「仙道! お前、北米行くってマジか?」
「ああ、うん。MBAでも目指そうかなと思って」
「NBA!? さすがだな仙道」
「仙道君すごーい!」

 いったい自分は何度この会話を繰り返せばいいのだろう。と秋もそろそろ深まってきたころ。仙道は慣れたようにいつものやりとりを繰り返していた。
 一足先に願書を提出したに遅れ、仙道もと同じ大学を志望することにした。そこそこちゃんと稼がねえと、という意識から最終的にはビジネススクールに進もうと学部を決めたわけであるが。世間的にはまだ馴染みのないMBAという単語はほぼ100%の確率でNBAだと聞き間違えられ、図らずも「仙道はNBAに挑戦するために日本の大学を蹴っている」というまことしやかなうわさが流れて周囲が勝手に納得したのは仙道にとってはうれしい誤算でもあった。
 現地にいるの両親から送ってもらった大学の資料を片手に「カナダで進学したい」と告げた時の両親は「また彰が突拍子もないことを言い出した」と話半分に聞いていたようであるが、特に反対はされなかった。が――、一般的な日本の私大も視野に入れていたはずの両親は授業料やカレッジ費も含めての生活費の高さに渋い顔をしさすがの仙道もこればっかりはどうにもならんと頭を抱えた。加えて語学の問題もある。
 入試対策ならともかく留学しようという生徒への支援は陵南では厳しく……かといって金銭面の相談をまずにするのも憚られ、悩んだ仙道はふと最適な人物を思い出してすぐに出向いた。

「なに仙道クン、トロント大目指してんの?」

 ヒュウ、と口笛を吹いて相も変わらずの明るい声で答えたのは緑風高校のマイケル沖田だ。
 緑風の練習が終わるタイミングで緑風に出向いた仙道はマイケルにちょっと付き合ってくれるよう頼んだ。相談内容はむろん進路のこと。マイケルは米国籍を持っているアメリカ育ちで既にあっちの有名大学からもオファーをもらっている身である。事情には詳しいに違いないと踏むと、開口一番にそんな軽口が飛んだ。
「まあ、な」
「うーん費用の問題だったら奨学金を探してみるってのはどうだい?」
 まず彼はそんなアドバイスをくれた。奨学金のみならず北米圏の大学は入学条件や費用が一律ではなく学生次第で免除になるシステムも大いに採用しているらしく……仙道は自分を売りにできる唯一の武器はバスケであるという現実をまざまざと思い知った。
「仙道クンはなんていったって日本一のバスケ選手だろう? コレを利用しない手はないよ。アメリカじゃ腕自慢の学生がみんなやってることさ」
 マイケルは、仙道に自分のプレイ動画集をビデオに収めて先方に送れとアドバイスしてきた。度肝を抜かれた仙道だったがこういう自己アピールは欠かせないらしい。業績を認められて入学許可が出る場合もあれば、大学のバスケチームに所属すれば学費免除ということもある。とマイケルは言う。
 そんなことほんとにあるのか、と半信半疑だった仙道であるが地元の人間がこう言っている以上はそうなのだろう。それに、費用の問題ばかりは気合では乗り越えられない。
 取りあえずやってみるほかはない。と仙道は自身の厳選プレイ集なる動画をやや気恥ずかしい気持ちで編集し、自身のアピールポイント等を書きしたため、一番最後の作業であるアプリケーションの不備はにチェックを頼んで願書を提出した。
 目下、最大の問題は語学である。が、こちらは引退後からが定期的に見てくれているし、マイケルも事情を知ってからは「今度から英語で話すかい? コレを理由に仙道クンと会う機会が増えるならおトクだね」などと相も変わらず軽いノリで申し出てくれ、仙道はありがたく好意に甘えた。
 合否が出るのは早くても冬、遅い場合は初夏だという。電話インタビューがあるかもしれない等にも言われたが、仙道にできることはほかにはなく取りあえずは待つのみだ。
 コレでダメだったら、どうすっかな。と年明け早々に電話でのインタビューを受けたというに対して何のレスポンスももらっていない現状に少々焦りつつ、仙道はと共に東京の街を歩いていた。おしゃれだが下町感漂うこのエリアは、仙道の生まれ育った街でもある。年も明けて2週間ほど経った今日、仙道は初めてを実家に連れて行き両親に紹介した。行きがけはガチガチ状態だったも家を出たいまはだいぶ落ち着いた様子である。
「仙道くんってこんな都会で育ったんだね……」
「そうか? そんなに他と変わんねえと思うけど」
「私たちの地元は田園風景が広がってるし……周りに高層ビルもオシャレな雑貨屋さんもないよ」
「まあ言われてみるとそうか」
 首都だしな、と住んでいたころはあまり意識などしなかった周りの風景を見やる。物珍しげに辺りを見やるのあとを追いつつ、仙道は地元をに紹介できて嬉しい反面、やや居心地の悪さも覚えていた。神奈川では知り合いと会うことなど滅多にないがここではそうもいかない。万が一にも……と考えたのがきっと間違いだった、と思ったところで後の祭りだと思い知ったのはそのすぐ直後だ。

「彰君……!?」

 ふいに自分を呼ぶ声が聞こえた。――あ、しかも。この声は、と思い当ったままに振り返ると視界に入ったのは3人の少女。そのうちのセミボブの巻き毛を湛えた少女が数歩こちらに歩み寄ってきた。
「久しぶり……、元気?」
「……ああ……」
 どことなくぎこちない笑顔を浮かべた相手に、仙道も首に手をやってぎこちなく笑う。しばし微妙な沈黙が流れ、彼女が「あ」と口を開いた。
「そうだ、私、インターハイの決勝テレビで観たよ。相変わらず彰君てバスケットばっかりなんだね」
「まあ……バスケ進学したんだしな」
 そうだよね、と目の前の少女は自嘲気味に笑った。
「でもすごくかっこよかった。やっぱりすごいんだね彰君って……。ごめんね、私、あのあとずっと――」
「いや、いいから」
 仙道は彼女の言葉を遮るようにかぶせ、小さく息をした。少し悲しげな瞳をした彼女にやや罪悪感が込み上げたが、そうも言っていられない。
 もどかしげに彼女の唇が揺れ動いて、数回躊躇したように結ばれたのちに彼女はこちらを見上げてきた。
「彰君、大学はこっちに戻ってくる? また、会えるかな……」
 まっすぐ見つめられて仙道はグッと息を詰め、少し間をおいて小さく首をふるった。
「オレ……進学はカナダだから、こっちに戻ってくる予定はねえな」
「え……!? そ、そうなんだ。バスケットで?」
「……まあそんなトコかな」
 ははは、と仙道はごまかすように笑う。本当は違うが嘘でもないため構わないだろう。
 そっか、とさすがに彼女は納得したように頷いた。
「やっぱりバスケットばっかりなんだね彰君。そっか……」
 そう言う彼女に「ワリィ」と言いそうになった自分を仙道は止めた。
「仕方ないよね。じゃあ……彰君、元気でね」
「ああ、サンキュ」
 そして彼女は笑い、他の友人と思しき2人と合流した。「あれ仙道?」「相変わらずでかいね」等の声が聞こえるためたぶん同級生だな。記憶が曖昧だけど、などと思考を巡らせつつ仙道は恐る恐る後ろを振り返った。
 そしてやや離れた場所でこちらを伺っていたらしきを見つけ、足早に歩み寄る。
「ワリィ、ちゃん」
「ううん。お友達?」
「……ああ。中学ん時の同級生」
 そっか、と呟いて特に気にした様子もないに仙道は僅かながら後ろめたい気持ちになった。同級生、という言葉に嘘はないが。正確には中学のころに付き合っていた相手――元カノだ。相手から告白されて受けたが、最終的には「彰君ってバスケットばっかりでちっとも構ってくれない」「なに考えてるか分からない」「私のこと本当に好きなの?」と言われてフラれた相手でもある。直接の原因はなんだっけか。陵南へのスカウトを受けたことを事後報告したせいだったか。あんま覚えてねえ、と少し眉を寄せる。
 は先ほどの少女が自分の元カノなどとは露程も気づいていないのか薄く笑っている。別に隠す必要もないし言った方がいいのだろうか? すれば、少しは妬いてくれたりするのか? などと錯綜した感情が交差しているとが彼女たちの歩いて行った方角をチラリと見たため仙道の脈が少しだけ高鳴った。
「私も仙道くんと同じ中学だったら、中学時代の仙道くんが見られたのにな」
「え……!?」
「バスケ。中学時代の仙道くんのプレイ見てみたい」
「ああ……」
 そっちか。と仙道は納得して笑った。本当に露程も気づいていないし気にかけてもいないらしい。
「いや……さすがにオレの中学時代とか諸星さんに及ばないんじゃねえかな」
「でも東京代表って言ってなかった?」
「まあ、全中には一度出たけど……」
「それが3年の時なら私は見てないし……」
 言われて仙道も考える。ともし中学のころに出会っていたら……、目の敵にされそうだな。と口から出たのは乾いた笑いだ。
 自分は中学の時にと出会っていてもバスケの強い彼女に興味を抱いたかもしれないが。やっぱりあの神奈川に越した日に出会えて良かったと思う。何かがズレていたらいまこうして並んで歩けていなかった、とスッとの手を取ると、は目を瞬かせたのちに笑った。
「どっか寄って帰る?」
 取りあえず地元から場所を移したい、とさりげなく誘導するとも「うん」と頷いた。
 藤沢まで帰るには小田急が一番アクセスが良く、発着駅のある東京でもとりわけ人ごみの激しい新宿に向かう。いつもなら人ごみを避けたい仙道であるが、今日ばかりは何かに紛れたい気分だった。新宿ならばそうそう知り合いに会うこともないだろう。
 新宿に着くと、どこもかしこもこぞってバレンタイン商戦のディスプレイで華やかでいっそ眩しいほどだ。
 行きは緊張のせいで周りの風景など見えていなかったらしきが感嘆の息を吐いている。
「すごいね……! バレンタインのことってあんまり意識したことなかったけど、毎年すごいもんね」
「チョコあげたことねえの?」
「あ、あるわけないでしょ……、ていうか、去年だって私ももらったし」
 すればそんな返事で、案の定な回答に仙道はほっとしつつもジトッと睨まれてやや腰を引いた。
「仙道くんもたくさんもらったでしょ?」
「え……あ、まあ」
 そこそこ、というと「やっぱり」とはなお目線を鋭くした。
「お兄ちゃんも神くんもすごくもらってた。たぶん大ちゃんももらったと思う。ミニバスやってたころは私だっていっぱいもらってたけど最近はお兄ちゃんへの宅急便ばっかり……!」
 どうやら彼女はもらったチョコの数を張り合っているらしく、「すべてが予想通りだな」と仙道はいっそ感心した。
 たくさんチョコをもらった自分に少しくらい妬いてくれてもいいのではないか。などと期待するだけ無駄なのか。いかんいかん、と思う。このまま張り合われていたら去年から目論んできたからの初めてのチョコは自分がもらうという計画がパーだ。
 今年は3年で3学期は特に出席義務もなく、バレンタインは一日一緒にいられるのに、と考えつつ仙道はの手を引いた。
ちゃん、オレ、欲しいんだけど」
「え……?」
「チョコ」
 ニコ、と笑いかけるとは瞬きをして心底解せないという顔をした。
「仙道くん、いっぱいもらうと思うけど」
「いや、まあそうかもしんねえけど」
 伝わっていない、と苦く笑いつつ雑踏に紛れながらショウウィンドウを見上げる。
ちゃん、誰にも渡したことねえんだろ? だったら今年はオレにくれねえかな」
「え……」
「女の子が好きな男にチョコを渡す日、だぜ」
 少なくともここじゃ、とショウウィンドウからに目線をやって顔を覗き込むと、カッとの頬が染まった。
「そ、そう言われても……」
「オレのこと好きじゃねえの?」
「……好き、だけど」
 消え入るような声で言ったに仙道は、ははは、と笑う。
「そんじゃ決まりだな」
 言えば、は少し唇を尖らせたものの頬を染めて目線を外した。まんざらでもないということだろう。その証拠にキュッと絡めていた指に少し力がこもった。


「ただいま」

 その後、は仙道と外で夕食を済ませてから帰宅した。
「おかえりなさい。どうだった?」
 リビングに入るとさっそく叔母がそう聞いてきては思わず苦笑いを漏らした。どうだった、とは仙道の実家でのことだろう。
「うん。優しそうなご両親だった」
「あちらも息子さんを手放すのはきっと寂しいわね」
「そ、そういう感じじゃなかったけど……」
「だって仙道君は高校から家を出てるでしょう? だってようやく帰ってきてくれたのにまた出て行っちゃうなんて……」
「叔母さん……」
 仙道の家はどちらかというと自分の両親に似て完全に放任のように見えた。対する叔母は……できれば神奈川近郊で進学して欲しかったのだろうな、というのがわかっているためこの話題は忍びない。叔父は相も変わらず出張が多いし紳一とほぼ二人きりになってしまう叔母を思うと寂しい気持ちもわかるが……とにかく話題を変えねば、と口を開く。
「そうだ……、新宿に寄ってきたんだけどバレンタイン特集ですごく華やかだった」
「あら……そうなの。そういえばもうじきね。さすがに紳一もバスケットをやめちゃったから今年はもらえないかしら」
「どうかな。それでね……仙道くんがチョコが欲しいって言ってたんだけど、どういうのがいいかなって思って」
 瞬間、叔母の瞳が確かに煌めいた。――話題変更にはうってつけだったが、行きすぎだ、と実感しても時すでに遅しである。
「まあ、もようやくそういうイベントに興味を持つようになったのね! どんなチョコレートを作りたいの?」
「え!? 作……!? ううん、あの、どんなの買えばいいのかなって」
「あらせっかくだから作ってあげたらいいじゃない」
「……お菓子とか作ったことないし……」
「ちょうどよかったわ、叔母さん得意だから一緒に作りましょうよ。がカナダに行っちゃったらそんな機会もなくなるし……楽しみだわ」
「……」
 そう言われては断れない。と半ば強制的に決定され……まあいいか、とは頷いた。叔母は単純に自分と一緒にお菓子が作りたいだけだろうし、バレンタインまではまだ時間もある。仙道になにがいいか聞いて買った方がいいならそうすればいいし、とさっそく色々なチョコレート菓子の品名をあげてウキウキした様子の叔母を見ながら薄く笑った。



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