中間考査で五教科全て70点以上を取得するために宍戸から理数系プラス英語を見てくれと請われ、承諾して有無を言わさず試験勉強開始となり――、二週目に入るとさすがにも気疲れしていた。
 しかしながら、宍戸にしてみれば念願の正レギュラーとなり大会目前だったというのに今までの努力が無になるかどうかという瀬戸際なのだからプレッシャーも一入だろう。中間考査というものは出題範囲が限られているのだから、暗記科目ならば暗記だけを徹底していればかなりの確率で高得点が期待できる。これはもはや本人の気力次第だ。やはり鍵を握るのは数学――そして理科と英語だろう。
 気が重い――とは試験を来週に控えた木曜、重い足取りのままサブ視聴覚室へと向かった。今日は選択フランス語の授業があるのだ。視聴覚室に入ると、例によって偉そうな態度の跡部が目に飛び込んできたが気にしている場合でもない。静かに空いている席を探して着席すると、「よう」とどういうわけか当の本人が話しかけてきてしまい、軽く頬を引きつらせながら顔をあげる。
「なに、跡部くん?」
 一年以上も一緒に同じ授業を受けているというのに、いまだには跡部の持つ独特の雰囲気に慣れずにいた。とはいえ跡部本人は気にする様子もなく偉そうな態度を崩さない。
「宍戸のヤツが大変なことになってるんだってな、アーン?」
 その声に、は若干目を見開いた。宍戸は中間考査の件は誰にも言っていないはずだ。
「どうして……」
「この俺様に知らねぇことがあると思ってんのか?」
 しかしながら跡部は部長であるため内々に小林から話が行っていても不思議ではないか。と跡部の言葉を耳に入れつつは納得した。
「ヤツのことだ、どうせお前に勉強教えろとでも言ってきてんだろ? ったく、いい身分だよな。正レギュラーになったからって浮かれてやがるからこうなんだよ」
「ちょっと、そんな言い方……」
「俺様はテニス部のキングであり、成績も学年トップだぜ?」
 果たして、自分に跡部と会話のキャッチボールが出来る日は訪れるのだろうか。日本語がいけないのか? フランス語で話し続ければ会話も持つのだろうか? などと疲れと混乱からか自身でも支離滅裂なことを考えていると、跡部はある程度満足したのか「ま、この事は誰にも言ってねぇから安心しな」と言い残して去っていった。
 ハァ、と深い溜め息を吐いただったが、溜め息の量が増えているのはむろんだけではない。
「で、断面図がこれで……空間がこうなって……つまり……」
 宍戸は目の下にクマを湛えたまま、ぶつぶつ念仏を唱えるように呟きながら必死に数学の問題を解いていた。どうにか大まかな仕組みは分かるようになってきたが、少々捻った問題が出てくるとお手上げに近い。曰く基本問題が解ければ十分合格点は取れるから、応用は捨てていこう。五教科全てが合格ラインに達したと思ったときに初めて手を付ければいい。なぜなら時間が勿体ないから。とさすが理数系が得意らしき合理的なアドバイスをくれたが、そう上手いこと切り替えができない宍戸である。元々得意である暗記科目は一人の時間や細かな空き時間に回し、といるときはひたすら苦手科目と向き合って質問に質問を重ねた。恥じている暇すらないのだ。これがもし跡部だったら「こんな問題もわからねぇのか、アーン?」などと上から目線で見下されるに決まっているが、同じクラスで既に自分の実力などバレバレの相手ならば恥も少ないものだ。
 ちくいち質問される側のは、宍戸が問題を解いている間は暗記科目の復習に当てているようで、いちいち手を止めなければならないために内心は苛立っていたのかもしれないが、表向きはイヤな顔をせず丁寧に教えてくれた。
 ――氷帝が目指すのは全国制覇のみ。この俺がレギュラーになったってのに、負けるどころか試合に出ずに終わるなんて、たまるかよ! ――その思い一身で宍戸はどうにか試験期間まで乗り切り、試験の最後の科目が終わった瞬間に「終わったー!」と絶叫したかと思うと机に突っ伏して倒れるように爆睡した。
 ふー、とも突っ伏してしまった宍戸の背を見て大きな息を吐いた。ともかく、あとは結果を待つのみである。思えば試験期間を入れて三週間弱――あっという間のようで長い長い日々だった、とは疲れから目頭を押さえた。
 まだ午前中ではあるものの、テスト期間であるために既に放課後だ。美術部はテスト期間は休みとなっていたため今日は部活はなかったが、この三週間まともに絵を描く時間の取れなかったは一度大きく伸びをすると教室を出た。そうしてテスト終了にはしゃぐ生徒達の声を耳に入れつつ特別教室棟へ向かう。やはり、人の気配がない。は美術室に向けようとしていた足をふと階段の所で止めて、上を見上げた。そういえば、随分と長いこと音楽室にも顔を出していない。一度唇をキュッと結んでから、美術室に向けるはずだった足を音楽室へと向けて階段を上がり、そっと音楽室のドアを開いてみる。もしかしたら音楽教師の榊がいるかもしれない、と思ったものの音楽室はシンと静まりかえっていた。
 昼の光がいやに眩しい。ほんの少しだけこの空気が懐かしいな、と思いつつはグランドピアノにそっと触れてみた。そうして蓋をあけ、鍵盤をそっと見つめてみる。さすがに椅子に座って弾き鳴らす勇気はなかったが、立ったまま静かに鍵盤に指を置き、ポン、とそっと鳴らしてみた。刹那、微かにこそばゆい感覚が身体を巡っては戸惑った。鍵盤を鳴らす鳳の指は、大きくてもっと骨張っていたっけ――などと過ぎらせてしまって思わず首を振るう。そして再度、ポン、ポン、と鍵盤を鳴らしては緩く微笑んだ。
「あんなに弾けたら楽しいだろうなぁ」
 一人ごちてなおピアノを鳴らし、ふふ、と微笑んでいると、ふいにガラッと音楽室のドアが開いては反射的にパッと鍵盤から指を離して振り返る。
「あ……」
「せ……、先輩」
「鳳……くん」
 まさか本当に本人が現れるとは思ってもみなかったは、キュッと手を握りしめて数秒間鳳を見つめてしまった。対する鳳も少々驚いたような表情を見せてから、ふ、と微笑んでこちらへとやってくる。
「ピアノの音が聞こえたから、誰かと思ってたんですけど……。どうしたんですか?」
「え……と、その」
 とっさに答えられないでいると、鳳はごく自然に「あ」と思いついたようにの顔を覗き込んだ。
「もしかして、俺のこと待っててくれたとか?」
「え――ッ!?」
 パッとは鳳から離れて狼狽した。一瞬にして顔が熱くなったのが自分でも分かる。その様子を見た鳳の方も自分でどんな台詞を吐いてしまったか自覚したのだろう、みるみるうちに頬を紅潮させて慌てている。
「い、いえ、その、俺……あの、すみません! 別に、その……ッ」
 もはや何を弁明したかったのか言葉さえうまく繋げていない。しばし二人であたふたして、そのうちに二人は顔を見合わせてお互い笑い合っていた。
「なんだか、先輩に会うの久々ですね」
「うん。最近、お昼休みにぜんぜんこっちに来られなかったから」
「あ……分かった。試験勉強してたんでしょう?」
「え……?」
「目の下にクマ、できてますよ。そうとう気合い入れてたんですね」
 もしや宍戸の勉強を見ていたことがテニス部に伝っているのか? と警戒したのも一瞬、そんな風に言われたものだからはパッと自身の顔を手で覆った。確かに寝不足で、見苦しい顔になっているだろうという自覚はあったからだ。
「やだもう……。あんまり見ないで」
 その仕草を、まるで小動物のようで可愛いと鳳が思ったか否かはともかく、が目を伏せた上で鳳は軽く笑みを漏らした。
 の方は気恥ずかしさも相まって、取りあえず話題を変えようと試みる。
「そ、そうだ。テニス部は今日は練習じゃないの?」
「今日ですか? はい、今日はオフです」
「テスト期間だから?」
「いえ……、金曜日はオンとオフが交互になっていて、今回はたまたまオフなんですよ」
 そういえば、とは部長が「テニス部の練習は読めない」と言っていたことを浮かべていると鳳は更に柔らかく笑った。
「オフなんですけど……俺は午後から自主練しようかと思って。大会も近いですし」
「あ……そ、っか。大会……」
 まさについ先ほどまでそのことで宍戸と共に勉強漬けだったわけであるが、そのせいで失念していたことをはリアルに思い出してしまった。鳳が、この氷帝学園の"華"であり"女生徒の憧れ"でもある正レギュラーだという事実を、だ。むろん鳳がレギュラーを勝ち取ったことは喜ばしいことなのだが。
「俺は関東まで出番がないかもしれないんですけど。って……先輩……?」
「あ、ううん、なんでもない。じゃあ、私……そろそろ行くね」
「え……!? ちょ、ちょっと待ってください、まだ――」
 鳳に笑いかけてその場を抜けようとしただったが、鳳としてはの行動は想定外だったのだろう。引き留めようとしてか、グイ、との右腕を引っ張ってしまいは予想外の力が加わったことでバランスを崩し――クラッと意識が一瞬遠のいてしまった。
「せ、先輩――ッ!?」
 やばい、と立ち眩みを起こした瞬間は感じたものの特に倒れ込んだ衝撃もなく、意識が戻って視界の焦点が合ったのは何秒後のことだっただろう。うっすらと瞳を開けると間近で心配げにこちらを覗き込んでいる鳳と目があっては小さく目を見張った。
「先輩、大丈夫ですか? すみません、俺が急に引っ張ったせいで……」
 申し訳なさそうに鳳の瞳が揺れている。そこでようやく、は鳳が自分を抱き留めてくれたのだと理解した。鳳は今なお片膝をついて右腕でしっかりとの肩を抱いている。
「あ……そ、その」
 近い――、とは理解したと同時に痛いくらい心臓が跳ねたのを自覚した。しかも、これだけ密着していれば動揺に気づかれたかもしれないと別の動揺が生まれるも、鳳がめいっぱい自分を抱き寄せているせいで身動きもとれず、目を伏せるくらいしか逃げる術もない。
「あの、もう平気……だから……」
「あ! す、すみません」
 鳳もこの状況にハッとしたのだろう。の身体を丁寧に引き上げて立たせてから、そっと手を離した。
「先輩……俺、」
「ありがとう、支えてくれて」
「え!? いえ、元々俺が引っ張ったせいで……」
 はまだ鳳と目を合わせるのが気恥ずかしかったが、俯いても頭上で鳳が焦っている様子は否が応でも伝ってくる。確かに鳳が引っ張ったことはキッカケではあったが、そもそもの要因は寝不足と物理的・精神的な疲れによる肉体疲労だろう。
「ううん、気にしないで。たぶんちょっと寝不足でクラッときちゃっただけだから。それより……なにか用だった?」
「え? 用っていうか……俺は、もう少し先輩と話したくて」
「え……?」
「あ! その、疲れてるみたいですし、無理にとは……」
 が顔をあげると、今度は鳳のほうが少しばかり目をそらしてしまった。――鳳は、やはりいつもの鳳だ。変わってしまったことは鳳がテニス部の正レギュラーとなってしまったことだけ。自身でも明確な言葉で言い表せないモヤモヤが胸中で渦巻いていたが、グッと押し殺してからは、ふ、と笑った。
「ううん、無理じゃない。鳳くんがいいなら……喜んで」
 すると鳳の顔がパァッと明るくなり、はほんの少しだけ笑みに自嘲を混ぜた。
「良かった。じゃあ……先輩、久々になにか聴きたい曲はありますか?」
「うーん……、弾いてくれるのは嬉しいけど、いま聴いたら確実に寝ちゃうかも」
「あはは。別に構いませんけど……でも、そうだな」
 ちらりと鳳は音楽室の時計を見やった。ちょうど昼時だ。鳳はそっと開いたままだったグランドピアノの蓋を閉じた。
「お昼、食べに行きません? 俺、ちょっと音楽室に寄ってから取ろうと思ってたんでまだなんです。付き合ってください」
 鳳は無意識なのかもしれないが、ずいぶんと断りにくい誘いかただ。むろんとて昼食はまだなのだが、例え済ませていてもこれではノーとは言えまい。
「うん。じゃあ……外で食べない? 良いお天気だし」
 けれども、学食で多数の生徒の中で二人、というのはいささか憚られてそう提案すると鳳は笑って頷き、揃って音楽室を出る。そのまま雑談を交えつつ二人して購買部へと足を運ぶと、ちょうどパンのコーナーの所に見知った人物がいて「あ……」と二人は揃って声をかけた。
「宍戸くん」
「宍戸さん」
 呼び声に振り返った人物――宍戸は二人の姿を確認して若干目を見開く。
……、長太郎」
 そんな宍戸の手には例によってチーズサンドが握られており、は少しだけ宍戸の方へ歩み寄った。
「もう起きたんだ」
「ああ、腹減って目ぇ覚めちまってよ」
「それで相変わらずチーズサンドなんだね」
「んだよ、いいだろ別に。お前こそ、ちったぁ何か食えよな。苦いコーヒーだけじゃ胃壊すぜ」
「ちゃんと食べてるよ」
 二人にとっては日常通りの会話だったが、そばで鳳がそれをどう聞いていたかは分からない。ただ、僅かに眉を歪ませた自身を叱咤するように小さく首を振るってから、鳳も宍戸の方へと歩み出た。
「宍戸さんも寝不足なんですか? すごいクマですよ」
「う、うるせぇ! 俺はお前みたいな優等生じゃないんでな、余裕なかったんだよアホ!」
「俺だって別に余裕があったわけじゃないっすよ」
 目のクマを指摘された宍戸はバッと鳳から顔をそらして悪態を吐き、鳳にしても宍戸の悪態は慣れているのかさらりと受け流していて逆にの方がハラハラしながら聞いていた。そして4つほどのチーズサンドと飲料を購入して去っていった宍戸を見送ってから達も昼食分の食料を購入し、購買部を出る。
「私が言うのもなんだけど、宍戸くんは口が悪いから……ごめんね」
「別に気にしてませんよ。でも……あの様子だと相当勉強してたんでしょうね」
「うん……。そう、ね」
 事情を知っているとしては知らないふりをするのはいささか心苦しかったが、どうにか相づちを打って真昼の太陽に目を細める。絶好のピクニック日和である――というのもおかしな話であるが、氷帝学園というのはとにかく敷地にゆとりがあり草木花の鑑賞をしつつランチという場所には困らない。しかも特に今日は既に下校した生徒も多くいるため、人もまばらだ。達はしばし歩いて幼稚舎へと続く道のベンチに腰を下ろした。
 ああ、と鳳が懐かしむような視線を遠くにやる。
「幼稚舎の頃、中等部の方へ来ることは滅多になかったんですけど……六年生の終わり頃はなんだか気が逸ってしまってソワソワしながらこの道を行ったり来たりしてたな」
 独り言のような呟きに、へぇ、とは鳳の視線を追った。
「ランドセル背負って?」
「そうですね。なんだか、随分と昔のことだったような気がします」
「もしかしたらすれ違ったりしたかもね、その頃に。きっと可愛かったんだろうなぁ、幼稚舎のころの鳳くん」
 ふふ、とその頃の鳳を思い浮かべて微笑ましく思うの声に、鳳は若干言葉を詰まらせて苦笑いを漏らした。
「それ、複雑です……」
 心地よい春のそよ風が辺りで咲いている色とりどりの花を揺らし、青々とした木々の葉も爽やかでぼんやりと眺めているだけで何時間でも過ごせそうな陽気だ。鳳は存外に花の種類や花言葉に至るまで詳しく、目に付いた花壇の花について二人して話し始めるとついつい時を忘れて盛り上がってしまう。
「鳳くん、詳しいね。男の子なのに意外……」
「先輩こそ、やっぱり風景画が得意だから詳しくなったんですか?」
「あ……私は、逆かな。うちの父、大学で自然科学の研究してるんだけど……そのせいか小さい頃はよく色々な植物を見に連れていってくれてね。それで私は傍らで絵を描いているうちに、そっちに夢中になっちゃったの」
「へぇ……。そうなんですね。じゃあきっと先輩が理数系得意なのも、お父さん譲りなんですね」
「そうかなぁ……やっぱり」
 鳳こそ、これほどおっとりしているのだからさぞ穏やかな家庭で育ったのだろうな、とは微笑む鳳を見つめつつ改めて思う。こんな彼が、あの跡部率いるテニス部で正レギュラーを張っているというのは未だに想像しにくいものだ。
「鳳くん、テニス部はどう? その、跡部くんとは……うまくいってる?」
「え……?」
「あ、ごめんね、変な意味じゃなくて……ほら、目立つ人、だし」
 鳳は一瞬キョトンとしたものの、の質問する意図を悟ったのだろう。あはは、と慣れたように笑った。
「部長はすごく遠い人でなかなか追いつけないですが、とても尊敬してます。それに……けっこう話も合うんですよ」
「え!? ホント……?」
「はい。跡部さん、西洋の文化に詳しいので、よくあっちの建築物とか音楽の話をさせてもらってます。特に俺、イギリスの建築や街並みが好きであちらの写真を見せて頂いたりとか」
「あ……。なるほど、そっか。そうだよね」
 もあまり詳しくはなかったが、跡部はイギリス生まれのイギリス育ちらしく氷帝に入学する少し前に帰国した、というのは知っていた。――むしろそのせいで日本語があまり得意ではないのかもしれない。と跡部と会話をしているときは何度もそう自分に言い聞かせてやり過ごしたこともある。確かに跡部なら芸術面での話し相手として申し分ないだろう。しかし。自分ならすぐに言い合いに発展するのだろうな――とは過去の様々な跡部との会話を思い出して少しだけ肩を竦めた。
 午後の陽気が本当に心地よい。絶好のスケッチ日和だな――と考えるも瞼が重い。この三週間、ひたすら突っ走ってきたの身体は限界に近かった。鳳の穏やかな声もどこか眠りを誘発するようで――、ついウトウトしてしまったはほぼ無意識のうちに鳳の肩にもたれかかって浅い眠りに落ちていた。
 そして気づいたのはどれくらい経ってからだったろう。ふと、薄く瞳をあけると視界がぼやけていて、の脳はいまの状態を把握することができない。
「あ、起こしちゃいました?」
 そばで鳳の声がして、頭に疑問符を浮かべること数秒。自分のものではない身体の熱が伝っている感覚にハッとしたは、勢いよく鳳から身体を離して口元を押さえた。
「ご、ごめんなさい! えっと……私、どれくらい寝ちゃってた?」
「ほんの2,30分ですよ」
 ほんの数分、なら分かるが数十分単位だったのか――とさらにの身体には熱が駆けめぐった。本当に、今日の自分はどうかしている。おまけに間の抜けた寝顔を晒したのかと思うと逃げ出したい衝動に駆られたがそうもいかない。
「ご、ごめんね、その……」
「いえ。俺の肩でよければ、いつでもお貸ししますよ」
 鳳は本当に気にしていないのだろう。いつもの穏やかな笑みを崩さない。だがそういう言葉は――、他意もない、優しい鳳だからこそなのだろうな、と感じてしまったは少しだけ複雑な心境に陥ってしまった。とはいえ、後輩相手に居眠りまでやってしまった失態はやはり恥ずかしい。
「えっと……そ、そろそろ部活行かなくて大丈夫?」
 もはや話題をそらすくらいしかにできることはない。鳳は「そうだな」と時間を確認するかのように少しばかり傾いた太陽を見上げる。
「それじゃ、そろそろ行きましょうか。先輩は、今日は部活あるんですか?」
「あ、うちもオフなの。でも……私も自主練して帰ろうかと思って」
「えっ……? 先輩は今日は帰ったほうがいいっすよ」
 立ち眩みに続き今の居眠りで鳳の方はよほどが無理をしていると感じたのだろう。本気で案ずるような視線を向けられて、としては情けない気持ちの方が強く出てしまった。
「大丈夫。十分、休ませてもらったから」
「けど……」
 反論しかけた鳳は、そこで言葉を止めて、変わりに小さく溜め息を吐いた。止めても無駄だと諦めたのだろう。
「あんまり無理しないでください、心配です」
 はそんな鳳を見上げつつ少し肩をすくめてから、「ありがとう」と言った。



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