――流川と紅葉狩りに出かけた翌週の土曜。

 午前中には海岸沿いを歩いていた。目指していたのは釣りスポット。
 けじめをつけておかないと。という思いからだ。休日の午前中はだいたい仙道は釣りに勤しんでいる。いてくれればいいが、と探した先に特徴的なツンツン頭を見つけてホッとすると同時にやや緊張も走らせた。
 それでも何とかそばまで歩いていくと、さすがの気配に気づいたのだろう。こちらを見た仙道は瞬きをしたあとに、ふ、と笑った。
ちゃん、久しぶり」
 いつも通りの声だ。仙道に会うのは国体最終日以来――とあの時の事を思い返しつつ口を開く。
「久しぶり。あの……仙道くん。今日は話があって来たの」
 言うと、仙道はしばし間をおいて海の方に目をやってから小さく笑った。
「なに? もしかしてオレ、ふられちゃうとか?」
 ドク、との胸が脈打つ。やや動揺を隠せないでいると、はは、と仙道が乾いた笑みを零した。
「もしかして、流川?」
「あ……その」
「まあアイツ男前だもんなぁ……」
 ははは、とさらに読めない笑みで仙道が言っては口を噤んだ。
「オレさ、今だから言うけど気づいてたんだよな」
「え?」
「流川がずっとちゃんのこと見てたの」
「そ……そう」
「合宿の途中でなんかあっただろ? 急に仲良くなってたもんなァ」
「そ、そういうわけじゃ……! その、流川くん、ほっとけなくて……」
 釣竿から釣り糸を巻き取る音が聞こえる。「ああ失敗」と色なく言いながら仙道はそのまま釣竿をアスファルトに置いた。
「ほっとけない、か。うん……オレももうちょいガンガン行っとくべきだったな」
 自嘲するように言われて、はギュッと胸あたりで手を握り締めた。
「ご、ごめんなさい……」
 仙道の気持ちには応えられないが、それでも仙道には感謝していることもたくさんある。仙道のバスケへの興味が自分をまたバスケに戻すきっかけとなったことは確かで、なにより諸星との熱戦を経てが過去を断ち切ることに一役買ってくれた。
「これで益々流川には神奈川ナンバー1の座は取らせらんねえな。ぜってー湘北には負けられん」
 ははは、と本気か冗談か分からない声で仙道が笑い、は頷いた。
「私は……仙道くんのバスケが好き。来年はインターハイに行って欲しいし、いまも仙道くんなら日本一の選手になれるって思ってる」
「流川より?」
「そ……! それとバスケは関係ないよ」
「……まいったな……」
 両腕を空に伸ばして仙道は伸びをした。――あの日、国体最終日。仙道と横浜でデートをした。自分は楽しんでいたと思う。でも。

『流川くん! 流川くん、なにしてるの? 大丈夫?』

 玄関先で寝ていた流川を見つけた。たぶんもうあの瞬間に気持ちが流川にいっていた……と思う。
 それに。流川の事がなかったとして仙道と付き合っていたかは分からない。卒業したら両親のところに戻ることは決めていた事だし、どのみち長くは付き合えなかったのだから。
「練習……頑張ってね」
 それじゃ、とは仙道に背を向けた。


 ウィンターカップの予選も始まり、今年も例年通り海南が本戦への出場を決めた。
 本選は12月の下旬であるが、それはバスケ部に所属していないにも本戦に出場しない流川にも関係のないことである。
 あるのは目下――期末試験だ。

『中間試験ってどうだったの?』
『……赤点5つ……』
『……』

 危うくウィンターカップ予選出場停止騒動に発展しそうだったという中間試験の結果を流川から聞いていたは今期末から試験対策をみっちりさせようと心に決めていた。
 流川自身も成績がダイレクトに渡米に影響すると理解したのか多少は意識を入れ替えたらしい。しかし、だ。
 試験前の一週間は部活停止期間ということで、牧家にて普段の部活動時間を勉強にあてることを約束してくれた流川だったものの。家に招くなら許可を取らないと……と、湘北が試験前部活停止に入る前の週末、夕飯の折には叔母に切り出してみた。
「あの……叔母さん。来週からね、と、友達を放課後うちに呼んでもいいかな? 試験前で勉強を教えたくて」
「あら……珍しいわね」
「試験勉強って……うちはまだ試験じゃねえだろ?」
 勉強自体はいいことだが。と紳一が突っ込み、う、との顔が引きつる。
「うちじゃなくて……湘北……」
 消え入るように言うと「湘北!?」と驚いたように言われ、下手な嘘は無駄だな、と覚悟を決める。
「それが……流川くん成績がものすごく悪いらしくて。でも本人は卒業後にアメリカの大学に進みたいらしいし、できる限り見てあげたいなって思ったの」
「あら、お友達って男の子なの?」
 すれば叔母の声が跳ね、はいよいよいたたまれなくなってくる。
「紳一も知ってる子?」
「ああ。湘北高校のバスケ部の奴で、今年の新人王にも選ばれた大型ルーキーだ」
「まあ、一年生……。紳一たちがこの間連れてきた子は二年生だったわよね?」
「あいつはまた別の学校だ」
 ついには話が仙道にまで飛び火して、は苦笑いを浮かべた。
「うん、だから、来週からしばらく家で流川くんに勉強を教えたくて……。ダメかな?」
「かまわないわよ。でも……他校の男の子なんてどこでお友達になったの?」
「と、友達っていうか……つ、付き合って……るの」
 付き合っているか否かと言葉で確認した覚えはないが。それ以外にないよな、と頬を赤くしながら言うと「まあ」と叔母の声が跳ねて紳一の声も跳ねた。
「そうか……流川か……! あいつなら良かった」
「どういう意味……」
「私も楽しみだわ。のお付き合いしてる子に会えるの」
 ふふ、と叔母が笑い、はホッとすると同時に背中に大量の汗を流した。やはりこういう話をするのは気恥ずかしい。一山越えたことにホッとして食事の箸を進めた。

 湘北及び流川の実家の最寄り駅と牧家の最寄り駅は小田急線で一本である。
 ゆえに週明けの月曜から彼は授業が終わったらそのまま小田急での家に来るという。
 も放課後はいつもの図書館での勉強をキャンセルして急いで帰路についた。
 学習計画などは全く立てていないが取りあえずは湘北の試験範囲をチェックしてからだな。内容は一年生だし問題はないだろう。と自宅リビングで考えているとインターホンが鳴った。流川だろう。
「チワス」
「いらっしゃい、あがって」
 流川がこの家に来るのは初めてではないが、家にあげるのは初めてである。
「取り合えず叔母さんに紹介するね」
 言いながらリビングへと誘導する。流川も頷いて続き、リビングのドアをあけて中に入るとはやや緊張気味に叔母を呼んだ。
「お、叔母さん。あの……こちら流川くん」
「流川楓す。この度はお世話になります」
 流川でもきちんと頭を下げられるのか、と意外に思っていると……案の定というか叔母の瞳が輝きを増すのがはっきりとの瞳に映った。
「ま、まあ……! はじめまして、の叔母です。まあ、大きいわね。まだ一年生なんでしょう?」
「うす」
「ハンサムねー! ったらこんな素敵な子を恋人にするなんて……、のことよろしくね」
「ちょ、ちょっと叔母さん!」
 これだからイヤだったんだ、と興奮気味の叔母をどうにか制し、流川を座敷へと連れていく。自室より座敷の方が大きなローテーブルがあり勉強には向いていると感じたからだ。
 期末試験だから教科は全教科だろうが取りあえず暗記系の科目は置いておいて、英語と理数系から入ることにした。そして英語と常に赤点を取っているという苦手な科目を重点的にやっていくことにする。
「というか英語で赤点取っててアメリカ留学したいとかどの口が言うかな」
「……」
 うるせー、と小さく聞こえた気がしたが聞かないことにした。ともかく試験対策だ。試験範囲の単語は自分で覚えてもらうことにして試験問題の範囲だという文法のプリントを参照しながら一通りやらせてみせた。
 だいぶ酷かったがめげずに一から文法を叩き込んでいく。
「もう全部英語で話そうか? いっそ音で覚えちゃえば……」
 言って完全に英語に切り替えて全部を英語で説明すると大人しく聞いていた流川はひたすら首を捻った。
「聞き取れん……」
 センター試験対策ならいざ知らず。英語は渡米用なのだからこのまま続けよう。とは苦情を聞き入れずにそのまま英語でしゃべり続けて重要な部分は流川に何度もリピートさせ、書き下しもさせた。
 それを90分ほど続けたところで一息入れようと手を叩く。
「ちょっと休憩しよっか。疲れたでしょ」
 すればぐったりした様子の流川を見やっては苦笑いを浮かべた。
 自分も紳一も家庭の事情で第二言語である英語に苦労することはなかったが、一般的には大変だろう。しかしアメリカでやっていくには最低限だしな、と思いつつキッチンにお茶の準備をしに行く。すれば夕飯の準備に取り掛かっていた叔母が冷蔵庫からパウンドケーキを出してくれた。
「びっくりしちゃったわ。あんなハンサムな子、初めて見たもの」
 まだ興奮気味の叔母には紅茶をいれながら頬を引きつらせた。
「うん……。すごく女の子に人気があって試合会場でもすごいよ……」
「分かるわー! 叔母さんも高校生だったらきっとそうなってたわ。でも、そんな子が恋人なんては心配ね」
「う、うーん……そうでもないけど……」
 叔母が少女趣味なのを抜きにしても。やはり流川の容姿は女性の心をとらえてしまうんだな、と痛いほど実感しつつ紅茶とケーキをプレートに乗せて座敷へと戻った。
 すれば戻った途端に机に突っ伏して寝息を立てている流川が目に飛び込んできてはあっけに取られる。どうやらバスケ以外は良く寝ているというのは本当のことのようだ。
「流川くん、流川くん」
 悠長に眠らせるわけにもいかず肩をゆすって起こしてみる。
「んー……」
 さっきの90分でかなり脳を消費させたようだし、糖分補給させよう、とお茶とケーキを勧める。流川は甘いものは嫌いではないらしく、黙々と食べている様子に少し笑ってはその間に次の教科の段取りを進めた。お約束のように数学も苦手らしい。
 教科書をめくりながらふと思う。幼少の頃は自分は勉強はダメだったが、紳一にしても諸星でさえもそこそこ出来ていた。まして二人とも数学は得意だったと記憶している。――ガードはさすがに頭脳を鍛えていないと厳しいポジションでもある。流川も将来的にガードにコンバートするならやっぱりちゃんと頑張った方がいいに決まっている。
 と、そろそろ夕飯の時刻というころまで勉強に励んで今日は切り上げることにした。
 流川に家で自主学習する個所と復習する個所を何度も確認させ、いったんリビングに顔を出して叔母に挨拶をしてからも家の前まで見送ろうと一緒に外へと出た。
「頭がくらくらする」
「大げさな……」
 白い息が空に溶けていく。だいぶん寒くなってきた。
「じゃあ、頑張ってね」
 言えば小さく流川がため息を吐いた。まだ始まったばかりだというのに早速部活がないことへのフラストレーションを貯めているのだろうか。
「朝、来んのか?」
「んー……流川くんと勉強してる間は学校で勉強できないから朝にやろうと思ってるの」
 ごめんね、というと流川は少し目を伏せた。部活は出来ないが身体がなまるのを避けるために早朝練習だけは続けるという流川だったが、は試験期間は付き合わないことを決めていた。ゆえに少し落胆しているのだろう。
「でもそのぶん放課後に毎日会えるし」
「まー……そーだけど」
 言って流川がくるくるとのサイドの長い髪に手を絡めた。ドキ、と射抜かれるような瞳で見られて跳ねた心音を聞きつつ目を閉じる。
「ん……ッ」
 口の中に甘い香りが広がった。さっきのパウンドケーキだ。寒いのに触れてる個所が熱い、と唇を離して荒い息を吐きつつそっと流川の肩口に額を埋める。
 あったかい、とそのぬくもりに浸ってしばらく。不意にヌッと黒い影が二人を包んで「おい」とどこか気まずげな見知った声が響き……は流川からパッと身体を離した。
「お……お兄ちゃん」
「よう流川」
「チワス」
「仲いいな、お前ら。……まあ、ほどほどにな」
 そうして紳一は玄関の方へ向かい、の目が泳いだ。――どうやら本当に流川との交際は賛成のようだ。信じられない。と過去の紳一の諸々の言動を思い出しては乾いた笑みを漏らした。
「じゃ、じゃあ流川くん。また明日ね」
 頷いた流川に手を振って、も紳一のあとを追うようにして家の中へと戻った。
 その日の夕食ではほぼ叔母が一人で流川を褒めちぎる内容を話し続け――ベッドへと入る頃にははぐったりと疲れ果てていた。


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