――東京。
 及川はそのまま筑波に向かい、ホテルに荷物を置いてさっそく物件巡りをするらしい。
 よほどのことがなければ今日中に部屋を決めて、明日からは部屋に移り、家具を揃えたり等を急ぎたいということだった。
 は東京駅で及川と別れ、祖父母宅へと向かいつつ思う。
 おそらく自分はこの先、一年程度しか日本に滞在しないため及川のように家具を揃える必要はあまりない。合格していれば、祖父母宅で使っているベッド類をそのまま移すということで話はまとまっていた。
 及川はというと本当にその日のうちに部屋を決めたのか、夕方には契約した旨の報せが届いた。明日は近くの家具屋に家具を揃えに行くという。
 自身も明日は取手市に部屋を見に行く予定を入れていた。合格発表は明後日。明後日以降に動いたら不利になるだろうからだ。
 いくら大学のそばとはいえ、自分の空間で作業部屋を確保したいは最低でも1LDKを借りると決めていた。幸い、都心と違って広めの部屋が安価に借りられるうえに予算は相場より多めに用意してある。
 翌日、予約していた物件を5,6件見て回ったはセキュリティや立地条件を加味して一番気に入ったところに「明日の結果次第だが」と告げて契約書を持って祖父母宅に戻った。
 ――明日は11時半に及川と上野で待ち合わせをしている。自身の合否を確認したあと、そのまま秋葉原に家電購入に向かうためだ。
 自分の合否を問わず及川の買い物には付き合うつもりだが、不合格だったらやはり凹んでしまうかも。と緊張したまま迎えた翌朝。
 は緊張の面もちで上野駅に向かった。数ヶ月前の合格発表の日の及川もこんな気持ちだったのだろうか、と上野駅の公園改札の外に出ると、正面の東京文化会館の前にひときわ往来の視線を集めている人物がいた。
「あ……」
 及川だ。東京でもやはり目立つのだろうか、と肩を竦めつつ常に騒がしい上野駅の前をすり抜けて及川の方へ向かうと、及川もこちらに気づいたのか手を振ってくれた。
「やっほー、ちゃん」
「及川くん。ごめん、待った?」
「ううん。早く来てちょっと観光してたんだよね、上野初めてだし」
 及川にとっては上野が珍しかったのか彼はそう言って笑い、そうしての手を取って歩き始めた。とはいえ及川は場所の詳細は知らないためが先導する形になったが、しばし歩いていると及川は不思議そうに言ってきた。
ちゃん落ち着いてるね」
「そ、そうかな。ちょっと緊張してるよ」
「んー……けど、俺の時となんかチガウ」
 言って及川は眉を寄せ、は少し目を見開いたのちに笑った。――及川は自身の合否を知る際に自分と岩泉にそばにいて欲しいと願ってくれた。彼はおそらくとても緊張していて、そして岩泉や自分と気持ちを共有したくてそう願ってくれたのだろう。だから今度は及川自身がこちらの緊張を緩和する番だと思ってくれたのだろうな、と感じたのは握られた手がいつもより少し強く、まるで励ますように力が込められていたからだ。
 ふふ、と嬉しくて思わず笑ってしまうと「余裕だね!?」とショックを受けたような顔をされては肩を竦めた。
 それでも大学の門が近づいてきて、12時の合格発表が近づいてくるとそれなりに緊張はしてきて。
「おお、凄い人! 俺こういう、いかにも”合格発表”ってはじめてなんだよね」
 及川は片方の手を翳して門の先の人だかりを見やっていた。確かに高校受験、大学受験ともに推薦で終えた彼はこのような掲示板発表を見るチャンスはなかったのだろう。
 が、自身も青葉城西の時は合否を担任から聞いたためにこうして掲示板発表の場に赴くのは初めてである。
 人の波に沿って中に入り、そうして12時が来ると掲示板に合格者の受験番号が書かれた用紙が張り出されて一斉に辺りがざわついた。
 も受験票を取り出しつつ「油絵科」と書かれたリストに目を凝らす。
「――あった!」
「え、ほんと!?」
「……よかった……」
 その中に自分の番号を見つけて、ホッとは息を吐いた。
 合格者は受験票を持って事務局に行かなければならないらしく、キョロキョロと目線を動かして事務局を探していると、いかにも腑に落ちないと言いたげな表情をしている及川と目があった。
「な、なに……」
ちゃんリアクション薄くない? 合格なんでしょ!」
「え……うん」
「まったく、これだから天才は……」
 そうして及川はムスッと唇を尖らせ、の手から受験票を取って番号を自身で照会しているのか受験票と掲示板を交互に見て「ホントだあった」と呟きながら地団駄を踏み始める。
「まったくホントいやになるよね。ちゃんの大好きな及川さんより絵の方が大事なちゃんは超難関に合格してもコレなんだもん。ほんっと天才嫌い」
「な、――」
「たぶんいまちゃんより俺の方が喜んでるもんね」
 何なんだいったい、と困惑していると急に及川に手を引かれ、ギュッと痛いほどに抱きしめられて及川は震えた声で言った。
「おめでとちゃん」
 の脳裏に、及川が筑波大の合否を知った際に岩泉に抱きしめられて感極まって号泣していた姿が過ぎった。そうして改めて、おそらく自分は自分が思っている以上に及川に想われているのだと実感して目尻に涙が滲んでくる。
「ありがとう」
 キュッとも抱きしめ返し、お互い顔を見合わせて笑い合う。そうして及川は「学校に知らせないとね」と携帯を取りだして、青葉城西に電話をかけ始めた。
「あ、センセー? 俺です及川です。ちゃん、合格してましたよ! ハイ、そうでーす。はーい、失礼しまーす」
 そうして担任に繋いでもらったのか笑みで報告まで済ませてくれた及川にはあっけに取られつつも小さく笑った。
 及川は自分の感情に振り回されやすい性格だ。けれども、こういうところは少し羨ましいかもしれない、と感じつつ事務局に向かうと受験票と引き替えに「合格袋」なるけっこうなボリュームの袋をくれては少々困惑した。さすがにコレを持って往来を歩くのは憚られる。
 取りあえず入学手続きに必要な書類を自身のバッグに仕舞い、残りは買い物の間は秋葉原のコインロッカーに預けておこうとそのまま二人揃って上野を出て秋葉原を目指した。
 合格発表以降、及川はすこぶる上機嫌で時おり鼻歌さえ歌っている。
「だって二人揃って新生活じゃーん。調べたら筑波と取手って割と近いし、オフの日とか行き来し易そうだし」
 数度目の鼻歌を聞いた際に、楽しそうだねと言ってみればすこぶる弾んだ声でそう言われては合わせるように笑いつつ目を泳がせた。
 ともかく、自分も家電を選ばないと、と軽く昼食を取ってから大きな家電ショップに入りこの時期独特の「新生活応援フェア」等々で活気づくフロアを見ていく。
「最低でも4年使うと思うと、冷蔵庫とか大きいのが良いんだよね。特に冷凍庫がしっかりあるやつ。洗濯機大必須だし出来れば乾燥機付いてた方がいいかなー」
 おそらく大学でもバレーが中心の生活になるだろう及川は具体的な生活のビジョンがはっきり見えているらしくじっくり値段と質を吟味していた。
 対するは大きな家電はあまり必要としておらず、冷蔵庫も小さめのものをチョイスし、洗濯機、レンジに掃除機と必要最低限のもののみの購入を決めた。
 が――。
「乾燥機付き洗濯機たっかい!! ムリムリ買えない!」
 自身の希望と予算の間で折り合いの付かないらしき及川は洗濯機売り場の前で頭を抱えてしまい――は一つ提案をした。
「わ、私の洗濯機でよければ一年後にあげるから……取りあえず安いの買ったらどうかな」
 時間を出来るだけ絵に割くためには洗濯機は乾燥機の付いた比較的値の張るものを買うと決めていたための提案だったが、ピク、と及川の頬が反応する。
 おそらく「一年後」という単語が引っかかったのだろうな、とは感じただったが、それを除けば予算という物理的条件の前に他の選択肢はなく及川はやや申し訳なさそうに頷いた。
 他にもテレビやノートパソコン等をまとめて購入した及川は最終的に「なんとか予算内」とホッと息を吐いていた。
 配送を頼むと、それらの最短配送日は明後日の金曜となり、及川はその日を指定していた。
 対するは住所がほぼ決まっているとはいえ確定はしていないために今日付けの配送発注はできないということで明日以降になり、土曜に配送してもらう算段となった。
ちゃん、家って確定してるの?」
「うん。今日これから本契約してくる。すぐ入れるようにしてもらってるから、契約が済んだらお祖母ちゃんちで使ってるベッドとかの移送頼んで……、こっちも土曜になるのかな」
 ある程度早めに決め終えて、カフェでお茶を飲みつつそんな話をしていると「じゃあさ」と及川が声を弾ませた。
「土曜、ちゃんちに引っ越しの手伝いに行くね!」
「え……」
「及川さん力持ちだからイロイロ役に立つかもだし」
「え……、で、でも設置込みで頼んでるから大丈夫じゃないかな……」
「……模様替えとかしたくなったりするかもしれないじゃん……」
 目を瞬かせつつ切り返すと、むくれたように言われてはハッとした。そうか、と思う。及川は来週から大学の練習に参加の予定となっていて、その後は忙しくなるだろう。もしかしたらそう頻繁に会えなくなる可能性だってあるのだ。
 ただでさえ数日前まで自分は受験のために東京にいて二ヶ月ほど会えなかったのだし、及川は色々不満も溜めているはずだ。むろん自身も及川との時間は大切にしたい事に変わりはない。
ちゃん?」
「う、うん」
 わかった、と頷くと及川は少し目を見開いてパッと華やかな笑みを零し、うへへ、と笑った。
ちゃんちにいるときでもロードワークとかしなきゃだし、俺の着替えとか置いといてもいい?」
「え……!? あ、うん……」
ちゃんも俺んちに何でも置いていいからね」
 何か勝手に話を進められている気がする。と思いつつもニコニコさも当然のようにかつ嬉しそうに話す及川に反論などできるはずもなく、はやや頬を染めて自身の頼んでいたカプチーノのカップを持ち上げ口を付けた。


「ありがとうございましたー!」
 翌々日、及川は頼んでいた家電の配送・設置を終えて数日前に契約したばかりのマンションの部屋で、ふぅ、と息を吐いていた。
 体育学専門群からは少々距離があるが、元より自転車必須の筑波大なのだから気にならないし、なにより1LDKの間取りで個室が和室なところが気に入っていた。和室には少し大きめの布団を購入して敷いて、ローデスクを設置すれば実家の自室とほぼ変わらない。ベランダ付きというのも毎日大量の洗濯必須の自分にとってはありがたい。
 フローリングのリビングにはマットを敷いて、冬にはコタツに化ける長方形のローテーブルを置いた。購入したソファベッドと本棚も昨日必死に組み立てて設置を終えており、手触りが気に入ったクッションを数点ソファやマットの上に散らした。
 テレビ台の上にテレビも設置したし、炊飯器を始め一通りの調味料や炊事道具もキッチンにばっちりセットしてすっかり部屋っぽい空間が出来上がり及川はある程度満足していた。
 取りあえずその空間を携帯で写真に収めて岩泉や花巻らに写メールを送り、には「来たときのお楽しみね!」とあえて写メは送らずゴキゲンなデコレーションたっぷりの文章を送っておいた。
 余った時間はキッチンに立って大量におかずを作り、来週からに備えてストックを作って冷凍庫に入れておく。――元々割と得意だった炊事はここ数ヶ月の強制おさんどんと母親からの指導で強化されており我ながら凄いと思う。
 そうしてロードワーク・筋トレをこなしながら思った。の部屋はどんな状態なのだろう、と。
 以前にの家を訊ねた際もこざっぱりしていたし、きっとあまりモノを置かないタイプだし、そもそも……と及川は思い返した。
 秋葉原に行ったときも、は自分とは対照的にいくら一人暮らしとはいえごくごく最低限のものだけを購入していた。おそらくの家はかなり裕福な家庭だろうし、の性格から言っても値段より質に拘りそうだというのに、だ。
 ――にとっては、芸大ですら通過点。修学旅行の時に一緒に行ったあのパリの美術学校に入ることが幼い頃からの夢だと言っていた。そして彼女はそれをただの「夢」ではなく現実のものに近い将来してしまうのだろう。
 それから先は……と考えそうになって、ふ、と及川は笑った。
 先のことなんて分からない。だからいま自分と一緒にいて欲しいといって付き合うことを承諾させたのは自分だ。
「ていうか、別に俺別れるつもりないしぜったい別れないし」
 ブツブツ言いつつ筋トレを終えて風呂の準備にかかる。取りあえず現時点では将来よりもが芸大に入って知り合うだろう趣味の合うシティボーイの方がよほど心配である。芸術の才能は自分にはないし。いやいや全然心配してないし全然別に。と思いつつ沸いた風呂に入り湯船に浸かった。
「狭い……!」
 おそらく一人暮らしとしては標準以上の広さなのだろうが、それを上回って自分の体格は日本人の標準を遙かに越えている。
 東京って温泉とかあるのだろうか。今年こそとの温泉デートを実現させたい。ていうかと夏にプールデートしたときののビキニ姿、超可愛かったし、は自分と同じでけっこう着やせするタイプだとハッキリ分かった。良い意味で。と、内心の部屋を訊ねていく予定の明日が待ち遠しくてしょうがない自分を自覚して及川はぶくぶくと顔半分を無理やり湯船に沈めた。
 のぼせた……、とふらふらしながら風呂を出て、髪を乾かす。丁寧に乾かしてさえ好き放題跳ねる髪は自然乾燥だとボンバーヘア一直線である。それでも「無造作で素敵」と周りが勝手に思ってくれるのだからやっぱり自分は凄いと思う。
 でもやっぱりくせ毛めんどくさい。さらさらストレートとかムカツク。なんなのアイツ、と脳裏で天然黒髪さらさらストレートの腹立たしい後輩に八つ当たりしつつ布団に入った。



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