「んー……、やっぱり繋がらない……」 一度そっちに出向きたい、との連絡を入れておこうと仙道のアパートに電話しては繋がらずを繰り返し、は受話器を睨み付けた。 夜中か早朝にかければ繋がるかもしれないが、寝ている可能性が高い時間に電話を入れるのはさすがに気が引ける。 まあ、いいかと肩を竦めた。陵南に行けば確実に会えるが、越野に追い返された手前やはり陵南の門をくぐるのは厳しい。部屋の前で待っていればいいし、土日だったら平日よりははやく切り上げるかもしれない。 土曜は朝から差し入れを作って、夕方に持っていこう。と思い直す。 張り切った叔母が自慢のレシピの中から保存に向くものを丁寧に教えてくれて、いつものガリ勉タイムを叔母との夕飯づくりにチェンジしつつ、「娘と料理ができるなんて!」とひたすら感激している叔母をありがたくも少々頬を引きつらせつつ、土曜がくるとは朝から黙々と作業に取りかかった。 たまに叔母が覗きに来てはにこにこと嬉しそうにの様子を見守っている。 「いつも大君や紳一と泥だらけになってバスケットをしてたが、大君のためにお料理だなんて……やっぱりも女の子ね」 なんかまだ誤解されてる、と煮物の様子を見つつは苦笑いを浮かべた。 「大君が義理の息子になってくれたら、叔母さんも大感激だわ」 「ブッ――!」 危うく噎せそうになるのを寸でのところで耐えて、は表情を凍らせた。なにを言い出すのだろう、我が叔母ながら。 「も毎日美味しい物作って、しっかり支えないといけないわね」 「ちょ、ちょっと叔母さん……」 さすがにとしても突っ込まざるを得ず、くるりと後ろを振り返った。こういうところはさすがに紳一の生みの親である。 「私は、家事は分担派だから!」 「え……?」 本当はそんな問題ではなかったが、取りあえずそう宣言しては再び鍋と向き合った。その後もつらつらと乙女な話を語ってきかせてくれる叔母の声を耳に入れつつ、こんなところで勝手に話題に出されている諸星に申し訳なく感じつつ思う。 叔母の心境には到底なれないが、でも、好きな人のために料理をするのはけっこう楽しい。なんて思ってしまうのは女だからなのか……。 やっぱり自分は変わってしまったと思う。以前は、もしも一つ願いが叶うならば、男の子になって――諸星たちともう一度一緒に同じコートに立ちたい、と強く思っていたというのに。いま、もしも魔法使いが現れて男の子にしてあげると言われたら、きっと躊躇するだろう。男子の身体能力を手に入れて、震えるほど鋭いドライブから思い切りダンクシュートをディフェンスを蹴散らして決める、というのは捨てがたい夢だが。それでも、やっぱり自分は今のままで仙道の隣にいることを選ぶだろうな、と考える頬が熱くなってきてハッとして首を振るう。 黙々と作り続けて、冷まして、詰めて――日も暮れたところでパックに入れた差し入れを背負って出かけようとすると、最後まで「大君によろしく」と勘違いしていた叔母の見送りを受けて家を出る。 そもそもこの時間から諸星の住む世田谷に出向いていたら帰宅が夜になるじゃないか。ヘンだと思わないのだろうか。と感じつつ――どのみち仙道を待っていたら遅くなりそうだから一緒か、と海岸沿いを陵南の方向へ無言で歩いていく。 仙道の部屋へは何度も行ったことがあるが、久々だと緊張するな、とアパートの前まで来てはゴクリと喉を鳴らした。 仙道のアパートはなかなか洒落た作りになっており、2階の部屋への外階段はそれぞれの部屋専用の独立した作りになっているため、住んでいる人間か用事のある人間でなければまずあがってこない。 待っているには最適の場所かもしれない、と階段を登ってインターホンを押してみるもやはり留守で、は一つ息を吐いてから壁にそっと背を付けた。 「仙道くん……」 その頃――、仙道は通常練習を終えて、残ったメンバーと共に追加練習を行っていた。 水分を補給していると、そういえば、とタオルを取りに来た越野が声をかけてくる。 「明日、彦一は来ねえんだっけ?」 「ああ……、なんか大阪に帰るとか言ってたな。大阪府大会の決勝を見てくるとかなんとか」 「明日で出場校の全てが出揃って、週中には組み合わせが決まるだろうな。去年の湘北みたいな強烈なブロックだけは勘弁してもらいたいぜ」 「ま……こればっかは運だからな」 「神頼みでもしとくか? 周りに死ぬほど神社あるぜ」 「ははは。いいかもな、みんなで神社巡りってのも」 本気か冗談か分からない越野の言い分を笑って返し、ドリンクを置いてコートに戻る。 組み合わせ表があがってくれば、また少しは気持ちの持ちようも変わるだろうか? と考えつつ、いつも通り汗を流して日も暮れたところで体育館を後にする。 土日は朝からみっちり練習ができる分、平日より少し夜ははやい。帰ったらすぐ洗濯機を回して少しは雑用を済ませておかねば、と電車組と駅で別れてから仙道は海岸沿いを自分の部屋へと向かった。 街灯がぼんやりと辺りを照らし、じっと天上を眺めていたは、トン、と階段を踏みならす音が響いてハッとして顔をあげた。ドクッ、と痛いほどに音を立てた胸を押さえて、パッと階段の方へ歩み寄る。 「あ……!」 階段を登ってくる仙道の姿がの目に映り――、あまりに想定外だったのか、大げさなほど大げさに目を見開く彼の様子が街灯にうっすら照らし出された。 「、ちゃん……」 色のない声が響いて、は肩に背負っていたバッグのひもをグッと握りしめる。 「お……おかえりなさい」 瞬間、これ以上ないほど見開かれていた仙道の瞳がさらに見開かれ――しばし仙道はその場で固まったのちに、少しだけ薄く笑ったように見えた。 「……ただいま」 声色が優しい。は少しだけホッとする。 仙道の方は――、数秒間フリーズしていた身体を再び動かして、階段を登り始めた。 ――まいったな、と仙道は心内で呟いた。不意打ちにもほどがある。しかも、の姿を目に留めて、飛来した感情は不可解なほどに複雑だったというのに。「おかえり」の一言だけで毒気を抜かれてしまった。やはり、彼女にはかなわないと思う。 「どうしたんだ? 急に」 「ん? ええと……」 たぶん、自分を案じて来てくれたとは分かっているが。自分は別に、彼女から慰めの言葉などは欲していない。それはおそらく、彼女も分かっているだろう。 仙道は鞄からカギを取り出し、鍵穴に差し込みながら思う。やはり、いざ彼女を前にすると気持ちがいくらか和らぐ。それでも、全てが浄化されたわけではない。 いま、部屋に入れるのは、不味いな――と感じつつもを見やる。 「どうする?」 「え……?」 「もしかして、慰めにきてくれた?」 「え……」 「だったらオレ、たぶん今日は帰してやれないぜ」 ピクッとの頬が撓った。今のでおそらくこちらの気持ちも、その意味もは理解したはずだ。 キュッとは唇を結んで僅かばかり逡巡するようなそぶりを見せ、一歩仙道の方に歩み寄った。 「いいよ」 「え……?」 「仙道くんがそうしたいなら、いい」 ぽかん、と仙道は口をあけた。無理をしている風ではない。本当にそう思っているのだろう。まいった……と仙道の方が視線を泳がせた。もしもイヤだと拒否されれば、逆に無理強いしたかもしれないというのに。本当に、敵わない。 ハァ、と一つため息をつくと、は解せないというように一度瞬きをした。 「仙道くん……」 「わりぃ、冗談」 言って、仙道はカギから手を離し、の方に向き直るとそのまま腕を伸ばしての身体を自分の胸に抱き寄せた。 わ、とが不意打ちを受けたような声を出すも、少しだけ強く抱きしめる。 「せ、仙道くん……?」 久々だな。この感触――、と仙道はそっと瞳を閉じた。この前に会ったときに、がこちらを確かめるように抱きしめていた気持ちが良く分かる。やっぱり、会いたかった。こうしてずっと触れたかった。 ――随分と長い間、それも無意識にけっこうな力を込めて抱きしめていたらしく、少しだけが苦しそうな息を漏らして仙道はハッと我に返ると腕を緩めてそっとから身を離す。 「ごめん」 言って、バツの悪いまま自嘲すると、はこちらの心理を読みかねたのか考えあぐねたような表情を浮かべて、えっと、と懸命に口を揺り動かそうとしている。 「その……、い、癒された……?」 ぎこちない声で、仙道はキョトンとする。――にしてみたら、さっきの今で、抱きしめるだけで済んだのか? とでも言いたいのか困惑しているのか。それとも生真面目さゆえか。 不謹慎にも沸いてきたのは笑みで、仙道が声を立てて笑うとの身体がビクッと撓ったのが伝った。 「え……、な、なに……?」 「あっはっは……! ごめんごめん」 笑いをどうにか抑えようと踏ん張りつつあやまって、落ち着いたところでなお困惑気味のに仙道は笑みを向けた。 「いや……、オレ、やっぱちゃんのこと好きだな、って思ってさ」 言えば、え、とは少し目を見開いて、少しだけ頬を染めて目線をそらした。こういう反応もやっぱり可愛いな、などと思っていると、目線をがこちらに戻してきて見上げてくる。 「私も、好き」 「――ッ」 不意打ちを受けたような衝撃だった。――知っているのに。そうだ。そうだよなと緩みそうになった口元を手で隠すようにしていると、の方も少し照れたような笑みを漏らしてから「そうだ」と笑いを変えるような声をあげた。 「今日はね、コレを渡したくて来たの。ホントは事前に何度か電話したんだけど……繋がらなかったから」 言って、は左肩にかけていた大きなトートバッグを下ろして仙道の方へ差しだし、え、と仙道は瞬きをする。 「これ……」 「差し入れ」 「え……?」 「その……、ご飯、ちゃんと食べてるか気になったから……。解凍しておかずにできるものとか、いろいろ……」 語尾がだんだん弱くなっていったのは気恥ずかしさだったのか。受け取ると、バッグの中にはクーラーボックスが入っており、ずっしりと重く、相当量入っていると見受けられて仙道は思わず言葉をなくした。 作って来てくれたということだよな、と悟って、もはやどう気持ちを表していいのか分らず「サンキュ」とだけ呟くと、ニコ、とが笑った。 「じゃ、インターハイ、頑張ってね」 そうして階段を下りようとするをハッとした仙道は反射的に呼び止める。 「ちょっと待って。送ってく」 そうして急いでからの差し入れを部屋に置き、荷物も置くと仙道はと共に再びアパートを出た。 久々に手を繋いで夜道を歩く。海岸線を走る車の音に混じって波音が聞こえる。潮の匂いが鼻を掠めて、海に視線を投げれば暗い海原が広がって――当たり前のことがひどく懐かしく感じた。 「そういえば……、緑風戦の仙道くん、凄かったね」 「え……?」 「あれって監督の策だったの? フォワード一本で攻めてたの」 「あ……ああ」 あれか、と先週末の決勝リーグを浮かべて相づちを打つ。が応援してくれていたから――無意識に張り切っていた、あの一戦。 「中盤で仙道くんが決めたフックシュートがあんまり綺麗だったから……見とれちゃった」 「え……、フック……?」 うん、とが頷いた。嬉しそうな顔が街灯に照らし出されて、声も弾んでいる。 「仙道くん、大きくて……打点も高くて、すごくフォームが綺麗にはっきり見えるから。あんな風に打てたら気持ちいいだろうなぁ、ってちょっとだけ羨ましくなっちゃった」 なおが笑いつつ、少しだけ残念そうな申し訳なさそうな顔色を浮かべた。 「湘北との試合も、見たかったんだけど……」 あ、と仙道も少し眉を寄せる。――海南の方へ行っていたんだろうな、と過ぎらせつつも笑ってみせる。 「あの試合……流川が面白いことやってたぜ」 「え……?」 「ちゃんが国体合宿でオレや牧さんと3on5やってた時に、面白いステップでドライブインしてみせてくれただろ? あれやってた」 チャージング有りでブロックしたけど。とは言わずに言うと、は少し目を見開いて意外そうに瞬きをした。 「そ、そっか……ちょっと見たかったな」 「オレもやり返してみたんだけど……」 「え……!? 決めたの!?」 「バスケットカウントもらった」 さらりと言ってみると、はジッと見上げてきてから、そっか、と噛みしめるように呟いた。 「見たかったな……!」 「自分の技なのに?」 仙道は訊いてみる。自分の得意としているものを相手にやられるのはプライドに触るという人間も多いため、少し意外だったのだ。 すると、は苦笑いを漏らした。 「私は、どんなに技術を尽くしても叩き落とされることの方が多かったから……決まったところ見てみたいし、仙道くんなら何倍も綺麗に決められるはずだし、それに……」 「それに……?」 「光栄、かな。あの流川くんも、仙道くんも私のドライブを参考にしてくれたなんて……」 「でも会場は流川の技だと思ってたぜ?」 言うと、はキョトンとして少し声を漏らしながら笑った。なんだ? と少し解せないでいると、しばらくしては笑みを止める。 「もし私が同じコートに立ってて、自分の上からやり返されたら悔しいだろうけど……。そういうこだわりはあんまりないかな、技は技だし、やっぱり光栄。例えばね、大ちゃんなんか、私の特に得意な技はぜったいに試合ではやらなかった……たぶん出来るはずなのに。それはちょっと寂しかったしね」 必要なかったのかもしれないけど。と続けて、仙道はさすがに諸星らしい、と感じた。仮に必要があっても出来たとしても、諸星はの「エースのプライド」を尊重し続けたのだろう。きっとそれは正しい。だってが拘っていたのはあくまで諸星本人なのだから。 そうだ、いまのはもう吹っ切れた部分もあるし――、自分の強さを人に知らしめたいような自己顕示欲は元から持っていない。 そうか――、と仙道は繋いでいた手に無意識に力を込めていた。 「仙道くん……?」 「ん、いや……」 見たかったのなら、見に来れば良かったのに、と過ぎらせてしまったからだ。海南より自分を優先させていれば見せてやれたのに。と考える自分は、まだ割り切れてはいないのだ。 が誰を応援していても関係ない。――など、やっぱり自分は言えない。誰にも、渡すものか。 と、さらに手に力を込めようとしたところでの方が仙道から手を離した。ハッと顔を上げると、橋の向こうにうっすら赤い駅の建物が見えた。 「もうすぐそこだから、ここまでで大丈夫。送ってくれてありがとう」 笑って背を向けたに、あ、と仙道は反射的に手を伸ばした。この橋の向こうは、海南のエリアだ。行かせたくなくて、そのまま、後ろからを抱きしめる。 「せ、仙道くん……?」 驚いたような声がの口から漏れた。けれど、自分の腕に阻まれて振り返れない。漁船のライトがぼんやりと暗い海を照らしている。少しだけ眉を寄せて仙道は航跡を見つめた。無意識にの腕を辿って指に触れ、自分のそれと絡める。 「ちゃん……」 呟きながらそっと仙道は瞳を閉じた。こうして顔を見なければ、情けない顔をしているだろう自分も見られずに済む。 「頼みが、あんだけど……」 「頼み……?」 キュ、と仙道は腕に力を込めた。 「インターハイは……オレのこと、応援しててくれねえかな」 「え……」 「もし、海南とあたったとしても……神じゃなくて、オレを……」 ピクッ、との身体が撓ったのが伝った。眼前に広がる静かな海原とは裏腹に――やけに遠くの雑踏がうるさく仙道の耳に響いていた。 ――その頃。 夕飯の時間になってもが見あたらないことを怪訝に思った紳一は、母親に声をかけていた。 「のヤツ、遅いな……」 週末だし、珍しく遊びにでも出ているのかと含ませると、ああ、と母親が常と変わらない笑みを浮かべてごく自然に言った。 「は大君のところに行ってるのよ」 「は……?」 諸星? と間の抜けた声を出すと、ええ、と母はなお微笑む。 「、ここ数日お料理頑張ってたでしょう? 大君、一人で大変だからきっと心配してたのね。だから、今日は朝から張り切ってお料理して大君に持っていったわ」 「ちょ……、母さん、諸星は寮住まいだから食事の心配はいらないはずだぞ。それにアイツの寮は部外者立ち入り禁止で――」 そこまで言って、紳一はハッとする。 「あら、そうなの? じゃあ、どこに行ったのかしら……。確かに遅いわね」 あごに手を当てて思案する母親を横目で見つつ、紳一は自身の表情筋が極度に引きつっていくのをリアルに自覚した。――がどこに行ったか、考えるまでもない。 が、考えることを頭が拒否し、紳一は深いため息を吐いた。 |