――新年度、4月。


「むッ――!」

 相も変わらず早朝練習に精を出す流川とは1on1で汗を流していた。
 ズバッとに抜かれた流川は慌てて追い、がかわして跳び上がったのを反射的にブロックに入ってしまった。
 しまった、と思ったのはボールに触れた時だったがはなおシュートを放ち――ものの見事にリングを貫いてしまったものだから流川は目を瞠った。
「なッ――」
「わ、入った……!」
 当のも驚いたようでまじまじと自身の手を見つめている。
 ――たびたびこういうことがある。流川はとはタテの勝負はしない、とは決めているものの時おり勢いで勝負に行ってしまう時があった。むろんは態勢を崩すのだが、ボールを弾いてもハッキングしても綺麗にシュートを決めてしまうことがここ最近続いている。
「ね、流川くん……」
 は噛み締めるように両手を見つめたあとにパッと顔を上げる。
「私、またうまくなってるみたい……!」
「……どあほう……」
 瞬間、若干の苛立ちを感じてつい舌打ちをしてしまった。とたん、は肩を竦める。
「まあこれだけずっとバスケしてるんだから当たり前かもしれないけど……まさかいまになってまた上手くなるなんて……なんかいまなら大ちゃんに勝てちゃうかも……!」
 ――は、バスケをやめた理由は幼馴染である諸星に勝てなくなったから。だと以前ちらりと言っていたことがある。流川にとっては理解不能な動機だったが、色々あったのだろうとあえては突っ込まないでおいた。
 諸星に勝てるかはともかくとして、とに向き直る。
「あんた……いったいどうやって打ってるんだ? なんでボール弾いたのに入る」
「でも流川くんもイレギュラーボール入る事あるよね? 仙道くんなんかハッキングされても入れてたし」
 不意に響いたいけ好かない男の名にイラっと流川は眼光を鋭くした。
「あんなにキレイには決まらねー」
「んー……どのくらいの力が外からボールに加わったのかとっさに身体が判断してるというか。最近ようやく接触前提のゴール感覚がつかめてきた感じかな」
「接触前提……」
「あ、でもこういう訓練は一人でできないから流川くんのおかげかな。ありがとう」
 邪気なさそうにが笑い、流川は憮然とする。――と練習を始めた当初の目的は自分の練習のためだったが、当然ながら自身の糧にもなっているのだろう。
「あんたが上手くなってどーする」
 試合にもでねーのに、と言うとは目を寄せた。
「んー……まあそうだけど」
「でねーの? 女バスとか」
「んー……わからない。いまはそういうつもりはないかな。流川くんは……たぶんディフェンスは伸びてると思うよ。私、そこはちゃんと見てるもん」
 へへ、とが笑って「休憩しよう」と促した。
 今日はまだ春休みだ。だいぶ暖かくなってきたしどうせなら長く一緒に練習しよう、とここ最近は朝食用の弁当持参で会うことが多かった。
 お腹すいた、と言いつつが芝生に座る。ふわりと風に乗って薄ピンクの桜の花びらが飛んできた。
 流川もその横に腰を下ろす。いくら春休みといえど朝の時間帯は人はおらず、流川としても二人で過ごすこの時間は貴重だった。
 コートではバスケ選手としてしか見ていない彼女だが、こういう時は「好きなひと」だ。好きだと気づいて、気づいたら行動してしまう自分のサガと押しだけでいまの関係があるようなものだが、自分に恋人がいるという状況が意外にもしっくり来ていると流川自身しみじみと感じていた。
「桜、もうすぐ満開かな……きれい」
 緩い風がポニーテールにしていたの髪を揺らした。普段は長い髪を下ろしてサイドに寄せている彼女はバスケをしているときは一つに結んでいる。その横顔をジッと見つつ、流川は朝食用の弁当を広げる。
「髪……邪魔じゃねーの?」
「え……!?」
「最近たまにプレイ中にあたる」
「え!? そ、そっか……そろそろ切っちゃおうかな。バスケやめちゃってからずっと伸ばしてたの。昔は短かったんだけど……」
 くるくるとがポニーテールに触れる。その様を流川はただじっと見つめた。どこかもじもじしているのが小動物っぽくて無意識に気持ちがくすぐられる。などと思っているとがおずおずとこちらを見上げてきた。
「る、流川くん……どっちがいいと思う? ショートとロング」
 言われて流川はきょとんと瞬きをした。
「いや別に……どっちでも」
 そして思ったままを答えると、はやや失望したように頬を膨らませた。
「昔は流川くんより短いくらいだったんだけど。それでもいい?」
「? 髪型が変わろうとあんたはあんただろ」
 なにが言いたいのかさっぱりわからん。とおにぎりを手に取ろうとしているとが息を詰めて、ついでやや頬が染まったのが見えた。
 なんだ? とますます流川の頭に疑問符が浮かぶ。
「それは……そうだけど」
 は言いつつ髪をくくっていたシュシュを引き抜いた。とたん、ふわりと彼女の髪が風に乗った。
「丸めてればあたらないかな」
 は髪を結びなおすつもりだったのだろう。一人ごちている彼女を見つつ、流川は無意識のうちにの髪を指に絡めながら彼女の頬に触れた。
 すればが目を瞬かせる。
「なに……?」
 遅れて流川はハッとする。――そういえばこうして彼女の髪に触れるのけっこう好きだった、と思い出して素直に告げてみる。
「髪に触れなくなんのはイヤだ」
「え……」
 なお目を瞬かせたは少し間をおいて緩く笑った。
「じゃあ邪魔にならないくらいまでにする」
 切るの、と言われて流川はから手を離した。
 察しが悪いうえ口数が少ないらしい自分と違い、はかなりの頻度でこちらの意図を汲み取ってくれているが……「会話がないのはいや」ときっぱり言われた経緯もあり流川なりに努力はしているつもりである。というよりもその「努力」が苦だと思わないことが流川自身意外でもあった。
 どこぞの赤髪の男ほど無駄口を叩くまでには至れないが、さすがに彼女とのコミュニケーションは問題ないレベルだと自負しているのだが、とおにぎりを手に取りつつ流川は思う。
「ゆっくりお花見に行きたいけど……忙しい?」
「学校始まったら一年が入ってくる……たぶん桜が咲いてるあいだはムリ」
「そっか……。流川くんも二年生か」
 うちにもいっぱい新人入ってくるんだろうな、との声を聞きながら雑談しつつ食べ終わった弁当を仕舞い、水筒のお茶を飲んでから流川はごろんと横になった。
「ひざ貸して。10分寝る」
 え、との返事を待たずに後頭部を彼女のひざに乗せる。頭上で呆れたような声とのあとに笑った気配がした。
 目を閉じる直前、降ってきた桜の花びらが視界に映った。さらりと額をが撫でた感触が伝う。たぶんこれが満たされている感覚なのだろう、と本当に流川はそのまま意識を手放した。


 そうして新学期が始まり、湘北バスケ部も新しい風が加わる。
 流川がその距離の近さから湘北高校を選んだように、富ヶ丘中学から同じようにかなりの人数が進学してきて流川にとっては懐かしい顔ぶれと再び同じチームでバスケに励むこととなった。
「くっそー、キツネの子分が増えやがった……! 子ギツネ軍団め!」
 新入部員挨拶で幾人かは「流川先輩を追ってきました」と宣言するものもおり、案の定桜木は怒りのボルテージを上げていたようだがむろん流川としてはシカトするほかはない。

「流川せんぱーい!!!」
「がんばってー!!!」

 そうして応援ギャラリーの数も日ごとに増えていったが当の流川自身は全く気付かず、新学期が始まって一週間後にキャプテンである宮城がたまらず雑談ついでに話をふっても首を捻る始末であった。
 宮城は深いため息をつきつつ肩を竦める。
「応援を締め出すっつーのはできねえけど、そろそろ制限かけねえと通常練習に支障が出そうだからな。ワリィけど」
「イヤ別に……」
 着替えつつ部室で宮城がそう告げれば、流川は全く解せないといった憮然とした表情を浮かべた。なぜ応援の制限をかけることへの断りを自分に入れなければならないのだ、とでも言いたげだ。
 けどギャラリーの目当ては流川だからな、と宮城はなお肩を竦める。
「あ、そうだお前……海南の子とはまだ続いてんの? あの牧の妹の」
「? 別れる理由ねーですけど……」
 流川は制服を脱ぎつつますます首を捻っている。――そりゃまそうか、と宮城は苦く笑った
「だったらいっそ彼女いるって宣言すりゃお前のファンも落ち着くんじゃねえか?」
 実際、話しかけにくい流川への橋渡しに石井や桑田といった彼の同級生を使って流川に手紙を渡す、呼び出すなどの案件が増えており問題は割と深刻になっている。と宮城は切々と語ったが、流川にとっては理不尽極まりないクレームだろう。自分になんの責任があるんだ、とでも言いたげなうんざりした表情を浮かべた。
 そして彼は一つため息を零す。
「別に、オレはいいんすけど……あのひとにメーワクかかるのは困る」
 去年初めて会った時よりも逞しくなった腕にシャツを通しながら流川が言って宮城は一瞬惚けた。――迷惑か、と脳内で復唱する。自分ならば、もし想い人と気持ちを通わせられたら周りから羨望の眼差しを受けつつ手をつないで登下校。なんてけっこう憧れているのだが、どうも流川は違うらしい。モテる男の世界はさっぱりわからん、と宮城もシャツに腕を通す。
「学外の子だし平気なんじゃねえ?」
「まあ、あのひとがいいんなら……」
 たぶんイヤがるけど。とぼそりと言った流川に宮城は肩を竦めた。
 流川とがどういう経緯で付き合い始めたのかは全く予想すらできないが、当時の状況から見て流川から相当にアプローチしたのだろうということだけは明らかだ。
 こいつ恋愛でも押しが強いんか。とは思ったものだが、この様子だとかなり本気のようだと改めて思う。
「ま、とりあえず今は新人鍛える方が先決だな」
 ははは、と笑いつつ「お先」と宮城は部室をあとにした。
 ともかく何人残るかは定かではないが新人の育成が急務。と切り替えつつ見えてきた体育館の入り口にはさっそく女子生徒の人だかりができており宮城は頬を引きつらせた。
 ――そうだった。今日は監督である安西も練習に顔を出して新入生vs上級生チームの試合をすることになっているのだ。それを彼女たちは知っているのだろう、
 どこでそんな情報仕入れてくるんだ、といっそ感心しながら人だかりを掻き分けて体育館の中に入る。
「キャプテン!」
「チューッス!!」
 新キャプテンに就任したばかりの時はキャプテンと呼ばれるたびにソワソワしたものだがもう慣れたものだ。
「今日はまたすごい数のギャラリーね」
「やっぱり試合があるからじゃないかな……ほら、流川君もでるし」
「ハルコさん! この天才・桜木がルカワなんか目じゃない大活躍をしますから存分に期待しといてください!」
「桜木花道! アンタと流川は同じチームだってわかってんの? 全く」
 そうして相変わらずの会話を繰り広げているマネージャー陣と桜木を見て宮城は思う。彩子にしても中学の頃の後輩が増えたせいか最近ますます楽しそうだ。

「キャー!!!」
「流川クーーーン!!!」

 去年、新入生vs上級生の試合をしたときは上級生チームは中学を卒業したばかりの流川にかなり手こずったと聞いたが。今年はそんな波乱はなさそうだ、と宮城はゲームをこなしつつ思った。
 富ヶ丘出身の新入生たちは一般よりは平均レベルが高いがなにせ流川の後輩。流川自身が彼らの特徴を見知っているせいか全く苦にしていない。とパスを渡せば囲んできた新入生を蹴散らして高く飛び上がった流川を見て思った。

「キャー―――!!!」

 ダンクを決めた流川にひときわ黄色い声援が飛ぶ。
 当の流川は「テメー! 一人だけ目立とうとしやがって!!」などと因縁を付けてきた桜木をスルーして足早にフロントコートに戻った。
 桜木はようやく通常練習をこなせるか否かに辿り着いた段階だ。ようやくスタートラインに立てたと言ってもいい。この夏は去年までのスキルを取り戻すための時間になるだろう。つまるところ実質的な戦力はキャプテンである宮城と流川自身ということになる。
 ――アメリカに行けばガードにコンバートは必至。とや諸星に言われたことを全く気にしていないわけではない。むしろシューティングガードはやってみたいポジションですらある。
 しかし現状としては自分がフォワードから抜けるわけにはいかず、ガードに必要なスキルを研究している余裕もない。
 試合は結局あっさりと上級生チームが勝ち、宮城が部員に休憩を告げた。
「る、流川君、お疲れ様」
 コートサイドに寄ると赤木の妹であり現マネージャーでもある晴子がタオルを差し出してくれ「どうも」と受け取って流川は汗を拭った。
「お前の後輩たち、全員残ると思うか?」
 すれば宮城がこちらに歩いてきて、はぁ、と流川は気の抜けた返事をした。
「まー……あいつらオレの時も辞めなかったし」
「お前キャプテンやってたんだろ? どういう指導してたんだよ」
「指導……?」
 中学では基本的にメニューはコーチが作っていたし特に現状と変わりはないことを告げると宮城は「やっぱりか」と呆れたように肩を竦めた。
「まあ、お前も去年より伸びてっしあいつら鍛えていく以外に道はねえけどさ」
 ぴく、と宮城の言葉に流川は反応する。そして彼の方に向き直った流川はジッと宮城を見やった。
「どの辺が?」
「は?」
「どの辺が伸びたと思うんすか?」
 すれば宮城はきょとんとして「あー」と考え込む仕草を見せた。
 考え込んでいるさまをジッと見ていると、彩子が助け舟を出すようにこちらに来た。
「桜木花道がまだ不調な分、アンタのディフェンスリバウンドの数値が増えてるわね。あと体力は付いたんじゃないかしら」
「ほかには……ディフェンス、とか」
「んー……オフェンスかディフェンスどっちが上かって話ならハッキリ言ってアンタの場合オフェンスよ。それも圧倒的に」
 む、と流川は唇を引く。だけど、と彩子は続けた。
「こればっかりはもっと強いチームとやらないと分かんないわね」
「ディフェンスの伸びは見えにくいからな。……なんか気になる事あんのか流川?」
「いや……」
 別に、と流川は顔でも洗おうと体育館の外に向かった。
 ――はディフェンスも伸びていると言ってくれたが。いかんせん自身が皮肉なことに腕をあげているせいか勝負の行方は相変わらずである。おまけにあっちはハッキングやブロックをものともせずシュートを決めるスキルまで身に着けており。つくづく高頭がコーチに抜擢した理由がよく分かる。と冷たい水で顔を洗いつつ思った。
 いずれアメリカでバスケをやるつもりなら、あれくらい。と思う。生まれ持ったフィジカル差を嘆いてもどうにもならないのだから。いずれは自分も――とタオルを顔に当てながら遠くアメリカの地を思い描いた。


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