「あ、流川」
「いると思ったんだよな」

 夏休みを直前に控えた日の昼休み。
 屋上の給水塔の陰で黙々と弁当を食べていたら自身を呼ぶ声が聞こえて流川は顔をあげた。すれば、同級生でありチームメイトでもある桑田、石井、そして佐々岡の姿が視界に入る。
 ここに桜木も加えた5人のみが生え抜きのバスケ部員であり、流川にとっては同級生の中では格段に話をする相手でもあった。
 彼らは当然のようにそばにやってきて同じように弁当を広げはじめたが、流川としては拒む理由もなく一緒に昼食を取ることはままあることでもある。
「オレ、お盆はばーちゃんちに帰省だよ」
「オレは父さんの休みが取れ次第だけどどこか旅行行こうって話になってる」
「いいなー、オレんちはそんな話まったくないよ」
 目下の彼らの話題は夏休みのオフの過ごし方らしく、流川は基本的には話には混ざらずに彼らの声を聞くことに徹している。
 今日も同じように黙々と弁当を食べ続けていると、ふいに石井がこちらに話題を振ってきた。
「流川はなにか予定ある?」
「……べつに……」
 練習あるし、と続けると石井は乾いた笑みを漏らした。すると、さらなる話を引き出そうとしてか桑田がこう付け加えた。
「彼女と出かけたりとかしないの?」
 その言葉に佐々岡と石井も探るように流川の方へ視線を向けてきて、流川はいったん手を止めた。
「あ、ゴメン。別に深い意図は――」
「まー、時間があれば……」
 手を止めたことを自分が不快に感じたと思ったのか謝ろうとしてきた桑田を遮るように言えば、いっせいに3人の目がこちらを注視した。
 なんだ? と思っていると彼らは視線で相槌を打ち合ってさらなる質問を重ねてくる。
「流川の彼女って海南の牧さんの妹だったよな?」
「そう」
「じゃ、じゃあ彼女の家にいったら牧さんいたりするの?」
「いる」
 控えめながらも聞きたくてたまらなかったとばかりの矢継ぎ早の質問に一言のみで答えていくと、3人はまたも顔を見合わせて互いに驚いたような顔を晒していた。
「ま、牧さんと話したりとかも……?」
「会えば、まあ……フツーに」
「さ、さすが流川だよな……オレ牧さんとまともに話せる自信ないよ」
「怖そうだもんな」
「別に怖くねーけど……」
 彼らにはどうやら紳一に対する畏怖のイメージがあるらしく、紳一と特に問題なく会話が成立している流川としては理解しがたく頭を捻っていると桑田が「でも」とこちらに視線を流してきた。
「美人だよな、流川の彼女」
 言われて流川は目を瞬かせた。の美醜など意識したことはなかったが……と思い描くと真っ先に脳裏をよぎったのは美しいジャンプシュートを決めるの姿で、思わず目を細める。
「まあ……確かに」
 とりわけのシュート勘というのは時に羨ましさを覚えるほど鋭く、キレイだ……と思い返しているとやたら3人が微笑ましげにニコニコしており「なんだ……」と流川は首を捻る。
「いいよなぁ……ウチのマネージャーもだけど全然似てないもんな、その……お兄さんに」
「でも元神奈川の帝王の妹か……オレだったらぜったい緊張しちゃうよ」
「いつから付き合ってんだ?」
「……去年の国体のあとから……」
 たぶん、といまだにいつからと付き合っているかそもそもお互い付き合うと言葉にしたことはないためそれさえも定かではないのだが。と過らせていると「そっか」と石井が思い出したように言った。
「国体の時にコーチしてた人だったよな」
「もしかしてまだ一緒に練習とかしてる?」
 聞かれて、こく、と頷く。
 しかし、と流川は思う。彼らに聞かれたから「彼女」だと肯定したが……は自分にとってはどういう存在なのだろうか。

 コーチで、バスケ仲間で、友人で、そして恋人――。

 どの側面もすべて自分にとってので、とても一言で言い表せない……とさらに盛り上がる桑田たちの声を聞きながら流川はぼんやりと晴れ渡った空を眺めた。


 ――夏休み。

 8月に入ればすぐにインターハイである。
 今年の会場である名古屋へ向かう車の助手席では盛大にため息を吐いていた。
「流川くんも来れば良かったのに……」
 何度目かわからない呟きを飽きもせず呟くと、ハンドルを握っていた紳一が苦笑いを漏らした。
「まあ、湘北も練習があるんだろ」
「そうだけど……」
 会場が名古屋であるがゆえに紳一たちは里帰りを兼ねており、紳一にしても流川が家に来ている時に一緒に行くかと誘いはしたのだ。が、答えは「行かねーす」の一言。は再びため息を吐く。
「お盆は湘北だって部活休みなのに……私が愛知にいるから会えないし……」
「盆は流川も里帰りとかあんじゃねえか?」
「んー……」
 くるくると少し伸びてはまた切っていまも肩に届くか届かないか程度の髪を指に巻きつつ、は背もたれに体重をかけた。
「流川くん、NBAの試合はしょっちゅうビデオで観てるのに高校生の試合って全然興味ないみたいでほとんど観ないのよね」
「まあ流川レベルは全国でもそう何人もいねえからな……」
「目指してる先がアメリカだから日本じゃ不足なのかもしれないけど……。インターハイは特に神奈川代表が陵南と海南だからあんまり観たくないのかも」
 言った先で陵南を……仙道を浮かべる。仙道は、厳密に言えば自分が流川と初めて会った日から、流川が一方的にライバル視している相手だ。そう、あの湘北と陵南の練習試合である。あの時は流川とこうして付き合うようになるなど想像もしていなかったが、流川があれ以来どれほど仙道に敵愾心を抱いているかは見知っている。
 ――仙道は流川の良い見本になるべき優れた選手でもある。が、流川の前でそれを大っぴらに言うのはさすがに憚られて仙道の話は極力しないように努めているである。
 相も変わらずオフェンスに偏っている流川の能力を省みれば、仙道のプレイを観察することは彼にとってはプラスになると思うのに……などと思い浮かべては小さく息を吐いた。

 ――名古屋。
 相も変わらず名古屋の夏は蒸し暑い。
 そんな熱気の籠った中で開催された今年の高校総体。男子バスケットボールトーナメントは例年通り、去年は準優勝を誇る海南大附属が快進撃を見せつけた。
 そして海南とはトーナメント反対側の山でダークホースとなり、日に日に会場を沸かせてメディアの注目度を上げていったのは同じ神奈川代表である陵南高校だった。
 1回戦、2回戦と順調に勝ち進み、ついにはベスト8戦――陵南vs豊玉。陵南は、や紳一と共に観戦していた海南陣をも驚かせるほどの見事な戦略で完全に豊玉を抑え込んで鮮やかな勝利を収めた。
 そして――。

「行くぞ! 仙道君だ! おい、カメラ持ってこい!」
「仙道君、ちょっといいかな!」
「仙道君――!」

 沸き立つ報道陣からのフラッシュの渦にキョトンとしている仙道を尻目に、と紳一はその場をあとにする。
「すごかったね仙道くん……。豊玉のラン&ガン封じも仙道くんのポイントフォワードあってこその戦略だったし」
「まあな。大会を通しての仙道の気合いは怖いくらいだぜ……ある意味あいつらしくないというか。ま、最後だし本気で優勝狙ってんだろうな」
「ん……」
 そんな会話をしつつ歩いていると、「お」と紳一が足を止めて目を瞬かせた。も彼の視線の先を追って「あ」と呟く。目線の先にいたのは複数人の青年たち。も見知っている紳一や諸星の中学時代のチームメイトたちである。
 声をかけたそうな紳一に、じゃあ30分後にロビーで待ち合わせ、と告げてはその場を離れた。
 そしてまだ熱気の冷めやらない会場を歩きながら思う。いよいよ陵南もベスト4。海南・陵南と互いにトーナメントを勝ち上がったらこの二校で全国の決勝を戦うなんてこともあるのだろうか。その場合はさすがに海南を応援すべきか……などと海南の制服に身を包んでいる自分を顧みつつ、目に入った自販機でドリンクを勝って一息ついた。
 息を呑む展開続きの試合で予想以上に喉が渇いていた、と先ほど見たばかりの陵南の試合を思い浮かべる。今日の陵南は持ち前のディフェンス力で豊玉オフェンスを封じ、そのうえで豊玉得意のラン&ガンに真っ向勝負を挑んで見事に制した。その中心にいたのはやはり仙道で、あまりの華やかさに清田などは立ち上がって仙道にラブコールを送るという事態にまで発展したほどだった。
 やはり仙道のプレイは人の目を惹きつける。流川にあんな風になれとはいわないが、やっぱり参考にできるところは色々あるよな……などと思っていると、「あー……まいった」などというどこか聞き覚えのある低い声が小さく耳に届いた。
 なにげなく振り返ると、いままさに思い浮かべていた人物――仙道の姿が瞳に飛び込んできては目を瞠る。
 仙道の方もそうだったのだろう。雑踏の中だというのに互いに時が止まったかのように互いの目を見て、まるで金縛りにあったように固まってしまった。
 先に口を開いたのは仙道だった。
ちゃん……。久しぶり」
「えッ……あ、うん。久しぶり」
「観に来てたんだな、インターハイ」
 言いつつ、ははは、と常のように軽く笑って仙道は自販機からスポーツドリンクを購入した。そしてプルトップを開ける仕草をなんとなく見つつ、は思う。
 仙道とこうして顔を合わせるのはほぼ一年ぶり……、流川と付き合うことを決めたあとにケジメを付けに行った時以来だ。もう一年近く経っているはずだというのに、まだちょっと緊張する、と持っていたドリンクの缶を無意識に握り締めてしまった。
「あ……あの、ベスト4進出、おめでとう」
「ん? ああ……サンキュ。まあまだこれからだけどな」
「陵南の人たちは……」
「さあ。控室じゃねえかな」
「あ、そっか……仙道くん報道陣に囲まれてたもんね」
 どこかぎこちないまま言えば、取材の類をあまり好んでいないらしき彼はあっけらかんとしつつも「しんどかった」などと零した。
 は相槌を打ちつつ、明日も頑張って、とこの場を去るタイミングをうかがっていると不意に仙道がジッとこちらを見つめてきた。探るようでいて真っすぐな視線に、の胸がやや跳ねる。
「な、なに」
「いや……髪、切ったんだなと思ってさ」
「え……? あ、うん」
「もしかして流川の趣味とか?」
 ははは、とさらりと仙道が言っては少しだけ目を見開く。――キュ、とドリンクの缶を握り締めた。
「もうずっと切ってなくて、動くのに邪魔になってきたから……流川くんは関係ないよ」
「へえ……。けど、もったいねえな。似合ってたけどな、長い髪」
 仙道はどこか懐かしむような目で言った。彼はきっと本心からそう思って言ってくれているのだろう。だが。

『髪型が変わろうとあんたはあんただろ』
『動きやすくなったんじゃねえ?』
『今日は高く跳べんのか?』

 なぜか強烈に流川から言われた言葉が頭にリフレインして、はいまはっきりと……はっきりと流川を選んだことは自分にとって正しかったのだと感覚的に理解した。
 ――流川に会いたい。いますぐに会いたい、と過らせていると「仙道!」と声が響いた。あ、とは我に返る。
「お兄ちゃん」
「牧さん……」
 紳一の声だ、と思うと案の定で相も変わらず彼はどこか警戒気味にの前まで歩いてきて仙道を見やった。
「お前らなにしてんだ、こんなとこで」
「なに、って……たまたま会っただけですけど」
「う、うん……。のど乾いたから飲み物買ってたらたまたま……」
 一瞬だけ微妙な空気が流れるも、フー、と紳一は息を吐いてから腰に手をやった。
「これで陵南もベスト4だな……、調子良さそうじゃねえか」
「海南こそ……、今年も良いチームだってインターハイでも評判ですよ」
「そうらしいな。ま、オレは単なる気楽な傍観者だからな」
 そうして、行くぞ、と紳一に促され「うん」とも頷く。
「じゃあ仙道くん、明日の試合も頑張ってね」
 紳一が来てくれたことに若干ホッとしつつ会場をあとにし、祖父母宅に戻る車内では盛大にため息を吐いた。
「流川くんに会いたい……」
「は……!?」
「だってお盆もこっちにいるし、しばらく会えないもん。もうインターハイ終わったら先に神奈川に帰ろうかな……」
「……流川は部活があるんじゃねえのか。それにあいつの盆の予定知ってんのか?」
「知らないけど……でも流川くんだったらお盆もいつも通り練習してるだろうし」
 会いたい、とボソッと言うと紳一はそれ以上は何も言わなかった。おそらく先ほど仙道と会ったこともあり何かを察したのだろう。
 せめて声が聞きたい。電話したらおうちにいるかな……などと思いつつ、はぼんやりと窓から流れる風景を見やった。


BACK TOP NEXT
陵南vs豊玉の詳細は仙道編を参照してください!→ Web拍手