流川が新たなメンバーと部活に励む一方、は新年度もいつも通りの生活である。

 放課後は図書館にこもって勉強し、帰宅する。いつも通りのルーティーンだ。
 ただ今日は――、とは鏡に映った自身の強張った顔を見つめていた。いつもの見慣れた長い髪。伸ばし始めた「あの日」の光景がよぎってギュッと無意識に両手を握り締めていた。

 その日、帰宅したは紳一や叔母と揃って夕食を取った。そして部屋へと戻ろうとしているとリビングのソファに座った紳一に呼び止められた。
「バスケ部はどうだ?」
 紳一は大学にあがってもっぱら趣味のサーフィンに明け暮れており、大学生活ともども充実している様子が見て取れる。が、海南バスケ部のこともやはり気になるらしい。
「さあ……神くんとちょっと話したけど例年通り。さっそく何人か退部者が出てるみたい」
「想定通りだな」
 苦笑いを漏らした紳一に付き合い、もソファに腰を下ろした。
 バスケといえば、と先日流川と練習していて発見したことを言ってみる。
「お兄ちゃん、私ね……今さらながらにバスケがうまくなってるみたいなの」
「は……?」
「たぶん流川くんとずっと練習してるからだと思うけど……。いまハッキングされてもシュート外す気しないというか。本気で大ちゃんに勝てるかも」
 紳一は目を丸めている。数秒の間をおいて、彼はこめかみに手をやった。
「まあ……諸星に勝てるかはともかく、お前も何だかんだ伸びる時期だからな。……いっそ大学はこっちに残って本格的にバスケ再開したらどうだ? お前の身長でもフォワードで代表狙えるだろ」
「んー……それは今さらだし、いいかな」
 それより、と頬杖をついて目線を落とす。
「流川くん、アメリカに行きたいって言ってたでしょ? 大ちゃんも言ってたけどアメリカだとガードにコンバートされると思うの。私はディフェンスやオフェンスの技術は教えられても、ガードは教えられないし……はじめは流川くん一人で練習するより私もいたほうがプラスになる、って思ったけどこのまま続けていいのかなって思って」
「まあ……去年までなら流川もチームに赤木や三井がいたが今年は桜木が怪我明けであとは宮城だろ? そりゃお前がついてた方がだいぶいいんじゃねえか?」
「というか……流川くんけっこう上手くなってるけど、怒らないの?」
 相対的に弱かったディフェンスが強化されてるけど。と自嘲気味に言えば「まあな」と紳一は肩を竦めた。
「オレはもう気楽な傍観者だからな。それに……今年の湘北は流川がどんだけ伸びても厳しい。うちの優位はその程度じゃ揺るがんぜ」
「それは、まあそうだけど……。にしても自分で伸びたなって実感してつくづく思ったの。バスケばっかりやってた頃より多少なりとも頭を使ってるいまのほうがバスケも伸びてる実感があるって」
「お前、勉強はさっぱりだったからな」
 ははは、と紳一が肩を揺らした。バスケをやめるまでの自分が学業ノーチャンスだったのは皆の知るところだ。
「だから流川くんのこと心配で……。英語も喋れないのにアメリカ行くっていうし。赤点ばっかりとってたのにノースカロライナ行きたいとか言ってるし……」
「お前が勉強見てんのもそれでか……」
「うん。かなり無謀な挑戦しようとしてるから、少しでも現実的になればいいなと思って……なんだかんだ、好きになっちゃったからできるだけ助けてあげたいし。それに……流川くんバスケが大好きだしね」
 考え方はまだまだワンマンっぽいけど。とははにかんだ。
 そうか、と紳一が微笑む。
 流川はきっとこれから大人になるに従って変わっていくだろう。バスケを好きなら変わらざるを得ないからだ。ただそのチャンスをつかめるか否かは今にかかっていると言っても過言ではない。
 もうしばらくはそばでそれを見ていたい……。それがいまのの正直な気持ちだった。

 変わったことと言えば……、とはリビングを出たあとに洗面所へと向かい鏡の前に立って自身の姿を覗き込んだ。
 今日の放課後に美容室に赴き、長かった髪をバッサリ切った。鏡に映るのヘアスタイルは肩に届くか届かないか程度のミディアムヘアとなっている。
「んー……」
 ついいつものクセで髪をワンサイドに寄せようとして肩に乗らず、元に戻ること数回。
 人生のおおよその時間をショートカットで過ごしたとはいえ既にロングが当たり前になっていたから見慣れない。
 髪を切ることを大反対していた叔母は、それでも帰宅した自分を見て笑って褒めてくれたが……。ちょっと大人っぽくなったわね。似合ってるわよ。と。
 しかしやはり見慣れない。なんだかスースーする。でも頭は軽くなった。――もしかしてそのぶん高く跳べるかも、とポジティブな方向に考えつつ。流川はどう思うのだろうか、と気になる。

『髪型が変わろうとあんたはあんただろ』

 あんな風に言っていたし。こっちのファッションなど全く気にするそぶりさえ見せない流川だから髪型なんてどうでもいいのかもしれない。
 が、でも――と思いつつ翌日。
「おはよう」
 いつものように早朝の公園で先に練習をしていた流川に声をかけると、いつものように流川が振り返った。と、同時に僅かだが目を見開いたのが見えた。
「か、髪……切ったの。どうかな……?」
 絶句しているらしき流川に絶えかねて聞いてみると、ようやく流川はハッとしたのか少しだけ唇を動かした。
「……別に……」
 しかし。微妙な間を感じ取ってはまだ慣れない短くなった髪に手をやった。
 もしかして長い方が良かったのだろうか……、「髪には触りたい」とか言ってたし。切らない方が本当は良かったのかも、などとまごついているとスタスタと流川がこちらにやってきてフワっと髪を軽く右手に絡めるようにして触れてきた。
「動きやすくなったんじゃねえ?」
「え……」
「まー長いのも悪くなかったけどよ」
 くるくると髪を指で巻いてやや楽しそうな流川を見ては少し肩を竦めた。そしてゆるく笑う。
 にしても、動きやすい、とは。髪があたるから切れと暗に言ったのは流川の方だが。それならば流川の方がよっぽど……ともスッと両手を流川へと伸ばしてみる。
「流川くんも前髪あげるか切った方がボール見やすくならない?」
 そうして彼の前髪を手でスッとあげた瞬間、は言葉を失った。髪をあげたことで流川の整った顔が露わになり――見なれているとはいえ改めて朝日の差し込む中で見るその造形は想像を遙かに超えて凛々しく、頬にカッと熱が宿った。
「……なに」
 真っ赤になったまま眼前の流川に見惚れていると何事かと流川が目を瞬かせ、はハッと手を下ろす。――これは彼が前髪をあげたらますますモテてしまうのでは。とドクドクと高鳴った胸を押さえつつ、さすがに今以上に流川がモテるのは嬉しくないかもしれない、という気持ちも抑えて言った。
「髪、あげたほうがかっこいいと思う」
 なにより視界が広がるし、というと流川は若干眉を寄せて「イヤ……」と言った。
「リーゼントはちょっと……」
 ダセェと思う。とボソッと言った流川が誰のどんなリーゼントを想定していたかは謎であるが。「別にリーゼント限定というわけではない」との言葉をは飲み込んだ。
 普段はとことんファッションに無頓着な流川だが、バスケとなれば別で格好を気にするタイプ。となんとなく悟っているとしては、今の髪型は流川なりのこだわりなのかもしれない。確かに三井みたいな短髪は流川にはちょっとな、と思い浮かべつつその話題は打ち切る。
「ここまで走ってくる時も思ったんだけど、いつもより身体が軽いみたいなの」
 髪のせいかな、と言うと「じゃあ」と流川は真面目な顔してこういった。
「今日は高く跳べんのか?」
 そうして自分の発想と同レベルな発想をしてきた流川には肩を揺らした。――流川を初めて見た一年前の春にも思ったことであるが、やっぱり自分と似ている。と思うと複雑さの中にいまは少しだけ嬉しい気持ちが混じっていた。

 ――中学二年の晩夏にバスケットをやめてからずっと髪を伸ばしてきた。
 それはバスケットとの決別のためだった。だというのに……今度は切ってしまったら何か変わるのではないか――と怖くて。そうだ、たぶん自分はきっと怖かった。と髪にハサミを入れられる直前のことを思い出しつつ、なにもかわらないな、と目を細める。
 いまこうしてまたバスケットボールを手にしている。神奈川に来て色々な事があって色んな人に出会った。そして流川を好きになった。
 一年前に彼のプレイを初めて見た時にはまさかこうなるとは思っていなかったが、流川を好きになって本当に良かった……と改めて感じ、は朝日に目を窄めながら笑った。


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