――11月も下旬に差し掛かった頃。 日に日に口数が減っていき表情すら乏しくなっていっていた岩泉と松川に笑みが戻った。 二人して揃って志望校の推薦入学にパスしたからである。 「二人ともおめでとー!」 「一抜け、ずりぃよなァ」 合格発表の日の昼休み、岩泉のクラスに4人で集まってコーラで祝杯をあげた。 岩泉も松川も安堵で気の抜けた表情をしており、この中では一番日々勉強に追われている花巻が笑顔ながらもやや窶れた表情を覗かせた。 「まあまあマッキー、気楽にいきなよ。A判定なんだからサ」 「まあ正直な話、お前よりは合格率高いと思ってる」 「ヒドイ!!」 しかしあながち間違いでもなくそれ以上は言い返せないでいると、花巻はなお肩を竦めた。 「つーかお前よりさんだよな……、彼女の志望校、日本一倍率高いスーパー難関デショ。現役合格だとさらにその数倍とか数十倍?」 「いや、俺はそれでもより及川の合格の方が危ういと思ってる」 「確かに」 「だいたい邪だよな、カノジョと揃って上京狙いとか」 「お前らいちいちヒドイってば!!」 好き勝手に喋る3人に突っ込みつつ、ハァ、と及川はため息を吐いた。 「まあ、ちゃんは大丈夫じゃない。天才だしサ。それにちゃんのホントの狙いは芸大じゃないし……」 そうだ。あくまでの志望校はパリのあの美術学校、と過ぎらせつつも及川は肩を落とす。 「ていうか、ちゃんの大学って合否出るの三月の中旬らしいんだよね……」 「うわロングラン……、かわいそ」 「高校最後のクリスマスとかバレンタインなのに……、たぶんかまってもらえない……!」 呟けば3人の挙動がぴたりととまり、ついで吹き出したような声が漏れた。 「ドンマイ及川! お前が無事に合格した暁には俺たちがクリスマス付き合ってやるよ」 「そうだな。花巻以外は割とヒマになるからな」 「あ、俺もバレンタインの頃には解放されるわ」 「ありがとう、お前らと最後の思い出作りが出来そうで俺とっても嬉しい!!」 机に突っ伏しながら言えばドッと笑い声が沸き、及川はいつもの調子の仲間に安堵しつつも少し緊張もしてきた。 月末は自分の番だ。一人で上京して、一人で全国区の選手に混じって試験を勝ち残らねばならない。 けれども緊張しつつもどこかその難関に挑戦することを楽しんでいる自分もいて、我ながら危機感ないのかな、と自嘲した。 ただ一つ自信が持てることといえば、いま自分の精神状態も肉体状態もベストな状況にあるということだった。 こうしてみんなで、違う将来を見据えながらいつも通り笑っていられるのが良い証拠だ。以前の自分ならばきっと無理だった。 ――頑張ってね! そして迎えた11月下旬。 試験前日に現地入りした及川は、泊まったホテルで目覚めた先に受信していたからのメールに強く頷いた。 本日から二日間をかけ、小論文と実技、面接による選抜試験が行われる。――問題は小論文だ。論文の内容はたぶん問題ない。ただ自分は漢字を苦手としているため、細心の注意を払って書かなければならない。 この日のために学校が用意してくれた試験対策を受けて何本も小論文は書いて慣らしているし、きっと大丈夫。 と、夏に訪れて以来の筑波大に足を向け、春からは同級生になるかもしれない受験生たちと顔を合わせて試験に臨んだ。 思ったよりも人数が多く、驚いてしまう。が、むろん全員がバレー志望ではないということは実技試験に移った時に目に見えて分かった。 一度足を踏み入れたことのある球技体育館。監督はむろんちらほら見知った顔がいる。対する受験生は――きっと全員全国区の上位チーム出身なのだろうが、知らないな、と及川は思った。 それもそうかもしれない。特に知名度のある選手は牛島のように既に去年の段階で内々に進学先が決まっているはずだからだ。 実技内容はポジション別ではなく、あくまで全ての能力を見られる。――総合力なら自分は少なくとも宮城県トップを自負している。やれないポジションもない。ブロックの高さだってその辺りのミドルブロッカーに負けているつもりはない。と、及川はいつも通り冷静に指示された課題を次々とこなしていった。 むろんセッターとしても見られているのだと意識しており、数人コートに入っての入れ替わりのスパイクの際には積極的にアタッカーとコミュニケーションをとって自身のセットアップをアピールした。 それほど頭を使ったわけでもなく、動いたわけでもないのにドッと疲れた。 と、一日目の試験を終えてホテルに戻った及川はそのままベッドに突っ伏した。 明日は面接――喋るのは得意だし、うっかり喋りすぎない事にだけ気を付けて頑張ろう。 と、たっぷり休息を取って臨んだ二日目は、バレーについて、学問についての二種類の個別面接を受けて及川はきっちり自分のバレーボール観と志望動機を心おきなく取りあえずは自信を持って伝え終えた。 あとは神のみぞ知るであるし、これで一応全てが終わった。とバンザイしてさっそく試験を終えたことをLINEにて、ついに岩泉がスマホに乗り換えたことで作ることが叶った4人用のLINEグループに投下すると間髪入れず返信が来てパッと及川は笑った。が。 ――東京ばな奈。 ――ハラダのラスク。 ――サトウのメンチカツ。 ねぎらいではなく土産品の催促のみが並んでおり、腹が立ったので怒りマークのスタンプを10連打くらい打っておいた。 その後の2週間は気が気でなかった。 ようやく受験から解放されたという安堵よりも合否の行方が気になっていたし、何より不合格であれば今から一般受験に本腰を入れなければならないという重圧とも戦わねばならなかった。 合格発表は12月2週目の木曜日だ。生憎と合格発表は見に行けないが、その日の午後には通知が届く予定になっている。 さすがに当日の及川のクラスはその日が及川の合格発表日であることを全員が知っており、及川を含めてどこかしらみなソワソワしていた。 担任にしても、推薦とはいえ、自分のクラスから国立の難関の部類に位置する筑波大へと生徒を排出できるか否かは大きいらしくホームルームのさなかに激励される始末だった。むろん、結果は即伝えるよう釘を刺された。 ホームルームが終わった直後、及川は真っ先にの席に向かって手を合わせた。 「ちゃんお願い! 今日は俺に付き合って!」 「え……」 「一人で合格通知開く勇気ないし!!」 必死に訴えるとは頷き、次いで及川はを連れて岩泉のクラスに向かった。 「岩ちゃーん!」 するとちょうど帰る準備をしていたらしき岩泉がカバンを携えてこちらにやってきた。 「どうした?」 「岩ちゃんも今日は俺に付き合ってくれるよね!?」 「は……?」 「今日、合格発表なんだもん!」 「あ? 俺はこれから部活――」 「やだやだ見捨てないでよ岩ちゃん!!」 あしらおうとしたらしき岩泉に追いすがると岩泉は呆れたような表情をしながらも渋々了承してくれ、3人で帰路についた。 「あー……怖い、帰るの怖い。引き返したい」 「何度目だよ鬱陶しい。ビビってんじゃねーぞゴラ」 「き、きっと大丈夫だよ」 譫言のように呟いては二人が叱咤と励ましをくれ、及川は寒さも相まって身を震わせつつ手を擦り合わせながらもどこか懐かしさを覚えた。 こうして3人で帰路につくのは、中学校以来だろうか。と、見えてきた自宅にゴクリと息を呑んだ。 「も、もしかしたら明日届くかもしれないよネ!」 「往生際ワリーんだよクソ及川!」 すれば頭を叩かれて「痛いよ岩ちゃん」と抗議しつつ、深呼吸をして及川は自宅のポストを開けた。 すれば――案の定、筑波大からのやや大きめの郵便物が入っており及川はなおゴクリと息を呑んだ。 「開けてみろよ」 「ここで!?」 急かす岩泉に突っ込みつつ及川はそれはないだろうと取りあえず玄関の鍵をあけて二人を中へ促した。 「ドーゾ」 「おう」 「おじゃまします」 するとややが緊張気味に言って、そういえばが自分の家に入るのは初めてだったか、と今更ながら気づきつつ及川は二人を先導した。さすがに早くエアコンを入れなければ寒い。 「こいつの部屋、和室なんだが年がら年中布団出しっぱなしなんだよな」 「へ、へえ……」 「そんな数十秒後には分かる事実をネタバレしなくてもいいよ!」 ていうか布団出しっぱなしだった。と気づいて及川は先に階段を駆け上がるとマッハの早さで布団を畳んで押入に仕舞い込んでエアコンのスイッチを入れた。 遅れて岩泉がを連れてやってきて及川は取り繕うように笑ってみせる。 「ドーゾ適当に座ってて。俺、なんかあったかいモノでも――」 「及川!」 言いかけると岩泉が言葉を遮り、ぴしゃりと入り口のふすまを閉めた。 「いいからとっとと開けろや」 そして彼は顎でクイッとパソコン用のローデスクに置いた筑波大からの郵便物を指し、う、と及川は口籠もる。 そうしてドカッと岩泉はその場に腰を下ろし、もおずおずと腰を下ろしたため、及川も郵便物を手にとって座らざるを得ない。 「んじゃ、開けるね」 「おう」 「ホントに開けるよ!?」 「いいからとっとと開けろボゲ!」 岩泉の怒声が響き、及川はデスクからはさみを取りだして恐る恐る開封した。 そうして一枚の白い紙を取り出す。まず自分の名前と受験番号が目に入った。学長の名前と印字。そして――「合格通知書」という文字が飛び込んできた瞬間、はらりと及川は紙を手から滑らせた。 パッとそれを岩泉が掴んで隣にいたが覗き込み、岩泉は目を見開いては口元を両手で覆った。 「及川くん……! おめでとう!」 「やったじゃねえか、相棒!」 岩泉は破顔して及川を讃えるように抱きしめ、思わず及川の視界が滲んだ。 「い"、い"わ"ちゃあん……ッ」 ありがとう……! とひとしきり泣いたあとで鼻水をすすって、及川はハッとする。そしてパッと岩泉から身体を離すと、マッハの速度で鼻をかんで背筋を正して笑ってみせた。 「ま、まあ及川さんなら絶対受かると思ってたけどね!」 「……今ごろカッコつけてもおせーーよ……」 呆れたような岩泉の声を聞きつつ、を連れてきたのは失敗だったかもしれない。とちらりと恐る恐るを見やると、はもらい泣き状態だったのか目尻の涙を拭いながら笑みを浮かべてくれた。 「おめでとう。ホントによかったね!」 それを見て、一瞬でも「引かれたかも」と感じた自分を及川は恥じた。そんなことあるわけないのにさ。と「うへへ」と笑って、及川はのそばに歩み寄るとギュッとを抱きしめた。 「ありがとちゃん、大好き!」 そばで岩泉が引いたような気配が伝ったが、及川は気にせずそのまま上機嫌で立ち上がると今度こそ飲み物を取ってくると部屋を出てキッチンへ向かい、鼻歌交じりで熱い緑茶を入れて部屋へと戻った。 そうして改めて一息つきつつ、同封されていた書類を見やると入学手続きに関する事が書かれており及川はハッとして両親に合格の旨を伝えるメールを打った。 「あ……、担任にも知らせないと」 即知らせろって言ってたっけ、と思いつつ学校の電話番号って何番だっけと思案していると「それなら」と岩泉が言った。 「今から学校戻ればいいんじゃねえか? まだ部活中だし、バレー部の連中にも知らせてやれんだろ」 するとも賛同して、及川も「そうだね」と立ち上がりバタバタと家を出る。 さすがにはそのまま帰ると言い、及川と岩泉はを見送ってから元来た道を逸るように戻って学校へと急いだ。 そうして辿り着けば、第三体育館に直行したい気持ちを抑えて職員室を目指す。 職員室に入れば真っ先に自分の姿を目に留めたらしき担任が逸るように訊いてきた。 「及川! ど、どうだったんだ、結果は!?」 その声に及川は満面の笑みでピースサインをした。 「おかげさまで合格デース!」 瞬間、ワ、と職員室が沸いた。隣で岩泉が肩を竦める。 「俺と松川の合格発表の時とずいぶん反応ちげえな」 「僻まない僻まない」 「前言撤回。やっぱてめームカつく!」 号泣野郎のクセしやがって、と悪態をつく岩泉に「号泣はしてない!」と突っ込みつつ職員室をあとにして及川たちは第三体育館を目指した。 休憩のタイミングを見計らって監督及びコーチに合格の旨を伝えると、部員全体から歓声が上がった。 「さすがキャプテン! すっげええ!」 「及川さんおめでとうございます!!!」 「ぜったい正セッター勝ち取って、インカレ日本一目指してください!!」 そして及川は、「そこ」に行けば当然のように要求されるのは「日本一」なのだと後輩たちの声でハッと気づかせられ、少しばかりの恐怖心を内包して武者震いに震えた。 「うん。ぜったい正セッターになってみせる」 応えると後輩たちはまたワッと沸き、監督も嬉しそうな笑みを零して頷いた。 「及川……本当におめでとう。君のような優秀な選手を教え子に持てたことを心から誇りに思うよ」 「ありがとうございます、先生! あ……それから、受験終わったんでまたしばらく頻繁に部活に顔出しますけど、よろしくお願いしまーす」 そうして笑って告げると後輩たちの空気が微妙に変わり、岩泉が笑いながら皆に告げた。 「まあ、目の上のタンコブで邪魔だろうがしばらく我慢してくれ」 「ていうか岩ちゃんもそうだよね!? 松つんもそうだよね!?」 そうしてひとしきり話を終えると、今日は引き揚げて及川と岩泉は今度こそ帰路についた。 一度目と違って、足取りはすこぶる軽い。鼻歌交じりで軽くスキップさえ踏んだ。 「及川」 「なに?」 「浮かれてるようだから言ってやるけど、大変なのは入学してからだからな」 「今日くらい浮かれても良くない!?」 相も変わらず岩泉の水を差すような一言に突っ込みつつも、その通りだな、と思う。 もしかしたら自分は、ただ思い知らされるだけなのかもしれない。凡人は引っ込んでいろと、ベンチにも入れないまま4年が過ぎてしまう可能性だってある。だが、それでも選んだのは自分だ。 「ウシワカが深体大なら、筑波大とも頻繁に試合とかすんじゃねえか?」 「たぶんね。あいつ一年からレギュラーとか取ったりしそうだし、やんなるよね全く」 「合同合宿とかあったりすんだろ。今度は同郷出身の仲間になんだし、仲良くやれよ」 「同郷関係ないし! てか違う大学なんだしあいつは今度も敵じゃん!」 言いつつも及川は少しだけ予感めいたものを感じた。 今後も幾度となく、あの「怪童・牛若」と相まみえることになるだろう。 おそらくは、バレーを続けていく限りは自分を追ってくる影からも逃れられない。と、2年後には確実にどこかの名の知れた強豪に入るだろう元後輩・影山の姿も浮かべて及川はゴクリと喉を鳴らした。 分かれ道が来て「じゃあな」と岩泉が自分に背を向けた。 これからは彼とは違う道を行く。自分はもう、岩泉の歩く道を共に歩むことはないだろう。 けれども、食らいついていけるのだろうか? こっちへ来い。と手招きする――「天才」の領域へ。踏みつぶされてボコボコになぶられてもしがみつく覚悟があるのか。 ――「ある」とはまだ断言できないが、今まで避けていた「挑戦」という一歩を踏み出す覚悟は出来た。 けれどもやっぱり少し怖いかな。と肩を竦めて、見えなくなった岩泉の歩いていった道に背を向けて及川も自宅への道を歩いていった。 |