――2月中旬。土曜日。

 湘北はこの日、武園高校と練習試合をするらしい。

 武園といえばインターハイ予選のベスト8だった高校だ。そこそこ強いとはいえほぼ控えメンバーのみであった海南にかなりの差で負けたことはも見知っている。
 と、電車に揺られながらは何度も腕時計に視線を落としていた。
 練習試合は午後一番に開始らしい。
 対するはタイミングが悪く午前は課外授業が入っており、授業後に軽めの昼食を取ってすぐに海南の最寄り駅から湘北を目指していた。
 湘北の最寄り駅は藤沢本町である。藤沢駅からも歩ける距離らしいが時間の惜しかったは小田急に乗り換えて最寄駅から湘北高校を目指した。
 湘北に行くのは初めてだ。少し緊張する。という思いもそこそこに小走りで道沿いを歩いているとそれらしき建物が見え、門から中に入る。
「体育館……」
 けっこう大きな学校のようだ。とキョロキョロしつつも土曜なため人は見当たらず、取り敢えずそれらしき建物に近づいて中に入ってみると耳慣れたバッシュの床を擦る音とボールの音が響いてきてホッと胸を撫でおろした。
 さすがに練習試合。来客用のスリッパも用意してあり、履き替えてギャラリーの入り口を探す。
 ここがいつも流川が練習をしている体育館か。と思うもひとまず体育館の入り口ではなくギャラリーの入り口。とキョロキョロして見つけた階段を登ってみた。
 すると案の定体育館を見下ろせるギャラリーに辿り着いた。既にまばらにだが観客がいる。見覚えのある武園の制服もちらほら見えた。わざわざ応援に駆け付けたのだろう。
「あ……!」
 流川くん、と体育館の端でアップをしている流川を見つけては笑った。流川の試合を見るのは久々である。
 相手がやや不足かもしれないが。一応は週に何度も自分がバスケを見ているのだし、どれくらい成長しているのか。と気持ちがバスケに切り替わりかけたところで「おー」と近くから声があがった。
か? お前、なにしてんだよ偵察か?」
 聞き覚えのある声だ。声のしたほうへと顔を向けるとジャージを着た湘北の三井が笑顔でこちらに近づいてきていた。
「三井さん……」
「つーか海南の情報網すげえな。どこで湘北の練習試合情報とか手に入れるんだ?」
 久々に見る彼は自分がここに現れた理由を偵察だと決めてしまっているようで、は肩を竦めつつとりあえず笑っておいた。
「三井さんこそ……。今日は後輩の応援ですか?」
「あ? ちげーよ。さすがにオレはもう試合には出しちゃもらえねえからな。終わったら自主練しようってんでそれまでの暇つぶしだ」
 ――三井は諸星が上京を決めたことでお鉢が回ってきたか否かは定かではないが諸星の地元愛知の強豪校から推薦の話が来ていた。ちょうど一月ほど前に偶然に三井に街中で会ったはそのことを聞かされており、自分たちの地元を気に入ってくれればうれしい。と答えた経緯がある。
「三井さん、推薦の話ですけど……」
「ああ、決めたぜ。オレは卒業したら愛知に行く」
「そうですか……良かった」
「まァ、ありがてーことには変わりないからな」
「湘北はどうなんです? 三井さんが引退したあとのチームは」
「あ? そりゃ相当な戦力低下は免れねえだろ。なにせオレの後釜は誰もいない状態だからな」
「2番は……安田くんですか、繰り上がりで」
「まあな。センターの桜木はまだ調整中でフルで試合は禁止令が出てっし、実質点取れるの流川しかいねーな」
「んー……それは不味い……」
 益々ワンマンプレイに磨きがかかってしまう。と、そろそろ試合開始のために両チームがコートに出てきては見下ろす。
 そして――。

「キャー!!!」
「ルカワ! ルカワ! ゴーゴーレッツゴールカワ!!」

 見知った応援が反対側のギャラリーから響いて、ビクッ、とは肩を震わせた。流川の親衛隊だ。
「あいつらこんな土日まで来たのか……ようやるわ」
「る、流川くん……人気なんですね、相変わらず」
「最近さらに増えてて宮城がそろそろ出禁を検討してたな。けどま、宮城じゃああいつら止めるのは無理だろうな」
 ハハハ、と三井が軽く笑っては頬を引きつらせる。流川とはなるべく目を合わせないようにしよう。と思いつつもはギュっと首に巻いていた流川のマフラーに無意識に手を添えていた。その先でティップオフが宣言される。
 武園のスタメンも以前からほぼ全員変わっている。3年生が引退したためだろう。湘北も相当に戦力が低下しているが、少なくとも宮城と流川がいる限りはベスト4は堅そうだし。だが。
 おそらくこの戦力ではインターハイは厳しいな。とは感じた。公立だし流川級の新人が幾人も入部してくるなどという都合のいい事はそうそう起こらないだろう。
 一年はじっくり我慢して、流川・桜木が三年になる年が勝負だな。と思う。そのころには自分はたぶんカナダにいるが……と、眼下のコートを見下ろしていると流川が手を挙げた。

「ヘイ!」
「流川――ッ!」

 既に何本目になるか分からない宮城から流川へのパスが通り、武園のフロント陣が流川を囲む。が、それをものともせず鮮やかなドライブで抜き去ってダンクを決めた流川に親衛隊どころか武園の女子生徒さえ熱狂する声が体育館にこだました。
「いま……もし三井さんがいたらパス出しましたかね、流川くん」
「あ? 出すわけねえだろあいつが、あの場面で」
「そうですよね……」
「お前も国体合宿の時はそうとう苦労してたからな。けどま、流川にアシスト仕込むのはかなり大変だと思うぜ」
 ケラケラと隣で三井が笑い、ハァ、とはため息を吐いて手すりに手を置く。相手チームのせいか自チームのせいか、流川のプレイスタイルは変わり映えがしないどころかよりワンマンになっている。
 とはいえ。
「まあ……かっこいいはかっこいいですけどね」
 オフェンスの鬼も、と小さく呟いて走る流川を見つめていると隣からギョッとしたような声があがった。
「おいおい、お前まで流川にのぼせ上がるとか勘弁しろよ……!」
「えッ!? あ、別に……そんなんじゃ」
 しまった、とは口を噤む。やっぱり無意識だと視線は流川を追ってしまうし、どうしようもない。
 桜木は動きづらそうにしているし、前半5分出たところで下げられてしまった。三井曰く合計10分しか出さないという。なにせ怪我をした個所が背中なだけに慎重なのだろう。手術まで至らずリハビリで済んでいるようなのでおそらく大事には至らないとは思うが――。
「にしても、宮城くんはまだ外が安定しませんね」
「まあまず背が低いからなあいつは。お前の方が高えだろ?」
「まあ、そうですけど。でもせっかくスピードにもジャンプ力にも恵まれてるのに」
「お前くらいクイックで打てりゃそれも武器になるんだが……、まあ厳しいな。うちはシューター育成が急務だ。海南には神がいるしな」
「今年もうちは強いですよ」
「ズリーよなあ海南は。コンスタントにいい新人が入ってくるしよ」
「武石中とか流川くんのいた富ケ丘から誰か入る可能性もあるんじゃないですか。どっちも県内の強豪ですよね」
「そういうやつらはお前んとこが推薦でかっさらっていくだろうが!」
 これだから私立は、とブツブツ言う三井の声を聞きつつ試合の行方を見守る。
 前半、湘北がリードで折り返しその勢いは後半まで続いて大方の予想通り湘北優位のまま試合は終了を迎えた。

「勝者、湘北!」
「ありがとうございました!」

 試合を終えた両チームは礼を言い合って軽い整理運動に入り、そして汗を拭う。
 流川は汗を拭いつつ、中学の同級生だという武園のセンターと桜木がなにやら言い合いをしながら体育館から出ていくのを見て「どあほう」と呟きつつ息を整えていた。
 そのそばで、「あ」とマネージャーの彩子が声を上げた。
「三井先輩が来てる! やだ隣の子、海南の制服じゃない?」
 その声に流川はハッとしてギャラリーを見上げる。すれば予想通り、コートの前を開けてピーコックブルーの海南の制服をのぞかせるの隣にいた三井が談笑しているのが映った。
 お、と彩子のそばでキャプテンの宮城も声をあげた。
「ありゃ海南の牧サンの妹だな」
 途端、ざわっと辺りがざわついた。
「海南の牧の妹――!?」
「に、似てねえぞ……!」
「いやでもうちのマネージャーと赤木さんも似てないし……世にはそういう兄妹ってけっこういるのかも」
「なんでアンタがそんなこと知ってんのよリョータ」
「だってアヤちゃん、あの子、国体チームのコーチしてたんだよ。ていうか三井サン、彼女とかなり仲良かったからね。狙ってんのかも」
 そして、ははは、と笑ってギャラリーを見上げた宮城に流川は軽く舌打ちをした。
「へぇ、コーチ! まああの牧の妹じゃあバスケうまいのかもね。あ、でも……あの子のしてるマフラーどっかで……。あら、流川アンタどこ行くのよ」
 後ろで彼らが話している中、流川はすたすたとギャラリーへの階段を目指していた。
 階段を登ってギャラリーに出れば並んで親しげに話している三井との姿が目に映る。
「先輩」
 近づいて声をかけると驚いたようなの姿が目に入り「お、なんだ流川」と呑気に振り返った三井の声が耳に伝った。
 構わず手を伸ばしてグイっとの腕を引っ張り自分の方へ引き寄せる。

「このひと、オレのなんで。あんま馴れ馴れしくしねーでください」

 瞬間、三井の瞳が大きく見開かれるのがの瞳に映った。が、あまりに突然のことで自身リアクションを取ることが叶わない。しかも三井どころか下の湘北メンバーも固まった気配がしての顔から一気に血の気が引く。
「る、るか……」
 がなにか言うより先に三井の方が「ハァ!?」と空を切るような声で言った。
「な、なんだ!? お前ら、まさかデキてんのか!?」
 その言葉にの思考は完全に無になる。なおも三井は続けた。
「い、いつからだよ、え!? ウソだろ、……なんで流川と。お前らそんなに仲良かったか!?」
「……あの……色々、あって……。ていうか三井さん、声大きい」
 いたたまれない。穴があったら入りたい。という思いをなんとか抑えては絞り出した。
 三井は何度も何度も瞬きを続け、それでもなんとか状況を飲み込んだのかしばらくしたら少しは落ち着きを取り戻した。
「いやまあ……意外っちゃ意外だが。お前らがね」
「じゃーそーゆーことなんで」
「あ、流川くん……」
「もう少しやってく」
「わかった。待ってる」
 ん、と頷いて流川は戻り、残されたはちらりと三井を見やると三井もハッとしたように言った。
「オレも自主練だ。……ったく驚かせんなよな」
「……すみません……」
「まあでも、あいつらしいっちゃらしいか。お前、バスケだけはうめえからな」
 ははは、と笑って三井が流川のあとを追い、は肩を竦める。

「バスケだけって……」

 しかしそう言われても仕方がないか。とが思う先でコートに降りた流川には一斉に視線が集中していた。
 むろん流川は構わず辺りに転がっていたボールを手に取って練習に向かおうとしたが、取り巻きの先陣を切って宮城が声をかけてくる。
「お前……よりによって牧の妹に手ぇ出したのかよ!?」
 勇気あんな、と言われて流川はしかめっ面をした。そこを和ませようとしてか彩子が背中をバシバシと叩いてきた。
「バスケうまい子って国体のコーチだったのね! やるじゃん流川!」
「はぁ……」
「あの子がしてるマフラー、アンタのでしょ? 意外と独占欲強いのねーアンタ、さっきのことといい」
 ぷくく、と笑う彩子に「んだよ」と悪態をついてドリブルを開始する。
 その後ろで流川を追ってギャラリーから降りてきた三井が体育館に入ってきた。
「ったくあのヤロウ、驚かせやがって」
「あ、三井サン。アンタ落ち込んでんじゃないすか? 彼女のことちょっと狙ってたでしょ。よりによって流川とはね」
 すぐさま宮城が突っ込み「バカヤロウ!」と三井は一蹴する。
「あいつはバスケは上手いが色気がねえからなァ。オレの好みじゃねえよ」
「まあ負け惜しみにしか聞こえないけどね」
「うるせえ! ったくどいつもこいつも」
 言い捨てて準備運動を開始すると宮城たちはもう上がるつもりなのだろう。しつこくその場に留まった。
「にしても、親衛隊が帰ったあとで良かったっすよね。じゃなきゃ今ごろ大騒ぎだぜ」
「お、そうだ赤木の妹は?」
「ちょうど職員室に行ってもらってていませんでしたよ。でも……今度それとなく伝えときます。実はアタシもっと前から流川に彼女がいるって知ってたんですけどね……そうとう真剣っぽかったから黙ってましたけど」
「マジじゃなきゃ牧の妹にわざわざ手ぇ出すかよ……」
「けど、彼女バスケはほんとに上手いからね。コーチだったし、一緒に練習してたりすんのかね」
「あ……そういえば流川、彼女のおかげで二学期の期末は赤点ゼロだったみたいですよ」
 いったん三人は互いの顔を見合わせた。
「まさか……バスケも勉強も教えてくれるから付き合ってる、とかねえよな」
「さすがにえげつなさすぎでしょ、それ……」
「わかんねえぞ、あいつ冷血人間だしよ……なに考えてんだかさっぱりだぜ」
「でもあの子……自分のマフラー彼女に使わせてるみたいだし。本気なんじゃないかしら。というかあの子が打算で動くわけないもの。バスケ以外でそこまで頭がまわるとは思えないわ」
 話しつつちらりと三井はギャラリーを見上げた。の視界に全くこちらは入っておらず自主練している流川を見ているようで、チ、と舌打ちをすると声を張り上げる。
ー! お前、こっち降りて来いよ!」
 隣の二人がギョッとしたような顔をするも三井はこちらを振り向いたを見上げた。
「もう試合終わったしこっちで見てりゃいいだろ!」
 は首を傾げたものの、それもそうだと思ったのだろう。素直に三井の言葉に従い、三井は笑う。宮城や彩子が若干おろおろしている間には体育館入り口からこちらに顔を出した。
「久しぶり、宮城くん」
「おひさ」
 宮城がに手を掲げ、はちらりと隣にいた彩子を見やった。おそらく何度か湘北の試合を見ているは彩子の存在自体は知っているだろうが顔を合わせるのは初めてだろう。さすがに女子の隣に立つと長身が目立つな、と三井は思う。
「はじめまして、海南大附属の牧です。よろしく」
「二年マネージャーの彩子よ。こちらこそ」
 挨拶もそこそこには宮城に視線を向ける。
「宮城くん、あれからミドルレンジのシュート練習さぼってたでしょ」
「ま、まあ……他にもやることあるからね。そっちの一年はどうよ?」
「そこそこ順調に伸びてると思うけど。お兄ちゃんが引退したって海南だしねうちは」
 なにやら張り合いらしきものを始めた二人にかまわず三井はに声をかける。
「お前、バッシュとジャージ持ってきてねえのか?」
「え……、ないですよ。課外授業終わってそのまま来たんだし」
「常備しとけよ。お前とバスケするチャンスとかそうそうねえのによ」
「私じゃなくて流川くんとやったらいいんじゃないですか? 前に一度しか三井さんと1on1したことないって流川くん言ってましたけど」
「ああ……、まァあれはオレの劇的な逆転大勝利だったけどな」
 すればはくるりと顔を宮城の方に向けて聞いた。
「そうなの?」
 宮城は首元に手をやって視線を泳がせる。
「まあ、大勝利っつーか姑息さゆえの逃げ切りっつーか」
「なに言ってやがる! あれはオレの勝利だっつーの!」
 三井は以前に一度だけ流川と1on1で勝負したことがあった。なかなか決着が付かなかったが流川が先制し、のちに自分がスリーポイントを打って逆転勝利をした。というのが三井の解釈で唯一の真実である。
 まあどっちでもいいけど、とは肩を竦めている。
「私にはせっかく実力が拮抗した相手がいるのにマンツーマンで練習しない理由がわからないですけど」
「あ?」
「どっちも伸びるチャンスなのに」
 まあその方が海南は助かりますけどね。とはそばに落ちていたボールを手に取った。かと思うとスリッパを脱ぎ、数度ドリブルしてから目にもとまらぬ速さでゴールめがけてリリースした。
 「わ……!」と呟いたのは誰だったかわからない。しかし見事にスパッとリングを貫き、ふ、と笑って振り返ったを見て三井は肩を竦めた。
 宮城もしてやられたように肩を竦めている。
「ヤレヤレ、相変わらずのクイックだな」
「ワンハンドだったわねいま。ジャンプシュート打つ女子ってはじめて見たわ」
 彩子も感心したように呟いた。――あいつも見惚れていた一人らしい、とちらりと流川を見やった三井は、その流川の視線がぎろりとこちらに向かうのを見てなるべく目を合わせないよう努めた。
「ちょっと流川がこっち睨んでるわよ」
「まあ三井サンのせいだな」
 二人もそれに気づいたらしく小声で言い合っている。そうして戻ってきたに宮城はこんなことを聞いた。
「失礼を承知で突っ込んで聞くけどさ。おたくと流川って国体の時も一番キョリあったっつーかむしろほぼ会話してなかったよね。どういういきさつでそうなったワケ?」
 え、とは目を丸め、宮城の隣にいた彩子は呆れたように腕を組んだ。
「もうアンタはすーぐ余計なことに口を出すんだから」
「だ、だってアヤちゃんも気になるでしょ? ――あいたッ」
「ごめんなさいねー。野次馬根性逞しくて」
 彩子が宮城の肩を叩いてたしなめへ取り繕うような笑みを向け、はどこか肩を竦めて自嘲めいた声を漏らした。
「別に……。私も国体合宿が始まった時はこうなるなんて予想もしてなかったから……」
「つーことは流川からアプローチしたのかよ?」
 あの流川が、と思わず三井も口を挟んでしまった。
 いたたまれないようにが苦く笑う。……やっぱりそうか、と三井は悪態をついた。
「あーあ。モテるやつってのは得だよなァ」
「それ関係ないと思いますけど」
「なんだよお前、流川があの顔じゃなくても付き合ってたってのか?」
 ついつい絡んでしまい彩子が慌てたように止めに入って、チッ、と舌打ちをした。
 アップも終えたことだしとっとと自主練を始めるか、と起き上がると三井はボールを抱えてコートに向かった。


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(三井の進路裏話は仙道編の第二章4話を参照してください)