「え、手作り?」 「うん。叔母さんが張り切ってて……」 東京の仙道の実家に二人で訪れてから数日後。 仙道とは仙道の部屋にて夕食を取りながら話をしていた。 仙道の最近のスケジュールは選抜で引退したマイケルの自主練に付き合いつつ英語の学習に励むことであり、今日も彼は「UCLAとノースカロライナどっちにしようかな」などと景気のいい話をしていた。やはり練習環境は日本とアメリカでは段違いらしく、卒業と同時にアメリカに戻る予定らしい。 そんなことを話していたらがバレンタインの話をふってきて、仙道は箸を止めた。なんでも有無を言わさずチョコレート菓子を作ることが決定事項となり、いま現在は紳一の母の作るチョコスイーツが日々のお茶うけになっているということだ。 ややうんざりしたようにが言った。 「叔母さんが張り切ってるだけだから……。どのメーカーのチョコレートがいいとか希望があったら教えてね」 「いや別に……そういうのはねえよ」 そもそもチョコが食いたいわけじゃねえし、と相変わらず自分の意図が伝わっていない感じに仙道は肩を竦めた。 手作りのものは差し入れではよくあるが。こういうイベントでもあったっけか……とうすぼんやり元カノの姿がちらついて仙道は、ふ、と息を吐いた。 「ちゃん、そういうの得意だっけ?」 「……作ったことない……」 「ははは、んじゃオレはそれがいいや」 「え……」 悪趣味、と呟いたを仙道は笑みでかわした。やっぱり分かってねえな、と思う。 実際、は「インターハイで海南より陵南を応援してくれ」と訴えたことは理解しても「神よりオレを応援して欲しい」と言った意図は一切理解できていない様子だった。――とはいえ、やや理不尽なこの独占欲に自分自身ひどく驚いたものだからに告げる気はないが。にはそういう感覚はないのだろうか? さすがに、だからといって自分が好かれてないとは思わないが。などと考えていると「どうかした?」と怪訝がられ仙道は首をふるう。 「今年のバレンタインって月曜だよな。どっか行きたいとこある?」 「んー……、 うーん。バスケがしたい」 最近、仙道くん昼間は沖田くんといることが多かったし。と続けられて仙道はぽかんとしたのちに笑った。 「バレンタインだぜ?」 「そんなこと言ったって……」 「オレはどっか遠いとこか、そうじゃなかったら家ん中がいいかな」 「遠いところ……?」 自意識過剰、というわけではないがバレンタインは身の危険を感じるレベルで女子に追われる日でもある。地元や学校周辺にはできる限り近づきたくなく、そうなれば遠くか家の中に隠れるかしか選択肢がない。 遠いところ、と呟いてしかめっ面をしたはおそらく必死に地名でも考えているに違いない。もしかして日帰りで愛知に行こうなどと言い出すのではと予測していたら案の定で、今度は仙道はこらえきれずに笑った。 「あっはっは! いや、そのうち行かねえととは思ってっけど」 「じゃ、じゃあどこがいい?」 「んー? さあ、バスケも悪かねえけど……恋人っぽいトコかな」 普段はイベントになどこだわらない性質だというのに、それをさらに上回る相手がそばにいると必然的に自分が「拘っている」ように見えてしまう。相対性の妙だな、などとどこかおかしく自分を観察しつつ、ようやく「そういうことか」と合点がいったらしきを見つめた。 家じゅうに甘ったるい匂いが広がっている。 ここ数日、ずっとこうだ。 「なにやってんだ、母さんは」 「いろいろお菓子の作り方を教えてくれてるんだけど……」 バレンタイン二日前の夜。出来上がったガトーショコラにチョコレートタルトとトリュフを並べていると帰宅した紳一が憮然として言った。ややうんざりした様子なのは紳一がそこまで甘いものを好んでいないためだ。 にしても教わっているというよりは楽しげな叔母の横で見ていると言った方が近く、目下叔母が楽しんでチョコレート菓子を量産している状態だ。 「お兄ちゃん、大学に持っていったら? サーフィンってカロリー必要そうだし」 「まあ毎年もらってばかりだからな」 こっちが配るのもありか、と消費に協力してくれそうな紳一を見てはホッと息を吐いた。 叔母が作る菓子類はむろん美味しいのだが、こんなの作れない……と遠い目をして思う。そもそも仙道も自分にそこまでのクオリティを求めてるとは思えないし。ていうか今更ながらなぜ自分が作らねばならないのだ? と深みに嵌りそうになったところで叔母に呼ばれてキッチンへと向かう。 「はどれが気に入った? 仙道君はどんなお菓子が好きかしら」 「んー……、特にこだわりないと思うけど」 「あら、聞いてこなかったの?」 「なんでもいいみたい」 お菓子なんて作ったことないと言ったら「じゃあ手作りがいい」とか悪趣味なことを言っていたし。素直に既製品にすれば味の保証もあるのに。などと呟くと「まあ!」と叔母の声が弾んだ。 「仙道君ったら本当にのことが好きなのね」 「え……ッ!?」 「も好きな人のためにお菓子が作れるなんて幸せね」 そして頭に花でも咲いているような笑顔で叔母がそんなことを言うものだから、は「また始まった」と苦笑いしつつ受け流した。なにせ仙道への差し入れを諸星宛だと勘違いしていた叔母だ。アテになるわけない。 でも、だけど。仙道のために差し入れを作ってるときはちょっとだけ楽しかったけど。などとずっと仙道に会えなかった日々を思い出して小さく笑う。あの頃を思えば、やはり一緒にいる時間を多くとれるようになったいまはとても幸せだ、とさらに頬が緩みそうになってハッと首を振るう。 最終的にバレンタインの予定は前日の日曜に遠出して当日は午後から仙道の部屋でゆっくり過ごすこととなったためお菓子作りの本番は当日だ。というかこの調子だと当日もほぼ叔母が作ってくれそうだな……と思うの脳裏にふいにこんな疑問が過った。 『ちゃん、そういうの得意だっけ?』 『……作ったことない……』 『ははは、んじゃオレはそれがいいや』 あんな風に仙道が誰かにチョコレートを講うのははじめてなのだろうか、と。 バレンタインという日は紳一と諸星がチョコを貰う日という認識で生きてきた。そして知っている限りあの二人が能動的にチョコが欲しいと言ったことは一度もない。 『女の子が好きな男にチョコを渡す日、だぜ』 『仙道君ったら本当にのことが好きなのね』 ――なんだかよく分からないが。なんとなくこれ以上考えたくない、とは首をふるった。 バレンタイン当日。 紳一は叔母作の大量の試作品を携えて大学に行き、と叔母はキッチンに立っていた。 ここ一週間近く言われるままに小麦粉を測ったりチョコを溶かしたりしていたが。……本音を言えばバスケがしたい。というか勉強もしたい。それでも仙道が喜んでくれるなら、とはおそらく失敗が少なくかつ簡単な部類に入るだろうチョコレートマフィンを叔母の指導で作っていた。 「手作りのお菓子をプレゼントなんてうきうきするわよね。叔母さんも若いころを思い出しちゃうわ」 相変わらずの叔母の声を聞き入れつつ、は「なるほど」と思った。彼女が張り切っているのは懐かしさから来るものか、と理解してふと手を止める。 「叔母さんも渡したことあるの?」 「もちろん。あのころは学校でおおっぴらに……なんてなかなかできなかったからみんなこっそりやってたわね」 そっか、と相槌を打つ。 「仙道くんももらったりしたのかな……」 「そうね、素敵な子だからきっとたくさんもらったんじゃないかしら。紳一や大君もたくさんもらってたものね、可愛らしい手作りのお菓子」 言われて、その通りだな、と感じる胸に違和感が走った。 仙道がバレンタイン含めてファンの子たちにたくさんの差し入れをもらうなんて今さらだ――でも。 「……?」 「え!? あ、なんでもない」 なんでもない、と再度は心内で呟いた。 ちょっとだけ胸になにかつっかえた様な感覚が走っている。けれどもそれがなんなのかは分からず、取りあえずサクッと終わらせよう、と目の前の作業に集中する。 せめて美味しくなるといいな。喜んでくれるといいんだけど、と仕上げたマフィンは丁寧にラッピングして取りあえず見た目は可愛く仕上がった。 今日の仙道は……釣りに行くのも控える、と外出を控えて家にいるという。一日大人しく勉強をしているという仙道とは一緒に夕食を取る予定だ。 にしても。引きこもるほどファンの子たちから逃げるというのはどういう心理なのだろうか? と巡らせる。紳一も諸星ももはや慣れきっていて特別な感慨はなさげではあったが二人とも社交的ではあるしに柔軟に対応していたように思う。あとは……あの二人に匹敵しそうなのは湘北の流川くらいであるが。彼の場合、逃げるという選択肢はなさそうだ。 「いらっしゃい、ちゃん」 仙道の部屋につくといつものように仙道が笑顔で出迎えてくれた。どうやら家にこもりっきりだったというのは本当らしい。いつもの立て髪が下りたままである。 「こんにちは。……ほんとにずっと部屋にいたんだ」 「ああ、やることねえしずっと勉強してたぜ。あ、あとメシも作った」 薄く笑いながら仙道は言う。暇さえあれば釣りに出かける仙道は基本的にはアウトドア派だ。相当に時間を持て余していたに違いない。 寒かっただろ、と言いつつコーヒーをいれてくれた仙道からマグカップを受け取ってホッと一息つく。そうして今日の一番の目的でもあるチョコマフィンをカバンから取り出して差し出すと、仙道は一度目を瞬かせたのちに満面の笑みを見せた。 「サンキュ」 そうしてなお仙道は笑顔でラッピングされたマフィンを見やった。 「これってちゃんの人生で初めてのバレンタインだよな?」 「え……、ま、まあ、そうだけど」 仙道には何度か言った気がするが、どちらかというと自分も貰う立場であったし基本は紳一や諸星がチョコを貰ってくるのを見ている日だったし。初めてだからなんだというのだろう。と、ジトっと嬉しそうな仙道を見つつ思う。 仙道にとってはこのようなものを受け取るのはむろん初めてではないだろう。これほど喜んでくれて嬉しい反面、なぜそこまで……と思う気持ちにもやがかかる。やや自分でも分からない苦みに戸惑っていると仙道が「食っていい?」と聞いてきたためハッとしては頷いた。 そのまま話を切り替えて二人で夕食を取れば全くいつもと変わらない日常だ。 夕食の後片付けをして二人でホッと一息つき雑談に花を咲かせていると、ふいに電話が鳴り二人は話を止めた。 仙道がそばに置いてある子機を取りに行き、はベッドサイドの目覚まし時計に目をやった。――遅くなると紳一からの帰宅を促す苦情が入る。ということもあるが、まだそう遅くはない時間だ。紳一ではないだろう。 「もしもし――」 |