――大会、最終日。
 アリーナが観客で埋まる。
 特に撮影班は神奈川の地元記者が多数駆けつけ、類を見ない「神奈川同士の決勝」に昂揚していた。
 生放送のTV放映も入り、試合開始が迫ってスタッフ達は機材の最終チェックに入っている。

 海南の選手達は決勝の相手が既に幾度も対戦している陵南であることに少しの安堵感と、神奈川同士という妙な連帯感と、今年こそ優勝しなければという使命感の混ざったある種の特殊な精神状態にいた。
 とはいえ、これは「全国大会」の決勝である。少なくとも「神奈川王者防衛」のかかった県大会決勝のほうがよほどプレッシャーを感じていたことは確かだ。その分、今日は程良く力も抜けたいい精神状態である。
 しかしながら選手達と違って遙かにそわそわしていたのは高頭だ。
「監督……、動きが妙じゃないか?」
「田岡監督との因縁の対決、しかも決勝だからね……。年期が入ってる分、オレたちよりいろいろと思うところもあるんじゃないかな」
 コソコソと話す小菅と神の横で、清田はフーと息を吐きながら愛用のヘアバンドを頭に装着していた。勝手知ったる相手だけに妙に緊張する。
 バサッ、と勢いよく高頭が愛用の扇子を開いた。

「いいか、お前たち。決勝の相手は陵南――こちらの戦力も熟知していて戦いにくい相手ではあるだろう。だが、それは相手も同じだ。いつも通り、海南のバスケットをやってこい。そして今年こそ海南が真の王者になる年だ」
「――おう!」

 陵南の控え室もまたいつもの試合前とは違う雰囲気に包まれていた。
 全国大会の決勝が宿敵・海南。陵南としてはインターハイ出場が決まってトーナメント表が出た瞬間から描いていた青写真通りの展開だ。――準備してきた舞台、ということが全国大会の決勝という未知の存在への不安を和らげてくれていた。
 しかしながら――、メンバー達はそれぞれがチラリとキャプテンの仙道を見て黙する。
 話しかければいつも通り、にこやかに応えてくれる仙道ではあるものの明らかに雰囲気が違う。言うなれば、話しかけにくい。
 ――予選での敗退から仙道が胸に誓っていたことは打倒・海南だったに違いない。
 去年は紳一に破れ、今年は神にも破れた。仙道の意気込みがどれほどのものか計り知れないだけに余計に選手達は圧倒され、また、浮つきそうな精神を落ち着かせ高めてくれる材料ともなっていた。

 一方の諸星、、紳一の3人は両陣営のベンチのちょうど真ん中・最前列に席を確保していた。
 諸星は唐沢が最終戦のTV解説に行っているため3人合わせて席を取ったわけだが――、自分と紳一に挟まれているをチラリと見て、むー、と唇を引く。
……」
 声をかけたと同時にワッと怒声にも似た観客のうなりが諸星の声を掻き消した。両陣営が姿を現したのだ。
 の視線が陵南へ行き、紳一の視線は当然のように海南に向かったのを見て「やっぱりな」と諸星はスクッと立ち上がった。
、席、かわれ」
「え……?」
「お前がこっち。オレが牧の隣に座る」
 え、と瞬きをしたの手を引いてやや強引に席をかわらせ、ドカッと腰を下ろして諸星は腕組みをした。そして不敵な視線を隣の紳一に送る。
「ここはちょうどエネミーラインだからな」
「は……?」
「つーわけで、オレたちで目一杯陵南を応援するぞ!」
 そうしてに視線を送ると、ムッとしたように紳一が絡んでくる。
「なにを言ってるんだお前は、は海南の生徒だぞ。いくら仙道がいるとはいえ――」
 そんな紳一の言葉をみなまで言わせず、諸星は遮る。
「うるせーこの裏切り者が! テメーのプレッシャーのせいでが陵南応援できねえだろーが、バスケ捨てて波に乗ってる軟弱ヤロウのくせしやがって!」
「なんだとッ!?」
「なんだよ!」
 試合前のこのようなやりとりはお約束。とはいえかつてないほど火花を散らして睨み合いつつ、フイッ、とお互いそっぽを向く。
 困惑している様子のを諸星はチラリと横目で見やった。いつもいつも、海南と愛和が試合をするときはは自分と紳一の両方に声援を送りつつもやはり海南の制服を着ていた。それがこのインターハイを通して彼女は一貫して制服を着ていない。ということは、そういうことなのだ。
 紳一の性格上それを面白く思うわけもなく、いろいろ揉めたのだろうということは容易に予想できる。
 それに対戦相手が海南という中で敵チームを応援するのは真面目なにも罪悪感は少なからずあるだろう。
、お前は堂々と仙道を応援してろ。誰に遠慮することはねえ」
「大ちゃん……」
 ニッ、と笑ってみせると、は少しホッとしたような顔をして小さく頷いた。横で苛立っている紳一の気配を感じつつやはり席替えは正解だったと思う。

「それではこれより高校総体バスケットボール選手権、男子決勝の開始に先立ちまして両校の選手および監督の紹介を行います」

 アリーナにアナウンスが響き渡り、会場の緊張感が増した。
 報道席がカメラを構え一斉に視線がベンチ側へと向けられる。

「オフィシャル席に向かって左側、白のユニフォーム・海南大附属高校スターティングファイブを紹介します。4番――神宗一郎さん」

 ワッ、と会場が沸き、「常勝」の垂れ幕を下げる海南陣営のいつもより大きなキャプテンコールに彩られながら神はベンチメンバーとタッチをし、審判と握手を交わしてから陵南ベンチの田岡とも握手をして頭をさげた。
 そうして一人でコート中央に向かう神にも諸星も拍手を贈る。一斉にフラッシュがコートに一人佇む神に向けられ、諸星も感心したように頷いた。

「神もすっかり海南のキャプテンらしくなったな……。あれが本来の海南の姿だな。まさに」
「オイ……!」

 紳一は歴代の中でも特殊なタイプだっただけに素直な諸星の感想だったが、すかさず紳一は突っ込みつつ次いで出てきた小菅や清田たちの姿を見守った。みな決勝の舞台は2回目で相手が陵南という見知ったチームのためかガチガチでもなくいい顔をしている。

「このチームの指揮を執りますのは、高頭力コーチです」

 そうして高頭が会場に頭を下げて、アナウンスは陵南サイドへと移る。

「続きましてオフィシャル席に向かって右側、青のユニフォーム・陵南高校スターティングファイブを紹介します。4番――仙道彰さん」

 瞬間――、会場はまさに県大会決勝を彷彿とさせるような割れんばかりの声援に包まれた。

「仙道ーー!!!」
「仙道さああああん!!」
「今日も期待してるぞ、頑張れよーー!!」

 さしもの諸星も「おお」とおののく。

「すげえ人気……。国体の時も凄かったが、パワーアップしてんな」

 その視線の先の仙道は、諸星自身が対戦した国体の準決勝の時よりも数倍引き締まった表情をしていた。
 審判と握手をした仙道は最後に高頭の元へ行き、手を取って頭を下げる。

「よろしくお願いします」

 視線を受けた高頭はいつもの仙道らしからぬ並々ならぬ気迫を感じた。これは――仙道だけにより警戒してかからないと、と気を引き締め直す中で、植草、越野と順々に選手達が紹介され高頭にとってはもっとも気合いのこもる一瞬がやってきた。

「このチームの指揮を執りますのは、田岡茂一コーチです」

 アナウンスが響いて陵南陣営がワッと沸き、田岡がやや緊張気味に丁寧に頭をさげる。
 が――田岡先輩、緊張してるな。などと見やる高頭に挨拶をし終えた後の田岡がギロリと強い視線を送ってきた。
 それが合図となり、ツカツカと二人は歩み寄ってオフィシャル席の前でガシッと手をつかみ合った。

「よろしくお願いします、田岡先輩」
「ああ。だが、今日こそオレが勝つ」

 思い出すだけで気の遠くなりそうな25年ほどのライバル関係。このような睨み合いは既に慣れたものだが、全国大会の決勝で互いに戦えるというのは田岡にしても高頭にしても格別に感慨深い。
 もしや今日は選手達ではなく、自分たちの長きに渡る戦いの最終ラウンドなのでは? という錯覚さえ覚えてくる。
 そんな二人の様子に会場はどよっとどよめき、ワケを知っている両チームのベンチもコート上の選手達も苦笑いを浮かべるしかなかった。

「監督たち気合い十分っすねやっぱり」
「因縁の対決だからな」

 リラックスした様子でそんなことを言っている目の前の神や清田に仙道は少々出鼻を挫かれていた。絶対に負けられん。――そんな思いで自分は臨んだというのに。だが神らしいといえば神らしい、が。それにしても、と少し目線を鋭くしていると観客席から大声が割って入ってきた。

「仙道ーー!! 今日こそ海南に勝てよ! ぜってーだぞ!」
「神! 清田! 頼んだぞ!!」

 う、とその場にいた全員が言葉を詰まらせた。
 見るまでもなく諸星と紳一の声だ。自然とみな声のした方を向き――神は腰に手を当てて苦笑いを浮かべた。
「諸星さんは陵南サイドか……。ちゃんも陵南側みたいだね、1対2だよ牧さん」
「え、なんでさんが陵南サイドなんすか……!?」
 清田が大げさに頭を抱える横で神はさらりとそんな風に言い、仙道も応援席を見やった。エキサイトしている二人の隣で気まずげにしていると目が合うと、ふ、と彼女は小さく笑ってくれた。
「牧さーーん! この清田信長にばっちり任せておいてください! 必ず海南を優勝に導きます!」
 清田の叫びを聞きつつ仙道は少しホッとした。ガチガチだった緊張が少し緩んだと言ってもいい。なぜだろう? 今日は彼女が自分を応援してくれているからか、それとも――神があまり彼女を気にしてない様子だからか。
「ま、どのみち下手なプレイはできないな。あの3人に見張られてたんじゃな」
「そっすね」
 ぼんやりと考えるそばで神がそんなことを言っていて、仙道はハッと意識を戻した。
 そうだ。神の言うとおりだ。――今日が最初で最後のチャンス。ここで今日、勝てなければ自分はただの大馬鹿者になるだけだ。「頑張ったから、それでいい」とはきっと言えない。諸星にも、にも、そして自分のバスケットに捧げた今までの人生に対してすらけじめの一つもつけられない情けない男で終わるだろう。
 今日で自分の一つの人生が終わる。その最後の舞台で対戦相手が海南大附属、神宗一郎。自分がもっとも畏れた男が相手だ。――これ以上の舞台はきっとない。
「……神……」
 試合時間が迫り、ふと仙道は口を開いて神を呼んだ。ん? といつものように神がこちらに視線を向ける。
「これが、オレたちの最後の試合だ」
「最後……?」
 呟いた神がハッとする。察しのいい神のことだ。今日で自分が引退を決めていることを悟ったのだろう。
「オレは、お前にはぜったい負けん。今日こそな」
「仙道……」
 少し目を見開いた神は、なぜか口元を嬉しそうに緩めて瞳を閉じた。そうして目を開けた次には、いつもの引き締まった「海南の部長」の顔をして手を差し出してきた。
「ああ。――いい試合にしよう」
 仙道も、ふ、と口元を緩めてその手を取り握手を交わした。

 ――試合開始の火ぶたが切って落とされる。
 まさに最後の激戦が、いま始まろうとしていた。


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