翌日。8月の最終月曜日。
 の家の前で待ち合わせた及川はそのままと一緒に付近のバス停へ向かった。
 そうして人もまばらなバスに座りつつ、頬が緩むのは久々のデートだからだ。
「晴れて良かったね。気温も高くなるっぽいし、絶好のプール日和だよね」
 鼻歌交じりに上機嫌で言えば、も「うん」と緩く笑った。
「温泉もあるみたいだし、楽しみ」
 及川はキュッとの膝においてあった手に自分の手を重ねてみる。
 昨日学校で顔を合わせたとはいえ、こうしてゆっくりとに会うのは一ヶ月ぶりだ。毎日メールはたくさん送っていたが、基本的に送りすぎる自分に対しメールのマメでないの返信が追いつくはずもなく。――と少しだけ唇を尖らせているとが首を捻って、及川は慌てて「何でもない」と首をふるった。
 目的地は都心からはやや離れているが市内の温泉地だ。プールを夏期営業しているホテルもあり、どうせならと遠出を選んだ。
 どうせなら……、お盆バブルで予算もあるし。一泊を提案すればよかったかも。既に双方18歳だからダメではないのだし。と、行き先を決めたあとに思いついた及川であったが、むろん口に出す勇気はなくやめておいた。の家はかなりの部分をの自主性に任せる教育方針のようだが、こっちにも色々しがらみが……と頭の隅で考えつつも雑談しつつ1時間ほどバスに揺られれば目的地だ。
 政令指定都市の仙台ではあるが市街地を離れると緑豊かで、やはりの故郷である東京23区とは違う。と及川は感じたものの、バスを降りたは緑いっぱいの辺りの風景に感嘆の息を漏らしていた。
 おそらくその光景は彼女の心を掴むのには十分だったのだろう。
「峡谷見に行きたい……!」
 上気した頬でシャツの裾をキュッと掴まれ、ぐ、と揺らいだ及川だったがほいほい首を縦に振るわけにもいかない。
「プール終わったあとでね」
「スケッチブック持ってくれば良かったな……」
 写真いっぱい撮ろう。というに、それならやっぱりさりげなく泊まりを提案すれば……と過ぎらせてしまい及川は首を振るう。
 お昼にはまだ少し早かったが、軽く何か食べていこうと近場のカフェで軽食を取ってから目的地へと向かった。陽が高くなってきて気温も上がってきた。歩いているだけで汗ばんでくるようだ。
 しばらく歩いていくと目的地である温泉ホテルが見えてきた。入って受付を済ませ、とはプールサイドで落ち合う事にして及川も男子更衣室に入る。
 プールなど本当に久々だ。下手を打てば中学の体育の授業以来かもしれない。と過ぎらせつつ海パン一枚になって日焼け止めに手を伸ばした及川はハッと気づいた。
「背中塗れない……!」
 肝心の背中が自分では塗れず、眉間に皺を寄せながら及川はタオルと日焼け止めを手に持って外に向かった。に頼めばいいか、などと思いつつ館外に出た眩しさで目を窄める。
 今日から新学期開始の学校が多いためか人もまばらだ。さすがにここまで来れば知り合いに会うこともないだろうし、都心から離れたのは正解だったな。とを待つことしばらく。
「お待たせ……!」
 の声が聞こえて及川は反射的に振り返る。その瞳に歩いてくるの姿が映り――及川はその場に固まってしまった。
 の動きに沿って揺れているのはいかにも彼女の好きそうなパステルカラーのフリルのパレオ。二重のトップスの紐を首で結ぶホルターネックのビキニで……及川はある種の衝撃を受けたことを硬直しつつも自覚した。
 ――自分の方が早いスピードで身長が伸びたために全く自覚がなかった。が。スラリと伸びた足が出会った頃より格段に背が伸びた事を告げている。それに……と及川は一気に頬が熱を持つのを感じた。華奢な彼女がこれほど着やせするとは知らなかった、と感じた自分にもう一人の自分が突っ込む。
 ――いや知ってた。ちょっと触ったことあるし知ってたけど! ていうか水泳の授業って中学にしかなかったしクラスも別で水着なんて見るチャンスなかったし。……あ、てことは岩ちゃんは彼女のスク水姿を北一の頃に見たことがあるということで。――いま岩ちゃんに殺意沸いた。生まれて初めて殺意沸いた。
 と、数秒にして怒濤のような感情が頭を駆けめぐっていると、が首を捻るのが映った。
「どうかした……?」
 言われて及川はハッとして姿勢を正す。が、思ったように口が動かせない。
「か……」
「え……?」
「か、かわいい……」
 ドキドキしつつやっとのことで絞り出すと、え、とは目を見開いたあとに少し照れたように笑った。
「あ、ありがとう。この水着、買ったばっかりなの」
 ――水着も可愛いけどそうじゃない。と噛みしめた及川だったが、にベンチの方へ促されてあとを追うように着いていく。
 ビーチパラソルで日陰となったビーチチェアに荷物を置いたは、シュシュを取りだして髪をサイドにまとめた。無意識にを見ていた及川は露わになったうなじにドキッとしつつ、ハッとして目をそらす。
 さすがにジロジロ観るのはいくらなんでも……と葛藤しているとが荷物から日焼け止めを取りだして「あ」と及川も呟いた。
「俺も背中うまく塗れなかったんだよね」
 するとがごく自然に塗ろうかと提案してくれ、及川は「え? い、いいの!?」と上擦った声で返事をした。……我ながらみっともない。と震えた声を自嘲しつつ気を引き締めてチェアに座りに背中を向ける。
「及川くんてほんとに肌が白いね」
 感心したように呟くの声を聞きながら、の手が背中を滑る感覚にいやでも脈が速くなる。平常心平常心、と顔を見られていない及川は眉間に皺を寄せつつ息を吐いた。
「室内競技だかんね。おかげで外出時は日焼け止め必須だよ、元々日差しに強くないしさ」
「そっか。花巻くんなんかもっと白いもんね……」
「なんでそこでマッキーなのさ! ていうかちゃんだって十分白いじゃん」
「んー……、なんていうのかな。及川くんもだけど、2人とも東北の人っぽい肌の色っていうか」
「東北っぽい?」
「うん。ちょっとピンクっぽいって言うのかな……綺麗で羨ましい。それに及川くん、背中の筋肉すごいね……!」
「ま、まあ……き、鍛えてるからね!」
 ――及川さんの肉体美、触りたい放題だよ。なんていつもなら出てくる軽口さえ出てこない。と、ちっとも平常に戻らない心拍数のせいでやや呼吸の乱れを覚えているとが終わったことを告げてくれた。
「私も塗ってもらっていい?」
「え……!? ……も、モチロン」
 聞かれて、及川は狼狽えつつギクシャクしながら日焼け止めを手に取った。
 プールに行こうと言ったときに、の水着姿が見られるという思惑がなかったとは言わない。けど、それよりも2人で水遊びを楽しんだり、自分の鍛えられている身体が好き――たぶんぜったい――なに格好いいところを見せられるという期待の方が大きくて。
 こんなの予想外だ……と及川はの背中に手を滑らせつつ頬に熱が宿るのをいやというほどに自覚した。――もちろんカノジョなのだし、が可愛いなんて大前提だけど。でも、に出会ったのは13歳の頃で……出会った頃のイメージが強く頭に残っていて。こんなに大人っぽくなってたなんて反則……と及川はに気づかれない程度に小さく唸りつつ、何とか塗り終える。
「ありがとう」
 の方はというとすっかり水泳モードになっているらしく、スライダーやる前にちょっと水に慣らした方がいいかな? などと言いながら立ち上がって軽いストレッチを開始した。ハッとして及川もそれに倣い、済ませてプールサイドへと向かう。
「わ、ちょっと冷たいね」
「入っちゃえば慣れるんじゃない?」
 がプールへと恐る恐る足をつけ、及川もゆっくりと中へ足を入れてみた。確かに冷たく感じるが、日差しも十分であるしすぐに慣れるだろう。
 スライダー付きのプールは主に子供が楽しめるように作られているため、水深はそう深くない。と、気づいて及川はしまったと内心舌を打った。自分の身長でギリギリ立てるくらいの深いプールだったら、がこちらにしがみつかざるを得ない美味しいシチュエーションが堪能できたのに、などと考えているうちにすっかり水に慣れて冷たさは感じなくなった。
「ねえ及川くん、端まで泳ごう」
 も水に慣れたのか、言うが早いか水面に顔を着けて泳ぎ始めた。及川はそれほど泳ぎは得意でなかったものの、取り合えずを追う。
 バレーは元より室内球技はそこそこ得意だが、水泳なんてそれこそ小中の体育以外でやることなどほとんどなかったし新鮮だ。逆にアウトドア派のは得意なのかな、なんて考えつつ泳いでいく。
 プールを横断して着いた先で顔をあげれば、同じく水面から顔をあげたは日差しに目を窄めつつ笑っていた。
「プール久々だけど気持ちいい……!」
「次はスライダー行く?」
「うん」
 周りにあまり人がいないのは幸いだったかもしれない。と、小さなスライダーをまるで子供のようにはしゃいで数回滑っているうちに及川は状況にもすっかり慣れ夢中で楽しんでいた。
 そうして何度目のスライダーを終えてプールに滑り込んだ時だっただろうか――。に少し泳ごうと言われて及川はの手を引きつつ共にゆるく泳ぎながらプールの中央へと移動した。
 上機嫌そうに笑うを見つつ、やっぱりプールにして正解だった、などと思っているとがジッとこちらを見据えてきて及川は目を瞬かせる。
「なに、どうかした?」
 すればは及川の右肩にそっと左手を添えて感心したように頷いた。
「及川くん、やっぱり上腕二頭筋すごいね……!」
「え……ッ」
 まじまじと腕を見つめるとの距離が縮まった事で及川の脈がドキリと跳ねた。
 はというと、スケッチのための観察対象を見るような視線なのだろう。わあ、とか、すごい、を繰り返しつつ腕に触れてきて及川は狼狽える他ない。
「そ、そりゃ及川さん鍛えてるからね……!」
 ――やばい声裏返った。と自嘲しつつも、見下ろせば目の前に水着姿の肌を露わにしたがいるわけで。やっぱりちょっと触れてみたい。たぶん今なら抱き寄せても嫌がられないと思うが……と分かっていても緊張で動けない。
 すればよほど挙動不審だったのかがやや申し訳なさそうな目で見上げてくる。
「い、いやだった……?」
 そっと及川から手を離しつつ言われて、及川はハッと姿勢を正した。
「そ、そんなわけないじゃん! そ、そうだそろそろ温泉いこ! ちょっと寒いなって思ってたんだよね!」
 動揺している自分を誤魔化すように言って、プールを出て露天風呂へと向かう。
 このホテルには水着で入れる露天風呂がプールに併設されており、プール使用者も温泉を楽しめるような造りになっている。
 露天風呂には誰もおらず貸し切り状態で、2人は湯に浸かると座ってホッと息を吐いた。
「俺、水着で温泉に入ったのって初めてだよ」
「私も。でも気持ちいい……!」
 が湯から手を伸ばして湯を腕にかけながら薄く笑い、及川はややドキドキしつつその動きを否が応でも目で追ってしまった。――むろん裸ではなく水着を着ているのだが、とぐるぐる考えているとが何か思いついたように「あ」と瞬きをした。
「そういえば及川くん、前に一緒に温泉に行きたいって言ってたよね?」
「へ……?」
 及川は予想だにしなかった言い分に目を瞬かせた。――そういえば、と去年のクリスマスにが家族で温泉旅行に出かけていた事を思い出す。

『良いよね、温泉。俺も温泉でのーんびりしたい!』
『え……』
『そのうち絶対二人で行こうね!』

 そうだ。あの流れでいつかと二人で温泉に行こうという約束を取り付けたんだった。とその時のやりとりを浮かべて及川は慌てて首を振った。
「そ、そうだけどそうじゃなくて! あの約束に今日の事をカウントするのはナシだから!」
「え……でも……」
「温泉でのんびりって、もっとこう、二人っきりとかそういうのだし!」
「今も二人きりだけど……」
「そうだけど違うの! 二人っきりっていうのはもっと温泉地とかでゆっくり――」
 そう言いかけて、及川はここが日本でも有数の温泉地だったことを思い出して墓穴を掘らないよう言葉を飲み込んだ。
「きょ、今日の目的はプールだし。温泉は温泉目的でまたゆっくり行けばいいじゃん、ね?」
「う……うん」
 そうしてどうにか勢いで押し切り、頷いてくれたを見てホッと胸を撫で下ろす。
 しかし、だ。たかだか水着でこれほどドキドキしてるのに、二人っきりで温泉なんて果たしてこなせるのだろうか。それともその頃にはもう少しとの仲も進展しているのかな。と思いつつ温泉水を肌に転がして上機嫌そうなを見ながら考える。柔らかそうだな、と頭がボーっとしてきた。
 のぼせたせいだろうか? それとも、とぼんやりしていると視線に気づいたのかが少々怪訝そうに見上げてきた。
「どうかした……?」
 その額に張り付く濡れた髪が色っぽい。――かわいい。なんてカノジョに向かう気持ちとしてはごく自然なはずだというのに。やっぱり想定外、と及川はブンブンと首を振るい、ますますは首を捻ったもののそれほど気に留めなかったのか話題は周りの景色へと移った。
 市内だというのに緑豊かな風景をは気に入ったらしく、本日二度目となる「スケッチブック持ってくれば良かった」を呟いている。――こっちはこんなにドキドキしてるのに不公平。なんて憤ったところで無駄であるため、及川はそんなを見つつ一つため息を吐くだけに留めた。
 そのまましばらく温泉を堪能し、もう一度プールで一頻り泳いだあとに及川たちはプールをあとにした。
 ホテルを出て向かったのはこの辺りでは有名な峡谷だ。名取川にかかる橋の袂からは遊歩道が続いており、眼下には奇岩を割るようにして流れる清流が広がっている。
「わあ……!」
 は感嘆の息を漏らしたものの、及川はゴクリと息を呑んだ。自然豊かな光景ではあるが、サスペンスドラマに出てきそうな光景でもある。
「足下おぼつかなそうだけど行く……?」
「うん」
 聞いてみたもののは乗り気で、柵もあるしゆっくり行けば平気か、と及川は慎重に歩きつつところどころでの手を引きながら谷底へ下りていった。
 しばらくすると滝が見えてきて足下も安定し、の希望もあって立ち止まって景色を堪能する。
「綺麗だね……!」
 ともすると危なっかしいほどに身を乗り出して頬を紅潮させているはすっかり景色に夢中だったが、及川も木の陰と流水の作り出す涼しい空気に頬を緩めた。炎天下が嘘のように過ごしやすい。が。
 それにしても、だ。今日はお付き合い一周年のデートなのだから、もう少し自分にかまってくれてもいいのではないか。と、指で枠を作って眼前の光景を切り取ることに集中しているの横顔を、む、と見やる。そもそもゆっくり会うのすら久々だというのに。
 普段ならの興味が絵にそれる事にもう少し寛大になれるのに……、ていうか絵より自分に夢中なはそれで変だし、ほんと厄介。と少しだけ頬を膨らませてジッとを見つめていると視線に気づいたのかがこちらを見てハッとしたように手を下ろした。
「ご、ごめんね。つい夢中になっちゃって……」
「別に。ちゃんの最優先はなんなのかよーく分かってるからイイんですケドー……」
 唇を尖らせつつ、やや戸惑ったような様子を見せたの腕をグイッと引いて及川は彼女を自身の胸へ閉じこめてみる。
 すれば、ぶわっと胸が一気に熱くて温かくなるような感覚に襲われて……及川は一年前に感じた感情もだぶらせつつ目を閉じた。
「俺、この一ヶ月ずーっとちゃん不足だった!」
 そして、ギュッと腕に力を込めるとの身体が撓ったのが伝った。
「前も言ったけど、スキンシップってお付き合いの大切な要素だしね……」
 噛みしめるように言ってからを見やると、微かに頬を染めたが首を傾げる。
「でも……今日はいっぱいスキンシップしたと思うけど……」
 プールで、と細切れに言うにカッと及川の頬が紅潮する。
「あ、あれは違うし! ていうか――ッ」
 そうして勢いで言いそうになってハッとした及川にはますます首を傾げ、及川は唸る。――ああもう、と脳裏でブツブツ言いつつ少しから目線をそらした。
「俺……ドキドキしちゃってそれどころじゃなかったし……」
「え……!?」
 すると、心底驚いたような声がの口から漏れ、ますます及川の脈が速くなった。
「ていうか、ちゃんは違うの!? 水辺の及川さんにドキドキしなかった!?」
 もはやヤケクソ状態で言い放てばは瞬きをして口をへの字に曲げ、及川としては硬直するしかない。
 ていうかやっぱり変なこと言うんじゃなかった。もしかして引かれちゃったかも、とにわかに後悔しているとがこちらに一歩詰めてギュッと及川の腰に抱きついてきて及川は目を見張る。
ちゃ――」
「プール、楽しみにしてたしすっごく楽しかった。私も会いたかったし、今もこうやって及川くんと一緒に綺麗な景色が見られて嬉しい」
 キュ、とシャツの裾を握って胸に顔を埋めてきたの言葉は及川の問いへの明確な答えではなかったが。それでも触れ合う身体が温かくて、及川はしばらくしたあとに、ふ、と頬を緩めた。
「うん……」
 やはりこうして触れ合っているのは心地いい。あったかくて柔らかい……と過ぎらせたがゆえにうっかりのビキニ姿が脳裏に蘇ってきて及川は慌てて思考を振り払った。
 そのまましばらく抱き合ったまま微笑み合って、川辺まで歩いていって一通り堪能してから元来た道へと戻る。
 そろそろ戻ろうとやってきたバスに乗って空いている2人がけの椅子に座り、及川は携帯を取りだして時間を確認した。6時前には着きそうだ。
「なんか俺お腹空いてきちゃった……、甘いものが食べたい気分」
「じゃあ着いたらなにか食べに行く? 近くに美味しいパンケーキのカフェがあるけど」
「ホント? 行く行く」
 バスはの家のそばに着くため、着いたら腹ごしらえをしようと話しているうちにプール疲れかウトウトしはじめたが及川の肩にもたれ掛かり、呼応するように及川もにもたれ掛かって寝息をたてた。
 しばしふわふわと心地の良く夢の中を漂いつつも眠りは浅かったのだろう。降りる予定のバス停名がアナウンスされてどちらともなく目を覚ました。
 そうして外に出ればそろそろ日の入り時刻で、茜色の空間に二人して目を細める。
「私もお腹空いてきちゃった……」
「お昼ご飯早めに食べたからね」
 及川はあくまでスイーツ気分だったが、は夕食にしたいという。行く予定の場所は軽食も可能らしく、予定通りのカフェへと足を向ける。
「いらっしゃいませー」
 そうしてカフェへ赴いてメニューを一望し、ズラリと並んだオムライスのリストを見て及川は肩を揺らした。――確かに的にはここで夕飯でも十分すぎる場所だろう。むろんパンケーキのメニューも充実しており、はオムライスを、及川はフルーツとクリームたっぷりのパンケーキを選んだ。
 しばらくして運ばれてきたそれぞれの料理に感嘆の息をもらしていると、あ、と眼前のが何かに気づいたように声をあげた。
「そういえば、一年前にも及川くんパンケーキ食べてたよね」
 言われて及川は思考を巡らせた。――1年前、との初デート。そういえば、と確かにあの時は自分がパンケーキをチョイスした覚えがある、とパンケーキにナイフを入れつつ懐かしく思い出す。
「でもさ、その前は一緒にオムライス食べたよね。ほら、一緒に光のページェント観に行った時」
「え……うん」
「よくよく考えたらアッチが初デートだよね?」
 パンケーキを頬張りつつを見やると、彼女はキョトンとしつつ困ったように笑った。
「でも、あの時ってまだ付き合ってなかったし……」
「そりゃそうだけどさ。けど、どう考えてもあの時から両想いだったよね?」
「えッ……!?」
「ていうかどうせなら中学の時から付き合ってれば良かったのに……、なんか時間ソンした気分」
 ――は中学の頃から自分の事好きだったに決まってるし、ぜったい。と別れるつもりはさらさらないが、もしも離れ離れになるなら、やっぱりもう少し早くから付き合っていたかった。と思いつつ食べ進める及川とは裏腹には困惑したような表情を浮かべている。
「なに?」
「んー……、私は及川くんと付き合うって想像もしてなかったから、中学の頃とかちょっと考えられないかも」
「え!? だってちゃんってずっと俺のこと好きだったよね??」
 困ったように言われて及川がショックを受けていると、んー、と唸りつつはオムライスに口を付けた。どこか誤魔化すように微笑んだはしばし考え込むようにして黙し、しばらくしてから少しだけ口元を緩めた。
「でも……、及川くんと付き合ってからもっともっと及川くんのこと好きになったから、もしも中学の頃から付き合ってたらもっと毎日楽しかったかも」
 そしてサラリとごく自然に言われ、ピク、と及川の手が撓る。
 そのまま美味しそうにオムライスに口を付けるとは裏腹に、及川は微動だにできにない。やっとのことで左手を動かしてフォークでパンケーキを口に運んだが、味がぜんぜん分からない、と早鐘を打つ自身の心音を聞きながら及川は思った。
「? 及川くん……?」
 当の本人はどれだけの破壊力を持った言葉を口にしたか無自覚らしく、首を傾げられて及川はふるふると首を振るう他はない。
「美味しかったね!」
「う……うん」
 結局、美味しいパンケーキを堪能しきれないほど胸がいっぱいになって終わってしまった。と、帰路で及川は肩を竦めていた。
 けれども。本当に一年間、あっと言う間だった。今ではもうと付き合っていない自分なんて想像もできない、と感慨にふける間もなくの家が見えてくる。
 キュ、とどちらともなく繋いでいた手に力を込めた。
「今日、すっごく楽しかった」
「うん、俺も。……あ、あのさちゃん」
「ん……?」
「これからもずっとよろしくね!」
 あえて「これからも」と曖昧な言い方をしたのは否定されるのを無意識に避けたからかもしれない。
 けれどもは、ふ、と笑ってそっと及川に身を寄せてきた。
「うん」
 及川も、へへ、と笑ってギュッと抱きしめ返す。じんわりと胸が温かい。――出会った頃は彼女と付き合うことになるなど考えられなかったが。いや、惹かれていた事を認めたくなかっただけで……本当は、と薄ぼんやり中学の頃を浮かべつつ、と顔を合わせて笑いあう。
「じゃあ及川くん、おやすみなさい」
「うん、おやすみー」
 そうして門の前までを送って手を振り、及川はふっと息を吐いた。
 急に一人になって、蘇るのは今日の出来事だ。――中学の頃のは、と先ほどまで浮かべていた脳裏に一気に昼間のプールでの光景が蘇って、無条件でカッとなる。
「ああもう、また……!」
 だってホントにあんなに育ってると思ってなくて――と止めどなく鮮やかに流れてくる記憶の映像を掻き消すように髪を掻きむしる。けど。
「カノジョの水着にドキドキするのとかフツーだしぜんぜんフツーだし!」
 ブツブツと呟きつつ早足で自宅を目指す。明日も通常通り練習が入っているし、プールでいつもより体力を消費したぶん、しっかり身体を休めなくては。
 というか泊まりを提案しなくて良かった。こんな状態だったらテンパって恥を晒すだけだった……やっぱりさすが俺。とどうにかポジティブな方向に持っていきつつ夜道を走っていく。

 が――。

「眠れない……!!」

 結局、その日の夜は興奮状態のまま寝付けず気がつけば明るくなっていた天井を睨みながら及川は途方に暮れた。



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そして翌日の及川さんは……? 拍手特別ver