陵南のメンバーは準決勝の第2試合が終わるとすぐに宿に引き上げて、借りていた近くの中学の体育館に最後の確認のため向かった。
 明日に疲れを残さないために軽めの練習という指示が下り、短い時間の中で選手達は集中してフォーメーションの確認及びシュートの確認を済ませた。
 既に準決勝を勝ち上がったことは頭から消え、明日の決勝戦――海南に勝つことだけしか彼らの頭にはない。

「ナイッシュー! 福さん絶好調!」

 絶妙なバックロールターンからミドルシュートを決めた福田に彦一は声を弾ませた。そうしながらも、自身の心臓さえバクバクしている。陵南に入学した時から天才・仙道のいる陵南はいつか全国制覇をする、などと根拠もなく自信たっぷりに思っていたが、いざ眼前にそれが迫ると、これが現実なのか夢なのかどうにも実感が沸かない。
 そうしてハッとする。すっかり惚けてしまっていたからだ。いつもはぼんやりしていたら真っ先に怒鳴ってくる越野ですら今は自身の練習に集中しすぎていて声すらかけてこない。
 あかんあかん、と首を振って彦一もシュートに向かった。そうしてチラリと仙道を見やる。
「仙道さん……」
 陵南には仙道がいるのだ。だから絶対、明日は勝てるはず。精一杯、自分も応援しよう。と強く頷いた。

 そうしてゆっくりと大浴場で疲れを取り夕食を済ませると、選手達は各々でゆっくりと明日に備えて休息を取っていた。
 3年レギュラーの3人部屋では例によって植草がお茶を入れ、それぞれ湯飲みを手にとってくつろぎつつも全員が神妙な表情を浮かべている。
「決勝は海南、か……。リベンジするチャンスだな。今度こそオレたちが勝ってやるぜ」
 グッと湯飲みを握りしめる越野に福田も植草も小さく呟いた。それに、と植草は続ける。
「博多商が相手だったとしたら勝手が分からなかったもんな。海南は、お互い様とは言え勝手は知ってる。でも……海南は辛勝だったし良いチームだったよな、博多は」
「ああ、博多の2番は強かったぜ。清田も良く守ってたが……博多は高さに分があったからな」
 博多商大附属は長身のシューティングガードを中心に全体的に高さのあるチームだったが、清田が持ち前の運動能力で良く守り、時おり上からのシュートは許していたものの離されない程度には守りきっていた。そして速攻ではきっちり清田が走ってポイントを取り、うまく小菅がゲームをコントロールしてオフェンスをイン・アウトと的確に分散し最終的には海南が振り切った。
 突出したエースを中心とした博多に対し、海南は総合力で競り勝った結果となり実に海南らしいバスケットだったと言っていい。
 しかしながら博多の2番が健闘していたことも事実であり、福田はチラリと越野を見やった。
「外からも点が取れてスラッシャーもいける。ボールも運べるポジション。……シューティングガードは花形のはずだが……」
 そうして、ハァ、とため息を吐いたものだから、越野のコメカミがピクッ、とヒクつく。
「何が言いたいんだ、ああッ!?」
「ま、まあまあ。ウチはフォワードがしっかりしてるから、越野が切れ込んでいく必要はないし……」
 フォローなのか何なのかよく分からないフォローを植草がしてくれ、フン、と越野は腕を組んだ。
 この手の話をし出したらキリがなくなるため、グッと言い返すのを堪えたが。しかし――、と越野は思う。2番というポジションには多彩な選手がいるとはいえ、最低限求められるのは「速さ」だ。この点、あまりオフェンスに絡まない海南の清田ですら群を抜いている。さらにディフェンシブな彼は立派にポジションとして自分の2番としての地位を確立してるのだ。
 とはいえ。多彩な選手がいれど、やはり理想的なシューティングガードとは。速さ、シュートレンジの広さ、ドリブルの上手さ、圧倒的なオフェンス力。1−3番まで補助できるリーダーシップをも兼ね備えた諸星のような選手が理想的だと言えるだろう。対する自分は、比べるのもおこがましいが、まだまだ。と、最終日を目前にして後ろ向きになりそうな自分に舌打ちしつつ、そう言えば、と越野の脳裏にふとレインボーホールでの光景が蘇った。
「福田……。あの仙道の女はいったい何者なんだ?」
 のことだ。紳一の妹なのだからバスケ関係者だとは想像がつくが、実のところは仙道が口説いていた女、くらいしか知らないうえに興味もない。
 ん、と福田の頬がぴくりと反応する。わずかにイヤそうな表情を浮かべた彼は、ぶすっと置いていた湯飲みを手に取った。
「エースフォワードだった、と聞いた。昔、諸星さん・牧さんと同じチームで」
「は……?」
「まあ、女にしては、強い」
 ズズッ、と緑茶をすすった福田を見て越野は思う。プライドの高い福田がこう言うとは、よほどのことがあったにちがいない。
 へー、と素直に植草が感心したような声を漏らした。
「そういえば国体ではベンチにいたよな、彼女。マネージャーしてたのか」
「……違う。コーチだ。スキルコーチ」
「コーチ――!?」
 見事に植草と越野の声が重なり、コク、と福田は頷いた。
 国体といえば神奈川のそうそうたるメンバーが集っていたはずだ。少なくともレギュラーは圧巻で、やはり前評判通りに全国を制した。
 そんな中で技術コーチ、と越野が若干おののいていると、なるほど、と植草が頷いている。
「そういう彼女だから仙道も張り切ってるのか」
 ぐっ、と越野は言葉を詰まらせてチッ、と舌打ちをした。
 福田はため息を吐いている。それはともかく、となお彼は緑茶に口をつけた。
「もし、牧が継続して海南を見ているとしたら……、お前は特に注意しといたほうがいい」
 チラリと越野は福田から視線をもらい、ハッとした。清田のことを指しているのだろう。
「な、なんだよ、やっぱスパイってことか? あの女」
「それはたぶん違う」
 言葉の少ない福田の意図を察するのは越野には難しい。が、それでも言葉を発しているということはよほどに主張したかったことなのだろう。納得いかないながら、越野は改めて清田を意識した。どちらにせよ、彼も予選の時より成長しているだろうことは間違いない。
 いずれにせよ、となお植草が呟いた。
「海南は個々のレベルが高い。ここ数年は牧さんの存在感が圧倒的だったけど、今年は5人それぞれの平均値が高くまとまった歴代の海南らしいチームになってる。ウチとの最大の違いはそこだな」
 越野は黙する。海南が強いのはよく知っているし、今年の海南は特にバスケットの基本に忠実なお手本のようなチーム作りになっている。悔しいが個々の精度はあちらが上だろう。
 陵南はやはり自分たちがどう足掻いたところで仙道というプレイヤーを中心にしたチームだ。良くも悪くも仙道がいなければ陵南は成り立たない。むろんそれが悪いことだとは思わないが――。
「でも、なんか変な感じもするよな……。あの海南大附属と、明日は優勝をかけての一戦。しかも、神奈川じゃなく全国でだ」
 植草が言って、みな少しばかり黙した。
 海南大附属――、というのは神奈川出身のバスケット経験者ならば誰しもが「王者」と別格に扱う圧倒的な存在だ。それは越野を含め、この場にいる神奈川県民である全員が認めるところである。
 嫉妬とか憧れとか、そういうものを超越した「雲の上の存在」と言ってもいい。そんな相手と、ここ数年は毎年のように県での優勝を競い合い、ついには日本一をかけての一騎打ちだ。
 グッ、と越野もまた湯飲みを握りしめた。
「やっぱ、仙道だよな……。なんでアイツ、ウチに来たんだか……。明らかに場違いだったよな、入部当初」
「まあな……」
 少し唇を尖らせて言ってみると、植草も苦笑いを漏らした。
 仙道彰――、魚住が3年になる年を見据えて全国出場を果たすために田岡がスカウトしてきたらしい。「天才」だと、入部当初は先輩らが騒いでいたのをよく覚えている。
 東京の出身で、確かに「東京に凄いヤツがいる」という噂は耳にしたことはあったが、誰もその実体は知らず。初対面での越野たちの印象は「でかいな」くらいのものだった。
 けれども入部早々に中学を卒業したばかりとは思えない、いや高校生すら凌駕したような彼のプレイに誰しもが圧倒された。
 天才とはこういうものか、と。持って生まれた才能そのものが違うのだと壁を感じる一方で、当の本人は全く天才ぶらずにむしろどこか抜けていてすぐに周りに馴染んでいた。けれども掴み所がなくて飄々としていて、でも気さくで「良いヤツ」。そんな「天才」の天才ぶりを日常的に見せ付けられ、自分たちとはどうあっても違うし、自分たちと違うからこそ「天才」仙道さえいれば陵南は安泰だと勝手に思っていた。
 一方で――、ふらっと彼が部活に現れないことも多く、ルーズな性格のせいだと思っていたが案外とそうではなかったのかもしれないと今は思う。
「アイツ……。オレたちとの練習は物足りなかったんじゃねえかなってずっと思ってたんだよな」
 ボソッと越野が呟くと、植草も福田もどこか神妙な表情をした。
 そうして植草が少しだけ肩を竦める。
「仙道、諸星さんがいた時は楽しそうに……真面目にやってたもんな。緑風と合同練習してた時も。国体合宿の時もそうだったらしいし」
 ちらりと植草は同意を求めるように福田に視線を送り、越野はブスッとして机にひじを突いてあごを乗せる。
「ま、それが部活サボっていい理由にはならねーけどな! けど、オレたちにじゃどう足掻いても諸星さんやマイケルみたいにゃ仙道の相手はしてやれねえ。だいたい、あいつがスタメン取れないチームなんて日本に存在しねーだろ。そういうヤツだぜ?」
「そうだよな……。オレたちだったら、海南じゃレギュラーにすらなれたかどうか」
 さらに植草は苦笑いを漏らした。
 仙道は、やはり陵南というチームで力を持てあましていたのだと思う。
 陵南自体は仙道が入ったことで一気に県下のベスト4に躍り出た。とはいえ仙道一人がずば抜けていたところで全国に進めるほど神奈川は甘くはなく、以降の見通しも厳しいまま。それでも彼はいつも飄々として愚痴一つこぼさず、けれども彼なりにチームを何とかしようとしたのだろう。典型的なフォワードだった彼は、自分の力よりもチームの力を活かすことを最優先にしてアシストを多用するようになり、プレイスタイルを変えた。
 それは全て、彼なりに陵南を勝利に導くためだったのかもしれない。けれども、自分たちはそんな「天才」仙道の頼もしさに益々依存していくだけに終わった。それが去年の予選敗退という結果に繋がってしまったのだろう。
 仙道がどれほど天才なのか、どれほど才能を持ったバスケット選手なのか、誰よりも知っているのは自分たち陵南の選手だ。だというのに、そんな彼は未だに無冠の帝王である。
 陵南の誰もが彼は全国トップを誇る選手だと知りながら――最後の大会でさえ神奈川ナンバー1の座を獲らせてやることさえ出来なかった。
 海南の神に目の前でMVPを獲られ、おそらくは悔しかったに違いない仙道の背中を思い出して越野は言った。
「ここまで来れたことは、やっぱ仙道のおかげだ。仙道がいてこその陵南だ。オレはやっぱ、アイツを勝たせてやりてえ! この陵南で、アイツを勝たせてーんだ!」
 机についた拳を握りしめて越野が唸るように言うと、植草も福田も小さく頷いた。
 明日がその最後のチャンスになる。このメンバーで優勝を飾って、自分たちと同じチームで良かった、と、仙道にも心からそう感じて欲しい。決して本音を語らない彼だからこそ、この陵南で無冠のまま終わらせるのはあまりに忍びない。
 ――強くそう思ったところで、プイッ、と越野はそっぽを向いてしかめっ面をする。
「まあ、仙道本人は彼女のために頑張ってるだけかもしんねーけどな」
 不満げな声を受けて植草は小さく笑い声をたてた。
「いいんじゃない。例えそうでも、好きなこのために頑張るなんて仙道も意外と普通なんだってことでさ」
「結果が伴ってれば、なんでもいい」
 横で福田がボソッと呟き、チッ、と越野は舌を打った。
 仙道の本心なんて考えたところで分かるわけがない。だが、仙道がいつも黙ってチームを背負ってくれていたことは知っている。イヤな顔一つせず、誰も責めず、泣き言も言わずに。
 もしも彼が傲慢なだけのワンマンプレイヤーだったとしたら、そんなことはしなかっただろう。
 仙道がいたから、県下ベスト4常連の強豪になれた。仙道がいたから、インターハイに出られた。仙道がいたから――インターハイという夢のような大舞台で決勝まで来られたのだ。
 陵南にやってきた「天才」を無冠のままで終わらせたくない。それはみなの心にあるものだ。
 静かに、だが力強く決意を秘めた瞳で越野は植草と福田を見やる。二人もまた同じようにその視線に応えた。

「明日……、絶対、勝ってやろうぜ」
「おう」
「おう」

 その頃、監督である田岡は一人部屋で黙々と明日の対策を考えていた。
 明日の対戦相手が海南であることは、陵南にとってはプラスとみていい。むろん、博多商が出てきたら出てきたで仕方のないことではあったが――「全国大会の決勝」という想像を絶する舞台に対し、下手すれば監督である自分が一番緊張していると冷静に自分を見つめていて思う。
 海南は去年、同じ決勝の舞台にキャプテンの神をはじめガードの清田がスタメンとして出ている。この「経験」の差は思いの外大きいはずだ。
 陵南は全てが初体験。そんな中で、「神奈川同士」というカードは「初体験」の緊張を緩和してくれるいい材料になる。
 選手に言うべきことは決まっている。――神奈川での決勝戦のリベンジだと思え、と。
 優勝して全国一など気負う必要はない。ずっと負け続けてきた海南にこうして最後に挑むチャンスが与えられた。そう考えればいいのだ。選手達にしても、リベンジの意志をパワーに変えられる。
 逆に海南は、最後の最後で陵南に挑まれるという境遇をプレッシャーに感じてくれるとありがたいのだが。と思う田岡の脳裏に、ポン、と宿敵・高頭の姿が浮かんで低く唸る。
 自分の現役時代の青春は、忌々しいことに常に高頭の存在があった。
 一学年下の彼とのシーソーゲームに未だ決着が付かないまま、彼は栄光の監督生活を送り、自分はまだ一度も彼に勝てていない。
 だが――自分は最高のチャンスを掴めたと感じている。なぜなら自分の人生において、もう二度と現れはしないだろうと目したほど惚れ込んだ素材であった仙道が陵南に来てくれたからだ。
 「生徒」としては手の焼ける劣等生でもあったが、彼のバスケットの才能は本物だ。そしてその仙道が3年となり、福田や越野たちをはじめ陵南バスケ部はそんな仙道を中心に驚くほど力をつけて最高のチームが出来上がった。
 みな、厳しいしごきによく耐えてついてきてくれた。
 今度こそウチがナンバー1になっていいはずだ。――と、田岡はもう一度はじめから今日の海南・博多戦のビデオを再生して目線を鋭くした。


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