5月も下旬が近づけば神奈川県大会インターハイ予選が始まる。
 トーナメント形式で予選が行われ、ベスト8から登場するスーパーシードとの一戦が済めば決勝リーグに進む4チームが確定する。そのうち上位2校がインターハイへの切符を手にするという仕組みだ。

 今年は大方の予想通り海南、陵南、湘北そして緑風が決勝リーグに進み、6月も下旬にさしかかればついに決勝リーグ開始である。
 海南の緒戦は緑風。そして湘北の緒戦は陵南だ。

 海南VS緑風は平塚の総合体育館で行われ、陵南VS湘北は別の会場――藤沢市だ。
 は紳一とともに平塚の総合体育館を訪れており、試合開始を待ちつつ時おりため息を吐いていた。原因はやはり……流川の事だ。相変わらず顔はほぼ毎朝合わせているものの、ここ最近の流川は日増しにピリピリしてくるのが見て取れ決勝リーグへの意気込みがいやというほど感じ取れた。
 今朝は会っていないため、彼がどんな状態で今日の試合に臨んでいるかは分からないが……と思いを馳せる。
「気になるのか、湘北が」
「うん……、陵南の仕上がりは見たいし。やっぱり流川くんも気になるし」
「こっちに来て良かったのか? まあうちも大事な緒戦だが」
「んー……あっちの試合、観たいようでちょっと怖いの。私がいてもいなくても、流川くんに影響は出ないだろうけど……私は仙道くんのプレイ、好きだし。でも陵南を応援してるわけでもなくて。湘北と陵南が予選勝ち抜いて海南がインターハイに出られないのはイヤだし」
「どうあがこうとインターハイに行けるのは二校だからな」
「流川くん、一年の春に陵南に練習試合で負けたせいかずっと仙道くんをライバル視してるから……今日もし負けちゃったらどんな顔して会ったらいいのか」
 敗北を引きずるタイプではなさそうだが相手が相手だけに、と個人的な事情も浮かべつつさらに息を吐いていると両校のメンバーが会場に入ってきてワッとギャラリーが沸いた。


「うおおおおお!!!」
「アリウープ! しかもバックダンクだとッ!?」
「やってくれるぜ仙道ーーー!!」

 一方の陵南vs湘北。
 陵南の見事な連携にまんまとディフェンスを乱された湘北は超高校級ともいえる派手なアリウープをバックダンクで植草−仙道という絶妙のラインに決められ、会場は割れんばかりの歓声で盛り上がりを見せていた。
 仙道にマンマークでついていた流川は力の限り仙道を睨みつけた。眼前で彼にダンクを許したのだ。胸中穏やかでいられるはずもない。
 仙道はというと、リングから手を放してコートに降り立ち「ふ」と流川に笑いかけた。
「勝ちまでお前に譲る気はねえよ」
 言われて流川は目を見開いた。――にゃろう、とさらに目線を鋭くする。含ませられている意味がいやと言うほど分かり、自軍のコートに戻っていく仙道を見送って宮城にパスをくれるよう目で合図を送った。
 そうしてフロントコートに走る。やられたらやり返す。取られたら取り返すは流川の信条だ。相手エースにやられた手前、次の一本は絶対に自分が決めるというのは自分のみならず他の湘北メンバーもある程度は思っているだろう。
「流川――ッ!」
 それに――と流川は宮城からパスを受け取って、ふ、と息を吐いた。
「一つ教えといてやるぜ」
「あ?」
 真正面から仙道を睨むと、すぐさま背を仙道に向けて流川は機をうかがった。仙道含めて陵南の誰もが自分がドライブインでやり返すと警戒しているだろう。だからこそ、と流川は足を踏み込む。
 ――去年の秋から何度も何度も練習を重ねたの曲線的なステップ。踏み込んだ刹那、仙道は驚いたのか反応が遅れたことが伝った。そのまま流川はゴール下に踏み込んで止めに来た福田と菅平をまるで踊るようにして抜ける。そうして飛び上がった瞬間、後ろから仙道にしゃにむにブロックされたのが伝った。が。
 ――決めてやらッ! とリングだけを見据えた流川の耳に鋭く笛の音が響く。

「青、4番! チャージング! バスケットカウント、ワンスロー!」

 ワッと揺れるように会場が沸いたのが伝った。
 グッと小さくガッツポーズしていると「流川!」と宮城が褒めるように腰を叩いてきた。
 顔を仙道に向ければ、彼は驚いたように肩で息をしている。事実、驚いたのだろう。これはから教わった技でもある。
「てめーに譲られたものなんざ一つもねぇ」
 仙道を一蹴してからフリースローラインに向かう。
 ――仙道との間に何があったのかは知らないが。自身が自分を選んだのだ。いくらが仙道のバスケを好んでいようが関係ねえ、と流川はそのまま審判に渡されたボールを投げあげてスパッとフリースローを決めた。


「3,2,1―――!」

 一方そのころ、平塚の体育館では海南vs緑風の試合終了のブザーと同時に客席からは唸るような歓声があがったていた。
 海南は相手の得点源を徹底的に絶つロースコア展開に持ち込み、まずは緒戦の一勝を得た形だ。
「いい緒戦の入り方をしたな」
「うん。うちは良いチームに仕上がってきてるね。にしても克美くんてなかなかいい選手じゃない? さすが三井さんの後輩……」
「マイケルも身体能力はピカ一だからな。しかし……もう一方はどうなってるか」
 ん、とは唇を結ぶ。
 藤沢の会場でもそろそろ試合が終わっている頃だろう。湘北か、それとも陵南か。
 明日の早朝には新聞に結果が載るだろうが。とそわそわと不安が入り混じった複雑な感情のまま一日過ごし、翌朝のはいつもより早く起きて朝靄の中を朝刊を取りに走った。
 そうして朝刊を開いて該当記事を探すと、紙面の半分を割いて書かれた記事に使われていた仙道の写真が飛び込んでくる。
「"アリウープ・バックダンクを鮮やかに決めた陵南の仙道選手"……けっこう差がついてる」
 試合結果は陵南の勝利。――ある程度は予測できていたことだ。さすがに仙道、予想以上に上手くなっているのかもしれない。
 ごく、とは息を呑んだ。
 流川は落ち込むタイプではないと思うが……、彼は今日の早朝もいつものように練習に来るだろうか?
 どのみち決勝リーグの間中ずっと会わないというのも不自然だし、取り合えず行ってみよう。とはすぐに準備をしていつもの公園へと向かった。
 が、さすがに早すぎたのか辿り着いた公園には誰もおらず、ふぅ、と息を吐く。あの流川が敗戦翌日に練習を休むなんてありえない。むしろ、より張り切るタイプに見える。
 準備運動でもしながら待ってみよう、と息を整えつつストレッチをしてしばらく。
 カタ、と自転車の停まる音が聞こえてはバッと振り返った。
 すれば入り口から流川が顔を出し、「あれ」と流川の方が先に意外そうな顔を浮かべた。
「めずらしい」
「え?」
「あんたが先に来んの」
 こちらに歩いてきながら流川はそんなことを言ってはあっけに取られる。
 準備運動をする流川にはどう話しかけるべきか考えあぐねた。
 勝っていれば素直におめでとうと言えるのだが……と色々考えているうちに流川は準備を終えたのかボールを手に取って差し出してきた。
「ディフェンス、やって欲しい」
「え……、あ、うん」
 ――は流川と練習する時は基本オフェンスをやっている。彼のディフェンス面を強化するためだ。
 むろん攻守を入れ替えることはあるが、要求してくるのは珍しいな。と思いつつも承諾してコートに入る。
 はディフェンスも得意としていたが、それでも流川をオフェンスで抜くより流川のオフェンスを防ぐことのほうが難易度が高い。なにせ流川のオフェススキルは高い上にバスケットはオフェンスが有利な競技。とはいえいつも見ているし、ドリブルで抜かせないことに集中していればまだなんとか……と向き合う事しばらく。
 何本目のオフェンスだっただろうか。ふ、と流川が見覚えのある足さばきを見せてはハッとした。そのまま波のように抜きにかかられてとっさに身体を引き、ほぼ無意識のうちに行き手を予測して左手で強く弾いていた。
 バシッ、と乾いたボールを弾く音が聞こえた。ボールが転がり落ち、二人して荒い息を吐きながら顔を見合わせる。
 先に流川が口を開いた。
「昨日……それで仙道からバスカン取った」
「え……」
「けど、やっぱあんたなら止めるんだな」
 言われて数秒、瞬きをしつつは腰に手を当てる。
「そりゃ……私の教えたステップだし」
 肩を竦めながら思う。どうやら昨日の試合で流川は国体合宿時から教えていたステップを仙道の前で披露したらしい。おそらく驚いた仙道はとっさに反応できなかったのだろう。
「あのあと、仙道もやりかえしてきた」
「え!?」
「オレは止めた」
 どこか勝ち誇ったように言う流川を見て瞬きをしつつ、そっか、とは笑う。
「残念……見たかったな」
「海南は……」
「勝ったよ」
 すれば、フン、と流川が鼻を鳴らす。
「次は勝つ」
「んー……次は海南対湘北だから、頑張ってとも言えないけど」
 流川は、む、と唇を引いた。湘北にとっては命運を分ける一戦になるだろう。海南が勝てば湘北のインターハイ出場はほぼ絶望的になるのだから。
「観にくんのか?」
「行く……けど」
 流川を応援するのは難しい。という言葉を飲み込んでいるとスタスタと流川はボールを取りに向かった。
「ディフェンス、やる」
 そうしてこちらにボールを投げてくる。通常練習に戻るという事だろう。
 分かった、と頷いて気合を入れなおす。
 そうして小一時間ほど続けたところで一旦休憩に入り、芝生に座ってドリンクを口にした。
 流川はスポーツ選手の例に漏れず強烈な負けず嫌い。とはいえ敗戦を心理的に引っ張るタイプではないようで、そのあたりは流川とはライバル校にいるはありがたかった。
 が……、個人的にライバル視しているらしい仙道のいる陵南に負けたばかりなのだ。おそらくは感じている悔しさも通常の比ではないはず。――けれども流川は、少なくとも表面上は普段と全く変わらない。

『これで益々流川には神奈川ナンバー1の座は取らせらんねえな。ぜってー湘北には負けられん』

 仙道は仙道であんなことを言っていたし。昨日、なにか話したりしたのだろうか。問題になるようなことは何もないはずだというのに、でも……とドリンクを芝に置いて息を吐いていると不意にスッと流川がこちらに手を伸ばしてきた。
「え……」
 その手が頬に触れては瞳を見開く。すれば視界にやや熱を宿したような切れ長の瞳が迫って、唇に温かい感触が伝った。
「んっ」
 ――コート上ではバスケ仲間でしかないが、ひとたびコートを出れば恋人同士なわけで。流川はその切り替えが恐ろしく鋭いのか、こうして休憩中に甘い雰囲気になることは珍しくはない。
 でもなぜ……と過らせたのは流川が早急に深く口づけてきたからだ。
「ん……っ、ん」
 奪うような激しさには無意識に眉を寄せる。執拗に口内を熱い舌があばれまわり、しばらくして少し唇が離れた瞬間に見た流川の瞳がやけに濡れて扇情的で、ドキ、との心音が跳ねた。
「ん……ッ」
 そのまま再び唇を重ねられてはさすがに流川の肩を両手で押し返した。が、びくともせずに逆に体重をかけられてややパニックに陥ってしまう。
「ん、……ちょっ……るか……ッ」
 こちらに身を乗り出してきた流川に押され、の背中は芝生に押し付けられた。そして流川がの両足の間に自身の足を割り入れてきては焦りながら流川が僅かに唇を離した隙に両手で流川の頬を包んだ。
「ま、待って……! なんで……っ」
 こんなところで、と必死に訴えると間近で目が合った流川もさすがにまずいとは認識できていたのか、う、と言葉を詰まらせた。
 そうしてハァとため息を吐いた彼はそのままギュッとの身体を抱きしめた。
「さいきん……あんたに触れてねぇ」
「え、」
「……してぇ」
 囁かれてゾクっとの肌が粟立つ。久々に感じる流川の身体の重みにの方もくらくらするほどの甘さと痛いほどの心臓の音を聞いていると、耳元に流川の熱い息がかかった。
「あんたは思わねーのか?」
「え……」
「オレに触れたいとか……思わねぇの?」
 ぴく、との身体が撓った。おそらく流川にも伝わっただろう。
「そ、そりゃ……思ってる……けど」
 そもそもいくらなんでも場所が……と細切れの声にならない小さな声で訴えていると、少しは落ち着いたのか流川はから身体を離して身を起こした。
 そうして彼はややバツが悪そうに背中を丸めている。も上半身を起こしてちらりと流川を見やった。
 確かに最近は県予選開始も相まって朝の練習以外では会っていないし、恋人らしい触れ合いはなかった。それどころか雑談もままならないレベルで流川はピリピリしていたし。でも……、昨日の敗戦となにか関係があるのだろうか? もしかして仙道となにかあったのか。なんて聞けないし、と流川を見やる。
「け、決勝リーグ終わったら……その……もっと時間とれると思う、し」
 しかし。予選が終わったらそういうコトをしようとずばり口に出すのはさすがに憚られてが言葉に詰まると、流川はそばに遊ばせたままだったボールを手に取って「ワリぃ」とボソッと呟き立ち上がって一人でゴールの方へ行ってしまった。
 そのままドリブルをして飛び上がり、何かをぶつけるように豪快なダンクシュートをしてみせた流川を見ながらはまだ収まらない心臓の音を聞いていた。


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