フォワードは、エースのポジション。
 少なくとも自分はそう思っていた。オフェンスも、ディフェンスも、インサイドもアウトサイドも何でも出来るスーパースター。
 もしもチーム内にエース格が複数いれば、さながらエースフォワードはエースの中のエース。エース・オブ・エースだ。

『大ちゃん……!』

 瞳を閉じれば、瞼の裏に浮かぶの姿はいつだって頼もしい後ろ姿だ。ガードの自分と紳一は、いつもその姿を見ていた。まるでヒーローのように、頼もしく見ていたのだ。
 背が高くて、速くて、強くて、格好いい。自分の中にある一番古い記憶から今まで、は自分の中ではそういう存在だ。今も、それは何一つ変わっていない。

『大ちゃん! 神奈川には、すごい選手がいるよ!』
『いまに大ちゃん以上の選手になると思う! 来年のインターハイが楽しみ』

 一年前、二年ぶりに再会したは興奮気味に神奈川県予選でのことを話していた。
 生まれたときから――と言ってしまっても過言ではないほど遠い昔から、いつも一緒だった。自分と、紳一と、と。どれほどの時間を共に体育館で、近所の公園で、バスケットボールと共に過ごしてきただろう?
 三人一緒にプレイをすることが叶わないと知った中学の頃。追い打ちをかけるように、互角以上だった実力差は男と女という性差の中で簡単にひっくり返って無情なほどに開き始めた。だから――。

『もう、諦めてくれ――』

 ああ言うしかなかった。――と、過ぎった古傷に顔を顰めていると、ふいに自分を呼ぶ声に諸星はパッと顔を上げた。
「どうした? 腹でも痛いのか?」
 同じ部屋のチームメイトだ。ハッとして否定すると、諸星は「少し外に出てくる」とホテルの外に出て、夜空を見上げた。
 今日の試合も快勝し、明日は3回戦――湘北高校とだ。

『で、あの流川ってヤツじゃねえよな? 二年なんだろ、お前がオレ以上とかぶっこいていたヤツは』
『え、あ……その。それが…………』

 一年前にが目を付けたらしい神奈川の選手は、予選を突破できず終いだったらしい。深くは追求しなかったが――、予選を突破できなかったとはいえ、よほどの選手ではあるのだろう。
 なにせがあれほどまでに推すのだから、と諸星はなお満点の空を見上げた。
 中学卒業後、自分は愛和学院へと進学を決めたが、当然一緒に進学すると疑っていなかった紳一は神奈川への進学を決めてずいぶんとケンカをしたものだ。――親の転勤に合わせたとは、一報を聞いたときは知らなかったからだ。
 それでもは愛知に残ると思っていたが――彼女は実の両親の元へ帰ると中二の終わりに日本を離れてしまった。
 ――オレを避けたのだ。と本能的に思った。見当違いかもしれない。けれど、少なくともあのときはそう感じた。
 もう二度と、下手すると会うことすら叶わないかもしれないと思いつつ――、二年後の夏にインターハイで会ったは決して伸ばそうとしなかった髪を伸ばして、見た目だけは180度「女」になっていた。それでも、何も変わらず、何事もなかったように「大ちゃん!」と呼びかけてくれたことにずいぶんと安堵したものだ。しかし――。

『大ちゃん! 神奈川には、すごい選手がいるよ!』
『いまに大ちゃん以上の選手になると思う! 来年のインターハイが楽しみ』

 今まで何があっても、従兄である紳一以上に自分のことを買ってくれていたが――あの沢北栄治を前にしても、「大ちゃんが一番」だと言ってくれるが、自分以上の選手を見つけた、と言った。
 おそらくその選手が――再び彼女の目をバスケットに向けさせたのだろう。
 それはおそらく、が――と考え込んでグッと諸星は天へと声をあげた。

「くっそー!! 湘北でもなんでもかかってきやがれッてんだ!! ぜってー負けねえッ!!!」


 そんな諸星の雄叫びなど誰も知るよしもなく――翌日。
 第一試合の愛和対湘北戦を観戦するために海南レギュラーの面々とは観客席の最前列のもっとも良い場所を早々に確保した。海南は今日は最終の第4試合である。
「湘北と愛和……。地力では圧倒的に愛和。だけど山王も破ってしまった湘北だけに……。どうなるか分かりませんね、牧さん」
「まァ、そうだな」
「な、何言ってるんですか神さん! そうそう奇跡なんて続かないっすよ、ありえない!」
 そうして10分前となり、両校の選手達が入場してくる。

「湘北ーーー!!! またいっちょ奇跡を期待してるぜーー!」
「愛和ーー!! ポッと出に負けんじゃねえぞー!」

 諸星は入って来るなりぐるりと観客席を見渡して、めざとく海南の――紳一との姿を見つけるとグッと親指を立て、歯を見せ笑顔を向けてきた。
「何やってんだアイツは……」
「大ちゃん! 頑張って!!」
 腕組みをしていた紳一が苦笑いを漏らし、は声援で応える。
 しかし――、と紳一はチラリと湘北サイドへ目線を移しながら重い息を吐いた。
「湘北は昨日の山王戦であれだけの働きを見せたんだ。疲労もピークに来ているだろう。愛和有利、だな……」
 その声に、ピク、と隣に座っていたの手が反応する。そして、チラリと横目で紳一を見やった。
「陵南だって、海南戦・湘北戦と連戦だったよ」
「――ッ!」
 は自分の声に湘北への同情心を感じ取ったのだろう、と紳一は唇をへの字に曲げた。
 ――山王戦で、海南はやはり同じ神奈川の湘北を一心不乱に応援していた。はのちに「そうだと思った」と言っており、それを見越して諸星と共に観戦していた、ということだ。しかし今日の湘北の対戦相手は愛和学院。の気持ちは100%愛和にあるだろう。――むろん紳一とて湘北に感じる親近感は諸星に勝るほどのものではない。
「桜木は……。やっぱ出られないか……」
「大ちゃんのマッチアップは三井さんか流川くんだろうけど……。二人とも体力ないから、大ちゃんにだいぶ有利かな」
 どこか覇気のない顔つきの湘北陣営と気合い漲る愛和陣営を見ていると、ティップオフの時間がやってきた。

「流川! 三井ッ! 諸星に付けぇ、止めろ!!」

 しかし――、試合開始直後から湘北はいっそ面白いほどに諸星を止められず、キャプテンの赤木からは流川・三井のダブルチームでディフェンスにあたる指示が飛んでいた。
「うおお、ダブルクラッチ! さすが愛知の星!」
 ゴール下で三枚のブロックをかわして十八番のダブルクラッチからのレイアップを決めた諸星に観客が沸き、清田も感心しきりに目を丸めた。

「昨日の勢いはどうしたッ、一年坊主!」
「――ッ」

 当の諸星も――警戒していた流川の足があまり付いてこれていないことに拍子抜けしつつも、手を緩めることはない。
 ドライブやスリーポイントは流川や三井の専売特許ではないことを見せつけるかのように得点を重ね、館内をどよめかせた。

「すげえ、さすが愛知の星ッ――!!」
「諸星、止まらねぇ!!」

 初心者、とはいえムードメーカーかつリバウンダーの桜木が抜けた穴は予想以上に大きかったのか、「王者・山王を倒した」という達成感と疲労で新たな戦いに臨む気力を持てなかったのか――。
 愛和は湘北相手にトリプルスコアに迫る大勝で4回戦へとコマを進めた。


 ――そして、大会5日目。

 おそらくは、愛和・海南にとって最大の山場となるだろう準決勝の朝を迎えた。
 ベスト4常連の2校は今年も危なげなく順当にトーナメントを勝ち上がり、準決勝で雌雄を決する事となった。
 互いに「4」の背番号を背負ってコートに立った紳一と諸星は、互いに笑みを向け合う。
「最後のインターハイだ。できればお前とは決勝で戦いたかったんだけどな」
「そうだな。――だが、勝つのはオレたち海南だ。ここはもらうぞ、諸星」
「良い度胸じゃねえか! っていうかズリーんだよ、なんでは海南サイドにいるんだよ! アイツの地元は、つかお前も愛知人だろうが! 裏切り者ッ!」
 かと思えば地団駄を踏みだして観客席と紳一の顔を交互に見やる諸星に、紳一は頬を引きつらせた。
「いや、まあ……は特にどっちの味方でもないと思うぜ」
「――まあいい。勝って日本一になるのはオレたち愛和だ。覚悟しろよ、牧!」
 張り合うキャプテン達を若干引き気味に両チームの選手達が見守り、準決勝――開始。

「お兄ちゃん! 大ちゃん! 頑張って!!」

 事実、紳一の言うとおり――愛和と海南の対戦に限ってはにあまり敵味方の意識はなかった。
 心情的には海南であったものの――、あの二人にとって最後の夏、最後の戦いとなるこの試合。まさにどっちが勝っても恨みっこナシだ。
 紳一が得意のペネトレイトからインサイドに切り込めば、すかさず諸星がすかさず外から返す。海南の神の規格外のロングシュートが決まり出せば、愛和はディフェンスを外に広げて諸星が積極果敢な攻めでインサイドを切り崩す。

「どっちも負けてねぇぜ!!」
「さすがかつてのゴールデンコンビ! 牧と諸星!」
「今日はどっちだ!?」
「選抜のお返しだ、海南! 勝てよッ!!」
「今回ももらえ、愛和ッ!!」

 次第に観客も選手達に乗せられるように白熱し、試合時間残り30秒。

「次世代ナンバー1シューティングガードはこのオレだあああ!!!」

 諸星のロングレンジを驚異のジャンプ力で清田が弾いてスコアは70対68、愛和2点ビハインド。リバウンドを制した海南がそのままボールをキープして試合終了のブザーが鳴った。
 ワッと海南応援陣が踊り出す。――海南はこの勝利でこれまでのベスト4の壁を破って決勝戦へとコマを進めることが決まった。
「くそ……ッ。仕方ねぇ、全国制覇はお前に譲ってやる」
「――ああ」
 そうして整列して握手を交わす両キャプテンに、観客席からは惜しみない拍手が贈られた。

 しかし――残念ながら海南は翌日の決勝で惜敗し、今年の大会は準優勝に留まった。
 それでも全国での成績を去年より一つあげたことと、海南からは神が全国でも得点王に選出されるという快挙を得て堂々の帰還と相成り――今年の夏は幕を下ろした。



 ――インターハイが終わり。夏休み。
 どれほど海南の練習が厳しくとも、最大の山場であるインターハイ終了後は直前ほどのタイトさではない。加えて海南は大学付属であるため、バスケットを続けるにしろやめるにしろ最低限の進学路は確保できているため選抜まで残る三年生も主力外問わず多い。
「出かけるのか……?」
 インターハイ終了後はバスケットの練習と趣味のサーフィンに明け暮れてもはや日本人とは思えぬほどの褐色の肌をした紳一が、制服を着込んで出かける用意をしていたに声をかけた。
「うん、学校」
「課外か?」
「ううん。約束してるの、神くんと」
「神と……?」
「うん。夏休みの宿題、一緒にやろうって。そのあと神くんの自主練に付き合うつもり」
「そ、そうか! 神は真面目なやつだからな。いいと思うぞ」
「……なにが……?」
 どこか嬉しげな表情をする紳一の意図が分からず首を捻ると、いってきます、とは家をあとにした。
 朝から日差しが眩しい。今日の湘南も、観光客で大にぎわいだろう。

 神は、元来の真面目な性格が幸いしてかあれだけの練習量をこなしているというのに成績も良く、はある種の尊敬の念を神に抱いていた。
 初のインターハイで準優勝を決め、全国得点王に選ばれてもなお日々努力し続ける神。
「オレは、パワーが足りないから。フォワードなんだし、当たり負けしない筋力付けるのが今の課題かな」
 自分の足りない部分もよく理解していて、確実に一つ一つクリアしていこうとする神を間近で見て――時おり出るのはため息だ。

 ――仙道くん……。

 いくら天才でも、置いて行かれちゃうよ。――と、意識の奥で呼びかける。
 のらりくらり、というのが仙道のペースなのかもしれないが……。だけど、もう、あのインターハイ予選のような仙道の敗北は見たくはない。

 ほっとけ、と言われても。
 今年のインターハイのこととか、そもそも練習ちゃんと行け、とか。言いたいことは山のようにあるのに――と。
 二学期が始まった、その週の午後。いつもは図書館に籠もっての勉強を返上して海岸線を歩いていると、漁港付近に見慣れたツンツン頭が見えた。
「…………ッ」
 相変わらず。何をやっているんだ。いまは部活の時間ではないのか。と、その大きな背中をじろりと睨んだ。――もうインターハイ予選終了から二ヶ月が経っている。感傷に浸る時間はとうに過ぎたはずだ。
「せ……ッ」
 呼びかけようと思って一瞬口を噤み、数秒逡巡したのちに意を決してはその背中に近づいた。
「仙道くん」
「ん……?」
 呼ばれて、その人物――仙道が振り返った。あ、と意外そうに瞳を瞬かせている。
「なんだ、ちゃんか……。ひさしぶり」
「な、なんだ、ってなによ、なんだって……」
「いや、彦一あたりが呼びに来たのかと思って」
 ははは、と相変わらず呑気の笑う仙道に今までため込んでいた苛立ちがこめかみに青筋を立たせ、はツカツカと仙道に歩み寄ると彼の握っていた釣り竿をパッと奪い取った。
「あ……ッ」
「もう! なにやってるのよ仙道くん! 部活は!? いま練習中じゃないの!? それとも釣り部に転部でもした!?」
 勢いのまま大声をあげると、その迫力に押されたように仙道は口を噤む。が、瞳はを見上げて、ふ、と柔らかく微笑んだ。
「な、なに……?」
「真面目だなァ、ちゃんは」
「は、はぁッ!? な、なによバカにしてるの?」
「いや、そうじゃねえけど……」
 仙道はそのまま、から釣り竿を取り返そうとはせずにすっと海の方を向いてしばし黙った。そうしてが興奮をどうにか静めた頃、ふと思い出したように口を開く。
「ごめん……」
「え……?」
「カッコ悪かったよな……。せっかくちゃんに、勝て、って言ってもらったのに、負けちゃってさ」
 つ、とは息を詰まらせた。なお微笑んでいる仙道の横顔は、ほんの僅かだが寂しげで――、一気に罪悪感に苛まれてしまう。が――。
「だったら、もっと練習、頑張ってよ……! このままだったら、来年もダメかもしれないじゃない。そんなのイヤだ。私は初めて見たときから、仙道くんを大ちゃん以上だって思っ――ッ」
 釣り竿を握りしめて罪悪感を跳ね返すように吐露した言葉に自分自身ハッとしては口を噤んだ。
 こちらの方へ顔を向けた仙道がきょとんとしている。
「"大ちゃん"……?」
 しまった、とは冷や汗を流しつつ、ええっと、と口籠もりながら釣り竿を仙道へと差し出して手渡す。
「ごめん、なんでもない。じゃあ、私行くから、練習頑張って」
「あ……。待った待った!」
 そしてくるりと仙道に背を向けて歩き出そうとしたものの、不意に仙道の長い手に腕を捕まれて阻止されてしまう。
「え……?」
「誰? その大ちゃんっての」
「――ッ」
「前もその名前言ってた気がするんだけど……。ちゃんの何?」
 訝しがるような瞳だ。当然だ。が、笑っていない仙道は珍しくて、少し萎縮してしまう。しかも、仙道を諸星以上だと思っていることは非常に個人的な事であり、直接彼には関係ないのだ。
「は、話せば……長くなるから……」
「いいよ、時間あるんだし」
「こ、個人的なことだし……。その、つまらないと思う、し」
「いいよ」
「だから……!」
「知りたい、ちゃんのことなら、なおさら」
 そこで仙道は、ふ、と笑みを見せてゆっくりから手を離した。
 そこまで言うなら、とも肩を落として仙道に向き直る。
「愛知の……愛和学院の諸星大って選手を知ってる?」
「諸星……? はて……、愛和は知ってるけど……」
 強豪だよな、と仙道は考え込むような仕草を見せ、は苦笑いを漏らした。仙道らしい。高校でバスケットをしていて、諸星を知らない選手などそうはいないというのに。

「諸星大……、大ちゃんと、私と、お兄ちゃんは、愛知で、小さい頃……幼稚園くらいだったかな……その頃から一緒にずっとバスケットをしてたの。小学校にあがったら同じミニバスチームで……」

 初めて会った日は、もう忘れてしまった。家の近所の公園にバスケットゴールがあって、大きすぎるボールを持って、高すぎるゴールの下で毎日、毎日、気が遠くなるような時間を一緒に過ごした――、と話し始めたを仙道は黙って見上げた。
「私、ね。フォワードだったの。お兄ちゃんがポイントガードで大ちゃんがシューティングガード。あの頃、私の方が二人より背が高くて、力もあったし、足も速くて……」
 はどこか遠い目をして、ともすれば泣きそうな顔で、子供の頃には自分がなんの疑いもなくフォワードをこなせていたことを語った。当然のように二人と同じ中学に進むも、ミニバスと違って中学のバスケットは男女混合ではなかったこと、女子バスケ部がなかったこと、そもそも二人のチーム以外でバスケットをする自分が想像できなかったこと。そして――日を追うごとに紳一や諸星と対等に走れなくなっていったこと。
「大ちゃんってね、本当にすごい選手なの。ドリブルも、シュートも、リバウンドだってなんだって上手くて、でもね、昔は一度だって負けたことがなかった。お兄ちゃんと大ちゃんの二人相手にだって、負けなかったのに……。中学に入ったら、大ちゃんはもっともっと上手くなっていった……背も、追い越されちゃったし、腕相撲やっても敵わなくなって…………」
 ずっと三人で並んで走りたい。負けたくない、という思いで猛練習を積み、二人の部活時間外は相変わらず近所の公園で気の遠くなるほどバスケばかりやって、それでも勝てなかった、と目を伏せたは僅かに辛そうな笑みを浮かべる。
「私、男の子に生まれたかったなぁ。もし、願い事が一つ叶うなら絶対に男の子にしてもらう。そうしたら、大ちゃんに負けないのにな……なんて」
「え!? ちょ、ちょっと待った、"君"はちょっとオレが困るって……。男と男はちょっとナシだろ」
 驚いた仙道はかなり本気でそう言ってみると、やはりは心底イヤそうな顔を瞬時に浮かべた。
「じゃ……じゃあ、仙道くんが女の子になったら? 仙道くんが女だったらますます"君"は敵ナシだしね、むしろ大歓迎」
「え……。じゃあ、君はオレが彰ちゃんだったら、好きになってくれる?」
「えッ――!?」
 言えば、は一瞬固まって、マジマジとこちらの顔を見据えた。おそらく真剣に考え込んでいるのだろう。真面目だなぁ、と見やっていると、うーん、と唸って気まずそうに口を開く。
「それはちょっと……ごめんなさい……」
 真剣に考えた上での答えがそれとは、女の自分はいったいどんなイメージだったのだろう? けっこうショックだな、と苦笑いを浮かべていると、彼女も肩を竦めてから無理矢理のような笑みを浮かべた。
「とにかく、そんなわけで……バスケットはきっぱりやめちゃった」
 そのの笑みを見て、仙道は少し目を伏せる。
 ――ウソだな、と悟ったからだ。
 おそらくそれ以上は言いたくないことだったのだろう。はなお、少し肩を竦めて笑った。
「だから、私にとっては大ちゃんが最高の選手だったんだけど……。一年前の夏に仙道くんをインターハイの予選で見たときに、神奈川にはこんないい選手がいたんだな、ってびっくりしちゃった」
「はは……。まいったな……」
 肝心な部分を煙に巻かれてしまった、と仙道は自身の首元に手をやる。少し、日が傾いてきた。

 だから――、とは拳を握った。

 諸星に勝てないまま、やめてしまったバスケット。
 そのままバスケットのことは忘れられずに、それでもバスケットから離れて、日本からも離れて――。そして宙ぶらりんのまま、頭のどこかで、自分に勝った諸星は日本一の選手だったのだと思いたかった。事実、彼の才能はそうなれる素質を持っているし、彼の良さも誰よりも知っているつもりだ。
 けれど、もしも、その諸星を上回るような選手がいたら――などと想像すらしていない時に、突然、仙道に出会った。
 ああ、自分はこんな選手になりたかったのだと――そう感じた。
 だから釣りばかりしている彼がもどかしいのだ。もし自分が仙道だったら、神にさえ負けないほどの努力をしてすぐにでも日本一を取っているはずだ。なのになぜ、彼はああものほほんとしているのだろう?
 もどかしくて。もどかしくて。でも。天才だから、みんなに頼られて、天才だから、何とかして当たり前だと思われて。彼もいつもその期待に応えようとして――いつも叶わなくて。
 今度はそれにキャプテンという重責まで加えられた彼に、頑張れ、なんて言うのは酷なことなのだろうか?
 どれほど才能があっても、どれほど頑張っても、どうにも出来ないことがあると知っているのに――との目線は次第に降りてきて目を伏せてしまった。
 仙道は一度だって「つらい」などと言ったことはない。そんな態度の彼を見たこともない。けれども陵南というチームで今にも緊張の糸が切れそうだった彼を、自分は知っている――と考えると少し苦しくなってきてしまった。
 目頭がちょっとだけ熱い――、と無意識に顔をあげた瞬間。はこれ以上ないほどに瞠目した。

「――ッ……!」

 眼前に仙道の垂れ気味の瞳が映った。かと思えば、次の瞬間――唇に一瞬だけ乾いた感触。
 なにが起こったか分からずに仙道を凝視すると、彼は間近でいつものように軽い笑みを漏らした。
「ごめん、可愛かったからつい」
 なおもへラッと笑う仙道を見て、いま触れたのは仙道の唇だったと悟ったは声にならない悲鳴をあげて思い切り右手を仙道の頬に向けて振り下ろしていた。

 瞬間、気持ちのいいほどの乾いた音が辺りに響き渡った。


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