翌朝――、あのまま眠っていたは瞳を開いた先に自室の天井が映ったことでようやくその事実を認識した。
 寝落ちしたらしい、と気だるい身体を起こし、バスルームへと降りて行ってシャワーを浴びる。そうしてリビングに行くと叔母は出かける準備をしていた。
「おはよう」
「おはよう……」
 もうおはようという時間ではなかったが……と取り合えずキッチンに向かい水を飲んでいると叔母が声をかけてきた。
「ちょっと出かけてくるわね。夕方には戻れると思うからお留守番よろしくね」
「うん。……あ、その、今日、仙道くんがうちに来るって言ってたけど」
「あら、そうなの? じゃあ仙道君によろしく言っておいてね」
「うん」
 行ってらっしゃい、と叔母を見送り、ダイニングテーブルにラップをかけて置いてあった朝食をとる。すっかり冷めたトーストをかじり、少しばかり眉を寄せた。
 ちゃんと話そう、と仙道は言っていたが。なにを話せばいいのか……と眉間の皴が深くなる。未だになぜあれほど胸が苦しくなったのか分からない。ただ、いままで一度も考えなかったことに気が付いたのだ。仙道には自分以外にも好きだった人がいたかもしれず、自分と同じように付き合っていて……そしていま自分と付き合っているということはきっとお別れしたのだろう。ならば自分とだってそうなる可能性があるということで――そんなこと一度も考えたことなかった、とはトーストを皿に戻した。
 自分は仙道と付き合う前から進学は親元ですると決めていて距離的な別れは仕方ないと思っていたが、気持ちの方は全く想定していなかったのだ。今だってそんな可能性を考えてみてもピンとこない。仙道を好きでなくなる日が来るなんて想像もできない。大好きな人はずっと大好きだし……と諸星の姿を浮かべて、はぁ、と息を吐いた。諸星が自分を嫌いになる未来も想像できないし、そんな未来はきっとない。
 でも。仙道ならそれがあるのか……と思うと急に少し怖くなった。昨夜のこと、あれで嫌われたとは思いたくないが――、でも。と考えて再度ため息を吐く。
 やっぱり人と付き合うって難しい。
けれども、以前ならいっそ今すぐ両親のもとに帰ろうとしたかもしれないが……離れたくない。と少し涙が滲みそうになってグイっと目元をぬぐった。
 食事を終えて片付ける。仙道はいつごろ来るのだろうか。なにを話せばいいんだろう……と考え込んでソファの上でクッションを抱えていると昼を過ぎたあたりでインターホンが鳴った。
 ビクッ、と身体を揺らしたはごくりと息をのんだ。昨夜のことはどう考えても仙道にはなんの非もないわけで。できる限りいつも通りにしよう、と思いつつ玄関へと向かう。
 ドアを開けるとやはり予想通りに仙道が立っていて、は笑みを浮かべてみせた。

「いらっしゃい、仙道くん」

 ぎこちない笑みを浮かべているを見やって仙道は少しばかり肩を竦めた。おじゃまします、と家に上がると叔母はいま外出していると説明しながらがリビングへと通してくれた。
「なにか飲む?」
 ソファに座るように促して自分はキッチンへと向かおうとしたを「いや」と呟きながら仙道は隣に座るよう手を引いた。少しだけの肩が震えたのが見えた。
 そんなに怖がらせるようなことはした覚えがないのだが……と目線をそらしがちに隣に座ったをじっと見やる。昨日の今日で顔が合わせづらいということなのだろうか? ちゃん、と声をかけるとなおの身体が撓ったが仙道はまっすぐにを見つめた。
「オレ、なんかしたか?」
「そ、……そんなことないよ。仙道くんはなにも……。あの、ごめんね昨日は」
 泣いちゃって……と消え入るような声でが言ったが、の様子が変だったのはそれ以前からの話だ。
 あまり触れない方がいいのならこのままなかったことにもできるが。たぶんそういうわけにもいかねえよな、と仙道はどこか不安そうにしているを見やる。
「嫌いになった……とかじゃねえよな?」
 シャレになんねえし、と探るように言うとの瞳が大きく見開かれる。
「き、嫌いになんかならないよ……! 私の方こそもし仙道くんが……ッ」
 そこまで言ってはハッとしたように口を噤み、仙道は「え」と目を見開いた。
「え……それってオレがちゃんをって意味?」
「……」
「なんでまた……」
 そんなこと、と仙道は髪に手をやる。そんなそぶり、ただの一度も見せた覚えはない。むしろ昨日はいつもより愛情表現をしていたつもりだったが、はて。と巡らせても覚えがないものは覚えがない。
 もしかして自分に嫌われるかもと思って苦しくて泣いていたというのだろうか? それならそこまで好かれていて不謹慎にも嬉しいだけだが、あまりにも突飛だ。
「なんかオレ、不安にさせるようなことやってた?」
 さすがに分からず聞いてみると、は数秒の間をおいて小さく首を振るった。
「仙道くんはぜんぜん悪くないよ……」
「じゃあどうした? さすがにオレもちょっとわかんねえ」
「……私にもわからない……」
「え?」
「わからない、けど……」
 は一度泣きそうな視線を仙道に送ると、目線をそらした。昨夜、わからなくて苦しいと言っていた原因を少しは見つけたのだろうか。もどかしげに震える唇を見つめていると、が少しだけ目を伏せる。
「バレンタインって……お兄ちゃんと大ちゃんがチョコを貰ってくる日で、私ももらったりしたけど……私が誰かにあげるって今まで想像もしてなくて」
「あ……。もしかしてイヤだった? わりぃ、ちょっと強引だったよな」
 やっぱりチョコを強請ったことが原因かと思った仙道はそう口にしたが、は「ううん」と首を振るう。
「お菓子をね、色々作ってる時に……ちょっと思ったの。仙道くん、誰かにチョコレートが欲しい、って言うの……はじめてなのかなって」
「――え!?」
「その人のこと好きだったのかな、とか、私といる時みたいにしてたのかな……ってそのあとずっと考えないようにしてたのに、昨日、どうしても止まらなくて苦しくなっちゃって、でもどうして苦しいのかわからなくて」
 震えた声を聞きながら仙道は大きく目を見開いた。次いで――不謹慎ながら頬が緩むのを自覚して自身の大きな手で口元を覆ってなんとか誤魔化す。さすがにここで笑ったらヤバイ、というのを自覚してどうにか意識をそらした。
 というか。そこまで深刻に考えることだろうか? と思った自分を仙道はすぐに打ち消した。諸星や神といったにとっては青天の霹靂であろう相手にまで嫉妬していた自分の言えたことではないからだ。それに――幸運にも自分はのあらゆるはじめての出来事を独占しているが、もしも違っていたら。考えたくもねえな、と小さく息を吐いた。
 チョコを欲しいと思ったのは生まれて初めての経験だが、おそらくそこは問題ではないのだろう。は重く受け止めているようだし、自分の過去に関しては変えようもないわけで、と頭に手をやる。
「そりゃ……ヤキモチってやつじゃねえの?」
「え……ッ!?」
 言うと、は弾かれたように顔をあげた。
 ああやっぱりそうだ、と仙道は思う。「好き」という自分の感情の名前を知らなかったように、この感情がなんなのか自分のなかで掴めないのだろう。
「ヤキモチ……?」
 全く解せないといったように、まるで初めて言葉を知ったように反芻しているを見ながら仙道は肩を竦めてみせる。
「前も言ったけど、オレだってちゃんが色んな男にモノもらってたら嬉しくねえし。これでもけっこう妬いたんだぜ」
 諸星さんとかに、と付け加えるとは心底解せないという顔をする。
「大ちゃん……?」
「だって諸星さんは子供のころからちゃんのこと知ってるしな」
「そ、そうだけど……」
 なお解せないという顔をするに仙道は苦く笑った。
「だから、理屈じゃねえんだよ」
 手を伸ばしてを自分の胸へと抱き寄せつつ思う。今までが自分のファンからのプレゼントや女性関係に無反応だったのは、「妬く」という単語そのものが彼女の中に存在していなかったからで。――今さらながら懸命にそういう部分を彼女に見せないよう努めていて正解だったと思う。妬いてくれたら嬉しい。なんて、想像するほど甘いものではなくあれほど苦しんでいたわけだし……と少しだけ眉を寄せる。こりゃ元カノのことは今後一切触れないようにしねえと、と誓う。苦しい、が耐えられなくなったら今度は本当に自分を嫌になってしまうかもしれない。それだけは避けねえと、とを見やるとまだ解せないという表情を浮かべていた。
「どうした?」
「仙道くんの中学の時のこと……考えてて思ったの」
 ギクッ、と仙道の背中が撓った。さすがにその話は……と目線を泳がせる。けれども、自分でも不思議なほど諸星や神に嫉妬して独占欲を自覚したのはが初めてだ。自分にそういった部分があると気づかせてくれたのはなのだが。たぶんいまそれを言っても言い訳がましくなるよな、と一人冷や汗を浮かべているとが瞳に影を落とす。
「仙道くんに他に好きな人がいたのかも……って思ったら、苦しくなったあと、怖くなって」
「え……?」
 怖い? と聞き返すと、小さくが頷く。
「私、進学で距離が離れても気持ちまで変わる可能性って考えてなくて……。もしかしたらこの先、仙道くんが別の人のこと好きになっちゃう可能性もあるって気が付いたら……怖くて」
 見下ろす睫毛が少し震えた。
 裏腹に仙道は少しだけ目を見開いた。――そういう「怖さ」なら自分はわりと常に感じている。今日もなんだかんだマジで嫌われてたらどうするか、などと戦々恐々としていたし。と考え込む。たぶん性格と経験の差からその深刻度がと自分では桁違いなのだろう。むろん未来の保証がないのは その通りなのだが……、と仙道は少しから身体を離して両手を彼女の両肩に手を置いた。すれば顔を上げたと真正面で目が合う。
「ずっと一緒にいよう、って言っただろ?」
 言うと、つ、とが息を詰めたのが伝った。
「そう、だけど……」
 少しだけが目をそらした。――どうすっか、と仙道は脳裏で唸る。さきほどからのの話は全て自分のことが好きだから感じていることであって、単純にいえば嬉しいのだが。やっぱりそれをいま表明するのはナシだよな、と考え込んで仙道は「あ」とピンとある考えが浮かんだ。こちらに目線を戻したの瞳を真っすぐに見やる。
「んじゃ、もういっそ結婚するか?」
「――は!?」
「まあコレも永久保証とはいかねえかもしんねえけど、とりあえず法的拘束力はあるだろ」
 一応18歳になったしな、と続けるとあっけに取られたらしきの表情が、感動……ではなく明らかにやや呆れたように変化し、いつものようにジトっと睨まれてしまった。
「しない」
「――え!?」
 なんで、とさすがにバッサリ切られるとは思わずややショックを仙道が受けている間にはプイと横を向いた。
「そういうこと、今するの……なんかちがうと思う」
 むろんの言い分はもっともで。ただ気持ち的には本気なのだが。そういえば自分はどれだけ真剣でも周りからは適当に見られがちというどうしようもない性質なのだった、と仙道は肩を竦めた。おそらくはも以前は自分のことをそう思っていたはずだ。さすがに今は違うと思いたいが、と苦く笑う仙道はふとの目元が少し赤いことに気づいた。
 あれ、と仙道は瞬きをする。
ちゃん?」
 思わず呼ぶと、の頬がぴくりと反応して一瞬だけこちらを向いた。かと思うと顔を見られまいとしてかそのままギュッと仙道の胸に抱きついてきて仙道は瞬きをしつつもの背に手を回して緩く抱きしめた。
「……ありがとう……」
 小さい声が響いた。え、と仙道はわずかに目を見開いたのちに小さく笑った。どういう意味のありがとうかは分からなかったが。いままで自覚のなかったことに向き合って消化するのは本人にしかできないわけで。それに――。彼女の自覚を待っていたら先に進めんと早々に手を出した自分にも責任が、と思い至って仙道は乾いた笑みを漏らした。
少しは持ち直してくれればいいが、と仙道はやや慎重にの額に唇を寄せて軽く口づける。両手を滑らせて首筋から頬を覆って間近で見やると、はいつものように少しはにかんでこちらを見た。
 ホッと内心仙道は息を吐いた。良かった。触れても大丈夫なようだ、とこつんと額と額を合わせる。そのままは瞳を閉じ、仙道は少し笑っての唇に自身の唇を重ねようとした。が。わずかばかり触れた瞬間に、ガチャ、と玄関のドアの開く音が響いて二人してビクッと肩を揺らす。
 間の抜けたように二人で惚けて顔を合わせている間にもパタパタと廊下を歩く足音が聞こえ、パッとは仙道から身体を離した。
 瞬間、リビングのドアが開き――紳一の母親が顔を出す。
「あら、仙道君。いらっしゃい」
「ども」
 お邪魔してます、と仙道としては取り合えず笑みを浮かべるほかない。
が彼女に何かを言う前に、彼女の方が「あら」とこちらに向き直ってきた。
「まあったらお茶も出さないで」
「え!? あ……、うん。仙道くん、なにがいい?」
「いいって。オレそろそろ帰ろうかと思ってたし」
 とっさに二人で表面的なやりとりをしていると、紳一の母はさらにこう言った。
「今日は仙道君が来るって聞いてたからお夕飯一緒にって思ってたの。用事がなければぜひ食べて行ってちょうだい」
 きっと紳一も喜ぶわ。と、それはねえだろと危うく仙道が突っ込みそうになった先で彼女はにこにこと笑っており仙道は取り合えず受け入れる。
「すみません、なんか度々……」
 相も変わらず紳一の母は家族のほかに大きな男が一人増えるという状況に慣れきっているようで、仙道はと顔を見合わせて笑った。
 夕食までまだ時間があるためいったん外に出ようとと仙道は家の外へと出た。
 潮風に誘われるままに海岸の方へと歩いていく。この辺にはあまり来ないな、と見やる海には酔狂なサーファーがまばらにサーフィンを楽しんでいるのが見えた。
ちゃんはいつもこの辺走ってんの?」
「うん。だいたいここの海岸沿いを走って陵南あたりまで行ってから折り返してるかな」
 話しながら砂浜の近くまで行き、砂浜へと続く階段に腰を下ろした。さすがに肌寒いせいか辺りには人がいない。
 波の音が聞こえる。既に見慣れた風景となったが、地元の東京ではこんな風景は拝めない、と仙道は目を細めた。
「この辺には3年しか住んでねえけど、海のそばっていいよな」
 確かはずっと海のそばで生活していたはず。と思いつつ言えば、うん、とも頷いた。
「私もすっかり馴染んじゃった。もうすぐお別れだと思うとちょっと寂しいかも」
「トロントは……湖のそばだっけ?」
「うん。オンタリオ湖。海みたいに広いんじゃないかな」
「じゃあ釣りはできるな」
 ははは、と仙道は笑った。どちらともなく互いの手を重ね合う。少しの笑った気配が伝った。
「前にね、仙道くんとほとんど会えなかった時……誰かと付き合うのって難しいなって思ったことがあったの」
「え……」
「ぜんぜん連絡取れないし、陵南に行っても敵校の生徒だし……。どうしていいか分からなくて、もう両親のところに帰ろうかなって思ったんだけど」
「え!?」
「いまもやっぱり、ちょっと難しいと思う」
 ふいにそんなことを言われた仙道はさすがに動揺してやや慌てる。
「え……、それって別れたいってことじゃねえよな?」
 自分でも驚くほどに狼狽えた声が出たが、間髪入れず「違うよ」と否定されホッと息を吐く。心臓に悪い。なんなんだ、と見やった先でなおは続けた。
「これから先……また昨日みたいなことがあったらどうしようってちょっと思っただけ」
 自嘲気味に、やや申し訳なさそうに言われて仙道は目を瞬かせた。――これから先、また自身の「知らない」感情を覚えたら。は彼女の知っている言葉で理解できないこともあるのかもしれない。
だから「難しい」のか……と理解して仙道は笑った。
「オレは……そういうちゃんをそばで見られるなら嬉しいけどな」
「え……」
 言うとはあっけにとられたあとに、いつかのように「悪趣味」と呟いた。そうしてホッとしたように薄く笑う。仙道も、ふ、と笑ってそのままの肩を自身の方へと抱き寄せた。きゅ、と重ねていた指と指を絡ませる。さっきは邪魔が入ってしまったが今度こそ――と互いに熱を持った視線を絡ませあって、引き合うように唇を重ねようとした。が。
 ガツン、と眼前でコンクリートを打ち鳴らす音が突如として響き、ビクッ、と仙道は身体を撓らせた。
 なんだ? と目線をあげるとサーフボードを携え鬼の形相で佇む元神奈川の帝王の姿があり。
「仙道、貴様オレの妹になにしてやがる……ッ!」
「あ、いや……! お、お義兄さんちょっと落ち着いて、」
「誰がお義兄さんだ誰が! 二度とその名で呼ぶんじゃねえ!」
 ここが紳一の家のそばのサーフィン場という危険地帯だったと今更ながらに気づいても後の祭りで、必死に仲裁に入ると共に紳一を宥めながら「まいったな」と仙道はつぶやいた。

「それじゃ、今日はごちそうさまでした」
「またいつでも来てちょうだいね」

 その後、食事中も口数の少なかった紳一をなんとかかわして夕食を食べ終わり、仙道は牧家をあとにした。
 玄関先まで送ると言ったと共に外へ出ると、さすがに夜。吐く息が白く闇夜に上っていく。
「ほんとに……お兄ちゃんがごめんね。仙道くんのことバスケで競った相手だからか今もライバル視してるみたいで」
「いや……」
 そうじゃねえと思うけど。と、砂浜での紳一の言動をしきりに申し訳なさそうにするに仙道は肩を竦めた。とはいえ、と付き合っているのはハンパな気持ちではないということを理解してもらうにはやはりまだ時間が必要なようだ。と仙道は一度大きく息を吐いた。
 そうだ、と呟いて仙道は着ていたコートのポケットをまさぐった。どうしたのかと首を捻るの方へ、取り出した自身の部屋の合鍵を差し出す。
「今さらなんだけどさ」
「え……?」
「合鍵、持っててくんねえかな」
 目を瞬かせたの手を取って鍵を握らせると、なおもは解せないと首を傾げ仙道は小さく笑う。
「最近、マイケルと会ったりしてて連絡取りづらくなってただろ? これでオレが部屋にいなくても入れるし便利じゃねえかと思って」
「え……で、でも留守の時に勝手にあがるのはちょっと……」
 やや困惑しているらしきの反応はらしいもので、仙道は「はは」となお笑った。
「オレは部屋に帰った時にちゃんがいたら嬉しいし、来たい時に来てくれりゃその方がいいしな。いやか?」
「い、いやじゃないけど……」
 すると少し上ずった声で言ったのガーデンライトに照らされた顔がほんのり朱く色づいたのが映った。
ちゃん?」
「ちょっとびっくりしちゃったの」
 言われて、確かに今さらだしな。とか、もうちょい早くこうしてりゃよかったか、などと仙道が過らせているとは手の中の合鍵を見つめながら緩く握りしめ、次いで柔らかく頬を染めたままはにかむように微笑んだ。
「嬉しい。ありがとう」
 ドク、と仙道の鼓動が脈打ち、目を瞠って仙道は惚けた。そんな顔を見せてくれるのは初めてだ……と衝動のままに抱き寄せると、わ、とが反射的に声をあげた。
「せ、」
 そのまま後頭部を捉えての唇をふさぐ。すぐに離すと、一度の瞳を見やってからもう一度口づけた。
「ん……っ」
 冷えた外気のせいかやけに触れている唇が熱く感じられ、しばしその熱を堪能してから唇を離す。確かめるように仙道は自身の右手での左頬を撫でた。
「ようやく今日ちゃんにちゃんと触れられた気がする」
 ふ、と息を吐きながら言うとも小さく笑った。そうしてしばらく抱きしめ合ってから名残惜しく身体を離す。
「気を付けてね」
「ああ。じゃあな」
 そしてに背を向けて仙道は帰路へと着いた。
 相も変わらず吐いた息は白く、闇夜に溶けていく。その先を追って仙道は良く晴れた冬の空を見上げた。

『仙道……、お前、のことまだ良く分かってねえな』

 ふといつか諸星に言われた言葉が浮かんだ。
 彼がどういう意味でそれを言ったのかはいまも分からないが――、ある意味そうかもな、と思う。神奈川に越してきた日に彼女に会って、なにも知らないままに彼女に惹かれた。その気持ちはいまも変わらず、彼女を知るたびに気持ちが強くなって……さっきだってたぶんあの表情でまた惚れ直したよな、と合鍵を受け取って見せてくれた笑顔を浮かべて仙道は口元を押さえつつ肩を揺らす。

『これから先……また昨日みたいなことがあったらどうしようってちょっと思っただけ』
『オレは……そういうちゃんをそばで見られるなら嬉しいけどな』

 ――全くだ。まるでいまようやく花開いたような、これからどう咲くのか分からない存在をそばで見られると思うと今後もきっと飽きねえよな、と思う。
 だからいまは――、なんとか大学に受かってほしい。それからやっぱりフラれねえようにしねえと。と、仙道は小さく笑いながら冬空の下を歩いて行った。



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