――翌日。

「おはようございまーす……」
「ギャハハハハ! なんだその目のクマは! やっぱお前ちゃんと寝てねえだろ!」
「三井さんほんと元気ですね……、朝っぱらから……」

 人の気も知らないで。と三井の爆笑を聞いていると高頭がやってきてさっそく本日の練習が開始される。
 基本練習を流したあとはおおよその場合AチームBチームに分かれる。自身はBチームを担当しているとはいえ、合宿も既に終盤。高頭の狙いである仙道・流川のエースコンビを成立させる部分には関わらなくてはならないのだろうな。と、若干気を重くしながら声を飛ばしつつ本日最初の休憩。
 なるべく流川を視界に入れないようにしていたが、それも逆に変な気がするし、と考えていると当の本人がスタスタとこちらに歩いてきては若干身構えた。
 普通にしなければ、と思い直す先で間近まで来た彼はスッとドリンクボトルを無言で差し出してきた。昨夜が忘れていったものだ。
「あ、ありがとう」
 気づいて持っていてくれてたのか、と理解して受け取ると流川は首に引っ掛けていたタオルで汗を拭いながらこう言った。
「タオルはいま干してある」
「――え!?」
「忘れてっただろ」
「あ……う、うん」
 まさかタオルまで気づいて、しかも洗濯までしてくれていたとは予想外だ。それもさも当然のように……と見やるも流川は常と変わりない態度だ。そうだ。やはり自分は間違ってはいなかったはず。流川が好きなのは自分のバスケのスキルだ、と強く思い直しては、ふ、と息を吐いた。
「流川くん、今日の朝は自主練した?」
「した」
「昨日教えたステップできるようになった?」
「いや……」
 まだ、と声色に若干悔しそうなものが混じり、は「ふふ」と笑った。
「んだよ」
「ううん。そんなにすぐ真似されちゃったらショックだから、ちょっとホッとしたの」
 ドリンク作ってくるね、と言ってはいったんその場を離れる。
 良かった。ちゃんと普通に話せている。この調子だと問題なさそうだ。
 流川と仙道のコンビプレイがうまくいくかは甚だ疑問であるが、ちゃんと指導できそうな自分にホッとしつつドリンクを作って体育館へと戻る。
 休憩明けには高頭に呼ばれ、Bチームはミドルレンジシュート練習ということでその場の指導は三井に任せては高頭のところに向かった。
「私は高砂と花形のダブルセンター指導を続ける。君は牧と仙道、流川の方を見てくれ」
「わかりました」
 言って高頭はBチームから高砂を呼びつつ花形を連れて隣のコートに入り、は残ったAチームのメンバーを見やった。
「じゃあ、昨日の続きね。お兄ちゃん、仙道くん、流川くんはオフェンス。藤真さん、神くん、それから私もディフェンスに入るからよろしく」
 藤真たちに目線を送ってからフロントコートに入り、は紳一たち3人にバックに下がるよう言った。
 高頭は対秋田戦を睨んで流川をフォワードに、仙道をシューティングガードに、そして紳一をポイントガードにと自分・諸星・紳一がやっていたようなガード陣とエースフォワードの連携プレイをさせようと思い描いているらしいが。目下の問題は流川だ。
 仙道に激しい対抗心を抱いているらしき彼は仙道にパスを出さず、上手い連携が取れずにいる。
 それなら絶対にパスを出したくなるようなディフェンスをすればいいのか? と思うも逆効果だろうな。流川の場合、困難なディフェンスこそ自力で突破したいタイプだ。と理解しつつはコートを守った。
「流川くんには私がつく」
「わかった」
 神に言って、紳一からパスを受け取った流川についた。
 少し離れて守る。神は逆ウィングでパスを警戒して守っている。
 流川が腰を低くする。完全にパスの選択肢が頭から抜けているようだ。困ったものだ、と流川の目を見やる。トップコンディションに乗った流川は未知数かもしれないが――まだまだ諸星ほどではない。と、ははた目にはほぼ分からないほど流川の筋肉が撓ったのを察知してドライブをかけてきた刹那にボールを弾いた。
「ッ――!」
 流川が目を見開いたのが伝う。そのままボールをキャッチしては肩を竦めた。
 進歩がない。と、ため息の一つでもつきたい心境だったが流してもう一度繰り返す。
 しばらく続けているとさすがに息があがり、は水分補給のための休止を宣言した。
「あー……うまくいかない」
 頭を抱えて零せば隣にいた紳一が肩を竦めた気配が伝った。
「流川は、なんつーかお前と一対一やってるみたいな感じだったな」
「本当に意味がわからない……」
 昨日、流川とやった1on1で攻守交代をさせずに切り上げたことを根に持っているのだろうか? 不可抗力だったというのに……と息を吐いて流川を探す。
 コート脇に座り込んでいるのを見つけて、は彼の方へと歩いていった。そして正面に立って同じように腰を落とすと、流川が顔をあげた。バチっと切れ長の瞳と目が合う。
「練習の意図をもう少し汲み取ってもらわないと困るんだけど」
 無言で見つめ返され少々たじろいでしまう。いけない、とは気合を入れる。
「昨日、オフェンス交代せずにあがった当てつけ……?」
「わざわざ仙道にパス出す必要はねー。オレが決めりゃいい」
「んー……でも全く決められなかったよねいま」
「あんたはディフェンスうめえ」
 う、とはうろたえかけるものの、だめだめ、と首を振るう。
「このコンビネーションは秋田戦を想定してるの。沢北くんがいないし、確かに流川くんのドライブは十分通用するかもしれないけど……あんな見え見えのドライブでゴール下に入ったって河田さんに止められちゃうと思うけど」
「カンケーねー」
「あるよ! 流川くんのドライブ止めやすいもん」
「む――!?」
「戦力分散させたほうがディフェンスも読みにくいでしょ。真っ向勝負は1on1トーナメントででもやって」
 睨まれたが負けじと睨み返して数秒。チ、と流川が舌打ちをした。
「じゃああんたが相手してくれんのか?」
「え……?」
「1on1」
 はあっけに取られる。流川が自分のバスケを好きなのは分かったがこうも執着される意味が分からない。1on1の相手などより取り見取りな環境だというのに。と小さく息を吐く。
「わかった。その代わりちゃんと練習してね」
 言っては立ち上がった。そろそろ練習を再開しようとみなに呼びかける。なんとも取引じみたことをしたが、いまは国体での戦略成功が最優先だ。切り替えて練習に集中した。
 そうして練習後に約束通り流川とコートに入る。すれば、いつも通りのシュート練習のため残った神と神に付き合っていた仙道は驚いたのか声をあげた。
「流川……!?」
ちゃんとやるのか!?」
 見事に声の重なった二人を見ては肩を竦めた。流川はというとさっそく仙道を睨み付けている。
「てめーにゃカンケーねーだろ」
 そんな流川を制してからは彼を見上げた。
「神くんの練習が終わるまでね」
「うす」
 さすがに昨日のように夜遅くまで付き合うわけにはいかず、流川は流川で走り込みもしたいらしくきっちりと時間を決めて自主練を開始した。
 少々予定が狂ってしまったが仕方ない。――流川を鍛えることは、来年の海南の脅威に……そして陵南の脅威にもなるのでは。と思うも、国体の間だけは、と思い直して流川と向き合った。

 そうして最終日を明日に控え――、その日の練習後はは高頭と長時間のミーティングをこなした。
「最初はどうなる事かと思ったが、仙道と流川のコンビプレイもそこそこまとまりそうだな」
「……そうですね……」
 上機嫌そうな高頭にはやや苦く笑う。
 流川にかまっている時間を予想外に取られてあまり他の事に割く時間がなかった。
 とはいえ目標は国体優勝なのだからそれが叶えば自分の役割は立派に果たしたと言えるが。と何とか気持ちをあげつつミーティングを終えて小会議室を出る。
 明日の練習は午後5時終了予定で、いよいよ長いようで短かった国体合宿も終わりだ。
 さすがに夜も更けたせいか体育館からはボールの音が聞こえない。みな引き上げたのだろう。
 実はミーティングが始まる前に今日も付き合ってほしいと流川に言われてはいたがさすがに彼もミーティングでは引き下がるしかなく――。走る方に切り替えたのかな、と体育館の入り口をあけて無人の体育館を見渡した。
 帰ろうかな。と思う気持ちにコートを独り占めできるという気持ちが勝り、用具室からボール籠を引っ張り出してきてはミドルレンジのシュートを開始した。
 ディフェンスもいない試合でもない状態のシュート成功率はほぼ100%を誇る。ゆえにただ打つだけではつまらず、ドリブルを混ぜてクイックリリースで投げていく。
 気が遠くなるほど練習してきたのだ、さすがに外す気がしない。と、はた目には驚異的なほどのクイックリリースで打ち続けてしばらく。
 籠の中のボールが底をついてしまい、はハッと意識を戻した。辺りには一面にボールが散らばっており、そろそろ片付けるか、となにげなく振り返った刹那。
「――流、」
 流川くん、と目を瞠ったの表情が固まった。視線の先には入り口付近で突っ立っている流川の姿があり、声をあげると彼の方もハッとしたような表情を晒した。
「なにしてるの……」
「イヤ別に」
「別に、って」
 説明を促すと、流川はやや憮然とした表情を浮かべながらこちらにやってきた。練習着が汗で濡れている。走ってきたあとなのだろうか。
「あんたのシュート、見てた」
 そしてボソッと言ったかと思うとひょいと散らばっていたボールの一つを掴み上げてドリブルしながら反対側のゴールへと彼は向かった。
 ふ、とは息を吐く。まあいいか、と散らばったボールを集めて籠に戻していく作業をする間にも流川は一人ドライブ練習に励んでいる。
 よく練習する子だな。と思うも、基本的に彼は一人だ。もしかすると普段からあまり自主練相手に恵まれていないのかもしれない。とはいえ……、この合宿でよりによって自分に相手をして欲しいと請うくらいなのだから本当に良くわからない。と何気なく流川を見やる先で、彼は一気にゴール下へと踏み込んだかと思えば高く飛び上がって豪快なダンクシュートを決めた。
 わ、と目を見開いたのちに少しだけ肩を竦める。
 ダンクシュートは出来ないからな……と少し眉を寄せたところでふるふると首を振るう。
「流川くん! じゃあ私、帰るからほどほどにね」
 そうして声をかけてからボール籠の取っ手を押そうとしていると、バッシュが床を擦る音が聞こえてきた。流川がこちらに歩いてきたのだ。
 そして彼は無言でのそばに立ち、やっぱり長身の男に無言でそばに立たれるのは威圧感がある……とはやや腰を引く。
「な、なに……?」
「勘違いとか、思いちがいじゃねー」
 え、とは瞬きをした。どうにも流川の話は説明不足やぶつ切りなことが多くよく分からない。
「なんのこと……?」
 聞き返すと、不本意だったのか流川の目線が鋭くなった。
「あんたのバスケは好きだ。けど、バスケとごっちゃにはしてねぇ」
「――ッ!」
 ぴく、との頬が撓る。
 一昨日の夜の件だろう。ここで蒸し返されるとは思わず、にわかに焦ってたじろいでしまう。
「だ、だって……流川くんって私と会って10日くらいしか経ってないよね?」
「それがなんかカンケーあんのか?」
「あ、あるでしょ……! る、流川くんがこの合宿で知れたのってせいぜい私のバスケスタイルくらいだと思う。だから、やっぱりバスケじゃないかな」
 あまりに真っすぐこちらを見てくる流川の視線が痛くて、それだけ言うとは流川に背を向けてゴール籠を押した。その言葉に流川がどんな反応を示したのかは分からない。が。数秒後に、タン、とボールが床を叩く音が聞こえた。流川が持っていたボールを手放したのだろう。
 しかし。それを確認する間もなくは後ろから力強い腕に引き寄せられ――、え、と目を見開いた時には背中から覆うように流川に抱きしめられていた。
「勘違いじゃねー」
「え……」
「勘違いなら、あんたに触れたいとか思わねぇ」
 ギュッと抱きしめられる腕に力がこもり、熱い息が耳元にかかってカッとの身体が熱を持った。心音が急速に早鐘を打ち始める。やや混乱状態に陥ってどうすればいいのか分からない。それに身動きが取れない……とドクドクと鳴る心臓の音だけを聞いていると、少しだけ流川の腕の力が弱まった。そうしてグイッと肩を掴まれて身体を半回転させられ流川と向き合う形になっては目を瞠った。
「――ッ!」
 流川の整った顔が眼前に迫って、は寸でのところで右の手のひらで流川の口元を押し返して止めた。
「ちょっと……ッなにして……」
「なんで……」
 なぜ止めるんだと言わんばかりの不満そうな声が指の隙間から漏れてカッとは眉を吊り上げた。
「な、なんでっていまキスしようとしたよね!? 付き合ってもないのにそういうことする!?」
 ――以前、「可愛かったからつい」とか言いながらヘラっと人の唇に勝手に触れたどこぞの男の事さえ思い出しながら憤りを向ければ流川は、む、と唇を引いた。
「じゃー付き合えば」
「あ、あのね……」
「なんか問題あんのか?」
「あるに決まってるでしょ」
「なに」
「私は流川くんを好きじゃない」
 つ、と流川が引き。あ、とさすがに酷い言い分だったかなとよぎった途端に流川は、き、と強い目線を向けてきた。
「ならこれから好きになればいい」
「……」
 ――だめだこの子。オフェンスが強すぎる。性格がバスケに出すぎなんじゃないのか……と頭を抱えたくなる気持ちと彼の真っすぐな視線が痛くては流川から目をそらした。
「と、とにかく。もうこの話は終わり。私、帰るから」
 そうして顔を上げられないままに流川に背を向けて足早に去ろうと歩き出すと、あろうことか左手を掴まれて阻止されてしまった。
「避けんな、どあほう」
 しかもそんなことまで言われ……さすがにいささか理不尽すぎると感じたは振り返って流川を睨み上げる。
「な、なまいき……!」
「どっちが」
「わ、私はいまはコーチだから! 流川くんは私の事よりバスケに集中して」
「んなこと言われるまでもねー」
「そ……ッ! と、とにかく、私はいま国体のことだけ考えたい」 
 そうしてしばしにらみ合う形となっていると、ふぅ、と流川が息を吐いた。
「わかった」
 そしてようやく腕を解放してくれ、は「じゃあまた明日」と言い残すと今度こそ小走りで体育館の外に向かった。
 そのまま更衣室に駆け込んだとたんに床にへたり落ち、両手で顔を覆う。
 なんでこんなことに……と思う頬が熱い。あの流川が、とついさっきの出来事を浮かべてしまいそうになり強く首を振った。
「と、とにかく。とにかく国体に集中しよう……!」
 そのまま両手で数度頬を叩き、立ち上がると急いで着替えて帰路についた。


 そして翌日、合宿最終日。
 予定通り午後5時には終了して解散となった。

「諸君、この9日間、本当にご苦労だった。チームの状態もよく、最高のコンディションで国体を戦えると私も自信を持っている。今日は各自休息を取り、体調管理もして本番に望んで欲しい。そして明後日の朝7時に藤沢駅に集合だ!」
「はい!」
「では解散!」
「お疲れさまでしたー!」

 高頭と軽いミーティングを終わらせて紳一を探していると仙道とばったり会ったうえに食事に誘われ、は一人暮らしの仙道の食事事情を気遣って家での夕食に誘った。
 そうして紳一を待って3人で帰宅する。
ちゃん、後半の方はけっこう流川と喋るようになってたよな」
「え……!?」
 道すがら、ふいに仙道がそんなことを言っての心音がドキリと跳ねる。
「そ、そうかな」
「練習付き合ったりしてただろ」
「ま、まあ……」
 そういやそうだったな、と紳一が相づちを打った。
「けどま、仙道と流川の連携もなんとかなりそうだし良かったじゃねえか。お前ら二人を使えるってのはガードとしちゃリードし甲斐があるからな」
 彼は呑気そうにそう言って、は乾いた笑みを漏らした。
 今日も流川の態度はいつもと変わらなかったし、このまま無事に国体が終わればいいのだが……とはちらりと仙道を見上げて小さくため息を吐いた。


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