『待ってる』

 国体終了から一週間ほど経ち――は朝にジョギングに出るたびに流川のその一言が頭に過ぎっていた。
 むろん罪悪感を覚える義理はないのであるが。流川を嫌っているわけでもないし。そもそもバスケの誘い自体は魅力的だし。本当に流川との関係を「バスケだけ」に留めておけるならお互いに良いんじゃないかと思う。
 ジョギングコースはいつも海岸沿いだったため、住宅街を走るのもたまにはいいかもしれない。と言い訳じみたことを浮かべつつ、その日のはいつもの道ではなく藤沢方面に足を向けた。
 言われた公園の場所は知らないが。一応は地図でそれらしき場所を確認したし見つかるだろう。そもそも走るのが目的なわけだから見つからなくても構わないし。となお言い訳じみたことを浮かべながら走っていく。距離は2キロちょっとのはずだ。それほど遠くはない。
 流川の方はどうなのだろうか。確か流川は海南をはじめ神奈川の強豪校からの推薦は全て蹴ったと聞いている。江ノ電沿いなら陵南を蹴る理由もないし、わざわざ遠出して早朝練習を行っているのだろうか……と考えているうちにそれらしい公園が見えてきた。
 近づいてみると朝の静寂にボールが土を叩く音が響いている。
 ひょいとフェンスから中をうかがうと、やはりこの公園で正解だったのか見知った流川の姿があり――は少しだけ笑った。
 が。どういう顔で出ていけばいいのだろうか? 自分が出ていくイコール彼の要望を受けたと解釈されてしまうのでは。などとここまで来ても考え込んでしまう自分を苦く笑った。
 スッと息を吸い込んでから、はそばの入り口から数段ある階段を下りた。
「おはよう」
 流川がシュートをして一区切りついたらしきところで声をかけると、やや驚いたように彼は振り返る。
「ちわっす」
 しかし彼の表情はいつもと変わらず、やや緊張している自分がいたたまれない。とは無理やりに笑みを浮かべた。
「えっと……私は練習を見てればいい……?」
 そもそも流川は自分に何を期待しているのか、と過らせつつ言ってみると彼はキョトンとした顔をしてボールを差し出してきた。
「やんねーの?」
 は一瞬惚けた後、キュっと唇を結ぶ。
「やる」
 ――ヨコの勝負ならまだまだ負けない。
 それに流川はコート上では本人の言葉通りこっちに一切の遠慮をしない。だから楽しい。そう遠くない未来に単純なスキルでも抜かれてしまうかもしれないが。あと少しの間なら……とは無心で汗を散らせた。
「流川くん、家ってこの近く?」
 一時間ほど汗を流し、そろそろやめようと肩で息をしながらは聞いてみた。
「いや……学校の近く」
「え!? 遠くない? 走って来たの?」
 いやチャリで、と言いながら流川は公園のフェンスの外に目配せした。そこにはロードバイクが置いてあり、ああ、とは頷く。家のそばにはコートのある場所がないのだろう。
 聞けば湘北は朝練は特にやっていないらしく、なるほどな、とはさらに理解した。朝の時間の使い方は各部員に委ねられているということだからだ。
 これは海南の方がだいぶ厳しそうだな……などと思っていると「じゃーまた明日」と勝手に明日も一緒に練習する前提で挨拶されて流川は行ってしまい、はあっけに取られたあとに肩を竦めた。
 早朝ランニングは習慣だし、それに加えてバスケができるなんて御の字だ。だからしばらくは流川に付き合うのもいいかもしれない。と言い訳じみたことを重ねて浮かべつつもはその後も週に何度かは流川の早朝練習に付き合った。
 そうして二週間が経ち、三週間が過ぎようとし――流川とマッチアップしたり流川の練習を見ているうちに確信したことがある。
 おそらく流川が参考にしているのはNBAのプレイヤー。それも何度も繰り返しビデオで見て動きを覚えたのか思い当たる選手のクセに非常に似ていた。流川自体はポテンシャルの高い選手であるが、おそらくは小さいころから一人で練習することが多かったのだろう。というのが分かる動きでもあった。
 ゆえに――。
「ッ――!」
 いまも渾身だっただろうドライブを止められて愕然としている流川を見ては、ふ、と息を吐いた。なぜ予測できる、とでも言いたげの瞳で荒い息を吐いている。
 は休憩を宣言して持ってきた空のドリンクボトルに水道の水を入れ粉末でスポーツドリンクを作った。
 流川は最初の頃は早朝練習にはドリンクは持参しておらず、なぜ水分を取らないのか聞いたら飲んだら負け的なよくわからない理論を口にしたためは自身が使っているスポーツドリンクの利点――体力回復や筋力維持――を話した。粉末と空のボトルさえ持っていれば行き帰りの荷物にならない利点もあるため流川も納得したのかすぐに持参するようになった。
 口数の少ない流川だが、それでもは少しずつ流川と会話をすることに徐々に慣れつつあった。
「流川くん……学校で1on1はやらないの?」
 芝生に腰を下ろした流川の隣に腰を下ろして聞いてみる。
「三井さんなんかけっこうディフェンス上手いし……いい練習相手になるんじゃない?」
 がさらに続けると流川は僅かばかりむっとした表情を浮かべた。
「一度やったことある」
「一度!? 同じチームなのに?」
 たったの? という意味で聞いたの声に流川はその時の事でも思い出しているのかむっとした表情のまま息を吐いた。
「先輩と勝負すんのはラクじゃねー」
「え? どういう意味……? もしかして流川くん、負けたとか?」
「負けてねー!」
 いまいち話が噛み合わずには苦笑いを漏らした。
 にとっては三井は割と話しやすい相手であったが。流川にとってはそうではないのかもしれない。というかこれは三井の問題ではなく流川の問題なのでは……と思ったが口には出さないでおいた。
 流川の白い喉が上下する。しばしごくごくとドリンクを飲んでいた流川は、ふぅ、と唇をボトルから外すとの方を見やった。
「だから……あんたが来ねー日は、つまらん」
「……え……」
 真っすぐ瞳を見つめられてドキッとの心音が跳ねた。
「あ……そっか、相手いた方が楽しいもんね……」
「まあ」
 それだけじゃねーけど。とボソッと言われては「まずい」と感じた。話をバスケに戻そうと手に持っていたボトルをギュッと握り締める。
「る、流川くんさ……、子供の時からずっと一人で練習することが多かったでしょ?」
「どっちかというと」
「私は……いつも大ちゃん、あ、愛知の愛和学院のキャプテンね、とお兄ちゃんの3人で練習してたから1対複数が得意なの。攻めるのもそうだし、守るのも相手が一人だとなおさら予測が立てやすいというか。それに流川くん、NBAの試合をしょっちゅう見てるよね?」
 動きが似てたから、というと流川は驚いたような目をした。
「さっき私がドライブ止めたの驚いてたでしょ?」
「それだけじゃねえ。あんたいったいどんな練習してきた? ジャンプシュートのリリースの速さもおかしい。オレとあんたで今まで打ってきたシュートの数に大きな違いがあるとも思えん。なにが違う」
 バスケの事になると口数が増える流川に言われ、は「んー」と口元に手を当てた。――そもそも物事の伸びは実力の拮抗した相手とどれだけ向き合えるかにかかっているのだ。流川は圧倒的にそこが不足している。
「才能とかセンスを度外視すれば……練習の質じゃないかな。さっきも言ったけど私はお兄ちゃんや大ちゃんとずっと練習してたし、イレギュラー状態からのシュートも日常的にいっぱい打ってたから単に場数多くこなしたんだと思う。ほら流川くんたちもインターハイ予選の決勝リーグでお兄ちゃんに4人ついてたでしょ? でもお兄ちゃん、ああいうの得意なの」
 流川は苦み走った顔をした。おそらく敗戦の痛手でも思い出しているのだろう。
「私……この数週間である程度流川くんの弱点は分かった。どこを直せばいいかも。私はあと1年で卒業だから、それまでなら流川くんに付き合えると思う」
「は……?」
 どういう意味だ、と流川がなおこちらを凝視し、は続ける。
「だから……卒業まではこうして流川くんに付き合う。それでいいかな?」
「イヤだ」
「――え!?」
 かぶせるように拒否されては目を瞠った。
「あんたは……まだオレが言ったこと理解してねーのか」
「え、だ、だって……いま私たちが会ってる理由はバスケでしょ?」
「まーそーだけど」
「それに……私は一年後には卒業してここから出ていくから、どっちみち流川くんとは会えなくなるし」
 すると流川はきょとんとして目を瞬かせた。
「どういうことだ?」
 聞かれては、んー、と唸る。進路の話をあえて流川にする必要があるとも思えないが……と思いつつ口を開いた。
「私、進学は海外ですることにしたの。アメリカか……カナダか。たぶんカナダになると思うけど」
「アメリカ!?」
「え、う、うん。あの……両親が北米に転勤になるみたいだから、親元で進学したくて」
 意外なほどの反応を見せた流川に言えば、流川は数秒ほどこちらを凝視した後に息を吐いた。
「ならなんも問題ねー。オレも卒業したらアメリカに行く」
「――は!?」
 なんで、と思ってもみないことに今度はが流川を凝視すると流川はさも当然と言わんばかりにこう言った。
「アメリカでバスケやる」
「ア、アメリカでバスケって……流川くん英語話せるの? 具体的にどこの大学に行くつもり?」
 流川は冷や汗のようなものを額から流し、あごに手を当てた。
「英語は誠心誠意ベンキョー中……」
「……」
「……大学は……ジョーダンが行ってたとことか……」
 一瞬呆れかけたはその発言で「は?」と声をあげた。
「ジョーダンって、マイケル・ジョーダンのこと?」
 こく、と流川が頷き、は思考を巡らせる。NBAのスタープレイヤーであるマイケル・ジョーダンの出身校。どこだっけ……と記憶を総動員して思い出し、次いで目を見開く。
「ノ、ノースカロライナ!? ウソでしょ……! る、流川くん、成績は……?」
「……赤点がいくつか……」
 毎回。とボソッと呟いた流川には絶句して頭を抱えた。ノースカロライナ大学チャペルヒル校。NCAAの常勝大学であるばかりか学力的にもアメリカ屈指の州立大学である。
「あのね流川くん。アメリカの大学はいくらバスケが強くてもバスケばかりやってればいい場所じゃないの。高校で赤点常連なんて門前払いに決まってるでしょ……!」
 すれば、マジか、とでも言いたげに驚愕の表情を浮かべる流川にはなお頭を抱えた。無計画にもほどがある。
「ほんと信じられない……」
「んじゃあんたは?」
「え……?」
「英語喋れんのか?」
「? 喋れるよ。私、1年半前までケープタウンに住んでたし」
 帰国子女だし。と言えばこの世の終わりというような顔を浮かべて絶句する流川にはさすがに「あのね」といら立ちを見せた。
「なんだと思ってるの人の事……」
「……意外……」
「まあ、とにかく。ノースカロライナとはいかなくても他の強豪校も学業上位のところが多いから今のままだと本当に無理だから」
 ため息交じりに言えばやや青ざめている流川を見ては少しばかり同情した。日本で手に入る情報など限られているし、まだ高校一年生の流川が情報不足なのも致し方ないだろう。そう思い直して言ってみる。
「試験前と期間中って部活休みよね? 教えようか、私でよければ」
「ベンキョーできんのか?」
「ちょッ……さっきから失礼なんだけど! 私、学年主席だし」
「――!!」
 何なのこの人……、とちくいち失礼なリアクションを取る流川には遠い目をした。もしかしてバスケしかできない人間だと思われていたのだろうか。――実際、バスケをやめるまではバスケしか出来なかったが。としばし無言でいるとハッとしたように流川が言った。
「さっきの話……」
「え?」
「あんたが卒業まで付き合うってヤツ」
「それが?」
「お互いアメリカに行くならなんも問題ねーだろ」
「いや、だから……流川くんがアメリカに行ったらますます私は必要ないでしょ」
 もっと強い練習相手に囲まれることになるんだし、と言うと流川がむっとした顔をする。
「バスケだけの話じゃねぇ、どあほう」
 今度はが息を詰めた。なるべくバスケ以外の話にならないように気を遣っていたというのにコレだ。
「その話、続ける必要あるかな」
「あ……?」
「流川くんとバスケをするのは楽しいし、もう少し流川くんに付き合ってバスケをするのもいいかなって思ったけど……私にはそれ以上は想像できない。学校だって違うし」
「学校はカンケーねーって言ったはずだ」
「だって学校が違ったら会う時間全然取れないでしょ……。私は、付き合う人とはバスケ以外でも話したいし、一緒に出掛けたりしたいし」
「? すれば」
「じゃあ聞くけど、流川くんバスケ以外で普段なにしてるの?」
「なにって…………寝てるかな」
 考え込んだ先にそんなことを言われ、は一気に脱力した。
「ほら……ぜったいお互い今のままの方がいいと思う」
「あんたは……オレとバスケ以外でしたいことがあんのか?」
「べ、別に流川くんとじゃなくて……! 一般的な話をしてるの。わ、私は……幼馴染がすごく喋る人だったから、会話がないのはイヤだし、部活のない時間にデートしたりしたい。そういうの流川くんは望まないんじゃないかな、って」
 流川はしばし考え込むような仕草を見せる。
「あんたがそうしたいなら別に構わん」
「む、無理しなくていいよ」
「ムリじゃねー。寝てんのもすることがねーからだし、あんたがいるなら寝る必要もねー」
「そ、そういわれても……」
 そもそも自分は流川自身を好きじゃないし。とはさすがには口には出さずにいた。
 嫌いというわけではないが……というか嫌いならこうもほぼ毎日付き合ってないし。と考えているとジッと流川に見据えられて、つ、とは息をのむ。
 流川は痛いくらいいつもまっすぐこちらを見てくる。まるで視線をそらすことを許さないとでも言うようにだ。
「国体合宿の時……あんたはオレがあんたのこと知らないとか言ってたけど……あんたも知らねーだろ」
 オレの事、と小さく言われての頬がピクリと撓る。
「バ、バスケのことなら知ってる。……私に似てたから、あんまり流川くん好きじゃなかったもん」
 少し跳ねた心音を誤魔化すように言えば、流川は少し目を見開いたあとに少しだけ……ほんの少しだけ頬を緩めたような気がした。
「オレはあんたのプレイは好きだ。似てるなら悪い気はしねー」
 瞬間、カッとの頬が熱を持った。ジッと見つめられているのが痛くてつい目をそらしてしまう。
「そうやってまた逃げる……」
 すればヤレヤレとでも言いたげにため息を吐かれ、ぶわっと背中から汗が噴き出てきた。
 そっちが見すぎ、などと言ったところで言い訳じみていて言い返せず、こうなると流川のペースにはまっている気がしていたたまれずには取り合えず立ち上がった。
「そ、そろそろ戻ろうか」
 いずれにせよそろそろ引き上げる時間だ。これ幸いにこのまま帰ろうとすれば、流川も立ち上がって後ろから声をかけてきた。
「次の日曜……部活午後からだけど」
「え……?」
「どーする?」
「え――!?」
「さっきどこか出かけたいって言ったのそっちだろ」
「そ、そうだけど……」
 そうして早速こっちの承諾を確認する前に押してくる流川のオフェンシブさに苦笑いを浮かべつつは頷いた。それもいいかもしれないと思い直したからだ。
「遠出は無理だから……じゃあ鎌倉に紅葉でも見に行かない? ちょうど見頃じゃないかな」
「わかった」
 そうしてノリと勢いだけで流川とのデートが決定し……なんだか予想外のことになった、と流川と別れた帰路で思いつつもは笑った。
 既に流川と一緒にいることにだいぶ慣れてしまったせいか嫌だという思いは全くない。とはいえ付き合うとなると話は別だが――とりあえずバスケから離れて接してみてから考えても遅くはないだろう。と秋風を切りながら家への道を走って行った。


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