一度、諦めてしまったバスケット。
 いやバスケットを諦めてしまったわけではない。紳一や諸星と共に走り抜けることは叶わないのだと悟っただけだ。
 バスケットとは、自分にとっては紳一と諸星と一緒でなければ成立しないものだった――と考えてふるふるとは首を振るった。そっと自室の窓を開けて、空を仰ぐ。

『その"大ちゃん"となにがあったにしても、バスケをやめるこたねーし、やりたいときに楽しもう、でいいんじゃねえ?』
『せっかくの技術……。このまま錆び付かせて惜しくはないのか?』

 楽しめばいい、か。でも、やっぱり。
「負けたら悔しいよね、ぜったい」
 ジトッと天上の星空を睨み付けた。――仙道なら、苦しかったらやめたっていいんだよ、なんて笑って呑気に言うんだろうか、と思いつつ窓を閉じる。
 もう答えは決まった。一年前からそう望んでいたように、自分の願いは仙道を大きな舞台で見ることだ。他の陵南選手も来るのなら、少しでも強くしてやる、と。

ー、ご飯よー」

 ふいに下から叔母の声が聞こえて、ハッと意識を戻したは「はーい」と返事をしてぱたぱたと下に降りた。リビングに入ると食卓に紳一の姿が見え、あ、と呟く。
「お兄ちゃん、帰ってたんだ」
「おう。お前、今日は監督になに言われたんだ? やっぱ成績か?」
 紳一も気になっていたらしく、違うよー、と苦笑いしながらも席に着く。
「国体のセカンドコーチ頼まれちゃった」
「――は?」
「なんか今年は神奈川選抜チーム作るらしくて、補佐が欲しい、って」
 やはり、よもやそんな話だったとは予想だにしてなかっただろう紳一が固まり、は高頭から受けた話を一通り紳一に説明した。
 聞き終わって紳一は一言、そうか、と呟く。
「それで……。受けたのか?」
 うん、と呟くと、紳一はもう一度「そうか」と笑みを深くした。反対ではないらしい。
「それで、お兄ちゃん」
「ん……?」
「明日から部活のあと、付き合って」
「……。おう」
 もちろんだ、と頷いてくれた紳一と笑いあっていると、同じく席に着いた叔母が「ちょ、ちょっと」と話に割って入ってきた。
ったら、またバスケットを始める気?」
「え……?」
「心配だわ……。もうあんな傷だらけになるようなことはやめてちょうだい」
「あ……。だ、大丈夫……、そんなにやり合わないから……」
「髪の毛だってせっかく伸びて叔母さんの楽しみも増えたのに、ぜったい切っちゃダメよ、いい?」
「は、はーい……」
 "娘"のいない叔母はのことを娘のように溺愛している。そういえば小さい頃は、兄弟みたいだ、などと呆れていた叔母が髪を伸ばした自分を見て痛く感激していたっけ。などと思いつつ、隣で面白そうに笑う紳一をチラリと見て苦笑いを漏らした。


 激しい兄妹――、いや親戚同士だな、と神はシュート練習をしながら横目でチラリともう一方のコートの方を見やった。
 が運動着とバスケットシューズ姿で練習後の体育館に姿を現して三日ほど経っている。最初は何ごとかと驚いたが、10月の国体で選抜チームのコーチ補佐を務めるらしく、カンを取り戻して身体慣らしをしたいから、とバスケ部の練習が終わったあとに紳一と練習をするためだそうだ。
「うーん……。牧さんをアゴで使えるのは世界中探してもちゃんくらいだろうなぁ……」
 やり合うと紳一を見て、ははは、と肩を竦めた。
 の実力は、たまにが練習に付き合ってくれるためにある程度知っていたが――これは予想以上だな、と舌を巻く。もっとも、かつてはあの紳一と愛和の諸星を抑えてエースフォワードを務めていたらしい、と見知っていた神にとってはそこまでの驚きでもなかったが綺麗なジャンプシュートを決めたに対抗して、シュッと神も負けじとシュートを放つ。

「選抜チームか……。楽しみだな」

 放ったボールは今日で一番綺麗な弧を描いてスパッとリングを貫いた。


 9月も下旬にさしかかり、高頭とは会議室で顔を付き合わせていた。
「さて、選抜メンバーだが……君の意見も採り入れつつメンバーを決めた」
 言って高頭がにメンバーリストを差し出してくる。そこにはコーチである高頭の名とセカンドコーチである自分の名、それからマネージャーを務めてくれる部員の名と選手達の名が記されていた。
「海南から牧、高砂、神、清田。湘北から三井、宮城、流川。陵南から仙道、福田。そして翔陽から藤真、花形、長谷川……ですか。……さすがに強そうですね、特にオフェンス面」
「うむ。2、3人迷っていたがディフェンス面の強化を考慮して翔陽の長谷川も加えた。高さもあるしな。まだスタメンまでは決められんが、どう思う? 君なら誰を一軍チームにする?」
 言われては考える。贅沢な選択だなぁ、と思うも高頭は自分が誰を選ぶか試しているのだろう。バスケットに対してどのような思考をするか知っていた方がやりやすいだろうからだ。
「シックスマンまで考えるのであれば……。牧、藤真、神、仙道、花形。それと流川ですね。センターは高砂さんと迷うところですが、花形さんの方が高さがありますし、藤真さんがポイントガードにいるなら慣れている花形さんの方がいい」
「ポイントガードに藤真……?」
 高頭は当然、紳一をあげると思っていたのだろう。はい、とは頷く。
「藤真さんは、プレイングマネージャーとしては申し分ない素養を持ってますし、ガードとしてドリブルなどの基本能力が高いのはもちろん、パスもさばけて味方を活かすのが上手い。そして自身も中でも外でも点が取れて、シュートエリアが広い。とても理想でクラシックなポイントガードです」
「まあ……そうだが、やけに藤真の評価が高いな。牧は……」
「兄は……、フィジカル面からいって1番よりもいっそ4番にコンバートしたいくらいです。昔は藤真さんのようなタイプだったんですけど、成長期で異様にがっちりしちゃってインサイド主体のプレイが得意になりましたから……ポイントガードとして優れているかと問われたら、ちょっと返答に困ります」
「はっはっは。ま、確かにこれだけ周りに点の取れる選手がいれば牧が自ら切り込む必要もないだろうな。逆に藤真のゲームメイク力は活きるだろう」
「神くんと仙道くんは、ダブルフォワード体勢で。流川くんは爆発力のある選手なので、控えで体力を気にせずプレイしてもらうのが一番効率がいいと思います。彼なら神くんをさげても、兄をさげてもいいでしょうから」
「流川と三井は体力に問題を抱えているのが普段なら気になるところだが……。要所要所で使う分には申し分ない選手だな。あとは高砂と花形はマッチアップを見てどっちを使うか考えるところだが……。ま、メンバーは私も君に同意見だ」
 ということは、いわゆる二軍はこのメンバーか……とはリストに目線を落とす。高砂、清田、三井、宮城、福田、長谷川だ。
「ベンチは……。こ、個性的な顔ぶれですね……。穴があるというか……」
「まあそいつらの強化も合宿の目的の一つだ。わざわざ君に技術コーチを頼んだのも、そういうことだからな」
「あ……!」
 そうだ。とは顔をあげた。国体に限り味方同士となるメンバーだが、国体が終われば元のライバルへと戻ってしまう。
「先生……、一つ確認を取りたいのですが」
「なんだ?」
「将来的に海南の不利益になるとしても……。彼らを強くしても構わないということですよね?」
 瞬間、高頭は眼鏡の奥の瞳を瞠目させ、そして愛用の扇子を開いて豪快に仰いだ。
「むろんだ。心配せんでも、ウチは来年も負けはせん!」
 聞いても、ふ、と微笑んだ。


 9月、下旬。
 神奈川県選抜合宿は9月の第3、第4土日と祝日を利用して9日間かけて行われる。
 場所は海南大学。大学の体育館の一つを専用で使い、選手達は大学の宿舎で寝泊まりして寝食を共にする。にわかの寄せ集めメンバーと共同生活をすることで、チームとしてのまとまりも強化する狙いだ。

 とはいえ、大学は高校のすぐとなりであるためを含めた海南のメンバーにとってはいつもと代わり映えしないのだが――、と初日の早朝。は大学側の前庭で心持ち緊張しながら校門の方を見やっていた。休日なためか学生たちの姿はまばらだ。
 9時半集合の10時開始だったが、既に海南の3人は到着しており宿舎へ荷物を置いて準備している。大学の施設を案内するのは彼らの役目だ。
 9時を回った頃――、門の方にヌッと二つの大きな影と、それを従えた少年が見えて、あ、とは瞬きをした。
「藤真さん! 花形さん!」
 翔陽だ。藤真はもちろん、花形は身長197センチを誇る翔陽のスターセンターで見知っているが、隣の大きな坊主頭は誰だろう? おかしいな、記憶にない。などと考えあぐねていると「お」と藤真が珍しいものでも見たかのように反応した。
「牧の従妹か。久しぶりだな。牧の手伝いか?」
「あ……そういうわけじゃないんですけど。あの……」
 ちらり、と藤真の横にいた大柄の男を見上げると、ははは、と藤真が笑った。
「コイツ、湘北に負けて気を引き締めようといきなり頭丸めたんだぜ。オレたち翔陽は冬へ向けてのリベンジで気合い入ってるからな!」
「は、はぁ……」
「……長谷川です……。よろしく」
 気合いの入った頭の割には大人しそうな人だな、と自己紹介をする少年・長谷川を見つつ思う。藤真も一見すれば目を見張るほどの美少年ではあるのだが、イメージに反してどちらかというと男臭いタイプである。体育会系というか――などと思いつつ「とりあえずどうぞ」と中へ案内した。
「あ、花形さん。先日の模試でお名前見かけました。さすがですね」
「ありがとう。一応受験も控えてるから両立しないと……」
 花形は翔陽きっての秀才らしく、全国模試等々で名前を見かけることが良くある。むしろバスケットの選手というよりは翔陽の秀才としての花形の方がにとってはなじみが深い。などと考えているとあっという間に時間がやってきた。

 余談ではあるが、さっそくギリギリに現れた仙道にやきもきさせられ、「仙道はまだか!」と苛立っていた高頭はライバル・田岡に激しいシンパシーを覚えたという。

「えー。みんな良く集まってくれた。総監督を務める高頭だ。これからの9日間、互いに切磋琢磨しあい、また神奈川の全国制覇を目指す仲間として頑張って欲しい」
「はい! よろしくお願いします!」
「それと……」

 体育館に彼らの声が良く通り、さすがにこれだけのメンバーが12人も揃えば圧巻だなと感心しきりに見守っていたの方に高頭が目配せしてもハッとした。
 途端に事情を知らない清田も含めて好奇の目がに向けられる。当然だろう。は彼らを見知っているが、彼らの大半はを知らないしそもそもなぜここに立っているか疑問だったはずだ。
「えー……。彼女はこの国体でセカンドコーチを務めてくれる、牧くんだ」
「牧です。よろしくお願いします」
 瞬間、ザワッと辺りがざわついた。
「セカンドコーチ……? マネージャーじゃなくて……?」
「え、ていうか"牧"……?」
 思い思いに選手達は顔を見合わせて言い合い、当然の反応だな、などと思っているとやっぱり驚いたらしく目を瞬かせている仙道とバチッと目があって、はパッと視線を逸らした。
「察しの通り、オレの妹だ」
 そこで紳一がそう宣言し、隣で神が「いや、牧さん……」と突っ込みを入れかけ、藤真が「ハァ? 従妹だろ従妹」とまっとうな突っ込みをしていたが周りのざわつきにかき消され届いていない。
「妹!? え、妹!?」
「ギャハハハハ!! 全然似てねぇじゃねーか! 牧、お前拾われっ子じゃねえの? インドあたりからの!」
 一番騒がしかったのは湘北の三井だ。紳一は拳を握りしめてプルプル震わせていたが、清田の耐えきれなかったらしきもらい笑いを見てしまいついに鉄拳が清田に飛んでいた。

 ――これは、予想以上に問題児軍団だな……。

 そんな言葉が、ひらひらとこちらに手を振る仙道を視界の端で捉えつつの脳裏に浮かんだ。


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