――仙道彰。
 それはにとっては未知の生物のようだった。
 予測がつかない。――と、つい今日の夕方のことを思い出して課題のレポートを書くために滑らせていたシャープペンの芯が勢いよくボキッと折れた。


 ――――あのあと。


「なにするのよッ! もう! さいってい!!」

 仙道にキスされたのだと悟った瞬間、思い切り仙道の頬にビンタを入れ罵倒の限りを尽くしてくるりと背を向けた。つもりだった。が。
「待って、待ってよ! ごめんってば。そんなに怒んないで」
「怒るに決まってるでしょ! 信じられないッ!」
「てか、ちゃんっていつも怒ってるよな」
「怒らせるようなことしてるのはそっちでしょ!」
 のれんに腕押し。という表現は仙道に対して使うのが正しいのかも知れない。というほど呑気な態度を崩さない仙道に、いっそカリカリしている自分がばからしく思えてくる。しかし――、と少し涙目で唇を拭っていると、仙道は自身の手を後頭部にやって明後日の方向に視線を投げた。
 少しは反省しているのだろうか? などと黙っていると、あのさ、と仙道がふいにこちらへと視線を戻してきた。
「今度はオレの話も聞いてくれる?」
「え……?」
 よいしょ、と仙道は釣り竿を拾って釣り糸を巻き始めた。どうやら釣りはもう止めるらしい。
「オレ……、こっちで一人暮らししてんだ」
「――!」
「実家は東京だから、近いといや近いんだが……バスケするために陵南に進学すんだし、通学時間は無駄だってことでさ」
 すぐそこ、と仙道はいつもの笑みで自分の住んでるらしき場所を指さした。
「ちょうど中学卒業してすぐ……3月の終わりかな。ここに越してきて初めての日、ぜんぜん地理に詳しくねぇし、特にアテもなく歩いてたら学校のずっと裏手の方にバスケのゴールがある公園を見つけたんだよな」
 知ってる? と問われて、おそらくあそこのことだろうと検討のついたは「うん」と首をたてに振った。
 するとまるで仙道はその反応を予測していたように、いっそう笑みを深くした。
「あの日、オレは――」
 その日、仙道は街を探るように歩いていた、と言った。そして偶然見つけたバスケコート。無意識に近づくと、フェンスの中には一人の少女が立っていたという。
「その時は後ろ姿しか見えなかったけど、その子は二度くらいボールをついて、たぶんスリーポイントの距離だったな。どう説明すればいいのか分からないくらい自然にシュートを打ったんだ」
 お、と感心する間もなくボールは美しい弧を描いてリングを貫いた。その彼女のフォロースルーの美しさに見ほれていると、彼女はすぐにはそこから動かず、ボールを拾いに行くでなく――。
 そしてふと外に身体を向けて仙道の目に映った横顔は、今にも泣き出しそうなほど苦しげなものだった。と仙道はまるでその光景を思い出すように話した。
「そして振り返った彼女と目があったんだけど……、まァ、綺麗な子だったんだけど、なんか気安く挨拶していい雰囲気でもなくてさ……声、かけられなかったんだよな」
 ついでにバスケットボールもそのまま。チラッとこっちを一蹴した彼女はそのまますたすたとフェンスをくぐって行ってしまった――としみじみ言っていて、は首を捻った。
 なぜ自分にそんな話……? と訝しげに眉を寄せていると、なお仙道はニコッと笑った。
「後悔してたんだよな。声、かけたかったなってさ。あのあとずっと探してたんだけど……会えなかったし」
「ふーん……。それで、見つかったの? その人」
 要領を得ないなぁ、などと思いつつ訊いてみると仙道は一瞬キョトンとした表情を浮かべてから、ははは、と笑った。
「ああ。去年の夏。まさか会えると思ってなかったから、ぜってぇこのチャンス逃すか、って張り切って交際まで申し込んだな」
 フラれたけど。と続けられ――、は一瞬固まった。
「――え!?」
 まさか……と呟く前に、仙道はいつもの調子でカラカラと笑っている。
「ひでーな。マジで覚えてねぇんだ。オレってそんなに印象薄い? 190センチ近い高校生って稀なんじゃねえの?」
「え……、いや……でも、私、見慣れてる、し……長身……」
 呟きながら真っ白になったは取りあえず考える。――、去年の三月の終わりと言えば、両親の元から神奈川に越してきた頃だ。
 そうだ。確かに神奈川に越してきた日。それこそ街を探索するように歩いていて例の公園を見つけた覚えはある。
「え、と……。公園に行った覚えはある……。あの、バスケットボールがたまたま置いてあったから、一本スリー打ってみたのも覚えてる。けど……ごめんなさい、仙道くんのことは……」
 覚えてない。と告げると、仙道はもともと下がり気味の眉毛と瞳をさらに下げてしまった。しかし、そんな顔をされても知らないものは知らない。
「ま、しょーがねぇか……。けど、さ。あんな綺麗なスリーが決まれば楽しくねえ?」
「え……?」
「あん時からずっと思ってたんだよな。なんであんな顔してバスケしてたんだろ、ってさ。バスケ好きじゃねぇの、ちゃん?」
「――ッ!?」
 そんな問いを、一年以上の間ずっと自分にしたかったというのだろうか、この人は。そんなの、答えは決まっている。けど、もうやめたことだし。――逃げたことだ。と、俯いていると仙道が「オレは……」と続けた。
「バスケが好きだからやってる、ってより、楽しいからやってんのかもしれねぇな。好き嫌いで言ったら釣りのが好きかもしれん」
 はははは、と本気なのか冗談なのか分からない笑みが漏れてきてはバッと顔をあげた。
「なッ、そんな……仙道くんはバスケットのために陵南に来たんでしょ!?」
「そーだけど。先生には怒鳴られるかもしれねえけど、オレは苦しきに耐えて日本一を目指すより、楽しくやって結果的に日本一ってほうが良いっつーか」
「あ……、甘い! 甘いよ、それは!」
 思わず噛みつくと、仙道はなお声を立てて笑う。
「うんうん。ちゃんは真面目だからな」
「だから、バカにしてるのそれ!?」
「いや、そうじゃねえって! その、"大ちゃん"となにがあったにしても、バスケをやめるこたねーし、やりたいときに楽しもう、でいいんじゃねえの? オレでよけりゃ1on1の相手くらい、いつでもなるぜ?」
「――!? ……イヤだ。勝てないもん、ぜったい」
 気楽に言ってくれるものだ、とジトッと仙道を睨むと、ははは、となおも彼は肩を揺らして笑った。
 その笑みを見て、は初めて仙道とは「こういう人」なのだと分かったような気がした。仙道がいつもにこにこしているのは、その方が楽しいからで、本当にその時を楽しんでいるからで。
 天才で、すごいプレイが出来て、頼られてみんなに寄りかかられていても、その逆境を跳ね返して勝ち抜いて行きたいという気持ちよりも、まずバスケットを楽しみたい気持ちの方が強いのだ。
 だから、釣りの方を優先したい時は優先する。そういう人だ。
 なんとも頼りがいのないエースだな、と半分呆れるも――、バスケットを離れて見てみると、こういう考え方もありなのかも知れない。
 事実、いまも屈託なく笑う仙道を見ていたら少しだけ肩の力が抜けるようで――も、ふ、と微笑んだ。そしてそのままつられるようにくすくす笑っていると、仙道がこちらをジッと見つめてきて静かに笑みを深くした。
「な、なに?」
「いーや。やっと笑ってくれたな、と思ってさ」
「え……?」
「一度も笑った顔、見せてくれたことなかったもんな。一年以上もさ」
 サラッとそう言って仙道は、グッと伸びをしながらそばに置いていた釣り竿と荷物を拾い上げた。
「さ、行こうか。なんかちょっとやる気出てきたから、オレは学校にもどるよ」
 そして歩き出した仙道の背を見て、は少し安堵する。
 ――たぶん、いま、顔が赤い気がする。
 まったく、やっぱりよく分からない。本当に気まぐれな――と熱い頬を誤魔化すように、ジトッと仙道の大きな背中を見つめて、もゆっくり歩き始めた――――。


「あーあ……もう……」

 豪快に折ってしまたシャープペンの芯を睨んで、はため息を一つ吐いた。
 シャープペンを手から離し、右手に瞳を落とす。

 ――見惚れるほどに美しいシュートだった。と仙道は言った。

 確かに、覚えている。
 初めて神奈川にやってきた日、湘南を探索するように歩いていた。まだ桜も開く前のあの日。あてもなく歩いて見つけたバスケットコートに置き忘れのように転がっていたバスケットボール。
 どこか毎日駆け回っていた愛知のコートを思い起こさせて、気付いたときにはボールを手に取っていた。バスケットをやめたあの日以来、久々に立ったコート。久々に打ったシュート。全て、まだ身体が覚えていた――と自分の手を凝視したのをよく覚えている。
 もう終わったことだ。と苦い思いをうち消すようにすぐにコートを去ったため、あの場で仙道とすれ違ったか否かは本当に記憶にない。
 まさか同じ日に神奈川に越してきて、同じ日に出会っていたなんて――。

『バスケ好きじゃねぇの、ちゃん?』

 その問いを今までずっと溜めていたなんて、知らなかった。
 けれども、少し合点がいった。自分が彼に初めて会ったと思っていた試合会場で、仙道はどこか探るようにこちらを見ていたことも、「初対面」だと言ったことに少し傷ついたような表情を浮かべていた理由も。

 けれども、分からない。
 何がどこまで本気なのか――、とは少し熱を持った頬を自覚して、まだ感触の残る唇に手をあてた。



 ピピピピピ、と響いてくる電子音を止めるため、ベッドからにょきっと長い手を出した仙道は既に身体が覚えている目覚まし時計のアラームボタンを正確に叩いた。
「んー………。ねみぃ……」
 数十秒、二度寝の誘惑と戦ってからどうにか勝利し、ムクッと大きな身体を起こすと半開きの瞳のまま洗面台の方へと向かった。
 眠気覚ましも兼ねて勢いよく冷水で顔を洗い、顔を上げれば鏡の中にはくっきりと左頬に赤い手形が付いていて、う、と一瞬呻いてしまった。
「……まいったな……」
 昨日、にもらったビンタのあとであるが――さすがに自業自得であるため文句は言えない。が、遅れて出向いた部活では皆がこの顔を見てざわつき、あれこれと理由を詮索していた。今日、学校に出向いて授業に出ればますます面倒なことになるだろう。
「ま、しょうがねぇか」
 とはいえ、特になにを言われようがどうでもいいが――、と考えつつ手を口元にやる。
 やっぱ不味かったかな、と思わないでもない。
 あのときはどうしようもなく無防備で隙だらけで、それに、ちょっと瞳も潤んでいて物憂げで、本当に「可愛かったからつい」というのが正直な動機なのだが。やっぱりダメだったか、と頭を掻く。いつも立てている髪は降りて自分でも少々不格好だ。
 どうも自分は全てにおいて適当でいい加減に他人からは見えるらしい。もたぶん、そう思っているだろう。一年以上前からこちらは大まじめにやっているとのに、と思うとちょっといたたまれない。
 初めて神奈川に来た日、彼女を見つけた。一目惚れ、と言ったらおかしいかもしれないが。けれども本当に目を見張るほど美しいシュートで、それなのに辛そうにしていて。彼女を笑わせたい、と思ったんだっけか……と髪をセットしながら考える。
 それでも、ようやく得心がいった。
 自分にほとんど興味を抱いてくれないわりに、陵南の試合は必ず見に来てくれていたわけを、だ。
「諸星大、ねぇ……」
 あれほど大ちゃん大ちゃんと言われれば多少は気にはなる。が、紳一の同級生ということは既に三年生だ。対戦するチャンスはおそらくない。まだ冬の選抜が残ってはいるものの、選抜予選を勝ち抜くのはかなり厳しいからだ。
 残っていた食パンを適当につまむと、仙道は部屋の窓を開けた。とたん、フワッと潮の匂いが鼻腔を満たして思わず目を細める。瞳に映る海面がきらきらと光っている。今日も良い天気だ。
「さて、と……。浜ランでもすっかな」
 時計の針はまだ6時前。砂浜でのランニングで一汗かいてから朝練に行こう、と予定立てて家を出る。
 砂浜でのランニングは足を取られて体力的には辛いものの、仙道は海を見ながら湘南を走るのは嫌いではなかった。それに体力が落ちれば試合でのパフォーマンスが落ちることも重々理解しており、その最低限のラインを下回るほどにバスケットをサボったことはさすがにない。
「うーっす!」
 浜ランを終えていったん着替えてから学校に向かい体育館に入ると、既に到着していた部員達が一瞬固まって仙道の方を見やった。
「せ、仙道さん!?」
「お、おはようございます、キャプテン!」
 朝練に仙道が姿を現したのがそうとう珍しいのか、みな驚きの表情を隠せないまま頭を下げている。そして部員もだいぶん集まりだした頃――、遠巻きにヒソヒソなにかを言われているのを仙道が肌で感じていると、ゾロゾロとレギュラーの面々がやってきた。
「お、仙道じゃねーか。朝練に来るとは、今日はどうし――ゲッ!」
 越野の声だ。「ん?」と振り返ると越野はギャグ要員のようなリアクションを取っており、突っ込みを入れる前に仙道の頬を指さしてきた。
「な、なんだその手形!? お前、なにやったんだ!?」
 そういえば越野は昨日の部活を早めに切り上げたらしく、会ってなかったんだった――と思い返しつつ仙道は頬に手をやった。
「うん。まあ……ちょっとな……」
「ハァ!? どうせロクでもないことやらかしたんだろ! 自重しろよ自重! ったく」
 なにを思い浮かべられてるんだろう、と思いつつ、まあいっか、と思い直し、あらかた揃った部員達を見渡して仙道は軽く手を叩いた。

「さぁ、始めようか!」

 案の定その日以降、仙道の頬のビンタあとは陵南高校のホットな話題となり――。
 タイミング良く真面目に部活動に精進しはじめた仙道のことを「女にこっぴどく振られて、それで部活に打ち込んでいる」などと部員達が噂立てたが――それは当人の与り知らぬことである。



 海南大附属高校バスケ部監督兼教師・高頭は迷っていた。
 10月はじめには国民体育大会――国体のバスケット部門が開催される。国体は各県の選抜チームで優勝を競い合うものの、神奈川県選抜はいつもそのまま海南のチームが出場していた。
 が――今年に限っては、と考える。
 県は海南が制したとはいえ、準優勝の湘北にも才能豊かな人材は流川をはじめ幾人もおり、また陵南の仙道もこのまま埋もれさせるのはあまりに惜しいだろう。翔陽の藤真とてそうだ。
 この才能豊かな選手達を選抜して理想のチームを作り上げることができたら――と考えるのは監督ならばごく自然なことだろう。
 と、なると――と高頭は自身に頷いて、自宅の受話器を取った。

「はいはーい」

 食後にと紳一がソファで紅茶を飲んでいると電話が鳴り、紳一よりも先にが立って受話器を取った。
「はい、牧です。――あ、高頭先生。こんばんは」
 その声に、紳一は少々驚いてカップにソーサーを戻した。
「兄ならいま――、え、私にですか?」
 高頭からの電話など珍しい、と思いつつ伺っていると、どうやらに用事のようだ。ちらりとの方を見ると、解せないという表情を浮かべている。
 しばらくして電話を終えたは、うーん、と唸りながらソファに腰を下ろした。
「どうした?」
「んー、話があるから明日の朝、バスケ部に顔を出して欲しいって。授業の前に時間取ってくれるか、だって」
「監督がお前に話……?」
「おかしいなぁ……。私、期末じゃ高頭先生の化学も含めてトップだったはずなんだけど……。あ、この前の小テストが赤点とか? いやまさか……」
 本当に心当たりがないらしいは成績のことだろうと目星を付けてブツブツと唸っている。
 むろん紳一にも皆目検討が付かず、翌朝、紳一とは揃って登校して体育館に向かった。

「お、牧……! 君の方も来てるな」

 体育館にて手持ち無沙汰のが隅で準備運動をしている部員達をぼんやり眺めていると、朝練開始ちょうどの時間に高頭は姿を現した。
 挨拶をすると、高頭から体育館内の小会議室で待つように言われ、移動する。彼は朝練の指示を出してからくるらしい。
 10分ほど待っていると、高頭が会議室に入ってきた。
「朝っぱらから悪かったな」
「いえ……。あの……。私、なんか小テストでミスでもしました? 実験でポカやったりしましたっけ……?」
 高頭に呼び出されるなどそれ以外の理由が思い当たらずかなり思い詰めて高頭に詰め寄ると、高頭は鳩が豆鉄砲をくらったようにぽかんとし、ついで愛用の扇子を開いて笑い声を立てた。
「いやいや、君の成績はなにも問題ない!」
「そ、そうですか! 良かった……。あの……じゃあ、いったい……」
 ホッとするもつかの間、いったい用件は何なのだろう? とさらに警戒していると、うむ、と高頭はパチッと音を鳴らして扇子を閉じる。
「実は……来月の国体のことなんだが……」
「ああ、そういえばもうじきですね」
「うむ。それで、だ。いつもは君も知っとるように海南のチームをそのまま神奈川代表として出していたが……今年に限っては選抜にしようかと考えていてな」
「選抜に……!?」
 うむ、となお高頭は頷いた。
 予想外の話ではあるが、国体はもともと選抜メンバーで臨むのが普通である。神奈川には個性的な選手がたくさんおり、各校のライバル達が同じチームでプレイするとなれば、これは考えただけで心が躍る。
「お、面白そうですね! ということは、お兄ちゃんと藤真さんがツインガードなんてこともあり得るってことですか!?」
「そう、そうだ! これほど贅沢なチョイスができる年にはもう恵まれんだろう。君なら誰を選抜する? この神奈川で」
 なぜ高頭がそんなことをわざわざ聞いてくるか全く理解できなかったが。でも、それでも……にとってもこの話題はこれ以上ないほどワクワクするものだ。
「選抜メンバーは12人、ですよね。じゃ、ポジション別に……1番はお兄ちゃんと藤真さん、それと湘北の宮城くん」
「うんうん」
「2番はまず三井さん! それに、清田くん……かな。3番は神くん、仙道くん、流川くん、ああ、4番の桜木くんは……どうなんでしょう?」
「桜木は残念だがまだリハビリ中らしい。惜しい人材だな、目立った4番のいない神奈川では貴重な才能だというのに……。センターはウチの高砂、それに翔陽の花形、か」
「赤木さんは……」
「赤木は引退したらしい。あとは……そうだな、陵南の福田に、ウチの武藤か、それとも翔陽の長谷川か……。まあ、そんなところだろうな」
「これだけのメンバー、もしも実現したらスタメン選びも苦労しますね。控えですら全国上位クラスですから!」
 自然と声色が明るくなりうずうずしてくるも、ハッとしたはもう一度高頭に向き直った。
「あの、それで……なぜ私にこのようなお話を……?」
 すると同じく楽しい想像を続けていたらしき高頭もハッとして、コホン、と一つ咳払いをした。
「いや、実は……。君に国体の手伝いを頼みたくて、な」
「手伝い……?」
 瞬間、の脳裏に真っ先に「マネージャー」の文字が浮かんで反射的にブンブンと首を振るった。
「む、無理です無理! お断りします! マネージャーならウチの部員にいるじゃないですか。あ、もし女性がいいというなら湘北にいましたよね? そっちにお願いしてください」
 神奈川選抜自体は面白そうであるが、共に彼らと戦えるならともかく、挫折したバスケットをいまなお続けている、しかも全国級の選手達のサポートをするのはおそらく想像を絶する苦痛だ。素直に外野から応援していた方がいい。
 すると高頭は慌てて首を振るった。
「い、いや、違う、そうじゃない。マネージャーではなく…………、君に、セカンドコーチを頼もうと思って、な」
「――え!?」
 またいきなりなにを言い出すのだ、とは間抜けな声をあげた。数回瞬きをすると、高頭は再び扇子を開いた。
「君が、牧や愛和学院の主将・諸星と同じチームでバスケットをしていたのは知っている」
「……。昔の話です」
「うむ。……だが、バスケを忘れたわけではないだろう? 現に、神のシュート練習を時々手伝っているな?」
「――!?」
「パス出しや、たまにツーメンで多様な練習をさせて付き合っているだろう? それも見て私は言っているのだが……」
 見られていたのか。さすが監督。と思うも、やはり突拍子もない話であることには変わりない。
「それでも私が適任とは思えませんが……。陵南や湘北の監督はどうされるんですか?」
「うむ。これは私も同じだが、田岡先輩も自分の学校の通常練習を見なければならないからな。合宿や試合で選抜チームにつきっきりというのは難しい。そういう意味でも海南の人間に私のサポートを頼みたいと思ったわけだ」
「ああ、それは……まあ……」
「国体前に一週間ほど大学の方で合宿を行おうと思っている。9月下旬の連休の時期にな。私は君に監督をしろと言っているわけではない。あくまでコーチとして技術面のサポートだ。国体の間だけで構わん、力を貸して欲しい」
「と、言われましても……。あの、私、勉強もありますし……」
「たった国体だけで首位から落ちるようなら、最初からその程度だったと思うしかあるまい」
 ピク、とはこめかみを引くつかせた。さすがに知将と呼ばれる高頭だけあって減らず口も上手いらしい
「先生。本当にありがたいお申し出ですけど……。私は本格的にバスケットを離れて三年ほど経っています。それに、他人を指導したこともありません」
「湘北の三井も二年のブランクがあって、あれだけの働きをしたぞ」
「み、三井さんは……それだけのセンスと、才能のある人ですから……」
「ずいぶんと謙遜するな……。本当にそう思うのか? 確かにブランクは全力で試合を行おうと思えば致命傷になり得る。だが……長年かけて一度得た技術や知識は、そう簡単に衰えたりはしない」
 ピクッ、との身体が撓った。なお高頭は真剣な面もちをに向けた。
「せっかくの技術……。このまま錆び付かせて惜しくはないのか?」
「――ッ」
「それに、君は、チームの中心だっただろう? どう指示し、どう育てればいいか……全く知らないなどということはあり得ないはずだ」
 どこまで人のことを調べたのだろう、この人は。と煽られるように無意識に武者震いで身体を震わせていると、広げた扇子で風を作りながら急に高頭は笑った。
「ま、なんにせよ女性に見られていると男どもは頑張るもんだ! 高校生くらいの男は特にな! これも神奈川全国制覇のためと思って検討してくれ」
 一気に脱力しただったが、全国制覇、という言葉にフッとある考えが過ぎった。

 ――愛知も、もちろん諸星を中心としたチームを作って国体に出てくるだろう。

 神奈川が選抜チームで臨むということは、そうだ。今度こそ仙道が全国へ出る、諸星と戦うチャンスだ、と。

 仙道――と意識したときに、一瞬、先日の"事故"が過ぎって無意識に顔をゆがめてしまったものの――。それは今は忘れよう。
 もしもこの手で、少しでも強いチームを作ることに携われるなら――と考えた胸の鼓動が急激に高鳴り始めた。

 そして、ゴクリ――、とは喉を鳴らした。


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