もしも、一つ願いが叶うなら。
 「男の子にしてもらう」と彼女は言った。その言葉の意味する先を、自分はまだ理解できていなかったのかもしれない。
 だってそうだろう。出会った瞬間から、彼女は「女の子」以外の何者でもなかったのだから――。



 国体が終わり、神奈川が沸いたのもつかの間。
 一ヶ月と経たずに冬の選抜・ウィンターカップの予選が始まるため、いつまでも優勝気分に浸ってはいられない。

「お断りします」
「どうしてもか……?」
「勉強がありますから」

 国体後もぜひバスケ部の技術コーチを継続してくれるように高頭から要請を受けたは断固として断っていた。今さらバスケット中心の生活をしたくない、というよりは――バスケ部に入部という形になってしまえば、海南の勝利を第一に考えなければならないからだ。むろん海南の勝利を願ってはいるが、コーチとして責任は持てない。
 協力は惜しまないから選手個人が必要と感じて声をかけてくれれば応じる、と言いつつ、はいつものガリ勉生活に戻った。勉強はある意味バスケへの当てつけで始めたものではあるが、暇つぶしには変わりない。

ー、姉さんから電話よー」
「はーい」
「こんな夜中に電話なんて、本当に不便ね。あっちはいま何時なのかしら? お義兄さんは次はカナダかアメリカに転勤って言ってらしたけど……、そうなったら少しは便利になるのかしらね」

 寝ようと思っていた寸前で叔母に呼ばれ、電話を終えると叔母がそんなことを言っていても肩を竦めた。
 年々便利な世の中になっているとは言え、そう遠くない未来は叔母の言うとおりもっと技術の発展した世界がやってくるのだろうか?
 そんな日常をいつも通りこなしているうちにウィンターカップ予選が始まり――、おおかたの予想通り、決勝へは海南・翔陽が進んだ。
 シード権を得ていなかった湘北は何の因果か早い段階で翔陽とあたり、リベンジされた形となって――見ていたは三井の推薦獲得を心底心配した。
 準決勝で陵南をも敗った翔陽は一気に優勝候補最右翼に躍り出、神奈川の牧・藤真時代の最終決戦というカードを切って、両者ともに現役生活最後の有終の美を飾ることとなった。
 我が母校ながらトーナメント運だけはあるな、と海南を見ていては思った。激戦区にいた翔陽は決勝まで文字通りの激戦続きで消耗も激しかったに違いない。
 スタメン全員が3年生という執念の翔陽VS王者海南の図は大いに観客を沸かせ――、最終的に海南が辛勝するも両者には惜しみない拍手が贈られた。
 互いに持てる力の全てを出し切って戦った藤真と紳一はコートで握手を交わし、3年間の全てがこみ上げたのか藤真は男泣きで紳一と抱き合って互いの健闘を讃え合い、その様子は翌日の新聞で取り立たされる大ニュースにまで発展した。

「花形さん……、東大受けるんだって……。部活しながら凄いよね。文武両道という面では大勝利ね、翔陽は」
「いや、うちのバスケ部もけっこう成績いいぞ。ほら、神とか、宮とか……」

 そんな会話をしつつ、海南はウィンターカップ本番に備えることとなった。
 愛知は愛知で、愛和学院が無事に代表の座をもぎ取り――海南と愛和学院の対決も、文字通りの最終章となる。
 勝った負けたのシーソーゲームを繰り返している両校であるが、果たして。

「諸星さんも、最後のウィンターカップで海南とあたるのは嬉しいだろうな」

 愛知の選抜予選が終了した次の週の土曜――、は湘南の漁港で釣りをする仙道の隣でぼんやり本を眺めていた。
 陵南は週末の練習は半日オフであることも多く、レジャーシートを敷いて釣りに勤しむ仙道の隣で本を読む、というのは最近のお決まりパターンだ。
「そうかな……。陵南とも戦ってみたかったんじゃないかな、大ちゃん」
「それはそれで、牧さんが出られなかったらたぶん凹むと思うぜ、諸星さん」
「んー、確かに……」
 選抜の代表はたったの一校。それこそいっそ「海南枠」とでも呼ぶに値するほど毎年お決まりのように海南が出ている。
 もちろん海南が代表なのは嬉しいが、とは本を支えていた腕をおろして体重を仙道の肩に預けてもたれかかった。すると、目線をこちらに流したのだろうか? 「お」と仙道が少し驚いたような声を漏らした。
「なに、ちゃん。今日は英語の勉強?」
 言われて、は持っていた本に目線を落とした。大学の図書館から借りてきた、英語の論文集である。
「なんとなく読んでただけ……。そろそろ大学で何を勉強するか決めないといけないし」
「てか、なんとなくで読めんの? そんな本」
「うん。英語は問題ないよ。お兄ちゃんもだけど、家庭の事情で……」
 なにせ家庭環境がアレだからな、と海の向こうの両親に思いを馳せていると、仙道は「そういや」とこんなことを切り出した。
「牧さんとちゃんって、イトコ同士だっけ? 兄妹じゃなくて」
「うん。お兄ちゃんのお母さんと私のお母さんが双子の姉妹なの。それに、小さいときから一緒に暮らしてるから、イトコだけど兄妹みたいなものかな」
ちゃんのご両親は……?」
「ん? いまはドバイにいる」
 知ってる? と聞いてみると、仙道は数秒考え込んだのちに「中東のどっかだっけ?」と答えて、そうそう、と笑った。
「ドバイに転勤になる前は、ケープタウンにいて……、私もしばらくいたんだけど、お父さんのドバイ転勤が決まったから、帰国して神奈川に来たの。日本に、というかあの頃は愛知に戻りたくなくて……」
 は少しだけ昔を思い出した。中学二年の終わり頃、逃げるように両親の元に戻ったものの、帰国を余儀なくされて、愛知ではなく神奈川で進学をした。けれども不思議と「昔」のこととして処理できている今の自分に驚きつつ言い下すと、仙道は緩く笑った。
「じゃあ、オレはちゃんの親父さんの転勤に感謝しねえとな」
「え……?」
「だって、日本にいなかったんじゃ、さすがに出会ってねえだろうし」
 言われては少し目を丸める。そう言えばそうだな、と緩く笑いつつ、でも、と肩を落とした。
「お兄ちゃんはケープタウンが気に入ってたから残念がってたなぁ」
「牧さんが?」
「うん。良い波乗り場があるんだって。中3の春休みにあっちに行ってて気に入ったから、高校でもバスケ部引退したらまた行こうと思ってたみたいだし。ウチのお母さんもお兄ちゃんのこと、可愛がってるしね」
 逆に紳一の母はなぜか自分を溺愛しているが。と、叔母の顔を浮かべつつ、は高くなってきた秋の空を仰いだ。父親が情勢の不安定な場所ばかりに赴任していたため、必然的に日本にいることを選んでいたが――、来年あたりまた移動になりそうだと話していたことを思い出して、は仙道から身体を離した。
「お父さんね、来年くらいにまた移動で……今度は北米だろうって言ってた。だから、私、今度は行こうと思ってるの。あっちで進学しようかな、って」
 すると、仙道はギョッとしたように目を見開いて、顔をのほうに向けた。
「えッ!? んじゃ、オレは? オレのこと置いてっちゃうの!?」
「あ……」
 そう言えばそうだ、とは今さらながらハッとした。なにせ進学の話は前々から考えていたことだけに、んー、とあごに手を当てる。
「え、えーと……。せ、仙道くんが私についてくる、ってのはダメ?」
 言ってみると、キョトンとした仙道は「そっか」と納得したように呟いた。
「それもそうだな。うん、いいかもしんねえな……それ」
 果たしてこの人はどこまで本気なのだろう。と、自ら提案したことながら疑心暗鬼になってしまう。とはいえ、北米はバスケットの本場であるし、あながちウソでもないのかもしれない。バスケを続ける続けないにしろ、バスケ選手は興味を惹かれるだろう。
 事実、山王の沢北などはアメリカバスケに挑戦するために渡米してしまっているし、と考えつつ、あ、と瞬きをする。
「ていうか、仙道くん……英語は……?」
「オレ? あー……まあ、割とできると思うけど」
 そもそも仙道の成績はどうなっているのか。まさか花形のような秀才ということはあるまい。と巡らせていると、そんな風に答えられて、若干は額に汗をかいた。
「ほ、ほんとに? これ、読める?」
 取りあえず持っていた論文集を差し出すと、仙道は手を止めて釣り竿を引き上げ、本をパラパラと捲った。
「んー……。"共に働くことは幸せか? 職場での男性への男女分離による影響、それは男性の心理および肉体にどのように作用するか、サンプルを解析して――」
 そうして一番最初の論文の1ページほどをつらつらと翻訳されて、は頬を引きつらせた。――ほ、ほとんど合ってる。と、一度自分も読んだ文章を思い出しつつさらに頬を引きつらせる。
「な、なんで……」
「ん……?」
「な、なんで出来るの!? 私がどれだけ必死で学年主席を死守してると思ってるの、もう! 神くんといい花形さんといい、もう……信じられない!」
 英語だけは元もとできたが、何しろガリ勉キャラを形成する前は三井のごとく学業ノーチャンスに近かっただけに、バスケは天才・勉強もできるとなると自分自身がイヤになってくるというものだ。
 え、と仙道は本をおろして狼狽えた。
「い、いや、オレは英語が割と得意ってだけで……、主席とかじゃねえし」
「バスケでも勝てない、勉強でも勝てないって……。いったい何だったら勝てるんだろう……」
 ハァ、とは肩を落とした。そもそも、ガリ勉になったのだって、きっかけはこれなら男相手でも勝てるチャンスがあると踏んだからだ。残念ながら、そこまでずば抜けた才能に恵まれていなかったらしく、学年主席は単なる豊富な勉強量の結果としか言えない。
ちゃん、今も男に勝ちたいって思ってんの?」
 肩を竦められて、はむっと眉を寄せる。
「もちろん」
「なんで?」
「なんでって……」
 聞かれると、返答に困るというもので、は釣り糸を巻いていく仙道の手を無意識に目で追った。
「なんで、かなぁ……。私、仙道くんみたいに手も大きくないし、結局、力じゃ勝てないし……。なにか一つくらいって思ってるだけ」
「オレみたいな手になりたい? そりゃちょっと……どうかな。てか、そこは勝ち負けの問題じゃないんじゃねーか? 単なる性別の違いだろ」
「そう、かもしれないけど」
「そんなに男に生まれたかった? そんな良いモンでもねえと思うけど」
 には到底理解することさえ叶わない、「男」のマイナスポイントを知り尽くしているせいだろうか? 仙道が言い下し、は少し目線をそらしていると、カタ、と仙道は釣り竿を置いた。そして何を思ったかひょいとを持ち上げて、仙道自身の足の間に座らせた。「わ」と呟いたが少し目を見開いていると、そのまま後ろから抱きしめられる。
 なまじ大きな身体をしているだけに、すっぽり仙道の腕の中に収まって、背を丸めたらしき仙道の息が耳の裏あたりにあたった。
「ぜったい、男なんかより女の子でよかった、って思わせてやるって。オレが」
 低くささやくように、だが妙にあっけらかんと言われて、の心音が一度痛いほど高鳴った。
 顔を見られてなくて良かった、と思う。自分の身体を包み込んでいる仙道の腕にそっと手を置いたら、仙道は片方の手を滑らせて、そのままの指に指を絡めた。
 上機嫌そうにじゃれつかれて、も仙道の胸に体重を預けていると、後ろで仙道が笑みを深くした気配が伝った。
 女の子で良かった、って……もう既に思っちゃってるかもしれない、とは何となく浮かべた。
 だって、こうしているの、心地良いと思っている自分がいるし。とそのままじゃれ合っていると、ふと仙道の左腕の時計が目に入ってはハッとした。
「仙道くん、部活!」
「え……?」
「もう12時過ぎてるし、行かないと」
「今日は1時からだぜ」
「お昼ご飯食べていかないと、持たないよ」
「ていうか、オレ、もう少し続きしたいんだけど……」
 言って身体を抱いている仙道の力が増し、はジトッと仙道を見上げた。
「部活でしょ」
 言うと、仙道は、う、と喉を引きつらせたのちに「うーん」と少しだけ逡巡するそぶりを見せ、名残惜しげにを解放した。そうしてどちらともなく立ち上がる。
「ま、それもそうか」
 そうして仙道は脇に置いていたバケツと釣り竿を手に取り、並んで歩き始める。通りへ向かっていると、あ、と思いついたように仙道がバケツを差し出してきた。
「持ってく? あんま……、つか一匹しか釣れてねえけど」
 言われて、一匹とはいえ立派なクロダイの入ったバケツに目を落としは唇を引いた。
 叔母はさぞ喜ぶだろうな、と思いつつも――、仙道から魚をもらったなどと紳一に伝われば、また仙道と一緒にいたのか、などと突っ込まれるのがオチであるため、気が引ける。
「仙道くん、食べないの?」
「んー? ちゃんが料理してくれるなら、喜んで食うぜ?」
 ニコッと仙道が笑い、ピクッ、との頬が撓る。バスケと勉強だけの人生なにとって、魚を捌くというのは無理難題だ。いや、それ自体は叔母に習えば済む話で、なぜ自分が料理するのが前提なのか。などといかんともしがたい感情を抱えていると、仙道はさして気にしてなかったのだろう。そうだ、と思いついたように言った。
「もうちょっと寒くなったら、オレの部屋で鍋やろうか」
 仙道はいつものようにニコニコと笑っており、は一度瞬きをしてから小さく頷いた。
「う、うん」
 すると仙道は、ふ、とさらに笑みを深くした。
 そうして仙道とは分かれ道で別れ、結局バケツごと魚を受け取っては帰路についた。
 料理、できないこともないけど。やっぱり、叔母に少しは習おうかな。などと考えてしまった自分がおかしくては小さく苦笑いを漏らした。


 そうこうしているうちにウィンターカップ本番が近づいてくる。

 ――愛和学院、バスケ部部室。

「なんじゃこりゃあああああ!!」

 主将・諸星の雄叫びが響いて、部員達はビクッと身体を撓らせた。
「なんだよ諸星」
「ウルセーな」
 しかしわりと日常茶飯事であるため、あまり誰も気にとめず――、諸星は諸星で一点集中してテーブルに手を付いて、置いてあった紙を凝視していた。
 それは監督かマネージャーが置いていったとおぼしきウィンターカップでの対戦トーナメント表だ。
 見やると、神奈川県とは準決勝であたるトーナメントになっており、決勝は反対ブロックにいる山王だ。
 現役生活最後の対戦は、やはり神奈川と、と思っていただけにとんだ期待はずれである。しかしながら、決勝ならばいざ知らず準決勝で神奈川に負けて現役生活が終わるというのはご免被りたい。死んでも死にきれないとはまさにこのことだ。
「オメーら! ウィンターカップはぜってー決勝まで行くぞ! 決勝が最低ラインだからな、分かったか!」
 そうして勢いよく部員の方を振り返れば、勢いよく自分のジャージが投げつけられて見事に顔面にヒットした。
「いいからさっさと着替えろ!」
 言われて諸星はブツブツ言いながら着替えはじめる。
 そもそも、なぜ神奈川代表が「海南大附属」なのか。むろん、一校しか出られない以上は紳一の率いる海南と現役生活最後の試合をしたい気持ちが強いため、これで良かったのだが。
「仙道はどうしたってんだよ、仙道は。陵南は」
 ボソッと諸星は呟いた。
 「天才」仙道率いる陵南――。どんなチームかは知らないが、それほどまでに仙道のワンマンチームなのだろうか?
 チッ、と舌打ちをする。もう誰にも負けるな、つったのに。と。いくら個人が強くともチームで勝てるかというとまた別の話ではある。が。
 去年、一昨年とインターハイにすら出られていないとなると、いったいどんなチームなのだろう。「陵南」は――。
 国体の神奈川のような、ある意味反則に近いチームを作って優勝できても、自慢にはならねえぞ、仙道。
 と、諸星は心のうちで呟いた。
 が彼を見込んでいるからではない。自分自身、マッチアップして、やはり彼の素質を肌で感じただけに、このままではやりきれん、という思いもある。
 が、それはそれだ。
 いまはウィンターカップ優勝が最優先。と、キ、と強い視線をすると着替えて張り切って体育館へと繰り出す。

「諸星さん!」
「キャプテン!」
「チューッス!」

 見渡したメンバーと一緒にバスケットが出来るのもあと少し。なんだかんだ、残っている3年生もいつでも力強く自分に付いてきてくれた。頼もしい仲間達だ。
 ニ、と諸星は笑う。

「ウィンターカップの組み合わせが出た! 準決勝は海南と、そして決勝は山王だ。だが! オレたちだって負けちゃいねえ。全部倒してこの愛和学院が優勝だ、いいな!」
「おう!」
「行くぜ、愛和ーーー!!!」
「ファイオー!!」

 体育館には、一際気合いのこもった選手達の声が大きくこだました。


 そうして、あっという間に冬休みに突入してウィンターカップ本番がやってくる――。

 年末のウィンターカップ。国立代々木競技場。
 愛和学院と海南の対決も文字通り最終章へと突入した。
 勝った負けたのシーソーゲームを繰り返していた両校であったが、準決勝にて勝利を収めたのは愛和学院であり――、諸星の高校生活最後のVサインは代々木体育館で派手に決まっていた。

 ウィンターカップ最終日は男子の3位決定戦及び決勝戦があり――、冬休みかつ都心での試合ということで学生の観戦者が多い。
 陵南高校の主要メンバーも例に漏れず、監督の田岡と共に東京は代々木まで観戦に赴いていた。
「昨日、海南は愛和に負けてんだよなー。つーことで、海南は3位決定戦、決勝は愛和対山王か。仙道、お前どっちが勝つと思う?」
 道すがら、越野に問われて仙道は「うーん」と唸った。
「ま、取りあえず一番張り切ってんのは諸星さんだろうな……」
 今日が3年生にとっては高校生活最後の公式戦となる。諸星は、今回は海南に勝って自身初の決勝進出であり、優勝のかかった最後の大一番だ。とはいえ、山王工業にしても夏は初戦敗退、秋は神奈川に負け、冬まで敗戦しては不敗神話を作ってきた3年生も立つ瀬がないだろう。死ぬ気で王座を守りに来るに決まっている。

『もう二度と、負けんじゃねえぞ、仙道!』
『お前はこのオレ、諸星大を負かしたんだ! 分かったか!?』

 諸星から、暗に諸星自身の目標を託された形となったが――、諸星自身は今後バスケットとどう向き合っていくつもりなのだろう? などと思いつつ会場に入れば、冬休み・決勝戦ということも相まってかほぼ満席であり、陵南勢は放送席のそばに席を取った。
 賑わう館内をキョロキョロ見渡しつつ、彦一が田岡の方を向いた。
「ウィンターカップ言うたら、インターハイより歴史は短いですけど、監督の時はもうウィンターカップってあったんですか?」
「いや、ちょうどオレが卒業した次の年からだな。その頃は春開催で、規模も小さい大会だった。とはいえ……第1回目の神奈川代表は高頭の高校で、ヤツはキャプテンでな、オレはこうして会場から見ていたモンだ……かれこれ25年近く前の話になるが……」
 彦一の問いかけをきっかけに、田岡による昔話が始まってしまった。
 曰く、最初は出場校も少なく重要な大会ではなかったらしいが、そのうちに出場校が増えて冬開催で落ち着いていったらしい。
 確かに、大会価値はインターハイに劣るかもしれないが、ウィンターカップはここ最近ショーアップを目論んでいるのか、年々とメディアミックスを展開しておりメディアのプッシュが激しい。
 今も、見下ろせる位置にある放送席が熱心に台本のチェックに勤しんでいる様が見える、と仙道は腕組みをしてその様子を見下ろした。
 まずは3位決定戦。これで引退となる紳一たちの最後の試合ということもあり、陵南陣営もしっかりと偉大な神奈川の帝王のラストプレイを目に焼き付けるように見ていた。
「これで、いよいよ帝王・牧の時代も終わりだ……。おそらく海南は新キャプテンとなるだろう神を中心に全く違うチームを作ってくるだろう」
「……手強そうですね……」
 田岡の声に、仙道は思わずそう答えていた。いまも、コートでは神が鮮やかなスリーポイントシュートを決め、客席から歓声を受けている。
 神の作る海南――、自分にとっては紳一の海南よりよほど怖い相手かもしれない。と思いつつも、彼らの勇姿を見守っていると、海南は今年最後のプレイを勝利で収め、ウィンターカップ3位という成績をどうにかもぎ取った。
 そうして決勝戦へのインターバル。いよいよ放送席が色めき立ってきた。

「山王工業のブイ流して」
「諸星のも用意しとけ、CMあけ流すぞ」

 山王工業対愛和学院。――総合力はともかくも、個、として見た場合、タレント性で言えば圧倒的に諸星が抜けている。
 メディアには美味しいネタだろうか、などと感じていると、両チームが入ってきていよいよ試合開始となった。
 さすがに山王工業には大きな声援が送られていたが、選手紹介で一番歓声を受けていたのは諸星であり、「おー!」と張り切ってチェックノートを取りだした彦一がまくし立てる。
「いやー、さすがに愛知の星・諸星さんや! このメンバーの中やと、男前が際だっとりますね! 要チェックや!」
 チラリと放送席を見やると、カメラはアップで諸星を抜いており、仙道も苦笑いを浮かべた。
 確かに華はあるし、いわゆる「二枚目」に分類される諸星ではあるが――、中身は「愉快な人」であるため、黄色い歓声をさらうよりはお茶の間の笑いを誘う方が得意なタイプだろう。
 などと思ってしまうのは失礼だろうか、と見ていると、ついに決勝戦が始まった。

「赤4番諸星、スティール! ――からのダンク、決まりました!」

 そうして試合運びはやや山王が有利ながらも、随所で諸星が単独奮闘を見せ、放送席は淡々と彼の活躍をテレビ越しに国民に伝えていた。
 事実、山王はインサイドも強くポイントガードも上手いが「圧倒的なエース」が不在であり、やはり諸星は否が応でも目立ってしまう。

「赤4番諸星、ドライブイン、からの――、シュート、バスケットカウントです」

 なんか国体の時よりドライブのキレが増している気がする、と仙道はフリースローも決めた諸星に苦笑いを漏らした。
 さすがに「大ちゃん」。こうして見ていると、やはり凄い。彼のプレイは味方を笑顔にして元気づけてくれる効果がある。
 接戦のまま後半に入り、諸星が自身の25点目をスリーポイントであげたところで隣にいた越野がグッと拳を握りしめて呟いた。
「す、すっげえな……。諸星大……! あんなシューティングガード、見たことねえ」
「あれ、越野、国体見てなかったっけ?」
「バッ、バッカお前! あん時は神奈川応援してたからな! そりゃ、すげえとは思ってたけど、敵だったじゃねえか」
 ギロッ、と睨みあげられて仙道は苦笑いを浮かべた。コートに視線を戻した越野は、どこか目を輝かせてため息をつきながら諸星のプレイを追っている。ポジションが同じゆえに、人一倍感じ入ることもあるのだろう。

「よっしゃ、ナイッシュ! どんどん行くぞ! 絶対優勝しようぜ!」
「おう!」

 仲間が決めた速攻を讃え、そう明るく鼓舞した諸星を見て「うむ」と田岡も頷いた。
「良いリーダーシップだ。愛和はチーム全体が活き活きしている」
 仙道も、すこし口の端をあげた。
 諸星と共にバスケットをしたらきっと楽しいはず。彼のプレイから受けた第一印象は、今も少しも変わっていない。
「……王者・山王に果敢に立ち向かう……。かっこいい……」
 ボソッと、福田までもフルフルと震えながらそんなことを呟いていた。
 事実、超高校級を揃えて抜群のチーム力を誇る山王に力の限り挑んでいくその姿は観客の熱狂をさらうのか、愛和への声援は徐々に大きくなっている。

「もーろぼし! もーろぼし! もーろぼし! もーろぼし!」

 決勝戦における、「スーパースター」は紛れもなく諸星であることを証明するかのような声援だ。
 ベンチ真上の最前列で見ていたも、諸星の高校生活最後となる試合を手を握りしめて見ていた。
 やはり、諸星は凄い。それを証明するかのような活躍ぶりだ。

「大ちゃん!!」

 それでも。エース沢北不在とはいえディフェンディングチャンピオンである山王は王者の意地を見せ、わずか1ゴール差のリードでどうにか冬の王座は守りきった。


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