「はいはい、仙道君、あ、神君もこっちに来てちょうだい!!」

 感涙の表彰式終了後――。
 しかし選手達はそう浸っている暇もなく――、表彰式が終われば取材の対応に追われるという責務が待っていた。
 引き上げることを許されなかった仙道と神は、見事に彦一の姉・弥生に捕まってコートの壁際に追いやられていた。
「あの……」
「何なんだ……いったい……」
 困惑気味の二人をよそに、部下を引き連れた弥生は張り切ってカメラを部下に構えさせた。
「優勝・準優勝の神奈川両キャプテンの写真やなんて……、逃したら編集長に大目玉くらうわ! ほら、神君は仙道君の隣に立って! 目線こっちにお願いね!」
 言われて、さらに二人ともバスケットボールを渡され、ポーズを指定されて、互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべた後に渋々付き合った。
 そうして一段落して、仙道はチラリと神を見やる。
「神……、お前、試合前に言ってたけど……お前も引退すんのか?」
「え、終わった直後にもう次の話?」
「あ、いや……」
 何気なく仙道が聞いてみると、神は不機嫌そうな顔をして言って少々仙道は狼狽える。するとワザとそうしてみせただけだったのか、ごめんごめん、と神は笑った。
「うん。ちょっと迷ってはいたんだけど……オレは受験に備えるよ。花形さんみたいに選抜も受験も、なんてことは正直厳しいしね」
「そうか……」
「ま、優勝できなかったのは残念だけど……オレなりにベストは尽くしたつもりだし、悔いはないよ」
 仙道は少し肩を竦めた。自分こそ最後の相手が神で良かった――、と思うものの、勝った自分がそれを言っても今は嫌味になるだけだと理解して口を噤む。
 あ、と神が思いついたような声をあげた。
「最後の、あのスクープ……もしかして狙ってたのか?」
「いや……そういうわけじゃねえけど」
「まさかああ来るとはね……。県大会の時と逆の結果になっちゃったな。って、これは負け惜しみだな」
 ははは、と神は笑って手を振った。
 仙道も手を振りかえして、自分もあがろうとしていると再び弥生に捕まって、雑誌・テレビ各社の揃う取材ブースに連れて行かれ、インタビューを受ける羽目になる。
 やれやれ、と肩を竦めるも、これも義務の一つなのだろう。
「仙道君、まずは陵南の全国制覇、そしてMVP受賞おめでとう」
「ありがとうございます」
「初出場で初優勝という快挙だけど、いまの心境はどう?」
「うーん……、嬉しいですよ。やっぱり」
 インタビュアーは適当にしか答えられない自分より、神にでもインタビューしたほうが聞き甲斐ががあるだろうな、と感じつつ適当に無難な答えを仙道は返していった。
「陵南はこの大会を通して戦術が多彩で、見ている方も楽しませてもらったけど……、やっぱり対戦相手をよく研究してのことかしら?」
「まあ、そうですね。チーム全体でよく練習してきたと思います」
「最終戦が海南というメリットとデメリットはあった? 結果的にはリベンジを果たせたと思うのだけど」
「まあ……、海南は見知ったチームですから、やりやすくはありましたね」
「神君との因縁の対決の感想は?」
「え……因縁? いや……そんなことないっすよ。神は良いプレイヤーですし、国体では一緒に戦った仲ですしね。決勝で神と戦えたのは良かったと思ってます」
 すると記者陣が一気に熱心にメモを取り始め、「この回答はウケたのか?」などと過ぎらせていると、弥生がこんなことを聞いてきた。
「仙道君……。決勝点を決めたのは仙道君だったけど、仙道君の数々のプレイの中でもあれにはとても驚かされたわ。あのクラッチシュートは狙ってのものだったの? それとも、一か八か、だったのかしら」
 瞬間、仙道の瞳孔が少し開いて、仙道は頬を緩めた。

「あれは、オレの技ではないんですよ。あれは――」

 その後――、閉会式に出席してようやく宿に戻り、感涙の止まらない田岡をなだめたあと部屋に戻って一息つこうとしていた仙道は越野達に捕まって彼らの部屋に連れて行かれ、ベンチメンバー含めた全員で改めてジュースにて乾杯と相成った。
「監督、ボロ泣きだもんなァ。"お前達はオレの誇りだー!"ってさ」
「"お前達を監督出来てオレは幸せもんだ"って何度も言ってたよね……。監督の目にも涙、か」
 越野と植草がそれぞれ田岡の物まねをして部員達の笑いを誘っている。
 みな、それぞれやり遂げたような満足げな表情を浮かべすこぶるテンションが高い。
「いやー、でもホンマにアンビリーバブルですわ! 全国制覇ですよ、全国制覇!」
「ああ、そうだな。日本一、ってことだもんなあ」
 彦一の声を受けて、まるで人ごとのように菅平が笑い、「お前もスタメンだろ!」と突っ込んだ越野は、コホン、と咳払いして仙道を見やった。
「ま、でも……。やっぱお前のおかげだよな、仙道」
「え……?」
「ありがとうな。オレたち、感謝してるんだぜ……。お前とバスケやれて、本当に良かったってな」
 一斉に皆からの視線を受けて、仙道はやや居心地悪く首に手をやる。
「いや……。そりゃ違うっつーか……」
 まいったな、と目線を泳がせていると、越野からバシバシと背中を叩かれ、更に彼は上機嫌で笑い他の部員たちも益々はしゃいだ。
「まあ、オレたちはオレたちで強かったよな!?」
「おう!」
「気絶したときはマジやべーと思ったけど、結果オーライだぜ!」
「ああ、仙道も凄いけど……オレたちはやり遂げたんだもんな!」
「だな!!」
「陵南、サイコーー!」
「フォーー!!!」
 ああ、また苦手な雰囲気になってきた。と、微笑ましく思う反面、仙道は苦笑いを漏らした。
 けれども、このメンバーでバスケットをやってきて良かったと思う。この高校生活で、彼らと共に辛い練習に耐えて、そうして最高の結果を残せた。
 共にやり遂げることができた。彼らは自分にとって、最高の仲間だ。

 神奈川に来て――、陵南に入って良かった。運命、という言葉など信じてはいないが、神奈川に来たあの日から、自分の運命は決まっていたのかもしれない。あのコートのある公園で、を見つけたあの瞬間から――。

 仙道はハイテンションで盛り上がる部屋をそっと抜けて、宿の外に出てみた。
 夕焼けの朱で空が滲み、なま暖かい風が頬を撫でていく。
 そばの自販機でスポーツドリンクを買って一息ついていると、ちょうど空き缶をゴミ箱に捨てたところで見知った声に呼ばれた。

「仙道ーーー!!!」

 ハッとする間もなく、振り返った瞬間に声を発したとおぼしき人物は勢いのままに抱きついてきて肩を抱いた。
「よう! お前、ついにやったなコノヤロウ!!」
「も、諸星さん……!?」
「今日はオレが味噌カツたっぷりおごってやるぜ! な!」
 間近に破顔する諸星が映り、祝いに訪ねてきてくれたのだと理解する前に――仙道の瞳には諸星の連れとおぼしき人物の姿が映った。

「牧さん……。ちゃん……」

 紳一の隣にいたは、少し目が赤い。
 そういえば表彰式の時、彼女は泣いていたっけ――と巡らせていると、すぐそばまでが歩み寄ってくる。
「仙道くん……」
 仙道を見上げたは、感極まったようにそのまま仙道の胸に飛び込んで抱きついた。
「おめでとう……、おめでとう……! よかった……、ほんとに、よかった……!!」
 一瞬、目を丸めた仙道も、ふ、と頬を緩ませてそっとの背に手を回して抱きしめる。

「……サンキュ……」

 その様子を腰に手を当てて、ヤレヤレ、と見やった諸星は、次の瞬間にギョッとして今にも飛びかかりそうな紳一を羽交い締めにするとズルズルと引きずってその場から退散した。

 一方の二人は、こうしてゆっくりと互いの体温、存在を確かめ合うのはいつ以来だろう、と互いに感じつつは仙道の胸に頬を寄せ、仙道はそっと彼女の髪を撫で続けた。
 この日のために、この結果のためにずっと離れていたのだ。約束通り、これからはずっと一緒、と互いに無言で微笑み合い、ごく自然に何度かキスを重ねてなお微笑み合って見つめ合った。
「さて……、これからどうすっかな。ちゃん、何がしたい?」
「んー……、バスケ、かな。神奈川に戻ったら、仙道くんとバスケしたい」
 そんな事を言い合って、ははは、と仙道は笑う。
「オレ、釣りがしてえ」
「あ、私……」
「ん……?」
「私、制服でデート……したいな。学校帰りとかに」
 控えめにがそんな事を言って、仙道はキョトンとした直後に、ふ、と笑った。そして再び唇を重ね合い、何度も繰り返して次第に没頭していく。
「ん、……んー……ッ」
 あまりに久々だったためか自然とそれは激しさを増して、が無意識に逃れようとするも仙道がそれを許さない。夢中で深いキスを長い間続けた後、仙道はせっぱ詰まったようにを見つめた。
ちゃん……」
 そして熱い吐息と共に唇を彼女の耳元に寄せて囁く。
「オレの部屋、いまから来ねえ……?」
 言いながらグッとの腰を抱き寄せるも、瞬間、ピシッとの表情が凍り、久々にジトッと睨み上げられ、う、と仙道は頬を引きつらせた。
「い、いや……、オレ、一人部屋だし……ははは」
 無理だよな、と一人ごちて、ハァ、とため息を付き、もう一度軽く彼女にキスをしてからそっと大きな手での頬を撫でる。
「オレたち、明日の朝には神奈川に戻るし……、午後にはあっちで会えるよな?」
 すると、の表情がどこか気まずげに変化し、仙道は眉を寄せた。
ちゃん……?」
「あ、そ、その……。せっかくだから、お盆はこっちで過ごそうってことになってて……その、神奈川に戻るの、お盆過ぎ、なの」
 瞬間、今度は仙道の表情がピシッと凍った。お盆まではあと一週間ほどある。さすがに仙道は落胆を隠せず、も申し訳なさを感じたのか、ごめんね、と繰り返した。
 仕方がない――と感じつつも仙道は乾いた笑みを漏らし、口元を引きつらせながらもう一度を見つめた。
「やっぱオレの部屋……来ねえ……?」
 悪あがきに近いその呟きは、茜色の空間の中にそっと虚しく溶けていった。



 ――今年の高校総体バスケットボール男子の部。
 史上稀に見る同県同士の決勝戦、しかも延長となったその陵南対海南のテレビ放映は予想外の高視聴率を叩きだした。
 特に神奈川では一躍トップニュースとなり、大々的に号外も配られて両校ともに時の人となった。

 まるで夢のような熱戦だった。と、東京の編集部に戻った彦一の姉・弥生は先週のインターハイ決勝戦を浮かべて息を吐いた。
 発表された視聴率の高さと注目度から、編集部は「神奈川完全V!」と題して今週の巻頭特集をインターハイに決め、表紙は検討の末に仙道・神のツーショットで飾った。
 巻頭でも試合終了後のキャプテン同士の涙の抱擁がフォーカスされ――、それは特に購買層外の女性の目に止まったようで発行部数が跳ね上がり、編集部としては嬉しい悲鳴だった。
 ただ――。
 追加取材に行った先で、よほど取材陣に追い回されて付きまとわれていたのか、「げんなり」を隠せていなかった神と仙道の姿を思い出して、弥生は同情気味の表情を浮かべた。
 王者の意地で神奈川を制した神と、最後にそんな神率いる海南に打ち勝ち全国を制した仙道。
 今まで、数多くのライバル対決を目にした弥生でさえも、彼らの辿った軌跡というのは珍しく、また絶妙で――メディアも今後の対決や秋の国体で再び名コンビを見せてくれることを期待して煽っていた。が、二人とも、今後の進退に関しては一貫して回答を濁していた。しかし。

『最後に仙道と戦えてよかったです。今後は、友人として付き合っていければいいかな』

 ふと、そんな風に笑って言っていた神を思いだして、弥生は彼がもうバスケットを引退する決意を固めていることを悟った。
 そして仙道は――。

『あれは、オレの技ではないんですよ。あれは――』

 優勝直後の取材で、彼は語った。
 あれは、とある少女の得意な技だった、と。天才と呼ぶなら自分よりそっちにしてください、とサラッと笑って言ってそれ以上は語らなかった彼に報道陣は戸惑ったものの、彦一から事前に情報を仕入れていた弥生にはすぐにピンと来た。国体でスキルコーチを務めた牧紳一の従妹だ、と。
 すぐさま去年の神奈川国体メンバーに詳細を訊いてみると、皆が口を揃えて仙道の言葉を肯定した。
 ハッと気づいて、編集部の資料室にある膨大なバックナンバーを辿れば――7年ほど前の記事を見つけた。
 ミニバスケットの記事の中に、幼き日の紳一・諸星と、伝説のフォワードと呼ばれて将来を期待されていた少女の姿を。
 だが、いくら探しても中学以降の彼女の軌跡は追えず――紳一・諸星と違ってバスケを選ばなかったのだろうと推察するしかなかった。
 再び陵南に追加取材に出かけた弥生は、3年生のまったくいない体育館で弟の彦一に仙道の行きそうな場所を聞いた。そうして言われるままに漁港のそばを歩いていると、釣りに興じる仙道を見つけ、声をかけてみた。
 練習に行かなくていいのか、と問うと、彦一みたいなこと言うなぁ、と思い切り困ったような顔をしていた。
 取材ですか、とどことなく警戒する仙道に苦笑いを浮かべ、個人的なことだと前置きをして訊いた。牧ちゃんのことだけど、と。すると彼の雰囲気が少し和らいだのが伝った。
 資料室で彼女の記事を見つけたことを伝え、なぜ彼女がバスケットを続けなかったか知っているかと問うと、ただ笑って彼はこう言った。

『オレも彼女も……、楽しくバスケットができればそれでいいんですよ、きっと』

 ピンと来て、思わず迫ってしまった。
 まさか引退するつもりかと。どれだけの大学からオファーが来ているかしれないのに、と。
 ははは、と彼は笑った。記事にはしないでくださいね、という言葉と共に。
 仙道彰の大ファンを自他共に認めている。それだけの才能があってなぜ、と思わず詰め寄ったら、ついいま話した通り――楽しくバスケができればいい――だと言う。
 でも、と少しの間を置いて仙道は海の方へと視線を流した。
 やっぱり、一度は勝ちたくなったんです、と。単純な義務感と、陵南のためと、もちろん自分のためということもあったのかもしれない。が、苦しさが楽しさを上回っても、やり遂げる必要があった、と。

『天才、なんて呼ばれて……名声なんて望んじゃいなくても、トップを獲るべきだと。証明したかったんだと思います』

 どこか人ごとのように言う仙道を見て、悟った。
 その気持ちは、仙道が牧へ感じたことだったのだろう、と。
 決勝点のことを聞かれて嬉しそうに「オレのじゃない」と言ったことも――きっとバスケットをやめてしまった彼女の才能への賛辞と、自分の才能への義務を果たせたから。
 おそらくは、もはや誰が引き留めてももう「バスケット選手・仙道彰」には会えないのだと理解して、最後の質問、と言った。
 仙道彰選手、インターハイの勝因はなんですか、と。
 うーん、と彼は困ったように首に手を当てた。

『全て、かな。この場所に来た日から、この結果になるように進んでたんだと思います。監督、仲間、神……。それから、彼女がオレに……出会ってくれたこと』

 そうして最後に、彼は高校生とは思えないほどの吸い込まれるような笑みを浮かべた。
 年甲斐もなく、本気で恋に落ちそうやわ。などと考える間もないほどに。

「――さん、相田さん! どうしたんですか、ボーっとして」

 ふいに声をかけられて、弥生はハッと意識を戻した。
 すると後輩の記者が不審そうな顔をしてこちらを見ており、あわてて取り繕う。
「な、なんでもないわ」
 そうしてデスクに目線を落とすと、今週の週間バスケットボール。少し眉を寄せていると、後ろから別の女性の声があがった。
「今週号、追加発注すごい量で嬉しい悲鳴ですよねー!」
「あ……。ええ、そうね」
「でも分かっちゃうなあ……! 神君も仙道君もカッコイイですもんねえ! もし私が一般の女性でも即表紙買いですよ!」
 そう言って横から彼女はひょいと雑誌に手を伸ばし、ページを捲って巻頭特集を開いてさらい口元を緩めた。
 弥生も特集を見やる。抱き合う神と仙道と、陵南のメンバー、そして仙道の決勝点。――少しだけ、記事の中でについて触れた。おそらくそれは仙道が望んだことだっただろうから。
 自分の心とは裏腹に、後輩たちは嬉しそうに既に何度も見たはずの記事に熱心に視線を落としている。
「はやくも数え切れないほどの大学からのスカウトが仙道君獲得のために動いているって聞きますし、神君をはじめ今の世代が大学にあがったら大学バスケ界はどうなるんでしょうねえ」
「いやいや、いずれは彼らの世代がユニバーシアード、そしてアジア大会、世界で活躍してくれることを望みますよ僕は!」
「タレント揃いですし、いずれは日本のプロ化への原動力になったりして! あー、楽しみです!」
 嬉しそうに語る後輩達を見やって、ふ、と弥生は少しだけ寂しげな笑みを漏らした。
 近い将来、彼らは、日本は落胆するのだろうか――。
 プライベートはほっときや、などといつか彦一に説教した言葉を自分に言い聞かせて、自嘲する。

 ほんま、罪作りな男やで――。

 けれども、彼は自由に楽しんでバスケットをすることを選んだのだ。
 注目されることも、名声も、なにもいらない。自由に縛られずプレイできればいい。そんな生き方の方が、彼らしいか――。

 でも――、と弥生はまっさらな原稿に視線を落とす。
 例え、彼がコートから去ってしまうとしても。きっとこの記憶は、記録と共にいつまでも色褪せずに残るだろう。
 彼らの、この夏の物語は――。

 いつか、自分がこの手で記事にするかもしれない。天才・仙道彰の勝利への誓い。一人の少女と出会ったことで開いた、夏への扉。
 そうだ、タイトルはどうしようか――。
 ふ、と寂しげに笑ったまま、白い原稿に向かって弥生はペンを握りしめた。


―― 第二章 - 誓い - the end ――


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