「もしもし。……彦一か。――は? ああ、いや……そりゃちょっと待った」 電話に出ると声の主は後輩の相田彦一で、いま部活上がりだという。 聞けば結構な数の自分宛てのバレンタインチョコを預かっているらしく、どうするかという相談だった。帰りに家まで届けようかと問われ、仙道は慌ててストップをかける。 しかし部室に自分のロッカーはもうないし、かといって学校に行く予定もない。全部バスケ部で引き取ってくれというのもあまりに無責任であるし、取りあえず数日のうちには部活に顔を出すと言って仙道は電話を置いた。 ふぅ、と息を吐いてチラリとの方を見やる。勝手ながら非常にまずいタイミングで電話をくれたものだと思う。なかったことにして話題に出さないのも、逆に出すのも不自然だ。 どうするべきか……と思案しつつ仙道は「あー」と首に手をやりながら先ほどいた場所に腰を下ろした。 「電話、彦一からだった」 「部活に来て欲しいって?」 「あ……いや」 おそらく、数日のうちに顔を出す、という部分を聞いての事だろう。むろんそう誤魔化すことも可能だが、嘘をつくのはな。というか特に問題のある話題でもないよな、と仙道は取りあえずさらりと告げることにした。 「なんつーか……、今日バレンタインだっただろ? 預かったチョコをどうするかって話だった」 「あ……そっか。3年生は自由登校だしね。海南はそのまま上がる子も多いから去年の3年生の出席率は高かったけど……」 は去年の紳一のケースを思い浮かべているのだろう。さして気にしてない様子にほっとするとともに仙道はやや複雑な心境に陥った。 としてはバレンタインに大量にチョコを貰う図など紳一や諸星で慣れているのかもしれないが。その二人と扱いが同じなのは……などと思っているとは目線をまだ残っていた自身の作ったマフィンに移した。 「手作りをくれる子も多かったりする?」 「は……!? あ、いや……どうかな」 ふぅん、とは読めない表情で呟いた。――なんなんだ、いったい。と仙道はわずかばかり戦々恐々とした。 「ちゃん?」 はいっそこちらが心配になるほど妬くなどというそぶりは見せない。しかしそれは学校が違っており、自身もそういう要素はの前ではできる限り排除するという努力のたまものでもあり。――先日、元カノに会った時も結局誤魔化したしな、と少し目線を泳がせる。 「あ……もしかしてイヤだった?」 「え?」 「チョコ受け取るの」 「え……!?」 「ちゃんがいやなら、受け取らねえぜ」 ほかの子から、と言うとは心底驚いたように瞠目した。 「い、いやとか……! そんなの、私が決めることじゃないと思う」 「そうか? オレはあんま嬉しくねえけど」 ちゃんが男からモノ貰いまくってたら、とこぼすとは2、3度瞬きして眉間にしわを寄せた。 「なんで……」 「なんで、って」 そこは疑問に思うところなのだろうか? と仙道は苦笑いを漏らす。 疑問を感じたらとことん考える質なのかは難しい顔をしており、仙道は「まあ、いっか」と話題を変えようと促した。特に深く追及することでもないからだ。 まだ難しい顔をしているの頬にそっと触れ、ふ、と笑いかける。すると瞬きしたのちにもゆるく笑ってくれ、仙道はそのままと額を合わせた。 「すぐあがる」 「うん」 そしてなんとなくいつものようにそういう雰囲気になり、は先にシャワーを浴びると仙道と交代した。 バスタオル一枚で仙道のベッドに腰掛け、ふ、と既視感に襲われた。 この部屋に初めて来たとき……仙道と初めて身体を重ねた日もこうやって先にシャワーを浴びて仙道を待っていた。あの時はドキドキしすぎて訳がわからず落ち着けようとベッドに横になってあげくにうたた寝したっけ、とぼんやりしつつベッドに横になる。 ここ一週間ほど、自分でもよく分からない何かがずっと胸になにかがつっかえている気がする。 『あ……もしかしてイヤだった?』 『チョコ受け取るの』 『ちゃんがいやなら、受け取らねえぜ』 『そうか? オレはあんま嬉しくねえけど』 バレンタインなんて自分にとっては「お兄ちゃんと大ちゃんがチョコを大量に貰ってくる日」でしかなくて。でも――、仙道が「好きな人」が喜ぶなら、自分があげてみるのもいいかもしれない、とそう思っただけだ。 『ちゃん、そういうの得意だっけ?』 『……作ったことない……』 『ははは、んじゃオレはそれがいいや』 仙道だって紳一や諸星と同じようにバレンタインという日は大量のチョコを貰う日だったに違いない。 それに自分だってどちらかというと「貰う側」な日だったのだ。 『チョコあげたことねえの?』 だから誰かにあげるなんて初めてで――と考えての脳裏に一度は振り払った考えが過った。 仙道がこんな風にチョコレートを請うのははじめてなのだろうか、と。 「……」 仙道のことは高校に入った時から知っている。それに仙道は神奈川に越してきた日から自分を知っていたと、好きだったと言ってくれた。他校同士で普段なかなか会えなかったといえど、そこを疑問に思ったことなど一度もない。 けれども中学の頃は……と考えてハッとする。先日、仙道の実家に行った際に同級生だという女の子に彼は話しかけられていたっけ。確か「彰君」と下の名前で呼ばれていた。仙道だって地元に友達もいるだろうし、もしかしたら好きだった子とかいたのかな。と思い至っては自分でも驚くほど胸に痛みが走って「え……!?」と戸惑いと共に呟いた。 そうだ、なぜいままで一度も考えなかったのだろう? 自分は誰かを好きになるのも、キスをするのも触れ合うのもなにもかも初めての事だったが……仙道はたぶん違う。なんて考えるまでもないこと、なぜか一度も考えたことがなかった――とひどく動揺していると、ガチャ、とドアの開く音がしてはビクッ、と肩を震わせた。 見やると、腰にタオルだけ巻いた仙道がこちらへとやってくる。 「寝てた?」 「え!? う、ううん」 ギシ、とベッドの軋む音と共に仙道がベッドへと腰を下ろす。心臓がまだいやな音を立てている。切り替えないと、とは小さく首を振るって腰を起こした。 「ん? どうかしたか?」 「え?」 「いや……」 言って仙道はゆるく笑って大きな右手で頬に触れ、ぴく、との頬がしなった。 「そういや初めてこの部屋来た時もちゃん、こんな感じだったよな」 仙道は仙道で既視感を覚えたのかそんな風に言って、は少し眉を寄せた。 「あの時、すげえガチガチだった」 「と、当然でしょ……ッ」 初めてだったんだから、と言い返そうとしては口を噤んだ。しかし仙道は言いたいことは察したのだろう。はは、と小さく笑っている。 でも、いま自分はそんな風には笑えない。と過らせている間にも仙道の唇が触れて、ギュ、とは目を瞑った。 「んッ……」 こうやって仙道の身体の重みを感じることがとても好きだった。とは自分をベッドへ押し倒して覆いかぶさってきた仙道の背に手を回してギュッとしがみついた。さらさらと仙道の下ろした髪が肌を撫でる。仙道の指や唇が身体を滑って、いつもならあっという間に熱に浮かされてしまうのに。先ほどの動揺が尾を引いてうまく集中できない、とただひたすらに仙道を受け入れるだけになっているとさすがに仙道も気づいたのだろう。 顔をあげてそっと大きな手を頬に添えて瞳を覗き込んできた。 「どっか辛い?」 探るような案ずるような声に、はきゅっと胸を締め付けられるような感覚を覚えつつも小さく首を振るった。 「平気……」 そっと仙道の手に自分の手を添えると仙道は小さく微笑んでキスを落としてきた。 仙道は優しい。肌を重ねているとよく分かる。時おり激しすぎる欲求に付いていきかねることもあるが、常にこちらを気遣ってくれているのが分かる。この大きな身体に包まれて熱に浮かされているのがたまらなく好きで、いまも仙道の逞しい筋肉や肌に触れているのが心地いいのに。 「ちゃん……ッ」 シーツに押し付けるように手を重ねて絡ませあって、こちらに体重をかけ荒い息を吐く仙道の熱っぽい声が耳にかかってはじんとした痛みと共に刺されるような痛みも覚えた。――こんな風に仙道は以前に他の誰かと情を交わしたのだろうか。そんなことが過って勝手に目じりに涙が浮かんで無意識に眉を寄せた。 こうして快楽に顔を歪める仙道を知っているのが自分以外にもいるかもしれない。と考えたくもないことが過って、は熱い息を吐きながらぐったり覆いかぶさってきた仙道の背を強く抱きしめてどうにか気持ちを誤魔化そうと努めた。 息を整えている仙道の身体の動きがはっきりと伝わる。しばらくすると仙道は優しく髪を撫でてくれて額や頬にたくさんキスしてくれて、そして腕枕をしてくれる頃にはいつも自分の意識が飛んでいるが……今日はそうはならずにはされるがままに仙道の胸に顔をうずめた。 どことなく気まずくて、まだ胸が苦しくて悟られないように仙道の顔さえ見られない。すれば不審に思ったのか仙道が小さく名前を呼んで、そっと耳元に唇を近づけてきた。 「ヨくなかった……?」 ぴく、との身体が撓った。 仙道としてはがどこか気がそぞろだったのは最中から気づいていたが、どうにも様子がおかしい。それにいつもはすぐに寝落ちする彼女が起きているというのはそういうことで。なるべく慎重に聞いてみると、少し間をおいて小さなつぶやきが聞こえてきた。 「ごめんなさい……、あんまり集中……できなくて」 謝られたいわけでもなかった仙道は、いや、との髪を撫でる。なにかあったのだろうか? 今日のはいつも通りでそれほど様子がおかしいとは感じなかったが。自分とは関係ないところで気にかかる事でもあるのだろうか? とはいえせっかくが起きているのだし、と仙道は少し態勢を変えての顔をあげさせると目線を合わせた。 「好きだぜ、ちゃん」 「え……っ」 「好きだ」 頬に触れると震えたのが伝った、驚いたように開かれた瞳に少し涙が滲んだのが見え、さしもの仙道も目を見開く。予想外の反応に思わず顔を覗き込むと、は逃げるように視線をそらした。 「な、なに……急に」 「急か?」 「そんなこと、あんまり言わないのに……」 「えー? オレけっこう言ってるほうだと思うけど」 特にこういう時、ともう一度を抱き寄せながら額に唇で触れる。 「まあいつもはちゃん寝てっからな」 ははは、と軽く笑みを漏らすとが息を詰めたのが伝った。そうしてギュッとこちらにしがみ付いてくる。照れ隠しだろうか? いつもなら自分も好きだと言ってくれるのに。本当にどうしたんだ……、と思うも行為のあとにこうして触れ合えることは素直に嬉しい。今日のコトに満足していないなら嬉しいとも言ってられないが……などと思いながら仙道はの髪を撫でつつ瞳を閉じた。 それから小一時間ほど経ち――。は寝付けないまま、気だるい身体をそっと仙道から離した。自分を抱いていた腕がぱたっと力なくシーツに落ちる。仙道が寝入っている証拠だ。 ゆっくり身を起こすと無防備な寝顔を晒す仙道が目に映って、は複雑な笑みを零した。ベッド脇に置いてある目覚まし時計に目線を移す。10時が近い。帰らないと、とそっとベッドから降りてバスルームへと向かい、脱いだままだった服に着替える。 鍵はドアの郵便物差込口に入れておけばいいし、メモでも残してこのまま仙道を起こさずに帰ろうか。とリビングに戻り音を立てないようにして自身の荷物を手に取った。 そうしてメモを書き残そうとしていると、ギシ、とベッドの軋む音。仙道が寝返りでも打ったのか、と目線をやるとうすぼんやり目を開けた仙道と目が合った。 「……帰んの……?」 「うん。起こさないようにしてたんだけど……」 「……ちょっと待って。送ってく」 そうして目をこすりながら起き上がる仙道をは止めた。 「いいよ。寝てて」 「いーや。行く」 が、仙道は押し切ってその辺に落ちていたタオルを掴むと洗面所の方へと向かった。 水の音が聞こえる。顔を洗っているのだろう。さほど時間もたたずに手早く着替えたらしき仙道が「行こうか」と言い、は仙道と揃って部屋を出た。 外に出れば、ヒュ、と冷たい海からの風が吹き抜けていく。 チカチカと通り過ぎる車のライトが眩しい。こうして夜に二人でこの道を歩くのはいつものことで、今日だって何も変わらないのに。自分の気持ちだけが晴れない、とちらりと仙道を見上げると気づいたのかこちらに目線を送ってきた仙道が、ふ、と口元を緩めた。 キュ、と胸が締め付けられる思いがしては目線をさげた代わりにギュッと仙道の腕にしがみ付いた。仙道が好きだ。このまま離れたくない。でも……自分でもなにを考えているのか分からない、とこのまましがみ付いていないと倒れそうなほどに脳裏がぐちゃぐちゃなのが自分でもわかった。苦しい、と眉を寄せる。黙っている自分を仙道は怪訝に思っているかもしれない。けれどもそこまで頭を回す余裕がなく、駅へと続く橋の真ん中辺りでは足を止めると仙道から身体を離しつつ下を向いたまま言った。 「ここまででもう大丈夫。ありがとう」 そのまま一度なんとか笑みを浮かべて仙道に背中を向け早足で駆けようとすると、あろうことか右腕を仙道に掴まれてしまった。 「ちょっと待った」 「……なに?」 「なに、って……」 動きを止めたが振り返れないままに呟けば、仙道はやや困惑したようにこちらに回り込んできて案ずるように腰をかがめた。 「ちょっと様子が変だぜ……、具合でも悪いのか?」 「……な、……」 なんでもない、と言いかけた口をは噤んだ。胸のつっかえがだんだん熱くなって今にも決壊しそうだ。なのに理由さえ自分でもわからなくてひたすら苦しい……と懸命に眉が歪まないよう耐えていると、すっと仙道が手を伸ばして大きな右手で左頬に触れてきた。 「ちょっと顔赤いし……熱、はないよな」 一人ごちる仙道とは裏腹に、触れられて伝った熱がなんとか耐えていたの気持ちを簡単に溶かしてしまった。苦しい、と感じる先の仙道の顔が歪んで滲んで訳が分からず、数秒後に聞こえてきたのはギョッとした仙道の声だった。 「ちゃ――、ど、どうした!?」 遅れて自分で自分の頬に触れるとまるで雨に降られたように濡れており涙が流れてきたのだと悟る。首を振りつつどうにか「なんでもない」と呟くと困惑気味の声が聞こえてきた。 「なんでもないこたねえだろ」 「わ……わかんない……っ」 苦しい、と本当にわけがわからず、分かっているのは苦しさだけで。言葉にできずにはかぶりを振りながら落ち着かせようとしてか抱きしめようとしてくれたらしき仙道を拒否した。 とにかく今はこの場から離れたくて「帰る」となんとか絞り出すも仙道は行かせてくれず肩を掴んできた。 それでもいまは話せる状態ではなくひたすらいやいやするように首を振るっていると滲む視界の先で仙道がこちらを覗き込んでくる気配が伝った。 「明日、行くから。ちゃんと話そう」 仙道にはなんの非もないことだというのに困惑させているのが申し訳ない。が、いまはとしては頷くしかなく、ようやく肩を解放してくれた仙道に背を向け駅の方へと駆けた。 人通りがなくて幸いだったと思う。走って改札を抜け、ホームのベンチに座っては両手で顔を覆った。 なぜ苦しいのか、なぜ涙が出たのかさえ分からない……と自身に困惑したままやってきた電車に乗り、最寄り駅で降りて家に帰りつくころにはどうにか涙はとまってくれていた。 涙のせいか頭がぼんやりしている。この時間ならみんなもう寝ているかもしれない。とそっと家のカギをあけて入るとまだリビングの明かりはついており、は声だけかけて自室へとあがった。 ――最悪だ、と思う。なぜ涙など出てきたのだろう。おかげで仙道を困惑させてしまった、とベッドのそばに腰を下ろしてきゅっと膝を抱く。たぶんいままで考えもしなかったことに気づいただけだ。でも……なぜそれが苦しいのか。明日までにちゃんと考えなければ、と気の重いままに瞳を閉じた。 一方の仙道はやや困惑したまま部屋に戻り、ベッドに仰向けになってずっと考えていた。 特に今日のに変わった部分は見当たらなかった。だというのに……と先ほどの様子を思い浮かべて眉を寄せる。 強いて言えば……、今日のアレは満足げではなさそうだったということか。と真剣に考えこんで自ら首を振るう。んなわけねえよな、と思う先で……けれども「集中できなかった」と言っていたことを浮かべた。たぶん原因はソコだろうが、と思うも――いまいちわからず「まさか」と呟く。そしてちらりとローテーブルに置いてあるからのバレンタインチョコを見やった。 からの初めてのバレンタインチョコは自分が貰いたい。というのは明らかに自分の勝手な要求であるし、もしかして不本意だったのだろうかと巡らせる。 『女の子が好きな男にチョコを渡す日、だぜ』 『そ、そう言われても……』 『オレのこと好きじゃねえの?』 『……好き、だけど』 『そんじゃ決まりだな』 こうして思い返すと誘導尋問じみていた気がしないでもない。おまけに手作りがいいと言った自分には「悪趣味」と返し……こちらの意図は全く伝わってなかったわけで。と浮かべて「あ」と仙道は瞬きをした。 がようやく自分との交際を受け入れてくれた時。国体のあとにデートした帰り、はこう言っていた。 『ちゃん、少しはオレといて楽しいと思ってくれた?』 『え……? あ、もちろん……すごく楽しかった、ありがとう』 『それは、どういう意味で?』 『分からない……』 『え……?』 『でも、もし……もう試合会場でしか仙道くんに会えないなら、寂しい……かも』 『それって……、オレのこと好きって解釈で合ってる?』 『わ……、わからない……。そう、なのかな』 あれは照れ隠しではなかった。本気で「わからない」と言っていた。そこに付けこんだわけではなくあの時のは自分を好きだったと確信を持って言えるが、その感情が彼女には分からないことだったのだ。 彼女の自覚を待っていたら下手を打つと一生先に進めそうもない。と感じたのが理由というわけでもないが、交際していたら当然にすること、と付き合って割とすぐにをこの部屋に連れ込んだのは他でもない自分だった、と仙道はさすがに自嘲した。 早々に手を出したのは認めるが、が嫌がるようなことは一切していないしそれ自体は悪いことでもなんでもなく、そもそもこっちは2年近くも想いが通じずひたすら待っていたわけで。と今更ながらに浮かべると言い訳じみていて仙道は小さく首を振るった。 あの頃の自分はまだの過去を、本当の意味で諸星や紳一が見ていた「牧」を知らなかった……とまぶたを閉じる。人生そのものがバスケ漬けの生活で、バスケをやめてからはその溝を埋めるように勉強ばかりしていた彼女が自分の感情の正体を「分からない」のは無理からぬことだろう。そんなが自分を好きになってくれただけでもめっけもん、と考えて「あ」と仙道はつぶやいた。 先ほど、は「わからない」「苦しい」と言って泣いていたのだ。最初は体調不良を案じたが、さすがに物理的な苦しさが分からないはずはないだろう。だったら精神的……、と巡らせて息を吐く。ともかく明日じっくり聞いてみないと。バレンタインが原因でもしフラれるようなことがあれば。洒落になんねえ、と仙道はさすがに心臓が嫌な音を立てて鳴ってかぶりをふった。 |