一方、残された鳳とは突然のことに互いに顔を見合わせていた。
「どうしたのかな、急に……」
 呟くの横で、鳳は彼らが気を遣ってくれたのかとポジティブに考えつつも、それとなくに訊いてみる。
「宍戸さん達と一緒に行動した方が良かったですか……?」
 するとは、え、と瞬きをしてから鳳を見上げた。
「そ、そんなことないよ。今日はもともと……鳳くんと、その……」
「え……?」
 語尾が消え入るようだったの声に鳳が聞き返すと、はうっすらと目元を染めた。そして鳳がハッとする間もなく、ひときわ紅葉の見事な木の方を誤魔化すようにして指さした。
「あ、ほ、ほら、あそこでスケッチしようよ、ね!」
 言うが早いかはそちらに小走りで向かい、鳳も後を追う。そして二人してが常に持ち歩いているレジャーシートに腰を下ろし、スケッチブックを広げた。
 こうして二人して肩を並べて絵を描くのは、桜の季節以来のことだ。
 ふわふわと風に枯れ葉が踊り、ふわふわと二人の癖毛の髪を遊ばせていく。――学校ではと二人で話す機会には恵まれていたとはいえ、ようやく「プライベートでと二人きり」という想いが叶って鳳は胸にジンと感動めいた気持ちがこみ上げるのを覚えた。
「寒くないですか……?」
 ふと、鳳がに声をかけると、彼女は滑らせていた手を止めてふわりと微笑んだ。
「ううん、大丈夫」
 そうしてる間にも頭上から見事に色づいた桂の葉が降ってきて、独特の甘い香りがあたりに広がっていた。
 二人して舞い落ちる葉を掬い上げて笑いあっていると、ふとがジッと鳳に探るような視線を送り、鳳は首を捻る。
「どうかしました……?」
「うん……、洋服着てるからちゃんとは分からないけど……もしかして鳳くん、また身体大きくなった?」
「え……?」
「なんか、夏の大会の頃よりがっしりしてるみたい」
 あ、と言われて鳳は肩を竦める。
「たぶん、筋肉量が増えたんですよ。正直、逃げたくなるほどのトレーニングが課せられてますから……」
 最初は逆にハードすぎて痩せていってたんですけど、と付け加えるとは感心したような息を漏らした。
「凄いね……」
「氷帝のスケジュールはかなりフレキシブルでしたからね。ここでのタイトなスケジュールのおかげで、俺も先輩たちも肉体的・精神的にかなり鍛えられてますよ」
 笑いながら鳳が言うと、そっか、と呟いてはなおジッと鳳を見据えた。が、鳳が疑問を寄せての顔をのぞき込むと、彼女はハッとしたようにパッと顔を背けた。
「先輩……?」
「な、なんでもない」
 は――、好奇心旺盛な自分を抑えられない部分がある。好奇心の対象は主として「どうスケッチできるか」という一点のみであるが、鳳は以前にもに「ちょっと触ってもいいか」と有無を言わさず利き腕の感触を確かめられたことがあり、今回も「筋肉質が増した身体」に無意識に興味をそそられたのだと理解して含み笑いを漏らした。
「先輩……」
「な、なんでもないってば!」
 追及しようとすると、は逃げるように立ち上がって桂の木のほうへ駆けていった。
 風が彼女の後ろ髪を揺らして、露わになった耳朶がうっすら染まっているのが見え、僅かに鳳の胸が騒いだ。同時に、苦い思いも胸に飛来する。
 目の前で、と宍戸が親しくしていると相も変わらず「考えちゃダメだ」という理性とは裏腹に勝手にわき上がってくる「イヤだ」という感情を抑えられないし、そしてなにより――彼女は幸村と連絡先を交換していた。
 たかがそれくらい、と考えようとする反面、なぜ、過去に一度会ったことがあるとしても、見ず知らずに近い彼と連絡先を交換する必要があるのだ? と理不尽に思う気持ちが止められない。
 焦燥、に近いのかもしれない。幸村は、立海大付属の部長で、テニスは自分など及びもしないほど遙か先のレベルまでいっていて、なにより鳳自身、彼の穏やかな人格を好ましく思っている。
 きっととも気が合うのだろうな、と感じて焦りが加速したのかもしれない。
 結局、いつもと同じ堂々巡りだ。のことは尊敬する先輩で、にとって自分は後輩で――今もきっと、なにも変わっていない。
 でも、これが「尊敬する先輩」に向ける感情なのだろうか――、と鳳は舞い散る木の葉を手で受け止めながら微笑んでいるを見つめて瞳を揺らした。
 全国大会のあと、新学期になったらとどこかへ二人で出かけようと誘うつもりだった。が、思うように予定が合わず、そのままUー17の合宿が始まって今に至っている。
 テニス漬けの毎日で自身の感情を自問している暇さえなかったが、自分の気持ちも、葛藤も、何一つ変わっていない。
 まだ何一つ答えも出ていない、と無意識に眉を寄せていると、「あ」と視線の先で弾んだ声があがった。
「リスだ! わぁ、可愛い! ねえ見て、リスだよ、鳳くん!」
 パッと明るい笑顔をがこちらに向け、鳳はドクッと心臓が脈打つのと同時に締め付けられるような苦しい感覚を覚えた。
 そのまま鳳はを追うように立ち上がり、リスが乗っている桂の小枝を微笑ましそうに見つめているを見つめた。すると、指で四角の枠を作って構図を吟味していたらしき彼女の口から、残念そうな声が漏れた。
「行っちゃった……」
「先輩……」
 サク、と落ち葉を踏みならして鳳が声をかけると、はふわりと癖毛をなびかせて鳳の方を振り返った。そのの方に、鳳は少しだけ詰め寄る。
「先輩、さっきはどうして……、どうして幸村さんに連絡先を教えたりしたんですか?」
 自分でも驚くほど素直にモヤモヤの感情が口から滑り出し、は不意打ちを受けたように大きく瞳を開いた。
「え……?」
「俺だって……、まだ、先輩の連絡先、知らないのに」
 自分でも理不尽で拗ねたような声になっていたことは自覚したため、少しだけ視線を横に流すと、は驚いたような困ったような表情で少しだけ目線を泳がせた。
「あ、そ……そう、だね。あの……鳳くんは、学校で毎日会えるって思ってたから……」
 私、あんまり携帯使わないし。と続けられて鳳は口をつぐむ。
 彼女の連絡先を知りたければ幸村のように教えてくれと言えば済んだ話であるし、鳳にしても不満なのはそこではないのは分かっていた。ただ――。
「だったら……、もし、幸村さんに誘われたら、先輩は行くんですか?」
「え……?」
 グッと拳を握りしめた鳳は、自分でも理不尽な感情をぶつけていると理解していた。しかし、理解できるだけの理性は残っていたが、いったん口から出た感情を押しとどめるすべはない。
「俺は、イヤです」
「鳳くん……?」
「俺……先輩が幸村さんと二人で出かけるなんて、絶対イヤですから」
 言いながら鳳は、ふと、「あ、そうだったんだ」とまるで霧が晴れたように自分の気持ちを理解した。
「お、鳳く――ッ」
 そうか。と理解して――そして鳳は困惑するの腕を引いて、すっぽりと両手で自分の胸へと閉じこめるようにして抱きしめた。
「俺、いま気付きました。たぶん俺、すごく独占欲が強いんです。だから……、先輩が俺以外の男と一緒にいるなんて絶対イヤです。絶対……しないでください」
 ピク、と腕の中での身体が撓った。
 口に出してしまえば少しばかり理性が戻って、ハッとして鳳は「すみません」と彼女を解放しようとした。が、そうすれば元の木阿弥だ。なにより、困惑気味ながらも頬を染めるが腕の中にいて――とても解放する気にはなれずに少し力を抜く程度に留める。
「先輩……」
「え、え、と……。あの……は、離して……」
 突き飛ばして離せる程度の力に留めていた鳳はの消え入るような抗議の声に、ついいつもの主導権を取りたいクセが沸いてきて再び試すようにして腕に力を込めた。
「イヤです。承諾してくれるまで、離しません」
「え……ッ」
 声色が自分でも先ほどより余裕を帯びている事は自覚できたが、それでも心音は痛いほどに高鳴っていた。余裕なんて――本当はなかったのかもしれない。
 けれど、痛いほどに心音を高鳴らせているのはきっとも同じだったに違いない。後ろ手でそっとの髪を撫でると、ぴく、と彼女の身体が撓った。
「先輩……?」
「う……、そ、その……。は、はい」
 そして伏し目がちにが消えそうな声で呟き、鳳はハッと目を瞠る。おそるおそる「本当に?」と確認するとは染まった頬で潤んだ瞳をあげて鳳を見上げてきた。
「だ、だって……」
 は言葉を繋げずに口ごもった。彼女の抱えていた想いを完全に読みとることは鳳には不可能だったが――舞い上がる、という感情があるとすればこのことかと痛いほどに自覚して、鳳は先ほどよりも強くの身体を抱きしめた。
 わ、とが呟き、鳳自身、自分の言動が矛盾が孕んでいることを理解していたが、気持ちの高揚を抑えるのは不可能だった。
 柔らかい感触と、彼女の体温の暖かさに無意識に目尻が震えた。


 ひとしきり、ブラブラと散歩を終えて幸村と共に合宿所へ続く坂を登っていた宍戸は、ふいに歩みを止めて後ろを振り返った。どうかしたか? と疑問を寄せた幸村に、いや、と首を振るう。
 ズシリと重い紙バッグの持ち手を無言で握りしめていると、宍戸の様子を知ってか知らずか幸村が軽くながらも少しだけ憂いを含んだような声を漏らした。
「後悔先に立たずとか、幸運の女神は前髪しかない、とかって言うけど……、なんだか今日はしみじみ実感しちゃったな」
「は……?」
「やっぱり俺、数年前に、さんを追いかけてもっとちゃんと自己主張しとけば良かったな、ってね」
 幸村にとってはそのことはさほど深刻な事ではなかったに違いない。しかし――、宍戸は少しキツめに眉を寄せて、フイと幸村から視線をそらせた。
 と鳳の関係は知らない。けれども、二人は少なくとも鳳が中等部に上がってきた当時からの付き合いで、自分の知らないところで親交を深めていたことは自明だ。にとって一番近しい異性であろう自分でさえ知らなかった関係。それだけでもう、自分の出る幕など最初からなかったのだ。むしろ、相手が恩人であり可愛い後輩でもある鳳で良かった。
 ――と、ひどく言い訳じみた考えが浮かんで、チッ、と宍戸は舌を打った。
  にとって、自分はどこまでも「仲のいいクラスメイト」でしかなかった。それだけの話だ。当然だ、少なくとも自分はに好かれようとする努力など一切していないのだから。今さら気付いた所で、鳳に対抗できる手段など持っていない。それに今さら、何をどう足掻こうなどとは思わない。と宍戸は軽口を続ける幸村の声を聞きながら天を仰いだ。
 きっと、何もかもが遅すぎたのだ。――と自分の気持ちを明確につかめないまま、目に映った飛行機雲を眺めて小さく眉を寄せた。
 今さら気付いても手遅れ。――などという言葉は浮かべず、曖昧なままで。気付く必要も、知る必要もない。
 ただ少しだけ眉を寄せたまま、滲んでいく飛行機雲を見据えて宍戸はグッと紙バッグの持ち手を握りしめた。


 日も傾きかけたころ、鳳とは駅へ向かうべく町中への道を肩を並べて歩いていた。
 何気なく鳳がの手を取って繋ぎ、笑いかけると、彼女は耳まで赤くして俯いてしまい――鳳は少しばかり笑みを深くする。自分の手が大きい方ということもあるが、本当にすっぽり自分の手に包まれている彼女の手を見て自然に顔を綻ばせていると、よほど恥ずかしかったのか僅かに恨みがましい目線で見上げられて、あはは、と鳳は笑った。
 やっぱり、こうして主導権を握っている方がいいな――などと、手を離さないということは彼女もイヤではないだろうことを確信して微笑んでいると、そういえば、とが小さく口を開いた。
「U-17の合宿って、全国から色んな選手が集まってるんだよね? みんな、大会の時みたいに学校ごとに分かれて練習したりしてるの?」
「え……? いえ、学校単位ではないですよ。ユニフォームも学校のではなく全日本のを着てますし……。そりゃ、自然と見知ったメンバーで集まることもありますけど」
「そ、そっか……そうだよね、全日本、か……」
 するとは繋いでいない方の手を口元にあて、どこか思案するような、好奇心を覚えるような色を瞳に浮かべた。
「私、見てみたいな、全日本のユニフォームを着てテニスしてる鳳くん」
「え……?」
「絶対かっこいいと思うもん。今度、見に行ってもいい?」
「え……!?」
 瞬間、鳳は頬を引きつらせた。それは、全日本のユニフォームに袖を通して練習をしていることは誇らしく思っているし、なによりに「練習を見たい」と言われて普段ならば二つ返事で承諾すること間違いなしではあるのだが――。
 一瞬、脳裏にU-17に参加している百名近くの男達のひしめく山の奥の合宿所に彼女が一人で訪れた場面を浮かべて、さっと青ざめた。
「絶対ダメです」
「え……!?」
「先輩がそう言ってくれるのは嬉しいんですけど、でも……!」
 説明するに説明できない。とはまさにこの事だろう。どう説明したものか――と鳳が軽く焦っていると、すぐ近くから「あーー!」となにやら見知った大声が聞こえた。
「おまッ……鳳か!? なにしとんねん!」
 途端、驚いたのかパッとの方から繋いでいた手を離した。
 鳳も驚いて声のしたほうを見ると、見覚えのある明るい色の髪の少年と――その後ろに氷帝の先輩にあたる忍足侑士がいて、あ、と声をあげた。
「謙也さん……、忍足先輩も……」
「忍足くん……?」
 も忍足の姿に気付いたのか、忍足の方へ目線を送ったが、なおも「謙也」と呼ばれた少年は口から泡を飛ばした。
「なんや侑士、お前もこの子と知り合いか!? つーか、誰やこの子!」
 どうやら彼は自分が女性を連れていたことに驚いたのだと悟った鳳は、苦笑いを浮かべながら困惑気味のの方を向いた。
「忍足先輩の従兄弟にあたる方なんです、忍足謙也さん」
「え、忍足くんの従兄弟……?」
「そういうこっちゃ。スマンなぁさん。謙也、騒ぎすぎや」
 忍足は従兄弟である謙也に近づいてきて軽く彼の頭を小突き、驚いた様子だったは、ううん、と小さく首を振るった。
 謙也の方も自ら自己紹介をしつつ、なんや、となお二人に向かう。
「氷帝の子かいな……、なんやビビったわ、てっきり鳳がナンパでもしとんのかと思ったっちゅーに」
「謙也さん……」
「彼女は俺の同級生なんや。ジローや宍戸のクラスメイトでな、特に宍戸との仲は学校公認っちゅーくらい有名なんやで」
 鳳が苦笑いを浮かべていると、忍足が冗談か否かそんな物言いをして鳳は少しばかりムッとする。――そうだ、もう、誰に遠慮をすることもないのだ。
「忍足さん。それ、訂正してもらえますか?」
「は……?」
「確かに、宍戸さんのクラスメイトには変わりないですけど。彼女は、俺の、彼女ですから」
 少しだけ引きつった笑みを浮かべながらそう宣言すれば、彼らももぽかんとした表情を晒し、その隙に鳳は再びの手を取って引いた。
「行きましょ、先輩」
「え……ッ」
「それじゃ忍足先輩、謙也さん。失礼します」
 二人に頭を下げて足早にその場を去るも、はまだ困惑していたが気にしていられない。むしろ、ようやく誰かにこう宣言できていっそすっきりしたように思う。
 が、やはりこの界隈は危険だと改めて感じた。おちおちデートもできやしないし、まして合宿所に彼女を連れて行くなど――どう考えても無謀だろう。
 けれども。謙也にバッタリ会ったのは幸運だったかもしれない。
 忍足はあれで口が堅いゆえに、今のことは外部には漏らさないだろう。しかし謙也は間違いなく「鳳が彼女連れとったで!」から始まり合宿所中にその話が行き渡るに違いない。すると氷帝メンバーの耳にも入り、おそらく交友関係が広い向日あたりからあっという間に氷帝中に話が広がるだろう。そうすれば宍戸との噂もようやく消えてくれるだろうし、渡りに船だ。
 しばし歩いてから、ようやく鳳はの手を解放した。早歩きをしたせいかは少し肩で息をしており、ハッとして鳳が謝ると彼女はふるふると首を振るいつつ、でも、と呟いた。
「びっくりしちゃった。鳳くん……急にあんなこと……言う、から」
 あんなこと、とは忍足に宣言したことだろう。気恥ずかしそうにするに鳳は一瞬キョトンとしたものの、すぐに、ふ、と笑ってみせる。
「ダメでした……?」
「そ、そうじゃないけど……」
「先輩、これでもう、あとには引けませんよね?」
「え……?」
 言って、鳳はつとめて明るく笑っての両手を包み込んだ。
「今さらダメって言っても、もう遅いですから。俺、もうぜったい離しません」
 つ、とは頬を染めて息を詰め、鳳はそのまま彼女を引き寄せてすっぽり自身の腕の中におさめた。
 安堵感と、昂揚で胸が満たされるの感じ――鳳はふと遠くを見やる。
 やっと、探していた答えにたどり着けた気がした。
 これから、なにがあっても、どんな道を歩むとしても――。
 きっと彼女と一緒に前を向いて歩いていこう。と、茜色に染まる空間を見据えながらそっと目を閉じた。

― IFver. the end ―



アナザーではありますが、宍戸の気持ちの決着と、二人のゆくえ(?)でした。
それでは、よいお年を! 2012.12.24-26.

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