮っておこーぜ!」 C組の生徒にとっても来客対応に追われていた二日間は自分たちで撮ることは叶わず、思い思いに自分たちの作った作品群をカメラに収めてから撤収作業に入った。 宍戸もまた、全てをカメラに収めていた。メインで作成した張本人はこの場にはいなかったが、せめてあとで見せてやろうと思う。 そうして陽もだいぶ傾きかけた頃――校内放送にて文化委員長による集計結果が伝えられる。 「えー、全校生徒の諸君。文化祭、大変お疲れさま! 諸君のおかげで例年にも増して大成功のうちに無事、終わることができた。厚く礼を言う! さっそくだが今年の文化祭の集計結果を発表する。まず売り上げ、クラス部門第一位――3年A組!」 その放送を聞いて、宍戸は「やっぱりな」と悪態を吐いた。跡部のクラスである。当然だろう。 「続いて部活部門、売り上げ第一位――男子テニス部!」 周りから「あー、やっぱりー」等の声があがるも宍戸は少しだけ目を見開いた。去年も一昨年もテニス部の模擬店は圧倒的な一位だったが、それは跡部の助力によるものだと思っていたというのに。 「やるじゃねぇか、アイツら」 日吉や鳳の代でもトップをキープしているとは。自分が思っている以上に後輩達は頼もしいのかもしれない、と思いつつつらつらと流れてくる委員長の声を聞きながら、取りあえずクラス内打ち上げの準備のために買い出しに行ってくれたクラスメイトの買ってきてくれた飲み物等を準備する。 「えー、そしてアイディア部門、最優秀特別賞。――3年C組! おめでとう!」 瞬間、宍戸の手が止まり……数秒後に周りからワッと歓声があがった。 「、すごーい! おめでとう!」 もまた、美術室でその放送を聞いており、部長から祝福を受けて頷いて礼を言いつつ口元に手を当てていた。そうこうしているうちに携帯が鳴り、ハッとして手に取る。 「はい」 「お前、まだ美術室か? 片づけまだ終わんねぇのかよ」 宍戸の声だ。どことなく声が弾んでいる。クラスは今の発表できっと盛り上がっているに違いない。 「うん、ちょうど終わったところ」 「なら、はやく戻ってこいよ!」 うん、と頷いて携帯を切り美術部の解散を待っては真っ先に自分のクラスを目指した。どこか身体の芯が疼くような、はやるような、不思議な高揚感だった。こんな気持ちで自分のクラスを目指したのは初めてのことだ。そうして扉を開けると、いきなり乾いた破裂音が耳に飛び込んでくる。 「わッ……!」 その音は連続して響き――ふわりと紙テープが幾重にも重なって頭に降ってきた。見るとクラスメイトたちが満面の笑みでクラッカーを手にしており、は破裂音の正体を悟った。 「おかえりー、ちゃん!」 「聞いたか? アイディア賞! やったなオイ!」 「頑張った甲斐あったよなー!」 あ……とは息を呑み、少しだけ涙腺が緩みそうになる感覚を覚えた。皆で放課後遅くまで残り、ペンキまみれで作業に没頭していたことがぶわっと一気にフラッシュバックする。 「そんな……、私、あんまり手伝えなくてごめんなさい」 「なに言ってんだか!」 「いいからはやく、こっちこっち!」 そうして引っ張られるままに皆の中に混じり、紙コップを手渡されてクラス全員での乾杯と相成った。 「お疲れさん」 「宍戸くん……」 すると宍戸が近づいてきて、自身の紙コップをのそれにこつんと当てる。そうして宍戸は微笑み、もほんのり微笑んだ。 「写真館、好評だったみたいだね……良かった」 「まぁな。ま、お前も俺たちもあんだけ頑張ったんだし、当然だろ!」 そうだね、とはなお口元を緩めた。 「私……夏の大会を見て、団体戦の空気を外側から見てるしかできなくて……ちょっと羨ましくなったの。チーム戦もいいな、って思って……」 「なんだ、それで張り切ってたのかよ」 「うん、それもあるけど……。やっぱり最後だから、やれるところまでやりたかったから」 少しだけ眉尻を下げると、宍戸もハッとしたように僅かに眉を寄せた。 「そう、だな」 宍戸達にとっても最後の文化祭。しかし彼らにとっては高等部に進み、また巡ってくるものでもある。だがだけは――その流れに乗れないのだと知って、宍戸は僅かに沈黙したのちに一気にジュースを喉へと流し込んだ。 そうして日も暮れかかったころ――いよいよラストイベントとなる後夜祭が始まる。 氷帝学園の後夜祭は、グラウンドに設置されたキャンプファイヤーの周りでのダンスパーティと決まっていた。他の学校と違うことは――これは跡部が決めたことであるが、社交ダンスを行うということだ。しかしながら氷帝は社交ダンスを体育の授業に取り入れており、また、元々覚えのあるものが多く特に批判は出ていない。11月の肌寒さも勢いよく燃えさかる炎と生徒達の熱気で気にならないというものだ。 打ち上げを終えて後片づけをしたのちにグラウンドへ出てみたは、集う生徒達をどことなくぼんやり眺めていた。毎年、この手のものは回避していたが――今年は、と思案しているとふいにあまり得意ではない声色が響いてくる。 「なんだ、。お前もしかして一人なのか?」 「跡部くん……」 跡部だ。しかしながら跡部の対応に気を遣っている暇もない。 「相手がいないようなら仕方ねぇ、俺様が踊ってや――」 すると跡部が何かを言い終わる前には探していた人物が目に入って「あ!」と声をあげた。 「宍戸くーん!」 居心地悪そうにキョロキョロしていた宍戸が傍に見えて小走りで駆け寄ると、おう、と宍戸も応える。そうしてはスッと手を差し出した。 「踊ろう」 「は……!? ちょ、待てよ――ッ」 そうして宍戸の手を取ると宍戸は慌てて狼狽える。 「俺、社交ダンスとか出来ねぇし」 「私もぜんぜんできないけど……せっかくだし」 「恥ずいだろーが!」 「でも……、最後だし……」 そう、にしても宍戸にしても普段は縁の遠いこの手のイベントだったが――最後、という思いが駆り立てたのか。はたまた夕闇と炎と音楽で彩られたこの場が非日常のなかの非日常だったからか。打ち上げの余韻のままに宍戸は「仕方ねぇな」とそっぽを向きつつ渋々了承する。そして気恥ずかしそうにステップを踏む宍戸を見て、はゆるく笑った。いつの間にか一緒にいることが当たり前となっていた、例えそれが友情でも、この日の絆は一生消えはしないだろう。 そんな二人を見やる跡部のそばに歩いてきた長身の人影が「あ……」と色のない声で呟いた。 「ん……? なんだ、鳳か……」 跡部の目に、無言で瞳を揺らしながらと宍戸を見つめる鳳の姿が映り――、ふ、と跡部は視線を流す。 「どうした鳳。嫉妬でもしてんのか?」 「え……!?」 「どっちに、だ?」 どっち――。跡部にも鳳の心理は完全には読めなかったのだろう。問われた鳳は返事に窮してなおと宍戸を見つめた。今さら、宍戸のことを気にしているわけでもないが――やはりあの二人に自分は割って入れないのだ、と思い知らされる。もっとも尊敬する宍戸の親しい異性である。そのにとってもおそらく一番身近な男である宍戸。羨望なのか憧憬なのか――妬みなのか。この感情はどこに向いているのだ、と跡部のなにげない一言に自問していると跡部は呆れたよな声を漏らした。 「にしても、酷いステップワークだな。なんだあれは」 パチパチ、と遠くで火の粉が舞った。流れるワルツと生徒達の笑い声。しばし彼らを見やっていると、やがてワルツは終わりを告げ――と宍戸は互いの手を離してそろってこちらを向いた。そうして宍戸は「ゲッ」という面もちを、は真っ先に鳳を見やって目を見開いている。 「宍戸、お前……社交ダンスをナメてんのか? なんだあのザマは」 「う、うるせぇよ跡部。ほっとけ」 宍戸としては一番見られたくない相手に目撃されたせいだろう。狼狽える顔がすっかり赤くなっている。そんな宍戸の横をすり抜けて、鳳はスッとの前に進み出ると左手を差し出した。 「次は……俺と踊ってください、先輩」 ただでさえ跡部がいて女生徒たちはこちらを気にしていたというのに、宍戸に加えて鳳まで現れ、より人目を引いており――ザワッと辺りがざわめいた。 「お、鳳くん……」 は困惑気味に呟く。いっそ鳳の真っ直ぐな視線が痛いほどだ。 「あ……その、私……ダンス上手くないし……」 「平気ですよ、俺、ちゃんとリードしますから」 「でも……」 すると鳳は真っ直ぐだった瞳を少し曇らせ、ほんの少しだけ眉を寄せた。 「イヤ……ですか?」 つ、とは息を呑む。そうしてしばし鳳を見つめたのち、小さく首を横に振るった。 「ううん……」 「良かった! じゃあ……」 途端に鳳はパッと日が差したように笑い、改めて右手を胸に当てて丁寧に左手を差し出してきた。 「はい。お手をどうぞ」 「――うん」 は少しまごついたものの、数秒ののちに、ふ、と笑ってその手を取る。そうしてそのままオープンスペースまで歩いていって互いに微笑み合い、組み合って再び流れ出したワルツの調べの身を委ねた。 刺さるような視線の渦だ。もしかすると跡部と話している時の比ではないかもしれない――と少しが気をそらすとどうしたのかと鳳が尋ね、言ってみると鳳はキョトンとする。 「気になりますか……?」 訊かれて――は僅かに目を見開いた。そうだ。別に自分たちは何も、誰にも隠すことなどありはしない。もしも気になることがあるとすれば――それは――と考えて眉を寄せてからは「ううん」と首を振るった。 鳳はそこそこ社交ダンスに慣れているのだろう。危なげのないリードでとしても動きやすく、しかしヒールを履いているわけでもないため常に首を上向けておらねばならず、それは鳳も気付いていたのだろう。少しだけ下向いて目線を合わせてくれている。 「昨日のね、日吉くんとの試合……」 「あ、見ててくれました?」 「うん。最後はサーブがグラウンドに埋まっちゃうんだもん、びっくりしちゃった」 へへ、と鳳がいつものようにはにかむ。間近でその表情が炎と夕暮れのオレンジで彩られ――は痛いほどに胸が締め付けられる感覚を覚えた。ブレザー越しだというのに、鳳の鍛えられた右肩に乗せた手からじんわり熱が伝わるようで、熱い。こうして傍で鳳の声を聞くことも、力強さを感じることも、触れることももう叶わなくなるのだ。しかし、それは自分で選んだこと。後悔などしていない――が。 「もう鳳くんのテニスも……ピアノも……聴けなくなっちゃうね」 小さく呟くと、え、と鳳が反応した。 「卒業、するからですか? でも、高等部と中等部なんてそんなに離れてませんし……いつでも聴きにきてください」 励ますような声だ。そうだ――事実、自分が氷帝の高等部へ進むのであればその通りなのだろう。しかし、例えそうであったとしても近い将来に待つ結果は変わらない。いずれは別れなければいけない――自分はそういう生き方をするのだと決めていたというのに、なぜ、こうも思い切りが悪いのだろう。だけどそれも今日までだ。区切りをつけると決めた。だから――今だけ。 「お祭りって……、時間と時間の間にある、って話……知ってる?」 「え? あ……祝祭論、かな。はっきりとは知りませんけど……。はい、日常と非日常ということですよね」 うん、と呟いては少し瞳を伏せる。この後夜祭が終われば――また明日という日常を未来へ向けて生きていかなければならない。それはおそらく、自分にとっては輝かしい未来かもしれない。そしてそれを誰よりも望んでいるのは他ならぬ自分だ。けれども、その未来に鳳はいない。分かっているというのに――。 「このまま……。このまま、ずっとこのままで、本当に時間が止まってしまえばいいのに。そうしたら……」 「先輩……?」 「そうしたら……こうして、このまま、ずっと、鳳くんと……離れないで、済む、のに」 目尻が熱い。でも苦しくて、視界が滲みそうになっていると鳳は驚いたように僅かに目を見開いたものの薄く優しく微笑んだ。 「大げさですよ、先輩。いつでも会えるじゃないですか」 それは鳳がも氷帝の高等部に進むと信じ切っているからの発言だろう。その鳳の優しさが痛くて、苦しくて、懸命に浮かべた笑みが歪みそうになるのをどうにか耐えては小さく首を振るった。 「ダメ……なの。もう会えない」 「え……?」 「私ね……、私……」 そうしてはごくりと息を呑む。どういう意味だ、と疑問を寄せる鳳に向かい、一度スッと息を吸い込んでから真っ直ぐ見上げる。 「春から、フランスに行くの。あっちの高校に入って、美術学校に行って、ずっと勉強するから……どんなに短くても、きっと10年は日本に戻らない……。だから……」 大きく鳳の目が見開かれた。身体が強ばったのも背中に添えられた鳳の右手から、組んだ左手からダイレクトに伝った。 「そん……な」 「……ごめんね……」 なにが「ごめん」なのか分からないまま、はそう告げていた。そうしてステップを踏む足を止め、そのまま鳳の胸に額をつくと――周囲からどよめきが沸くもの耳には届かない。 鳳もホールドを崩しての背に回していた手をそっと後頭部に添え――の手を握る左手にいっそう力を込めた。 「先輩……」 「お願い……もう少しだけ……このままでいさせて」 震えているのはどちらの身体か分からない。髪にかかる鳳の息が熱い。けれども鳳の胸に身体を預けていると不思議と安堵して、だというのになぜか涙と寂しさが込み上げて――いつしかワルツが終わり、また始まって――どれほどそうしていただろう。 本当に時間を止められるのなら、永遠にこの祝祭の中で生きていきたい。触れていると余計に様々な想いが巡って、鳳と出会った日のこと、まだあどけなさの残る笑顔、真っ直ぐで穏やかな眼差し、腕が折れてもサーブを打つと立ち向かった逞しさ。溢れる思い出を抱えて、そうしてこの力強い腕の中に全てを閉じこめて立ち止まっていたい。 けれども、それは叶わない願いだ。人は、祝祭を抜け出して元の時間軸へとまた戻らなければならないのだから。こうして過去を統合して、未来へ向かわなければならない。 ワルツの終わりが耳に入り、は諦めたように眉を寄せると、そっと鳳の胸から顔をあげた。 「ごめんね……。みっともない真似しちゃって」 「いえ、そんな……!」 もう立ち止まっていてはいけない。懸命に笑みを浮かべては鳳を見やる。 「テニス、頑張ってね。来年はぜったい、関東大会優勝して、それから――」 「そんな、なにも今すぐお別れみたいな言い方……ッ」 鳳はが何を言おうとしたか察したのだろう。しかしは再び小さく首を振るった。 「もう、私たち……会わない方がいいと思う。だから……」 そうして鳳から離れようとしたを引き留めるように鳳は自身の左手に力を込めた。いつの間にか指を絡めるようにして握っていた手を――、しかしは一瞬だけ瞳を揺らしてから、ゆっくりと解いた。離れる間際に鳳が愕然としたように首を振るう。唇の形が「イヤだ」と動いたように見えた。けれどは一歩後ろにさがって、懸命にそらしそうになる瞳を鳳と合わせる。 「さよなら……」 そうして背を向け――ふわりと夜風に揺れる髪をそのままに、鳳の方も、宍戸たちの方も振り返ることなく生徒達の渦のなかへとゆっくりと歩いていった。 残された鳳は愕然とその場に立ち尽くして頬を震わせていた。 「先、輩……」 パチパチ、と遠くで火の粉が舞った。再び流れ出すワルツと生徒達の笑い声。けれども鳳は動けずに、を追うこともできずただ惚けているしか出来ることはなかった。 「長太郎? どうした――ッ」 さすがに様子がおかしいと感づいたのだろう。宍戸が案ずるようにこちらに駆けてきたが、鳳は宍戸へ視線を向けることさえ叶わなかった。 「先輩……俺に、さよなら、って……。どうして……俺……」 声が震えているのが分かったが、もはや自分でもどうしようもない。聞いていた宍戸が、つ、と息を詰めた気配が伝った。 「お前……。そうか……」 しかし宍戸はそれ以上なにも言わなかった。 ただ、生徒達が楽しげに舞い踊り――、なにもかもが自分と隔絶した世界のように鳳は感じた。 |