8月――。
 はほぼ毎日美大受験専門の予備校に通っての受験対策と並行して祖父母宅での文系科目のセンター試験対策に時間を費やした。
 とはいえ、合否に関してセンターの比重が大きいとは思えず、また、外国語及び理数系科目で高得点を得る自信があるにとってセンターはあまり問題ではなかった。
 問題は実技だが――、自分の技術に自信がないわけではないが、なにせ合否を決める人間がいる以上は絶対はないわけで。
 倍率的にも確実とは言えず、にとってはプランBにあたる卒業後はすぐに渡仏という準備の方も下準備だけは整えておいた。

 一方の及川は8月に入ってすぐに担任に呼び出され、筑波大から内々に推薦入学の願書を受け入れると学校を通して連絡があったと知らされホッと息を吐いていた。
 担任曰く、「絶対に無理だと思っていたが掛け合ってみるものだ」らしく、及川は学校は学校で自分の無茶ぶりにどうにか応えてくれようとしていたのだと初めて知った。
 学校の無茶ぶりが通じたかは甚だ疑問ではあるが、及川は担任らの尽力に感謝して礼を述べ、すぐににも知らせての自宅へも報告と礼の電話を入れた。
 とはいえ、及川にとってはようやくスタートラインに立てたも同然だった。
 願書提出は9月。試験は実技と小論文で11月に行われる。自分はある程度勉学に励んでいた成果が出て、内申点は悪くない。小論文はあまり国語が得意でないゆえに対策をしなければならないだろう。が、問題は実技だ。
 他の受験者はどの競技にあっても全国で最低でも16位には入った実績のある選手たちばかり。倍率がどれくらいかは分からないが、その中で合格を勝ち取らなければならない。
 ダメな場合は一般受験になるが、現実的に言って一月のセンター試験に11月以降の勉強で間に合うとは思えない。
 けれども。その時はその時だな、と及川はいまは10月に迫った春高予選に向けて部活に集中した。

 そうして迎えた8月の最終日曜日。
 青葉城西男子バレー部はこの日、県外の高校と練習試合を組んでいた。
 朝は10時からの開始予定であったが、既に先方の顧問から交通渋滞に引っかかって遅れると連絡を受けており、バレー部は待ち時間に軽く練習を流していた。
「やっぱ休み中となると、ギャラリーもそうはいねえのな」
 ぐるりとギャラリーを見渡して呟いたのは花巻だ。ギャラリーにいたのは数人の見知った女バレのメンバーであり、いつもならば体育館を賑わせる及川目当ての女子がいない。
 こうなると少し侘びしい気もする、と視線を端に移した花巻の瞳はひょこっと現れた人影によって大きく見開かれた。
 ついで、花巻は「オイ」とそばにいた及川を呼んだ。
「なに、マッキー」
「ホレ、ギャラリー見てみ。真上の端」
 すると及川は解せないという面もちで目線をあげ、そして花巻から見ても形良く整った二重の瞳を大きく見開いた。

ちゃん!!??」

 及川の目に映ったのは他でもない、の姿であり。及川はあまりに予想外の出来事に固まった。
「え、え!? なんで!? 帰ってくるの今日の夕方って言ってなかった!?」
 そうなのだ。は明日のデートに備えて今日の夜に帰ってくると聞いており。そんな及川の横にさも当然のような態度で立った岩泉がの方を見上げた。
「よう。悪かったな、無理言って」
「ううん、大丈夫」
 すると岩泉の言葉にがそう返し、訳の分からない及川は取りあえず岩泉の方へ向き直った。
「ちょ、なに岩ちゃんどういうこと!?」
「いや、あいつに英語の課題聞きたくていつ戻るか聞いたら今日の夜っつーし明日はおめーと会うってんで、じゃあ無理だな、つったら帰る予定を前倒しするって話になっただけだ」
「は……!?」
「なら、今日は練習試合やるからついでに観にくりゃいいべって誘った」
 けろりと言われて及川は口をぱくぱくさせつつ、ガツッと岩泉の肩を掴んだ。
「それいつの話!?」
「昨日の夕方」
「俺、なにも聞いてないんだけど!?」
 すると岩泉はさも鬱陶しそうな顔をして、軽く舌打ちしつつ及川の手を振り払った。
「なんであいつと話すのにおめーの許可がいんだよクソが」
 言われて、グ、と及川は言葉に詰まる。いくら気に入らないと言ったところでは自分より岩泉との方が多少付き合いが長く、加えて彼の言い分はあまりに正論だ。
 すると頭上からの声が降ってきた。
「夕べ急に帰ること決めて荷物とかまとめたりしてバタバタしてたの。ごめんね、驚かせちゃって」
「え!? ううん全然いいんだけどね。ていうかちゃん初めてだよね、練習試合観に来てくれるの!」
「え……、うん」
「バッチリこの及川さんの活躍観てってね!」
 我ながら調子が良いと思ったものの、が早めに帰ってきたこと自体は大歓迎でありピースサインをしているとやりとりを観ていたらしき部員がざわざわし始めた。

「なんすか……岩泉さんのカノジョ……?」
「岩泉さんのカノジョなのに及川さんあの態度……?」

 それを聞いて吹き出したのは事情を知っている花巻及び松川だ。
 かといって2人は助け船は出さず、そうこうしているうちに上機嫌の及川がこちらに混ざってきた。
「さあお前ら、今日もいつも通り気合い入れて行くよ!」
 いつも「以上に」の間違いだろ、とは花巻は突っ込まずに主将の声かけに普段通りに応え、そうして30分ほど遅れて到着した先方のウォーミングアップが終えるのを待ってからの試合開始となった。

「マッキー!」
「よっしゃ!」

 いつもなら響いているはずの及川への黄色い声援がないと微かに違和感はあるものの、やっぱり自分にしても多少は気合いが入ってしまう。と、決めたスパイクに拍手をしてくれたをちらりと見上げて花巻は自嘲した。
 と及川が中学時代からの付き合いだと言うのは今更だが、こうして試合に彼女が顔を出したのは知る限りでは初めてだ。
 あの及川の彼女でありながら、二人が交際しているという話を外部で全く聞かないのはそういう部分にも理由があるのかもしれない。
 などと分析しつつ回ってきた及川の本日初めてのサービス。
 これもいつもならば必ず飛ぶ声援がゼロだったものの、いつも以上に鋭いノータッチエースが決まって花巻はさすがに目を剥いた。
「及川、もう一本ナイッサー!」
 岩泉の声が響いて及川はそのまま滞りなく二本目もエースを決め、そのまま連続で得点して7本目を決めたところでさすがに花巻は無意識のうちにウォームアップゾーンにいる松川の方を見やった。すればバチッと松川と目が合い、お互い無言で肩を竦める。
「ウチの主将……」
「分かり易すぎだろ」
 無意識か意識的か、に良いところを見せようと張り切っているのは自明だ。が、及川が調子が良ければ全体が活気付くといういいサイクルが生まれ、そのまま2セットを連取して青葉城西は快勝しそのまま昼食時間になった。
 昼食後にもう一試合をすれば今日の練習はほぼ終了だ。

「お疲れさまでした!」
「ありがとうございました!」

 午後も4時が近づいてきた辺りで練習試合が終わり、相手チームを見送ったら練習は終わりだ。
「じゃあな、先あがるわ」
 駆け足で誰よりも早く体育館を出た岩泉を見送って及川は肩で息をした。
 は岩泉の課題の訂正箇所をチェックしておくと言って昼食以降は体育館を出ており、岩泉は今からと共にその課題を終わらせるのだろう。
 やっぱり少しは気になるが、岩泉のおかげでに試合を見せられたし、サーブたくさん決まって格好良かったと言ってもらえたし、いいか。と頷いて笑っているとふと横から吹き出したような声が聞こえて及川は主を睨むようにして見据えた。
「なに人の顔見て笑ってんのさマッキー」
「いや別に」
 ひらひらとかわされて花巻もそのまま「お先」と体育館を出てしまい、及川は「ふぅ」と息を吐いてからいつも通り一人でサーブ練習を開始した。
 ――少し前に、仲間内で進学先の話をした。
 おそらくみんなバラバラだという予想のせいかどことなくタブー視していたが、及川が自分の進路を告げるとみんなポツポツと話してくれ、意外にも、当たり前とはいえ全員がちゃんと考えてそれぞれに焦点を合わせてた事を知った。
 岩泉は地元の私大の体育学科を自分と同じく推薦で受けるという。ただ成績の評定がギリギリ足りるか否かという状況らしく案じているということだった。家から通える距離でもあり、私大でも親は渋々OKを出したという。
 花巻は関西の私大に絞っているらしく、判定もB判定でこのまま順当に行けば合格できるだろうと相も変わらず要領の良さを発揮していた。バレー部もそこそこ強い大学らしく、バレーを続けるか否かはまだ考え中ということだ。
 松川は、やはり成績面でかなり厳しいものがあるらしく、いっそ就職かと迷っていたらしいが取りあえずは岩泉と同じ大学を推薦で志望すると言った。
 それぞれ目指すものが違っていて、きっと数年後はもっとバラバラになってしまうだろう。
 このメンバーでバレーが出来るのもあと少し。――自分でも不思議な気分だった。慣れた仲間たちと、岩泉と離れてプレイすることなど以前は考えることすら拒否していたというのに。
 たぶんきっと大丈夫だ。自分が「一番」でない場所でも平気。自分はそこで足掻いて上を目指せる。そのくらいの強さはあると信じたいし、離れていても自分には仲間がいる。と、すぐにまた岩泉たちの顔が浮かんでしまうのは弱さかな、と自嘲しつつ、また一本と及川はサーブを重ねていった。



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50話、話の方も一区切りです