――週末。日曜。

 果たしてこれはデートと言えるのだろうか、とはクローゼットの前に立った。
 紅葉狩りだからハイキングのようなものだし、服装はアウトドア仕様でないと合わない。デートというよりは単純に友達と遊ぶ感覚に近い。
 そもそも流川はコート上では完全にこっちを対等な相手として見てくれているし、そこが流川とバスケしていて楽しい部分でもある。付き合ったらそういう関係も変わってしまうのだろうか? だとしたら、それはちょっとイヤかもしれない。
 考えすぎかな、とも思う。
 あの流川が今さらコート上での態度を変えるわけもないし。

『勘違いなら、あんたに触れたいとか思わねぇ』
『じゃー付き合えば』
『バスケだけの話じゃねぇ、どあほう』

 流川は何度も似たようなことを言っているが……いわゆるそういう「お付き合い」に固執する必要はないのでは。
 などとごちゃごちゃ考えている時点で既に流川のペースな気がする。と思いつつ朝ご飯を食べ、たぶん必要になるだろうとドリンク類を持って家を出た。流川とは9時に藤沢駅で待ち合わせをしている。
 しばし藤沢駅のJR改札口付近で待っていると少ししてヌッと大きな影がさしかかった。
「はよっす」
「あ、おはよう」
 違う方向を見ていて気が付かなかった、とは現れた待ち人――流川を見て笑ってみせた。
 早朝練習ではいつもスポーツブランドのジャージを着ている流川であるが、今日はさすがに私服だ。ちょっと緊張する、と見上げた流川はいつも通りの涼しい顔をしており、は努めて平静を装って取り合えず改札を抜けた。
 しかし――。これでも「愛知の星」を幼馴染に持ち「神奈川の帝王」を兄替わりとして育って身近に人気者がいるという生活には慣れているである。だというのに本当に視線が痛い……と電車に乗ってからずっと同じ車両にいる女性たちがちらちらと流川を見やっているのが分かっては居心地の悪さを感じた。
 気づいているのだろうか? とドアの窓から外を見ている流川を見上げる。本人としてはこれが日常でもはや慣れきっているのかもしれないが。でも。顔は本当に恐ろしいほど整っているし。綺麗だな、と見ているとさすがに「なに?」と言われては慌てて首を振るった。
「ほ、ほら。乗り換え、ね」
 ちょうど大船駅に着いたのを幸いには開いたドアからホームへと出た。
 国体の時は団体行動であったし、藤真もいたし、他にも目立つ選手がいたから視線が分散されていたが。流川単独がこれほど目立つとは、と横須賀線を待ちつつ考える。
 思い返せば、国体も含めて流川がいる試合会場にはいつも彼の応援をしている女子の団体がいたような。とは頬を引きつらせた。
 何もしないで立っているだけで目立つのにバスケまで上手かったら当然かな。と思いながらややむっとする。そんなに流川のバスケがいいだろうか。フォワードとしてまだまだまだ、とうっかり無駄に対抗心を燃やしていると「おい」と肩を掴まれた。
「え」
「電車来たぞ」
 なにボーっとしてる。と言われてハッと意識を戻して取り合えず電車に乗り込む。
 流川はフォワード以外のポジションを経験したことがあるのだろうか?
 卒業後はアメリカに行くと言っていた流川。彼の身長がもう少し伸びたとしても、アメリカでは彼は良くてシューティングガードにしかなれないだろう。が。今の流川のままじゃガードなんてとても……などと考えているとあっという間に一駅が過ぎ、たちは目的地の北鎌倉駅で降りた。
「私、北鎌倉で降りたの初めて……! 流川くんは?」
「んー……ガキのころある、かも」
「あんまり出かけたりしないの?」
「まーバスケやってるか……寝てるし」
 ああ、とは納得した。流川の好きなものはシンプルにバスケで、それ以外はあまり必要のない生活だったのだろう。
 とはいえ自分もあまり人の事を言えた義理ではないが。でもバスケを最優先していただけで他の事に興味がなかったわけではないしな。と思いつつ源氏山を目指すハイキングコースに入る。観光客とは違うルートになるため人もそう多くはない。
「湘南と違って一気に山っぽくなったね。さすが古都鎌倉……」
「1192作ろう鎌倉幕府くらいしかわからん」
「あ、鎌倉幕府成立の時期って最近疑問視されてて近いうちに教科書でも1192年じゃなくなるみたいよ」
「――!! じゃあどう覚えれば」
「……そこ重要なのかな……」
 どうやら流川が勉強が苦手というのは本当らしい。これまでのリアクションから察しては頬を引きつらせた。とはいえアメリカの試験に日本史はないが。いやでも高校ではあるか。困ったな。と巡らせつつ辺りの景色を見やる。
 お寺の脇を抜けていくと綺麗に整えられた木々が赤や黄に色づいているのが鮮やかに映り、ふ、とは笑みを零した。
「きれい……」
 ちょっと湘南から離れるだけで風景が全く違う。海のそばの湘南は気に入っているが、たまには山もいいな。といよいよ山道に入って登っていけば舗装されてない険しい道で、やはりアウトドア用の服で正解だったと思いつつ歩いていく。道中では鎌倉市内を見下ろせる場所がいくつかあり、そのたびには感嘆した。
 しかし。隣にいる流川のリアクションはいまいち薄く……というより皆無に近く。
「流川くん……もしかしてつまんない?」
 聞いてみるとさも驚いたと言わんばかりに彼は瞬きをした。
「なんで」
「や、なんか……反応薄いし」
「つまんねーなら来てねー」
 ジッと瞳を見ながら言われ、う、とはたじろぐ。
「そ、そっか。良かった。でも、流川くんって分かりにくい」
「なにが」
「なにがって……喋らないし笑わないし」
 すると流川は意外そうにゆっくりと瞳を少しだけ見開いた。
「なにを喋りゃいい?」
「な、なにをって……景色が綺麗とか風が冷たいとかそういうたわいの無いこと」
「む……」
「あ、いま口に出してないだけでちゃんと思ってるとか思ってない?」
「なんで分かる……」
「なんとなく。でも一緒にいる人の考えを予測しながら喋るのは私はイヤ」
 言うと驚いたような顔をした流川がやや唇を尖らせた。――やっぱり流川にガードができる気がしない。と歩きながら足元を伝っていた根に片足をかけて上がろうとするとズルっと滑って「わ」とは声をあげた。
「あぶねッ」
 瞬間、流川がグイっと腕を引いて持ち上げてくれ何とか無様に転ぶのは避けられホッと息を吐く。
「あ、ありがとう……」
「気を付けろ、どあほう」
 しかし呆れたような声が降ってきては足場を確保するとカッとして流川を見上げた。
「なんでそういう事ばっかりはっきり言うかな」
「あんたがドジったのが悪い」
「ふ、不可抗力だし……!」
 言ってからは、ハァ、とため息を吐いた。まあいいか。これが流川だし、と思い直して足を進めた。――よくよく思い返せば自分は生まれてからずっと二人の兄貴分と一緒でどこまでも妹でしかなかった。弟がいたらこんな感じだったのかも。と思えばこういうのもアリなのかもしれない。
 裏腹に流川は言いすぎたと思ったのか小さく「おい」とを呼び止め、は「ん?」と振り返る。
「ついクセで言った。ワリぃ」
 は目を見開く。不愛想な表情は変わらないのにどこかしゅんとしていて不可抗力的に笑みが漏れた。
「ううん。平気。……ちょっとね、もしかして弟がいたら流川くんみたいだったのかも、って思っておかしかったの」
「は……?」
「私、お兄ちゃんしかいないから」
 すると流川は心底不本意だったのか小さく舌打ちをした。
「もう絶対言わん」
「別にいいのに」
「弟扱いはイヤだ」
 そうして彼は少しムッとしたような顔をし、そういうところがそうなんじゃ……とは少し笑った。
 自身はサーフィンだの釣りだのにかまけずひたすらバスケか勉強のみの日常だったが。やっぱりこういう時間の過ごし方も悪くないかな、と思う。流川と一緒にいるのもイヤではないしな。と小一時間ほど歩いていくと源氏山公園が見えてきた。
 さすがに良く晴れた秋晴れの日曜日。ちらほらと似たように紅葉狩りを楽しんでいる人が散見される。
 まさに今が紅葉の見ごろだ。ちょうど朱く色づく紅葉の木の下のベンチが空いており、は少し休憩しようと流川を促した。
「のど乾いたね」
 そうしてやっぱり持ってきておいて正解だったと肩に背負っていたバッグから小さなペットボトルを二本取り出す。
「炭酸ありとなしどっちがいい?」
 小型のペットボトルは日本ではまだ普及していないが牧家はよく輸入品のミネラルウォーターをストックしている。が持っているのもそれである。
 流川は物珍しいものでも見るような顔をしてから、じゃあ、と炭酸ナシを指した。
「フツーのほう」
 は炭酸ありの方のキャップを開け、のどを潤す。
 さわさわ、とやや冷たい風が吹き、そのたびに真上から真っ赤な楓の葉っぱが落ちてきては手を伸ばした。
「楓……!」
「――は!?」
「きれーい……」
 落ちてきた葉っぱをつかみ取って呟いたに流川がギョッとしたような顔を向け、はキョトンとしたあとに「あ」と気づいた。
「あの……紅葉のことだったんだけど……」
 すると流川の目元が少しだけ赤くなった。ような気がした。そしてフイと目線をそらした彼に「あ」とは言ってみる。
「逃げた」
「逃げてねー」
「人に避けんなとかいったクセに」
「避けてねー!」
 さすがにおかしくては小さく笑う。
 摘まんだ楓の葉っぱを見やりながら、そういえば、ととあることを思い出して視線を流川に戻した。
「最初、流川くんって秋生まれなのかなって思ってたんだけど……お誕生日って1月1日よね? 冬なんだ、ってちょっと意外だった」
 国体の選手登録資料で見たんだけど、と言うと流川にとっては割と慣れた質問だったのか小さく息を吐いた。
「親が決めたんであってオレは知らん」
「そっか。でもいいな……綺麗な名前。この季節って嬉しいんじゃない?」
 一面綺麗な景色だし、と言うと流川はなにか考え込むような表情を見せたあとに「じゃあ」とこちらに向き直る。
「そう呼べば」
「え……?」
「名前」
 え、とは目を瞬かせる。そしてようやく意図を悟った声が「え!?」と跳ねた。
「わ、私は流川くんでいい」
「なんで」
「なんで、って」
 相変わらず要求時の押しが強い、とはやや腰を引く。そういえば、と今年のインターハイの事がふと過った。あれは諸星を大声で「大ちゃん!」と応援していた時の事だ。諸星のファンらしき女性陣から厳しい目で見られて居心地の悪い思いをしたことがあったのだ。あの時こう思ったものだ。「流川のことを“楓ちゃん”と呼んだ場合もきっとああなるのだろうな」と。
 ――そんな恐ろしいことを現実にしてなるものか。と苦笑いしか出てこない。でも。響き的にはけっこう可愛いかも、と周りに流川のファンもいないことだしと呟いてみる。
「楓ちゃん」
 たぶん流川は小さいころは幼稚園の先生や母親にこう呼ばれていたはず。と思いつつ見た流川は案の定ややイヤそうな顔をした。
「ちゃんはいらねー」
 は肩を揺らした。
 でも――、と流川を見上げる。元旦に生まれた彼がなぜ楓と名付けられたのかは分からないが。この季節と流川はやたらと似合っている気がする、と時おり落ちてくる楓の葉っぱを違和感なく際立たせている彼の整った容姿にいっそ感心した。
 試合や練習時はバスケットにしか注目していなかったが。改めて流川本人を見るとやっぱり騒がれるだけの美形だな……と感じていると、流川が不思議そうに瞬きをした。
「どーした?」
「な、なんでもない。名は体を表すだなって思ってただけ」
「名は体……」
 すると流川はベンチにいくつか落ちてきていた楓の葉っぱを一つ摘まんで複雑そうな顔を浮かべた。
 少し強い風が吹いて二人の間を真っ赤な紅葉の雨が彩る。は感嘆の息を吐いた。流川も言葉には出さないものの見入っているのが見て取れ、は目を細める。
 ふふ、と笑うと流川がこちらを見た。そうして彼は迷うように唇を動かす。
「…………」
「え……!?」
 急に呼ばれて驚いて反応すれば流川が僅かに眉を寄せた。
「……もうコーチじゃねーし。先輩もそう呼んでた……」
 迷っている様子だったのはどう呼べばいいか迷ったからだろう。そういえば初めて会話したときも彼はこちらをどう呼べばいいか迷っていたっけ。思い出しては薄く笑う。
「呼びやすい呼び方でいいよ」
 そしてあの時と同じように答えると、彼も同じようにこくりと頷いた。と同時に流川はの方へ右手を伸ばし、え、とが目を瞠る。
「るか――」
 驚くよりも前に流川の右手はの額の前髪を少し払い、ついで額に温かい感触が伝った。
 眼前には大きな流川の身体があって、額に伝わる感触の正体を悟っては微動だにできず硬直した。
 少しして流川は唇を離し、一瞬目が合った彼は少しだけ視線を流す。
「口はガマンした」
「なッ……」
 そういう問題じゃない。といっそ脱力したは、ハァ、とため息を吐いた。
 すっかり感覚が麻痺したのかイヤだとすら思わなかった、と流川を見やる。
「流川くん……私、流川くんが冗談とか言うタイプとは思ってないけど、やっぱり分からないの。流川くんの……その、気持ちは分かったけど……やっぱり私たちってバスケでしか何も共有してないし」
 流川からは何度か告白じみたことをされているが、としてはいまだに疑問の方が大きかった。やはり彼が好きなのは自分ではなく自分のバスケなのでは、という疑問だ。
 すれば流川は小さく息を吐いた。
「最初は……バスケがスゲーうまいと思った。合宿の初日、清田たちにジャンプシュート教えてただろ? あの日からちょくちょくあんたのこと見てた」
 まあプレイをだけど、と流川が言ってが目を見開く。
「初日……?」
 こく、と流川が頷いては目を瞬かせた。そんな最初からだとは。確かにジャンプシュートはセンスが出るし、うまいと思われたのは嬉しいが。と考えているとなお流川は続けた。
「だからあんたも言うようにあんたのバスケが好きなんだと思ってた。けど……練習後に1on1やったあと、ボール奪い合って気づいた。あんたスゲー弱い」
「は……!?」
「力は弱ぇ」
「な……ッ! だ、だからそう言ってたでしょ! 力弱いからルール決めないと勝負にならないって」
「まさかあそこまで弱いとは……」
「それに、あの時は流川くんが思い切り引っ張ったから」
「どあほ……桜木じゃああはならねー」
「桜木くんと比べられても……」
 急にそんなことを言われては憮然とした。力で勝てないことなんて分かってる。それでも流川はコートでは対等に接してくれるから楽しかったのに、と眉を寄せていると「でも」と流川は続ける。
「あの時、分かった。勘違いじゃねー。あんたのバスケも好きだし、あんたが好きだ」
 ドキ、と真っすぐ目を見て言われての胸が脈打つ。
 真正面からこう言ってくれた彼にどう答えればいいのだろう?
 流川のことは嫌いじゃない。やや勝手なプレイスタイルも言い換えれば彼のバスケへの情熱から来るものだとここ最近一緒に練習していてよく分かった。さっき額に触れられたのもイヤじゃなかったし。でも。好き、ってどういう感覚をいうのだろう――と迷いながら流川を見ていると、流川は先ほどと同じようにスッとこちらに右手を伸ばしてきた。
 今度は額ではなくその大きな手がそっとの左頬に触れた。
「……ッ……」
 合宿の時は止めたけど。でも。今度はは自分がどう感じるのか興味があった。と、一瞬こちらの出方を窺うようにしてから顔を近づけた流川に瞳を閉じて応えた。
 つ、と一瞬唇が触れる。目を開くと間近で流川の切れ長の瞳と目が合った。
 数秒見つめ合って、流川はが引かなかったのを良しとしたのかもう一度唇を重ねてきた。
「流――」
 遅れても再び瞳を閉じる。
 何度かついばむように繰り返しているうちに流川の左手が膝の上にあったの右手に触れた。そのまま彼は指と指を絡めてきて、も素直に応じた。
「ん……」
 ギュッと夢中で流川の手を握り締めてしばらく。少しの名残惜しさを残して唇が離れた。
「あ……」
 また間近で流川と目が合ったが、は今度は気恥ずかしくて目を伏せた。
 逃げたと突っ込まれるのを避けるため、そのまま流川の胸にキュっとしがみ付いて顔をうずめる。頬が熱い。たぶん顔真っ赤だ。見られたくないし。それに、こうしているのが結構落ち着く――とどくどく高鳴る自分の心音を聞きつつ瞳を閉じると、流川が背中を抱いてそっと髪に触れてきた。ぴく、と身体が撓る。
 思わず涙が滲みそうになるほど気持ちが高ぶっていることはは自覚した。
 しばらくして少し気持ちが落ち着くのを待って、は流川から身体を離す。が、真正面から顔を見るのが気恥ずかしくてちょうど昼も近づいてきたことを良いことに立ち上がった。
「そ、そろそろ行こっか……」
 お昼だし、と言うと後ろでわずかに呆れたような息を流川が吐いたのが伝った。
 でもなんて言えば……とまごついていると、立ち上がって先に歩き出した流川が「ん」と手を差し出してきた。
「え……」
 ジッと見つめられて、はおずおずと手を差し出す。すると流川は当然のように手を取って歩き始めた。
 その仕草があまりに自然で、はいまようやく以前に流川が「触れたい」と言っていた意味を理解した。こうしていると不思議なほどにしっくりくる……とキュっと指を絡めてはようやく緩く笑った。
「流川くん……」
「?」
「鎌倉でお昼食べてから帰ろうか。練習、1時半からならまだ時間あるし」
「いーけど……」
「ん?」
「いや……」
 流川は先ほどの事を特に追及はしなかった。でも、たぶん。結局のところ流川のペースにはまったようなものだな、とは少しだけ自嘲した。
 目に染みるような朱色の楓がやたら鮮やかで眩しくて、そっとは流川の腕に身を寄せた。


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