試験明けの月曜――、宍戸は少々緊張気味に登校した。
 あとは結果を待つだけではあるものの、一歩間違えたら部活停止なのだ。いやでも緊張してしまう。とはいえ、自分でもかなりの手応えを感じたのは確かで、おそらく大丈夫だろうと気合いを入れ直して下駄箱のフタを開けると、何やら上履きの上に可愛い色の封筒が乗っている。――と気づいて宍戸はバッと辺りを見渡し、人目がないことを確認してから動揺しつつその手紙をカバンに仕舞った。
 ――三年に進級してからというもの、こういう事が何度かあった。今までは全くと言っていいほどなかったというのに、一体どういうことなのか。
「ったく、激ダサだぜ」
 取りあえずそう呟いてみるものの、微妙に口の端があがってしまったあたり本当に自分でも激ダサだという自覚がある。別段、女子にモテたいと思っているわけでもなく、むしろ鬱陶しいと思ってはいるのだが――などと考えつつ教室に入って周りのクラスメイトに挨拶をしつつ自身の席に座った。
「おはよう、宍戸くん」
「あ? おう」
 後ろの席のからの挨拶に返事をしつつ、ふと思う。――そういえば、ちらほら貰ったファンレターじみたものには必ずと言っていいほどの名前が出てきていた。「先輩がいるのは分かってますけど……」「先輩とのこと、応援しています」等々だ。その度、「なんの勘違いだ?」と心で悪態を吐いていたものの、とさも付き合っているような勘違いを今さら訂正して回ろうとも思わない。もはや無駄であるし、自分はまだ特定の彼女がいないのだから別段害があるわけでもない。が。しかし、そのは――と後輩と共にいたを浮かべて宍戸は唇を引き結んだ。
「宍戸くん、どうかした?」
 横を向いたまましかめっ面をしていたのを怪訝に思ったのだろう。訝しげな声が聞こえてきて、宍戸はハッとする。
「なんでもねぇよ。……つーか、お前、さ」
「ん……?」
 鳳とは――と今さら鳳との関係を訊くのもどこか気恥ずかしい気がしたのだ。とはいえ、自分が知りうる限りと鳳の接点が全く見いだせない。そもそも鳳は――山ほどいるテニス部後輩の一人に過ぎなかった。というのに、よほどの成長期だったのだろう。身長の伸びとともにテニスの方も伸びて、元々強打には定評があったというのに長身というメリットを手に入れた彼は高い打点から繰り出す力強いサーブを身につけ、圧倒的な氷帝一のサーバーとなってあっさり正レギュラーの座を射止めてしまったのだ。
 だからどうという訳でもないが、と二の句を繋げないでいると、は首を捻った。
「テストのこと……?」
「は……?」
「大丈夫、あんなに頑張ったんだからぜったい70点以上取れてるよ」
 は途切れた言葉をテストの出来を問うものだと予測したのだろう。励ますように言われて宍戸は更に言葉に詰まるも、そうだった、と考え直した。いまの自身の問題は無事にテストを突破できたか否か、だ。再度気合いを入れ直した宍戸へと本日返却されたテストは一教科。得意にしている社会である。社会のテストは暗記さえしていれば全部解けるものであったため、自信はあった。が、「絶対」ではなく、教師に自身の名を呼ばれて答案を受け取り、恐る恐る点数を見た宍戸の顔は笑みに染まった。さすがに得意科目、いきなりの90点台中盤を叩きだして自分自身に深くガッツポーズをした。
 次は週中に返却された英語であるが、これは単語をきちんと覚えていたのが功を奏した。やはり長文読解ではミスを連発していたものの、これも92点をマークして宍戸は「いける……!」とがぜん自信が沸いてきた。そして当然のように得意科目の国語は同じく高得点だった社会と並び、残るはネックになっていた数学と理科である。こればかりは計算ミスしていないことを祈るしかないが――いやしかし、途中経過が合っていれば、答えを間違えていても中間点をくれるはず。そうだ何も高得点でなくて構わないのだ。最悪、70点ジャストで構わないからとにかく取れていてくれ、と授業が近づくたびに嫌な音を立てる心臓に舌打ちしながら宍戸は待った。
 結果は、理科・数学ともにジャスト90点で、最後の数学が戻ってきて点数を確認したと同時に宍戸は「よっしゃー!!」と大声で天井に向かってガッツポーズを繰り出した。数学の教師にはうるさいと注意を受けたものの、「すんませーん」と適当に謝って軽い足取りで席に戻る。
「すっごーい、宍戸くん。良かったね!」
 するとが小声で嬉しそうに手を叩き、宍戸は勢いよく歯を見せてニッと笑った。
「あったりめぇだろ! ま、これが俺の実力ってことだ!! 見たか小林!!」
「うるさいぞ、宍戸」
 大声でふんぞり返る宍戸に再度教師から注意が飛んだが、いまの宍戸にこの昂揚を抑えきるのは無理な要求だった。この結果を受けて担任の小林も「よく頑張ったな!」と労い、宍戸の鼻は益々伸びる。――テニスは正レギュラー、成績は一気にトップクラス。女子にもモテて、もはや恐れるモノは何もない。そういう、一種の浮かれたような心境を覚えたのだ。
 しかし――それは果たして宍戸にとってプラスをもたらすものなのか。
 六月に入った最初の木曜、理科室にて六限目を受けたは授業後に教師と話し込んでしまい皆から少々遅れて教室へと戻った。そうして自身の机に戻ってハッとする。見ると宍戸の机の上に宍戸のノートが置きっぱなしにしてあったのだ。英語のノートである。今日の英語はかなりの量の宿題が出てしまい、おまけに宍戸は次の授業で当たる予定となっていた。
「宍戸くんったら……」
 小さく息を吐いては宍戸のノートを手に取った。最近、こういう事が頻発している。部活疲れなのか芥川並みに授業中に居眠りしていることもザラで――かといって何かにつけて二言目には「俺は正レギュラーだぜ?」が口癖になっていて。と浮かべるもは小さく首を振るう。さすがにこれがなければ困るだろう。このノートをテニス部に届けてから部活に行こう、と校舎を出るも本日は生憎の雨だ。木曜であるためテニス部もオンのはずではあるが、さすがにコートは使用していないだろう。ならば部室か、と雨傘を開いて部室棟に向かうの足は道沿いに植えてある紫陽花の前で止まった。
「わ、いいかも」
 まだ青いつぼみに雨水が良く映える葉。もうじき美しく開花しそうな紫陽花に思わずしゃがみ込んで見つめてしまう。カタツムリも見つけた。手で枠を作って焦点を絞り――、相変わらず、の耳には美しいカノンは届かなかったものの、は笑みを浮かべて楽しげにカタツムリの動きを観察した。梅雨がテーマの絵を考えておくよう部長や顧問から言われていた最中だったのだ。これにしようか、と落ちる雫の音に誘われるようにカバンからスケッチブックを取り出そうとしただが、ふと目に留まったノートを見てその手を止めた。
「あー……忘れそうになってた……」
 絵のこととなるとすぐこれだ。宍戸にノートを届ける方が先だというのに、と後ろ髪引かれつつ部室棟を目指し、目的の場所まで来ると大きな扉に向かっては数度ノックをした。
「はいはい。どちらさん?」
 すると数秒のちにあまり耳にしたことのない声が聞こえ、音を立てて目の前の扉が開いての視界には長めの不揃いな髪を湛えたメガネの少年が現れた。
「あ……」
 しかし、それよりもなによりもはその少年越しに見えた部室の風景に目を見開いて絶句してしまった。ディスカッションルームのような綺麗な部屋。奥の開いた扉からは鏡張りの壁とトレーニング器具のような物が少し見え、まるで一流のスポーツクラブに迷い込んだようでさえある。
(ウソ……ウチのテニス部って……本当にこれ部室? ぜんぜん違う……美術部と……)
 半ば物置と化している美術準備室と比べてしまい言葉を失っていると、目の前の少年はメガネを持ち上げるような仕草を見せた。
「なんか用かいな?」
「あ、え……と」
 この少年の名は確か、忍足、だ。さすがのも三年のレギュラーくらいは顔と名前が一致するようになっていた。そしてその忍足の後ろには、奥にある投影機スクリーン前に座る生徒会長、及びテニス部部長である跡部の姿があり、なにやらドイツ語で書かれている本を読みふけっている様がの目に映った。
 相変わらずだなぁ、などと思っているとその視線に気づいたのだろう。跡部が本から顔をあげてこっちを見やる。
じゃねぇかよ。何か用か?」
「あ、うん。その――」
「何だ? 今度は部長じゃなくお前直々に俺様にモデルになってほしいという依頼か?」
 相も変わらず跡部はを一瞬にして硬直させる能力に長けており、その間にそばにいた忍足は「ああ」とごく自然に相づちを打った。
「分かったで。たまに練習見に来て絵を描いとる子やな? 確か……宍戸と仲がええはずや。跡部知っとるん?」
 跡部と普通に会話が成立している忍足はさすがに部活メイトと言ったところなのだろう。ああ、と跡部は不敵に口の端をあげた。
「選択フランス語で一緒でな。コイツけっこうやるんだぜ?」
 へぇ、と感心する忍足をよそにはなんとか負けじと気を引き締めて跡部を見やる。
「ありがと。跡部くんほどじゃないけどね」
「ハッ、当然だろ。ま、今度の小テストで俺様に勝ったらお前のモデルになってやることも考えてやってもいいぜ?」
 もはや何をどう言い返せばいいのか皆目検討もつかない。時間が惜しくもあるし、さっさと用事を済ませて帰ろう、と用件を口にしようとしたその時。そばにあったもう一つの扉がガチャリと開いた。
「せ、先輩!?」
 扉から出てきた少年の姿には一瞬目を見開いたものの――張りつめていた表情が一気に緩む。
「鳳くん……! 良かった」
「ど、どうしたんですか? こんなところで」
「宍戸くんに用があって……。にしても、ホントに広い部室ね。奥にもあんな広い部屋があるなんて」
 少年――鳳の方に数歩歩み寄れば、鳳の背後にはさらにズラッとパソコンやロッカー、ソファなどが並んでおり息を呑んでしまう。
「ええまあ、ここレギュラー専用の部室なんですよ」
「専用……、そうなんだ」
「はい。えっと……宍戸さん、でしたよね?」
 宍戸さん、とに向かって言った鳳の声は微かに下がっていたものの、その微妙な変化がには分からず――しかしながら鳳に確認されると少々気まずい気がして「う、うん」とどもりがちに頷いた。
「宍戸さんなら奥で筋トレしてますから……、呼んできましょうか?」
「あ! い、いいの」
 ここにこれ以上長居するのは少々居たたまれない。まず跡部にずっと見られているというのもなかなかにプレッシャーなのだ。
「鳳くん、悪いんだけどこのノートを宍戸くんに渡しておいてもらえるかな? 忘れ物みたいなの。ないと困るだろうから」
「ああ、それでわざわざ……。ハイ、分かりました。お預かりします」
 鳳はがここに現れた理由に納得したのだろう。ノートを受け取ってニコッといつものように笑ってみせた。
「ありがと。それじゃ、練習頑張ってね」
「ハイ!」
「――!」
 無事にノートを鳳に託し、部室を後にしようとしただったが、それは跡部の呼び声によって阻まれてしまった。
「な……なに?」
 ドアノブに手をかけようとしていたは、少しばかり間を置いて跡部の方を振り返った。すると、いつもの跡部の笑みがそこには在る。
「お前、中間考査はなかなかお手柄だったようじゃねぇの、アーン?」
 ハッとは目を見開いた。――おそらく、跡部は宍戸のことをさして言っているのだろう。しかし何もこんな時に、と言葉に詰まっていると案の定、そばで鳳が怪訝そうな表情を浮かべている。
「中間考査? 先輩、なにかあったんですか?」
「え……、あ……その」
 鳳に嘘をつくわけにもいかないし、かといってどう説明すればいいのか。でも、どんな説明をしたとしても跡部に「手柄」と誉められるようなことをした覚えはない。
「私は……なにもしてないよ」
「フン、そうか」
 跡部に一言言って鳳に視線を戻し、やはりまだ訝しがっている瞳を見つめて小さく笑ってみせる。
「気にしないで。ほんとに何でもないから」
「でも……」
 どうすればいいのだろう? 案ずるような鳳の瞳から逃げられずに、かといって上手い切り返しも浮かばずにしばしは無言で鳳と見つめ合った。
「なんや鳳、しつこい男は嫌われるで?」
 しかし、おそらく一番情況を知らないであろう忍足がこの情況を打破する助け船を出し、鳳はハッとしてバッと頬を紅潮させた。
「お、俺は別に……!」
「別に、なんや? 彼女、困っとるやないか。って跡部のせいやったな? お前も気ぃつけや」
「アン? ナマ言ってんじゃねぇよ、忍足」
 忍足のことは全く知らないであるが、ああ跡部に次いで女生徒に人気があるだけはあるのだな、と感じさせるには十分であった。ともかく忍足のおかげで場の空気が一変し、は改めて鳳を見上げる。
「鳳くん、じゃあノートのことお願いね」
「あ、はい!」
「じゃあまた。お邪魔しました」
 そして今度こそドアノブに手をかけ、テニス部の部室を出て雨傘を広げる。気を取り直して、スケッチをするために先ほどの場所へと戻る道行き、はちょいと自身のウェーブがかった髪を弄ってみた。やはり、いつもよりクセが強く出ている。先ほどの鳳の髪も、やっぱりいつもよりクセがついていたっけ――。やはり宍戸のようなさらさらストレートが幾分羨ましい、と感じつつ先ほどの話題が忍足の計らいで無事に打ち止めとなっているといいのだが、と考えながら今度こそスケッチに集中した。
 そうして手早くイメージをまとめ、足早に美術室へと向かう。するといつも通り部長や部員達に加えて顧問の姿もあり、は少しだけ目を見開いた。
、おそーい!」
「ごめんなさい。ちょっと梅雨の絵のイメージまとめてて」
 理科の実験で話が長引いたことやテニス部に寄っていたことは伏せ、詫びると部長が「どんな?」と訊いてきたため説明を加えながらスケッチブックを見せる。すると顧問も加わって一頻り話し込んだあと、彼女は先日の上野の美術館に飾られていたの絵について改めて訊いてきた。
「雨音がまるでカノンのように聞こえることと、生命の息吹、輪廻をかけてイメージしてみた。とあなたは言ったわよね」
 肯定すると、顧問は改めて誉めるように笑ってくれた。
「面白い着眼点だったと思うわ。現にいままでで一番大きな結果を残せたのだし」
「そうそう、あの絵はにしては珍しく写実的じゃなくて感情が入ってたよね」
 横で話を聞いていた部長も頷くも、は少しだけ首を傾げて自嘲する。
「でも……まだまだ力不足でトップも取れませんでしたし……」
はさー、大学は絵のほうに進むんでしょ?」
「フランスのエコール・デ・ボザール・パリが第一志望よね。そのために氷帝学園に入学したのだと聞いているけれど」
「はい。ボザールに入るにはフランス語が絶対に必須です。だから私は――」
 進路めいた話になるのも最高学年だからだろうか。氷帝の生徒はほぼ全員がそのまま高等部にあがるため、他の中学に比べて進路調査や三者面談などは縁遠いものとなってはいるが――、自分は、とそっとは窓にかかる雨粒のあとを見やった。
『俺、夏休みは少しの間ウィーンに音楽留学してたんですよ』
『レベルの違いをまざまざと見せつけられたというか……、あちらって普段の生活から芸術への関わりがこっちと全然違っていて、とても刺激になりました』
 そうだよね、といつかウィーンでの体験を興奮気味に語っていた鳳の表情を思い出す。しかし鳳はピアノの道に進む気はないようではあるが――自分は。勉強はどこでだろうと出来はするが、鳳の言葉通り欧州は日常レベルから芸術に関する関わりが日本とはまるで違う。一切甘えのきかない環境、というのも自分を追い込む意味では魅力的だ。なにより、どうせやるなら正攻法で一番高いところまで昇りたい。――と考えたところでは鋭くなっていた目から少し力を抜いた。
 まずは年度末のコンクールで最優秀を取る方が先か、と考えつつ肩を竦める。
『先輩はどうして、人物画を描かないんですか……?』
 いずれはそれも乗り越えなくてはならない壁なのだろうか、と思いつつはちょいと自身のくせ毛を弄った。やはり、同じくくせ毛を持つ鳳の姿が過ぎっては自分でも気づかないほど寂しげな笑みを漏らした。
 翌日も雨は止まず、校舎内はいつもよりジメジメとした空気に包まれていた。
「昨日はわざわざ悪かったな」
 が登校してくると、既に学校に来ていた宍戸が開口一番にそう言ってきた。
「ううん。ちゃんとノートまとめてきた?」
「ああ、さすがに今日すっぽかせば廊下立たされコースだったからな。ヤバかったぜ」
「それにしても……テニス部の部室ってすっごく広いのね、ビックリした」
 自身の席に腰をおろしながらは昨日垣間見たテニス部の部室を思い浮かべると、「ああ」と宍戸が相づちを打つ。
「ちょうど二年前の今頃だったか……跡部と監督が共同出資で部室改装してるって、話しただろ? 覚えてねぇ?」
 そういえば、とはそんなこともあったっけ、と追想した。確か宍戸は、跡部がまた勝手なことを、と散々愚痴叩いたあげくに跡部と一悶着起こしていた覚えがある。一部の部員だけが特権階級扱いになるのを良しとしなかったためだ。
「思い出した。でも、あそこ……レギュラー専用、なんだね……」
「ああ、雨の日とか便利だぜ?」
 確かに便利なのだろうが。随分と変わったものだ――と僅かばかり宍戸の言葉が引っかかったは、シトシトと降る窓の外の雨に目線を移して意識をそらした。
「もうすぐ……、都大会だね」
「ん? ああ」
「ウチは地区予選は正レギュラー出なかったんだって? 榊先生、相変わらずね……。都大会だって、出ないかもしれないんだよね?」
「なんだよ、また長太郎から聞いたのか?」
「お、鳳くんは別に……。でも、鳳くんも自分は関東まで出番がないかもって言ってたし、宍戸くんだって去年からそう言ってたけど」
「そうだっけか? ま、別に構わねぇだろ。都大会なんざレベル低くてつまんねぇしよ」
 宍戸はというと顎を支えていた右手をプラプラと遊ばせながら、余裕というよりは鼻で笑っているような態度を取り――今度こそは少々ムッとした。
「本当に大丈夫なの?」
「は……?」
「宍戸くん、最近ちょっと変わった。前は……そんな物言いしなかったのに」
「ハァ、どういう意味だ?」
「だって、正レギュラー用の部室だって、二年前はあんなに納得できないって言って――」
「んだよ、正レギュラーなら当然だろ、あれくらい」
 言葉に被せるようにして言われ、は益々眉を寄せる。
「けど……」
「まだ文句あるってのか?」
 するとジロリと睨まれて、としては言い合いをしたいわけでもないためなるべく声を落ち着かせるようにして少しトーンを落とす。
「そういうわけじゃないけど……。正レギュラーになって、随分と考え方が変わったなって。そりゃ、凄いと思うけど……都大会だって勝ち上がらなきゃ次にはいけないんだし」
 レベルが低いからつまらないとかそういう問題ではないのではないか。と付け加える前に宍戸はドンとの机に両手をついて三白眼で凄みつつこう言い放った。
「つまり何だ? お前は俺が負けるとでも言いたいってのか?」
「え……そういうわけじゃ……」
「いい度胸じゃねぇか。そこまで言うってんなら大会来いや、お前の目の前でラブゲーム決めてやらぁ!」
「え……?」
「今度の日曜、青春台の柿ノ木坂テニスガーデンだ、いいな!」
「え……!?」
 売り言葉に買い言葉、というよりも頭に血を昇らせた宍戸によっては一方的にそう公言されてしまった。そうして既に前を向いてしまった宍戸は頑として動こうとしない。
 しばし宍戸の背を見つめたのち、はふっと肩を落とした。雨はますます激しさを増している。まるで不安を煽るような――。この音でさえ、鳳の耳には優しく聞こえるというのだろうか、と過ぎらせつつは案ずるような目線を宍戸に向けた。
 宍戸が変わった。――というのは思い違いかもしれない。けれども、宍戸は新年度になって正レギュラーとなり、特に中間考査を突破して以後は以前のような何かにつけて跡部に向かって行っていたような反骨心が鳴りを潜めたように思う。しかしながら、正レギュラー、という言葉の威力はそばにいる自分もイヤというほど感じているし、変わってしまうのも無理からぬことかもしれない。だけども――なにも変わらない人もいるのにな、と強くなる雨音に鳳の姿を浮かべつつ、その日は宍戸とそれ以上話すことはなく放課後となっては部活へと足を運んだ。
 雨はいまだ止んでいない。こういう時、テニス部は室内で素振りでもしているのだろうか。それとも、あの豪奢な部室で筋力トレーニングや作戦立案に精を出しているのか。それとも――今日は金曜ゆえに練習は休みなのか。
『今度の日曜、青春台の柿ノ木坂テニスガーデンだ、いいな!』
 少し気分が重い気がするのは、雨による湿気のせいなのか。それとも。窓を叩く雨音を耳に入れながら、そっとは小さく首を振るった。



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