休日――日曜の朝、宍戸、鳳、幸村の三人は揃ってUー17合宿所を出た。
 合宿所は山の奥に建てられているため、下山して町に出るだけでも一苦労である。
「改めて見ると……、ここの景色はすばらしいですね」
「そうだね。俺たちがここに来たときから随分と変化したものだね。この晩夏から秋への移り変わりは日本のすばらしい所の一つだと思うよ」
 なんだかんだで幸村と鳳はフィーリングが合うのか和やかに話をしており、宍戸はぶっきらぼうにポケットに両手を突っ込みつつホッと胸をなで下ろした。
 テニスから離れれば幸村と鳳は共通の話題も多く、宍戸はやはりついていけず、しかしながら氷帝にいれば彼らの好むような「お上品な会話」は日常茶飯事である。スルーするのは宍戸としても慣れており、無言で二人の話を耳に入れながら数十分も歩けば、ようやく町らしい風景が見えてきた。
 時間は九時半過ぎと言ったところだ。との約束である十時には十分に間に合うだろう。
 しかし――、と宍戸は眉を曲げた。二人から一歩退いて歩いているとイヤでも目に付くことであるが、彼らの出で立ちはかなり目立つらしく、年齢の高低を問わずすれ違う女性達が彼らのことを注視しているのが分かり、チッ、と小さく舌打ちをした。
 小さな駅であるゆえ、鳳はに「駅前で待ってます」としか伝えてないらしく。しかしそれだけで十分事足りる簡素な駅前ロータリーにて三人はしばし待った。
 端から見たら結構なガタイの男が三人、出待ちをしている光景は奇妙だったかもしれないが、宍戸にしても都心から来る電車が駅に止まったのを確認すると妙に胸が騒いだ。
 激ダサ、と小さく舌を打つ。たかがに会うだけで、何を緊張しているというのだろう? などとイライラを募らせていると、少ない降車客に混じって見知った背格好が見え、無意識に宍戸は目を見開いた。
「せんぱーい!」
 隣で鳳が弾んだ声をあげ、それを受けた人物――がこちらに視線を向ける。
「鳳く――、あれ……?」
 にしてみれば鳳の隣に自身がいたことが予想外だったのだろう。想定内の反応なだけに、宍戸はフイとから目をそらした。
「宍戸くん……?」
 やはり自身がついてきては迷惑だっただろうか。などと考える間もなくはこちらに歩いてきて疑問を寄せた。
 宍戸が答えるより先に鳳が口を開く。
「先輩、すみません。わざわざ来ていただいて……。俺たち、行動範囲をかなり制限されているもので」
「ううん。山の方の紅葉を見に行きたかったから、来られて嬉しい……」
 一方のは鳳に笑いかける反面、幸村の存在も気にかかったようだ。それも当然だろう。いくら立海大の部長といえど、にとっては関係ないに等しいのだから。
 察したのか、幸村は一歩の方に歩み寄って柔らかく微笑んでみせた。
「初めまして……じゃ、ないんだけど。俺は幸村精市、神奈川の立海大付属テニス部の部長なんだ。突然で驚かせてしまうかもしれないけど……俺のこと、覚えてないかな? さん」
「え……? あ、あの……」
「三年くらい前の小さな展覧会で、俺は君に絵を貰ったんだ。君は自分の絵を見上げてて、俺が話しかけて――」
 幸村は自分とが出会った時の様子を穏やかに語って聞かせた。
 その様子を見守りながら、宍戸は無意識に喉を鳴らした。とは一月以上会っていないが、一月やそこらで出で立ちが変わるわけもなく、普段と変わらない。だというのに、先ほどから不覚にもなぜか視線が惹きつけられ――不覚にも「コイツ、こんなに可愛かったか?」などと感じてしまった。
 外界から隔離された生活で「女」とまともに接するのが、およそ一月ぶりだからだろうか?
 普段の生活であれば、街中は異性で溢れているし、学校も共学であるし、別段そこに異性がいることを意識することはないのだが――見慣れたでさえ、いや見慣れているからこそか、吸い寄せられる視線に抗うように宍戸はふるふると首を振るった。
 これは鳳が周りを警戒するのも当然だな、と思う。なにせ、普段は人が良すぎて他人を疑うなどということの一切ない彼が警戒しているということは、他ならぬ彼本人がに「そういう感情」を抱いていると自覚しているからだ。と、ちらりと鳳を見やると、彼は複雑そうな面もちで幸村の話を聞くを見つめていた。
 ひとしきり幸村が説明を終えたあたりで、あ、とは声をあげた。
「思い出してくれた?」
「うん、あの、私のスケッチを受け取ってくれた男の子……だよね? わぁ、すっごい偶然!」
 が言うと、幸村はどこか安心したように嬉しげに笑った。
「良かった、俺、ずっと後悔してたんだ。君に、名前も告げられなくて」
「え……?」
「そのうち、また美術館で会えるかな、って楽観視してたけど……、そのあと病気で倒れちゃって、本当に後悔したよ。あのとき、なぜ君を追いかけていかなかったんだろう、って」
 あ、病気はもう治ったんだけど。と明るく付け加えて幸村はなお笑みを深くする。
「あのとき貰った絵は、俺の宝物なんだ。本当に、いつも励まされてるよ」
「そ、そんな……、ただのスケッチなのに……」
 にとっては過度な賛辞だったのか、しきりに恐縮して首を振るっている。
 そこまで話すと幸村はホッとしたのか、鳳や宍戸の方へと目線を向けてきた。
「宍戸や鳳君に感謝しないとな。彼らとさんが親しいって知らなかったら、俺は今日、ここに来られてないんだし」
 そこでハッとしたのか、も宍戸の方へ目線を向けた。
「そうだ、宍戸くん。持ってきたよ、宿題とかノートとかいろいろ」
 そしてはずっしりと重そうな紙バッグをずいとこちらに差し出し、ウ、と宍戸は後ずさった。
 そうして、は宍戸がここに来ていたことで宍戸がいるなら少し宍戸と持ってきた教材の中身について話す時間が欲しいと希望した。そして、近くのファミレスにでも入ろうという運びになった。
「俺も氷帝の授業内容に興味あるし、良い機会だよ」
 は幸村と鳳に申し訳ない旨を話すと幸村は快諾し、鳳は苦笑いを浮かべていたが「分かりました」と承諾した。
 四人揃って歩き出せば、自然とは宍戸に並び、ふふ、と笑っている。
「なんだよ?」
「ううん、なんだか懐かしいな、って思って。一年生のころからずっと宍戸くんと同じクラスで、毎日会ってたから、宍戸くんが教室にいないのってなかなか慣れないもん」
「バッ……、ア、アホ! お、俺はせいせいしてっけどな!」
 とっさにそう切り返しても、は気に留める様子もなく笑って、宍戸は自身に「激ダサ」と呟いて舌打ちをするほかない。
 ここでいつもなら鳳が「なにもそんな言い方……」などと口を挟んでくるのだが、今日に限っては彼は一度こちらに視線を飛ばして何か言いたげな顔をしたのみで、かわりに少し眉を寄せてため息を吐いていた。
 宍戸はその理由――せっかくのデートを邪魔されている現状への不満――を理解していたが、今さらどうしようもないことだ。
 気まずい。が、と自分は鳳とよりもつき合いも長いし、後輩の彼に気兼ねする方がおかしい。という既に出していた結論を改めて思いだして気にしないことにした。
 駅の近くのファミレスに入り、宍戸はと隣り合う形で座った。からまず大量の宿題や小林担任直々の手紙などの説明を受け、暗記科目はノートを見てくれれば分かるだろうということで、自身がもっとも得意としておりなおかつ宍戸のもっとも苦手とする数学のノートを彼女はテーブルに広げた。
「二学期に入って、けっこう進んじゃったよ。えっと――」
 反対側に座る鳳と幸村はどうやら音楽談義に花を咲かせているらしい。聞きたくない勉強の話になるとどうでもいい会話がよく耳に入ってくるものだ、などと考えながら渋々数式に向き合う。
 するとノートには要点がわかりやすくまとめてあり、極めて見やすく整理されていていっそ感心してしまう。
 にしてみれば宍戸の数学に対する苦手具合は熟知しているのだろう、あまり込み入ったことは説明せずに要点だけを絞って聞かせ、宍戸も大人しく耳を傾けていた。
 そしてどれほど経っただろうか。ふいに幸村の声が前方から割って入ってきた。
「へぇ……、もしかしてこのノート類、さんが宍戸のために用意したの?」
「え……?」
「ひょっとして全教科? すごい量だよね……、大変だったんじゃない?」
 言われては少しだけぽかんとしていたが、すぐにふるふる首を振るって緩く微笑んだ。
「うん、でも……いい復習になったし、次のテスト対策はばっちりだよ」
「あはは、確かにそうかもしれないね。宍戸は恵まれてるね、こんな良いクラスメイトがいて」
 そうしてチラリと幸村が視線を宍戸に向けたものだから、宍戸の頬はカッと熱を持った。
「べ、別に、コイツは担任にやらされてるだけだからな! 当然だろ!」
 自分でも短絡的なのは熟知している、が、隣のの反応は分からなかったものの穏やかだった幸村の表情が固まり、大人しく聞いていた鳳は眉を寄せた。
「宍戸さん、そんな言い方――」
「宍戸、いくらなんでもその言い方はないんじゃない? 五教科すべてを他人のために作るってそうとう時間と労力がいると思うよ。君なら、同じようにできるのかい……?」
 諫めようとしたらしき鳳を遮り、幸村は穏やかながら厳しい口調で苦言を呈してきてグッと宍戸は言葉に詰まった。
 後輩に諫められたのなら条件反射で反論もするが、同輩の、しかもあの立海の部長に言われては――とっさの反論はすぐには出てこない。おまけに二対一。多数決の原理的にも、自らを省みてもどちらに非があったかは明確だ。
「あ、あの、私も復習になったし……気にしてないから……」
 困惑気味にがその場を取りなそうとしているが、宍戸は小さく舌打ちをした。
 中等部に入ってから、こんな風にが何かを手助けしてくれることはもはや当たり前で。けれども――当たり前だからこそ、確かにこういう環境を当然のものとして享受しすぎていたかもしれない。
 分かっていても……、どうにもならないのは自分の性格のせいで、変えるのは難しいことだ。
「そ、そろそろ出ようか……? ほとんど終わったし……ね?」
 押し黙った自分を気遣ってかがそう言い、二人も切り替えたのか「そうだね」などと言い合っている。
 そうして準備をする慌ただしさに紛れて、宍戸はぼそりと呟いた。
……」
「え……?」
「そ、その……悪かったな。あ……ありがとよ」
 冷や汗まみれでぎりぎりを視界の端にとらえながらやっとの事で言い下すと、は少し目を見開いたのちに、パッと花が咲いたように笑った。
「どういたしまして」
 その表情に一瞬惚けた宍戸だが、すぐにまたパッと目線をそらしてうつむいてしまった。は、芥川くんにも教えてあげてね、などと軽く続けていたが、すぐにの方を見ることが叶わずに自身でも「激ダサ」だと自覚する。
 そうして「紅葉を見に行こうか」などと話し合いつつ、席を立つ直前で「あ」と幸村がごく自然に声をあげた。
「そうだ、さん。よかったら、連絡先を教えてもらえないかな?」
「え……?」
「ホラ、数年前に言ったとおり、俺は君の絵が好きだし、聞きたいこともいろいろあるしね」
 幸村は穏やかな笑みをに向け、は数回瞳を瞬かせていたが特に断る理由もなかったのだろう。頷いて携帯を取り出したものだから、宍戸は一人で焦って無意識に幸村の隣にいる鳳をチラリと見やった。
 そして、宍戸は顔を引きつらせる。――案の定、彼は腑に落ちないといった具合で表情に不機嫌さが表れており、宍戸は人知れず頭を抱えた。鳳は、穏やかな性格であるのだが、素直なゆえか感情が極めて表情に出やすい。
 しかし、これで確信がいったが鳳とは明確に「特別な関係」ではないのだろう。もしもそうであれば、鳳の性格上、憚ることなく幸村に「彼女は自分の恋人だから」と釘を差しているだろうし、そもそも自身が断るだろう。
 かといって――、と宍戸は一人で気まずく思いながらとりあえずファミレスを出た。
 途端に肌寒い空気が頬を撫でて過ぎ去っていく。
 みなで山の方へ足を向けつつ、遠目に紅葉を見やって幸村が緩く微笑んだ。
「練習が休みの日は、よく合宿所の外に出て絵を描いているんだ。立海のメンバーは生憎と絵画に興味がないみたいだけど……、ここでは鳳君が俺に付き合ってくれるから楽しんでるよ」
「いえ、そんな……、俺の方こそ幸村さんと共通の趣味があるなんて意外でしたし、楽しませてもらってます」
 宍戸以外の三人は、やはりそれぞれ共通する趣味の話題で盛り上がるのは自然なことだろう。も笑って頷きながら幸村と鳳の話を聞いている。
「鳳くんも、いつもスケッチブック持ち歩いてるんだもんね。私ね、本当に今日が楽しみだったの。鳳くんと一緒に絵を描けるの、久しぶりだもん」
 の言葉を受けて鳳は嬉しそうながらも複雑な表情を浮かべていた。
「俺も、です……」
 鳳としては「外野」が着いてきているのが不満なんだろうな、とそのやりとりを見ていた宍戸は理解したが、どうしようもない。いっそも鳳くらい分かりやすければ無理にでも幸村を連れて退散する所だが――、の心理はつきあいの長い自分ですら推し量れない。見る限り、現状に不満があるようには思えない。
 しかしにしても鳳に覇気がないのは見て取れたのだろう。どこか心配げに鳳を見上げている。
「鳳くん、もしかして疲れてる? 体調、悪い?」
「え……!? いえ、そんなことないです。元気ですよ」
 鳳は取り繕うように笑ってみせ、の方はそれ以上追求せずに「そっか」と相づちを打っていた。が、見ている宍戸としてはハラハラの要因でしかない。
 トレッキング気分で山の遊歩道に入っていけば、今を盛りの紅葉が朱色・黄色を問わずに眼下を覆い、それぞれが感嘆の息を漏らした。
「綺麗……!」
「そうだね。ここは都心に比べて寒暖に差があるから、いっそう色鮮やかだよ。俺の地元も四季に関しては自慢なんだけど……ここはここで良いものだな」
「立海大付属って、神奈川のどの辺り……?」
 が幸村の方を向けば、ふ、と幸村が微笑む。
「湘南沿いだよ、海が近いかな」
「わぁ……! じゃあ、鎌倉も近いんだね。いいなぁ、一年中いろんな見所がありそう」
「そのぶん、観光客が多くて騒がしい気もするけどね。どの季節でも見所あるし、遊びに来てくれたら、穴場に案内するよ」
「鎌倉かぁ……」
 確かに鎌倉・湘南は全国屈指の観光名所であり魅力的だろう。どこに行くにでもスケッチブックを持参しているにしても魅力的な場所なのだろうな、と宍戸が無言でそのやりとりを見つめているとは口元を緩めながら鳳を見上げた。
「今頃は鎌倉もきっと綺麗だよね。紅葉……いつまで見られるのかな」
「まだしばらくは大丈夫でしょうけど……、俺は残念ながら今年は行けそうもないです」
「そっか……」
「でも、鎌倉の一番は冬だって言いますし……。この合宿が終わったら、行ってみませんか?」
「え……?」
「あ……、その、先輩がよければ……ですけど」
「う、うん……! 行きたい」
 はうっすら頬を染めて頷き、あはは、と軽く幸村が笑った。
「俺も冬の鎌倉はオススメだと思うよ。それにしても……君たちは本当に仲がいいんだね」
 言われた二人は互いに顔を見合わせ、だけが赤く頬を染めて口ごもり、鳳は「ええ、まあ」などと相づちを打っている。
 またか――、と宍戸は既視感を覚える光景にため息をつきながらふと秋空を見上げた。
 さくさくと落ち葉を踏む音が聞こえ、風が吹けば色とりどりの葉が舞っている。
 時おり足を止めてはじっくりと木々を見上げ、脇道にそれ、思い思いに歩いていると、はいつの間にか鳳と肩を並べて歩いていた。
 ひらひらと銀杏や楓の葉が降り注ぐ下で、互いに顔を見合わせては微笑み合って歩いている。
 すぐそばを歩いているはずだというのに、彼ら二人を纏う空気だけが別世界のようで――宍戸は無言でその様子を見つめていた。
「なんだかお似合いだね、あの二人」
 ふと、自然と隣に並んで歩く形になっていた幸村がそんな風に言ってきた。
「これ以上一緒にいたら、お邪魔みたいだし……、別行動したほうが良さそうじゃない?」
 俺はとりあえず、目的は果たせたしね。と幸村が続けて宍戸はグッと喉を詰まらせた。そういわれて――、一瞬戸惑ってしまった自身を自覚しつつ、肩を竦めてから「そうだな」と呟く。
「おい、長太郎!」
 そうして一寸間をおいて鳳に呼びかければ、「はい?」と彼が振り向いて、宍戸は逆方向を指さした。
「俺たち、あっちに行ってみっから。ここで別れるぞ」
「え……!? あ、はい」
 鳳にすれば突然で意外な申し出だったのだろう。頷いたものの、目を丸めている。
「じゃあ、さん。またね」
「え……? あ、うん、さよなら!」
 幸村がひらひらとに手を振り、も驚いたように数回瞬きを繰り返していた。
 そのまま宍戸と幸村は言葉通り、脇道にそれて落ち葉を踏みならしながら歩いていく。
 マイペースに風景を観賞しながら進む幸村に宍戸がしばし無言でついていっていると、ふいに幸村が宍戸の方を向いて「あはは」と軽く笑った。
「可愛いね、さん。昔も、なんとなく気が合いそうな子だな、って勝手に思ってて、やっぱりそうだって確信したんだけど……」
 宍戸は相づちも打てずにしかめっ面をする。
「鳳君がいるから、どうしようもないかな」
 幸村の口調は至って軽く、どこか同意を求められているような気がして宍戸は少しだけ視線を外に流した。
 ずしりと、手に携えている紙バッグが重い。――は、自分にとってはそばにいて当たり前、してもらって当たり前、という存在にいつの間にかなっていた。そのことに対してその都度、反省はしているが、なかなか培った習慣は直らず、今さら、どう足掻いても鳳に勝てるわけがない。と考えてしまって宍戸はハッと首を振るった。
「あはは、楽しみだなあ。いつか鳳君と対戦するのが。彼のサーブは攻略しがいがありそうだしね」
 幸村は宍戸の葛藤を知ってか知らずか極めて楽しげに言って、宍戸は僅かばかり頬を引きつらせた。



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