「次、及川コート入れ」
「ウィッス!」

 講義が始まって二週間も経つ頃には何となくペースも掴めてきて、及川はだいぶ勉強と部活との両立に慣れてきた。
 しかしながら。――不満があるとえば、なぜか自分は「セッター」としてよりは「ウィングスパイカー」としての訓練をさせられているということだろうか。と、いまも一通り打ち終えてコーチからのダメ出しを聞きつつ頭の隅で考えていた。
 とはいえ別にポジションを変えろと言われたわけではないし。ウィングスパイカーとしてはギリギリの身長しかないのだからポジションが変わるとも思えないが。と、練習後に残っていつも通りサーブ練習をする。
 北一や青葉城西の頃は一人で残っている事も多かったが、ここでは頻繁に幾人も時間外練習をしている。しかも闇雲にトレーニングをしているわけではなく、個別の練習メニューを淡々とこなしているのだ。――入学及び入部して数週間。及川は部活や授業で嫌というほど人体の仕組みとは何か、効率的な運動とは何かを学術として叩き込まれている最中にあった。及川としては練習すればするほど調子が良くなる気がどうしてもするのだが、医学的にもスポーツ科学的にもそうではないらしい。
 むろんドクターや栄養管理士もついており、体調に不安や食事に不備があればその都度チェックが入る。環境は中高までとは180度違っていると言っていいだろう。
 それもそのはずである。バレー部自体はいま関東リーグ真っ最中であるが、今年はユニバーシアードの年。体育専門全体でいえばいくつもの競技から幾人も代表選手に選ばれており、まさに今までとはレベルが違う。バレー部からは女子が同級生の永山も含め数人が代表選手に選ばれている。
 宮城では総合力ナンバー1などと言われそれなりに注目を浴びていた及川ではあったが、ここ筑波大では歯牙にもかけられない存在なのだということを思い知るには十分すぎる環境だった。
 だからやはりせめてサーブで抜きんでてピンサーでくらい使ってもらいたい。と単純かつ及川的セオリー通りに考えてしまうのは当然のことで、及川は練習後はいつも通りにサーブ練習に励んでいた。
 その及川に痛いほどの視線が突き刺さって、痛い、と及川はリアルに呟きそうになってしまった。ちらりと壁際を見やると、ノートを片手にこちらを射るような視線で見ている人物が一人。――マネージャーだ。
 マネージャー、という単語を聞いて真っ先に及川の頭に思い浮かぶもの。それは。どこそこのマネちゃん可愛かったな、という実にふわふわしたものであった。
 だがそれも既に過去の話だ。なぜなら。考えそうになって及川は小さく頭を振った。

「佐々っちー、ご飯たべよー!」

 ゴールデンウィークが迫った日。午前の講義を終えて、及川はやや離れた席に座っていた男子学生を呼んだ。
 頷いてこちらにやってきたのは、及川よりはやや低いが180センチほどの長身。バレー部のマネージャーを務めている佐々丘智巳だ。
 彼は大学から電車で二十分ほどの自宅から通っている、地元の人間でもある。たいてい弁当を持参しており、及川も朝に自主練をしない日は弁当を持参して外のベンチで一緒に昼食を取るのが何となく習慣になっていた。
「佐々っち、昨日なにやってたの? 部活来なかったよね」
 校舎の外に出てベンチに座り、弁当を広げて及川はちらりと佐々丘の方を見やった。短めの前髪の下の、つり目がちの瞳が見上げてくる。
「ゴールデンウィークの合同合宿についてスケジュール調整しに出向いてた」
「ああ……、なんか監督言ってたね。でも一年は関係ないんじゃなかった?」
 一年というか主立ったメンバー以外は、とご飯を口に運びつつ言ってみれば、佐々丘はジッとこちらを見上げてきて少しだけ目を細めた。
「な、なに……?」
「”レギュラー・ベンチ以外は参加しない”、ってのを何とかするのも俺の仕事だからな」
「へ……?」
「強豪校同士の合同練習は経験値を上げる良い機会だ。お前だったらそんなチャンス、みすみす逃すのか?」
「な、なんか言ってる意味分かるようで分かんないんだけど……」
「今回のゴールデンウィーク合宿、ホスト校は深体大だ」
「――ゲッ!」
「それで昨日、深体大に打ち合わせに行っ……っておい、どうした?」
 不意打ちのように放たれた「深体大」という単語に、うっかりここ最近はすっかり脳内から消去していた存在・牛島若利の姿を思い出して硬直していると、佐々丘は不審そうに短めの眉を歪めた。
 嫌な予感がする……と思いつつも及川は「何でもない」と続きを促す。
「深体大ルーキーの牛島若利……、お前同じ宮城出身だし知ってるだろ?」
「……まあね……」
「その牛島にお前のこと聞かれた流れでホスト側に話してみたんだよな。ウチの及川も凄いんで関東一部リーグのルーキー親睦のためにも連れて行きたい、ってさ」
「――ッ」
 なんでウシワカ野郎と親睦深めなきゃなんないのさ。と、喉まで出かかった文句を取りあえず及川は飲み込んだ。そんな「素」を出せるほど、まだ自分は彼とは親しくはない。
 続ける佐々丘の話を聞くに、合同合宿の打ち合わせで互いのチームの有望ルーキーを顔合わせのためにも参加させることを交渉したという事らしい。
 さすが、「マネージャー」。と及川は内心舌を巻く。
 ――体育学群・主席入学、佐々丘智巳。筆記の成績が近年で稀にみる高得点だったらしく、主席に関しては入学前後にちょっとした噂になっていた。その噂の人物の顔を及川は既に見知っていた。というのも、ちょうど一般入試組入学手続きの時期に球技体育館に現れた学ラン姿の端正な青年がその張本人で、将来のライバルが学群いちのインテリかと戦慄したのも今では良い思い出だ。なぜなら彼は意外にもマネージャー志望だったからだ。
 マネージャー、というと一般には戦力外へと漏れた選手が庶務として監督等に指名される、というのがセオリーだ。が、筑波大では違った。というか、マネージャー志望だという彼に「マネージャー!? 選手じゃないの!?」と初っ端から地雷を踏んだのは外ならぬ自分だっけか、と及川は苦く笑う。
 マネージャーとはどういう意味か知っているか。と直後に睨まれたその時の及川は口を噤んだ。勝手な先入観から、選手の身の回りの雑用をこなしてくれる人、との回答が頭を過ったが――。
『マネージャーとは管理者の事だ』
 つまりお前らいちプレイヤーは俺の管理下――。そう淡々と、だが少し楽しそうに佐々丘は言った。
 事実、その名の通り筑波大バレー部のマネージャー群は監督コーチ陣の補佐のため、選手とは別系統の育成システムに組み込まれている情報収集・処理・戦略を担うチームの頭脳だ。これは及川も後から知ったが、筑波のチームシステム自体が国際的メインストリームを基準にしており日本のシステムと一線を画しているということだった。
 佐々丘は筑波のこのシステムに惹かれてかねてより筑波を志望していたらしい。
 目下、彼はこちらのサーブを「身体に無駄な力が入っている」と文句を付けつつ淡々とデータを取ることを日課にしている。……最新の技術とやらで分析されたら自分のサーブも速度があがったりするのだろうか。とジッと佐々丘を見ていると「なんだ?」と訝しまれたため及川は慌てて首をふるう。
 学年主席とは仲良くしていてソンはないだろう。などという下心は決してない。わけではない。

 そうこうしている間にあっという間にゴールデンウィークが始まる。
 世間が連休に沸いている最中。筑波大バレー部は専用バスで横浜は深体大――深沢体育大学を目指していた。
 合宿、といっても全員が参加するわけではなく、ベンチも含めたレギュラーメンバーと及川を入れた数人だ。
 行き先が深体大ということで、及川の心内は多少なりとも穏やかではなかった。他でもない、牛島若利が深体大に進学したためだ。自分と違って鳴り物入りで進学した彼は既にベンチ入りしており立場も違う。あまり思い出したくないがユニバーシアードの日本代表にも選ばれているはずだ。
 ――最近やたらウィングスパイカーとして練習させられる事が多いとは言っても、さすがにスパイカーとして牛島と競うつもりは……と過ぎらせて及川は歯を食いしばる。

『ウシワカに勝てるヤツなんてうちにはいねえよ』

 絞り出すように岩泉が放った一言。あの言葉を受け取ったのは、14歳の時だった。ほんの14歳だったのだ。
 仮にそれが真実でも、なぜ中学生のうちに一個では絶対に牛島に勝てないなどと決めつけてしまったのか。自分も、岩泉もだ。
 現に自分は、サーブではまだ牛島に勝っている。――影山に対してもだ。
 まだ戦える。――例え才能で勝てなくとも、自分は彼らの側に食らいついていくのだと決めて筑波に進学を決めたのだ。身体だってまだ出来上がっちゃいない。バネだってまだ伸びる余地はある。スパイカーとしてだって……と拳を握りしめていると、ふと隣から呼ぶ声が聞こえて及川はハッと意識を戻した。
「どうした、ボーっとして?」
 さっきから呼んでたんだぞ、と不審そうにしたのは隣に座っていた佐々丘だ。及川は数度瞬きを繰り返してから、緩く首を振るった。
「ちょっと考え事してた」
「横浜に入ったから、もうじき着くぞ」
「……うん」
 軽く頷いて外の風景を見つめていると、及川たちを乗せたバスは程なくして深体大の横浜キャンパスへと到着した。
 今回、合同合宿に参加するのは筑波大と東海大こと東海湘南大学だ。深体大を含めて春リーグでは既に対戦が終わっており、現時点では深体大が一歩リードしている。
 とはいえそれも納得だろう。――バレーのみならず、この大学は数多のオリンピックメダリストを輩出してきた日本大学スポーツ界の頂点に君臨する深沢体育大学。
 子供の頃、種目を問わず夢中で応援してきた選手の顔をいまも覚えている。バレー、バスケット、水泳……。彼らのほとんどがこの大学で技を磨いていたはずだ。と、及川は少しだけ緊張も湛えて部員達と共に合宿で使われる記念体育館のアリーナに向かった。

「おはようございまーす!」

 観客席も付いた広いアリーナに全員で挨拶をしつつ足を踏み入れると、3面きっちりバレーボールネットを張ってアップを取っていた部員達が手を止めて挨拶を返してくれた。むろん、見知った影も見える。

『まだ先の話になるが……、俺は深沢体育大学へ進学することを決めた』
『バレー選手として、大学でどう過ごすかが貴重なのはお前も分かるだろう。そこで回り道をすれば、のちに悔いることになるぞ』

 ムリムリ。適当にシカトしとこ。と、及川はうっかり部員の中にさっそく牛島の姿を見つけてしまい、意識的に目をそらした。あっちもこちらを目に留めたのが伝ったからだ。どうせいつものごとくうっかり話しかけられたら、即、言い合いになるに決まっているのだから関わらない方がいい。
 無意識に眉を寄せていた及川の横で、お、と佐々丘が瞬きした。
「東海大ももう来てるぞ」
「なんで分かるのさ」
「見知ったヤツが何人かいる。特に……ほらあの髪立ててるヤツ。梟谷学園高校の木兎だ」
 木兎、とは牛島と並ぶ全国屈指のスパイカーらしく、茨城出身の佐々丘は試合で何度も彼のプレイを見たことがあるという。
 ふーん、と及川は相づちを打った。名前だけは薄ぼんやりと月刊バリボー辺りで見た気がするが。どちらにしろ牛島が深体大の鳴り物入りルーキーならば、木兎というルーキーは東海大の大型新人というところなのだろう。
 そうやって有名選手を毎年集めてるんだからそりゃ強豪校になるよね、と及川は自分でも「なにを今さら」なことを過ぎらせて肩を竦めた。
 アップを取ったあとは3面全てを使って、各校二チーム――通常はレギュラーのAチームと控えのBチーム――出して入れ替えで1セットマッチをすることとなり、及川を含めてレギュラー・控えからあぶれているメンバーはBチームの控えに入った。
 初戦は筑波Bの相手は東海大Bだ。例の木兎という選手はレフトで起用されており、無意識に及川の唇が歪んだ。
 身長は見たところ自分とほぼ同じだ。ウィングスパイカーとしては決して高身長の部類ではない。体格は……あっちがちょっと勝ってるか。
 目で追っていると、東海大レセプションが綺麗なAパスをセッターに返し、セッターがレフトに上げた。

「木兎ッ!」
「よっしゃ!」

 筑波はブロックが二枚。ちゃんと付いていっている。あれなら弾ける。と思った刹那。木兎は空中で身体を撓らせて、対角の際どいコースにブロックを完全に避けて鋭いクロススパイクを決めた。
 さすがの及川も度肝を抜かれて目を見開いた先で、決めた木兎は破顔して拳を天に突き上げた。

「よっしゃあーー! やっぱ俺ってサイコー! ヘイヘイヘーイ!!」

 よほど決めたことが嬉しいのかはしゃぐ木兎にセッターは肩を竦めつつも背中を叩いて褒めそやしている。
「よく決めた。もう一本行くぞ」
「ウィーッス!!!」
 ――お騒がせタイプのスパイカーだな。青葉城西ではあり得ない、とどちらかといえばクレバータイプの多かったスパイカー陣――花巻や国見――を思い出して及川は肩を竦めた。

「いいぞ牛島ッ! もう一本!」

 後ろのコートではどうやら牛島が活躍しているらしく、チッ、と及川は舌を打った。
 自分も試合に出たい。なんで自分だけベンチなんだ。と、理不尽なことを過ぎらせてしまう。
 牛島は一年とはいえ全日本の代表選手。木兎も全国で名の知れた選手だというのだから即戦力たるルーキーなのは当然だというのに。比べる方がおこがましい、と分かっていてもやはり悔しい。
 しかしながら及川の心情とは裏腹に、その日はピンチサーバーとしてすら一度も使って貰えず一日の練習を終え、親睦会とやらに出かけるという上級生を見送って、フ、と息を吐いた。
「俺はこれから会議だが……、お前どうするんだ?」
 佐々丘はこれから各大学のマネージャーで会議が入っているらしく、ああ、と及川は腰に手を当てた。
「俺はフツーに自主練やるよ。センパイたちが親睦会行っちゃったおかげで体育館空いてるしね」
「そうか。俺も会議終わったらこっちに顔出すわ」
 じゃあな、と佐々丘は及川に背を向け、及川は一度息を吐いてから体育館を見渡した。
 すれば一番奥のコートを牛島が陣取っており、チッ、と思わず舌打ちをしてしまう。とはいえここは深体大。牛島のホームなのだからこっちはむしろ使わせてもらっている立場だ。
 取り合えずコートは3面あるのだし、目を合わせないようにしておこう。無視だ無視。とボール籠を引いて一番手前のコートに足を向けると、そばからやや騒がしい声があがった。
「ヘイ! 筑波の一年君!」
 ギク、とうっかり肩を揺らして及川が振り返ると、そこには東海大の一年――木兎が立っていて、及川は少しだけ眉を寄せた。
「なに?」
「君のポジションってセッターだろ? 俺にトスあげてくれよ!」
「は……?」
「ていうかドコ出身? 名前は? あ、俺は木兎光太郎!」
 ヨロシク、と前のめりで言われ及川はややたじろぐと同時に口をへの字に曲げた。――それは牛島と違って自分は全国的にはまったく無名だ。彼が自分のことを何も知らなくても当然とはいえやはり悔しく感じてしまう。
「及川徹。青葉城西出身」
「青葉……、ドコ県?」
「宮城県」
「へ……? あれ、じゃあナニ、ウシワカの知り合い?」
「知り合いじゃないし!!」
 ごく当然のように言った木兎にうっかり及川は噛みつき、ついでハッとして小さく舌打ちをした。
 当の木兎は気にするそぶりを見せず、顎に手を当てて何か考え込んでいる。
 何なんだ……、と再度感じていると、あ、と何か思いついたように木兎は目を見開いた。
「あれ、君ってひょっとして”大王様”!?」
「は……!?」
「宮城にすげーセッターがいる、って烏野の日向とか影山に聞いたことあんだよな。影山の先輩って聞いてたけど……そうなの?」
 ――あのクソガキども、何を東京で話してんだ。と予想外の木兎の台詞に顔が一瞬だけ歪むも、どうにか及川は口元に笑みを浮かべて見せた。
「中学のね。ていうか、何で木兎君が飛雄たちのこと知ってんの?」
「ああ、なんつーか、梟谷が主催してる合同合宿に烏野も参加してたからそれで知り合ったというか……。それより、影山ってめちゃくちゃ上手いセッターじゃん! 及川君てそれ以上なんだろ? それってめちゃめちゃめちゃすげーセッターじゃん!」
 ――あのクソガキ。本当に何を東京で話してやがんだ。と、及川は盛大に舌打ちしそうになる自分を何とか抑え、ハァ、と小さくため息を吐いた。
「木兎君の言う、飛雄の凄さってのがトス回しの事なら、俺は飛雄には到底敵わないよ」
「へ……?」
「だって飛雄は天才だからサ。悪いけど、俺サーブ練するから」
 キョトンとした木兎を一蹴して及川はボール籠を引いてコートの外に立った。ふぅ、と息を吐く。――まさか関東に来てまで影山の名を耳にするとは思っておらず、少なからず動揺してしまった。
 でも。だけど。選手としてはまだ影山に負けているつもりはない――、といつも通りボールを投げ上げて、いつも通りにサーブを放つ。
 見事狙い通りにボールはコートに着球し、見ていたらしき木兎から声があがった。
「うおおお、スッゲー! やるねえ及川君!」
 ――騒がしい。面倒だしスルーしておこう。そう決めて淡々と練習を続けていると、木兎も牛島さえも感化されたのかサーブ以外に出来ることがないのか、三面全てのコートを使ってそれぞれがサーブ練習をするという光景が体育館に広がることとなった。
 驚いたのは及川だ。及川自身は牛島のサーブの威力が自分と同等、そしてコントロールが自分に劣るために宮城県一のサーバーは自分だという自負があったが。木兎にしても相当な威力のジャンプサーブを持っていたのだ。
 とはいえ。やはりコントロールはまだ未熟だが。――けれども強力なウィングスパイカーが強力なサーバーであることは普通だ。むしろセッターでサーブが強いというのが自分のアドバンテージなわけだし。でも。だけど。負けられない。と、ボール籠を空にしては集めてまたサーブを打つという事を繰り返し、どれほど時間が経っただろうか。
 ハッと意識を戻したのは、会議から戻ってきた佐々丘に声をかけられた時だった。
「佐々っち……。会議終わったんだ」
「ああ。ていうかお前ら3人仲良くサーブ練か?」
「仲良くないし。あっちが勝手に真似てきたんだし」
「木兎のサーブ、けっこう強烈だろ?」
「俺ほどのコントロールはないけどね」
 言われて、ヘッ、と肩を竦めていると隣のコートからまたも木兎が近づいてきてこちらに絡み始めた。
「なぁそろそろサーブ練飽きたし、トスあげてくれよ。俺スパイク打ちたい! そこの君、ポジションどこ? ちょちょいとブロック跳んでくんない?」
 まだ諦めてなかったのか、と及川は内心うんざりしつつも佐々丘の方を見やると、佐々丘は腰に手を当ててこう言った。
「俺はマネージャーだ。ポジションはない」
 すると木兎は意外そうに目を見開き、次いで少し首を傾げた。
「マネージャー……って、庶務? 庶務なら選手兼任じゃねえの??」
 その一言に及川は少し頬を引きつらせた。――地雷踏んだな、と恐る恐る佐々丘を見やると、案の定、眼差しが凍っておりおののいてしまう。
 佐々丘は一歩木兎のほうへ歩み寄って腕組みをした。
「ウチに庶務というポジションはないし、そもそも専任で選手じゃない。マネージャーは管理者だぞ? 言うなれば俺の役割はマネジメント、お前らはエンプロイメントだ」
 通常、大学の部活は雑務をこなす「庶務」という役割の人間がいる。そしてたいていその「庶務」は選手の中から貧乏くじ的に選ばれるか、実質の「戦力外通告」として監督から指名される場合も多い。
 が――、実際は庶務がいなければ部の運営が回らず、立場の低さに反して重要度は高い。筑波大ではその認識を改めるべく近年は本来の意味でのマネージャー教育を徹底しており、それは佐々丘が筑波を受験した最大の理由でもある。そして彼自身、非常に自身の役割に高いプライドを持っているのを知っている及川としてはややハラハラしていたが、こちらに寄ってきて耳打ちをした木兎の発言を聞いてその意識は吹き飛んだ。
「なあ……エ、”エンプロイメント”って何だ……?」
 ――あ、こいつお馬鹿系か。と一瞬で悟り、対する佐々丘もそう感じたのか一瞬固まったあとに深いため息を吐いたのが見えた。
「まあ、別にブロック跳んでもいいけどな……」
 中高と一応は選手だったし。と諦めたように佐々丘が言えば、「よっしゃあ!」と拳を天に掲げ、「え……」と及川は慌てた。
「ちょ、ちょっと佐々っち! 木兎君って他大学じゃん! ヤだよ俺トスあげんの」
「俺は上げて損はないと思うぞ。お前自身、木兎がどんな選手か知る良い機会だ」
「けど……ッ!」
 言い合っていると、突如として及川にとってはこの世で最も聞きたくない声の上位に君臨する声が会話に割って入ってきた。
「お前たち、スパイク練をするのか? ならば及川、俺にもトスをあげろ」
 牛島である。及川は木兎に向けた比ではないほど顔を歪めて牛島を睨み上げた。
「は? 何言ってんの? お前にトスとか冗談だろ」
「? 俺は冗談など言ってない」
 ――相変わらず話が通じない。と、及川は首を傾げた牛島を見て盛大に口元を歪めた。
「ていうか俺は木兎君にトス上げるんだし。お前はブロックでも跳んでれば?」
「お、いいじゃーんソレ! ウシワカ、ブロック跳んでくれよ!」
「その呼び方、止めてくれないか」
「えー、ウシワカかっこいいじゃん! ていうかなに? やっぱり宮城同士、二人はライバル関係とか??」
「及川は良いセッターだが、ライバルだと感じたことはない」
「ウッハ! さっすがウシワカ、言うねえ……! なあ及川君、腹立たな――」
 囃し立てる木兎の声を遮るようにして及川は牛島に噛みつく。
「お前ホンッット腹立つ!! チョーシ乗んなよ牛島、だいたいサーブじゃお前は一度も俺に勝ったことないだろ」
「? だから俺はお前を優秀な選手と言っているのだが」
「ああもう、ホンットめんどう!! やるよ木兎君!」
「あ、おう。……ウシワカー、ブロック入ってくれよー」
 及川はそのまま勢いで籠を引いてネット側まで行き、木兎にボールを投げ渡した。
 佐々丘は牛島がブロックに入るならば自分は観察しているとコート外に出てこちらを見据えている。
「そんじゃいくぜッ!」
 牛島が反対側のコートに入り、木兎はエンドライン辺りからふわりとセッターである及川のいる位置にボールを投げ上げた。及川が上げるのはあくまでオープントス。スパイカーである木兎は自分のタイミングで踏み切り、打てるためにセッター側に高度な技術はそこまで求められない。それでも及川は、今日一日見て感じ取っていた木兎の身体能力を浮かべながらふわりとトスを上げた。
 木兎はそのトスを良く見て助走を付けて跳び、牛島の高いブロックを避けて鋭角のスパイクを打った。
 間近で見るとやっぱり凄いな、と及川はいっそ感心しつつ木兎に声をかける。
「ごめん低かった?」
「ん? 俺合わせられるからヘーキヘーキ!」
 ワハハハ、と笑いながらそんなことを言われて及川は多少カチンと来るも、ふぅ、と息を吐いた。
 けれども。筑波の同学年に木兎ほどの素材はいないし。やはり火力のあるチームは強いし、厄介な相手だな。と思いつつオープントスを上げ続けることしばらく。籠の中のボールが無くなり、いったん全員で拾い集めに向かったところで佐々丘が木兎に声をかけた。
「及川の練習にならないから、次からセミクイックに切り替えてくれ」
 セミクイック、とはオープンよりは平行寄りのトスで両者のタイミングの合わせ方の難度が上がる。
 木兎はすぐに了承し、及川は少しだけ息を呑んだ。オープンより確実に技術が要る。――木兎はおそらく影山のトスで打ったことがあるのだろうし、いくら「トス回しで飛雄に劣っている」と予防線を張ったとはいえ、実際にそう思われるのは癪だ。影山のようにいつでもピンポイントで自由自在にトスできる能力はないが、せめて木兎が打ちやすいボールを絶対に上げてやる。
 ――と慎重に打つこと数回。その都度、高さやタイミングを確認し合って5,6球打つ頃にはぴたりと息が合ってきた。疲労も溜まっているだろうからジャンプ力が落ちているかと思いきや、日中観察していた高さと同等かそれ以上の高さでボールを合わせても木兎は鋭いスパイクを打った。
「及川君やるじゃん! なあ明日はクイックやろーぜ!」
 そうしてさすがに夜も更けかけたところで明日に備えようとボールを片づけ、軽く整理運動をしてから宿舎に向かう。
「ウシワカ、明日もブロック跳んでくれよな!」
「その呼び方、やめて欲しいと言っているのだが」
「わっかんねえな、ウシワカ格好いいじゃねえか!!」
「もう夜だし少し静かにした方がいいのではないか?」
「お前ももっと喋っていこうぜ! テンション低いままスパイク打ってて楽しいのか??」
 そうしてそんなやりとりをしながら前を歩いていく牛島と木兎の背を見つつ及川は皮肉めいた笑いを漏らした。
「あのウシワカ野郎と会話が成立しちゃってるよ。木兎君凄くない?」
 その言葉を受けた佐々丘は返答に困ったのか、ふぅ、と息を吐いた。
「ま、木兎の練習にはあの通りブロッカーが必須だから次はお前もブロック跳んだらどうだ?」
「は? ちょっと佐々っち、俺セッターなんだけど?」
「ブロックはセッターの大事な仕事の一つだ」
「うぐ……ッ」
 言い返されて及川は言葉に詰まり、ハァ、と肩を落とした。自分の売りが総合力である以上、全てをまんべんなく磨くのは自分のためでもある。――セッターバカのおバカな後輩と違って、そればかりやって生き残れるとは限らないのだし。と影山の顔を過ぎらせて瞳が曇るも、そもそも影山も総合力の選手だ。何せ自分を模倣してばかりいるのだから当然そうなる。その上で、「天才」なのだからどうやって彼を潰せばいいのか、本当にイヤになってくる。と少しばかり唇を噛みしめていると「なあ」と佐々丘がこちらに目線を送ってきた。
「お前……、牛島と何か問題でもあったのか?」
 彼はおそらく自分の牛島に対する態度を目の当たりにして驚いたのだろう。及川は取り繕うようにヘラッと笑った。
「別に? けど佐々っち、考えてもみてよ。宮城って言ったら白鳥沢、白鳥沢って言ったら牛島みたいな認識でしょみんな。俺はずっとライバル校にいたわけだから、そりゃイロイロあるよ」
「まあ……そうだろうな」
 佐々丘はどこか腑に落ちないと言いたげな表情のまま曖昧に頷いた。
 及川はいまこうしてこの場に立っている自身を奇妙に思いつつも、疲れた、と小さく呟いてふっと息を吐いた。



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