明日の決勝を控え――、夕暮れの猪苗代湖を仙道は一人じっと見つめていた。
 昨日、がそうしていたように。
 あのときのは、なにを考えていたのだろう? 諸星のことだったのか、それとも――。

 準決勝は、神奈川が愛知に勝った。自分も、諸星に負けたとは思っていない。けれども。彼は――。

「仙道……?」

 考えあぐねて首を振るっていると、呼び声が聞こえ――振り向いた仙道は目を見開いた。
 そこにはいままさに浮かべていた男の姿があり、思わず間の抜けた声をあげてしまう。
「も、諸星さん……? なんでここに」
「ああ、ちょうどよかった。お前に話があってな……」
「オレに?」
 聞けば諸星は自分に会うために神奈川選抜の使っている宿まで訪ねてきたらしい。幸い、宿に入る前に湖の前で自分の姿を見かけて声をかけてきたということだ。
 それにしても――、なんの用事だ? と多少気構えてしまう。諸星はポケットに手を突っ込んだまま、どこかふてくされた顔をしている。
「お前……、ラスト、なんでパスした?」
「え……?」
「え、じゃねえよ! 藤真にパスしただろーが藤真に!」
「あ、いや……」
 そのことか、と仙道は首に手を当てた。
「あー……、その、なんでって言われても……。諸星さんのブロック、高かったんで弾かれると判断しただけです」
「だろーな。オレも叩き落とす気満々だったからな」
「…………」
 ふんぞり返られて仙道は頬を引きつらせた。本当になにをしに来たのだ? となお考えていると、ふ、と諸星は視線を仙道からそらした。
は? いま何してる?」
「え……? さあ……」
 なんだ、に用事なのか? と生返事をすると、そうか、と諸星はさして気にしたそぶりもなく相づちを打った。
「お前、オレと牧とが一緒のチームでバスケやってたの知ってるか?」
「え……、あ、ええ、詳しくは知りませんけど……。少しだけ聞いたことはあります」
に?」
「……はい」
 そっか、となお諸星は頷いて、視線を仙道に戻してきた。
「なら、がバスケやめたのも知ってるよな。理由、聞いたか?」
「いえ、詳しくは……。ただ、諸星さんや牧さんに付いていけなくなったから、って言ってましたけど」
 それは事実だ。は、自身がバスケットをやめた理由を話そうとはせずはぐらかしていた。だから突っ込んでは聞かなかったのだ。おそらくは話したくないことのはずだから、と。
 ただ、目の前の諸星と何か諍いがあっただろうということは予想がつくが――と考えていると、諸星はどこか逡巡するようなそぶりを見せてから唇を動かした。
「オレがやめさせたんだ、バスケット」
「え……!?」
「オレが、やめろって言ったんだ。にバスケットをやめさせたのは、オレだ」
 思いも寄らなかった言葉に仙道は瞠目した。そのまま驚きを隠せず見ていると、諸星は自分と、そしてとのことをゆっくり話し始めた。

 物心ついた時から、いつも3人一緒だったこと。
 近くの公園のバスケットコートが遊び場で、自分たちの身体より大きいと感じてしまうほど大きいバスケットボールがいつも3人の遊び相手だったこと。
 小学校に入って自然とミニバスチームに所属し、一番運動神経も良く成長も早かったは自然とフォワードになり、一番小さく、また年上だった紳一がポイントガードに、必然的に諸星がセカンドガードとなったこと。

「信じられねえかもしれないが……、ガキの時はマジでのほうがオレたちよりでかかったんだぜ。全てにおいてオレたちより一歩も二歩も先を行ってた。オレたちはをエースだと思ってたし、も自分でそう思ってたはずだ。バカだと思うかもしれねえけど……、一生、その力関係が変わるとは思ってなかったんだ」

 一生このまま、と思っていた関係に変化が訪れたのは、諸星たちが中学にあがったころだったという。
 第二次性徴期に突入した二人は、見る見るうちに身長が伸び、あっという間にの身長を追い越した。同時に筋力も体力も目に見えて差が出始めたという。
 が6年生のあたりから、と二人の間にあった差が急に埋まりはじめ、あべこべになった違和感が増大し――確定的になったのはが中学校にあがった頃だった、と諸星は続けた。

「オレたちの中学、男子生徒が多くてな……男子の方の部活に力入りすぎてて、女子バスケ部がなかったのも失敗の一つだったかもしれねえ。中学バスケはミニバスと違って男女混合じゃねえし、でも、たぶん、の頭の中にはオレたちのいない場所でバスケやるってことはなかったんだろうな……」

 同じ中学にあがったものの、は特定の部活動をせず、諸星たちが部活動の時間は一人で公園のバスケットコートで練習を重ねていたという。そして、朝は早くから、夜は暮れてなお――相も変わらず3人でバスケットを続けた。変わったことは――を打ち負かすことが造作もなくなったこと。
 完全に完璧に彼女に勝ったわけではないが、もっとも違ってしまったのは高さと、そしてパワーだった。
 こういとも簡単にはじき飛ばせるのか、とゴール下で何度もを叩き落としてはいっそ恐怖した。そうして、彼女が女で、自分が男に生まれたという違いをはっきりと自覚したものの、はそれを受け入れはしなかった。と諸星は続けた。

「お前、想像できるか? お前……、もし、お前がを全力でブロックしたらどうなると思う? できねえだろ?」

 言われて、仙道は眉を寄せる。そんなこと当たり前だろう。いくらが女子では長身とはいえ、自分のような190センチの巨体のアタックを受ければパワーの差も相まって下手を打てば大けがだ。
 だが――、と諸星は続けた。を前に、手を抜くわけにはいかなかった、と。
 エースの意地だったのだろう。吹き飛ばされても吹き飛ばされても、傷だらけでは自分たちに挑み続け、そしてそれに自分たちも応え続けた。
 けれども、自分たちの差は埋まるどころか広がるばかりだ。これから高校に上がればもっと酷くなるだろう。の身体の成長は止まり、自分たちはさらに伸びて筋力も増える。取り返しが付かなくなる前に、と限界が来たのは、最後の中体連全国大会が終わった日。いつもの公園で、こう言った、と諸星は遠くを見た。
 お願いだから、諦めてくれ、と。お前は女でオレは男だ。差はますます広がる。これ以上お前と戦いたくない――、と。
 その言葉が、どれほどにとって屈辱で、絶望的であったか分かっていて言った。

「たかが14歳やそこらの中学生にはきつい言葉だ……。自身、分かっていても受け入れがたかったことを無理矢理突きつけた。オレが、からバスケットを奪ったんだ。あいつの才能は本物だったってのに、オレがつぶした。今も……思ってるさ、本当はあいつに恨まれてんじゃねえか、って」

 どこか寂しげに諸星が言い、思わず仙道は口を挟んだ。
「いや、そんな……ちゃん、そんな風に思っちゃいないと思――」
 しかし。フォローしようとした仙道の方をキと諸星が睨み付ける。
「ウルセーな、せっかくオレがカッコイイこと言ってんだから黙ってきけや!!!」
 諸星は拳を震わせ、仙道は頬を引きつらせる。なんなんだ、いったい。と若干引いていると、ともかく、と諸星は咳払いをした。
「どんな理由であれ、にバスケットをやめさせたのはオレだ。ちゃんと女子の中でバスケをさせるべきだった。だってよ、誰も知らねえんだぜ? 中学の時のアイツがどんだけ強かったと思う? オレや牧より、下手すりゃお前より素質あったってのに……誰もを知らねえ。けどオレにとっちゃ、今も、フォワードのナンバー1はだ。だから、オレは……」
 諸星の声が少し震えた。握った拳も、先ほどよりも力が入っている。
「オレは……、もう誰にも負けねえと勝手に誓った。は、あの日以来一度もコートには行ってねえ。しかも、だ……こちとら絶交も覚悟してたってのに、次に顔を合わせた時、あいつ謝ってきたんだぜ。"ごめんね、大ちゃん"って。だから、オレは……オレは――」
 そうして諸星はギラリとこちらを睨みあげてくる。
「それが、おーまーえーのせいでだなーーー!!!」
 言いがかりも良いところだ。などと突っ込んだら跳び蹴りでも跳んできそうな勢いだ。口を挟む隙すらない。
「オレは絶交覚悟だったんだ。少なくとも、元の関係に戻れるとは思っちゃいなかった。実際……あの日以来、はバスケやめちまったし。それにあの裏切り者……牧のヤローが神奈川に越して海南に進学を決めてだな。だけは残ると思ってたが……アイツは海外の親元のところに中2の終わり頃に戻っていった。正直、避けられた……と思ったさ。実際、次に会ったのは去年のインターハイの時だしな。あいつ、会うなりなんて言ったと思うよ?」
「さ、さあ……」
「"神奈川で、凄い選手を見つけた""きっと大ちゃん以上の選手になる"、だとよ」
「――!?」
「お前のことだろ? ソレ」
 ズイッと指さされて仙道は目を見開いた。
 久しぶりに会ったは、決して伸ばそうとしなかった髪を伸ばして随分と女らしくなっており、けれども表面上は何ごともなかったように以前のように接してきたという。
「たぶん、が少しでもまたバスケに関わる気になったのもお前のせいだろうな……。アイツは、いつか自分の替わりにオレを負かす相手が現れるのを待ってたのかもしれねえ」
「いや、それは違いますよ、諸星さん。ちゃんは、そんなこと望んでいなかった。今日の試合も……彼女は……」
 諸星の方を応援していた。とは仙道は続けなかった。ただ、彼女は、本音ではあまり見たくはなかったのだと思う。諸星の敗北を――目の前で。
 諸星はそんな仙道を見やって、ふ、と息を吐いた。
「ま……、いいさ。どう言い訳しても、オレはお前に負けた。の目は正しかった。お前は……良いプレイヤーだ。なのに、なにやってんだ? インターハイ予選で敗退するような選手じゃねえだろ、お前は!」
 つ、と仙道は息を呑む。夏の予選敗退は自身にとっても痛い思い出だ。チーム力で負けてた、などと言い訳したところで負けは負け。事実は変わらない。 
 なおも諸星は一歩踏み出して、絞り出すように言った。
「もう二度と、負けんじゃねえぞ、仙道! お前はこのオレ、諸星大を負かしたんだ! 分かったか!?」
 そうして数秒、仙道を睨みあげてフイッと目線をそらす。仙道はあっけにとられて返事すら叶わない。だが――。
「お前が……、もし、に惚れてんなら。尚さらだ」
 後ろを向いた諸星の姿に、試合直後に震えていた彼の後ろ姿がだぶる。つ、と息を詰めていると、振り返った諸星はいつものシリアスの全く似合わない、不敵で冗談めかした顔をこちらに向けた。
「来年のインターハイは見に行ってやる。意地でも出て来いよ、分かったな!」
 そうして「じゃーな」と手を振って諸星は仙道に背を向け、仙道はしばし立ち尽くしてその背を見送った。
 ガシガシと頭を掻き、まいったな、と呟いてみる。
 結局、諸星は最後のことを伝えたくて来たのだろう。期待されることには慣れている。が、諸星は――。

にバスケットをやめさせたのは、オレだ』
『オレは……、もう誰にも負けねえと勝手に誓った』
『次に顔を合わせた時、あいつ謝ってきたんだぜ。"ごめんね、大ちゃん"って』

 諸星の想いを、自分には関係ないと切り捨てるのは容易いことだ。だが――。

『"大ちゃん"となにがあったにしても、バスケをやめるこたねーし、やりたいときに楽しもう、でいいんじゃねえの? オレでよけりゃ1on1の相手くらい、いつでもなるぜ?』
『――!? ……イヤだ。勝てないもん、ぜったい』

 あのとき――は自分に初めて笑顔を見せてくれた。
 時おりバスケットボールを持って笑顔を見せる彼女は、バスケットを嫌いになったわけではないはずだ。だが、ようやく分かった。初めて彼女を見つけた時、なぜ辛そうにボールを見つめていたか。
 の中では、まだ三年前の晩夏の日が終わっていないのだ。それは、負けた悔しさと、そしておそらく、諸星への罪悪感。
 受け入れがたい事実だったとしても、も気づいていただろう。既に自分の力が諸星に及ばなくなってしまったことを。それなのに自分を相手に諸星が全力を出し続けるということは、下手を打てば一方的ないたぶりだ。諸星の心理的な負担はおそらく想像を超えるものだっただろう。けれどもは自身の意地を通し――、そして、挫折せざるを得なかった。
 だから言ったのだ。――ごめんね、大ちゃん、と。
 そうして罪悪感が肥大して、しかし、エースとしての意地が完全に消えたわけではない。だから、彼女にとってバスケットはいつの間にか苦しさを伴う存在となっていた。

『私は初めて見たときから、仙道くんを大ちゃん以上だって思っ――ッ』

 の声を思い返しながら、仙道は暮れ落ちた道を宿に向けて歩き出した。
 みなは夕食を取っているころだろう、と思いつつふと足を止める。体育館から音が聞こえる。
 神か……? などと思いながら中を覗いて、仙道は絶句した。
「ッ……!」
 中にいたのは、だった。一人でボールを抱え、練習している。しかも――、動きに覚えがある。今日の試合だ。全て、自分が諸星を抜いてゴールを決めた場面。
ちゃん……」
 は、おそらく今も必死に諸星の影と戦っているのだろう。
 フェイク。ドリブル。クイックネスにドライブ。――完璧だ。才能と、なによりも努力のたまものに違いない。やはり埋もれさせるにはあまりに惜しい。だが――、それでも、と仙道は眉を寄せる。
 やはり、自分と比べると少しずつ遅い。あ、今のジャンプ。自分なら叩き落とせる。などとどうしても考えてしまう。
 どれだけ長い間、そうしていたのだろう? 汗が飛び散っているのが見える。強引にドリブルで突っ込んで、跳び上がって――ダンクすることが叶わずにフックでシュートを決めた彼女を見て、仙道は思わずガラッとドアを勢いよく開いてしまった。
 瞬間、ビクッとしたようにの肩が揺れてこちらを振り向いた。
「あ……、仙道、くん……」
 肩で息をしながら、はばつの悪いような表情を浮かべた。
「悪い……。音が漏れてたから、気になって……」
 言えば、は小さく苦笑いのようなものを漏らす。
「もしかして、見てた……? 仙道くんみたいに……できたら、勝てるかな、って思って……つい……。でも、ダンクはできないな、やっぱり」
 そうして床に落ちたボールを手に取る。
「ね……、私でも……勝てる、かな……大ちゃんに」
 仙道は少しだけ同情から眉を寄せ、小さく首を振るった。
「いや……。高さが足りない。ドライブのときのスピードが足りねえし、無理だ」
「あはは……。厳しいね……」
 キュ、とがボールに力を込めたのが伝った。けれども、自分が言わずとも、自身よく分かっていることだろう。ただ彼女なりにどうにか自分の中で折り合いを付けようとしているだけだ。
 すると、少しだけの口元が笑ったように見えた。
「今日の仙道くん、凄かったよね……。大ちゃんや荻野さんの上からダンク決めちゃったし。あんな鋭いドライブイン、初めてみた。やっぱり……凄いな……。でも、大ちゃん、も……」
 ボールを持つ手が震えている。伏せた顔からは汗が幾重にも伝って、まるで泣いているようにさえ見えた。
「大ちゃんも……やっぱり、強いよ、ね……。大ちゃん、も……」
 仙道は小さく頷いた。頷きながら、ふ、と一瞬、ついいま諸星に言われた言葉が過ぎった。諸星の覚悟を受け継ぐ決意をしたわけではない。だが、「覚悟」が生まれたことを自覚した。少なくとも、踏み込む覚悟が。
 そうしてそっとのそばに歩み寄ると、手を伸ばしての身体を自分の胸へと抱き寄せる。
 腕の中で、が目を見開いた気配が伝った。

ちゃんは、よく頑張った……。もういい。もう十分だ……。もう、いいんだ」

 の身体が撓った感覚が分かった。手が震えてから数秒、まるで返事のようにボールがこぼれ、床を弾く音が体育館に響いた。
 少し仙道の身体にかかる重みが増し――、仙道もただ黙ってしばし包み込むようにの身体を抱きしめ続けた。



 ――翌日。
 秋田との決勝は合宿時から入念に準備してきた仙道・流川のスーパーエースコンビが何とか機能し紳一とのチームプレイも功を奏して、沢北を欠いた秋田はよく食らいついてきたもののついに神奈川に勝ることはできなかった。

「優勝――、神奈川県」

 会場では神奈川から応援にかけつけていた陵南勢はもちろん、既に部活を引退した赤木や木暮といったメンバーも見られ、拍手に花を添えた。
 そうして今年の国体は、おおかたの予想通りの県が上位を占め、そして――「神奈川に仙道あり」という高校バスケ界に走った衝撃によって、仙道はもちろん会場に応援に来ていた田岡にまで取材が殺到し、初日から最終日まで仙道の衝撃の全国デビューというニュースに沸いた。

 優勝という最高の手みやげを持って神奈川選抜チームは猪苗代を後にし、それぞれが国体での思い出を胸に、ひとまずは東京駅での解散と相成った。みな神奈川住まいとはいえ、路線がそれぞれバラバラだからだ。
 最後の挨拶を高頭がみなに向ける。
「神奈川選抜というすばらしいチームで、優勝という栄誉を得たことを監督としてとても誇りに思う。ありがとう。さて……、これからはまた互いにライバル同士だ。国体での経験を活かし、よりいっそう強くなった諸君とコートで会えるのを楽しみにしている」
「はい!」
「私からは以上だが……。コーチ、なにかコメントはあるか?」
「え……!?」
 ふられてはうろたえる。一斉に12人の選手たちの視線を浴び――顔を引きつらせるも、こうしてこのメンバーで集うのも最後かと思うと、少し寂しいような気がした。
「え……ええと……。合宿・大会を通して神奈川チームが一つのチームとしてまとまり、強くなっていく様子をそばで見守ることができて、とても光栄でした。まだまだまだ、伸びる余地のある選手ばかりなので……ここでお別れなのは残念ですが、今後は私はみなさんの活躍を観客席で見守りたいと思います。頑張ってください」
「はい! ありがとうございました!」
「では、解散。気を付けて帰りたまえ」
「おつかれーっす!」
 そう、ここを離れればまた敵同士。また全国への出場権をかけて熾烈な戦いを繰り広げることになるのだ。でも、彼らにとってもこの国体での経験はプラスとなるだろう。
「おい宮城。東京寄ってかね?」
「そっすね。ちょうど腹も減ってきたし」
 湘北勢は横浜方面へは行かずにここでいったん下車する気らしい。なんとなくが目で追っていると、三井と目があった。すると、ニ、と三井が口の端をあげる。
「じゃーな、。お前とやんの、けっこう楽しかったぜ!」
「あ……はい、ありがとうございます」
「オレは選抜も出るからな、見に来いよ」
「推薦取れることを祈ってます。大学でも頑張ってくださいね」
「おう! って、気がはえーよ」
 カラッと笑いながら手を振って三井が背を向け、みなでその背を見送って「さて」とJRの方へ向かう。
「ウチは選抜まで全員が残るからな。今年はもらうぞ、牧」
「ほう。楽しみにしているぞ、お前と戦えるのも最後になるからな」
 藤真と紳一がそんな言葉を交わし、全員で東海道本線の乗り場へ向かう。翔陽は海南・湘北・陵南と違い横浜市であるため交通手段もバラバラであったが取りあえず横浜までは行動を共にしようということだ。
 しかし。電車が乗り込んできて乗車する直前で、「あの」と仙道が言いづらそうな声をあげた。
「どうした、仙道?」
「いや、ちょっと……実家に寄ってこうかと思いまして……」
 ああ、と全員が頷いた。仙道が東京出身なのは知れたことだ。
「それがいい。たまには親御さんに顔を見せてやれ」
 紳一が保護者のような事を言えば藤真も頷き、みな口々に「じゃーな」と電車に乗り込んでいく。そして――。
「わッ――!?」
 もあとに続こうとした瞬間。急に手を引かれて乗り込むことが叶わず――、仙道に阻まれたのだと気づいた時には電車の扉は閉まってしまっていた。
「え? え……?」
 扉の向こうで紳一の驚いた顔だけを残して電車は発車し、急にがらんとしたプラットホームでは仙道の顔を見上げた。
「な、なに……?」
「いや、ちょっと、ちゃんと二人で話したかったから」
 ははは、とあっけらかんと言われては頬を引きつらせた。――実は、夕べのことがあって以降まともに仙道の顔を見れていない。
「なんだったら、一緒にオレんち行く?」
「行きません!!」
 気にするのがいっそばからしいほどいつも通りだ。もう、ほんとになんなんだ、と唇をとがらしていると、ふ、と仙道が笑みを深くして、ドクッと心臓が痛いほど音を立てた。
ちゃん……」
「な、なに……?」
「そろそろ、答え聞かせてよ。オレ、かれこれ一年以上待ってんだけど」
 にこにこ、とさも当然のように言われて、は固まる他なかった。本当に分からない、と思う。どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか。本当に――。
「仙道くん」
「ん……?」
「そんなことより、バスケ頑張ろう、ね!」
「え――ッ!?」
 そんなことって、とこぼした仙道に背を向ける。そうして内心、ホッとした。ちゃんといつも通り話せている、と。
 やっぱり、仙道がそばにいると心地いい。この気持ちがなんなのか――はっきりは分からないけれど。自然と笑みを浮かべると、仙道も肩を竦めてから、二、と笑った。

 少しだけ、晴れやかな気分だった。
 夕暮れに揺れる風が、秋を含んでいる。ようやく長い夏を乗り越えて、一つの思い出として胸のうちに残せたような。
 そうして歩き出したら、こうして仙道が隣にいるような――そんなイメージを風がさらっていって、はそっと揺れた髪をおさえた。



―― 第一章 - 夏陰 - the end ――


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