――翌日。三月第二土曜日。 ゆっくりと朝食を取って、最後となるだろう制服に袖を通すとは鏡の前に立って前後をチェックした。 そうこうしているうちに携帯が鳴り「もうすぐ着く」と及川から連絡を受けて家を出た。 「いってきまーす」 そうして門の前で待っているとすぐに及川と岩泉が連れ立って現れ、そのまま三人で学校を目指す。 「しかし、ようやくこの拷問制服とおさらばできると思うとせいせいすんな」 道すがらボソッと岩泉がそんなことを呟き、及川がケラケラ笑っては肩を竦めた。 「岩泉くん、北一の学ランほんとに似合ってたもんね……」 「俺的には青城の制服は俺のためにデザインされたと言っても過言じゃないほど似合ってると思うけどネ」 「おめーの話はしてねぇよクソが」 「制服似合わないからって僻みはみっともないよ」 「あと数時間で脱ぎ捨てるモンに誰が僻むか!」 相変わらずのやりとりには苦笑いを浮かべつつ「でも」と制服を見やる。 「何だかんだ、制服って便利だよね」 「まあ、毎日なに着るか考えねえで済むしな」 「センスない人は大変だね全く」 「おめーの私服ちょーダセエって花巻が言ってたべや」 「ウッソ!?」 ショックだったのか目を丸めて固まる及川を横目に、彼らのこの漫才じみたやりとりを見ることも今後はないのかと思うとやはりどこかもの悲しい。 仙台駅に出ればちらほら青葉城西の制服も散見されるようになり、揃って青葉城西行きのバスに乗ってしばし揺られ、学校に着けば正門には「卒業式」と大きく看板が掲げられており、正門をくぐるや否やワッと声があがった。 「及川せんぱーい!」 「卒業おめでとうございますー!」 「せんぱい、卒業しちゃわないでくださいー!」 「及川さあああん……!」 思わずは無意識に岩泉と顔を見合わせてしまった。瞬間、岩泉も感じていたのは三年前のデジャブだったに違いない。 「みんなありがとう!」 及川は今日が最後だからかいつも以上に華やかな笑みを女生徒たちに向けつつそのまま校舎に向かい、と及川は揃って教室に入った。 たちのクラスは国立理系ゆえに、まだ後期受験予定の生徒が複数おり、みな晴れ晴れというよりはやや疲れの残った様子も見られた。 自身も合否を待つ身ゆえにやはり心から晴れ晴れというわけにもいかず、最後の朝礼を受けて揃って第一体育館に移動し、卒業式の開始を待った。 在校生代表は二年生全員と一年生の代表者のみで、卒業証書は式のあとのホームルームで担任から直接手渡されることとなっており、校長ならびに来賓挨拶、送辞・答辞に校歌斉唱と滞りなく式は進んだ。しかしながら在校生代表・卒業生ともに式が進むにつれて泣き出す生徒もちらほら見られ、しんみりとした雰囲気のまま式は終わった。 やはり及川が会場を去る際には在校生代表の女生徒やバレー部の後輩らしき男子生徒から歓声があがっておりちょっとした騒ぎとなるも、青葉城西の生徒はその様子も慣れたもので各自が教室に戻ってそれぞれ担任から卒業証書を受け取って最後の挨拶を終え、解散となった。 「及川君、写真いい?」 「モチロン」 しかし解散になったらなったで及川はクラスメイトに囲まれており、ふ、とは頬を緩めた。きっと教室を出たら他クラスの生徒に囲まれて、校舎を出たら後輩に囲まれてしまうのだろう。それは三年前と全く同じだ。 最後だし、自分はゆっくり構内を回って来よう。と、は毎日のように歩いていた場所を確認するようにじっくり見て回り、特別教室棟に足を踏み入れて多くの時間を費やした美術室をぐるりと見渡した。 そのまま外に出て、校庭をゆっくりと歩いてみる。よくスケッチしに通ったテニスコート、グラウンド。ゆっくりと一周して第三体育館の方に戻ってくると、入り口あたりに女生徒の人だかりが出来ているのが見えては瞬きした。 及川だな……と騒ぎの中心にいる頭一つ二つ抜け出た長身を視認して、そのまま何気なく見ていると、「囲まれちゃってんね」と不意に背後から声をかけられ、びく、とは肩を撓らせた。 「ワリ、驚いた?」 見やると、申し訳なさそうに肩を竦める青年がいて「花巻くん……」と呟きつつは笑みを浮かべると「ううん」と首を振るった。 「ちょっと懐かしいなって思ってたの」 「ん……?」 「北一の卒業式の時と全く同じなんだもん」 言えば花巻はキョトンとして、次いで「なるほど」と苦く笑った。 「及川ってさ、まあ有名人だったし俺も中学ん時から顔と名前は知ってたんだけど……。なんていうか、実際話してみると割と予想外なキャラだったんだよね」 「え……?」 「さんもあいつのプレイ見たことあるデショ? やらしいプレイするし、もっとスカして気取ったヤーなヤツだろうなって思ってたんだけど……」 言って花巻は言葉を濁したが、続けたいだろう言葉をは何となく察して少し肩を揺らした。すると花巻も呼応するように切れ長の目を細めた。 「あんなバレーバカでがむしゃらで痛々しいくらい一途なヤツだなんて反則だよね。だからさ……」 「え……」 「これからも仲良くやってね」 言われては瞬きをしたものの、すぐに「うん」と笑って頷いた。すると花巻も、ニ、と笑って頷いた。 「それじゃ、俺行くわ」 「あ……花巻くん」 「ん?」 「合格おめでとう。関西でも頑張ってね」 すると花巻は一度瞬きをしてからいつもの淡々とした表情を崩して破顔した。 「サンキュ。じゃーね、さん」 「元気でね!」 手を掲げてくれた花巻に手を振り返して見送り、は再び視線を及川の方へ戻した。何やら撮影会をしているらしく、当分終わりそうにないかな、とキョロキョロしつつ歩いてみる。 たぶん岩泉も残っているのではないだろうか、と岩泉の姿を探した。三年前は痺れを切らせた岩泉が帰宅する自分と並んで歩き始め、そのあとを及川が追ってくる形で一緒に帰ったが。さすがに今日は及川を置いて帰るのは憚られる……とふらふらとそのまま正門の方へ歩いていくと校舎前の木の幹に寄りかかってしかめっ面をし腕組みをしている岩泉を見つけて「あ」とは声をあげた。 「岩泉くん……!」 「おう。ったく及川のヤツ、まだ終わんねぇのかよ」 「う、うーん……。もうしばらくかかるんじゃないかな」 岩泉は心底うんざりした様子で第三体育館の方へ視線を投げ、も少し肩を竦めた。そうしてまたしばらく時間が経ち、岩泉から漏れてきたのは盛大なため息だ。 「もう先帰るべ」 「え、も、もうちょっと待ってみようよ……!」 痺れを切らしたらしき岩泉がくるりと踵を返そうとしては慌てて止めた。 その後、小一時間ほどして「ごっめーん」と笑いながら抱えきれないほど大量の花束やプレゼントを抱えて現れた及川に盛大にブチキレた岩泉は、さらに及川の手から溢れた荷物も仕方なく持ってやる羽目になり終止地団駄を踏んでいた。 「とっとと帰ってりゃ良かったわ」 「しょうがないじゃーん。岩ちゃんに挨拶したい女の子がいなくて、俺にお別れ言いたい女の子がたくさんいたんだからサ」 「くたばれクソが!」 「いたッ!!」 バス待ちの列で岩泉が及川に蹴りを入れ、はもはや苦笑いを漏らすしかなかった。 それにしても、と思う。北川第一の時は及川の学ランのボタンはきっと全部奪われてしまうだろうなんて岩泉と笑い話をしていて、でも全部無事で。そんな漫画じみたことはないのだと感じた矢先に、どうやら本人が全部断ったのだと知って及川らしいと思ったものだが。 今回もやっぱり断ったのかブレザーのボタンは無事だな、とちょうど目線の高さである及川の制服を見ていると「ん?」と及川から不審そうな声が降ってきた。 「なに、どうかした?」 「な、なんでもない」 「なになに、今回こそ及川さんの第二ボタン欲しくなっちゃった??」 すると愉悦を含んだような声で及川がヘラッと笑い、ぐ、とは息を詰まらせる。さすがに「いらない」と切ってしまうのは憚られて曖昧な笑みを浮かべおいた。 卒業式翌日の日曜日。 及川は茨城に送る用の荷物の最終確認をして全て段ボールにまとめた。住所が決まればすぐに送ってもらう予定である。 下旬に差し掛かる来週からはバレー部の練習に参加する予定であるし、とにかく、できれば明日中に部屋を決め、生活用品を購入して何とか新生活を始められる体勢を整えなければならない。 既に何件か目を付けている物件があるし、先方も気に入れば即日入居可だと言ってくれている。向こうも学生相手に毎年の仕事ゆえに慣れているだろうしきっとスムーズにいくだろう。 「よいしょ、と」 コレだけあれば数日は平気だろうという生活用品をスーツケースに詰め込み、その日の晩は家族と共にゆっくり食事をとった。 「それじゃ行ってきまーす! お父ちゃんお母ちゃん、元気でね!」 翌日、及川はいつも通り、両親が仕事に出るよりも前に普段通りに笑って両親に別れを告げ家を出た。 たぶん、こうしてこの家でこんな朝を迎えるのは人生で最後だろう。――なんて根拠もない予感が沸いたがむろん実感などまるでなくて、そのままゴロゴロとスーツケースを転がしていると後ろから見知った声に呼び止められる。 「及川!」 いつも通りの聞き慣れた声。――岩泉の声だ、と及川は笑って振り返った。 「やっほー岩ちゃん。俺との別れがたい朝がついにきちゃったね」 「お前が最後まで気色悪いクソ野郎だったということをいま改めて確認した」 「最後までほんとヒドイよね!?」 こんなやりとりも明日からはできないと思うと妙に感慨深かったが、それでも不思議と寂しさはなかった。だってそうだろう、自分たちは離れていても一緒だし、それにこれから自分にはやらなければならないことが山のようにあるのだから。 「岩ちゃんって春休み中ヒマなの?」 「あ? んなワケあるか。お前たち見送ったあと、大学の練習に参加する」 そっか、と及川は頷いた。おそらく彼は自分を見送ったその足でそのまま大学に向かうのだろう。練習着等が入っていると思しき大きなバッグを提げている。 「松つんによろしく言っといて」 おう、と頷く岩泉と並んで雑談を交えつつ仙台駅に行き、改札のそばでしばし待っていると、待ち人――が及川とは違ってごく身軽そうな装いでやってきた。 「おはよう及川くん。岩泉くん、来てくれたんだ」 「おう」 「岩ちゃんが俺と別れたくないって泣いて縋ってついてきちゃったんだよネ」 「サラッと話作ってんじゃねーぞクソ及川」 及川はいつも通りケラケラと笑い、何だかんだ当たり前のように新幹線ホーム内への入場券を買って見送りに着いてきてくれた岩泉に、ふ、と口元を緩めた。何だかんだ、家族の次に毎日のように長い間顔を合わせていた人物は岩泉をおいて他にはいない。バレーを始める前からの付き合いなのだ。いままでの人生の半分ほどの時間を自分たちは共有している。 「岩ちゃん、明日起きても俺には会えないからね!」 「しつけえ」 「一刀両断!?」 ホームにあがって、新幹線の出発時間も近づいてきて最後の挨拶をしようと向き直ればバッサリ切られて及川は表情全体でショックを表しつつも肩を竦めた。 一方の岩泉はなぜかに向き直っている。 「。こいつに何か面倒な事を言われたら迷わず力の限り全力で殴っていいぞ。俺が許す」 「それ岩ちゃんが許しても司法が許さないよね!? ていうかちゃんに物騒なこと吹き込むのやめて!」 及川は横から突っ込み、はというと苦笑いのようなものを浮かべていた。 「13番線に8:33発、はやて112号・東京行きが16両編成で参ります――」 ホームアナウンスが鳴り響き、ハッと三人は顔を見合わせる。 は黙って及川と岩泉を見やった。今生の別れというわけではないが、きっと互いに別れがたいはずだ。 そうこうしているうちに新幹線がホームに入ってきて巻き起こった風がの髪を揺らし、岩泉の方が先に及川に向かって口を開いた。 「泣き言言って逃げ帰ってきたらブットバスからな」 「最後まで悪口挟むわけ!?」 「及川」 「なに」 「死ぬ気で正セッター、奪い取れよ」 真っ直ぐに及川の瞳を見据えて岩泉が言い、及川は少しだけ目を見開いたのちに、クシャッと破願した。 「モッチロン! そのつもりだよ」 言って二人はガシッと拳を合わせ、二、と笑い合い。も改めて二人が確かな絆で結ばれた親友同士なのだと感じながら、ふ、と笑った。 「じゃーな、大学受かってるといいな」 「うん、岩泉くんも元気でね」 「おう」 も岩泉に挨拶をし、一度及川と顔を見合わせてから二人で岩泉に背を向け新幹線へと乗った。そして席について窓から必死に岩泉へと手を振る及川の隣でも手を振り、新幹線は東京へ向けて定刻通りに出発していく。 仙台駅を出てしばらくして、ふ、と及川は息を吐いていた。 「さびしい……?」 「ヘーキ。俺にはちゃんがいるしね」 声をかけると、及川は切り替えたようにニコッと笑っては苦笑いを漏らす。 まだ自分の合否は出ていないし、それに例え合格していても及川と一緒にいられる時間はそう長くはない。――と考え込みそうになったところで「そうだ」と及川は明るく笑った。 「ちゃん、住む場所とかもう決めちゃった?」 「一応いくつか絞ってるけど、合否がでないと何ともいえない」 「合否が出るのって明後日だっけ? お互い揃えなきゃいけないものとかあるし、発表のあとで家電とか一緒に買いに行こうね」 「え……」 「だって東京はちゃんの方が詳しいし、一緒に選びたいじゃん」 ニコニコと及川が声を弾ませて、う、とは唸った。確かに最低限の家電は必要であるし、むろん一緒に買いに行くのは構わないが――改めてお互い、もしも自分が受かっていればお互い一人暮らしが始まるのか。と考えていると及川がこちらの顔を覗き込んできた。 「部屋、決まったら遊びに行ってもイイよね?」 「え……」 「あ、俺のところにもモチロン来てイイよ! 余裕でちゃんも泊まれるスペースある部屋にするし」 そうして及川は自分が割と広めの部屋に住む予定であることをつらつらと説明してくれ、はほぼ自動的に頬が染まっていく感覚を覚えた。――元より大学が同じ市だったら「一緒に住んじゃう?」などと言っていた及川の真意など分かりきっているため探るつもりもない。が。 それでも無意識のうちに小さく唸っていると、「ちゃん」と少し低く呼ばれた。 「さすがに……もうそろそろイイんじゃない?」 軽く頬に触れられて甘ったるいココア色の瞳で覗き込まれて……はほぼ無意識のうちに小さく頷いていた。すれば一変して子供っぽく笑った及川を見て思わず両手で頬を覆い、頬が熱い、と感じつつも少しだけ口元を緩めた。 |