「ただいまー」
「おう。遅かったな」
「うん……。ちょっとね」
「お前……。まさか仙道と一緒だったわけじゃねえよな?」

 東京駅で強制的に仙道と二人きりになったのち、帰宅して自室に直接向かおうとしていると階段の下から紳一が声をかけてきて――、は一瞬だけ固まった。
 誤魔化すようにそのまま勢いよく階段を駆け上がってバタンと自室のドアを閉め、ふっと息を吐いた。


 ――あの後。
 何とか取り繕って、次の東海道本線を待っていた――――。


「仙道くん、お家に帰らなくていいの? せっかく東京に寄ったのに」
 図らずも、本気かウソか「実家に寄っていく」と言った仙道の言葉が気にかかり、それとなく訪ねてみると「んー」と仙道は頭に手をやった。
「いや、いいや。帰ってもやることねえし」
 そうこうしている間に次の電車がやってきて、そのまま乗り、目が合えば近くでニコッと笑ってくれる仙道が妙に気恥ずかしくて必死に暮れてきた外の風景を眺めていた。が、横浜駅についた途端に不意に仙道に腕を引かれた。
「降りようぜ」
「え……ッ!?」
 そのままなし崩し的に強制降車させられ、またもまばらになったホームでジトッと仙道を睨んでいると彼はいつものようにあっけらかんと笑った。
「だから、オレ、もうちょっと二人っきりで話したいんだって」
「……今、まさに二人だけだと思うんだけど……」
 仙道のせいで、と頬を引きつらせていると、気にするそぶりもなく仙道はそのままの手を引いた。わ、と目を丸めるも仙道は上機嫌そうに先を急いでいる。
「ちょ、ちょっとどこに行くの?」
「ん? さァ、横浜港とかどうかなと思ってんだけど」
「は……!? な、なんで……」
「ん? デート」
 ニコッ、とさも当然のように微笑まれ――、ついていけない、とは取りあえず歩きながら常日頃鍛えているはずの頭をフル回転させた。だめだ、まったくついていけない。と、なお混乱していると、乗り換えのホームにたどり着いたのか仙道が足を止め、は捕まれていた手をパッと振りほどいた。
「あ、イヤだった?」
「い、イヤっていうか……。ど、どうして……」
「え? だって、こんなチャンス滅多にねえしな。なんだかんだ、部活が丸一日休みの日とか元旦くらいなモンだし」
「そ、そうじゃない!」
 なぜ仙道と二人で横浜港になど行かなければならないのか。という意図が伝わっていないらしく、思い切り拳を握りしめると仙道は「あー」と視線を泳がせて首に手をやった。
「だから、オレはちゃんともう少し一緒にいたいんだけど……」
「だから――」
「国体も今日で終わりだし、次、ちゃんに会えんの冬の選抜予選会場でだろ? 下手したら来年の夏……ってこともありうるしな」
 あ、とはハッとした。
 そうだ。ここ最近は毎日ずっと一緒にいたが、高校が違う以上は日常生活の中で顔を合わせることなどまずない。なんだかんだ釣りをしている仙道をしょっちゅう見かけるため、あまり自覚してなかったが――普通なら試合の時に会場で顔を合わせる程度の間柄のはずだ。
 ――そう自覚して、は少し困惑した。仙道がそばにいることは当たり前ではないんだった、という当たり前のことさえ忘れていて、ふと押し黙ってしまう。するとホームに電車が入る知らせが響き、巻き起こった風に髪を押さえていると、ふ、と仙道が笑った。
「いこうか?」
「う……うん」
 思わず頷くと、ニコッ、と仙道は笑みを深くして二人して電車に乗る。

 横浜港みなとみらい地区――。
 ウォーターフロント都市の再開発計画と、数年前に開催された横浜博覧会も相まって急速に観光化が進められており近未来的な風景を醸し出すテーマパーク的な地区である。

 最寄りの桜木町駅を出たときには夕暮れももう終わりに近づいてきた頃であり――、港に着く頃には横浜自慢の夜景も綺麗に映えるだろうという頃合いになっていた。
 日曜の夕暮れ――、人通りが多い。
 190センチの長身に「KANAGAWA」ジャージはいつも以上に目立っているな、とちらりと仙道を見上げていると、どことなく周りから食い入るような視線を感じては首を捻った。
 まあさすがに目立つか、と歩いていると、前方から歩いてきた女性数人組が不意に足を止めてハッとしたような表情のあとにこちらに駆け寄ってきた。

「あ、あの……、陵南高校の仙道さんですよね?」

 え? と仙道が動きを止めると、キャーと一気に黄色い声があがっては目を瞬かせる。
「さっき、ニュースで見ました! 国体優勝おめでとうございます!」
「私たち、横浜北高のバスケ部なんですー」
「県大会も見てました!」
 さすが天才・仙道彰。――とはいえ、このノリは諸星その他でだいぶん慣れているは「ニュースになってたのか」などと考えつつ「頑張ってください」という激励に「どうも」と少々戸惑い気味ながらもにこやかに返事をする仙道をぼんやり見ていた。
 そうして再び歩き出す。思えば、優勝したんだよな、と今さらながらに改めて思った。なまじ夕べのゴタゴタのおかげであまりまともに仙道を見れず――しかしながら神奈川選抜は死角のないチームであったことは確かで、優勝は妥当なものであったと思う。
「優勝か……、あらためて、すごいよね」
「うん。ちゃんはチャンピオンコーチだもんな」
「そんな大げさな……」
 軽く笑ってそんな切り返しをした仙道には苦笑いを浮かべた。
「ま、けど、国体は祭りみたいなモンだしな」
「これだけのメンバーがまた散り散りで、今度は一枠しかない選抜出場をかけて戦うんだもんね……。せっかく良いチームになったのに、ちょっと寂しいな。でも、逆に言うとそれだけ神奈川が激戦区っってことよね」
「ああ。選抜は三年生最後の大会だし、牧さんと藤真さんは全力でくるだろうな。どっちが勝つか、見物だぜ」
「そんな、人ごとみたいに……」
 もはや最初から選抜出場を諦めているような仙道の言葉には肩を竦めた。とはいえ、いまの陵南では三年生を多数有する海南・翔陽に競り勝つのは厳しいだろうし、何より国体直後で仙道も気が抜けているのかもしれない。そもそも陵南はもとより湘北にしても選抜出場は厳しいはずだ。三井の大学推薦は大丈夫だろうか、とこれこそ人ごとながら案じてしまう。
 でも――、選抜ももちろん行ければ頑張って欲しいが、来年のインターハイこそは。絶対に仙道に行って欲しいと思ってるのにな、とちらりと仙道の横顔を見上げる。
 仙道なら、きっと日本一に――と考えていると、にぎやかなエリアが見えてきた。
 湾岸地区の目玉である「世界最大の時計機能付き大観覧車」コスモクロック21が鮮明に見える。これは横浜万博の目玉だったが、万博終了後も人気があったために再び稼働し、現在はアミューズメントエリアの一角でいまだに一番人気のアトラクションとなっていた。
 うっすらと紫がかった夕闇にネオンがよく映えて、は感嘆の息を漏らした。
「きれーい……!」
 さすがに湘南とは違う。しかしその観覧車の袂には人気の証のように長蛇の列が出来ており、あまりの迫力には目を瞬かせた。隣で仙道も苦笑いを浮かべている。
「うーん、ありゃ乗れねえな……」
 もとより自分も仙道も国体帰りだけあって大きめのスポーツバッグを背負っており、遊園地を楽しんでいる余裕はあまりない。
「お……!」
 それでも、仙道はめざとく「バスケットボールのシュート」アトラクションに目を付けたらしくを引っ張って行った。
 自身、自分でわりとバスケバカを自覚しているが――さすがにこれは大人げないのでは。と感じつつも、仙道は国体優勝選手の能力をいかんなく発揮してパーフェクトを記録して大きなプラモデルらしき商品をゲットした。
「お兄さん、現役選手? さすがに上手いねー」
「ははは、ども」
 舌を巻いているスタッフに仙道は明るく笑って答え、そんな仙道を何やらきらきらした目で見上げている小さな男の子に気づいたらしく「お」と呟くと膝を折ってしゃがんだ。
「おにいちゃん、すごいねー!」
「そーか? ありがとな」
「ぼくも大きくなったらバスケットやるー!」
「おう、がんばれよ! そうだ、これあげる。特別だぞ」
 言いながら仙道はついいま勝ち取った商品をその男の子に手渡し、パーッと明るい顔をした男の子の頭を撫でた。
 あらまあ、と話を聞いていたらしき母親がしきりに恐縮するも、ニコニコと対応した仙道は母親に手を引かれて去っていく男の子にひらひらと手を振った。
 おおらかで優しい、いかにも仙道らしい行動に少しだけ鼓動を高鳴らせながら見ていると、ふ、となお仙道が笑った。
「かわいいよな」
「うん……」
「オレもそのうち、ああいう男の子欲しいんだけどな……、ね、ちゃん」
 こういうことさえ言わなければ、本当に「いいな」って思ったのに――。と、ジトッと仙道を横目で睨むと、ふ、と息を吐いてはスタスタと先を急いだ。
「あ、ちょっと待った待った」
 すぐに仙道が追いついてきて、再び並んで歩く。不思議だな、と思う。出会った頃は、まさかこうして仙道と並んで歩く時がくるなんて、まして、それをけっこう居心地が良いと思うようになるとは思わなかった。
 と、ひとしきり見て回って、ベンチに座ってぼんやりと海を眺めた。秋風が、少しだけ肌寒い。
「おまたせ」
 ちょっと待ってて、と席を外した仙道が戻ってきて、顔を上げると彼は両手にクレープを抱えて笑みを浮かべていた。
「はい」
「あ、……ありがとう」
 一つを手渡されて、少し目を見開きつつ受け取るとなお仙道はニコッと笑った。そうして隣に腰を下ろす。
「腹減ったな、と思ってさ」
「う……、うん」
 遠くで船の汽笛が鳴った。ざわざわ、と周りの雑音が遠くに響く。明るい笑い声と、イルミネーション。
 今さらながらに――ちょっと緊張してきた。と、は意味もなく額に汗をかいた。これがいわゆる「デート」というものなのだろうか、と頭を悩ませていると「ん?」と仙道が眉を寄せた。
「食べねえの?」
「え……!? あ、その……いただきます」
 微妙に声も裏返ってしまい、思わずは顔を伏せた。――なにを緊張しているのだろう。相手は仙道だ。そもそも、今さら、とは脳裏にあまり思い出したくない仙道の唇の感触を思い出して一気に全身から汗が噴き出るのを感じた。
ちゃん?」
「な、なんでもない」
 深く考えてはいけない。普段通り、普段通りにすればいい。と考えれば考えるほど――夕べの仙道に抱き寄せられた感覚まで蘇ってきて、はフルフルと首を振るった。
 考えるな、と自分に言い聞かせてクレープに口をつける。ほんのり甘みが広がって、はホッと肩を落とした。
 日はすっかり落ちてしまっている。紳一や叔母に何も言っていない以上、そろそろ帰らなければ心配されるだろう。
 けれども、さきほど仙道が言ったように――帰ればしばらく仙道と会うこともないのか。と思うと、少し胸に何かが引っかかったような違和感を覚えるのは気のせいだろうか。
「そろそろ、いこっか」
 しばらくして、どこか名残惜しげに仙道が言い、も小さく頷いた。
 近未来――というコンセプトだけあって、この辺りはまるで別世界のようだ。だからこんな気分になるのだろうか、とそのまま桜木町に引き返して藤沢駅を目指した。
 は小田急、仙道は江ノ電だったがしきりに家まで送っていくと譲らなかった仙道に根負けして、は最寄り駅から自宅までの道を仙道と肩を並べて歩いた。
 しばらくすると自宅が見えてきて、は改めて仙道に向き直った。
「送ってくれてありがとう」
 すると仙道は少しだけ笑い、あのさ、と口開いた。
ちゃん、少しはオレといて楽しいと思ってくれた?」
「え……? あ、もちろん……すごく楽しかった、ありがとう」
「それは、どういう意味で?」
 つ、とは息を詰めた。
 仙道の言いたいことは、察した。出会い頭からずっと言われていたことだ。が――、と言葉を詰まらせていると、少し仙道は眉を寄せた。
「オレ、本気だぜ」
 今回は、今までのように無回答を許してくれないような。そんな空気をは察した。けれども、なんと答えればいいのだろう?
 自分にとって仙道がどういう存在なのか、よく分からない、とは制服の裾をギュッと握りしめる。
「分からない……」
「え……?」
「でも、もし……もう試合会場でしか仙道くんに会えないなら、寂しい……かも」
 語尾が少々消え入るようになってしまい、少し頬を震わせると、仙道は少しだけ目を見開いて首に手をやった。
「それって……、オレのこと好きって解釈で合ってる?」
「わ……、わからない……。そう、なのかな」
「いや、オレに聞かれてもな……」
 仙道は少し困ったように目線を泳がせた。そして、うーん、と唸る。
「前にさ、ちゃん言ってたよな。オレのこと、好きか嫌いだったら嫌いに近いってさ。それ、今も変わってねえの?」
 え、とは目を見開いた。そういえば、そんなこともあったっけ、と思いつつ小さく首を振るう。
「2択だったら……好き、かな。いまは」
 すると仙道はキョトンとして、どこかホッとしたような表情を浮かべたのちに少し笑って頷いた。
「なら、それでいっか。いまは。うん、じゃあ決まりだな」
「え……!?」
 言われて、腕を引かれた次の瞬間には仙道の腕の中に抱きしめられており――は極限まで目を見開いた。
 なにが「決まり」なのか。勝手に何を――、と思うも、振り払おうという感情も沸いてこなくて、キュッと仙道のジャージの裾を掴んだ。
 こうして触れられるの、イヤじゃないかも。などと思ってると、仙道の大きな手が頬に触れてハッとした次にはあごに手を添えられていた。
「――ッ!」
 チュ、と仙道の唇が自身の唇に触れて――、避けるだけの時間はあったはずだというのに、はそうしなかった。
 2度目だったから慣れている、とかそういう問題ではきっとない。間近で仙道と目があって、仙道の垂れ気味の瞳が少し細められた。
「イヤだった?」
 問われて、つ、と息を詰めたものの――、は小さく首を横に振るった。
「そっか」
 よかった、とささやくように言った仙道はそのままもう一度の唇に自分のそれを重ねた。
「ん……ッ」
 は、今度は瞳を閉じた。 
 何度か軽く触れられて、は無意識のうちにギュッと仙道の腕を掴んでいた。
 クレープを食べたせいだろうか。少し、甘い。
 頬が熱くて、少しだけ目尻が震えて涙が滲みそうな感覚を覚えた。

 きっと、たぶん、これが「好き」ということなんだな――とは初めて自覚した。


 ――――そうして帰宅したわけだが、とはつい先ほどの出来事を瞬間的に過ぎらせて、そのままズルズルと床にへたり込んだ。

ー、帰ってきたの? ご飯は?」

 すると下から叔母の呼び声が聞こえて、ビクッと肩を震わせる。

「う、うん。き、着替えたらすぐ行く!」

 紳一に、なにか聞かれたらどう答えようか。
 まさか仙道と付き合うことにした、などと言ったら――、あまり良い反応はされない気がする。と、は身体を起こして制服のネクタイに手をかけた。

 そうしてクローゼットをあけると、鏡に自分の姿が映った。
 やっぱり、なにか変わっちゃったかな。――と鏡の中を見据えて、は少しだけ頬を緩めた。


一章へ TOP 二章へ