結局、ゴールデンウィーク合宿は及川は極力牛島とは話さず過ごし、もちろんトスを上げる機会などは作らず。代わりにやや騒がしい東海大のルーキー・木兎と不可抗力的に親睦を深めて合宿を終えることとなった。 最終日の夕方、筑波に戻るバスに揺られながら監督の話を聞く。大学に着いたら軽いミーティングのあと解散らしい。及川の身体がピクッと撓った。今日はゴールデンウィーク最終日の月曜。こどもの日が日曜に重なった事による振り替え休日だ。 バッと携帯を取りだして時計を見やる。18時だ。19時前には筑波に着くだろう。いくら何でも20時には解散になるだろうし。よし、と逸る気持ちでメールを打つ。 ――合宿終わりました! これから大学戻って解散なんだけど、そのあとそっちに行ってもいい? 宛だ。ややあざとく必死さを訴えるようなデコレーションも忘れずしておいた。ソレにが釣られてくれるかは微妙だが、と思いつつ返事を待つ。何だかんだ大学が始まって練習忙しくて一度も会えてないし。牛島と数日一緒にいたこととか牛島と数日一緒にいたこととか牛島と一緒に以下省略で色々話したいことが溜まりすぎている。 ――合宿お疲れさま。大丈夫だよ。待ってるね。 5分ほどしてそんな返事が来て、パッと及川は笑った。きっとおそらくニコニコしすぎて岩泉がいたら「なにニヤニヤしてやがんだキメエ」などと酷いことを言ってくる場面であるが、この場にはさすがにそんな不届きモノはいない。 ちょっとだけあのノリが恋しいと思うこともあるが、と思いつつ及川は破顔した。久々にに会える……と昂揚してうっかり鼻歌を漏らしてしまっていたらしく、さすがに隣の佐々丘から「どうかしたのか?」と突っ込みが入った。 とはいえ、カノジョに会いに行く、とは及川は答えず「ちょっとね」と適当に濁し、大学に着いてミーティングが終わると真っ先に挨拶をして合宿の間中停めたままだった自転車を取りに駐輪場に向かい、そのまま自身のマンションを目指した。 部屋に着いてそのまま洗面所に向かいつつ思う。合宿で溜まった洗濯物を洗っている暇がない。取りあえず洗濯機に放り込み、手を洗ってからリビングに出てストックしてあったカロリーメイトを口にした。手早く明日の準備を済ませ、風呂場に行ってシャワーを浴びてから身支度を整えると家を飛び出た。この調子なら21時前には着きそうだ。 一方、その頃のはキッチンで考え事をしていた。 及川は解散後にすぐ来ると言っていたし夕食はまだだろう。幸い今日は休日でストックしておこうと昼間に大量に作ったクリームスープと買っておいたバゲットはある。が、きっと及川は足りないだろう。 冷凍庫に魚は入っているし及川が置いていったホイル焼きのレシピもあるが、うーん、と悩んだは駅前のデリにでも買い足しに行こうと及川に食べたいものはあるかとメールを打った。 すれば自分で買ってくるから家にいてと返事が来て、了承したは取り合えずご飯を炊飯器にセットした。そしてそろそろ炊き上がるだろうというころ、インターホンが鳴った。 「やっほー、ちゃん。俺だよ!」 確認するとマンション入り口のカメラが及川を映し出しており、笑顔で手を振る及川の様子には微笑んで入り口ゲートを開けた。 しばらくするとの部屋のインターホンが鳴り、確認するまでもなく及川と分かっていたものの、一応はドアスコープで確認してからはドアを開けた。 「いらっしゃい、及川くん」 及川と顔を合わせるのは久々だ。招き入れると、へへへ、と及川はクシャッと笑ってギュッとこちらを抱きしめてきた。 「ちゃん久しぶり……!」 「う、うん」 きっと及川は、いや及川も会いたいと思ってくれていたのだろう。ギュッと抱きしめつつしばらくじゃれつかれても頬を緩めて、ふふ、と笑った。 「合宿どうだった?」 「合宿自体は楽しかったんだけどさ、合宿の間中、あのウシワカ野郎とずっと一緒ってホント最悪だったよ! 敵チームのくせにトス上げろってウルサイしさー」 「上げなかったの?」 「上げるわけないじゃん! むしろ同じ空間で練習できただけで自分を褒めたいくらいだね」 部屋に上がってもらい、二人で夕食の準備をしつつそんな話をしながらは相変わらずの及川の牛島への態度を聞いて少しだけ苦笑いを漏らした。だが及川にとって合宿は貴重な体験でもあったらしく、及川がバレーに打ち込んでいる様子がありありと伝って嬉しく思う。 勉強との両立が思った以上に大変らしく、何とかペースを掴めてきたけどまだまだ、と話す及川の話をテーブルを囲みながら聞いていると、そうだ、と及川が少し唇を尖らせた。 「ちゃん、インテリ野郎どもと物理だか数学だかやってるって言ってたよね」 「え……?」 「合同サークルだっけ? に入ったって言ってたじゃん」 言われて、ああ、とは頷いた。隣の東大との合同研究会の事を言っているのだろう。 「うん、ウチのカリキュラム……そういう科目ってなくて、定期的に勉強したかったから」 「別にイイけどさ、インテリ野郎にフラついちゃダメだからね!」 そんな事を拗ね気味に言う及川のめんどくさい性質は相も変わらずでが苦笑いを漏らしていると、及川は拗ねてみせたことで満足したのか、「理系と言えば」とすぐに話題を変えた。 「俺も理系の科目いくつかあってさ、自分で理数系のが得意って自信あったのに撃沈してる最中なんだよね……」 「え……、なんの科目?」 「んー……、解析学とか……」 「え!? た、体育専門ってそんなことやるの?」 「それが……、取っちゃったんだよね……。幸い、もう一人けっこう仲いい同期もこの科目取ってるんだけど、そいつ体専いち頭イイのに手こずってるらしくてさー……。試験前にちゃん教えて! お願いシマス」 「え……!? えー……、と、うん、どんなのやってるか分からないから、シラバスとかあったら見せてもらっていい?」 いきなりの無理難題に困惑しつつも、解析学ならおそらく微積が主のはずだ。何とかなるかな、と思いつつ難しかった場合は父に聞こうと父親の顔を浮かべつつそのまま雑談しつつ夕食を終えた。 「ちゃん、フランス語教えてよ」 その夜――、ベッドで僅かに気怠い身体を感じつつまどろんでいると、ふと及川が髪を撫でながらそんな事を言ってきて、え、とは目線を上げて及川を見やった。 ああ、と後追いで及川が今期にフランス語の講義を取っていたことを思い出す。 「第二外国語、フランス語って言ってたもんね」 「そう。週に2コマあって、そのうち一つは毎週小テストがあるんだよね」 「大変だね……。どんなこと習ってるの?」 言ってみると、及川の瞳が薄暗い中でもはっきりと見て取れるほど悪戯っぽく細められた。そうして軽く抱きしめられていた身体を、ぐい、と一層密着させてきて少しだけの心音が跳ねる。その間にも及川は唇を耳元に寄せてきた。 「モンクールヌバクプールトワ」 そうしてやたら甘く囁かれて、え、とは少し面食らった。とっさに反応できないでいると、あれ、と及川が首を傾げた気配がした。 「ありゃ、俺の発音マズい? 分かんなかったかな」 そうしてもう一度同じフレーズを囁かれて、う、とは呻いた。続けて及川は違うフレーズを2,3呟きはうっすら耳元を染めて及川の肩口に顔を埋めた。 「そ、そういうの……試験に出ないんじゃないかな……」 及川が言った言葉は全ていわゆるフランス語の口説き文句だ。冷静に脳裏で和訳すると恥ずかしいことこの上ない。 えー、と及川は少し笑った。 「こういうシチュエーションって一番語学力上がりそうだし。ピロートーク的にはドンピシャじゃない?」 「じゃあ、いまから日本語禁止にする?」 「エッ、そ、それはまだちょっとキッツイ」 が少し顔を上げるとそんな反応が来て、及川の相変わらずな様子には思わず頬を緩めた。 とはいえ語学力上達の一番の近道は他言語を話す恋人の存在というのは普遍のもので……などと考えていると「そうだ」と及川が少し口の端をあげた。 「今度はちゃんやってみてよ」 「え……?」 「及川さんのこと口説いてよ」 ね? と逸り気味に言われ、一瞬面食らってしまう。――フランス語が出来ても、フランス人ではないのだし、あんまり恥ずかしい言葉は……と思いつつもジッと及川の瞳を見やる。綺麗なココア色が暗がりのせいではっきりと見えなくて残念だな、と思いつつは片手をそっと伸ばして及川の頬に触れた。 「テュアデトレボージュー」 ――なんて綺麗な瞳なんだろう。とは本音と、これくらいは習ったかも、となるべくゆっくり言い下しつつも後追いでやはり恥ずかしさが込み上げて目をそらしそうになっていると、及川は言葉を噛み砕いているのかやや真剣な眼差しをした。 「テュ……、君? トレ・ボー……って凄く美しい??」 必死に思い出そうとしているらしい及川には小さく頷いた。 「及川さんは凄く綺麗って意味? ……あ、でもテュ・アでyou haveだったような」 「うん。あなたはとっても綺麗な瞳をしてますね、っていう意味」 「え……!?」 ふふ、と笑って言うと及川は一瞬面食らったように目を丸め、そして若干照れたように瞳を伏せた。が少し首を捻っていると、及川は何を思ったかバッと上体を起こし「わ」とが呟く間もなく次の瞬間には及川に覆い被される体勢でごく至近距離で及川の瞳と目があった。 「ちゃんってほんっと及川さんの目が好きだよね」 「え……?」 「中学の頃からずーっとそうやって俺のこと口説いてたもんね」 「え!? え、ち、違うよ……、ホントに綺麗だって思ってたんだよ」 「またまたー」 ケラケラと間近で笑われて、うっかり目をそらしたに及川はなお突っ込んでくる。 「なんで目、そらすのさ。好きなだけ見てイイのに」 そうしてコツンと額を合わせてきて、は小さく唸る。中学の頃からサーブ練習を見ていた件といい瞳を褒めた件といい、及川は絶対にこちらを誤解しているのに。でも、今さらそれを言うのも野暮だと分かっていて。それにやっぱり、及川を好きになったいまはどう誤解だと言っても後の祭りな気がするし。とぐるぐる考えていると「ちゃんってさ」と及川はなお言った。 「目だけじゃなくて、俺の肉体美とかも絶対好きだよね?」 「え……!?」 「時々なんかジッと見てるし、こういう時は特にギュってしがみついてくるしさ」 「え……、えっと……そりゃ、及川くん鍛えてるし、デッサンし甲斐はありそうだなって思ってるけど……」 そう返すと、またまたー、と軽く笑いながら及川は耳元に唇を移動させてきて先ほどよりもこちらの身体に体重をかけ、はキュッと瞳を閉じつつもギュッと及川の背を抱いた。すると及川が小さく笑った気配が伝って、少し頬が熱を持つ。でもこうやって肌を合わせているのは心地良いし、及川の逞しい身体が好きかと問われればそうなのかもしれない。 けれども、長くて角張った指とか、甘い声とか、考え出したら好きな部分ばっかりだ……と浮かされた頭で考えていると、少し及川が顔を上げてこう訊いてきた。 「テュメーム?」 ――俺のこと好き? なんて、日本語だったら及川はあまり訊いてこないのに、と思いつつは及川の瞳を見つつ頷いた。 「ウィ」 すると及川は嬉しそうに顔を緩めた。そうしてそのまま唇を重ねられ、も応じる。やっぱり及川とこうして触れ合うのは心地良い、と再び熱を煽られながら強く思った。 「ちゃーん、朝ですよー」 うっすら意識の外で及川の声が響いた気がした。何だかシチューのニオイがしているような気がする。 そういえば及川がキッチンを使って良いか訊いてきて、頷いた覚えがあるようなないような。と、は重い瞼をゆっくりあけて入り込んできた光り目を窄めた。 「眠い……? まだ寝てる?」 「んー……」 いま何時なのだろうか。及川は特に朝に強いわけではないらしいが、長年身体に染みこんだ朝練の習慣から既に早起きは苦ではなくなっているらしい。が、としてはそうもいかない。 もう少し寝ていたい気もするが、及川に一人で朝食を食べさせるのは忍びなく、目を擦りつつどうにか意識を覚醒させる。 「起きれる?」 「ん……」 「パンとご飯どっちにする?」 「……パン……」 「オッケ。あとはオムレツで良いよね?」 うん、と頷くと及川はキッチンに戻り、は身体を起こしつつ及川が拾って枕の横に置いてくれていたらしきパジャマをやや居たたまれなさも感じつつ手にとって腕に通した。 そのままバスルームに向かい、シャワーを浴びてからキッチンに顔を出し2人分のコーヒーを入れてリビングに持っていった。 夕べの残りのシチューにバゲット、それに及川作のオムレツというメニューだ。及川がいると食事に関しては非常に規則正しい生活に否が応でもなってしまう。聞くところによると高校時代とは違って管理栄養士が付いて指導にあたってくれているらしく、普段の食事も割と細かくチェックされているということだった。 好きなモノは食べたいし牛乳パンは絶対にやめない。と言う及川だが、無理しすぎない程度には指導通りにやるつもりだという。 及川は単位を取れるだけ取ろうとした弊害か毎日一限目から講義が入っているらしく、今日も当然ながらゆっくりと朝食を楽しんでいる時間はなく手早く朝食を終えるとバタバタと通学準備を始めた。自身のマンションには帰らずそのまま大学へ行くという。 「なんかイキナリ夜来てバタバタ帰っちゃってほんとゴメンね」 朝食の後片づけをしていると準備を終えたらしい及川に申し訳なさそうに言われて、は「ううん」と首を振るった。 「久しぶりに会えて嬉しかったし、やっぱり同じ県内に住んでるって便利だよね」 そう言って笑うと、及川はなぜか腕を伸ばしてきてギュッと抱きしめられ、小さなため息が及川から漏れたのが伝った。 「俺、もっとちゃんとデートしたい。ねえ次のオフは時間合わせてデートしよ! パンダ見に行こ!」 「う、うん……」 「あ、上野だとちゃんつまんない? パンダ見飽きちゃってる??」 「そんなことないよ。でも及川くん忙しいし……、あんまり無理しないでね」 「無理なんてしてないよ、俺はデートしたいの!」 すると身体を離した及川が、むぅ、と唇を尖らせては少し肩を竦めた。知り合ってからずっとほぼ毎日学校という同じ空間で生活していたのだから、毎日会えない、という現実への不満がきっと及川にはあるのだろう。高校時代だったら月曜にデートは可能だったし、と思うも詮無いことだ。高校時代も及川は絵を理由に自分がたびたびデートに応じないのを不満に感じていたのだし、その時その時でうまく合わせていくしかない。とはいえ……もう少し及川とオフを合わせる努力をしよう、と思う。 「それじゃ、行くね」 「うん、行ってらっしゃい」 靴を履いて手を振った及川に手を振り帰すと、背を向けた及川は「あ」と何か思い出したようにもう一度こちらを向いた。 玄関との段差のせいで、及川との目線が普段より近い。忘れ物かな、と瞬きしているとニコっと笑った及川の目線がふいに近づいて、チュ、と唇に唇が触れた。 少し目を見開くと、間近で及川が、へへ、と笑った。 「行ってキマス」 あっけに取られたまま目の前で及川が上機嫌そうに言ってそのまま玄関のドアを開け――、パタン、とドアの閉まる音を聞いてからはうっすら頬を緩めた。 |