「ハレとケ」という言葉をご存じだろうか。
 非日常と日常。表と裏。この概念は日本人独特のものではあるが、突き詰めていけばどんな民族でも変わらない。
 連続する時間は誰に対しても等しく流れていき、人は立ち止まることさえ叶わない。だから――人は「祝祭」を、「ハレ」を求めた。日常から抜け出すことで”時間”という縛りを忘れ、過去を見つめて未来を見据えた。いわば、祝祭とは時空の狭間にあると言っていい。日常を忘れ、立ち止まって、未来へ向かう。そうして祝祭を、祭りを通して人はまた連続する時間の中へと身を投じるのだ。

 文化祭、という祭りもまた生徒達にとっては確実に「ハレ」の場であった。
 この祭りが終わるまでの三日間だけは、彼らの「日常」は停止して異空間で生きていると言っても過言ではない。
 
 11月も下旬の――この時期は慣例的に「晴れ」る傾向にある。
 文化祭初日も見事な秋晴れで、彼らの学びの場である”氷帝学園”といういつもの日常を脱した非日常の場所に生徒達は集った。華々しく飾られた正門から続く校庭には様々な部活動の模擬店が並んでおり――このクオリティは潤沢な予算と生徒達の奮闘の両方がなければ成立しなかっただろう。
 本日は金曜ゆえに一般来場はできない。ゆえに開放日である明日に備えるための予行のようなものだったが、だからこそ氷帝生だけでゆっくり模擬店や展示会場を見て回れるというメリットがある。が、文化部に所属する人間や、部活に入っている1、2年生はクラスと部活の往復で自由時間などという甘い誘惑は無きに等しい。
「日吉ー、笑顔笑顔!」
「おかしくもないのになぜ笑わなければならない」
「そういう問題じゃないだろ、ほら!」
 まず登校してすぐにテニス部の喫茶店に顔を出した鳳は、どう言っても接客業の基本である「笑顔」を浮かべられない部長に通算何度目になるか分からない注意を飛ばしていた。が、相も変わらずブスっとした表情を崩さない日吉相手では結局のところ暖簾に腕押しである。
「もういいだろ。俺は奥に引っ込んでるからお前たちでやればいい」
「なに言ってるんだよ、部長だろ日吉は」
「お前、都合の良いときだけ"部長"推ししてくるのそろそろやめろ」
 開店が迫っているというのに何をやっているのだろう。言い合いを始めた二人の前にヌッと大きな影が割って入ってきた。
「仏頂面の部長……です。……ウス」
 途端、ハッと二人は声の主を見上げて再びお互いの顔を見合わせた。
「か、樺地が……樺地が……いまのってギャグ……?」
「お、俺にもそう聞こえたぞ」
「ていうか日吉、ほら、樺地もこんなに日吉を笑わせようと必死なんだよ。そうだろ、樺地?」
「ウス」
「ほら、分かった? 行くよ――ッ」
 樺地乱入のおかげでどうにか日吉を押し切ることに成功した鳳は、そのまま正レギュラー・準レギュラー陣と共に客用ブースの方へ繰り出した。
「いらっしゃいませー! ようこそ氷帝学園テニス部へ!」
 圧倒的な部員数、圧倒的な実績、さらに生徒会長の後押しを誇るテニス部はメインストリートの一番いい場所、広いスペースを勝ち取れて、鳳の案で「西洋風のオープンカフェ」スタイルの喫茶店と相成った。屋外用の赤外線ガスヒーターをインテリア風に飾れば、11月の肌寒さも気にならないというものだ。
 レギュラー陣が表に顔を出すと、さっそく並んでいた女性陣から黄色い歓声が飛んだ。それに日吉は益々仏頂面を深め、鳳はにこにこと対応して接客に追われる。ともあれ部員数だけは確保できているため、厨房も接客も人手不足となることはないだろう。
 本来ならば部長には「顔」として表に出ていてもらい、鳳もそう人前に立ちたいタイプではないため引っ込んで裏から指示を出したかったが鳳自身がテニス部に構っている暇もなく、日吉が早々に裏に引っ込んだため日吉がテニス部にいる時は日吉が、日吉がクラスに戻った時には樺地がこの場を回すということで鳳はテニス部はそこそこに自分のクラスである2年C組へと移動した。
 2年C組の催し物はプラネタリウム。ともかく教室中に暗幕を張りドーム状の枠組みを作るという仕込み作業に時間はかかったものの、当日はそうやることは多くはない。それでもピンボールで夜空を映し出すだけでは芸がないということで、自分たちでメジャーな星座を壁に貼り付け、物理部や文芸部が中心となって星座の成り立ちや神話を来場者に向けて解説するというオプションも付けた。
「あ、鳳君。テニス部はもういいの?」
「うん、ちょっと手が空いたから。こっちも気になっちゃってさ、のぞいてもいいかい?」
「自分のクラスじゃん。いいに決まってるよー」
 受け付けのクラスメイトとそんなやりとりをしたのちに、鳳は扉をくぐってプラネタリウムと化した自分のクラスに足を踏み入れた。とたんに辺りは真夜中に変わり、満点の夜空がこちらを見下ろしてきて思わず感嘆の息を吐いてしまう。
「キレイだな……」
 即席とはいえ十分なクオリティだ。ピンボールを弄れば神話の星座が光線で形取られてクラスメイトが説明している声が耳に入り――、客側として来てみたいものだ、と口元を緩めた。すぐ傍を女生徒の数人組やカップルが通り過ぎて鳳はふと「にも見せたいな」との思いが過ぎった。見上げれば宝石箱のような空、静かに響き渡るサックスのBGM、様々な星の話。きっと気に入ってくれるだろうに、と思いつつプラネタリウムを出て受け付けへと移動する。すると先ほどのクラスメイトが「なかなかでしょ?」と訊いてきたものだから笑って頷き、そのまま受け付け作業を手伝った。
 テニス部は取りあえず日吉達に任せて、C組の来場数や状況を文化委員会用にまとめて、とやらなければならない仕事について考え込んでいると「ねえ」と横からクラスメイトが話しかけてきた。
「鳳君、忙しそうだけど……模擬店回る時間とか取れるの?」
「え? どうかな……。でも少しは取りたいと思うけどね、気になるブースもあるし」
「そっか。あの、さ……誰と回るかとか、もう約束してる?」
 どことなく遠慮がちに訊かれて、え、と鳳は目を見開いた。そうしてうーんと思案して口元に手を当ててから少しだけ肩を竦めて笑う。
「約束はしてないな……」
「そ、そうなの!? じゃあ――」
「一緒に回りたい人はいるんだけど……、誘えてなくて」
「あ……ッ! そ、そう……なんだ」
「うん。でも、どうしてだい?」
「え!? う、ううん! ううん! な、なんでもない、気にしないで!!」
 すると彼女は全力で手をブンブンと振り乱して、鳳は首を捻った。しかしすぐに次の来場者が現れてそちらに意識を移してしまい、意識が切り替わる。そうして午前中はクラスを手伝うと鳳はいったんテニス部に戻った。まかない食にて手早くランチを済ませるためだ。向かいには一つ下の後輩がいて、鳳が現れるとぺこりと頭を下げた。
「副部長、さっき向日先輩と忍足先輩が来られてましたよ」
「へぇ……。なにか言ってた?」
「え、それがその……"こんなキザったらしいブース考えたの鳳のヤツだろ!?"とかって……。あ、でも忍足先輩はすごく誉めてくださいました!」
 後輩がうっかり口を滑らせて慌て、あはは、と鳳は肩を揺らす。
「向日さんは俺のこと、なにかと目の敵にしてるからなぁ……」
 むろん、目の敵、というのは冗談で向日にしてみれば自分は「でっかくて見下ろしてくるイヤな後輩」らしく何かにつけては突っかかってくるのがお約束となっているだけなのだが。光景が目に浮かぶようで今となっては懐かしいものだ。
「でもキザったらしいは心外だな、跡部さんがいたころのほうがよっぽど派手だったんだし。……ああゴメン、キミは知らないよね」
 いえ、と後輩は首を振るってからグッと手を握りしめた。
「俺、明日のエキシビションマッチ、すげー楽しみにしてます! 俺、鳳副部長に投票して――ッ あ……」
 そしてそんなことを言って勝手に言葉に詰まった後輩に鳳は目を大きく見開いた。
 エキシビションマッチ、とは文化祭において唯一の運動部の活躍の場であり主要イベントの一つで――テニス部、サッカー部、バスケ部などの主要運動部が文字通りエキシビションマッチを繰り広げるものなのだが、選手の選抜方法は全校生徒の投票によって決まるのだ。
 つまるところ、目の前の後輩はテニス部の投票において鳳に一票を投じたということだろう。焦りつつ後輩は更に拳を握りしめて鳳に熱い視線を送った。
「お、俺……その、副部長のことすげー尊敬してるんです! ネオスカッドなんて格好良すぎで、公式戦も全勝だし、副部長のサーブがあれば絶対負けない! って気がするんですよね! 俺もいつか副部長みたいなサーブ打てるよう頑張ります!」
 開票の結果、テニス部はおおかたの予想通り日吉と鳳の一騎打ちとなった。選ばれたこと自体は光栄に感じていた鳳だったが――目の前でこう言われるとは、と思わず口元を覆う。自分などまだまだでここまで言われると恐縮であるのと当時に、彼にとっては自分は紛れもなく「先輩」で、今まで自分が先輩達に感じていた「憧憬」を向けられているのだと思うと嬉しいような気恥ずかしいような。対処に困って鳳は肩を竦めたまま笑った。
「ありがとう、頑張るよ」
「――は、はい!」
「まあ、相手は部長だから……負かしちゃったら機嫌損ねるかもしれないけど」
 そうして対戦相手の顔を浮かべて苦い笑いに変えつつ、先輩後輩か、と鳳は少しばかり追想に入った。氷帝学園に入学する前、文化祭に足を運んだことがあったっけ。その年の文化祭から跡部財閥の援助が入ってやたらと規模が大きくなり――テニス部の派手さにも驚かされたが、自分にとってはやはり美術部での作品を見たことが一番印象に残っている。あの時はおそらくその場にがおらず会えず終いだったが、いずれ中等部にあがれば会えるのだと勝手に楽しみにしていたものだ。
 あれから丸二年か――と鳳は目を伏せた。あの時、彼女に向けていた感情ははっきり分かる。「憧憬」という言葉で表せるものだ。だが、今は……と思考に沈んでいる暇もなく雑談もそこそこに昼食を終えると鳳は再び2年C組に戻ってクラスの状況をチェックした。実行委員会と言っても2年はどちらかというと下っ端で、自身のクラスの進行具合をきっちり押さえてきちんと報告できれば一通りは全うできたと言っていい。が、報告書の中には文化祭全体を見てチェックしていく項目もあり、「うーん」と唸る。大まかに文化祭を見て回ればいいということで、フリーなのか仕事なのか良く分からなかったが、鳳はおおよその仕事を今日中に終わらせておこうと思った。なにせ明日は今日以上に忙しいだろうことは目に見えているからだ。
 明るく活気づく一年の校舎をまわり、しかしテニス部員は単純計算でひと学年に70人ほど在籍しているため至る所から「副部長!」と声が飛んで気恥ずかしかった鳳はそうそうに一年生の校舎を出ると3年生が使っている校舎を見据えた。普段は近寄りがたい場所であるものの、今日ばかりは足を踏み入れても許されるというものだ。
「跡部さんのクラスは……、"イギリス伝統のアフタヌーンティが楽しめる本格的紅茶喫茶"か。なんかテニス部と被ってるなぁ……」
 しかも、明らかに割り振られた予算外だろうと見て取れる豪奢な飾り付けを施された3年A組を前にして鳳は一瞬フリーズしたのちに苦笑いを漏らした。これでこそ跡部のクラスだ、とも思いつつ少しばかり気持ちの高揚を覚えて3年C組の方を見やる。――宍戸と芥川、そしてのクラスだ。
「あ、鳳じゃん! いらっしゃーーい!!」
「ジロー先輩……」
 受け付けにいたらしき芥川がこちらを見るなりハイテンションで手を振ってきて、珍しく起きている彼に拍子抜けしてしまう。
「お疲れさまです。どうですか? 調子は」
「けっこうお客さん入ってんじゃないのー? 俺も宍戸にぜったい寝るなって言われてるC〜!! さァ入った入った!」
「あ……はい、ありがとうございます」
 意外と彼はイベント好きなのかもしれない、と覚醒状態の芥川に調子を狂わされつつ鳳はゲートをくぐった。すると――まるで映画のロケ地を密集したような光景が飛び込んできて鳳は目を見張った。左の視界は西洋風の美しい風景が描きだされ、かと思うと右の視界は日本の夏祭りを模したのか露店のパネルの前で浴衣を着た女生徒が笑っている。そうして、みな様々に携帯やデジカメなどで撮影を楽しんでいる様子が映ってあっけに取られていると、「よう」と誰かが声をかけてきた。
「長太郎じゃねぇか、どうした?」
 宍戸の声だ。ハッとして意識を声の主である宍戸に移すと、黒のウィッチハットにマントらしきものを羽織っている彼がいて鳳はなお目を剥いた。
「し、宍戸さん!? 一体どうしたんですか、その格好!」
「バッ……、ア、アホ! あんま、突っ込むんじゃねぇよ」
 すると宍戸も指摘されると気恥ずかしかったのだろう。気まずげに声を荒げてから、クイッと後ろのパネルを見るようジェスチャーした。するとそこには収穫祭らしき背景が描きだされており、周りにはジャックランタンが複数転がっていて面白おかしく「ハロウィン」を撮る場所だと見て取れた。宍戸はその際の出演役となるのだろう。
 へぇ、と鳳が感心していると近くで女生徒からの黄色い歓声があがる。
「鳳君だー! ねえ鳳長太郎君だよー!」
「あ、ホントだー!」
 そうして複数の女生徒がぐわっとこちらに集まってきてしまい、彼女たちは我先にと宍戸に携帯電話を突きだして口々にこう言い放った。
「宍戸、あんた写真撮りなさいよ、私たち鳳君と写るから!」
「な、何言ってんだよ女子ども!! なんで仮装までしてる俺が撮ってやらなきゃなんねぇんだよ」
「いやアンタの写真いらないし別に、だから撮り係」
 宍戸は威嚇するも複数相手だと多勢に無勢だったのだろう。渋々とカメラを構えて、鳳はというと有無を言わさず女子の先輩たちの集団に取り囲まれてそのままハロウィンブース前で記念撮影と相成った。
 そうして嵐が過ぎ去るようにしばらく写真を撮られ続けていた鳳に、一通り終わって宍戸は「悪ぃな」と告げ、鳳は「いいえ」と息を吐きつつ薄く笑った。
「にしても、なかなか面白いですね。色々なシチュエーションで写真が撮れるというのもいいアイディアですし……それに、背景すべて手描き……ですよね? こんなに上手いなんて……」
 そうなのだ。パネルにしても背景に引き伸ばし写真などを使わず全部人の手によって描かれているのだ。確かに文化祭らしい温かみは手描きのほうが出るだろうが、クオリティは下がる場合の方が多い。だというのに、どうだろう? むしろ手描きによって何倍もリアリティと幻想さが増している。もしかして、と鳳が呟くと宍戸は腕を組んで当然のように笑った。
「そりゃそうだろ。全部の仕上げ、が担当してんだしよ」
「あ……! やっぱり、そうなんですね……」
 どことなく色遣いといいタッチといい見覚えがあると思ったら、と鳳は納得した。にしてもこれほどの量をこなすとは、よほど大変だったに違いない。
「しかもアイツ、写真の撮り方まで皆にレクチャーしてたぜ。張り切りすぎっつーか、やりすぎっつーか」
 悪態を吐きつつも宍戸は心配げに眉を寄せ――鳳は自分の想像以上にが多忙を極めていたことを悟った。
「先輩は……」
「美術部だろ。朝に一度こっち顔を出したきり戻ってきてねぇし」
 そうだよな、と肩を落とす鳳が宍戸にどう映ったかは分からない。しかし宍戸は「よし」と切り替えたように言うとバシッと鳳の背を叩いた。
「せっかくだし、写真撮ってやるよ。ケータイ貸せ」
「え……!?」
「ほら、好きな場所選べよ」
 そうして宍戸は鳳の携帯電話を半ば無理やりに奪い、あっけに取られつつも鳳は改めて教室の中をぐるりと見やった。様々な国、ファンタジーの世界、まさに行きたい放題だ。けれど――と鳳はあるパネルに惹かれて数歩そちらに近寄る。差し込む西日、染まるプラタナスの木々、石畳の続く道が描きだされていて、夕暮れの物悲しさというよりは何とも言えない豊かさを醸し出しており……脇に「黄金の秋」と題された文字が見えて、ああ、と唸っていると宍戸が後ろからひょいと覗き込んでくる。
「お、そのパネル、3年にすげー人気あるんだよな」
「宍戸さん、これって……」
「去年、修学旅行で行ったドイツのローテンブルクなんだが……、日程の都合でバスから見るだけで素通りしちまってよ。そのせいか3年のほぼ全員がこのパネル前で立ち止まるんだよな。あの景色の中に立てなかったのが心残りだったんだろうよ。もそのパネルに一番力入れてたっぽいしな」
 それはまさに「過去」と「今」を繋ぐものだったのだろう。まるで石畳の道がその場へと続いているようだ。明らかにがほとんど自分で描いたのだと分かるタッチで、これが彼女の瞳に映っていた風景か、と追うように辿ると突如として「カシャ」と携帯カメラのシャッターを切る音が聞こえた。
「し、宍戸さん!?」
「お、悪くねぇぞ。見てみろ」
 驚いて振り返ると宍戸は悪びれもせず携帯を差し出してきて――受け取った鳳は息を呑んだ。暗幕とオレンジで塗られた板を絶妙に使って、あたかもパネル前に立つ人物に西日があたっているかのように工夫された演出が効いており、更に、どう撮ればそう映るかもよく練習したのだろう。まるで鳳がプラタナスのそばに佇んでいるかのような場面が撮れていて、見入って言葉を失ってしまう。
「けっこう本物っぽく映ってんだろ?」
「あ……はい。凄いな……本当にローテンブルクに居るみたいだ。これは……3年生は喜ぶでしょうね」
 そしてまるで、自分も彼らと一緒にその場に行ったかのようだ。と少し頬を緩めているといきなり携帯が震えた。「わ」と呟いて慌てて受信ボタンを押す。
「はい! ――うん、うん。いま3年生の校舎だけど……日吉は? ――うん、分かった。すぐ行くよ」
「どうした?」
「テニス部なんですけど、日吉がクラスに戻ってて樺地も生徒会に顔を出さなきゃとかで……戻ってきてくれ、って言われました」
 ぱたん、と携帯を閉じてポケットに仕舞いつつ「それじゃ」と鳳は宍戸に向き直る。もう少し見学していたかったが、そうも言っていられない。
「お前も忙しそうだな。まァ、頑張れよ」
「はい。宍戸さんもお時間があれば俺のクラスに来てください」
 バタバタと3年の校舎を去ってテニス部のブースに向かう。途中、特別教室棟の方をちらりと見やって鳳は切望の眼差しを向けていた。会いたいな――と限界に近い気持ちを忙しさにかまけて抑え込むのも慣れたものだと思っていた。が、そろそろ本当に会いたい。会いたい。けれど、またも気持ちにフタをして鳳はテニス部ブースに急いだ。
 結局その日は閉店時間までテニス部での作業に追われ――文化祭初日はそのまま幕を閉じた。



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