――根性見せろよ、仙道。 諸星の無言のエールを受けるようにして、ふ、と仙道も応援席の方を見上げていた。 あと5分。それが自分の現役生活で残された最後の時間だ。 「ちゃん……」 インターハイを通して、彼女は公式戦の会場では必ず着ていた海南の制服を着ていない。海南の試合ではなく、全て陵南の試合を見守っていてくれたことも知っている。 おそらく、諸星も――。 『本当に凄いフォワードだったぞ……』 『あれこそ、まさにエース・オブ・エースと呼ぶにふさわしい選手だった』 彼女を知る人間は、バスケットをやめた彼女を惜しみ、そして彼女や諸星は「もしも男だったら」と叶うはずもない願いの果てに行き場をなくした。 けれども、確かにそう願わずにはいられないほどの選手だったのだ。あの小学生の頃の、まだ少年のようだった頃のは――、と、ビデオで見た彼女の姿を仙道は脳裏に描いた。 諸星や紳一が見ていたのは、そんなエースの背中だ。いまも、彼らの中に棲んでいるのはあの頃のの姿なのだろう。 何も知らなかったからな、と自嘲する。辛そうにバスケットをする彼女が気にかかって、笑わせたくて、彼らが見ていた「牧」を知ったのはもう後戻りができないほど溺れたあとだった。 けれども、やはり自分は彼女が女の子で良かったと思う。ずっと自分の隣で、笑っていて欲しい。だから――。 「……勝ちてえ……」 聞き取れないほどの声で仙道は呟いた。 きっと、はここで自分が負けても変わらず自分を好きでいてくれるだろう。だが、ここで結果を残せなければ彼女の隣には並べない。 海南よりも自分を優先してくれ。かわりに諸星以上になってみせると言っておいて、「無冠の天才」のまま終わってヘラヘラしていられるほど、落ちぶれていないつもりだ。 それだけの準備はしてきた。と、自信を持って言える。神にだって、負けてはいない。 「……勝ちてえ……!」 陵南に、バスケットのためだけに入学して――天才と言われて――、まだ一つも何かを残せていない。 まあ、いいか。で済ませられない。いま、目の前にあるインターハイ制覇。それを、自分は欲しい。 「仙道……?」 「仙道……」 ハッとした仙道の瞳に、珍しいものでも見るような陵南メンバーの表情が映った。 そうだ、自分はこのメンバーと、そして田岡と共に「勝ちたい」。いままで、いつもいつもあと少しのところで取り逃がしていたものが、欲しい。 このメンバーで。と仲間達を見渡すと、彼らはあまりにもキョトンとした表情を浮かべており、仙道としても逆に「ん?」とキョトンとして瞬きをすると――、今度はワッと声をあげて全員が拳を握りしめた。 「ああ、絶対勝ってやろうぜ!」 「勝つ……!」 「勝とう!」 「勝ちましょう!」 そうしてみんなが力強く言い放ち、グッと彦一も拳を握りしめていた。 「みなさん、頼んます! ワイ、迷惑ばっかかけてしもて……。ほんまやったら、勝っとったとこやのに」 そんな彦一の肩に菅平が手を置いた。去年、魚住の控えとして試合に出て手痛い思いをした分、気持ちが分かるのだろう。 バーカ、と越野は腰に手を当てた。 「まだまだお前に俺の代わりが務まるほど、俺はチョロかねーよ!」 「越野さん……」 「気ぃ失ったのは俺のミスだ。同点延長……、上等じゃねえか! 去年の借りを返す絶好のチャンスだぜ、なあ?」 「おう!」 越野の力強い声に彦一は少しばかり安堵したような息を吐き、田岡は「うむ」と強く頷いた。 「よく言った越野! そうだ、ここからだ。あと5分、お前達の全てを賭けて絶対に勝つんだ!」 「――はい!」 仙道も、ニコ、と笑い――、いままで一度も率先してやらなかった「体育会系」じみたこと――円陣を組んで、キャプテンらしく声をあげる。 「さあ、こっからが勝負だ! 陵南ーーー!!」 「ファイオーー!!」 その気合いに会場が「おおお」とどよめく。 「すげええ、陵南!」 「すごい気合いだ……!!」 海南陣営もあまり見慣れない陵南の姿に思わず陵南ベンチを注視していた。 「すげえ気合いだ……さすが仙道さん……」 「あはは、あの仙道が熱くなってるなんて、良いもの見ちゃったな」 「って、笑い事じゃないっすよ神さん!」 突っ込んだ清田に、ふ、と神は微笑んでから表情を引き締める。 うむ、と高頭も厳しい顔で頷いた。 「ここからが本当の勝負だ。いつも通り、王者・海南の底力を見せてこい!」 「――おう!」 海南メンバーが力強く返事をしたところで、オフィシャルテーブルズがインターバル終了を告げ、選手達はコートへと向かう。 「それでは、これより5分間の延長戦を行います――」 追い上げムードの海南だったとはいえ、越野が戻ってくれば前のようにはいかない。 越野が失神前のようなパフォーマンスを出来るかはともかく、高頭は越野が戻ってきたことを踏まえて、とある指示を出していた。 ジャンプボールは海南が勝ち、小菅にまず託されたところで海南オフェンスから延長が始まった。 そうして小菅を除く全ての選手がハイポストで横一直線に並び――おお、と観客がどよめく。 「あれは……ッ!」 「1−4オフェンス!? そうか、ゾーン対策だな!」 フリースローラインに一直線に4人が並んだことにより、全員に対して小菅はワンパスが可能になる。 ディフェンスは、迷いが生じる。どこにパスが通るか。 一瞬、目線を鋭くした小菅は植草が策を巡らす前に勢いよく右端にいた清田へとパスを出し、自分はそのままペネトレイトを試みた。 「スイッチ――ッ!」 抜かれた植草が叫ぶと同時に、海南勢はディフェンスにスクリーンをかけてペイントエリアを空ける。そこで小菅は清田からのリターンを受け取ってそのままレイアップを決めた。 「うおおお、はえええ!」 「先取点は海南だああ!」 「いいぞいいぞ小菅! いいぞいいぞ小菅!!」 越野が戻ってベストメンバーでの延長戦となった陵南に対して海南の先取点が与えたダメージはおそらく大きかっただろう。 少なくとも、応援席で諸星もも感心しつつも渋い顔をしていた。 「試合中、越野が退場する前の陵南は常にアドバンテージを取っていた。対策を取らないとチーム力で劣ると判断した高頭監督の采配だろうな」 「1−4のセットオフェンス……。陵南のトライアングルのほうが難しいことはやってるけど、5分間で限定的に使うには効果的よね……きっと」 「ああ。慣れたころに試合終了だからな。しかも……、わざわざ小菅がポイントを取った。陵南としちゃ、どのサイドプレイヤーを使うかと警戒していたところにコレだ。ディフェンスは益々迷う羽目になる」 いずれにせよ、時間はたったの5分。1ゴールの重みは通常の試合中とは桁違いとなる。 「一本! 一本じっくり!!」 植草は植草で、自分を落ち着けるように指を立ててそう言った。 ここで慌てたら終わりだ。越野が帰ってきた以上、オフェンスはこちらに有利。パスを回して、動いて、30秒フルに使って確実に決めればいい。 海南はゾーンディフェンスだ。中を警戒している。 「植草――ッ!」 15秒を切ったところで、越野が手を挙げて清田が反応した。その一瞬を狙って、植草はローポストの菅平にパスを通した。ハッとした海南が小さいゾーンを敷くも、菅平はシュート体勢と見せかけてサイドにいた仙道にボールを渡した。 「打たすかッ!」 そのまま鋭く切れ込んでいった仙道に田中・鈴木の二人が跳び上がる。すると仙道は跳び上がった体勢でそのままノールックパスをミドルに走り込んできた福田に通した。 「フッキー!」 すぐに反応した神が跳び上がる。が、福田はターンアラウンドでそれを避け――、きっちりと綺麗なジャンプシュートを放って、ワッ、と観客を沸かせた。 「お見事、陵南!!」 「ナイスアシスト、仙道ッ!!!」 強い陵南が帰ってきた。そんな待ちわびたような観客の声援だった。 よし、と諸星もガッツポーズをしても手を叩く。 「よく決めたぞ、福田!」 「福田くんが……ターンからのミドルなんて……!!」 二人とも、彼がミドルレンジを苦手としていることを見知っているため感慨もひとしおだった。 「いいぞォ、福田!」 「福さん、ナイッシュー!!」 ベンチでも田岡が手を叩き、彦一たちが賞賛の声を送った。 そして田岡は思う。本当に良いチームになった、と。 バスケット経験の浅い福田は、なまじオフェンス感覚の才能があったためにインサイドでがむしゃらに攻めることのみに特化した選手だったが、いまでは苦手だったディフェンスを地道に強化して、オフェンスの幅さえ確実に広げた。 越野は持ち前の負けん気で、どうにか一流のシューティングガードに近づこうと切磋琢磨し、今や陵南に欠かせない司令塔の一翼を担ってくれている。菅平はまだまだ魚住には及ばないものの、先輩達に追いつこうと2年ながらに必死にセンターを務め、植草は持ち前のスキルに一段と磨きをかけた。 なにより仙道が勝利への意志を見せ――、厳しい練習を全員が耐え抜いて、いまこの舞台に立っている。 夢ではない。彼らの頑張りが自分をこんな最高の場所へ連れてきてくれ、今なお必死に戦っているのだ。ここは絶対に獲らせてやりたい、とグッと手を握りしめる。 「田岡先輩……!!」 さすがにベストメンバーの陵南は良く練られている、と思わず高頭は陵南ベンチを睨んでいた。 個々では海南が勝っているのは誰の目にも明らかだ。しかし、「天才」仙道を中心にじっくりと時間をかけて陵南というチームを磨いてきた。その田岡の努力は認めてしかるべきだろう。 しかし。海南とて負けはしない。 そうだろう? 神――! と高頭が拳を握りしめたところで、コートでは神がシャッフルカットからのポストプレイを受けてインサイドに切り込んでいた。 「おおおおッ!?」 「神のポストプレイッ!」 そのまま神は福田・菅平をかわしてレイアップを決め、ふ、と息をつく。まさに元インサイドプレイヤーを思わせる、圧巻のプレイだった。 元もと、こっちの方が得意なんだ。成長したのは君たちだけじゃないよ、フッキー、仙道。――そんな思いを過ぎらせつつ、神はコートへ戻る。 「ジンジン……」 「神のヤツ……!」 取られたら取り返す。スリーポイントだけではないと見せつけるようなプレイに仙道は渋い顔ながらも、ふ、と口の端をあげた。 やはり海南はいいチームだ。今も、全員が神にインサイドで点を取らせるという意志を共有していた。 だが、こちらも負けてはいられない。 植草がミドルポストにいた福田にパスを繋いでサイドに抜け、福田が更に越野に回した隙に仙道は逆サイドからインに走り込んで越野からのパスを受けた。 取られたら取り返す。一気にドライブ――、と見せかけてクロスオーバーでかわし、バックドリブルした後にハンドリングで一歩退いてスリーポイントラインの外に出ると、ハッとした顔をしたディフェンダーの神に、ニ、と笑ってみせた。 そうしてそのままひょいとボールを投げあげる。 「仙道のスリーだああ!」 「しかも神の上からッ!!!」 ワッ、と会場が沸いたものの――、神としては内心穏やかではない。 仙道に外があるのは分かっていたのに、ドライブを警戒するあまりに離れて守りすぎた。と自省しつつ切り替えてオフェンスに向かう。 スリーでやられたら、スリーで返す。と思うも、どうやってフリーになるか。陵南は1−4オフェンスの対応にまだ戸惑っているが、仙道だけは自分をフリーにしてくれない。 小菅はボールを鈴木に回し、そこから鈴木がディフェンダーに阻まれながらもシュートを放てば、リバウンド争いが始まる。その瞬間、神はハッとした。ゴール下では田中が菅平とポジション争いをしている。――勝てる、と踏んだ神は自分もリバウンドへ向かうモーションフェイクを入れると、仙道もリバウンドのためにコートを蹴ったのを視認したと同時に一気にゼロ角度のサイドに抜けた。 「田中! 外ッ!」 そうして田中がボールを掴んだのを確認すると、パスをもらい――そのまま邪魔のない状態でボールを高く投げあげた。 「おおおおお、さすが神! すぐにスリーでお返しだあああ!!」 「すげえええ、なんて綺麗なフォームだ……!」 「日本一のシューターは伊達じゃねえッ!」 両キャプテン揃ってのスリーポイントに、会場は海南・陵南コールがせめぎ合って渦のような盛り上がりを見せている。 紳一も、諸星たちも手に汗握るせめぎ合いに食い入るようにコートを見守った。 「神は、本当に良い選手になったな……」 「うん。神くん……本当に努力してたから……」 「だが陵南だって負けてねえはずだぜ……!」 諸星はグッと手すりを握りしめる。その先で、僅かだが仙道が植草にアイコンタクトを取ったのが見えた。これだけ鮮やかに神にしてやられたのだ。内心、仙道としては燃えているに違いない。 ――ああいう時の仙道はとんでもないことをやらかす。何をやるつもりだ? と諸星がゴクリと喉を鳴らす先で、植草は常のようにたっぷりと時間をとってから越野へとボールを回した。 そして植草はペイントエリアへ走り込む。諸星には全く彼らの戦略が読めなかった。フィニッシャーは植草か? しかし、ゴール下には海南が3枚。無茶だろ、と歯を食いしばっていると、植草は敵に囲まれながら遮二無二ゴールに向けてボールを放った。 ああッ! と諸星が悲鳴に近い声をあげたと同時に、やはり植草の無謀なシュートはバックボードにぶち当たり――頭を抱えそうになった諸星はその瞬間にとんでもないものを目にした。 「なッ……!!」 まるでバックボードにあたることを見越していたかのように跳ね返ったボールをインサイドに走り込んできた仙道が空中でキャッチし、そのままリングに叩き込んだのだ。 会場全体が唖然として、アリーナを一瞬の静寂が襲った。刹那――、割れんばかりの喝采が巻き起こる。 「うおおおお、なんだ今の!?」 「信じられん!!」 「アンビリーバブルやああ! 仙道さんッ! 天才ッ!」 さしもの紳一も絶句しており、諸星もまさかこう来るとは全く予想だにしておらず頬を引きつらせた。 「ティ、ティップスラム決めやがった……。そうか、アイツら、あれを最初から狙ってたってわけか……」 呟く諸星の隣でも目を見開いていた。 「す……すごい……」 ダンクシュートは男子の専売特許のようなものだが――あれは見た目以上に難しいはずだ。植草−仙道の絶妙のコンビネーションの成せる技と言ってもいい。 「仙道! 仙道! 仙道! 仙道! 仙道!」 会場は今の一発が効いたのか、唸るような仙道コール一色で染まった。 しかし――。超えてきた修羅場の数の差だろうか。海南は動じず、落ち着いて自分たちのオフェンスできっちりと一本返してみせ、差は開かず、縮まらない。 残り1分5秒に迫ったところで、82−84。海南2点リード。 植草は考えを巡らせた。これまで互いに攻撃をほぼ30秒フルに使ってきたが、あと一分強ではフルに使ってポイントを取ったとしても同点。最後の30秒で守りきっても、更なる再延長が待っているだけだ。――それは避けたい。と、さすがに息切れを感じて、フー、と息を吐いた。 こうなると海南が先取点を取ったのが重くのし掛かってくる。いずれにせよ、攻撃の回数を増やさなくては。せめて、ラスト15秒でも構わない。攻撃の時間が欲しい、と植草はこのターンを早めに終わらせる筋立てをして、スローワーの越野からボールを受け取った。 ここは、とにかく攻めるのみ、とじっくり待たずに切り込んでインサイドの福田・菅平を見やる。海南は、どうあっても一番に仙道を警戒している。だから中が手薄になりやすい、といったん越野に戻したボールのリターンを受け取って、ギリギリのアンダーパスをゴール下の福田に通した。が。 「打たすかあッ!!」 海南の鈴木がシュート体勢に入った福田を全力でブロックにかかり、植草は「リバウンド!」と叫んだ。菅平が必死に田中をスクリーンアウトで封じ、植草は仙道に目配せした。それを見られたのだろう、ハッとしたように小菅が仙道へのパスコースを塞ぐ。 が、目配せはただのフェイクだ。リバウンドをもぎ取った菅平からのパスを受けた植草は、逆ウィングにいた越野へ弾くようにしてパスを通した。 残り48秒――、越野のジャンプシュートが決まって、どうにか陵南は同点に追いついた。 「ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス!」 「オーフェンス! オーフェンス! オーフェンス! オーフェンス!」 互いにラストの1本勝負となり、両陣営が死にものぐるいで声をあげる。 「攻めろーーー、お前らああ!!」 「守れッ! ぜってー守れッ!!」 横で絶叫する紳一と諸星の声を耳に入れつつ、はギュッと手を握りしめた。 残り45秒。同点。守りきって、そしてポイントを取れば陵南の勝ちだ。 「仙道くん……!!」 勝負である以上、両チームとも勝って欲しいなどと都合のいいことは言えない。ただ。ただ――、もう仙道の敗北した姿は見たくない。呆然とする仙道も、苦しさから解放されたような顔をする仙道も、見たくない。 「仙道くん――ッ!!」 陵南は海南オフェンスを機能させまいと死にものぐるいで当たっている。ベンチも後押しして声が枯れるほどに叫び声をあげ――、30秒オーバータイムのカウントダウンが始まったところで、攻め手を欠いた海南はボールを保持していた清田が越野のディフェンスをかわせないままにミドルからジャンプシュートを放った。 「リバンッ!」 そして、ゴール下での熾烈な争いを制したのは――、誰よりも高く跳び上がった仙道だった。 ワッ、と会場が沸き、海南勢は電光石火の速さで自軍のコートに戻った。 残り20秒。さすがに速攻は無理か、と仙道は少しばかり息を荒げながらフロントコートを見やる。 ――これを入れれば、勝ちだ。 ゴク、と仙道は喉を鳴らした。――勝つんだ、絶対に――! 「仙道!」 「仙道さんッ!」 「勝ってくれ、頼むーー!!」 もう、誰にも負けねえ……、と歯を食いしばった仙道の脳裏に、一瞬、ふっ、との背中が過ぎった。 エースの中の、エース。勇ましく敵陣の中へ駆けていく、――あの背中こそが、その証だ。こんな幻でさえ頼もしい。と、なお仙道は前を見据える。 ここにいる誰にも負けられない。負けねぇ、とフロントコートにあがれば海南は神・鈴木のダブルチームで阻んでくる。 植草には小菅がみっちりと付いており、隙をついて越野にボールを渡した仙道はそのまま中に進入して再び越野からボールを受け取った。 残り、10秒を切っている。背中をディフェンスに預けて、考える。押し切ってファウルをもらえるか? いや――、このディフェンスを、かわしてみせる。 かわしてやる。――と、仙道は目線だけでちらりとリングを見やり、ゴールまでの距離を正確にイメージした。そして、数回のドリブルののち思い切りコートを蹴って跳び上がる。 ヘルプに飛んできた清田も含めて3人が完全にゴールへの道をふさぎ――、仙道は空中でくるりと身体を捻ってゴールに背を向けると、まさにブロックを避けるようにしてボールを高く放りあげた。 「――ッ!?」 清田、そして神が目を見開き――、観客席で見ていた紳一も、諸星もこれ以上ないほど目を見開いた。 「あれは……の……!!」 も思わず口元を押さえた。 ブロックを避けて舞い上がったボールはこれ以上ないほどの高い弧を描き――、気持ちのいい音を立ててスパッとリングを貫いた。 まさに、時が止まったような瞬間だった。 裏腹に残り時間だけが過ぎ――、けたたましく試合終了を知らせるブザーが鳴った。 「試合終了――ッ!」 審判の声が静寂のアリーナに響き渡り、息を吹き返したアリーナは観客の悲鳴で染まった。 「うおおおおおお!!!」 「仙道が決めたああああ!!」 「なんだ今のシュート!? ダブルクラッチ!?」 「後ろから投げあげたぞ……!? なんだあれ!」 思わず仙道がシュートを打った瞬間に立ち上がっていた諸星は、ゴクッ、と息を呑んでから腰を下ろした。 「あれは……、ダブルクラッチからの背面スクープは……。俺たちのブロックをかわすために、が中学に入って覚えた……」 一人ごちるように言って、乾ききった唇を無意識に諸星は舐めた。結局――、身長差が仇となって自分たちは叩き落としてしまっていたが。一度も日の目を見ることのなかった技でもある。あれほど鮮やかに決まるものなのか、と、いっそ決勝点の鮮やかさに歓喜するのさえ忘れてしまった。 「仙道ーー!!」 「仙道ーーー!!!」 シュートを放ったあと、呆然としている神たちを色のない表情で見つめていた仙道に走り寄ってきた越野たちが全員で抱きついてきて仙道は床に倒れ込んだ。 仙道の耳に、歓喜に沸くベンチの声が聞こえる。植草や越野たちの肩を叩き労いつつ、どうにか起きあがると、床に突っ伏して泣いているらしき清田の肩に手を置いてなだめるような表情を浮かべている神がいた。 少し眉を寄せて涙を耐えているように見える彼は、視線に気づいたのか清田から離れてこちらに向き直った。 「ッ……せ……」 仙道、と言おうとしたのだろうか? 唇を噛みしめるように結んだ神の頬が少し震えた。涙を耐えているのだと痛いほどに分かる表情だった。 「神……」 「……終わっ、たな……俺たちの……夏」 一歩近づけば、神も一歩近づいてそう言った。おそらく涙を見られたくなかったのだろう。神は互いの健闘を讃えるようにして仙道の肩に額を置き、背中を叩いた。 「……ああ……」 仙道も頷いて神の肩を叩いた。 膨大なフラッシュと拍手が、まるで別世界の出来事のようだった。 ――最後に戦う相手が、神で良かった。 お互い、きっとそう思っているに違いない。 最後に勝てて良かった。自分のバスケット人生でただ一人、畏怖を与えてくれた選手に勝てて――。 「86−84で、陵南の勝ち!」 「ありがとうございました!」 そして整列して審判が陵南の勝利を告げると陵南のベンチ陣が雪崩れ込むようにしてコートに入り、長い戦いを終えた5人を迎えた。 「うおおおお!!! 勝ったんや、勝ったんやあああ!!」 「全国制覇だああああ!!」 「信じられねええ! すげえええ!!」 はしゃぐ生徒達の横で、一番実感がなく呆然としていたのは田岡その人だった。 「監督ーー!!」 「ワイら、やりましたでええ!!」 あれよあれよという間に選手達に取り囲まれて持ち上げられ、田岡の身体は宙を舞った。 「そーれ!」 「陵南! 陵南! 陵南!」 「そーれ!」 その様子を、海南のベンチから高頭はぼんやりと眺めていた。 神奈川では負け知らずの海南とあっても、全国では――何度も何度もこうして歓喜に沸く敵陣を見送ってきたものだ。 この悔しさこそが、常勝・海南の原動力だ。だが――選手たちは本当に素晴らしいプレイをした、と神たちをねぎらってからそっと陵南ベンチへと向かう。 敵陣の勝利を見送る悔しさは同じなれど、今年ばかりはいつもとは違う。 「田岡先輩……」 勝利の胴上げを終えてなお、ぼんやりしている田岡に高頭は声をかけた。 「ん……? 高頭……」 「おめでとうございます。良い試合をさせてもらいました。あなたは本当に、素晴らしいチームを作られた」 手を差し出せば、ハッとしたように田岡は瞬きをしてからその手を取った。 「あ、ああ……。こっちこそ、良い試合をさせてもらった」 「ま、今年の全国制覇は田岡先輩にお譲りしますよ。次は必ず、海南がもらいます」 「む……」 言って、フ、と口の端をあげてから高頭は田岡に背を向けた。 ベンチに戻って後ろを振り返れば、目頭を押さえた田岡が選手達になだめられており「ヤレヤレ」と肩を竦める。 これでついに監督・田岡の名も全国区、か。――ようやくですね、田岡先輩。と浮かべた高頭は、一度頬を緩めてから再び引き締め直した。これで終わりではない。また明日から、新たな戦いの始まりだ。どちらかがバスケット界から身を引くまで、自分たちの戦いは終わることはないだろう。 「……」 諸星は、仙道の決勝点からずっと口元を押さえて頬を震わせているに笑いかけた。 仙道は、きっとわざとやったんだろう、と思う。の得意だった技を、最後に決めてみせた。 全く、敵わねえな、と見守る先でコートでは各校の選手達が整列し、表彰式が始まった。 「高校総体男子バスケットボールの部、優勝――神奈川県代表・陵南高等学校」 並ぶ陵南の選手達の顔は晴れやかだ。植草もはち切れんばかりの笑顔で仙道と共に賞状とトロフィーを受け取っている。 「準優勝――同じく神奈川県代表・海南大附属高等学校」 歴代でもそうそう類を見ない、同県同士の決戦に観客は海南にも惜しみない拍手を贈った。 神も小菅も悔いのない戦いをしたのだろう。晴れやかな表情で前に進み出ていた。 そうして上位入賞校の発表が終わり、各賞の表彰に移る。 「それでは続きまして、最優秀選手賞を発表します――」 アナウンスにかぶせるようにグワッと会場が揺れ――諸星も拳を握りしめた。 「陵南高等学校・仙道彰さん」 瞬間、割れんばかりの喝采と会場全体に仙道コールがわき起こった。 「仙道ーーー!!」 「いいぞーー!」 「凄かったぞーーー!!」 フラッシュが一斉に仙道に向けられ、諸星も、フ、と笑ってからを見やった。 唇を押さえたままボロボロと涙をこぼしているの肩にそっと手を置く。 「お前が見込んだ男は、日本一の選手になったぜ……」 視界がゆがんで、周りがよく見えない。 けれどもはっきりと分かった。MVPカップを手にとって、仙道はどこかホッとしたように、そして嬉しそうに笑った。 日本一の選手――。胸がいっぱいだ。今のこの感情を、どう表して良いのか分からない。とは仙道をみつめた。 ふ、と仙道がこちらを見た気がした。 ああ、泣いていることを笑っているのだろうか? でも、今はただ、喝采を浴びる仙道がそこにいて、ただただ嬉しかった。 |