妹の様子が少しおかしい理由など、あまり知りたくないものだ。 けれどもやはり案じてしまうのは兄に生まれついた性分なのか。 カチャ、と受話器を置いて盛大にため息をついたをソファから見つめ――紳一は読んでいた新聞をパサッとテーブルの上に置いた。 「どうした?」 声をかければビクッ、と大きく背中が撓り、こちらを向いたがふるふると首を振るう。 「なんでもない……」 時おり帰宅したあとの夜にがどこかに電話をかけている場面を何度か見かけたが、いずれも留守だったようで浮かない顔をしているところを見ていた紳一は、紳一なりに心配していた。 「お前、一昨日もその前も似たようなことやってなかったか?」 訊ねれば、は困ったような表情を浮かべたあとに小さく首を振るって「そういえば」と口を開いた。 「大ちゃんも忙しいみたいね。寮住まいだっけ? 寝ても覚めてもバスケットな生活なのかな」 話をそらしたな、と感じた紳一だったが、深く追求することでもないため、そうだな、と相づちを打っておく。 「ま、アイツにとっちゃごく日常のことだろ」 「そうだけど……。でも、寮なら食事の心配とかは平気かな。洗濯物とか」 「子供じゃねえんだし、適当にやるだろ」 そうだけど、と言いつつの気はどこかそぞろだ。これは、諸星のことを考えているわけではないな、と悟った紳一だったがやはり追求は止めておいた。 そのままはため息をつきつつ、リビングを出ていった。 そうして階段を登り、自室へ戻ったは改めてため息を吐いてベッドに腰を下ろした。 「仙道くん……」 仙道に、バスケに集中したい、と言われてからすでに二ヶ月以上が経っている。せめて元気にしているかだけでも知りたくて家に電話をすれど、いっこうに繋がらず――毎日遅くまで練習に励んでいるということなのだろう。 それはそれで、構わない。あまりマメに連絡を取ってくるタイプでもないし、もはや自分のことなど頭から綺麗さっぱり消えている可能性だって否定は出来ない。と、は少しだけ胸に焦燥を募らせた。 仙道がバスケットに情熱を傾けてくれるのは本望だと言うのに――、しかし、自分が好きになったのはむしろバスケットをあまり頑張っていない仙道で……。いや、もちろん仙道が自ら進んでハードな練習をこなしているのなら、喜ばしいことだ。 便りがないのは元気な証拠で、夏になれば試合で今よりもっと凄い仙道が見られるなら本望だ、と思うも――やっぱり会いたいな、と膝を抱えた。 海南は、相変わらずのこれといった変化もない学校生活だ。 大学附属校であるため内部進学を希望する者も多く、三年生となっても他校のように「受験生」というピリピリしたムードはない。 四月下旬の暖かい日、午前の授業を終えたは開いていた教科書をぱたんと閉じた。お昼どうしようかな、などと考えていると同じく昼食に頭を悩ませているらしきクラスメートの声が耳に届き、ふと、とある女生徒が男子生徒の制服の裾を掴んだのが目の端に映った。 「ねえ、今日の帰り鎌倉に寄ってこうよー」 「何だよ、あのでかいホットケーキでも食いたいのか?」 「違うよ、ツツジがいま見頃なんだってー」 なんということはない、ごく普通の日常風景だ。 けれども、は自分でもいっそ驚くほどにその光景に吸い寄せられてしまった。 ピーコックブルーが踊る海南の制服。陵南は、セーラー服と学ランだっけ、と無意識のうちに浮かべてしまう。 仙道も、ああやって女の子に話しかけられたりするんだろうか。マイペースだけど、優しいから、きっといつもニコニコしていて女生徒にも男子生徒にも人気があるんだろうな。と、一度も見たことのない教室での仙道の姿を思い浮かべて少しばかり胸に苦みが走った。と、同時に戸惑ってしまう。 こんなこと、今まで一度も感じたことないというのに。どうかしてる、と首を振るって立ち上がるとそっと教室を出た。 でも、だけど。 陵南の生徒だったら、毎日会えたのにな……などと考えながら、仙道とは連絡を取れないままにいつも通り学校に通い、ある日の放課後にはふとバスケ部の使っている体育館を覗いた。 陵南の生徒だったら、こうして練習を見に行くこともできるのに。いや、むしろ他のスタメンを鍛えてもっと強いチームに――と目線を鋭くしたの瞳に海南レギュラー陣が映る。 「神さん!」 「キャプテン!」 フォーメーションの練習だろうか。周りが声出しをする中、ガード陣がうまいパスマークでディフェンスを切り抜け神にパスを出し、神がインサイドからシュートを決めて思わずは感心しきりに頷いた。 紳一が抜けることで心配された海南だが、これはオーソドックスなバスケットが出来るいいチームになる。そんな予感がした。なにより神が張り切っている様子が見て取れ、結局は最後まで練習を見届け、神のシュート練習にも付き合った。 「――500!」 スリーポイントラインから3メートルは離れた場所から神がボールを放ち、すとんと綺麗にリングに収まって、神はホッとしたような息を吐いた。 去年から既に超ロングレンジを決めていた神だが、安定感が増している。その上、一日の最後の最後、疲れた腕で打った最後のシュートさえ綺麗に決めてしまったのだ。もはや、さすが海南のキャプテン、以外に相応しい言葉が見つからない。 「神くん、すごいな……。あんな距離、私、打ったことない」 「光栄だな。コーチも打てないシュートが打てるなんて」 帰り道、並んで歩いてそんな話をし、神は冗談めかして笑った。 神の、さらりとすごい努力をこなせるところは他人にはきっと真似できないだろう。センターは無理だといわれてフォワードにコンバートし、そしてシューターとしての素質を開花させていまや日本一だ。 ――ある意味、かたくなに諸星に勝つことだけを目標に走り続けて結局は玉砕している自分とは対局にいる人だと思う。成績もいいし、たぶん自分よりよほど頭も良いに違いない、との考えが過ぎったは少々いたたまれなり頬を引きつらせた。 「どうかした?」 「う、ううん、なんでもない」 疑問を寄せてきた神に慌てて首を振るい、思う。一年の頃、まだベンチ入りさえ叶わなかった頃から神はずっと人一倍バスケットに励んでいたな、と。 いつも穏やかで優しいのに、人一倍自分に厳しい。と見上げると、目があった神がニコッと微笑んだ。 「牧さん、元気にしてる?」 「うん。毎日サーフィン三昧。休日は卒業祝いだか入学祝いだかで買ってもらった外車に乗ってどっか行ってる……」 「あはは。さすが牧さん、派手だな」 限りなく大学生活をエンジョイしているらしき紳一の近況を少々苦笑いしながら伝えると、神は軽く笑みを漏らした。 「神くんは……、もうすぐね、予選開始」 「うん、ウチはベスト8からだからまだ時間あるけど……気になるチームもあるから見には行こうと思ってるんだ」 「例えば……?」 「うーん……、下からあがってくるとしたら、緑風、かな。でも、やっぱり一番気になるのは陵南だけど」 「え……」 「仙道は、やっぱり怖いよ。アイツも最後の夏にかけてるだろうしね」 不意に仙道の名が出てきて、ドクッ、との心臓が脈打った。対する神はどこか懐かしそうな顔を浮かべている。 「国体の合宿くらいしか一緒に練習したことはないけど、あのときの仙道って誰よりも集中してやってたんだよな。本人は、オレはそんなガラじゃない、とかって言ってたけど……やる気を出したら一番怖いタイプだ」 「そ、そっか……、神くん、仙道くんと仲良かったっけ」 「うん。オレはそう思ってるけど……仙道はどうかな? ま、でも今は敵同士だしね。牧さんと諸星さんみたいにはなれないかもしれない」 「あの二人は……あんまり敵同士って意識はないと思うよ。たぶん、勝ち負けもあんまり気にしてないと思う」 「みたいだね。でも、オレは仙道には負けたくないよ。たぶん、あっちもそうだろうしね。そうそう……少し前に早朝の浜辺でランニングしてる仙道に会ったんだ」 「え……!?」 「あれ毎日やってるんだろうなぁ……なんて思ったら、やっぱオレたちも負けてられないって身の引き締まる思いがしたな」 なお神が穏やかに笑い、の頬がぴくりと反応する。 「げ、元気だった? 仙道くん」 「? うん。相変わらずだった」 そっか、とは呟いた。神は怪訝そうな表情を一瞬浮かべたものの、ふ、とまた笑みを浮かべる。 「仙道とは同じ学年で、ポジションも被ってるけど、あっちはルーキー時代から天才って言われてて特別だったからな。遠い存在すぎて意識したことはなかったんだけど、今は良いライバルだと思ってるんだ。そんな風に思えるようになったことは、ちょっと嬉しいかな」 おそらく、国体で仙道と一緒にプレイしたことは神にとっては良い刺激になったのだろう。 こうして、神が仙道のことを話してくれるのはなんだか嬉しい。 きっと神の頭の中にいる仙道は、とても気高く崇高な場所に棲んでいるのだろうな、と思う。だって、王者・海南のキャプテンだというのに、彼はどこか挑戦者のようなのだから。でも、この慢心のなさこそが海南の伝統――、やはり、神は紛れもない海南のキャプテンだ。 素敵だな、と素直に思った。 家まで送ってくれた神に手を振って、ふと手を下ろしてからため息を吐く。 「仙道くん……」 予選が始まれば、ベスト8戦まで待てば、会える……けど。 いっそ仙道の望んでいたようにご飯でも作りにいってやろうか。などと一瞬考えてしまい、我ながらおかしさに自嘲した。 だけど――。 朝から晩までバスケットに明け暮れていた自分の14歳までの生活を思い返せば――、仙道の忙しさは理解できる。 しかし、一応は彼氏彼女という関係で三ヶ月近く一切なんの連絡も取れないというのは、果たして普通のことなのか? いまいち分からない、とはゴールデンウィーク直前の学校の教室でしかめっ面をして突っ伏していた。 たぶん、誰に聞いても「普通ではない」という答えになるだろうが、そんなことはどうでもいいのだ。 会えないのは、平気だ。仙道がバスケットを頑張るのは嬉しい。 でも、やっぱり気にはなる。そんなにバスケットに熱中してるなら、どれだけ上手くなっているかという単純な仙道への選手としての興味と、元気にしているかどうか気がかりなのと――。 いや、やっぱりダメだ。気になって気になって仕方がない。このまま二ヶ月近く先のベスト8戦までぐだぐだ考え込んで過ごすのはぜったいに良くない。 「練習、覗くくらいなら……」 いいよね、とは授業が終わるとそのまま駅に向かい、取りあえず藤沢駅に向かった。江ノ電に乗り換えて、陵南高校前を目指す。 江ノ電からいつものジョギングコースをぼんやり見つめ、陵南高校前駅に着いて降車すると、不意に心拍数があがってくる。 駅から出て、すぐ横の坂をあがれば陵南高校だ。 何度か登ったことのある坂。一度目は陵南VS湘北の練習試合観戦、二度目はインターハイ出場が叶わず部活を休みがちだった仙道を案じて、そして――と歩む道。この道を毎日仙道が通っていると思うと、少しくすぐったい気分になる。これはやっぱり、仙道のことが好きだからなんだろうな、と歩いていく突き当たりに校門が見え、さらに登れば校舎が見えてきた。 グラウンドの奥にある体育館が、いつもバスケ部が使用しているものだ。 さすがにインターハイ予選前。グラウンドでは野球部やサッカー部がそれぞれ練習に精を出している。 体育館に近づくと、聞き慣れたボールの音が聞こえてきた。 そうして、今さらながら緊張が全身を走ってはギュッと手を胸の辺りで握りしめた。 3ヶ月近く会ってないせいだろうか、いきなり現れて迷惑だろうか。ちょっと、怖い。なんてこんな思考に入り込む時点で、あまりに不安定だ。勉強でも、バスケットでも、こんな感情は知らなかった、と唇をキュッと結ぶも、そっと見るくらいなら、と開いた扉から中をうかがう。 校舎側の扉の付近には見学している女生徒もいるようだ。セーラー服が視界にいくつか映って――その前を走り抜ける選手たちの姿を目で捉え、の目は自然と見開かれた。 奥のコートでは、おそらく有力選手がオールコートでの5on5、手前のコートでは他の選手が基礎練習をしている。 越野、福田、植草――それに仙道。見知った姿が奥のコートで駆けているのを見て、は目を見張った。 「福田くん……、ディフェンス頑張ってる……!!」 ディフェンスでの福田の動きが向上している。今も必死に越野を抑えようとして……と見ていると越野がディフェンスをかわしてジャンプシュートを決めて、おお、とは感嘆の息を漏らした。 越野がミドルを決めるとは――、もしかして、けっこう陵南も上手くなっているのでは、と逸る気持ちからつい身を乗り出してしまう。 それに、どうやら仙道も元気そうだ。キャプテンらしく声がけしながらコートを駆ける姿を目に留めて、はほっと胸をなで下ろした。 監督の田岡がなにやら仙道を囲むよう指示を出している。仙道に楽をさせるなッ、と声が飛び――仙道は4枚に囲まれて切り抜けようと機を伺っている。 ゾーンをかわすのはちょっと厳しいかな、と見ていると、仙道はクロスオーバーであっさり二人抜き――フェイントとロッカーモーションで他をかいくぐって一気にゴールしたに躍り出て鮮やかなダンクシュートを見せた。と同時に彼らのそばにいた女生徒達が色めき立った。 「ナイスダンクッ! 仙道くんッ!」 にしても思わず叫ばずにはいられないほど鮮やかなプレイで――、女生徒の黄色い歓声に混じって声を弾ませた直後に我に返ってハッとする。 しまった、と思ったときには奥のコートからこちらを向いた仙道と目が合い、目を見開いた仙道には後ずさりした。 「ちゃん……?」 まずい。でも、このまま逃げるのは。と逡巡している間に仙道は扉のそばまで歩いてきて、はごくりと喉を鳴らした。 3ヶ月ぶりに見る仙道――いやでも心拍数があがってくる。 「どうしたんだ……、急に」 「そ、その……仙道くんがどうしてるか気になって……。声、かけるつもりはなかったんだけど……」 言葉がそれ以上続かず、じっと仙道を見やっていると仙道とは別のバッシュの床をこする音がこちらに近づいてきた。かと思えばそれは仙道を押しのけるようにして割って入ってくる。 「なんで海南の女がこんなとこにいんだよ!?」 越野だ。えらく眉をつり上げており、あからさまに不快そうな表情を浮かべている。 「スパイか、お前!? オレたちは夏の予選に向けていま手が放せねえんだ。お前、バスケ部の身内だろッ!?」 「よ、よせ、越野――」 仙道が慌てて止めに入ったが、越野の反応も当然だな、とは唇をキュッと結んだ。無意識に一歩後ずさると仙道が身を乗り出してくる。 「ちゃん……!」 「ごめんなさい、急に来ちゃって。……でも安心した、仙道くん、元気そうで。練習、頑張ってね」 無理矢理に笑みを浮かべて、「じゃあ」と言い残し体育館に背を向ける。後ろで仙道が引き留めたような気配が伝ったが、そのまま小走りで校外に向かう。 「ちゃん!」 「やめろって、仙道!」 を追おうとする仙道を制止して体育館に押し込み、越野はバタンと勢いよく扉を閉めてしまった。 気づけば越野の大声のせいか、全員がぽかんとこちらに注目している。当の越野は気にするそぶりもなく、仙道を睨みあげた。 「仙道、お前……今がどんな時期か分かってんのか? 女にうつつ抜かしてる場合じゃねえだろ!」 一蹴して越野は風を切りながら元のコートの方へ戻り、しばしその背を見送ってから仙道も、ふ、と息を吐いた。 「そうだな……」 は駅の付近まで小走りで駆け、遮断機の音を耳に入れながら肩で息をしていた。 はぁ、と息をついて肩を落とす。 やっぱり行くべきではなかったかな、と。仙道も困惑させてしまったし、越野にも申し訳なかった。 「海南のスパイ、か……」 ふと自身の身に纏う海南の制服を見て、呟く。海南は母校で、海南のバスケ部も大事だが、でも……やはり、自分は陵南のインターハイ進出を望んでいる。 でもそれは、海南より? 神たちよりもか? と考えてしまって首を振るう。いま、そんなことを考えるのはよそう、と踏切を乗り越えて海岸線に出た。 人と付き合うのって難しいな、ととぼとぼ歩きながら俯く。やっぱり親元に帰ろうかな、とつい考えてしまう辺り自分の思考回路は14歳の頃とあまり変わっていないのかもしれない。いっそ紳一が勧めるようにサーフィンでも始めてみようか、などと無理やりに考えてどうにか意識をそらそうとした。 一方の陵南バスケ部では、休憩に入ると部員たちがこぞってヒソヒソと話を始めた。 「なんや仙道さん、ちょっと様子が変なんとちゃいます?」 彦一がこぼせば、福田の色のない目線は越野の方に向いた。 「アイツのせいだ……」 う、と指摘された越野は苦い顔をした。 「なんだよ! オレは別に……」 「牧は、スパイとかそんなんじゃない。仙道のことを、本当に買っている」 福田としては、の想い――陵南をインターハイに行かせたい――ということを知っているためにこぼした言葉だったが、当の越野はそんなことは知らない。 越野の知っているの情報は、海南の牧紳一の妹ということと、仙道が彼女にずっとちょっかいをかけていたということのみだ。 越野としては3年目にして初めてやる気らしいやる気を出している仙道の状態が嬉しく、チームとしてもインターハイ出場のみならず制覇を目標として励んでいる状態で――仙道がなぜ急にやる気を出したかは定かではないが、その理由は「陵南のため」だけであって欲しい、というのが正直なところだ。 間違っても、彼女のため、などと言っているところは聞きたくない。 とはいえ、言い過ぎたかな、と少しばかり後悔が胸を苛む。短気なのは重々承知しているとはいえ、そう簡単には直せないものだ。 部活が終わる頃には越野もだいぶん冷静さを取り戻し、不味かったな、という思いが勝っていた。 ほんの少し気まずいまま、仙道や植草たちと居残り練習をこなし、どっぷり暮れたところで学校を出て、なんとなくみなで揃って歩きつつ駅のそばの分かれ目まで来てようやく越野は仙道に声をかけた。 「仙道……」 「ん……?」 「その……。悪かったな、さっき」 少し目をそらしがちに言えば、仙道は意外そうに目を見開いたのちに小さく首を振るって笑みを浮かべた。 「いや……、オレは謝られる側じゃねえよ」 「だ、だったらお前、伝えとけよ。悪かったって」 ぶすっとして言えば、ははっ、と仙道は笑って「じゃーな」と電車通学組を残して先に行ってしまった。 越野がどうも腑に落ちない、とほっぺたを掻いているころ、仙道はぼんやり漆黒に染まる海を見つめながら自分のアパートへの道を歩いていた。 久々に見たな、の顔。と思い浮かべると自然と眉が寄ってきて、部屋に辿り着いて荷物を置き、大きなため息をつく。 食事を用意するのも億劫だ。レトルトのカレーがあったっけ、などと考えつつ手を洗って洗濯物を洗濯機に放り込む。 この数ヶ月、ずっとこんな生活だ。部屋には寝に帰ってくるだけ。バスケットに身を捧げる生活とはこういうことを言うのだろうか。だとしたら、これを平然とやってのける人間はやっぱり理解できないと思う。 『でも安心した、仙道くん、元気そうで』 最後にに会ったのは、二月の頭だったか――とベッドサイドに近づいて、置いてあった、この部屋にはおよそ似つかわしくないシュシュを手に取った。先日、が忘れていったものだ。よくこれでサイドに髪を束ねてたっけ、と浮かべて自嘲する。 髪、本当に伸びたよな……、とビデオの中の少年のようだったの姿を浮かべる。 ――エース・オブ・エース。それになろうと思ったら、今まで自分が思っていた「覚悟」以上の覚悟が必要だと悟った。 彼女は、天才だ。少なくとも、天才だった。その彼女が、自分を見込んでくれた。選手としての自分を気に入った彼女は、「仙道彰」本人には全く興味を持ってくれずに――そしていま、ようやく好きになってくれた。 そうして自分は、裏腹に彼女の選手としてのすごさを気づかされた。生半可な気持ちではいけない、と思い知らされたのだ。 二年前に一目惚れした時、本気でなかったわけではない。でも、自分の中で本気の度合いが増すにつれて、彼女が見込んでくれた「選手」としても彼女に応えたいと思うようになった。 無意識に諸星に対抗してアウトサイドシュートを強化し、国体では諸星以上のパフォーマンスを演じられたつもりだが、結局はまだ足りない。 彼女と同じ、「天才」と呼ばれているだけで、何かを成し遂げたわけではないのだ。まして、何かに一途に打ち込んだことも――。 そっとシュシュを手にとって、仙道は眉を寄せる。 泣きそうな笑顔だった。越野に責められて、悲痛な顔を向けていた。――初めて彼女を見たとき、あまりに辛そうにバスケをしていて、自分がきっと笑わせてみせる、などと意気込んでいたというのに、その自分こそがあの表情の原因を作ったのだ。 そういえば中学の時、付き合ってた彼女にこう言われて振られたっけ。バスケットばっかり、ちっとも構ってくれない。なにを考えてるのか分からない。本当に私のこと好きなの? と。 はたぶん、本人がそう言っていたように、バスケットに精を出して多忙な事を攻めはしないだろう。 ただ、やっぱり不安にさせたと思う。ただでさえいい加減に見えるらしい自分に、3ヶ月近く連絡も取れずに――。 「てか……、マジで牧さんに殺されるかもしんねえ」 端から見れば、初な少女に手を出したあげくに捨てた男と思われても仕方ない。怒り狂う紳一を想像することで仙道はどうにか苦笑いを漏らした。 まったく逆だ。もしもこれで愛想でも尽かされたら――たぶん、倒れるな。と、めまいがしそうな思いで仙道は自身の額を押さえた。 |