8月初日――。
 陵南の選手達はいよいよインターハイに乗り込むために、早朝から張り切って藤沢駅前に集合していた。
 が――。
「フッキー! 仙道!」
 やはり目的地が同じなだけに、こうなるのか。と見知った呼び声に振り向いた仙道と福田の視線の先にはゾロゾロと海南のジャージを着込んだ集団がおり、にこにこと常と変わらない神に仙道も笑みで返した。
「よう、神。お前達も今からか?」
「うん。調子はどう?」
「そこそこかな」
 しかし、いつもと変わらない神と内心闘争心を燃やす陵南陣営とは裏腹に、あからさまに火花を散らしていたのは最年長の二人だった。
「おはようございます、田岡先輩」
「おう。今日も顔でかいな、高頭」
「インターハイでも我々が勝たせてもらいますよ」
「こっちも予選の時とは違うぜ、高頭よ。首を洗って決勝で待っているんだな」
「フッ……そこまで残っていることを私も祈っていますよ」
 眼前で意地の張り合いを始めた監督陣に、神と仙道は互いに顔を見合わせあい、数秒の間を置いて笑い始める。
「相変わらずだな、監督たち」
「そうだな。けど……オレたちだって今度は負けねえぜ」
「うん。決勝はオレたち神奈川対決になるといいよな」
 そうして話し始めれば、やはりあっという間に元の二人に戻り――、そんな二人をそばで見つめて「二人ともカッコイイ……」と相も変わらず清田が拳を握りしめて震える。
「せ、仙道さん……! オレ、ぜったい勝ち上がりますから! 決勝でまた仙道さんたちとやれるよう頑張ります!!」
「ははは、まいったな。王者にこう言われちゃオレたちも負けられねえよな」
 仙道が答えると、陵南のメンバーも口々に頷いた。
「せやせや、決勝は神奈川対決や!」
「全国にオレたちの力を見せてやろーぜ!!!」
 予選と違い、相手が対全国になれば同県同士は妙な連帯感が生まれるのも常で、そのまま海南と陵南は揃って電車に乗り込み、会場である名古屋を目指すこととなった。

 一方、牧家でもインターハイ観戦に繰り出すべく朝から準備が進められていた。
 張り切って自身の外車を洗車する紳一とは裏腹に、は一人クローゼットを広げてジッと海南の制服を見つめていた。
 いつも、試合を観戦に行くときには着ていた海南の制服であるが――今回ばかりは「個」を優先すると決めた。例え紳一の怒りに触れたとしても、仕方がない。
 ふ、と息をはいてクローゼットを閉じる。そうして荷物を持って下に降りると、叔母が大量の手みやげを手渡してきた。
「私も一緒に行きたいんだけど……。お盆には行くからって伝えておいてちょうだいね」
 うん、と頷いて大荷物を手に外へ出て車に積む
 インターハイの会場は今年は名古屋ということで、達は愛知に帰省ついでに見に行くことを決めた。達の育った場所――つまり祖父母の家から名古屋の会場までは少々距離があるため、紳一が張り切って車で出向くことを決めたのだ。
 紳一にしても高校時代は部活に追われていたため、ゆっくりと愛知に帰省するのは久々のことである。
「しかし、会場が名古屋とは……暑いだろうな」
「そうね……。ほんと暑かったよね……愛知の夏……」
 それぞれ思いを馳せながら車に乗り込み、古巣に向けて出発する。高速に乗れば3時間ちょっとで目的地に到着だ。
「メイン会場はレインボーホールだったか……」
「うん。今ごろ開会式やってる時間かな……。ちょっと羨ましい」
「お前、結局、中高の6年間はずっとなんの部活動もやらなかったが……良かったのか?」
「うん。いいの。みんながバスケ頑張ってるところを見られたし……それに、国体は出られたから」
 コーチとしてだけど、と微笑みつつは少しだけ窓を開いて風を受けた。
 インターハイに出られるチャンスは、どんなに優秀な生徒でも3回きりだ。今日が初めての陵南の選手も、数回目となる海南の選手達も、それぞれ気持ちを高めて開会式に臨んでいるだろう。
 ちゃんと女子部でバスケットを続けていれば、自分も彼らと、そして諸星や紳一と同じ舞台に立てていたのかもしれないが――。やっぱり、その「選ばなかった道」は自分には想像すら出来ない。

 祖父母宅に着けば、まだまだ元気な祖父母から熱烈な歓迎を受け、食べきれないほどの量のお菓子を並べられて昔話に花を咲かせ――は久々に自分が中学二年まで使っていた部屋のクローゼットの扉をあけてみた。
「あれ……」
 その奥にあったバスケットボールを手に取ると、いまなお空気が抜けずにいては少しだけ目を見開いた。
 よほど状態が良かったのか、それとも祖父か祖母が定期的に空気を入れてくれていたのか――、ふ、と僅かに微笑む。
「ちょっと、でかけてくるね」
 居間にいた祖母に声をかけて、はバスケットボールを抱えたまま家を出た。ほんのり茜色の空間が眼前に広がり、目の前の路地を抜けて、また抜ければ、人生のほとんどの時間を費やした公園が見えてきた。
 住宅地の中に隠れるようにしてある小さな公園には、少しだけ古くなったバスケットゴールが相変わらずあって、ホッとは息を吐いた。
 ここに来るのは、4年ぶりだ。バスケットを止めた日から、一度たりともここへ足を向けることはなかった。
 トン、トン、とは手に持っていたバスケットボールをついた。
 もう正確には覚えていない。自分と紳一と、諸星と。いったい誰がはじめにバスケットをやろうと言い始めたのだろう? 小さな身体で、あのゴールは高くて高くて――このボールさえも大きくて、最初はドリブルくらいしかやれることがなくて。
 でもはっきり覚えている。一番最初にシュートを決めたのは、自分だった。と、駆けだしてはふわりと跳び上がり、ゴール下からジャンプシュートを決めた。

「ナイッシュー!」

 すると、まるで思い出の中のように懐かしい声があがって――ハッとしては声がした方を振り返った。
「だ……大ちゃん……!?」
 視界に、バスケットボールを抱えて微笑んでいる諸星が映り、はこれ以上ないほど目を見開いた。
「大ちゃん……どうして……」
「インターハイ観戦! 正確にはスカウト目的の監督について来たんだが……ちょっと許可もらって今日だけ実家に戻ってきたんだ。お前もか?」
 ははは、と笑う諸星には頷きながら口元を手で覆った。この場で諸星に会うのは、あの晩夏の夕暮れ以来だ。
 諸星も、いつもの底抜けに明るい笑顔ではなく、どこか感傷を湛えたような笑みを浮かべている。
「変わってねえよな、ここ。ちょっとゴールは古ぼけてきたか? ま、オレたちがいたころは毎日毎日オレたちが使ってたからなー」
「小さい頃は、ゴールが高かったよね。仕方ないからドリブルばっかりしてたっけ」
「オレたちがドリブルうまいのそのおかげだよな、たぶん」
 はははは、と諸星も手に持っていたバスケットボールを突きながら笑う。そうして諸星がリングを睨みあげたところで、おお、と後ろから声がかかった。
「諸星……!? も……なにやってんだお前ら?」
 二人して振り返ると、驚いた顔の紳一が立っており、二人して声を揃えあう。
「お兄ちゃん!」
「牧……!」
 驚いた様子の紳一を見つつ、はパッと笑った。
「これでみんな揃ったね! ――大ちゃん、バスケやろうよ、3人で!」
 見上げた諸星は形のいい二重の瞳を大きく見開いて、それから頬を緩めて口の端を引き上げる。
「よォし! やるか! おい牧、ぼけっとしてねえでこっち来いよ」
「おいおい、本気か?」
「言っとくが、早くも深体大レギュラーのオレとサボり野郎のお前とじゃ既に勝負にはならねえと思うが、ま、手加減してやるよ」
 笑顔で宣言した諸星に、紳一もヤレヤレと肩を竦めつつ笑みを浮かべてコートに入ってくる。

 ――楽しい、とは茜色の空間でオレンジのボールを追いながら感じた。

 この場所で、彼らとまたボールを追って笑っていられる。
 そんな日が来るとは、4年前は想像すらできなかった。決して、過去に蓋をして目をそらしているわけではない。自分はいま、ちゃんと納得して、心から楽しいと思えている。そのことが、ただ、ともすれば泣きたくなるほどに嬉しい。
 笑って汗を拭って見上げた空に――、は仙道の笑顔を浮かべて、ふ、と口元を緩めた。


 翌日。大会二日目。
 シード校の登場は三日目からとなるため、観客席もまばらである。が、そこには異様に人目を引く一団がいた。

「おい、深体大の唐沢監督じゃねえか?」
「おお、愛知の星……! 深体大に進んだってマジだったのか」

 日本一と名高い深体大の監督自らインターハイ一回戦目を観戦とあって周りは騒然としていたが、そんなことはどこふく風で一団は観戦席のコート全体が見渡せるいい位置に陣取る。
「諸星……、今日の陵南とやらは海南と優勝争いをしたチームだったな。確か、お前のイチオシという」
「はい。主将の仙道は元神奈川のエースです。国体で優勝した時の……」
「国体程度で、とは言うもののあの時の神奈川は強烈なチームを用意して当然の優勝だったようだからな。エースが無名選手というのはいささか不可解だが。……で、どの選手だ?」
「あれです、あれ。あのツンツン頭」
 言いながら諸星は出てきた陵南の選手――仙道の特徴的なハリネズミヘアーを指した。
 にしても、とチラリと相手校を見やる。陵南の緒戦相手は岩手の馬宮西高校。去年は海南が緒戦にてダブルスコアで快勝した相手である。
 くじ運の悪い奴らだな、と相手に同情しつつ諸星は少し逸る。仙道の実力に関しては何の心配もしていないが――果たして越野をはじめ他のメンツはちゃんと成長しているのだろうか。
 いっちょ渇でも入れたろうか、と思うものの監督の手前、プルプルと腕を震わせるだけに留めた。

「陵南の緒戦は馬宮西っすからね。今日は楽勝じゃないっすかね」
「うん。あそこに仙道を抑えられる選手はまずいないだろうな」

 今日は試合のない海南も観客席で口を揃えて言い合い、陵南の全国デビューを見守っていた。
「オレ、去年は馬宮西との試合、ほぼフルで出たんだよな」
「すぐ牧さんと代わってたもんな。……まあ、緒戦だし先は長かったからな」
 神と小菅がそんな話をしていると、後ろから監督の高頭も口を挟んできた。
「田岡先輩も悩みどころだろうな。陵南……いや仙道という選手を見せつけたい、が、トーナメントを勝ち上がるには全力疾走を続けてはいられんし、いま、仙道に全力を出させるのはあらゆる意味で得策ではない。しかし、見せつけたい、という」
「なるほど……」
 どこか楽しそうに語る高頭に神が相づちを打ち、横にいた清田はそっと神に耳打ちをした。
「なんか監督、嬉しそうじゃないすか? 妙に機嫌よさそうですし」
「たぶん田岡監督と一緒にインターハイに来られて嬉しいんだよ。なんだかんだ高校時代からの友人みたいだし」
 コソコソと話していると「ん?」と高頭に睨まれて、ハッと二人は押し黙る。すると「あ」と小菅が思いだしたように神の方を向いた。
「そう言えば……、牧さんって来てんのか? 確か牧さん愛知出身だっただろ」
「さあ……。来てるとは思うけど……、少なくともちゃんは来てると思うよ、帰省がてら観戦に行くとか言ってたし」
さん、陵南贔屓っすからぜったいどっかいますよね」
「ははは。そう言うならオレたちもけっこう陵南贔屓だな」
 監督からして。と神は目を皿のようにして会場を見渡す清田を見ながらカラカラと笑った。

 一方、試合前の練習をベンチから見守る田岡は武者震いなのか緊張なのか震えの止まらない状態にあった。
 30余年のバスケ人生の中で、こうしてインターハイに来るのは実に現役の高校生だった頃以来。そうだ、25年ぶりだ――と考えると益々緊張が走る。
「落ち着け、落ち着くんだ茂一……。これはただの始まりにすぎないではないか。まずは深呼吸だ……」
 ブツブツ言っている自分の姿を、練習中の生徒達に見られなかったのは不幸中の幸いだろうか。
 しかし、じっくりと準備をしてきた甲斐もあってかコート上の選手達は実に落ち着いていた。少なくとも、固さは見られない。
 頼もしいチームに成長した、と思う。一年前のチーム発足時はやる気のない仙道やら血の気の多い福田や越野などというまとまりのないチーム、そのうえ自分も目の前でインターハイを逃して気落ちしており危なっかしい状態だったが――よくぞここまで来たものだと思う。
 試合開始3分前を審判からコールされ、田岡は選手達をベンチに集めた。今日のスタメンはいつも通り。
「いいか、お前達。今日がインターハイ制覇への第一歩だ。だが、ウチは無名のチームでもある。いつも通り、負けん気を全力に出してお前達の力を見せてやれ」
「はい!」
 そうしてシャツを脱いで青のユニフォームを露わにした選手たちがコートを見据え、4番をつけた仙道はちらりとみなの方を見た。
「この一戦が全ての始まりだ。――さあ、気合い入れていこうか!」
「おう!」
 ワッ、と溢れる歓声の中、陵南の選手達は心身ともに良い状態でコートに入っていった。

 ――そうして。

「つええええ! 陵南、強い!」
「去年の湘北といい、神奈川いったいどうなってんだ!? 初出場だろ!?」
「やっぱあの仙道ってのはハンパねえ! さすが国体優勝チームのエース!」

 あっという間にワンサイドゲームとなり、観客が度肝を抜かれる中で深体大の一団は冷静にコートを見渡していた。
「うむ……。確かにセンスはずば抜けているようだな」
「でしょ!」
「まあ、相手が弱すぎる。今後を見てみんことにはまだまだわからんが……。今年の神奈川はフォワードが豊富というのは間違いないようだな」
 監督である唐沢の声を耳に入れつつ、緒戦は問題なさそうな陵南の姿に諸星はホッと胸を撫で下ろした。
 既に仙道以下、主力を数人さげて控えを出している。当然だろう。仙道はおろか越野達でさえまだ実力の半分も見せてはいない。

 逆に相手チームの馬宮西の選手達はというと――。
 去年、ほぼ二軍状態だった海南に49−104の大差で破れたことが記憶に新しい最上級生の選手達は、後半残り5分にして既にダブルスコアという状態にほとほと嫌気が差していた。
 神奈川は鬼門だ、と思いつつ終了ブザーと同時にため息を吐き、肩を落とした。

「よっしゃあああ! まずは緒戦突破やーー!!」

 跳び上がって喜ぶベンチ陣を横に、田岡も快勝に強く頷いて手応えを感じていた。
「よし、良くやったぞお前たち!」
 笑顔で選手達を迎え、そして気を引き締め直す。一戦でも負ければ、そこで夏は終わってしまうからだ。
 陵南はメイン会場から徒歩で10分ほどの距離にあるこじんまりとした旅館に宿を取っており、選手達は引き上げて昼食を取ると練習用に借りた近場の中学校の体育館で夕方まで汗を流した。
 そうしてみなで夕食を取り、大浴場に浸かればまるで気分は修学旅行だ。
 部屋割りは選手とマネージャーで生徒は13人。全員和室だったものの上手いこと割り振れずに監督の田岡とキャプテンの仙道のみが一人部屋となっていた。
 が、他の3年生は3人部屋に押しやられており――食事と風呂が済むと越野は無理やり自分たちの部屋に仙道を引っ張り込んで、持ち込んだ研究用のビデオを流し始めた。
「今日は勝ったとはいえ……オレたちのブロックには愛知の名朋やら大阪の豊玉やらがいる。油断はできねえ」
 流れているビデオは去年の国体――、愛知VS神奈川の試合だ。怪物・森重を何とかダブルセンターで押さえ込み、諸星VS仙道の対決も注目を浴びた一戦でもある。
 はぁ、と越野はため息を吐いた。
「やっぱ諸星さんカッケーよな……」
 画面の中では諸星が派手なドライブを決めて会場が沸いており、みな口を揃えて頷きつつ、植草はお茶を入れながら控えめに笑った。
「けど、こういうのってなんか良いよな。オレたち……最後の夏でようやく、だからな。やっぱ明日で終わりとかにはなりたくないよ」
 負ければ終わりという緊張感。だが、日本一への挑戦権を初めて得た高揚感も絶妙に混ざり合い、越野は力強く拳を握りしめる。
「なに言ってんだ植草! オレたちは最終日まで残るぜ、なあ?」
 そして張り切って言い放って仙道に話をふれば、仙道はもはや面白いほどつんつるてんな浴衣姿で伸びをして笑った。
「うんうん。そういや国体の時も、泊まった宿の前が猪苗代で綺麗でさ……。最終日までぜってー残ってやるってみんなで言い合ったんだよな」
 ハァ? と越野は思わず仙道を睨んだ。そんな旅行気分ではなく、あくまで試合を勝ち上がりたいという意味での「残りたい」という話であり越野としては「その通りだ!」等の力強い答えを期待していたのだから肩すかしもいいところだ。が、相手はあの仙道。植草にすすめられた緑茶を「サンキュ」などと言ってすすっている姿を見て期待した自分がバカだったと思い直し、唸りながらコメカミをヒクつかせた。
 フン、と福田も鼻を鳴らす。
「お前が国体で長く残りたかったのは、牧がいたからだろ」
 すると越野のコメカミにさらに青筋が立ち、仙道はきょとんとした後に笑い声をあげた。
「あっはっは。それも一理あるな」
「ウルセー、黙れこの色ボケがッ!」
 終いには越野はそばにあった枕を仙道に投げつけ、「あぶねッ」と仙道がひょいと避けて、福田はさらにため息を吐き植草は苦笑いを漏らしていた。
 相変わらずテレビ画面の中では愛知と神奈川が熱戦を繰り広げており、ふ、と肩を落とした仙道はもう一度緑茶に口を付けてから画面を注視した。
 そして思う。この試合で愛知に勝ち――諸星に勝ったことで、きっと全てが少しずつ変わり始めたのだ。
 ――大ちゃん以上の選手になると思った。そう言ってくれたは、心の中ではずっと諸星が誰にも負けずに勝ち続けることを望んでいた。おそらくは、自分を守るために。そして諸星も、そんな彼女のために勝ち続けると誓いを立てていた。
 けれども――。全てが、あの神奈川VS愛知の試合から変わり始めた。いや、きっと、もっとずっと前から自分たちはこうなる見えない縁で繋がれていたのかもしれない。
 初めて神奈川に来た日、に出会ったあの瞬間から。だってそうだ。もしも自分がを気に入っていなければ、いくらが自分を「大ちゃん以上」の選手だと思ってくれたところで、自分は諸星を超えようなど思いはしなかっただろう。にしても、心の底では大好きな大ちゃんの敗北する姿など望んではいなかった。そんな中でもしも自分が諸星を負かせば、自分は彼女に「敵」として認定されて終わっていたに違いない。
 だけど。もし、そうなっていたとしたら。彼女はきっと過去に捕らわれて蓋をしたまま、二度とバスケットを楽しむことはなかったかもしれない。
 もし、自分たちが出会っていなければ――。そう考えるのは、うぬぼれではないと思いたい。
「福田……」
「ん……?」
「楽しそうだったよな、国体合宿の時のちゃん。覚えてるだろ? ノブナガ君たちの相手をして、はじめて彼女がプレイを見せた時……」
「あ? ああ……そう、だな」
 国体の時、はじめて選手としての彼女を垣間見た。たまにコーチ業を忘れて持ち前のスキルの高さを見せていた時のは、本当にバスケットを楽しんでいたように思う。技術の高さに驚くより、彼女の嬉しそうな姿を見られて嬉しかったものだ。
 だが、あの技術、もしも自分の身体能力で再現できれば。――と浮かべていると、ハァ、と盛大なため息が聞こえた。
 見やると越野が物言いたげな目線を仙道の方に送っており、なんだ、と瞬きするとしかめっ面されて首を振られる。そして、どうでもいいという態度でクイッと彼は視線を上下させた。
「お前……、髪下ろしてるとなんか迫力ねえな」
 ん、と仙道は瞬きをした。風呂上がりゆえか、普段はきっちり立てている髪を指しての感想だろう。そうだな、と植草も同調する。仙道にしても人前で髪を下ろすことは皆無に等しいため、ああ、と目にかかる前髪を摘んでみせる。
「似合わねえ、って彼女にもしょっちゅう突っ込まれんだよな。そんなに変か?」
 瞬間、部屋の空気が凍り――「ん?」と仙道はなおキョトンとした。
「え……、な、なんだ……?」
 見やると越野は僅かに紅潮してプルプル震えており、福田も微妙に震えている。
 え……、と再度呟いた仙道の耳に、ズズッ、と気まずげに植草が緑茶をすする音が無性に大きく響いた。


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