『練習相手してほしいんすけど。1on1で。時間外に』

 驚くほどまっすぐなまなざしで彼は言った。
 彼――流川楓と会話らしい会話をしたのはそれが初めてだったように思う。



 国体合宿――は神奈川県選抜チームにコーチとして貢献していた。
 は主に、いわゆるBチームを担当していたためにAチームと接触する機会はそれほど多くなく。しかしながらAチームで「話したことがない」というレベルで一番の距離を感じていた相手は湘北の流川楓であった。

 そもそも苦手なタイプの選手だしな……。たぶん同族嫌悪とか、そういう感情だと思うけど。と、は流川と会話した翌日の休憩中に視線を巡らせて流川を探した。
 昨日は流川の要求を拒む形となってしまったが、予想外に自身のバスケスキルはこの合宿に参加している選手たちを引き付けてしまったようで、昨夜の自主練中に仙道や清田、神たちに教えたである。偶発的なことだったとはいえ、一番最初に聞いてきた流川を拒否してそれ以外には教えた形となってしまったのは罪悪感があり……にしてももう少し流川とコミュニケーションを取ろうと気持ちを新たにしたばかりであった。
 しかし。わざわざ流川に練習後に共に自主練をしようと誘うのもそれはそれで不公平な気がするし。
 このままでも仕方ないかな、とその日も練習後に残ってシュート練習に励む神の練習には付き合った。仙道や清田も普段通り自主練を続け、彼らは神の練習が済むと一緒に引き上げていくのが常だ。
 もいつもは一緒に体育館を出ていたが、今日は一人その場に残った。
 レベルの高い神奈川選抜の練習をそばで見ていると気持ちは常に高揚するものだ。あくまで技術的なことを教えるという立場でしかないが、やっぱり自分はバスケットが好きなことを思い知らされる。とまだ選手たちには見せていないドライブを一人で続けていると、しばらくしてガラッとドアを開ける音が体育館に響いた。
「え――!?」
 まだ誰か練習する気か? と驚いて振り返ると、なぜか汗だくで息の弾んでいる流川が立っておりはなお目を見開く。
「流川くん……」
「なにしてんすか」
「な、なにって……れ、練習?」
 単にもう少しバスケをしたかっただけなのでそういえば、流川は腑に落ちなかったのかやや首を傾げた。
「流川くんこそ……どうしたのそんな汗だくで」
「……走ってた……」
 言いつつ流川は入り口のドアを閉め、体育館に入ってくる。
 つまり今まで校内を走っていたということだろう。みなに比べて体力でやや劣っているのを気にしているのかもしれない。
 しかも――まだ練習するのか。と、が出したままにしていたボール籠からボールをひょいとつまみ上げ、が使っていなかった方のコートに入って淡々と自主練を開始した。
 その様子をジッと見やる。――上手いんだけど、けっこう色々細かな欠点が見える。指摘したら伸びるだろうな。とはいえ海南のライバル校を鍛えるのは気が引ける。と過らせてハッとする。
 自分ももう少しやろう、と気を取り直してもゴールを見やった。バスケット人生のほとんどの時間を紳一や諸星と一緒に3人で練習していたため一人きりの練習はどちらかというと味気ない。プレッシャーのない練習でディフェンスもいない状況となると、まず失敗しないしな。と、予定調和のようにどう打ってもリングに通るボールを他人事のように見つつ思う。
 それでも体育館に誰か一人でもいたほうが無人よりは緊張感あるかも。と、隣のコートのドリブル音を耳に入れつつ動き回ってしばらく。一息つこうとは壁際に置いていたドリンクを取りに行き、タオルを手に取って喉を潤しつつ汗を拭った。
 にしても流川は相当に息が上がっているようだが休む気はないのだろうか。走った直後にここに来たようだし。
 まだまだ練習中の水分補給を徹底させる教育現場は少ないみたいだしな。と、肩を竦めつつはちょうどボトルが空になったこともあり立ってすぐそばの水場に向かった。
 隣の更衣室から自身の荷物を取り出し、スポーツドリンクの粉末パウダーを取り出して新たにドリンクを作っていく。
 そうして体育館に戻り、流川のいるコートへと近づいて行った。
「流川くん、ちょっと休憩したら?」
 おもむろに声をかけてみると、驚いたのか彼は動きを止めてこちらを見やった。
「水分取らないと回復する体力も回復しないよ」
 そして、はい、と近づいて流川にドリンクを差し出すときょとんとした彼は一度瞬きをし、「あ」とは口を開く。
「私のボトルだけどちゃんと洗っていま作ってきたばかりだから」
 さすがに驚かせたよな、とやや焦りつつ言えば流川は気が抜けたように「はぁ」と色のない返事をした。
「どうも」
 そうして受け取ったボトルを口につけ、汗を拭うためか流川はコート脇に置いていたタオルを掴んだ。ごくごくと水分を飲み干す音だけが辺りに響く。やはり会話がない。気まずい……と流川から目線を外す。
 練習に戻ろうか、と流川に背を向けると、キュ、とバッシュが床を擦る音が後ろから響いた。
「コーチ」
 次いで呼び止められ、ん? とは振り返る。
「なに?」
「昨日、そこじゃねーとか言ってたけど……いまは時間外す」
「え……?」
 なんのことだ? とはしかめっ面をした。説明が足りない。と追求したい気持ちを押さえて昨日のことを思い出す。水場で偶然に流川と二人きりになった。確か流川と会話らしい会話を初めてしたのがその時だ。

『練習相手してほしいんすけど。1on1で。時間外に』
『――へ!? やめといた方がいいと思うよ……。見てたでしょ? 私、ゴール下で清田くんに簡単に吹き飛ばされる程度しかパワーないから十分に相手してあげられない』
『……んじゃ、ルール決めれば……ディフェンス抜いたら負けとか……』

 いや、これはちょっと違うっぽいし――。

『……コーチの、清田にチャージングされた時のドライブインのドリブル……、あれどうやったんすか?』
『そこじゃない!』

 ――あ、これだ。練習の趣旨と違っていたため「そこじゃない」と言ったのだ。確かあのあと仙道が水場に来たためにうやむやになったのだった、と思い返す胸に罪悪感が過った。あのあと結局、清田ほかに請われて教えたし……と自嘲する。
「う、うん。分かった。じゃあ見てて……って言いたいところだけど、どうせなら流川くんディフェンスに入って。1on1形式にしない?」
「は……?」
「ディフェンスで抜かれたら負け、ってけっこういい案だと思うのよね」
 すると、ぴく、と流川の頬が反応した。
「あの時は断ったクセによくいう」
「私はどっちでもいいけど――」
「やる」
 流川はかぶせるように言って、コト、とドリンクのボトルを床に置いた。
 コートに入り、はトップに立ってボールを突いた。
 流川のディフェンス力はオフェンス力に対して劣っている。加えてが披露したステップはかなりのディフェンス強者や複数相手に使うことの多いスキルだ。しかも流川自身はこっちの技術を盗むのが主目的でディフェンスに全力専念できないだろう。正直、抜くだけならそんなに難しくない――、とはギンとしてこちらを睨みつけるような目線を向ける流川を見た。
 ターンとターンを組み合わせて、止めに来た相手をあざ笑うようにかわすのがこのステップの肝。と、は身体ごと行く手を阻もうとしてきた流川を軽くかわして一歩踏み出た。
「ッ――!」
 流川はハッとして切り替え早急にブロックに来るが、それより先にひょいっとは中には切り込まずに綺麗にジャンプシュートを決めた。そしてすぐに流川を見やる。
「ブロックに来るの、ルール違反じゃない?」
「つい手が……」
 む、と零す流川には肩を竦めた。ぜったいそうなると思っていたからこそ中には切り込まなかったわけであるが。流川はパワー型じゃないとはいえ、さすがにゴール下でのブロック勝負は自分が怪我する。とボールを拾い上げる。
「もう一回。ディフェンスね」
「うす」
 としては勝ち負けには拘っていないのだが。流川は相当な負けず嫌いだしな、と思いつつ続けることしばらく。ついまたいつもの調子ですっかり楽しくテンションのあがってきたは違うステップも試してみたくてこの合宿では一度も見せていない技術で上手くボールをハンドリングしながら流川に背を向けつつ一気に横を抜けた。
 驚いたように流川がすぐ手を伸ばしてきたが、更に横に素早く移動して得意のクイックでボールをリリースする。
「――!」
 スパっとボールはリングを貫き、流川は驚いたように一瞬だけ硬直していた。
 転がったボールを拾いに行くと、スタスタと流川が近づいてきた気配が伝う。
「ズルい」
「え……?」
「いま、別のステップで抜いたからノーカウント」
「は……!?」
 憮然として言われ、は目を見開いた。そんなルールがいつ存在していたというのか。
「そもそも抜いたら勝ちなんだから、ここまで私の全勝だと思うんだけど」
「じゃあシュートする必要はねーです。余計な動きしてんだから反則」
「意味がわからない……」
 そこまで勝ちにこだわるのか。とは頬を引きつらせた。
「次はこっちがオフェンス」
 スッと手を伸ばしてきた流川には肩を竦める。勝負の条件は側のオフェンスで流川はディフェンスのみだったはずである。なにせ目的は例のステップを学びたい、だったわけでと肩を竦める。
「別にいいけど……、私、ディフェンスも得意だし」
 そして言い下すと流川は「む」と眉を吊り上げた。
「見てたから知ってる」
 けど負けん、とボソッと言われ、はますます首を捻った。まあいいか、と気を取り直してボールを流川に渡そうとしてハッとする。ちょうど視界に壁の時計が映ったのだ。
「10時!? うそ……ッ!」
 時計の針は夜10時を過ぎており、さすがに今日は引き上げるべきだと流川に向き直った。
「流川くん、今日はもうお終い。急いで片付けよう」
「ちょ、勝ち逃げ――」
「そこ重要!?」
 そうして奪われそうだったボールを渡すまいとヘルドボール状態で奪い合う。
「わッ――!」
 瞬間、流川が力任せに引いたのか予想以上の力で引っ張られてはボールごと流川の胸あたりに勢いよくぶつかる形になって小さく呻いた。
 いたた、と不可抗力で抱きつく形となり至近距離で見上げた流川はどこか驚いた様子を見せた。まるで信じられないものを見た、とでも言わんばかりだ。
「流川くん……?」
 彼はなお目を瞬かせておりは首を捻ったが、ともかく練習続行という選択肢はなく構わず軽いストレッチを開始する。すると流川もさすがに理解したのかに倣った。
 用具室からモップを持ってきてモップをかけ、ボール籠を用具室に仕舞う。
 ガラガラと狭い用具室にがボール籠を戻している先で流川がモップを二本持って清掃用具入れに戻している。
 家に着くのは10時半を過ぎそうだ。叔母に叱られるのは避けられないかもしれないと思う先で、お腹すいた、と流川を見やった。
「流川くんもまだ夕食取ってないんでしょ? はやく宿舎に戻ってゆっくり休んでね」
 じゃあまた明日ね、と足早に去ろうとすると不意打ちのように後ろから「コーチ」と声をかけられた。
 ん? と振り返る。
「なに……?」
 薄暗くて流川の表情がよく見えない。
「さっき気付いたんすけど」
 すたすたとこちらにやってきた流川を、なんだ? とは見上げる。体育館から入る明かりではやはり表情がほとんど見えず、ぼうっと背の高い巨体が視界を覆った。
「あんたが好きだ」
 そうしてはっきりと通る声で彼はそんなことを言い……は数秒固まった。
「……え……」
 いまなんて言った? 好き? なにが……と微動だにしない影を見上げては高速で瞬きを繰り返しながら考える。
 流川のことはこちらは春先から知っているが、流川と実質初めて顔を合わせたのは一週間ほど前のはず。――と巡らせて、ああ、とは頷いた。
「流川くん、私のプレイを見てたって言ってたよね……」
「? それが……」
「バスケットはもうやめちゃったけど、私のプレイを好きだって思ってもらえたのなら嬉しい」
 ありがとう、とニコっと笑っては今度こそ踵を返した。
 すれば「ちょッ」と焦ったような声が聞こえたが構わず用具室から出て速足で歩いているとさらに「コーチ!」と呼び止められて頭を抱える。
 仕方なく振り返ると、やや焦ったような困惑したような流川がいては予想外のことに目を瞬かせた。
 しかし。流川が冗談を言うタイプとは思えないが、かといって「それはあり得ない」とは流川を見やった。
「流川くんが好きなのはバスケだと思う。だから好きなのはバスケじゃないかな」
 私じゃなくて。と言うとやや流川の頬が引きつったが、明日以降も流川とは顔を合わせるためにどうにか話を変えようと試みる。
「明日もまた流川くんと仙道くんのコンビプレイとか試すことがいっぱいあるんだからちゃんと休んでね。じゃあ、また明日ね」
 仙道、という単語にややむっとした様子を見せた流川だったが。は今度こそ彼に背を向けると足早に体育館を出て更衣室に向かい、汗だくのTシャツの上にジャージを着こんですぐに合宿場所である大学をあとにした。
 無心で歩いて、そして家が見えてきたところで「あ」と呟く。

「ドリンクボトル忘れてきた……」

 タオルも。と予想外に動揺しているらしい自分に気づき、ハァ、と大きくため息を吐いた。


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